2020/05/26
心を鬼にすること。
事情を知っているのに知らぬふりをして、さらには期待を持たれそうな行為をとる…。
難しいなと思った。
前日の話し合いで、新人の子を英訳業務から外すことが確実となった。
単純に能力が会社の求めるレベルにはないから。
もし本人の努力で何とかなるなら違う選択肢もあったかもしれないけれど、それはどんなに努力しても埋まりそうにもないもので、そして関係者全会一致で「英訳をさせない」ことに決まった。
但し、本人はその決定を知らないし、まだまだ自分はやる気でいるだろうなぁと思う。
私がやらかしたことは、添削を先延ばしにしたこと。
手元にはまだ添削が終わっていない英訳が残っている。
それを返す。
でもそれはもういつかのデビューはないし、それを彼女が復習してもその復習したものが活かされる機会も巡ってこない。
永遠にやってこない機会だと知りながら、添削して返すことの気持ちの重鈍さみたいなのはこの上ない。
彼女はそれを見て期待するなり、期待はしなくても「いつか自分も英訳できるはず」と信じたままだろう。
嫌な役回りだなと思った。
もし個人的に深い話ができるのであれば良かったのかな…と一瞬考えたけれども、その関係なら余計と言いにくいことまであっただろうから今の距離感で良かったんだと知る。
話し合いは本当にシュールだった。
派遣の私が、部長・上司・現教育担当者を前にして、その子の実情を延々と説明するという、世にも不思議な構図が生まれていた。
間違いなく私が一番長く見て、近くでも見て、さらにはなんちゃって専門知識まであるから、そういう意味で過不足ない役割が回ってきた。
これまでの経過もExcelで表にまとめて状況がわかるようにしたし、なんならネットで彼女の特性に当てはまりそうなものを端的に説明してくれてるサイトのコピーも用意した。
コピーには大事なところを蛍光マーカで引いて、それを知らない部長もすぐにわかるようにした。
30分ほどで話し合いは終わり、部長も最初は訝しげ(いぶかしげ)にしていたけれども、状況を具体的に知って、最終的には自分の元で仕事をさせて様子を見ると言った。
できないことや不得意なことも伝えたし、その状況で何がやれるのかは部長もかなり参っていたようではあったけれども「何かしらは考える」と言って、とりあえずの近々の方向性は出た。
部長は立ち上がってその場を去る際、「人格は悪くねぇんだろ?」と振り返って私たちに聞いてきた。
私は即座に「人格は問題ありません」と答えた。
そういう人の元で面倒を見てもらえるというのは本当に良かった。
色々と大丈夫ではないけれども、そういう情のある上司で彼女も助かるだろうと思った。
本当はその時に彼女の取り組んだ課題を見せる予定が、私がギリギリまで準備していてバタバタとその場に駆けつけたせいで、肝心の課題のコピーを持ってくるのを忘れた。
部長に言われて、話し合いの後に部長の席に持って行った。
私のおよそ1日がかりの資料よりも、彼女の課題を見て、部長は即座に察した。
見た瞬間に、私に「この単語はどういう意味なんだ?」と聞いてきた。
もっとわかりやすい単語があるにも関わらず、ものすごい難解な英単語をあてがっていて、部長がどの程度英語を知っているのか知らないけれども、多分そんなには知らないと思うけれども、ものすごく知らない人が見ても明らかに「えっ?」ってなるものを彼女は書いていた。
他にも話し合いで出ていた具体的な不具合がわかる箇所を3つだけさっと説明した。
部長とやりとりしたのは、ほんの3分ないし4分でしかなかった。
けれど、その数分の間に見た目からの情報で、部長も事の次第や重大さを即座に察知した。
私が大袈裟に説明しているのでもなく、はたまた他の2人が話を盛っているのでもなく、もはや私たちからの情報よりももっと意味がわかってしまうものが課題の中に表れていた。
そして本人がいい加減にやっているとかふざけてやっているとかではなく、大真面目に取り組んだそのそれが、想像以上に凄い様相を示していて、部長もそれだけで瞬時に全てがわかってしまったようだった。
2020/05/29
来月から業務変更になるということが判明した。
そしてそれとは別に、私よりもそのことを先に全く関係のない別の子が知っていて、心底驚いた。
その子がどういう経緯で知ったのかも聞いて、その経緯の中で知らなくても良い情報まで耳に入った。
話は本当におかしなことになっていて、私の耳に数人の口を経て入ってきた内容は、きちんと面倒も見ず、教えずに、本人の努力も知らずに、それで即座に見切りをつけたというものだった。
私は後からどんどん腹が立ってきた。
すっごいやってあげたとは言わない。
だけど、連日残業して、小難しい文書たちの英訳を全て納期に間に合わせて提出して、4月も連日10時間勤務みたいになっていたけれども、その合間に本人にぴったりくっついて教えたことも数回あれば、30分近くみっちりとマンツーマンで教えたことも何回かあったし、さらには添削は勤務時間内にできない時は家に持ち帰ってやっていた。
