2018年9月22日土曜日

「自分は欠けてる」思考

<ヒーリングの勉強会8月>

そろそろ1ヶ月経とうとしているけれど、すごく印象的な出来事だったから覚えてる。

占星術の講座の後(8月29日)、ヒーラーのOさんと待ち合わせて、ヒーリングの勉強会をした。

Oさんからのリクエストで、私のノートを持っていった。

Oさんには、7月に会った時にある心理のワークを紹介した。

書いてやってもらうタイプのもので、Oさんはそれをした後、自分の書いたものにあることをしたらしい。

実験として試したから、武士俣さんのノートにも試したいと言われて、それでOさんが何するのかは皆目見当もつかなかったけれど、とりあえずノートを数冊持ち運んだ。

Oさんの意図がわからなかったから、私は用途の違うノートをいくつか持ち込んだ。

最終的に4冊をOさんの前に出して(もう数冊リュックに入ってた)、それでOさんが何をするのかを見た。

私が紹介した心理ワークは、心の中を吐き出してそれを自分の受け取りやすい形に変えていくものだった。

そもそも心の中を吐き出すわけだから、ネガティブ満載なのは間違いなかった。

Oさんは私に説明した。

自分でワークをした後、それらの心のネガティブな部分が癒されるようにヒーリングを施したとのこと。

そして、施した後、どんな変化が生まれるかを今経過観察中とのこと。

実験的にやっているから、それを私のノートにも試したいと言われた。

ただその後すぐにこうも言われた。

僕はヒーリングをすることがいいことだと勝手に思ったけれど、それは武士俣さんのやり方に対して物申すみたいな感じだったり、そもそも「良くしよう」と考えること自体、相手(=私)はダメだと捉えてるとも武士俣さんから見て捉えかねないわけで、そんなの自分の単なるお節介のような気がして…、ヒーリングをするのが本当にいいのかどうかわからないと言われた。

私は全く気にならないし、ヒーリングをしてもらえるならじゃんじゃんしてもらいたいから、Oさんの思った通りにやって欲しいとお願いした。

そんな気遣いまでしてくれてありがたいばかりだった。

4冊目の前にあったノートに次々ヒーリングをしてくれて、そしてその後私は度肝を抜かれた光景を目の当たりにした。

そのうちの1冊を指して、Oさんはそのノートが一番重たくて状態が悪いみたいな言い方をした。

『羊のショーン』という人形劇風のアニメのキャラクターのノートだった。

ヒーリングの直後、
「武士俣さん、このノートの色が変わったのわかります?」
と聞かれた。

これ洗脳でもマジックでもなく、本当の本当に色が変わった。

全体的にピンクの色が大部分を占めているけれど、とにかく4年以上経過しているからノートの色は経年劣化でくすんでいた。

元の色は日焼けしたみたいな色の朽ち方をしていた。

そのノートの色が鮮やかなピンクに変わっていた。

「何これ??」と思った。

Oさんがしたのは手かざしと音払い的なことぐらいで、他は何もしていない。

今も手元にあるけれど、あの時に色が変わったままになっている。

新品とは言わないけれど、最初に買った時のような色合いに変わった。

使用前使用後の写真を撮っておけば良かったぐらい。

何かの魔法みたいだった。

占星術の講座で、スピリチュアルな能力の継承云々と説明されたことを思い出した。

Oさんのやっていることを私が継承することはないけれど、そうした世界との交流が私の場合はこれから先も切っても切れないところにあるような気がしている。

関わり合いになりたいとかいうことではなく、私の意思とは関係なくそういう世界との接点はあり続ける、そんな風に感じた。

ノートの話に戻る。

このノート、実はすっごい大事な話に繋がっていくノートだった。

新潟で東京行きの準備をした時、私にはOさんの意図も何をするのかも全くわからなかったから、どのノートを持参するか少しだけ悩んだ。

どれが来てもいいように、何冊かタイプの違うものを持って行くことにした。

4冊出したのはこんな内訳だった。

①自分の超ネガティブや心の毒、他人の批判・批難だけをひたすら書くノート
②自分の中のモヤモヤを吐き出したり解消するためのワークノート
③コーチングの授業のまとめノート
④アイデア帖

上が一番ネガティブで悪い気が入っていて、下に行けば行くほど純粋な良いエネルギーが流れていると私はずっとずっとずーっと思っていた。

特にアイデア帖なんて、最高に良いものだけを書き貯めていた!と自分では何も疑うことなくそう信じていた。

Oさんはこの時点では、どのノートがどんな用途なのかは知らなかった。

その何も知らないOさんが、
「このノートが特に重たいですね、断トツです」
と指差したのが羊のショーンのノート、アイデア帖だった。

私はOさんが間違えたのかと思って(←おい!)、Oさんにこれじゃないですか?と①のキャンパスのノートを差した。

「それそこまで悪くないですね〜。断トツでこれですよ!」
と尚も言う。

私の頭の中は「?????」だらけだった。

続いてダメなのは、とOさんが指差したのは、コーチングの授業のまとめのノートだった。

それこそ、理論や手法と自分の個人的な解釈とが書かれているだけで、その中では一番私の感情が入り込んでいないものだった。

だからOさんによれば、

①自分の超ネガティブや心の毒、他人の批判・批難だけをひたすら書くノート
②自分の中のモヤモヤを吐き出したり解消するためのワークノート
③コーチングの授業のまとめノート
④アイデア帖

