<ホロスコープ講座4回目>
5月から始まったホロスコープ講座も今回が4回目。
毎回ホロスコープの超基礎を徹底的に勉強する会で、初回はあまりの難しさと理論的な内容に「選択間違えたかも」と思ったけれど、回を重ねるごとにこれを受けて本当に良かったと思っている。
何事も感覚的に捉えがちな私には、理論をまずはきっちりする方が実は勉強法としては合ってると思う。
理論を知りつつ、そこから自分の感覚を広げる方が占星術の場合は良い。
(あくまでも私の個人的な見解)
4回目の今回は「ハウス」と呼ばれるものが学習のテーマだった。
ハウスというのは、個人が自分の性格や特性を具体的に発揮したり、そうした自分自身を表に出して活動していく場所・舞台という風に捉えられている。
例えば私なら、12星座占いでお馴染みの太陽星座は魚座になるけれど、その魚座の性質を、横つながりの人間関係の中で発揮したり、自分と志や価値観を共有できる人たちと公的にも私的にも関わることで独自の関係性を築いていく、そうした活動を行いやすい傾向がある、と読み解くことができる。
ハウスは全部で12個あって、それを色んな要素と組み合わせながら読んでいく。
今回はハウスの概要はざっくりと一言で終わって、その後先生の方からそれぞれのハウスの読み解き方として、具体的にどう解釈するのかの例を教えてもらった。
仕事の仕方、人間関係、家族・家庭、夫婦関係、表現方法、コミュニケーションの取り方、自分の打ち出し方等々、人生や生活における多岐に渡った活動例が紹介されてた。
私の番はなかなか回ってこず、先生はどのハウスの時にどんな解釈を私の例として取り上げるんだろう?と思ってた。
結果的に私は1人だけ他の方たちの例の時には一切出てこなかった内容が説明された。
説明されたのは以下の2点。
・スピリチュアル的な能力を継承する
・霊感や言葉が降ってきやすく、それをどんどん外に向けて発言していく
説明はもっと長かったけれど、概要はそうだった。
明らかに他の人たちの時には出てこなかった例だったから、わかりやすいと言えばわかりやすかった。
他の人たちの例は、誰しもがありうる可能性の範疇で、想像しやすいものだった。
例えば、仕事の例だったり、家庭生活や家系における特徴だったり、はたまた人間関係においての何かだったり。
私だけ、何だか掴みどころのない、人によっては一生縁のないような分野が例として出された。
今の自分だからその先生の説明も「そうか」とある程度すんなり受け入れられたけれど、これがあと1年以上前なら受け取れなかったと思う。
受け取る素地と言えばいいんだろうか、そういうのが出てき始めたから変に疑ったり否定したりはしなくて済んだ。
私の場合、体験がまずやってきて、その後調べてそういう意味だったのか…とわかることが多い。
元々少し変わった体験は多かったかもしれない。
でもまだそれは「そういうこともあるかもね〜」ぐらいな緩い感じで、適当に流していた。
適当に流せなくなってきたのは、この1年ほどで、色んなことがあまりにもたくさん起こりすぎた。
起こっていく中で、普通の理論では到底説明できないようなことが増えたから、私はまたスピリチュアルの分野の調べ物をして自分に起こっていることを確認した。
そんなこんなのうちに、ホロスコープが私の人生の中に登場してきた。
そして、ホロスコープによって、元々そうした見えない世界との繋がりやすさや、そうした世界とのコミュニケーションを得やすいことがわかった。
今回の人生ではこういうことが必要です、というものたちもホロスコープに刻まれる。
それは本来生まれてきた目的に沿うように、それぞれの個人に設定されているものだと思う。
ちなみに先生に「霊感や言葉が降ってきやすい」云々の説明と絡めて言われたことの1つに、独自の勉強法を持ちやすいとも言われた。
どの部分を指すのかはわからないけれど、多分…というのはこんな風だと思う。
例えば、ホロスコープの星の配置からその時の新月や満月のテーマ、課題、成就しやすい分野を読み解くことができる。
