去年の秋頃だったと思う、数年来の友達のお手伝い的なことをしたのは。
一応仕事の手伝いではあったけど、実際に何をしていたかと言えばおしゃべりしただけ。
友達の仕事に関するおしゃべりも含まれたけど、そんなの全体の1割にも満たなかった。
そんな手伝いにもなってないようなことをして謝礼を現金でいただいた。
悪いことはしていないけど、何となく申し訳ない感じを感じてしまったのは本音。
そのままありがたくいただいてきたけど、自分の申し訳なさを何とか消化するためにも
その謝礼を物と交換することにした。
物もなるべく長く使えるもので日常使いできるもの、と思っていた。
そのひとつがCDだった(←CD1組だけではかなり余る位の謝礼だった)。
雑貨屋さんに行くと、ピアノやオルゴールなんかのヒーリングミュージックCDが置かれている。
試聴もできるCDと言ったら、あぁあれのことかとわかる方もいるかもしれない。
CDは謝礼の最後のお金だった。
買う時になって、ずっと欲しいと思っていたCDとは別のCDも気になって気になって、
何度もどちらのCDにするか試聴を繰り返し、決められず実際に3回ほど足を運んだぐらいだった。
それでようやく1つのCD、後からいいと思った方を購入してきた。
中身を開けると紙が1枚入っていて、
アンケートに答えると抽選でさらにもう1枚CDがもらえるというものだった。
ホームページでアンケートに答えようと開いたところ、もらえるCDは自分で選べるとのこと。
すごくおかしな言い方だけど、わたしはその時にさんざん迷って買わなかった方のCDが当たる、
とものすごく強く思った。
思った、と言うよりも、来ないわけがないと意味不明な確信すら抱いていた。
それが3月の下旬の話。
そのCDは今日届いた。
我が家に着いた時、やった~!という気持ちより「やっぱり」という方が強かった。
このCD、これも勝手な妄想でしかないけど、多分また何か別のものを運んでくる気がしている。
というのも、例の謝礼の一部は本1冊に代わっていて、その本がわたしに色んな体験を運ぶ
きっかけとなった。
まさか本1冊で本を読む以外のたくさんの体験を運んでくるとは思っていなかったから、
そのことで驚くことはいくつもいくつも出てきた。
CDも多分何か別のものを生み出すような気がしてならない。
2015年4月27日月曜日
デジタルデビュー
先日、テレフォンオペレーター巻き込んでの銀行のデジタルデビューを果たした。
オペレーターを巻き込んだのは、自分の手には負えないエラーが出てきたから。
インターネットバンキングに興味があると言うより、必要が出てきてやらざるを得なくなった。
必要と言っても、今すぐと言うより近未来に必要という感じでの登録。
それ故に、さらに通常のキャッシュカードとは別のカードが書留で届いたけどずっと放置していた。
もちろん諸々の説明書もついてきたけど、今すぐに必要でなければ今見なくて良い、
何事も全て先延ばしの性格はここでも発揮され、今日の今日まで放っておいた。
今頃になってようやくよいしょと腰を上げたのは、家賃の振込がきっかけだった。
ふと、そういえば同じ銀行の同じ自分の口座なのに、ATMだと振込手数料がかかって、
インターネットからの振込だと手数料0円だと、どこかに書いてあったことが頭をよぎった。
それでようやく書類やら何に使うのかずっとわからなかったカードを出してきて、
諸々の手続きを踏んだ。
全くの初心者のわたしは、どこの誰とも知らない親切さんが
「ネットバンキングを使う時は、とにかくパスワード・暗証番号のオンパレードだから、
それらをきちんとどこかに書き残すこと」
というありがたいアドバイスをネットに書いてくれていたのを見逃さなかった。
そして、そのアドバイスだけは忠実に守ったおかげで、とてもスムーズに手続きを終えた。
その後ドキドキしながら、初めてのインターネットからの家賃振込を完了した。
「おおっ」とドキドキと同じ位感動し、一瞬で振込は完了した。
そう、今ブログ書いてる同じパソコンから、いくつかぽんぽんと数字やら文字やらを入力し、
金額も実在するのかしないのかわからないような金額を入力し、そして完了。
本物のバーチャル銀行だ、と思いながら終わった。
ついでに、手紙到着時を見ると2年半前に開設したまま放置していた別のバンクのネット登録も
合わせてやってしまい、さっきものの10分ほどで完了した。
10分の作業を2年半も放置・・・。
とても便利になったことを、まるで浦島太郎状態で今初めて知ることとなった。
ただ、デジタルものを使う時、わたしは結局いつもアナログとセットだと思っている。
デジタル系はとにかくパスワードや登録時の名前や、とにかく色んなことを多岐に渡って
情報を登録する。
当然1つ1つメモをしないと忘れる。
デジタル商品やサービスを使うのは生身の人間で、生身の人間の私の記憶できる量は
デジタルには到底敵わないのと、デジタルよりも順応性は高いけど正確性は欠けるため、
細かいことは頭ではなく紙ベースに残さないと大変なことになってしまう。
デジタルだからと言って、生身の自分の性質を無視すると後々余計な問題を生んでしまう。
デジタルの恩恵を授かりながら、アナログな自分のメンテナンスも同時進行だ。
それで丁度良いのかもしれない。
関係ないけど、これまでかかっていた振込手数料108円/月が無料になる・・・
ということは、1年単位で考えると、
その分ちょっとリッチなホテルのケーキセットか、本を1冊買える、ということ。
これは手数料0円がもたらしてくれた嬉しい還元だ。
オペレーターを巻き込んだのは、自分の手には負えないエラーが出てきたから。
インターネットバンキングに興味があると言うより、必要が出てきてやらざるを得なくなった。
必要と言っても、今すぐと言うより近未来に必要という感じでの登録。
それ故に、さらに通常のキャッシュカードとは別のカードが書留で届いたけどずっと放置していた。
もちろん諸々の説明書もついてきたけど、今すぐに必要でなければ今見なくて良い、
何事も全て先延ばしの性格はここでも発揮され、今日の今日まで放っておいた。
今頃になってようやくよいしょと腰を上げたのは、家賃の振込がきっかけだった。
ふと、そういえば同じ銀行の同じ自分の口座なのに、ATMだと振込手数料がかかって、
インターネットからの振込だと手数料0円だと、どこかに書いてあったことが頭をよぎった。
それでようやく書類やら何に使うのかずっとわからなかったカードを出してきて、
諸々の手続きを踏んだ。
全くの初心者のわたしは、どこの誰とも知らない親切さんが
「ネットバンキングを使う時は、とにかくパスワード・暗証番号のオンパレードだから、
それらをきちんとどこかに書き残すこと」
というありがたいアドバイスをネットに書いてくれていたのを見逃さなかった。
そして、そのアドバイスだけは忠実に守ったおかげで、とてもスムーズに手続きを終えた。
その後ドキドキしながら、初めてのインターネットからの家賃振込を完了した。
「おおっ」とドキドキと同じ位感動し、一瞬で振込は完了した。
そう、今ブログ書いてる同じパソコンから、いくつかぽんぽんと数字やら文字やらを入力し、
金額も実在するのかしないのかわからないような金額を入力し、そして完了。
本物のバーチャル銀行だ、と思いながら終わった。
ついでに、手紙到着時を見ると2年半前に開設したまま放置していた別のバンクのネット登録も
合わせてやってしまい、さっきものの10分ほどで完了した。
10分の作業を2年半も放置・・・。
とても便利になったことを、まるで浦島太郎状態で今初めて知ることとなった。
ただ、デジタルものを使う時、わたしは結局いつもアナログとセットだと思っている。
デジタル系はとにかくパスワードや登録時の名前や、とにかく色んなことを多岐に渡って
情報を登録する。
当然1つ1つメモをしないと忘れる。
デジタル商品やサービスを使うのは生身の人間で、生身の人間の私の記憶できる量は
デジタルには到底敵わないのと、デジタルよりも順応性は高いけど正確性は欠けるため、
細かいことは頭ではなく紙ベースに残さないと大変なことになってしまう。
デジタルだからと言って、生身の自分の性質を無視すると後々余計な問題を生んでしまう。
デジタルの恩恵を授かりながら、アナログな自分のメンテナンスも同時進行だ。
それで丁度良いのかもしれない。
関係ないけど、これまでかかっていた振込手数料108円/月が無料になる・・・
ということは、1年単位で考えると、
その分ちょっとリッチなホテルのケーキセットか、本を1冊買える、ということ。
これは手数料0円がもたらしてくれた嬉しい還元だ。
2015年4月24日金曜日
五感が敏感な日(嗅覚編)
最近外を出歩く時、気付いたらなるべく風景に目を向けたりする。
そうすると思考まみれの頭の中がすっきりする、と教えてもらったから。
これまでにも何度となく言われたことでも、習慣化してないとすぐに忘れる。
今、季節が春で目を楽しませてくれるものがここあそことあって、今回は意識しなくても勝手に
目の方が色んなものを追いかけている。
桜も散って、新緑の季節に入りつつあるけど、今日はどういうわけかやたらと匂いが気になった。
最初は、藤の花だった。
たまたま通ったら今がまさに藤の最盛期で、見る花はもちろん、匂いも真っ盛りだった。
たしか去年、両親と一緒に藤の花が有名な公園へ出掛けた。
藤の花は憶えていても、匂いがそんなにも強かったという記憶はない。
今日見た藤の花はその何百分の一の規模でしかない小さなものだったけど、
匂いがとても強かった。
一度嗅覚が刺激されると、次から次へと匂いが鼻の方に届いた。
外国人とすれ違えば強烈な香水のにおい。
ちょうどエンジンを切ったばかりなのか、ガソリンのにおい。
たばこを吸っていた人が近くを通ったら、なんとニコチン臭より加齢臭が先に鼻をついた。
新緑特有のみどりのにおいもする。
自分でもだんだん楽しくなって、ひとりでクンクンと犬みたいににおいを嗅いでいた。
そんなこんなを楽しんで今家に着いたのだけど、1つわかったことがある。
五感を使うと直観やひらめきを受け取りやすくなる、とよく言われるけど、本当にその通りで、
少し行き詰まり感を感じていたことのヒントも得たし、
本屋さんでも今の自分にぴったりなメッセージが書いてある本を立ち読みしたし、
ふらりと入った輸入雑貨店では、なぜか岩塩がセールになっていて、
そろそろ切れそうなこのタイミングで半額に近い価格で買うことができた。
小さなことばかりのようだけど、たかが1時間くらいの時間の中で次から次へと
必要な情報がやってきたのには感動した。
「五感を鍛えるウォーキング」これ絶対にいい!と確信中。
そうすると思考まみれの頭の中がすっきりする、と教えてもらったから。
これまでにも何度となく言われたことでも、習慣化してないとすぐに忘れる。
今、季節が春で目を楽しませてくれるものがここあそことあって、今回は意識しなくても勝手に
目の方が色んなものを追いかけている。
桜も散って、新緑の季節に入りつつあるけど、今日はどういうわけかやたらと匂いが気になった。
最初は、藤の花だった。
たまたま通ったら今がまさに藤の最盛期で、見る花はもちろん、匂いも真っ盛りだった。
たしか去年、両親と一緒に藤の花が有名な公園へ出掛けた。
藤の花は憶えていても、匂いがそんなにも強かったという記憶はない。
今日見た藤の花はその何百分の一の規模でしかない小さなものだったけど、
匂いがとても強かった。
一度嗅覚が刺激されると、次から次へと匂いが鼻の方に届いた。
外国人とすれ違えば強烈な香水のにおい。
ちょうどエンジンを切ったばかりなのか、ガソリンのにおい。
たばこを吸っていた人が近くを通ったら、なんとニコチン臭より加齢臭が先に鼻をついた。
新緑特有のみどりのにおいもする。
自分でもだんだん楽しくなって、ひとりでクンクンと犬みたいににおいを嗅いでいた。
そんなこんなを楽しんで今家に着いたのだけど、1つわかったことがある。
五感を使うと直観やひらめきを受け取りやすくなる、とよく言われるけど、本当にその通りで、
少し行き詰まり感を感じていたことのヒントも得たし、
本屋さんでも今の自分にぴったりなメッセージが書いてある本を立ち読みしたし、
ふらりと入った輸入雑貨店では、なぜか岩塩がセールになっていて、
そろそろ切れそうなこのタイミングで半額に近い価格で買うことができた。
小さなことばかりのようだけど、たかが1時間くらいの時間の中で次から次へと
必要な情報がやってきたのには感動した。
「五感を鍛えるウォーキング」これ絶対にいい!と確信中。
2015年4月22日水曜日
ふきのとうレシピ
実家から米と一緒にレジ袋1袋分のふきのとうも届いた。
今日は早速天ぷらにした。
天ぷらおいしかったけど、もう十分でリピートはしない予定。
子供の頃、あまりふきのとうは好きではなかった。
大人になってから美味しいと感じるようになった食べ物の1つだったかと思う。