しかも文法は、自分もネットや本で調べてきちんと正しい情報を探して読んで理解してさらには本人に伝わる言葉を選んで資料を作ったことも片手で数えるくらいはしたと思う。
さらには、英語、教育それも障害児教育、心理、中間管理職の人たち4人にもそれぞれ相談してアドバイスもらって、できることはすぐにした。
それなのに、やってもらってないとは何ぞや!?という話。
しかも、5月からは乳飲み子含めた幼児2人を抱えた育休明けの人が英訳の添削はしてくれていたけれども、その人だって家に帰ってから本で調べて、辞書で調べて、この上なく丁寧な添削を作って返していた。
本当に根気よくやっていて、本当なら有料の域の添削だよね〜なんてふざけて言っていたけれども、本気でそういうものを丁寧に作って毎回返していた。
私たちがやってないなんて言われる筋合いはない。
彼女が望む量ではなかったかもしれないけれども、ここまでやってもらったことを「教えてもらってない」「何もしてもらえない」みたいな言われ方をするのは、私としては人としてあるまじき許せない域のことになっている。
有料でやっていた家庭教師や大学院レベルの難しい添削よりも本当に丁寧にやっていたくらいやって、それでその言われ方をされることが私には理解不能だった。
過去の中で一番丁寧に説明したり資料まで作って伝えたり周りに相談したつもりで私はいるけれど、そしてそれははっきり言って彼女の特異なことにすべて因があって、普通なら絶対にそこまでしなくてもいいことをせざるを得ないから、そして本人も一生懸命だからやれることはやれる範囲でやったのに、何という言い草なのかと思う。
仕方のないことではあるけれども、世話をしたいなどとは到底思えない言葉で、もしかしたら話に尾ひれがたくさん付いている可能性もあるけれども、それでも今私の耳の中に入ったことが全てで、もう言い訳もいらないし、謝罪もいらない。
1つだけ思ったことは、「人がすべて」だということ。
こんな風になってくると、そもそも来月から関わることはなくなるにしても、力になりたいとかできることはしようなんて到底思えない。
自分でがんばってねと思う。
人がしてくれない、ってどんだけ相手ありきで自力じゃないの?だし、仮に自力で何とかならないなら相手からサポートしてもらえるように人間関係の構築ってとても大事だと思う。
彼女を反面教師にして、私はこれからも人をとにかく大事に、困った時に快く助けてもらえるように、誰が相手でも誠実にいたいと思う。
特に私は、ほぼ毎回相手の人たちに説明してもらわないと、英訳1つパソコン操作1つままならないから、武士俣さんだったら仕方ないなと相手も呆れようがあきらめようがなんでもいいから助けてもらえるように、そういうものを目指していきたいと思う。
ちょっとだけ自慢v( ̄∀ ̄)v。
技術部門の裏方トップのMr.ダンディに、この間とんでもないことを言ってお詫びした時のこと。(Mr.ダンディに向かって誰も言えない究極の「これ、やらないというわけにはいきませんか?」と直談判しに行った…( ̄∀ ̄;)。締切が直近で迫りまくりなのに、その中でとんでもない量の薄い文字を濃くする修正があって、私の技量では真面目に1つ直すのに5分、かけることの100以上は確実にあるものゆえ、納期に大幅に遅れるか、さもなければそこは薄くても見えないのとは違うからそれでOKしてもらうかの2択で、それで直談判に行った。その顛末を話したら、普段笑わない人たちでさえ大声で笑ってたくらいに←別に笑いを誘ってはない、ある種大失態を犯した人( ̄∀ ̄;))
Mr.ダンディに、よくよく振り返ったら、お客さんに対してきちんとしようとしている、妥協できるものではないというMr.ダンディたちの仕事のあり方をはなっから否定するようなことだったなと大いに反省して翌日メールして謝った(口頭ではまた今度伺う時に言う予定)。
その際に返事をもらったこと。
ちなみに私の失態さえも、それは私の早く提出しなければという責任感から来てるとわかっていたから全く気にしてないとあった。ホッ。
「武士俣さんが私達の意を理解してくれたってことはとてもうれしいです。」とも言ってもらえて、それも私も嬉しかった。
そして最後にこんな風に結ばれてきた。
「この部屋のドアはいつも武士俣さんには開いているから、遠慮なくまた来てください。」
ものすごく嬉しかった。
早速コピーして、印刷したものを家に持ち帰ってきた。
こういう若干というかかなり変な計算と考えなしに動いてとんでもないことを言い出したりとかは日常茶飯事でも、とにかく人を大事にすることだけはこれからも心掛けようと思う。