ちなみにそれに関して、私はさっぱりセンスがなく、星の配置なんか見たところで「で、何?」となって読めない。
そういう時に私はどうするかと言うと、私が信頼できる占星術家の人たちのブログを読み漁る。
5人は最低でも読んでると思う(←そんなの数えたことない)。
色んな解釈を読み解く中で、私はそれらの読み解きの最大公約数を自分の中から出す。
内容によっては、それらと自分がさんざんやってきた心理のことやスピリチュアルなことと組み合わせて読み込むこともできる。
ちなみに心理の理論を理解するのに、私が最後一番使ったのは、作家さんたちの日記風のエッセイだった。
数十冊は読んだと思う。
そして読んで気に入った言葉は、ルーズリーフに書き写して、それは800枚近くに上った。
心理の理論は理解して実践するのが、私にとって難しい。
「自分を許す」なんて言われたところで、「で、何すんの?」と思う。
やり方も書いてあるものもあるけれど、手順とかも私からすると難解で、それを実践する前に何していいのかわからなくて挫折しそうになる。
最初私はそういうつもりでエッセイを読んだんじゃなく、単に面白くて読んでいた。
だけど、読んでいくうちに、そうした心理の難しい理論のヒントが日常の生活と絡ませて至る所に書いてあることに気付いた。
例えば「自分を許す」の例として。
ある作家さんは社会的に活躍するよりも自分と自分の家族のプライバシーを守るために依頼を断った経緯を書いていた。
そうしたら先方に本ではあんなに色々書いているのにテレビの仕事としてそれを発信できないのかと嫌味みたいなことを言われる。
そこでも作家さんは姿勢を変えない。
自分にとってどこの誰かも知らない大多数に向けて何か言葉を発信するよりも、家族との生活を守る方が大切だと、本当にそのままの言葉を返したらしい。
(ペンネームを使っているから、ご近所さんたちはその方が作家だということを知らないとのこと。だからテレビで顔出しすると、自分たちの生活が守れなくなる可能性も出てくるから、それはしたくないとあった)
この場合の「自分を許す」は、自分の思っていることを正直に話すことや、相手の意と異なっている自分の考えを大切にすることなんかが含まれている、と私は解釈した。
何ならこの作家さんはその一件を文中でものすごく怒ってた。
怒ることも自分に許していて、読んでいて痛快だった。
話が長くなったけれど、そういう勉強法を私は採用している。
勉強法とも呼べないけれど、自分が理解するためなら、実践するためなら、手段は選ばないし、そして自分がやりやすいようにありとあらゆるものを組み合わせる。
多分そういうのを独自の勉強法と呼ぶのかな…と思う。
あと気に入った言葉を写経のごとく写しまくって自分の中に響かせるみたいなのも、あまり人はしないかもしれない。
好きでやっていたけれど、確かにそれも独特の勉強法に位置すると言えばそうかなと思う。
話が逸れまくったけれど、この占星術の講座の後、私はまさに先生が説明してくれたことを体験することになる。
8月31日 13:59
【追記】
・先生に、ブログで講座の内容に少し触れてもいいかどうかを確認した時。
スピリチュアルな能力の継承もあるけれど、まず大切なのは、
「他人からも自分の中に侵入されやすいし、私自身も他人の中に侵入しやすい」
ということをご指摘いただきました(汗)。
あれ?えっ?うそ?そこ?
先生に確認して良かった。
後半の言葉が降ってくる云々のところは、指摘なしでそのまま。
・色んな読み解きを読んでの最大公約数の例。
明日9月23日(日)の秋分のテーマはこんな風。
ありのままの自分をさらけ出すために余計な鎧を脱いで、これまでの古い自分は破壊して、何も身につけていないままの素の自分を再生するというイメージ。
誰かの価値観で生きていく時代はこれから確実に終焉を迎え、ここから先は個人がどう考え何を大切にするかがすごく問われる時代に入っていくと思う。
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