母のふきのとうレシピはそれこそ天ぷらとふきのとう味噌だけだった。
どちらも1回目はおいしいけど、そんなに繰り返し繰り返し食べれるものじゃない。
ということで、困った時はクックパッド頼り、クックパッドで検索した。
関係ないけど、個人的にクックパッドの検索システムはとっても優秀だと思う。
検索をする時、「含まない食材・キーワード」も入れられるから、
今回みたいに天ぷらとふきのうとう味噌以外のレシピを知りたい時は本当に助かる。
色々検索して、たくさんのレシピから5つほど候補が出てきた。
1つ目は、ふきのとうを使ったぺペロンチーノ。
2つ目は、ふきのうとうとベーコンのおにぎり。
3つ目は、ふきのうとうとじゃがいもにチーズをかぶせてオーブン焼き。
4つ目は、ふきのとうの白和え。
5つ目は、ふきのとうのごま和え。
全部試せるぐらいの量があるから、1つずつ試そうと思ってる。
どれもしたことないから、どんな味に仕上がるのかとても楽しみだ。
ところで、こんな風に手軽にぱぱっと情報をすぐに手にできる今の時代、とっても便利だ。
もちろんこの情報化時代のすべてが良いとは言い切れないけれど、
今日みたいにちょっとしたプラスアルファのアイディアが欲しい時なんかは本当に助かる。
しかも、今は誰でも気軽に情報発信ができるようになっている。
一流シェフのレシピじゃなくて、家庭の味のレシピが欲しいなんていう時に、
実際に一般家庭で実践されたレシピを1つじゃない、幾つも幾つも知れるというのは
パソコンや携帯が普及してからわたしにとっては一番の恩恵じゃないかと思ってる。
余談だけど、先日人生で初めて筍を米の研ぎ汁で茹でた。
その時もグーグル先生に検索していただいて、出てきたサイトを見てその通りにやってみた。
初めてなのに、自分でも驚いた位上手に茹でることができた。
そのサイトも一般の方のサイトのようだったけど、実に丁寧に写真付き・解説付きでのレシピで、
まったくの初心者でもすんごくおいしくできるって、やっぱりすごい。
今日は早速天ぷらにした。
天ぷらおいしかったけど、もう十分でリピートはしない予定。
子供の頃、あまりふきのとうは好きではなかった。
大人になってから美味しいと感じるようになった食べ物の1つだったかと思う。
母のふきのとうレシピはそれこそ天ぷらとふきのとう味噌だけだった。
どちらも1回目はおいしいけど、そんなに繰り返し繰り返し食べれるものじゃない。
ということで、困った時はクックパッド頼り、クックパッドで検索した。
関係ないけど、個人的にクックパッドの検索システムはとっても優秀だと思う。
検索をする時、「含まない食材・キーワード」も入れられるから、
今回みたいに天ぷらとふきのうとう味噌以外のレシピを知りたい時は本当に助かる。
色々検索して、たくさんのレシピから5つほど候補が出てきた。
1つ目は、ふきのとうを使ったぺペロンチーノ。
2つ目は、ふきのうとうとベーコンのおにぎり。
3つ目は、ふきのうとうとじゃがいもにチーズをかぶせてオーブン焼き。
4つ目は、ふきのとうの白和え。
5つ目は、ふきのとうのごま和え。
全部試せるぐらいの量があるから、1つずつ試そうと思ってる。
どれもしたことないから、どんな味に仕上がるのかとても楽しみだ。
ところで、こんな風に手軽にぱぱっと情報をすぐに手にできる今の時代、とっても便利だ。
もちろんこの情報化時代のすべてが良いとは言い切れないけれど、
今日みたいにちょっとしたプラスアルファのアイディアが欲しい時なんかは本当に助かる。
しかも、今は誰でも気軽に情報発信ができるようになっている。
一流シェフのレシピじゃなくて、家庭の味のレシピが欲しいなんていう時に、
実際に一般家庭で実践されたレシピを1つじゃない、幾つも幾つも知れるというのは
パソコンや携帯が普及してからわたしにとっては一番の恩恵じゃないかと思ってる。
余談だけど、先日人生で初めて筍を米の研ぎ汁で茹でた。
その時もグーグル先生に検索していただいて、出てきたサイトを見てその通りにやってみた。
初めてなのに、自分でも驚いた位上手に茹でることができた。
そのサイトも一般の方のサイトのようだったけど、実に丁寧に写真付き・解説付きでのレシピで、
まったくの初心者でもすんごくおいしくできるって、やっぱりすごい。
2015年4月21日火曜日
スイッチが入らないことはない
今日の天気は晴れ。
久しぶりに朝から日がさんさんと部屋に入ってきていたことは感じた。
とりあえずゴミ捨てをする。
そのまま起きた方が絶対にいいのは100%頭ではわかっていた。
天気もいいということは、掃除も洗濯するにもいいし、少し散歩したりするのもいい。
ということも頭ではわかっていた。
だけど、起きあがりたくない理由がある。
断固として起きたくない理由がある。
もう一度布団に入ったら多分ずるずる行くことも予想できたけど、結局布団に戻った。
目も頭も冴えていたけど、起きたくない理由がいかんせん強すぎる。
呼吸に意識を向けて二度寝の態勢へ自分をいざなっていることもわかった。
二度寝決行。
その後も寝たり起きたりを数回繰り返した。
起きたくない理由はずっとへばりついてる。
目覚めたところで理由は解消されない。
なんだったら事態も解消されない。
途中から、どこでどうやって自分のスイッチが入るのかそれを見届けようと思った。
起きたくない理由のことは脇に置いて、とにかくどんな風に自分が起き上がるのか
それをじっと待ってみた。
しばらくは、携帯をいじって、今どうでも見なくて良いものをひたすら見て、
時間はどんどん過ぎるけどさぁどうするつもりなんだろう・・・とまるで他人事のように思っていた。
そんなこんなを延々と続けていた。
そして、本当に突然、半日も過ぎた頃、スイッチが入った。
自分でも不思議だったけど、突然むっくりと布団から出て、とりあえず洗い物を始めた。
昨日の夜、洗い物を残しといて良かったと思った。
洗い物だってたかが5分ほどで終わるけど、どうやらそれでスイッチが入ったようで、
その後は次から次へと自分のことを始めた。
気分はすこぶる良いかと言われたら、NOではあったけど、とにかく動き出せたことが良かった。
それまでの数時間を棒に振ったことの後悔よりも、今起き上がれたことの喜びの方が大きかった。
今日みたいな状態は、わたしは本当に苦手だし大嫌いと言ってもいい。
この事態が嫌いなのは、逃げ場がないから。
一応ふて寝でも何でもできるけど、最後は自分と対峙しなきゃいけないし、
他の人やもののせいにも絶対にできない状況だから、それが余計と苦しくなる。
でも、絶対にそういう時でも、スイッチが入らないことはない。
時間がかかってもスイッチは入ってくれる。
自分のことながらいつ入るかわからなくてもやもやするけれど、それでもいつかは終わりがくる。
終わりがきて安堵できる瞬間がやってくる。
この感覚を、いつでも思い出せるといいんだけどなぁと毎回思う。
久しぶりに朝から日がさんさんと部屋に入ってきていたことは感じた。
とりあえずゴミ捨てをする。
そのまま起きた方が絶対にいいのは100%頭ではわかっていた。
天気もいいということは、掃除も洗濯するにもいいし、少し散歩したりするのもいい。
ということも頭ではわかっていた。
だけど、起きあがりたくない理由がある。
断固として起きたくない理由がある。
もう一度布団に入ったら多分ずるずる行くことも予想できたけど、結局布団に戻った。
目も頭も冴えていたけど、起きたくない理由がいかんせん強すぎる。
呼吸に意識を向けて二度寝の態勢へ自分をいざなっていることもわかった。
二度寝決行。
その後も寝たり起きたりを数回繰り返した。
起きたくない理由はずっとへばりついてる。
目覚めたところで理由は解消されない。
なんだったら事態も解消されない。
途中から、どこでどうやって自分のスイッチが入るのかそれを見届けようと思った。
起きたくない理由のことは脇に置いて、とにかくどんな風に自分が起き上がるのか
それをじっと待ってみた。
しばらくは、携帯をいじって、今どうでも見なくて良いものをひたすら見て、
時間はどんどん過ぎるけどさぁどうするつもりなんだろう・・・とまるで他人事のように思っていた。
そんなこんなを延々と続けていた。
そして、本当に突然、半日も過ぎた頃、スイッチが入った。
自分でも不思議だったけど、突然むっくりと布団から出て、とりあえず洗い物を始めた。
昨日の夜、洗い物を残しといて良かったと思った。
洗い物だってたかが5分ほどで終わるけど、どうやらそれでスイッチが入ったようで、
その後は次から次へと自分のことを始めた。
気分はすこぶる良いかと言われたら、NOではあったけど、とにかく動き出せたことが良かった。
それまでの数時間を棒に振ったことの後悔よりも、今起き上がれたことの喜びの方が大きかった。
今日みたいな状態は、わたしは本当に苦手だし大嫌いと言ってもいい。
この事態が嫌いなのは、逃げ場がないから。
一応ふて寝でも何でもできるけど、最後は自分と対峙しなきゃいけないし、
他の人やもののせいにも絶対にできない状況だから、それが余計と苦しくなる。
でも、絶対にそういう時でも、スイッチが入らないことはない。
時間がかかってもスイッチは入ってくれる。
自分のことながらいつ入るかわからなくてもやもやするけれど、それでもいつかは終わりがくる。
終わりがきて安堵できる瞬間がやってくる。
この感覚を、いつでも思い出せるといいんだけどなぁと毎回思う。
2015年4月19日日曜日
本物が生き残る理由
最近のメルマガは動画配信が流行っているらしく、やたらと動画が一緒に送られてくる。
この1ヶ月で何本の動画を見たのかわからないけど、多分音声も含め30近くは見たと思う。
その中には著名な方の動画も入っていて、その方に関してはアメリカの大統領か!と
つっこみたくなる位に熱い語り方をする人だった。
それだけ実際に色んな分野で活躍している人みたいだし、本気で全力でメッセージを語って
いるのはよくわかった。
ちなみに、そういう動画は最後、商品の売り込みが必ずある。
その辺も何本も見ていると、多分最近の動向なんだろうと思って眺めている。
さて今日届いた、その熱い大統領弁ではない人の動画を開いてびっくりした。
大統領弁の方は、本当に非常に個性的な話し方と営業トークでとても印象的だったのもあって、
わたしにはすごいインパクトがあった。
インパクトがあった分の記憶もかなり鮮明だ。
話の流れや商品のメリット、詳細の説明や自分の想いの部分、その辺もかなり記憶が鮮明で、
そうしたら、その今日の別人の方の動画がそれと丸かぶりでびっくりした。
話し方、使う言葉、全体の流れ、商品の組み立て方、とにかく丸かぶり。
言うなれば、冷蔵庫を冷凍庫に言い替えただけ、ぐらいのかぶり具合。
どう考えても、わたしが最初に見た人の方が1000倍有名人、
そして商品開発から今の地位に至るまでのプロセスも全部経験しているとわかるから、
最初の人が本物だと断言できる。
今日の別人の方は、完全にそれをパクッタのだと思われる。
それが合法なのか違法なのかはわからないけれど、
一つだけ言えるのは、本物の人には絶対に敵わないなということだった。
最初の人は、自分の想いを発信するのに、並々ならぬ努力と周りからの協力を得て
1つのビデオレター的な動画を数本作っている。
メッセージにぶれがないし、本人が何を望んでそこまでしているのかもはっきりしている。
ものすごくはっきりしている。
今日見た別人の方のは、肝心な自分の言葉で話さなければいけない部分が弱い。
メッセージ性がないから、自分の言葉で語る部分になると途端にもごもごしている。
小さなもごもごだけど、何せ最初に本物を聞いてるからすぐにわかる。
そこから思ったことは、どんなに下手でもいいから自分の言葉で自分の想いをまっすぐに表現
することの大切さだった。
他人の言葉や表現を借りたって仕方ない。
自分の言葉だから、それがまっすぐに伝わる。
こんなことを学ぶつもりではなかったけど、とっても良い勉強になった。
この1ヶ月で何本の動画を見たのかわからないけど、多分音声も含め30近くは見たと思う。
その中には著名な方の動画も入っていて、その方に関してはアメリカの大統領か!と
つっこみたくなる位に熱い語り方をする人だった。
それだけ実際に色んな分野で活躍している人みたいだし、本気で全力でメッセージを語って
いるのはよくわかった。
ちなみに、そういう動画は最後、商品の売り込みが必ずある。
その辺も何本も見ていると、多分最近の動向なんだろうと思って眺めている。
さて今日届いた、その熱い大統領弁ではない人の動画を開いてびっくりした。
大統領弁の方は、本当に非常に個性的な話し方と営業トークでとても印象的だったのもあって、
わたしにはすごいインパクトがあった。
インパクトがあった分の記憶もかなり鮮明だ。
話の流れや商品のメリット、詳細の説明や自分の想いの部分、その辺もかなり記憶が鮮明で、