私なんかは自分の能力だけで仕事をカバーするのは難しすぎるから、他の人たちの力を借りてようやく何とかなっているから、だからこそ人を大事にすることは徹底的にやりたいと思う。
2020年5月30日土曜日
2020年5月25日月曜日
5月の心模様ー2020
夢の中で私は社会人最初に勤めた子どもの施設の仕事をしていた。
場所は施設の中ではないし、なんなら今の職場の人が出てきたりして色々はちゃめちゃだったけれども、その時の私はもうその仕事に以前のような熱意を持つことがなかった。
夢の中なのに、「もうこの仕事じゃない」と思っている自分がいた。
3年前は今考えても不思議な流れの中にあった。
もしコロナが3年前の今流行っていたのなら、間違いなく3年前のように仕事が速攻で決まることはなかったと思うし、なんなら「事務」の経験のほぼない私ではなく経験者が採用されていたと思う。
さらには越県自粛ムードだけじゃなく結婚式も自粛ムードの今を考えると、友達の結婚式もなくなったんじゃないかと思う。
当時の私の勤労意欲は「九州の友達の結婚式に参列すること」だったから、それもなく、コロナで自粛ムード、さらには派遣切り当たり前みたいな今が3年前なら、もう何もかもが別の展開になって、今は今でなくなったと思う。
今行ってる会社もコロナで業績がボロボロで、本来6月末で契約更新になる派遣の人たちの半分は契約更新なしになったと金曜日に聞いた。
役員以外の正社員とパートの人たちは、ついこの間の木曜金曜から週1で交互に休むことになって、給料も日割でその休みの日は1割カットになって9割支給とか書かれていた。(支給されるだけすごい。)
金曜に仕事終わって駐車場で同級生の同子ちゃんと喋っていたら、大きな工具箱を台車で運んでいる女性がいた。
荷物がひっくり返って2人で近寄った際に、その方いわく、技術見習いで他社から出向してきたけれども今日が最終日なこと、本当はもう少し長い期間を予定していたけれども、コロナで受注が激減して製作現場は本当に仕事がなくなって日々暇になってしまったことを教えてくれた。
私のいるところは相変わらずバタバタしているからコロナの影響をあまり感じないけれども(特に不具合対策だの現地に会社の人間が行けない代わりに手順書だけ行くだのという英訳依頼が続いているから、コロナは全く関係ない)、本当に色んなことが変わっているんだなと思った。
カレンダーを見て今が5月で下旬に差し掛かっていると気付いた。
本当に3年経った。
もう永遠に戻らない夏がまたやってくる。
3年前の今頃、どういうわけかあっという間に次の仕事が決まった。
当時の私はまだ自分の人生の特徴を知らずにいたから、何でそんなにも早く決まるのか不思議な感じを覚えたけれど、とりあえず結婚式に行くためのお金の心配をしなくて済んで良かったなーなんてのんきに思っていた。
その異例の速さが実は人生の中でも超大事な出来事に遭遇するためだなんて、あの時は想像のしようもなかった。
しかも当時、女子校ノリの職場で毎日楽しく仕事に行っていたから、次の職場も人がいいといいなぁとか、事務仕事も私のやれる範疇の難しくないものだといいなぁとかそんなことを思いながら過ごしていた。
そうやってあれよあれよと5月の終わりに女子校ノリの仕事は終わって、6月も中旬に入る直前に新しい事務の仕事が始まった。
3年経った今、当時の仕事の内容はほとんど覚えていない。
大量のコピーを取って、コピーした書類をファイルに挟んで、あとは時々経費の請求書とかを入力して…、それくらいの記憶しか残っていない。
そうだ。
現場仕事で使う物たちの納品書のチェックがあって、それが合わなくなると担当者に聞くこともしていた。
私は何度も何度もその担当がNさんではなくその人だったら良かったのにー!と思った。
その人はいつも目と鼻の先くらいな距離にいても、納品書の担当でもなければ、私のする仕事に1ミリも関与しない人だった。
もっと言うと、同じ空間にはいても厳密に言うと所属する会社が違うから余計と絡みがなくて、ほんとただの同じ空間にいる全体の責任者と他社の方の派遣社員という絡みたくても絡めない状態だった。
今ならより一層わかる。
当時の仕事は、朝から晩まで本当に一言も喋らない仕事だった。
あんなにも喋らなくて良くて誰とも交わらなくて良い仕事は他になかった。
教育係の人に仕事を確認したり、納品書の確認をNさんにする以外は、基本何も喋らなくて、どうして自分がこの仕事をすることになったのか不思議でならなかった。
今と比べるとよくわかる。
例えば週明けには部長と新人の子の報告と相談をする場が設けられるから、そこで私はかなりシビアな話をしないといけない。
そういうことをするとなると、私の頭の中はそのことでかなりいっぱいになるし、神経もそちらにかなり使われることになる。
周りを見る余裕なんてないし、誰かの一挙手一投足をひたすら見つめるだの自分の心の動きに注目するだのなんてしてる場合じゃない。