の順で「良い→悪い」となっていた。

私の中では「悪い→良い」だったものが、Oさんによれば真逆の判定になっていて、全然理解できなかった。

私にはさっぱりその理由がわからず、Oさんにそれぞれのノートの用途をここで初めて説明した。

説明し終わるとOさんに笑顔で返された。

「武士俣さん、『足りない』って思っているでしょう?」

私の中はまたもや「?????」となった。

「足りない」って何?と思った。

Oさんはわかるように説明してくれた。

「そのアイデア帖、武士俣さん自分では良いと思ってるかもしれないけれど、それって別の言い方をすると、『そのままの自分では価値がない・足りないので、その部分を補います』っていうことで自分以外の人の考えをそこにくっつけている。
本当は武士俣さんのままでいいのに、その自分ではダメだと思って、そしてダメだという自分を良くするために別のところからアイデアを引っ張ってきて足している。
それが重たくなる原理だと思います」

言われて、ものすごーく納得した。

なぜならアイデア帖には、世の成功者たちが実践して上手くいった考え方や行動の仕方を元にしたワークもあれば、自分で思いついたアイデアを書き留めることもあった。

それって大元を見ると、今の自分じゃダメだと思っている。

その足りないと感じる部分を補おうと、無意識にその気持ちを詰め込んでる。

だから、私がものすごい暴言に文句に批難にとありったけの負の感情をぶちまけているそのノートこそが一番私そのもので、自分を飾っていない。

コーチングの授業のまとめノートについても、それは私自身をどこか否定する要素が含まれている。

どこかで自分のことをダメだと思っている。

ダメと言うか、私は知識が足りないから、そこを補ってくれるものとして忘れないにしよう!という私の認識が入っている。

知らぬ間に「自己否定」地獄に陥ってる。

それをOさんの指摘により気付かされた。

ちなみにOさんにそのアイデア帖をどうしたらいいかを聞いた。

私としてはそれも自分の一部だから捨てる気はないこと、でもそんな自己否定の悪い気がくっついているなら奥にしまっておくのもどうなんだろう?と思った。

Oさんに「それ風通しの良いところに置いてあげて下さい。植物のそばとかでもいいです。風当たりを良くしたらいいですよ」と言われた。

さらに聞いた。

「これ、今後どんな風になるんですか?ダメってことですか?」

それにもOさんは丁寧に説明してくれた。

「ダメだということではないです。ただ、意味合いが変わってくると思います」

「どういうことですか?」

(Oさんの答えは忘れたから、大体こういうことという話)

「例えば、掃除をするとします。
これまで義務的にやっていたり、汚いのはダメだと自分に言い聞かせてやっていたとするじゃないですか。
それが今後は、『きれいにすると気持ち良い』とか『きれいなところに自分の身を置くと落ち着く』から掃除をする、という風になってくると思いますよ」

例は掃除ではなかったけれど、内容的にはそんな風だった。



【エピローグ】←最近のお気に入りワード

ホロスコープの講座もOさんとの勉強会もまた来週の水曜に迫った。

また新しい情報が入ると、このことたちの詳細を忘れそうと思って慌てて仕上げた。

今回はパソコン開いて打たないといけないぐらいの量のホロスコープの宿題が出ているけれど、まぁ案の定まだやってない。

手書きの部分はやり切った!←珍しくすでに完了!

しかも5日間に分けてしっかりと!←普段の無計画の先延ばしを今回はやらなかったという大快挙!

ホロスコープの講座に出ると自分のことをまた1つ客観的に知って、そしてOさんとの勉強会に出ると心の中のことをまた1つ新たに知っていく。

次の水曜は何を知るのかまだベールに包まれているけれど、今回も今回で楽しみ。

ちなみに「自分は欠けてる」思考、この1ヶ月近くの大きなテーマになった。

「欠けてる」と思ってる自分を見つける度に「今また思ってた!」と発見して満足してた。

自分へのダメ出しを始めてる時が「欠けてる」思考を発動してるサイン。

発見するのはゲームみたいで楽しいし、これが何に繋がるかはまだわからないけれど、いつかの何かに繋がっていく気がしている。

そしてようやく1年越しに書けることになった文章(今書いてて近いうちにアップ)が今ここで繋がって、自分の中では大満足♡←ハート付けるぐらいに満足している。

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