そうしたら、その今日の別人の方の動画がそれと丸かぶりでびっくりした。
話し方、使う言葉、全体の流れ、商品の組み立て方、とにかく丸かぶり。
言うなれば、冷蔵庫を冷凍庫に言い替えただけ、ぐらいのかぶり具合。
どう考えても、わたしが最初に見た人の方が1000倍有名人、
そして商品開発から今の地位に至るまでのプロセスも全部経験しているとわかるから、
最初の人が本物だと断言できる。
今日の別人の方は、完全にそれをパクッタのだと思われる。
それが合法なのか違法なのかはわからないけれど、
一つだけ言えるのは、本物の人には絶対に敵わないなということだった。
最初の人は、自分の想いを発信するのに、並々ならぬ努力と周りからの協力を得て
1つのビデオレター的な動画を数本作っている。
メッセージにぶれがないし、本人が何を望んでそこまでしているのかもはっきりしている。
ものすごくはっきりしている。
今日見た別人の方のは、肝心な自分の言葉で話さなければいけない部分が弱い。
メッセージ性がないから、自分の言葉で語る部分になると途端にもごもごしている。
小さなもごもごだけど、何せ最初に本物を聞いてるからすぐにわかる。
そこから思ったことは、どんなに下手でもいいから自分の言葉で自分の想いをまっすぐに表現
することの大切さだった。
他人の言葉や表現を借りたって仕方ない。
自分の言葉だから、それがまっすぐに伝わる。
こんなことを学ぶつもりではなかったけど、とっても良い勉強になった。
2015年4月18日土曜日
自分の中の結婚の条件
昨日、身近な人経由でその友達がわたしに紹介したい人がいるという連絡を受けた。
その友達とも何回か会ったことがあって、彼女がとても信頼できる人物だということも知っている。
ある意味とても前向きに考えたらどうかと思うものではあったけれど、
この先の条件で明らかにわたしの中では受け入れられないものがあるとわかった。
具体的な話はわからないけど、万が一結婚した場合、わたしは一生固定された職業もついてくる。
表向きは専業主婦だけど、実際は違う。
喩えが大袈裟だけど、皇太子妃雅子様のように、離婚も許されなければ、外に働きに出ることも、
もしくは自分で何か事業をするようなことも許されない、そんな立場がもれなくついてくる。
結婚の条件をしっかりと考えたこともなかったわたしにとって、
その「一生固定された立場に就く」というのは、どうしても受け入れられないものだなんて、
今回のこの話がくるまで真剣に思ったこともなかった。
専業主婦はいい。
それとは別にもれなくついてくる、ある種の職業のようなものが嫌だった。
そんなことはしたくもないし、自分で自分の立ち位置を決められないなんていうのは、
わたしにとって不自由の他の何でもない。
これまで本当に自由にしていたからそれが当たり前になっていたけれど、
その自由であること、自分で何かを決められること、
これらが自分の人生の中でそんなにも大事なことだとは認識していなかった。
今回はたまたま極端なものが来たからわかったことだけれど、
自分では気付いていない、自分にとっての大切な価値観というのは、
他にもいっぱいあるんだろうなぁと思う。
その友達とも何回か会ったことがあって、彼女がとても信頼できる人物だということも知っている。
ある意味とても前向きに考えたらどうかと思うものではあったけれど、
この先の条件で明らかにわたしの中では受け入れられないものがあるとわかった。
具体的な話はわからないけど、万が一結婚した場合、わたしは一生固定された職業もついてくる。
表向きは専業主婦だけど、実際は違う。
喩えが大袈裟だけど、皇太子妃雅子様のように、離婚も許されなければ、外に働きに出ることも、
もしくは自分で何か事業をするようなことも許されない、そんな立場がもれなくついてくる。
結婚の条件をしっかりと考えたこともなかったわたしにとって、
その「一生固定された立場に就く」というのは、どうしても受け入れられないものだなんて、
今回のこの話がくるまで真剣に思ったこともなかった。
専業主婦はいい。
それとは別にもれなくついてくる、ある種の職業のようなものが嫌だった。
そんなことはしたくもないし、自分で自分の立ち位置を決められないなんていうのは、
わたしにとって不自由の他の何でもない。
これまで本当に自由にしていたからそれが当たり前になっていたけれど、
その自由であること、自分で何かを決められること、
これらが自分の人生の中でそんなにも大事なことだとは認識していなかった。
今回はたまたま極端なものが来たからわかったことだけれど、
自分では気付いていない、自分にとっての大切な価値観というのは、
他にもいっぱいあるんだろうなぁと思う。
2015年4月16日木曜日
茶碗と本心
さっきごはんを作っている時に、一気に3つの茶碗を割った。
1枚の小皿を取り出すのに、きちんと正面から引き抜けばいいものの、
面倒くさがって横から引き抜こうとした。
それが運のつきで、丸小皿のふちが4つ重ねてあった茶碗に直撃し、
あっという間に茶碗は床に散らばった。
4つのうち1つは奇跡的に無事で、残りの3つは見るも無残な粉々の姿かたちになってしまった。
3つのうちの1つに関しては、旅先で2日間も買った小さなお店に通い、それでようやく決断して
うちにお持ち帰りしたものだった。
色も形も大きさもとっても気に入っていた。
残りの2つもきちんとストーリーがあった。
1つは、私が茶碗がない(実際に一時期ゼロだった)とぼやいたら、それを聞いていた人が、
うちでは使わないからと言ってわざわざ4つもプレゼントしてくれたものだった。
4つのうちすでに3つは、今日と同じような理由で割り、そして今日最後の1つが割れた。
もう1つは、名古屋から電車で1時間程の瀬戸焼の産地、瀬戸市のカフェで手に入れたもの。
神戸からきた友達の方が内情に詳しくて、あのカフェでパフェとか頼むと茶碗がもらえるよ~、
ということで冬の寒い日に二人で和パフェを食べてもらってきた茶碗だった。
全部ストーリーのある茶碗ばかりだった。
実際に割れて、割れた瞬間呆気にとられたけど、それ以上に私は自分の反応に驚いた。
もっとショックを受けるかと思いきや、ショックをあまり受けていない。
あまり深くも考えずに、とりあえず割れたものたちを片付けようとすぐにほうきとちりとりを手に
掃除を始めたぐらいだ。
片付けて、ごはん作りの続きに戻った。
やっぱり旅先で購入したものは、惜しかったけれど仕方ないとも思った。
しばらくしてから、本当はどれも手放したかったものだということをはっきりと感じた。
人からのいただきものと瀬戸のカフェでのプレゼント茶碗は、使う頻度が低かった。
お気に入りの茶碗たちを乾かしてるとかまだ洗ってないとか、
そういう事態になって初めて活躍する茶碗たちだった。
ということは、そもそもそんなに気に入ってはいなかった。
そして旅先で手にしたお気に入りの茶碗。
割れてはっきりと感じたのは、扱いのストレスから解放されたことだった。
色も形も大きさも申し分ない茶碗ではあった。
ただ1つだけ、たった1つだけどうしても神経を使わずにいられなかったのは、
その茶碗の取り扱いだった。
私が食器を選ぶ基準の中に、「扱いやすい」というのがある。
色んなものを使っていくうちに気付いたことだけど、割れにくい質感のタイプのものがある。
言葉ではうまく説明できないけど、触った感じでわかる。
陶器は陶器でも、明らかに割れにくいものというのがある。
その割れた茶碗は、ほんの些細なミスも許されないぐらい繊細な質感だった。
洗う時、乾かす時、使うために取り出す時、食べ終わってから流しまで運ぶ時、
その1つ1つに神経を使う茶碗だった。
がさつなわたしが少しでも自分のがさつさを矯正するのには良いかもと思ってはいたけど、
やっぱり神経は使う。
かなりな回数を使いこんでも、その神経を使うことには慣れない。
割れてから気付いたのは、もうそんなに神経質にならなくて良いということ。
そして、小さなちいさなストレスでしかなかったし、我慢できないものでもなかったけど、
やっぱりプチストレスであったことには変わりない。
それが嘘偽りない自分の本心だった。
1枚の小皿を取り出すのに、きちんと正面から引き抜けばいいものの、
面倒くさがって横から引き抜こうとした。
それが運のつきで、丸小皿のふちが4つ重ねてあった茶碗に直撃し、
あっという間に茶碗は床に散らばった。
4つのうち1つは奇跡的に無事で、残りの3つは見るも無残な粉々の姿かたちになってしまった。
3つのうちの1つに関しては、旅先で2日間も買った小さなお店に通い、それでようやく決断して
うちにお持ち帰りしたものだった。
色も形も大きさもとっても気に入っていた。
残りの2つもきちんとストーリーがあった。
1つは、私が茶碗がない(実際に一時期ゼロだった)とぼやいたら、それを聞いていた人が、
うちでは使わないからと言ってわざわざ4つもプレゼントしてくれたものだった。
4つのうちすでに3つは、今日と同じような理由で割り、そして今日最後の1つが割れた。
もう1つは、名古屋から電車で1時間程の瀬戸焼の産地、瀬戸市のカフェで手に入れたもの。
神戸からきた友達の方が内情に詳しくて、あのカフェでパフェとか頼むと茶碗がもらえるよ~、
ということで冬の寒い日に二人で和パフェを食べてもらってきた茶碗だった。
全部ストーリーのある茶碗ばかりだった。
実際に割れて、割れた瞬間呆気にとられたけど、それ以上に私は自分の反応に驚いた。
もっとショックを受けるかと思いきや、ショックをあまり受けていない。
あまり深くも考えずに、とりあえず割れたものたちを片付けようとすぐにほうきとちりとりを手に
掃除を始めたぐらいだ。
片付けて、ごはん作りの続きに戻った。
やっぱり旅先で購入したものは、惜しかったけれど仕方ないとも思った。
しばらくしてから、本当はどれも手放したかったものだということをはっきりと感じた。
人からのいただきものと瀬戸のカフェでのプレゼント茶碗は、使う頻度が低かった。
お気に入りの茶碗たちを乾かしてるとかまだ洗ってないとか、
そういう事態になって初めて活躍する茶碗たちだった。
ということは、そもそもそんなに気に入ってはいなかった。
そして旅先で手にしたお気に入りの茶碗。
割れてはっきりと感じたのは、扱いのストレスから解放されたことだった。
色も形も大きさも申し分ない茶碗ではあった。
ただ1つだけ、たった1つだけどうしても神経を使わずにいられなかったのは、
その茶碗の取り扱いだった。
私が食器を選ぶ基準の中に、「扱いやすい」というのがある。
色んなものを使っていくうちに気付いたことだけど、割れにくい質感のタイプのものがある。
言葉ではうまく説明できないけど、触った感じでわかる。
陶器は陶器でも、明らかに割れにくいものというのがある。
その割れた茶碗は、ほんの些細なミスも許されないぐらい繊細な質感だった。
洗う時、乾かす時、使うために取り出す時、食べ終わってから流しまで運ぶ時、
その1つ1つに神経を使う茶碗だった。
がさつなわたしが少しでも自分のがさつさを矯正するのには良いかもと思ってはいたけど、
やっぱり神経は使う。
かなりな回数を使いこんでも、その神経を使うことには慣れない。
割れてから気付いたのは、もうそんなに神経質にならなくて良いということ。
そして、小さなちいさなストレスでしかなかったし、我慢できないものでもなかったけど、
やっぱりプチストレスであったことには変わりない。
それが嘘偽りない自分の本心だった。
2015年4月14日火曜日
断捨離20L
久しぶりに、20Lのゴミ袋1袋分の衣類を今朝出した。
・長年愛用していたジーパン(破れた)
・冬用スーツ
・冬用かっちりジャケット
・3~4泊用バッグ
・骨盤矯正クッション
・塾勤務時代に子どもからもらったハンドタオル
・長年愛用した膝掛け
・ノースリーブ
・きれいな形のニットシャツ
使えないものは、トップのジーパンだけ。
あとはまだ使おうと思えばいくらでも使えた。
衣類は売りに出すことも考えたけど、今回はすべて処分することにした。
なんとなく、この世のどこかに亡霊のように残るのも嫌だったし、
リストの中には苦い思い出とセットのものもあって、それを断ち切るためにもすべて捨てた。
今朝ゴミ袋をたずさえて、アパートの下まで行った。
ゴミを出す前に、昨日チェックしていないポストをチェックして、
ついでに要らない郵便物も捨てようと思った。
でかい郵便物が2つ入ってた。
1つは、基礎化粧品会社の月1でくる郵便物。
これは見慣れてるからすぐにわかった。
もう1つが真っ白いメール便の封筒で、やたらとでかい。
差出人を見ると、最近申し込んだ某メルマガの人だった。
以前セミナーにも参加したことある人だから、私の住所を知っていても不思議はなかった。
それにしてもでかい封筒で何だろうと思った。
家に戻って開いたら、中に新刊の本が1冊とプリントされた手紙が1枚同封されていた。