だけど、当時はそれが許されていた。
許されていたと言うより、むしろそれをすることが今のあなたの一番の仕事です、と言わんばかりにそういう設定と時間とが与えられていた。
だから私が日々仕事をしているフリをしながら、内実はその人の観察と自分の心の観察をすることに大忙しだった。
よくよく考えたら、私はその人がいなくなった後も半年もその職場に勤めたにも関わらず、その後のことはほぼほぼ記憶にない。
当時のことを思い出す時は、いつもその人がいて、そしてそこに色んなことを感じている自分がいる、そういう風景ばかりだと気付いた。
ある日の夕刻だった。
夏の終わりの太陽は、日が沈むのも秋に向かって早くなっていった。
ちょうど当時仲良くさせてもらったSさんの隣りにいた時、夕焼けがものすごく綺麗だった。
もう狂喜乱舞するくらいの綺麗さで、私はぎゃあぎゃあ騒ぎながらその様子をiPhoneを持ってきて写真に収めた。
他の女性陣にも見なきゃ損ですよ!と触れ回っていた。
一通り写真を撮り終えて自分の席に戻ろうと、窓とは反対の方に体の向きを変えたその先にその人がいた。
コピー機の近くでHさんと立って談笑していたのか仕事の話をしていたのかは知らないけれども、とても素敵な笑顔で喋っていた。
その位置から夕陽が見えるかどうかはわからなかったけれども、とっさに私はその人にも見て欲しいと思った。
同じものを見て、超わがままな願いを言えば、その人にも同じように感動して同じ気持ちを分かち合いたいと思った。
夕陽だけでもとびっきりのプレゼントだったのに、振り返ったら少し離れた先にその人がいて、ニコニコした笑顔が夕陽の色に染まっていて、そこだけがまたキラキラとしていた。
私の脳内がキラキラしてるとかじゃなくて、その人というのは本当にキラキラしたオーラを自然に放つ人だった。
その人のまとっている空気がキラキラしていて、それは今もっても他の誰の時にも見たことのない、その人だけの特別な空気感になっていた。
吉本ばななさんの小説の中の登場人物には、やたらとオーラや空気感の描写が多いけれども、私はあれは小説だからそういう風に空気感が意図して描かれているのかとずっと思っていた。
ばななさんが書いているような空気感なんて見たことも感じたこともなかったから、私はあれをずっと空想の世界のものだと信じて疑わなかった。
「あの人いい人だよね」とかいうのとも全然違っていて、とにかく空気が澄んでいてキラキラしている、そういうものをその人は持っている。
本当にリアルばななワールドのようなものを私はその人に出逢って初めて見た。
だから、その夕焼けの日に見たのは、その人が元々持っているキラキラした空気感と夕陽のオレンジ色の光とが重なって、さらにキラキラしたものだった。
本当はもっともっとガン見していたかったけれども、それこそそんなことしてたら変な人になってしまうから、チラチラとだけ見て、後ろ髪引かれる思いで自分の席に戻った。
あの時に「同じものを共有できたらどんなに素敵だろう」と思った自分のことも思い出した。
夕陽見る趣味があるかは知らないけれども、何でもいいからそういうものを同じ場所に立って同じものを見たり聞いたり食べたり感じたりしたいなぁと何度も思った。
3年前はやっぱり別格だった。
一生色褪せない、変わらない、夏の日だった。
生きている限り夏は毎年やってくるし、新しい記憶がどんどん積み重ねられていくと思う。
そうであっても、3年前の夏だけは永久不滅に朽ちることなくずっとずっと私の中に残っていく、そういう時間なんだと思う。
これだけを読むとまるで恋とか片想いみたいだけれど、私の中ではそれとは違う。
いつかどこかの人生で近しい関係にあった人と今世でも出逢うとあんな感じなんだと思う。
相手側からは私がどのように映っていたのかは全くわからないけれども、私の方は少なくともものすごく特別だった。
毎日毎日その人に会えることが嬉しくて、当時の私は毎朝ルンルンしながら起きていた。
仕事の内容はすっぽり忘れても、当時の感覚は今でもはっきりと覚えている。
それは体と心だけじゃなく、魂も三位一体になって記憶したんだと思う。
今まで生きてきた中で、その人のことみたいに何かを記憶したものは他にない。
また今年も夏が来るけれども、まさか3年経ってもその当時のことが鮮明に自分の中に残るとは思ってもいなかった。
その人のいない夏、その人のいない世界に慣れないけれどそれでも生きてる自分を見て、哀しくもあり、でもそれが今の現実だよと自分に言い聞かせている。
そんなこと起こらないと知っていても、私の脳内空想ではこんな願い事をしている。
もしたったひとつだけ願いを叶えてあげようと言われたのなら…。
私は何の迷いもなく、「その人といさせてください」とお願いする。
3年経っても同じことを思う自分にゾッとしながらも、それでも同じことを変わらずに願っている。