本当にびっくりした。
まさか新刊が入ってるとはゆめゆめ思わなかった。
手放したのは衣類だったけど、まさか手放した直後にこんな風に新しいもの(本)がやってくるとは
想像すらしていなかった。
嘘みたいな本当の話。
本はまだ読んでいないけど、ちょっと気になったことがあった。
本のタイトルになってる言葉。
実はこの2週間くらいでまったく別のところでも見かけている言葉。
今日の時点で三度目の正直。
3人とも全く別の路線で活躍しているのに、3人の人が同じ時期に同じ言葉を発している。
ずばり、今の自分にとって必要ですよ~の合図だと思う。
不思議なシンクロだなぁと思いながらも、必要でなければやってこない言葉でもあると思う。
話が飛んだけど、断捨離をするとこういう不思議なこともあってもおかしくないと感じる。
自分の生きてるスペースから不要なものを最初に出す。
出せば当然空間が生まれる。
空間があれば、新しいものも入ってくる。
自分で入れるのもあるし、人からもたらされるものもある。
どちらにしても、この循環している感じは好きだ。
ある人に言われた言葉。
「出すのが先。“出入り口”って言うでしょ?出すのが先で、入るのが後。
これ何にでも使えるから覚えておくといいよ~」
もう何年も前に言われたことだけど、本当にその通りだなぁと思う。
・長年愛用していたジーパン(破れた)
・冬用スーツ
・冬用かっちりジャケット
・3~4泊用バッグ
・骨盤矯正クッション
・塾勤務時代に子どもからもらったハンドタオル
・長年愛用した膝掛け
・ノースリーブ
・きれいな形のニットシャツ
使えないものは、トップのジーパンだけ。
あとはまだ使おうと思えばいくらでも使えた。
衣類は売りに出すことも考えたけど、今回はすべて処分することにした。
なんとなく、この世のどこかに亡霊のように残るのも嫌だったし、
リストの中には苦い思い出とセットのものもあって、それを断ち切るためにもすべて捨てた。
今朝ゴミ袋をたずさえて、アパートの下まで行った。
ゴミを出す前に、昨日チェックしていないポストをチェックして、
ついでに要らない郵便物も捨てようと思った。
でかい郵便物が2つ入ってた。
1つは、基礎化粧品会社の月1でくる郵便物。
これは見慣れてるからすぐにわかった。
もう1つが真っ白いメール便の封筒で、やたらとでかい。
差出人を見ると、最近申し込んだ某メルマガの人だった。
以前セミナーにも参加したことある人だから、私の住所を知っていても不思議はなかった。
それにしてもでかい封筒で何だろうと思った。
家に戻って開いたら、中に新刊の本が1冊とプリントされた手紙が1枚同封されていた。
本当にびっくりした。
まさか新刊が入ってるとはゆめゆめ思わなかった。
手放したのは衣類だったけど、まさか手放した直後にこんな風に新しいもの(本)がやってくるとは
想像すらしていなかった。
嘘みたいな本当の話。
本はまだ読んでいないけど、ちょっと気になったことがあった。
本のタイトルになってる言葉。
実はこの2週間くらいでまったく別のところでも見かけている言葉。
今日の時点で三度目の正直。
3人とも全く別の路線で活躍しているのに、3人の人が同じ時期に同じ言葉を発している。
ずばり、今の自分にとって必要ですよ~の合図だと思う。
不思議なシンクロだなぁと思いながらも、必要でなければやってこない言葉でもあると思う。
話が飛んだけど、断捨離をするとこういう不思議なこともあってもおかしくないと感じる。
自分の生きてるスペースから不要なものを最初に出す。
出せば当然空間が生まれる。
空間があれば、新しいものも入ってくる。
自分で入れるのもあるし、人からもたらされるものもある。
どちらにしても、この循環している感じは好きだ。
ある人に言われた言葉。
「出すのが先。“出入り口”って言うでしょ?出すのが先で、入るのが後。
これ何にでも使えるから覚えておくといいよ~」
もう何年も前に言われたことだけど、本当にその通りだなぁと思う。
2015年4月12日日曜日
ペースを緩める
2月3月と来る日も来る日もブログを書き続けた。
その他にも、毎日のように色んなことをノートに手書きで書いていた。
自分の悪い癖で、根を詰めると必ず嫌になる。
いつの日か、ブログが「義務」のように感じ始めた。
「書きたい」より「書かなきゃ」が勝った。
そのうち、書くことも面倒になりだした。
他のことも滞り出して、悪循環はさらなる悪循環を呼んだ。
本来一番取り組まなければいけない作業は、一番後ろの順番に追いやった。
結果、進んで欲しいことは進まず、気持ちもさらに低下低下の一途だった。
ずいぶんと悶々としていたけれど、ペースを緩めることにした。
ペースを上げたところでたかが知れてる。
それであれば、一旦緩めてそれでまた書きたい時に書けばいいんじゃないかと思った。
不思議なもので、そう思うと書きたくなる。
そして今こうして書いてる。
リストのトップにくる作業は、気持ちを緩めながら「ちょっとやってみようか」を待とうと思ってる。
これこそ嫌々やってはいけないものだから、気持ちを整えるのが一番の近道なのかもしれない。
神頼みではないけれど、「やりたい」の瞬間を待っている。
その他にも、毎日のように色んなことをノートに手書きで書いていた。
自分の悪い癖で、根を詰めると必ず嫌になる。
いつの日か、ブログが「義務」のように感じ始めた。
「書きたい」より「書かなきゃ」が勝った。
そのうち、書くことも面倒になりだした。
他のことも滞り出して、悪循環はさらなる悪循環を呼んだ。
本来一番取り組まなければいけない作業は、一番後ろの順番に追いやった。
結果、進んで欲しいことは進まず、気持ちもさらに低下低下の一途だった。
ずいぶんと悶々としていたけれど、ペースを緩めることにした。
ペースを上げたところでたかが知れてる。
それであれば、一旦緩めてそれでまた書きたい時に書けばいいんじゃないかと思った。
不思議なもので、そう思うと書きたくなる。
そして今こうして書いてる。
リストのトップにくる作業は、気持ちを緩めながら「ちょっとやってみようか」を待とうと思ってる。
これこそ嫌々やってはいけないものだから、気持ちを整えるのが一番の近道なのかもしれない。
神頼みではないけれど、「やりたい」の瞬間を待っている。
2015年4月11日土曜日
レンズ越しの光
3月から始まった自分の顔写真の撮影。
第1回の日は、そろそろ夕暮れ時という時間帯に、友人宅で行った。
そのために友人は事前に大きな窓8枚分から入る光の量とアングルを研究してくれていた。
それらを使って、どの角度からだと自分のカメラできれいに撮れるのか、
本物のプロのように(←カメラは友達の本業ではない)、真剣に細やかに調べてくれていて、
それだけでも感涙物だった。
写真のデータをもらって、家に戻って写真をもう一度確認した。
写真の仕上がりは申し分なかった。
でも、自分の表情がとっても嫌だった。
証明写真ならそれで提出したけど、これから自分の宣伝として使う写真としては不合格だった。
再度友達にお願いをして、昨日の夜撮り直した。
昨日の夜は急きょ決まったもので、そのために今度は友達は職場にある一眼レフの本格カメラを
借用してくれて、それで再撮影となった。
夜だから当然自然光はなく、電気の光を使っての撮影。
10数枚は撮影したかと思う。
角度変え、電気からの距離変え、撮影場所変え、ありとあらゆる手段を講じた。
残念ながら、どんなに良いカメラでも自然光の中での撮影には敵わなかった。
全然光の量が違っていて、カメラど素人のわたしが見ても一目瞭然だった。
もう一度明日の朝撮影しようとなり、今朝再撮影をした。
今朝の天気は曇り。
夜の撮影よりかは断然光の量は多い。
それでも曇りの光と晴れの光を比べたら、そこにも歴然の差がある。
もう一度明日の朝に賭けようということになって友達の家をあとにした。
さぁ電車に乗ろうというタイミングで、いきなり天気は急変。青空が広がった。
今から撮り直す?と友達が聞いてくれたけど、二日酔いで、体も顔もぼろぼろ、
撮り直しは厳しく今日は断って明日にしてもらった。
太陽の光が人間にいいとよく言われる。
たしかに青空の下を歩くのは気持ちいいし、朝一番に拝むのがきれいな空に太陽だったら、
それだけで一日をとても得した気分で過ごせる。
今回、晴れ、夜、曇りの3種類の条件下(同じ場所)で写真を撮影したことで、
この太陽の自然光の威力というものを思い知った。
人間が発明した電気は、どんなに明るくても太陽の光には敵わない。
太陽のような色は出せないし、太陽独特の柔らかさはどうしても電気では再現できない。
曇りもそうで、外は明るくても太陽光があるのとないのとでは、
レンズ越しにははっきりと違いが表れる。
太陽があるからこそ出せる自然の光の輝きや柔らかさがある。
そんなこと普段考えもしなかったから、このカメラでのやりとりでものすごく勉強になった。
私のわがままでこう何度も何度も撮影をすることになったのだけど、
それに文句も言わず、「(困った時・頼る時は)お互い様!!」の一言で仕事の合間をぬって、
写真撮影に付き合ってくれる友達にも感謝感謝だ。
そして、友達の研究熱心な姿を見て、自分の興味の矛先を再々確認した。
元々カメラに興味もないわたしだけど、カメラが好きな友達の姿を見て、
友達がカメラへ向けるものが、私の場合は別のものなんだとはっきりとわかった。
第1回の日は、そろそろ夕暮れ時という時間帯に、友人宅で行った。
そのために友人は事前に大きな窓8枚分から入る光の量とアングルを研究してくれていた。
それらを使って、どの角度からだと自分のカメラできれいに撮れるのか、
本物のプロのように(←カメラは友達の本業ではない)、真剣に細やかに調べてくれていて、
それだけでも感涙物だった。
写真のデータをもらって、家に戻って写真をもう一度確認した。
写真の仕上がりは申し分なかった。
でも、自分の表情がとっても嫌だった。
証明写真ならそれで提出したけど、これから自分の宣伝として使う写真としては不合格だった。
再度友達にお願いをして、昨日の夜撮り直した。
昨日の夜は急きょ決まったもので、そのために今度は友達は職場にある一眼レフの本格カメラを
借用してくれて、それで再撮影となった。
夜だから当然自然光はなく、電気の光を使っての撮影。
10数枚は撮影したかと思う。
角度変え、電気からの距離変え、撮影場所変え、ありとあらゆる手段を講じた。
残念ながら、どんなに良いカメラでも自然光の中での撮影には敵わなかった。
全然光の量が違っていて、カメラど素人のわたしが見ても一目瞭然だった。
もう一度明日の朝撮影しようとなり、今朝再撮影をした。
今朝の天気は曇り。
夜の撮影よりかは断然光の量は多い。
それでも曇りの光と晴れの光を比べたら、そこにも歴然の差がある。
もう一度明日の朝に賭けようということになって友達の家をあとにした。
さぁ電車に乗ろうというタイミングで、いきなり天気は急変。青空が広がった。
今から撮り直す?と友達が聞いてくれたけど、二日酔いで、体も顔もぼろぼろ、
撮り直しは厳しく今日は断って明日にしてもらった。
太陽の光が人間にいいとよく言われる。
たしかに青空の下を歩くのは気持ちいいし、朝一番に拝むのがきれいな空に太陽だったら、
それだけで一日をとても得した気分で過ごせる。
今回、晴れ、夜、曇りの3種類の条件下(同じ場所)で写真を撮影したことで、
この太陽の自然光の威力というものを思い知った。
人間が発明した電気は、どんなに明るくても太陽の光には敵わない。
太陽のような色は出せないし、太陽独特の柔らかさはどうしても電気では再現できない。
曇りもそうで、外は明るくても太陽光があるのとないのとでは、
レンズ越しにははっきりと違いが表れる。
太陽があるからこそ出せる自然の光の輝きや柔らかさがある。
そんなこと普段考えもしなかったから、このカメラでのやりとりでものすごく勉強になった。
私のわがままでこう何度も何度も撮影をすることになったのだけど、
それに文句も言わず、「(困った時・頼る時は)お互い様!!」の一言で仕事の合間をぬって、
写真撮影に付き合ってくれる友達にも感謝感謝だ。
そして、友達の研究熱心な姿を見て、自分の興味の矛先を再々確認した。
元々カメラに興味もないわたしだけど、カメラが好きな友達の姿を見て、
友達がカメラへ向けるものが、私の場合は別のものなんだとはっきりとわかった。
2015年4月8日水曜日
葉っぱの成長
「葉っぱの成長」を語る前に、まず先に自分の労苦について語りたい。
上の写真を編集(「葉っぱ開く前」と「葉っぱ開いた」を挿入)するのに、30分以上かかった。
しかも、文字の位置が気に食わず変更を試みたけど、変更する度に文字が消える。
もうあきらめて、とりあえず初回はこれで十分上出来!ということでアップ。
話は違うけど、結婚式とかでよく流れてるムービーや動画を編集する人、心底尊敬!
わたしは上の作業をするだけで、相当ひいひいだった。
もちろん片手間じゃない、固唾をのむぐらい真剣に全力でやって、ようやく上の状態。
パソコン音痴は本当に大変だ、と毎回新しい作業をする度に悟る。
本題の「葉っぱの成長」について。
写真右側の「葉っぱ開いた」の葉っぱの方。
去年の秋ぐらいに茎に葉っぱがにょきっと現れた。
その状態というのが、写真左側の「葉っぱ開く前」の状態。
葉っぱと茎が一心同体になっている状態がずっとずっと続いていた。
春や夏だと1~2週間ですぐに葉っぱが茎から独立するのだけど、
秋や冬は独立しないまま越冬する。
たしか最初の年は、越冬がうまくいかなかったようで、春に開いた葉っぱは半分枯れていた。
今年もどうなるかなと思ったけど、なんとか独立するまでにこぎつけた
この葉っぱの成長には毎度とても感動する。
わたしは基本的に土が乾いたら水をやる(月に3回程度)ぐらいの世話しかしてなくて、
時々じっくりと眺めることもあるけれど基本は放置だ。
でも、植物は外界の気温を敏感に察知して、それに合わせて自分で勝手に成長していく。
植物自らの力で、茎から葉っぱは独立していく。
例えば、今回独立した葉っぱ。
昨日の夜寝る前までは、少なくとも茎についたままだった。
そしてわたしがぐうすか眠っている間に、茎から独立して葉っぱが葉を広げる準備を始めた。
で、今朝起きたら上のような独立した状態にまで一気に進化していた。
桜なんかもそうだけど、冬の裸の木を見ると、それがあと何十日かするとたわわな桜の花を
咲かすなんてとても信じられない。
でも、水面下で少しずつ少しずつ成長している。
目に見えている状態は、あくまで成長のある一側面でしかない。
見えない部分でも同じようにエネルギーがずっと注がれ続けていたんだと思う。
植物たちの成長を見る時に、自分に置き換えてみる。
もちろん植物のような純粋に伸びようなんていう潔白さはなくて、
邪念に計算にと色々余念がないけれど、実は花を開かせる前の今というのがとても大切なんじゃ
ないかと思うことがある。
当然、その作業たちは目には見えにくいし、それは他者と言うより自分自身から見て見えにくい、
何度もやめようと思うし、一体何をしているのだろう?と思うこともある。
今日の写真の編集作業だって、丸っきりの無駄や徒労に終わる場合もある。
それでもやり続けた先に何かがあったとしたら、それはうれしいなぁと思う。
2015年4月7日火曜日
ポジティブもネガティブも楽しむ
「ポジティブもネガティブも楽しんでくださいね」
3~4年前に、あるマッサージ師の方に言われた言葉だ。
丁度人生の中で、自分が何もしてなくてもどんどんと色んなことが起こり始めた時だった。
ずっと何年も音信不通だった過去に大切だった人からの突然の連絡。
自分で見ていても気持ち悪いと思ったぐらいに、自分との共通点をいくつも持つ人との出会い。
人間関係も仕事もお金も色んな意味ですごい大波に揺られていた時期だった。
本当にアップアップしていた。
今とはまた違った意味でのアップアップで、あんなにも精神鍛錬に持ってこいの時期はそれまでに
経験したことがなかった。
そんな時に訪ねたマッサージ師の方に、帰り際言われた言葉だった。
両方ともが大切な経験だから、両方楽しんでください、そんな風に説明された。
あの時は、一瞬「えっ!?」となったけど、まさにその言葉の通りだったと思う。
何をもって「うまくいってる」と言ったらいいのか、判断が難しい。
当時あった人間関係は結局すべて切れた。
自然消滅とも違うし、はっきりと「別れましょう」というような言葉があったわけじゃない。
無言の決断、みたいなものだった。
それはある日突然やってきたし、何せ突然だから、無言の決断だということに気付くのは、
さらにその後何ヶ月も経ってからだ。
だけど、今はそれがベストな流れだったんだろうなぁと思う。
もうわだかまりもなく、その流れのおかげでより一層自分の人生に向き合えたように思うから。
形はなくなっても、もしかしたらもう生涯に渡って言葉を交わすことがなくても、
それこそが必要なものなのかなとも思う。
そして、これも何とも説明しがたいのだけど。
いつかこのブログにアップしたシュウマイの女性。
今その方が新しく立ちあげたブログを時々読んでいる。
これもまた実に不思議な経緯で繋がったブログだ。
だけど、今どうしてこのタイミングでその方のブログなのかが自分ではよくわかる。
彼女は彼女の人生を写真や料理を通して語ってるだけだ、表面上は。
でも、そこにあるものが、わたしがうやむやにしてしまった過去の諸々と繋がっている。
全く別の人の全く別の人生だけど、そこに乗っている想いがどこかで自分の中の本当に奥の奥に
あるものに呼びかけている感じだ。
そのまま置き去りにした感情とか、思いとか、もうきれいに流したと思っていること。
それらを思い出す。
でも、その思い出す作業というのはとても大切で、もう本当の本当に終わりにしていいよ、
次に行っていいんだからね、という感じなんだろうと勝手に思ってる。
彼女がそんな風にわたしに語っているわけじゃない。
だけど、そういうメッセージになっている。
だから、わたしは読むだけで何を感じているのかぼろぼろと泣いてる。
ポジティブもネガティブも楽しんでください。
最近何度も何度も思い出す言葉。
3~4年前に、あるマッサージ師の方に言われた言葉だ。
丁度人生の中で、自分が何もしてなくてもどんどんと色んなことが起こり始めた時だった。
ずっと何年も音信不通だった過去に大切だった人からの突然の連絡。
自分で見ていても気持ち悪いと思ったぐらいに、自分との共通点をいくつも持つ人との出会い。
人間関係も仕事もお金も色んな意味ですごい大波に揺られていた時期だった。
本当にアップアップしていた。
今とはまた違った意味でのアップアップで、あんなにも精神鍛錬に持ってこいの時期はそれまでに
経験したことがなかった。
そんな時に訪ねたマッサージ師の方に、帰り際言われた言葉だった。
両方ともが大切な経験だから、両方楽しんでください、そんな風に説明された。
あの時は、一瞬「えっ!?」となったけど、まさにその言葉の通りだったと思う。
何をもって「うまくいってる」と言ったらいいのか、判断が難しい。
当時あった人間関係は結局すべて切れた。
自然消滅とも違うし、はっきりと「別れましょう」というような言葉があったわけじゃない。
無言の決断、みたいなものだった。
それはある日突然やってきたし、何せ突然だから、無言の決断だということに気付くのは、
さらにその後何ヶ月も経ってからだ。
だけど、今はそれがベストな流れだったんだろうなぁと思う。
もうわだかまりもなく、その流れのおかげでより一層自分の人生に向き合えたように思うから。
形はなくなっても、もしかしたらもう生涯に渡って言葉を交わすことがなくても、
それこそが必要なものなのかなとも思う。
そして、これも何とも説明しがたいのだけど。
いつかこのブログにアップしたシュウマイの女性。
今その方が新しく立ちあげたブログを時々読んでいる。
これもまた実に不思議な経緯で繋がったブログだ。
だけど、今どうしてこのタイミングでその方のブログなのかが自分ではよくわかる。
彼女は彼女の人生を写真や料理を通して語ってるだけだ、表面上は。
でも、そこにあるものが、わたしがうやむやにしてしまった過去の諸々と繋がっている。
全く別の人の全く別の人生だけど、そこに乗っている想いがどこかで自分の中の本当に奥の奥に
あるものに呼びかけている感じだ。
そのまま置き去りにした感情とか、思いとか、もうきれいに流したと思っていること。
それらを思い出す。
でも、その思い出す作業というのはとても大切で、もう本当の本当に終わりにしていいよ、
次に行っていいんだからね、という感じなんだろうと勝手に思ってる。
彼女がそんな風にわたしに語っているわけじゃない。
だけど、そういうメッセージになっている。
だから、わたしは読むだけで何を感じているのかぼろぼろと泣いてる。
ポジティブもネガティブも楽しんでください。
最近何度も何度も思い出す言葉。
2015年4月6日月曜日
2日目のカレーがおいしいのはホント
昨日の夜ごはんにカレーライスを作った。
子どもの頃から好きで好きで、一人暮らしの今も1ヶ月に1回位の割合で作ってる。
「2日目のカレーがおいしい」とはよく言われるフレーズだけど、
わたしは2日目のカレーを心底おいしいと思った経験をしたことがなかった。
1日目と2日目の差はよくわかんないけど、両方ともおいしい♪というのが自分の定説だった。
それが今回は、かなりはっきりとした違いを感じて、あの都市伝説のような話は本当だったと、
この年になって初めて気付いた。
そもそも今回は、今まで一度も使ったことがない材料を使っている。
友達から、天然の酵素ジュースなるものをいただいて、そしてその時に使用した人参とりんごも
そのままいただいた。
きび糖?てんさい糖?で人参とりんごを漬けたとのことで、そのまま食べてもいいし、
カレーの材料にしてもおいしいよと言われて、それでそのままカレーの具材として使ってみた。
1日目の昨日。
数時間煮込んだけれども、どうしても糖の甘みが浮いてしまって、おいしいにはおいしいけど、
変な甘ったるさが最後に残ってしまうのが残念だった。
2日目の今日。
昨日の糖はどこにいったのか?という位に、甘さが良い感じでカレーに溶け込んでいた。
あの浮き上がり方はなくなって、とても味がまろやかにそして深くなっていた。
昨日のカレーとは全く別物だった。
色んなものが混然一体となって、売り物のカレーとしてもやっていけるんじゃないか?と
勘違いするほどの美味しさに仕上がっていた。
わたしが夜布団敷いて寝たように、カレーも鍋の中で横たわり、良い感じで化学反応でも
起こしたんだろうか。
あの都市伝説にしか思えなかった2日目のカレー、あれ本当に美味しいんだとわかった。
ただ、材料となった酵素ジュースに使われた人参やりんごのレシピがないから、
今度それは友達に聞いて自分でも作ってみようと思う。
子どもの頃から好きで好きで、一人暮らしの今も1ヶ月に1回位の割合で作ってる。
「2日目のカレーがおいしい」とはよく言われるフレーズだけど、
わたしは2日目のカレーを心底おいしいと思った経験をしたことがなかった。
1日目と2日目の差はよくわかんないけど、両方ともおいしい♪というのが自分の定説だった。
それが今回は、かなりはっきりとした違いを感じて、あの都市伝説のような話は本当だったと、
この年になって初めて気付いた。
そもそも今回は、今まで一度も使ったことがない材料を使っている。
友達から、天然の酵素ジュースなるものをいただいて、そしてその時に使用した人参とりんごも
そのままいただいた。
きび糖?てんさい糖?で人参とりんごを漬けたとのことで、そのまま食べてもいいし、
カレーの材料にしてもおいしいよと言われて、それでそのままカレーの具材として使ってみた。
1日目の昨日。
数時間煮込んだけれども、どうしても糖の甘みが浮いてしまって、おいしいにはおいしいけど、
変な甘ったるさが最後に残ってしまうのが残念だった。
2日目の今日。
昨日の糖はどこにいったのか?という位に、甘さが良い感じでカレーに溶け込んでいた。
あの浮き上がり方はなくなって、とても味がまろやかにそして深くなっていた。
昨日のカレーとは全く別物だった。
色んなものが混然一体となって、売り物のカレーとしてもやっていけるんじゃないか?と
勘違いするほどの美味しさに仕上がっていた。
わたしが夜布団敷いて寝たように、カレーも鍋の中で横たわり、良い感じで化学反応でも
起こしたんだろうか。
あの都市伝説にしか思えなかった2日目のカレー、あれ本当に美味しいんだとわかった。
ただ、材料となった酵素ジュースに使われた人参やりんごのレシピがないから、
今度それは友達に聞いて自分でも作ってみようと思う。
2015年4月5日日曜日
ゴリラのヒント②
昨日の『ゴリラのヒント①』の続き。
昨日書いた、ももちゃん。
1学年200人以上いる学校の中で、塾に入ってきた時は100番台。
それが2年いる間で学年9位まで上がったミラクルな女の子。
ある時、塾に勤めていた時の恩師のゴリラが、こんな風にわたしにアドバイスした。
「その子(=ももちゃん)がこれからおまえの自信になり、おまえのヒントになる。
だからよく見とけ。
その子がどうなっていくか、そしておまえがその子に何をしているのか。」
どうなっていくかはそれが仕事だから見ていたけど、自分が何をしているのかは結局わからず
じまいだったし、そんなことを言われたことすら忘れていた。
すでに退職してから3年以上も経過して、当時の記憶もおぼろげだけど、
もしかして・・・という仮説がおととい昨日でふわっと出てきた。
それについて今日は書こうと思ってる。
最初にももちゃんのことをもう少し詳しく紹介したいと思う。
塾にいた時もそうだし、外部の人でもそういう人にたまに会ったけど、
知的な学力がずば抜けているタイプの人がいる。
そういう人は本当に東大に入ってしまうタイプの天才肌だ。
数百人ぐらい見ると、たま~にそういう子どもに当たったりした。
ももちゃんはそのタイプでは全くない。