場所は施設の中ではないし、なんなら今の職場の人が出てきたりして色々はちゃめちゃだったけれども、その時の私はもうその仕事に以前のような熱意を持つことがなかった。
夢の中なのに、「もうこの仕事じゃない」と思っている自分がいた。
3年前は今考えても不思議な流れの中にあった。
もしコロナが3年前の今流行っていたのなら、間違いなく3年前のように仕事が速攻で決まることはなかったと思うし、なんなら「事務」の経験のほぼない私ではなく経験者が採用されていたと思う。
さらには越県自粛ムードだけじゃなく結婚式も自粛ムードの今を考えると、友達の結婚式もなくなったんじゃないかと思う。
当時の私の勤労意欲は「九州の友達の結婚式に参列すること」だったから、それもなく、コロナで自粛ムード、さらには派遣切り当たり前みたいな今が3年前なら、もう何もかもが別の展開になって、今は今でなくなったと思う。
今行ってる会社もコロナで業績がボロボロで、本来6月末で契約更新になる派遣の人たちの半分は契約更新なしになったと金曜日に聞いた。
役員以外の正社員とパートの人たちは、ついこの間の木曜金曜から週1で交互に休むことになって、給料も日割でその休みの日は1割カットになって9割支給とか書かれていた。(支給されるだけすごい。)
金曜に仕事終わって駐車場で同級生の同子ちゃんと喋っていたら、大きな工具箱を台車で運んでいる女性がいた。
荷物がひっくり返って2人で近寄った際に、その方いわく、技術見習いで他社から出向してきたけれども今日が最終日なこと、本当はもう少し長い期間を予定していたけれども、コロナで受注が激減して製作現場は本当に仕事がなくなって日々暇になってしまったことを教えてくれた。
私のいるところは相変わらずバタバタしているからコロナの影響をあまり感じないけれども(特に不具合対策だの現地に会社の人間が行けない代わりに手順書だけ行くだのという英訳依頼が続いているから、コロナは全く関係ない)、本当に色んなことが変わっているんだなと思った。
カレンダーを見て今が5月で下旬に差し掛かっていると気付いた。
本当に3年経った。
もう永遠に戻らない夏がまたやってくる。
3年前の今頃、どういうわけかあっという間に次の仕事が決まった。
当時の私はまだ自分の人生の特徴を知らずにいたから、何でそんなにも早く決まるのか不思議な感じを覚えたけれど、とりあえず結婚式に行くためのお金の心配をしなくて済んで良かったなーなんてのんきに思っていた。
その異例の速さが実は人生の中でも超大事な出来事に遭遇するためだなんて、あの時は想像のしようもなかった。
しかも当時、女子校ノリの職場で毎日楽しく仕事に行っていたから、次の職場も人がいいといいなぁとか、事務仕事も私のやれる範疇の難しくないものだといいなぁとかそんなことを思いながら過ごしていた。
そうやってあれよあれよと5月の終わりに女子校ノリの仕事は終わって、6月も中旬に入る直前に新しい事務の仕事が始まった。
3年経った今、当時の仕事の内容はほとんど覚えていない。
大量のコピーを取って、コピーした書類をファイルに挟んで、あとは時々経費の請求書とかを入力して…、それくらいの記憶しか残っていない。
そうだ。
現場仕事で使う物たちの納品書のチェックがあって、それが合わなくなると担当者に聞くこともしていた。
私は何度も何度もその担当がNさんではなくその人だったら良かったのにー!と思った。
その人はいつも目と鼻の先くらいな距離にいても、納品書の担当でもなければ、私のする仕事に1ミリも関与しない人だった。
もっと言うと、同じ空間にはいても厳密に言うと所属する会社が違うから余計と絡みがなくて、ほんとただの同じ空間にいる全体の責任者と他社の方の派遣社員という絡みたくても絡めない状態だった。
今ならより一層わかる。
当時の仕事は、朝から晩まで本当に一言も喋らない仕事だった。
あんなにも喋らなくて良くて誰とも交わらなくて良い仕事は他になかった。
教育係の人に仕事を確認したり、納品書の確認をNさんにする以外は、基本何も喋らなくて、どうして自分がこの仕事をすることになったのか不思議でならなかった。
今と比べるとよくわかる。
例えば週明けには部長と新人の子の報告と相談をする場が設けられるから、そこで私はかなりシビアな話をしないといけない。
そういうことをするとなると、私の頭の中はそのことでかなりいっぱいになるし、神経もそちらにかなり使われることになる。
周りを見る余裕なんてないし、誰かの一挙手一投足をひたすら見つめるだの自分の心の動きに注目するだのなんてしてる場合じゃない。
だけど、当時はそれが許されていた。
許されていたと言うより、むしろそれをすることが今のあなたの一番の仕事です、と言わんばかりにそういう設定と時間とが与えられていた。
だから私が日々仕事をしているフリをしながら、内実はその人の観察と自分の心の観察をすることに大忙しだった。