何も手を入れてない状態のももちゃんは、やっぱりオール3の能力かなというのは否めない。
ただ、そのももちゃん、1つずば抜けていたことがある。
問題を解くスピードが通常の人の3倍ぐらい速かったこと。
言いかえれば、人が1問解く時に、ももちゃんは3問解く速さがあった。
これは、天才系の子どもたちにも勝るものだったし、あんなに速く取り組めるのは、
数百人見た子どもの中でも、ももちゃんだけだった。
だから、ももちゃんにわたしがしたことと言えば、量を多くこなすように指示を出すだけだった。
元々の学力が高いタイプの子どもではなかったから、当然わからない問題も色々出てくる。
それも実に粘り強く取り組んでいたし、できるようになってからの繰り返す回数は半端なかった。
だから、ももちゃんが学年9位まで上がったのは、その裏では相当な行動量をこなしていたことが
大きな勝因だったと思う。
ここまでは、塾に勤めていた時にも気付いたことだし、やればやった分上がるんだ、
と実に単純に捉えていた。
でも、そうじゃない。
たしかにももちゃんは行動したけど、その前にもっと大切なことをしている。
それに気付いたのがおととい昨日だった。
ももちゃんは、「勉強で成果を上げることを自分に許可している」
これを無意識に行っていたと思う。
ももちゃんは、どちらかと言うと、独特の価値観の中で生きている風で、
「ふしぎちゃん」と呼ばれてもおかしくないと言うか、発想がとにかく面白い子どもで、
がつがつ上を目指したいなんていうのは全くなく、非常にマイペースな子どもだった。
入試前に面接の練習もしたけど、例えば最近気になるニュースはなんですか?なんていう質問に
対し、他の子たちは当たり障りのないことを言っている中で、ももちゃんは一人だけ奇想天外な
意見を言っていた(たしか、ドラえもんが何だかんだというニュースを言ったと思う)。
面接官に絶賛されるか、反対に批判されるか、もうどちらかでしかないなぁという答えだった。
ある意味自分の個性をそのまますっと出せる強さもある子だった。
話は戻して、「成果を上げることを自分に許可している」の部分。
ももちゃんは、がつがつ上を目指すこともなかったけど、
反対に「どうせ私なんて・・・」とか「私できない」ということを一切言わない子だった。
自分を卑下したり、自分を過小評価するようなことはなかった。
多分早い段階で、私自身がももちゃんのスピード力には気付いたんだと思うけど、
わたしがももちゃんにひたすら伝えていたのは、そのスピード力が人よりもあることと、
だからそれをうまく使えば必ず結果がついてくる、やればできるということ位だったと思う。
子どもによって違うけど、ももちゃんの場合は本人の可能性の部分だけを伝えるだけで
良かったと思う。
あぐらかくような子にはそういうことを言うと危ないけど、ももちゃんはそのタイプではなかったし、
成績が上がった時も何よりも本人と保護者が一番びっくりする位だったから、自分の能力に対して
かいかぶることは最後までなかった。
だから、ももちゃんの中で、どの程度の結果が出てくるのかは未知数だったにしても、
「自分が良い成績を取ってもいいんだ」という思考はものすごく強く入っていたかと思う。
反対になかなか上がらなかった子どもは、
「どうせ自分にはできない」という思いが強かったような気がする。
当時もう少しわかっていたら、多分もっと色々違っていただろうなぁと思う。
ももちゃん以外にもそういう成功事例的な子どもが何人かいて、
やっぱり共通するのは、「自分はもっと成績を上げてもいいんだ!」とどこかの時点で
自分に許可を出していること。
これは「成績を上げたい」という考えとは大きく異なる。
「成績を上げたい」の出発点は、「今の成績の自分は駄目」というところだ。
「もっと成績を上げてもいいんだ」の出発点は、今の自分がどうであるとかは関係なく、
「別の道を自分が進むのもOK」という自分への許可だ。
だから自分を否定しているわけではなく、自分に選択肢を持たせる、そんな感じだ。
あとは、「上がっても上がらなくても、自分の価値は変わらない」という強い信念めいたものを
持ってる子どもたちは、別に上がらなくても良かったと思ってる。
むしろそういう子たちは、下がっても自分の人間性を否定するようなところはなくて、
「あぁ下がっちゃった!」の程度で、あとはいつも通りに元気だったりするから、
こういう子はこういう子でまた1つの強さの持ち主だと思う。
書いていてわからなくなってきたけれど、この「自分は○○してもいい」という思考回路、
これってすごく大事だと思う。
反対に、「自分は●●になっても自分の価値は変わらない」と思える思考回路も、すごく大事。
両方あれば一番いいけれど、どちらか片方でも身に付けていると、生きていく上でとても
強いツールになってくれると思う。
そして、どちらかがあるだけで生きやすいとも思う。
ゴリラがわたしに言った「自分が何をしているのかをよく見とけ」は、今もうまく言葉に繋げられない
けど、おそらく個人の感情を癒していく作業をしていたのではないかなと思っている。
昨日書いた、ももちゃん。
1学年200人以上いる学校の中で、塾に入ってきた時は100番台。
それが2年いる間で学年9位まで上がったミラクルな女の子。
ある時、塾に勤めていた時の恩師のゴリラが、こんな風にわたしにアドバイスした。
「その子(=ももちゃん)がこれからおまえの自信になり、おまえのヒントになる。
だからよく見とけ。
その子がどうなっていくか、そしておまえがその子に何をしているのか。」
どうなっていくかはそれが仕事だから見ていたけど、自分が何をしているのかは結局わからず
じまいだったし、そんなことを言われたことすら忘れていた。
すでに退職してから3年以上も経過して、当時の記憶もおぼろげだけど、
もしかして・・・という仮説がおととい昨日でふわっと出てきた。
それについて今日は書こうと思ってる。
最初にももちゃんのことをもう少し詳しく紹介したいと思う。
塾にいた時もそうだし、外部の人でもそういう人にたまに会ったけど、
知的な学力がずば抜けているタイプの人がいる。
そういう人は本当に東大に入ってしまうタイプの天才肌だ。
数百人ぐらい見ると、たま~にそういう子どもに当たったりした。
ももちゃんはそのタイプでは全くない。
何も手を入れてない状態のももちゃんは、やっぱりオール3の能力かなというのは否めない。
ただ、そのももちゃん、1つずば抜けていたことがある。
問題を解くスピードが通常の人の3倍ぐらい速かったこと。
言いかえれば、人が1問解く時に、ももちゃんは3問解く速さがあった。
これは、天才系の子どもたちにも勝るものだったし、あんなに速く取り組めるのは、
数百人見た子どもの中でも、ももちゃんだけだった。
だから、ももちゃんにわたしがしたことと言えば、量を多くこなすように指示を出すだけだった。
元々の学力が高いタイプの子どもではなかったから、当然わからない問題も色々出てくる。
それも実に粘り強く取り組んでいたし、できるようになってからの繰り返す回数は半端なかった。
だから、ももちゃんが学年9位まで上がったのは、その裏では相当な行動量をこなしていたことが
大きな勝因だったと思う。
ここまでは、塾に勤めていた時にも気付いたことだし、やればやった分上がるんだ、
と実に単純に捉えていた。
でも、そうじゃない。
たしかにももちゃんは行動したけど、その前にもっと大切なことをしている。
それに気付いたのがおととい昨日だった。
ももちゃんは、「勉強で成果を上げることを自分に許可している」
これを無意識に行っていたと思う。
ももちゃんは、どちらかと言うと、独特の価値観の中で生きている風で、
「ふしぎちゃん」と呼ばれてもおかしくないと言うか、発想がとにかく面白い子どもで、
がつがつ上を目指したいなんていうのは全くなく、非常にマイペースな子どもだった。
入試前に面接の練習もしたけど、例えば最近気になるニュースはなんですか?なんていう質問に
対し、他の子たちは当たり障りのないことを言っている中で、ももちゃんは一人だけ奇想天外な
意見を言っていた(たしか、ドラえもんが何だかんだというニュースを言ったと思う)。
面接官に絶賛されるか、反対に批判されるか、もうどちらかでしかないなぁという答えだった。
ある意味自分の個性をそのまますっと出せる強さもある子だった。
話は戻して、「成果を上げることを自分に許可している」の部分。
ももちゃんは、がつがつ上を目指すこともなかったけど、
反対に「どうせ私なんて・・・」とか「私できない」ということを一切言わない子だった。
自分を卑下したり、自分を過小評価するようなことはなかった。
多分早い段階で、私自身がももちゃんのスピード力には気付いたんだと思うけど、
わたしがももちゃんにひたすら伝えていたのは、そのスピード力が人よりもあることと、
だからそれをうまく使えば必ず結果がついてくる、やればできるということ位だったと思う。
子どもによって違うけど、ももちゃんの場合は本人の可能性の部分だけを伝えるだけで
良かったと思う。
あぐらかくような子にはそういうことを言うと危ないけど、ももちゃんはそのタイプではなかったし、
成績が上がった時も何よりも本人と保護者が一番びっくりする位だったから、自分の能力に対して
かいかぶることは最後までなかった。
だから、ももちゃんの中で、どの程度の結果が出てくるのかは未知数だったにしても、
「自分が良い成績を取ってもいいんだ」という思考はものすごく強く入っていたかと思う。
反対になかなか上がらなかった子どもは、
「どうせ自分にはできない」という思いが強かったような気がする。
当時もう少しわかっていたら、多分もっと色々違っていただろうなぁと思う。
ももちゃん以外にもそういう成功事例的な子どもが何人かいて、
やっぱり共通するのは、「自分はもっと成績を上げてもいいんだ!」とどこかの時点で
自分に許可を出していること。
これは「成績を上げたい」という考えとは大きく異なる。
「成績を上げたい」の出発点は、「今の成績の自分は駄目」というところだ。
「もっと成績を上げてもいいんだ」の出発点は、今の自分がどうであるとかは関係なく、
「別の道を自分が進むのもOK」という自分への許可だ。
だから自分を否定しているわけではなく、自分に選択肢を持たせる、そんな感じだ。
あとは、「上がっても上がらなくても、自分の価値は変わらない」という強い信念めいたものを
持ってる子どもたちは、別に上がらなくても良かったと思ってる。
むしろそういう子たちは、下がっても自分の人間性を否定するようなところはなくて、
「あぁ下がっちゃった!」の程度で、あとはいつも通りに元気だったりするから、
こういう子はこういう子でまた1つの強さの持ち主だと思う。
書いていてわからなくなってきたけれど、この「自分は○○してもいい」という思考回路、
これってすごく大事だと思う。
反対に、「自分は●●になっても自分の価値は変わらない」と思える思考回路も、すごく大事。
両方あれば一番いいけれど、どちらか片方でも身に付けていると、生きていく上でとても
強いツールになってくれると思う。
そして、どちらかがあるだけで生きやすいとも思う。
ゴリラがわたしに言った「自分が何をしているのかをよく見とけ」は、今もうまく言葉に繋げられない
けど、おそらく個人の感情を癒していく作業をしていたのではないかなと思っている。
2015年4月4日土曜日
ゴリラのヒント①
学習塾に勤務していた時、とてもお世話になった恩師のゴリラ。
(ゴリラのことは、『ゴリラのぶりしゃぶ』にも書いた)
なぜゴリラなのかはわからなかったけど、とにかくゴリラの教室では、
幼児から高校生まで、男女問わず、なんだったら保護者まで「ゴリラ(先生)」と呼んでいた。
ゴリラは、普通の会社で言うならかなり上の役職に就いてもおかしくない立場だったけど、
本人の希望なのか、ずっと現場の人だった。
現場何十年という経歴だけあって、その洞察力や包容力、人間力が半端なかった。
会社は大嫌いだったけど、ゴリラとの縁は本当にありがたかったし、
あの会社に入らなければ出会えなかった人だと思うと、それだけでも入って良かったと思う。
入社して数ヶ月後、新入社員の人たちが4月に入ってきたのに合わせて、
ゴリラは毎週水曜日の朝1時間だけ「勉強会」なるものを自主的に開いた。
ゴリラいわく、毎年恒例の学習会らしく、誰でも参加自由、
学習面でわからないところを質問してもいいし、自分が担当している教室で困った事例があれば、
それを相談してもいい時間という会だった。
最初こそ数人いたけど、1ヶ月もしないうちに、わたししかいなくなった。
毎週毎週ゴリラとマンツーマンで学習会だった。
当時月に1日休みがあるかないか、朝も早く7時過ぎに家を出てその日のうちに帰れたら良い、
そんな生活の中で、ゴリラの勉強会だけは何が何でも体調整えて行っていた。
ゴリラみたいな大人に出会えたのは本当に奇跡的で、
毎週のごとく退職願を当時出していたわたしに(ゴリラは直接の上司じゃないから、別の人に。
でもツーカーで、ゴリラにはそのことがすべてばれていた)、
「おまえみたいな鈍臭いやつの方がこの仕事は本当に合ってる」