よくよく考えたら、私はその人がいなくなった後も半年もその職場に勤めたにも関わらず、その後のことはほぼほぼ記憶にない。
当時のことを思い出す時は、いつもその人がいて、そしてそこに色んなことを感じている自分がいる、そういう風景ばかりだと気付いた。
ある日の夕刻だった。
夏の終わりの太陽は、日が沈むのも秋に向かって早くなっていった。
ちょうど当時仲良くさせてもらったSさんの隣りにいた時、夕焼けがものすごく綺麗だった。
もう狂喜乱舞するくらいの綺麗さで、私はぎゃあぎゃあ騒ぎながらその様子をiPhoneを持ってきて写真に収めた。
他の女性陣にも見なきゃ損ですよ!と触れ回っていた。
一通り写真を撮り終えて自分の席に戻ろうと、窓とは反対の方に体の向きを変えたその先にその人がいた。
コピー機の近くでHさんと立って談笑していたのか仕事の話をしていたのかは知らないけれども、とても素敵な笑顔で喋っていた。
その位置から夕陽が見えるかどうかはわからなかったけれども、とっさに私はその人にも見て欲しいと思った。
同じものを見て、超わがままな願いを言えば、その人にも同じように感動して同じ気持ちを分かち合いたいと思った。
夕陽だけでもとびっきりのプレゼントだったのに、振り返ったら少し離れた先にその人がいて、ニコニコした笑顔が夕陽の色に染まっていて、そこだけがまたキラキラとしていた。
私の脳内がキラキラしてるとかじゃなくて、その人というのは本当にキラキラしたオーラを自然に放つ人だった。
その人のまとっている空気がキラキラしていて、それは今もっても他の誰の時にも見たことのない、その人だけの特別な空気感になっていた。
吉本ばななさんの小説の中の登場人物には、やたらとオーラや空気感の描写が多いけれども、私はあれは小説だからそういう風に空気感が意図して描かれているのかとずっと思っていた。
ばななさんが書いているような空気感なんて見たことも感じたこともなかったから、私はあれをずっと空想の世界のものだと信じて疑わなかった。
「あの人いい人だよね」とかいうのとも全然違っていて、とにかく空気が澄んでいてキラキラしている、そういうものをその人は持っている。
本当にリアルばななワールドのようなものを私はその人に出逢って初めて見た。
だから、その夕焼けの日に見たのは、その人が元々持っているキラキラした空気感と夕陽のオレンジ色の光とが重なって、さらにキラキラしたものだった。
本当はもっともっとガン見していたかったけれども、それこそそんなことしてたら変な人になってしまうから、チラチラとだけ見て、後ろ髪引かれる思いで自分の席に戻った。
あの時に「同じものを共有できたらどんなに素敵だろう」と思った自分のことも思い出した。
夕陽見る趣味があるかは知らないけれども、何でもいいからそういうものを同じ場所に立って同じものを見たり聞いたり食べたり感じたりしたいなぁと何度も思った。
3年前はやっぱり別格だった。
一生色褪せない、変わらない、夏の日だった。
生きている限り夏は毎年やってくるし、新しい記憶がどんどん積み重ねられていくと思う。
そうであっても、3年前の夏だけは永久不滅に朽ちることなくずっとずっと私の中に残っていく、そういう時間なんだと思う。
これだけを読むとまるで恋とか片想いみたいだけれど、私の中ではそれとは違う。
いつかどこかの人生で近しい関係にあった人と今世でも出逢うとあんな感じなんだと思う。
相手側からは私がどのように映っていたのかは全くわからないけれども、私の方は少なくともものすごく特別だった。
毎日毎日その人に会えることが嬉しくて、当時の私は毎朝ルンルンしながら起きていた。
仕事の内容はすっぽり忘れても、当時の感覚は今でもはっきりと覚えている。
それは体と心だけじゃなく、魂も三位一体になって記憶したんだと思う。
今まで生きてきた中で、その人のことみたいに何かを記憶したものは他にない。
また今年も夏が来るけれども、まさか3年経ってもその当時のことが鮮明に自分の中に残るとは思ってもいなかった。
その人のいない夏、その人のいない世界に慣れないけれどそれでも生きてる自分を見て、哀しくもあり、でもそれが今の現実だよと自分に言い聞かせている。
そんなこと起こらないと知っていても、私の脳内空想ではこんな願い事をしている。
もしたったひとつだけ願いを叶えてあげようと言われたのなら…。
私は何の迷いもなく、「その人といさせてください」とお願いする。
3年経っても同じことを思う自分にゾッとしながらも、それでも同じことを変わらずに願っている。
2020年5月23日土曜日
⒄【おいせさん手帳】心コミュニケーション
おいせさん手帳第17回目
担当:ノム
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
5月21日
内なる子どもの興味のまま、行動してみませんか?