とある日ぽろっと言ってくれたことがあった。
わたしの鈍臭さやうまく立ち回れないことも一瞬で見抜いて、
他の研修教室ではことごとくそこを叩かれ、毎回駄目出しされ、「スピードあげて!」
「遅い!もっとまんべんなく色んなことに目を配って!」と、もう何人の担当者に言われたか
わからない。
なのに、ゴリラだけは、そんな仕事する上で欠点みたいなところを長所とし、
さらにそれがいいんだ、それがこの仕事する上で大事なんだ、と説いてくれた。
まじめに、ゴリラがそう言ってくれなかったら、わたしは多分もっと早く辞めてただろうなぁと思う。
そして、実際にゴリラの教室に2週間近く研修で行かせてもらったのだけど、
教室内で野球をしているところは初めて見た。
行く前に上司から、すごいぶっ飛んだ教室だからとは言われていたけど、本当にその通りだった。
たしかにぶっ飛んだ教室ではあったけど、
そこでどの子どももものすごく伸び伸びとしていたのが最初の印象だった。
うるさい子も静かな子も、みんなありのままだった。
そんなゴリラだったから、ゴリラの教えだけは何が何でも行きたかった。
ゴリラが何を思って何を考えて何をしているのか、もっともっと聞きたかった。
本当にそれだけでゴリラの元に足繁く毎週通った。
そのゴリラから色々アドバイスをもらったし、当時の学習会のノートは今も手元にあるけど、
教えてもらったことの1つで、今頃になってやっと気付いたことがある。
何でわたしはその女の子の話をゴリラにしたのかは忘れた。
その女の子は、2年くらい見た子で、名前をももちゃんとしよう。
1学年200人以上いる学校で、入ってきた時のももちゃんは100番台だった。
そのももちゃん、なんと驚異の快進撃で、学年9位まで順位が上がった。
テストの点数も平均点取れるかな~位だったから、5教科合計が300点届いたり届かなかったり。
最後は450点オーバーを何回も叩きだしていた。
きわめつけは、入学した高校で入試1位を取ったことだった。
この辺りでは、入試1位の子はそのまま入学式の新入生代表挨拶をすることになってる。
それに抜擢されて、入試1位だったことが判明した。
そのももちゃんについて、何をゴリラに相談したのか、それともぼやいたのか、
その辺りはすっぱりと忘れてしまったのだけど、ゴリラにその時言われたのが、
「その子がこれからおまえの自信になり、おまえのヒントになる。
だからよく見とけ。
その子がどうなっていくか、そしておまえがその子に何をしているのか。」
ゴリラはたしかにあの時、ももちゃんだけではなく、わたしが何をしているのかをよく見ろ、
とアドバイスしていた。
でも、当時のわたしには、そのアドバイスの意味はさっぱりわからなかった。
ももちゃんを見るのはわかる。
だけど、なぜ「わたしが何をももちゃんにしているのかを見ろ」と言うのかはわからなかった。
そして、色んなタイプの子が来る塾だったから、ももちゃんの例が他の子に当てはまることもなく、
ゴリラのアドバイスなんかすっかり抜け落ちていた。
退職して3年、ももちゃんを最後に見てからも3年以上経ってる。
今過去の栄光ではないけど、過去に爆発的に人生が好転した人たちをひとりひとり思い浮かべて
何がどういうからくりで好転したのかを一生懸命探ってる。
その渦中に、ゴリラの「おまえがその子に何をしているのか見とけ」というアドバイスを思い出した。
たしかに結果を出したのはももちゃんだし、わたしなんかもうお粗末なぐらいの対応だったけど、
でもたしかに何かをしたわけで、その「何」の部分をずっとずっと考えていた。
それがようやく「何」だったのか自分なりの答えが出て、それもここで書く予定でいたけど、
あまりに長くなったから、また次回書こうと思う。
(ゴリラのことは、『ゴリラのぶりしゃぶ』にも書いた)
なぜゴリラなのかはわからなかったけど、とにかくゴリラの教室では、
幼児から高校生まで、男女問わず、なんだったら保護者まで「ゴリラ(先生)」と呼んでいた。
ゴリラは、普通の会社で言うならかなり上の役職に就いてもおかしくない立場だったけど、
本人の希望なのか、ずっと現場の人だった。
現場何十年という経歴だけあって、その洞察力や包容力、人間力が半端なかった。
会社は大嫌いだったけど、ゴリラとの縁は本当にありがたかったし、
あの会社に入らなければ出会えなかった人だと思うと、それだけでも入って良かったと思う。
入社して数ヶ月後、新入社員の人たちが4月に入ってきたのに合わせて、
ゴリラは毎週水曜日の朝1時間だけ「勉強会」なるものを自主的に開いた。
ゴリラいわく、毎年恒例の学習会らしく、誰でも参加自由、
学習面でわからないところを質問してもいいし、自分が担当している教室で困った事例があれば、
それを相談してもいい時間という会だった。
最初こそ数人いたけど、1ヶ月もしないうちに、わたししかいなくなった。
毎週毎週ゴリラとマンツーマンで学習会だった。
当時月に1日休みがあるかないか、朝も早く7時過ぎに家を出てその日のうちに帰れたら良い、
そんな生活の中で、ゴリラの勉強会だけは何が何でも体調整えて行っていた。
ゴリラみたいな大人に出会えたのは本当に奇跡的で、
毎週のごとく退職願を当時出していたわたしに(ゴリラは直接の上司じゃないから、別の人に。
でもツーカーで、ゴリラにはそのことがすべてばれていた)、
「おまえみたいな鈍臭いやつの方がこの仕事は本当に合ってる」
とある日ぽろっと言ってくれたことがあった。
わたしの鈍臭さやうまく立ち回れないことも一瞬で見抜いて、
他の研修教室ではことごとくそこを叩かれ、毎回駄目出しされ、「スピードあげて!」
「遅い!もっとまんべんなく色んなことに目を配って!」と、もう何人の担当者に言われたか
わからない。
なのに、ゴリラだけは、そんな仕事する上で欠点みたいなところを長所とし、
さらにそれがいいんだ、それがこの仕事する上で大事なんだ、と説いてくれた。
まじめに、ゴリラがそう言ってくれなかったら、わたしは多分もっと早く辞めてただろうなぁと思う。
そして、実際にゴリラの教室に2週間近く研修で行かせてもらったのだけど、
教室内で野球をしているところは初めて見た。
行く前に上司から、すごいぶっ飛んだ教室だからとは言われていたけど、本当にその通りだった。
たしかにぶっ飛んだ教室ではあったけど、
そこでどの子どももものすごく伸び伸びとしていたのが最初の印象だった。
うるさい子も静かな子も、みんなありのままだった。
そんなゴリラだったから、ゴリラの教えだけは何が何でも行きたかった。
ゴリラが何を思って何を考えて何をしているのか、もっともっと聞きたかった。
本当にそれだけでゴリラの元に足繁く毎週通った。
そのゴリラから色々アドバイスをもらったし、当時の学習会のノートは今も手元にあるけど、
教えてもらったことの1つで、今頃になってやっと気付いたことがある。
何でわたしはその女の子の話をゴリラにしたのかは忘れた。
その女の子は、2年くらい見た子で、名前をももちゃんとしよう。
1学年200人以上いる学校で、入ってきた時のももちゃんは100番台だった。
そのももちゃん、なんと驚異の快進撃で、学年9位まで順位が上がった。
テストの点数も平均点取れるかな~位だったから、5教科合計が300点届いたり届かなかったり。
最後は450点オーバーを何回も叩きだしていた。
きわめつけは、入学した高校で入試1位を取ったことだった。
この辺りでは、入試1位の子はそのまま入学式の新入生代表挨拶をすることになってる。
それに抜擢されて、入試1位だったことが判明した。
そのももちゃんについて、何をゴリラに相談したのか、それともぼやいたのか、
その辺りはすっぱりと忘れてしまったのだけど、ゴリラにその時言われたのが、
「その子がこれからおまえの自信になり、おまえのヒントになる。
だからよく見とけ。
その子がどうなっていくか、そしておまえがその子に何をしているのか。」
ゴリラはたしかにあの時、ももちゃんだけではなく、わたしが何をしているのかをよく見ろ、
とアドバイスしていた。
でも、当時のわたしには、そのアドバイスの意味はさっぱりわからなかった。
ももちゃんを見るのはわかる。
だけど、なぜ「わたしが何をももちゃんにしているのかを見ろ」と言うのかはわからなかった。
そして、色んなタイプの子が来る塾だったから、ももちゃんの例が他の子に当てはまることもなく、
ゴリラのアドバイスなんかすっかり抜け落ちていた。
退職して3年、ももちゃんを最後に見てからも3年以上経ってる。
今過去の栄光ではないけど、過去に爆発的に人生が好転した人たちをひとりひとり思い浮かべて
何がどういうからくりで好転したのかを一生懸命探ってる。
その渦中に、ゴリラの「おまえがその子に何をしているのか見とけ」というアドバイスを思い出した。
たしかに結果を出したのはももちゃんだし、わたしなんかもうお粗末なぐらいの対応だったけど、
でもたしかに何かをしたわけで、その「何」の部分をずっとずっと考えていた。
それがようやく「何」だったのか自分なりの答えが出て、それもここで書く予定でいたけど、
あまりに長くなったから、また次回書こうと思う。
2015年4月3日金曜日
苦手なものではなかった・・・
ほんの1時間前まで、自分は豪華なものとかきらびやかなものが苦手だと思っていた。
元々そういうものに興味がなかったけど、時には嫌悪感に近いものすら抱いていた。
日常生活に差し支えがあるわけではないし、自分の住む世界とは別物と捉えれば、
なんら問題はない。
ただふと、何がそんなに苦手というか嫌悪させるのかな・・・と思った。
はっきり言って、あまり重要ではない位置の価値観だと決めつけていたから、
いつもならスルーして終わった。
でも今回は、なぜそれが苦手かわかって、おかげで自分が大事にしたいものが何かわかった。
そもそものきっかけは、趣味の料理ブログ読み漁りから始まった。
時々面白いページに辿り着くこともあるから、その記事にコメントした人や「いいね」をした人の
ブログも見に行くことがある。
そうやって行き着いたページが、テーブルコーディネーターかな?という人だった。
テーブルコーディネートのことは全然予備知識もないから、何がどうとかはわからない。
ただ、わたしがすっごく気になったのは、その方の子どもの表情だった。
自宅でパーティーしました的なもので、本当に雑誌とかに載っていそうな、
気合の入ったテーブルセッティング。
それも見ていて疲れを感じるものだったけど(3歳の子どもの家で普通にナイフが出てくる)、
さらに気になったのは乾杯のグラスだ。
素材は不明だけど、ワイングラスの形をしたコップで子どもも乾杯している写真。
子どもの目が死んでるというか、本当に覇気が無い。
(ちなみに子どもの誕生日パーティー)
お母さんが満足するためのテーブルでしかないなぁというのが一目瞭然だった。
あまりに気になって、子どもが写っている写真を何枚か見た。
こんなにも、子どもの笑顔なり何か感情が乗っていない表情ばかりが並ぶ写真も
ものすごくめずらしかった。
とぼけたり、変顔したり、おしゃまだったり、大泣きしたり、
子どもだからこそ出てくる表情が1枚もなかったことにわたしはただただ驚いた。
子どもだってぼけっとしたり、疲れ果てたりはする。
だからすべて表情が笑顔でにっこにこで・・・なんてことは有り得ないのはわかる。
目が半開きなことだってある。
どんな表情でもいいけれど、とにかく「生きてる」感じがあまりにも伝わってこないのが
とっても不自然でぎょっとした。
そこでようやく気付いた。
豪華なものが苦手なんじゃなくて、物質にあまりに重きを置き過ぎて、
肝心要の目の前の人が無視されてるような状態がわたしはすごく苦手なんだとわかった。
塾に勤めていた時も、事業経営されてるおうちの子どもが来ていた。
そういう子どもが何人かに1人の割合で入ってくるし、何ら不思議はなかったけど、
1人だけ忘れられない子どもがいる。
ドラマとかでよくありがちな「お金で何でも解決」型の家庭のようだった。
子どもはほんっとに活発だったし、感性もダイナミックですごく面白い子だったけど、
親との関係がうまくいってないのは見ていてわかった。
愛情不足なんて簡単に言っていいのかわからないけど、そういう風だった。
色々買い与えられてる様子だったけど、その子が欲しいのはそれじゃなくて、
親との時間や親からの注意だったと思う。
喜怒哀楽の激しい子でもあったけど、それをありのまま出せるのがうれしそうでもあった。
家だとそのままを出しきれないのか、出していても親の「今は忙しい」で相手にしてもらえないのか、
そのどちらかだろうなぁというのは見ていて伝わってきた。
その子はきらびやかなものには、何一つ興味を持っている風ではなかったから、
次から次へと(小学生が持つようなものではない高価な)ものを失くすんです、
と親が言っていた。
そして、ある時思いもよらないところから、その子が軽犯罪に手を染めていることが判明した。
わたしは犯罪云々よりも、SOSが出せて良かったね、と思いながら聞いていた。
情報の経由が、本人や保護者ではなかったから、どうにもできなかったけど、
その物質的な豊かさではなく、心を通わせるチャンス=心の面での豊かさになればいいと思った。