太陽が双子座へ
今日から双子座のシーズンの始まり。双子座は、好奇心旺盛なエネルギーです。
見るものすべてが新鮮な“子どもの目”を取り戻してみませんか?
いつもと違う道を冒険するような気持ちで選んでみる。
思っていることを、人目を気にせずに喋ってみる。
公園の芝生を裸足で歩く。自分の中にいる内なる子どもと遊ぶように過ごしてみましょう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私が話す時の基準の1つに
「これを言ったら相手はどう思うだろうか」
というのがある。
それは相手への気遣いではなくて、自分がどう思われるかとか、相手が私を非難したり否定したりしないかという心配からくる。
その辺りの慎重さや神経質な感じは、子どもの頃からの癖で筋金入りだから、表面上適当に取り繕えても心の中では実はすごい警戒していたり相手の様子や態度を観察している。
そんな私がノムと話す時はガラッと変わる。
まずは、「こんなこと言ったら…」とかいう心配をすることがほぼほぼない。
もし気になるような何かを言う時は、「もしかして気になってしまうかもだけど」とか「こんなこと言って不快にさせたらごめんね」とか、こうして言葉にして書こうとすると何という風に具体的に言っているのか思い出せないけれど、何かしら前置きをしてから言っている。
それはノムも同じで、ひと呼吸置く言葉を言ってから本題に移っている。
もちろんいきなりそんな風になったのとは違うけれども、お互いに気にして、気にしながらの言葉も互いに伝え合って、確認し合って、その積み重ねの中で「話して大丈夫」という絶対的と呼んでもいいくらいの安心感を手に入れた。
今でも相変わらず確認する時はするし、何か前置きの言葉があった方がいいと思う時は前置きの言葉を言う。
なんだけど、言いながら実のところ、心の深い部分では「大丈夫」と確信しながら話し始めてるような気がする。
ノムと話す時というのは、ほぼほぼ雑談がない。
ごくたまに「何を食べた?」とは聞いても、気付けば常に中身の濃い話をしているから、実のところノムの日常の細かいことはほぼほぼ知らない。
ノムが家にいることや何かを書くこと描くこと、ぽつんと一軒家が好きなテレビ番組の1つなこと、ごはんはミッチーが作ってくれること、2人のお風呂の順番、マニアックなことはあれこれ知っているけれども、多分だけど、世の中でよくされるタイプの雑談はしない。
ほとんど全ての会話は、「自分の中にあるもの」を中心に繰り広げられる。
それは日常の中にある出来事の場合もあるけれど、それだって導入にしか過ぎず、そこからどんどん自分の深いところに潜るような話を延々と2人でする。
私は仕事の悩みや困ったことをあれこれノムに話すけれども、それも多くの場合ノムの知恵が欲しくてとか、そこから感じる自分の内面を放ちたくて、それで話している。
単なる愚痴とはだいぶ様相が違う(ノムはどう見ているかは知らないけれども)。
2人でする話は、どこからどこまでも自由で枠がない。
枠があるとするなら、「自由に話すこと」になるかと思う。
2人の中の暗黙の了解がある。
「否定しないこと、傷つけないように気をつけること」
別にそれは相手がノムだからとか、相手がぶっしーだからとかいうことじゃない。
相手が誰であろうとそれだけは自分でも気をつけるように普段から心がけているし、ノムもそれを日常的に実践していることは話を聞いていたら伝わってくる。
だからこそ安心して話せる。
否定されないって知っていたのなら、本当にどこまでも安心して自分の思ったことや感じたことを話せる。
これをアップする何日か前にノムからメールが来た。
「ぶっしーにも送りたい! ってまた衝動。」と言いながら、ノムが昔書いたという小説が送られてきた。
ノムいわく10000文字近くあるとのこと。
それを躊躇せず送ってもらえたのもとっても嬉しかったし、そして私は私で「ノム昨日は小説をありがとう❣️あれはね、夜中目覚めた時とか週末の夜明け前とかに読もうと計画中!読んだ後にもう一眠りできる状況下で読みたいなぁと。」と返した。
ノムはそれに「ぶっしー、メッセージありがとう! 光栄だなんて、こちらこそ光栄だよー! その、読みたいシチュエーションも完璧!笑 なんというか、もう、小説世界にチューニングしてくれているって感じてほんとにうれしいし、すごい感性だなあって思う😍」と返してくれた。
こういうノリ、いいなぁと心から感じる。
自分の創作したものを人に届ける、ってすごい勇気がいる。
人生の中でもハードル高めのことの1つと言える。