だから、目に見える豪華さとかが嫌いなわけじゃない、
むしろ、こういうのっていいなぁと思うものだって時にはある。
そうではなくて、目に見えない部分、でもどうやったって隠しきれない部分、
そういうものをいかに大事にしているかしていないかで、価値が変わってくる。
物に匹敵するぐらいに周りの人を大事にできると、それは豪華なだけじゃなく、
さらにきらきらと輝きを増す。
そういうものは、見ていても気持ちいい。
そう、苦手ではなかった。
ただ、その物の先にあるものが何かによって、好きだったり嫌いだったりしていたんだ、
ということがわかった。
そして好きなものというのは、そこに人の想いがきちんとのっているもの。
だから、物自体が高くても安くてもそんなのは関係なかったことにも気付けた。
元々そういうものに興味がなかったけど、時には嫌悪感に近いものすら抱いていた。
日常生活に差し支えがあるわけではないし、自分の住む世界とは別物と捉えれば、
なんら問題はない。
ただふと、何がそんなに苦手というか嫌悪させるのかな・・・と思った。
はっきり言って、あまり重要ではない位置の価値観だと決めつけていたから、
いつもならスルーして終わった。
でも今回は、なぜそれが苦手かわかって、おかげで自分が大事にしたいものが何かわかった。
そもそものきっかけは、趣味の料理ブログ読み漁りから始まった。
時々面白いページに辿り着くこともあるから、その記事にコメントした人や「いいね」をした人の
ブログも見に行くことがある。
そうやって行き着いたページが、テーブルコーディネーターかな?という人だった。
テーブルコーディネートのことは全然予備知識もないから、何がどうとかはわからない。
ただ、わたしがすっごく気になったのは、その方の子どもの表情だった。
自宅でパーティーしました的なもので、本当に雑誌とかに載っていそうな、
気合の入ったテーブルセッティング。
それも見ていて疲れを感じるものだったけど(3歳の子どもの家で普通にナイフが出てくる)、
さらに気になったのは乾杯のグラスだ。
素材は不明だけど、ワイングラスの形をしたコップで子どもも乾杯している写真。
子どもの目が死んでるというか、本当に覇気が無い。
(ちなみに子どもの誕生日パーティー)
お母さんが満足するためのテーブルでしかないなぁというのが一目瞭然だった。
あまりに気になって、子どもが写っている写真を何枚か見た。
こんなにも、子どもの笑顔なり何か感情が乗っていない表情ばかりが並ぶ写真も
ものすごくめずらしかった。
とぼけたり、変顔したり、おしゃまだったり、大泣きしたり、
子どもだからこそ出てくる表情が1枚もなかったことにわたしはただただ驚いた。
子どもだってぼけっとしたり、疲れ果てたりはする。
だからすべて表情が笑顔でにっこにこで・・・なんてことは有り得ないのはわかる。
目が半開きなことだってある。
どんな表情でもいいけれど、とにかく「生きてる」感じがあまりにも伝わってこないのが
とっても不自然でぎょっとした。
そこでようやく気付いた。
豪華なものが苦手なんじゃなくて、物質にあまりに重きを置き過ぎて、
肝心要の目の前の人が無視されてるような状態がわたしはすごく苦手なんだとわかった。
塾に勤めていた時も、事業経営されてるおうちの子どもが来ていた。
そういう子どもが何人かに1人の割合で入ってくるし、何ら不思議はなかったけど、
1人だけ忘れられない子どもがいる。
ドラマとかでよくありがちな「お金で何でも解決」型の家庭のようだった。
子どもはほんっとに活発だったし、感性もダイナミックですごく面白い子だったけど、
親との関係がうまくいってないのは見ていてわかった。
愛情不足なんて簡単に言っていいのかわからないけど、そういう風だった。
色々買い与えられてる様子だったけど、その子が欲しいのはそれじゃなくて、
親との時間や親からの注意だったと思う。
喜怒哀楽の激しい子でもあったけど、それをありのまま出せるのがうれしそうでもあった。
家だとそのままを出しきれないのか、出していても親の「今は忙しい」で相手にしてもらえないのか、
そのどちらかだろうなぁというのは見ていて伝わってきた。
その子はきらびやかなものには、何一つ興味を持っている風ではなかったから、
次から次へと(小学生が持つようなものではない高価な)ものを失くすんです、
と親が言っていた。
そして、ある時思いもよらないところから、その子が軽犯罪に手を染めていることが判明した。
わたしは犯罪云々よりも、SOSが出せて良かったね、と思いながら聞いていた。
情報の経由が、本人や保護者ではなかったから、どうにもできなかったけど、
その物質的な豊かさではなく、心を通わせるチャンス=心の面での豊かさになればいいと思った。
だから、目に見える豪華さとかが嫌いなわけじゃない、
むしろ、こういうのっていいなぁと思うものだって時にはある。
そうではなくて、目に見えない部分、でもどうやったって隠しきれない部分、
そういうものをいかに大事にしているかしていないかで、価値が変わってくる。
物に匹敵するぐらいに周りの人を大事にできると、それは豪華なだけじゃなく、
さらにきらきらと輝きを増す。
そういうものは、見ていても気持ちいい。
そう、苦手ではなかった。
ただ、その物の先にあるものが何かによって、好きだったり嫌いだったりしていたんだ、
ということがわかった。
そして好きなものというのは、そこに人の想いがきちんとのっているもの。
だから、物自体が高くても安くてもそんなのは関係なかったことにも気付けた。
2015年4月2日木曜日
本との出会い
やることはわかっているのに、それがなかなか行動に移せない。
このまま行動するまで待ち続けても何も変わらなそう。
そう思って、諸々の用事を足しに出掛けた。
用事のついでに本屋さんにも寄った。
本屋さんはものすごくついでだった。
長居する気もなく、すぐに次の目的地を目指すつもりでいた。
結局、本屋さんで2時間ほど立ち読みならぬ座り読みして1冊読破した。
今の自分に必要なメッセージ満載の本で、一気に読み終えた。
今日寄った本屋さんは、おそらく名古屋で一番大きい本屋さんだと思う。
蔵書が何冊あるのか不明だけど、あんなにたくさんある本の中で、これだ!という本に
1冊出会うというのは、どれくらいの確率で起こるんだろう。
その幸運とも呼んでもいい確率のおかげで、素敵な本に出会えた。
6店舗ほど、よく足を運ぶ本屋さんがある。
ふと気付いたけど、どういうわけか、今日行った本屋さんが断トツで「これぞ!」というメッセージに
出会える確率が高い。
抱えてる本が少ない方が見やすいけれど、そういう本屋さんでの本との出会いはほとんどない。
今日のところより若干少なめだけど、かなりな蔵書を誇る書店が6つのうち3つあるけど、
やはりそれらの本屋さんでもそんなには出会わない。
自分にとって合う合わないがあるのかなと思う。
わたしの中では、勝手に今日行った本屋さんは「ひらめきスポット」になっている。
ちなみに、読書に関して面白いことを教えてもらったことがある。
読んでいて共感するメッセージが出てきたとする。
もちろん本自体は初めて読むものだ。
なぜ共感するのかというと、そこに書かれていることは「すでに自分が知っていること」、
だから気持ちが動くんだよ、と教えてもらった。
本との出会いにより、自分自身の心との出会いにも繋がる。
本って面白いなぁと思う。
このまま行動するまで待ち続けても何も変わらなそう。
そう思って、諸々の用事を足しに出掛けた。
用事のついでに本屋さんにも寄った。
本屋さんはものすごくついでだった。
長居する気もなく、すぐに次の目的地を目指すつもりでいた。
結局、本屋さんで2時間ほど立ち読みならぬ座り読みして1冊読破した。
今の自分に必要なメッセージ満載の本で、一気に読み終えた。
今日寄った本屋さんは、おそらく名古屋で一番大きい本屋さんだと思う。
蔵書が何冊あるのか不明だけど、あんなにたくさんある本の中で、これだ!という本に
1冊出会うというのは、どれくらいの確率で起こるんだろう。
その幸運とも呼んでもいい確率のおかげで、素敵な本に出会えた。
6店舗ほど、よく足を運ぶ本屋さんがある。
ふと気付いたけど、どういうわけか、今日行った本屋さんが断トツで「これぞ!」というメッセージに
出会える確率が高い。
抱えてる本が少ない方が見やすいけれど、そういう本屋さんでの本との出会いはほとんどない。
今日のところより若干少なめだけど、かなりな蔵書を誇る書店が6つのうち3つあるけど、
やはりそれらの本屋さんでもそんなには出会わない。
自分にとって合う合わないがあるのかなと思う。
わたしの中では、勝手に今日行った本屋さんは「ひらめきスポット」になっている。
ちなみに、読書に関して面白いことを教えてもらったことがある。
読んでいて共感するメッセージが出てきたとする。
もちろん本自体は初めて読むものだ。
なぜ共感するのかというと、そこに書かれていることは「すでに自分が知っていること」、
だから気持ちが動くんだよ、と教えてもらった。
本との出会いにより、自分自身の心との出会いにも繋がる。
本って面白いなぁと思う。
2015年4月1日水曜日
好きな会話
何気に過去の走り書きメモを見たら、面白いことが書いてあった。
1シーズンの中で2人の人にそれぞれ2回ずつ会って、
Aさんと会うととても楽しく、Bさんと会うとなんだかいまいち楽しくなく、
その違いは何なのかと考えて書いたメモだった模様。
Bさんとの会話は、「how to do」と「what to do」がメイン。
Aさんとの会話は、「how to live」と「what to think/believe」がメイン。
メモにはそんな分析が書かれてあった。
Bさんの会話は「どうやって仕事をするか」とか「仕事で何をするか」という話ばかりで、
わたしの喰らいつきはものすごく悪かった。
どうやってとか、何をするとか、興味がなさすぎて、
当時の私にはその手の会話が苦痛でしかなかった。
一方のAさんというのは、「どんな風に人生を展開するか、その中でどんな風に仕事をしていくか」
「自分の人生に何を思ったり、何を信じたりしているか」という話が中心だ。
どちらも仕事だとか、実際の動き方や生き方が含まれる。
Bさんとの会話は、ひたすら「仕事」に重点が置かれているのに対し、
Aさんとの会話はもっとスケールの大きなところから物事を見ての会話になる。
あとは興味の矛先が「人」だとか「人生」が、Aさんの場合、常に含まれていて、
話を聞いているとそこにストーリーがある。
そしてわたしはそのストーリーに惹きこまれる。
昨日会ったCさんというのも、タイプはAさんタイプだ。
1点だけを見つめるのではなく、壮大なところから物事を見て話をしてくれる人だ。
AさんもCさんも自分の視点の広さに気付いているのかわからないけど、
とにかくいつ会っても色んな視点でかつ深い話をしてくれる。
この人たちの共通点は、表面上は大きな変化が生活になくても、
その中で日々感じること、見ていること、学んでいること、そういうものがとてつもなく深い。
だから話に飽きることはないし、毎回目新しい気持ちで話を聞ける。
そういうのが自分は好きな会話なんだと、そのメモを見つけて気付いた。
1シーズンの中で2人の人にそれぞれ2回ずつ会って、
Aさんと会うととても楽しく、Bさんと会うとなんだかいまいち楽しくなく、
その違いは何なのかと考えて書いたメモだった模様。
Bさんとの会話は、「how to do」と「what to do」がメイン。
Aさんとの会話は、「how to live」と「what to think/believe」がメイン。
メモにはそんな分析が書かれてあった。
Bさんの会話は「どうやって仕事をするか」とか「仕事で何をするか」という話ばかりで、
わたしの喰らいつきはものすごく悪かった。
どうやってとか、何をするとか、興味がなさすぎて、
当時の私にはその手の会話が苦痛でしかなかった。
一方のAさんというのは、「どんな風に人生を展開するか、その中でどんな風に仕事をしていくか」
「自分の人生に何を思ったり、何を信じたりしているか」という話が中心だ。
どちらも仕事だとか、実際の動き方や生き方が含まれる。
Bさんとの会話は、ひたすら「仕事」に重点が置かれているのに対し、
Aさんとの会話はもっとスケールの大きなところから物事を見ての会話になる。
あとは興味の矛先が「人」だとか「人生」が、Aさんの場合、常に含まれていて、
話を聞いているとそこにストーリーがある。
そしてわたしはそのストーリーに惹きこまれる。
昨日会ったCさんというのも、タイプはAさんタイプだ。
1点だけを見つめるのではなく、壮大なところから物事を見て話をしてくれる人だ。
AさんもCさんも自分の視点の広さに気付いているのかわからないけど、
とにかくいつ会っても色んな視点でかつ深い話をしてくれる。
この人たちの共通点は、表面上は大きな変化が生活になくても、
その中で日々感じること、見ていること、学んでいること、そういうものがとてつもなく深い。
だから話に飽きることはないし、毎回目新しい気持ちで話を聞ける。
そういうのが自分は好きな会話なんだと、そのメモを見つけて気付いた。