私は普通に読むシーンを想像してそのように書いたけれども、それだっていつもなら言う言わないをものすごく迷う。
ノムならそれに乗ってくれるというのがわかるから、だからそんな風に返信することができる。
躊躇せず不安にもならず、思ったまま思ったことを言えるのって、大人になればなるほどその価値の重みを感じるし、そういう人に1人でも生きている中で出会えたのならウルトラスーパーラッキーになる。
私は予告通りノムの小説を週末の朝、外は明るいとわかるぐらいだから5時前頃に一度目覚めた時に読み始めた。
双子座の新月を過ぎて3時間くらいの、土曜日の朝早くに、まだぼーっとした頭でピンクの文字を目で追った。
ぼーっとしたままだけど、どんどん物語の中に吸い込まれていく。
しかも、何も見ずの状態で、変な時間に目覚めてその後二度寝ができる環境下で読みたい!と思った私の野生の勘は大当たりで、まだ起き上がっていない時間に読んでその後にもう一眠りするにはこれ以上ないしっくりくる話だった。
細胞にやさしく語りかけるみたいな感じで、ノムに聞いてこのブログで紹介するなりリンク貼るなりしたいなぁと思う。
まだはじまりのところしか読んでいないけれども、その中に「死ぬ間際に思い出す会話」みたいな言葉が出てくる。
ノムとの会話のどれかは間違いなく「死ぬ間際に思い出す会話」の1つに出てくる気がする。
本当は、おいせさん手帳の当日にアップしたかったけれども、その日もその翌日も寝落ちして書けなかった。
だけど今回はどうしてもアップしたいことで、その中の「思っていることを、人目を気にせずに喋ってみる。」の部分に焦点を当てて書ききりたかった。
本当はもっともっと言いたいこともあったけれども、あれこれ講釈を垂れるよりも、ただただ思いついたまま書いたこのスタイルの方がしっくりくる。
今朝(5/23)の新聞のコラムに、私とそんなに年の変わらない映画監督が、コロナによって信じていたものが色々覆されて何も信じられない時代になってきたみたいなことを書いていた。
何も信じられない、何もかもが嘘の上に成り立っていて今はそれが暴かれている、そういう流れだというような内容だったかと思う。
私はそれを流し読みしながら、猛烈に「違う」と思った。
私は逆だった。
たしかに色んなことが明るみに出てはいるけれども、その中でも絶対的にあるものがある。
嘘や虚構の上に成り立っていた多くのものももちろんあるけれど、それでも確実に残るもの、それでもいつでも真実を貫き通すものがある。
「思っていることを、人目を気にせずに喋ってみる。」
これができるというのは、どれだけの大きな可能性で希望だろうと思う。
そこにプラスして、それをシェアできる誰かが現れることを私は本気で信じていたし、今も信じている。
実際にノムという人が現れて、お互い好き放題に喋ってシェアしている。
まさに奇跡のような瞬間に巡り合って、そして可能性や希望は現実のものとして今目の前にある。
ありのままをシェアできる誰かがいるんじゃないか…という希望を捨てたくなかった自分に、「願えば叶う」こと、「信じたもの勝ち」な世界をノムは見せてくれた人だった。
絶望感たっぷりの自分の人生に私は光をどうしても見出したかった。
絶望するために生まれてきたわけでも生きているわけでもない。
どこかに明るいものや心安らぐものがあるはず、そしてそれを共有できる誰かもこの世に必ずいるはず、それを信じ続けた自分に降って湧いたプレゼントだった。
ノムの書く文章にこれまでもたくさん触れてきたけれども、今回のおいせさん手帳の言葉には別格の想いがある。
もしかして、おいせさん手帳が存在しなければ、今回のノムの言葉もこの世にこんな風には生み出されないままだったかもしれないし、そしてそこからこんな風に私が色々と感じることもなかったかもしれない。
すべては贈り物だなと思う。
(今から約10年前に書いたとのこと)
2020年5月20日水曜日
呼ばれること
先日のこと。
イケメンエンジニアの硬派さんが私の席にやってきて、「武士俣さん、システムのパスワード知ってますか?」と聞いてきた。
私は知らなくてやりとりはすぐに終わったけれども、その後私の斜め向かいの人にも同じ質問を硬派さんがした時に「すみません、システムのパスワード知ってますか?」と聞いてるのをたまたま見て、ふと思った。
「武士俣さん」と呼ばれるのはいつも通りなんだけど、そして私の場合は呼ばないと私が気付きにくいかもしれないこともあったと思うけれども、それでもなんとなく親しみを持って呼んでもらえてるように感じた。
ただただ呼んでるだけじゃない空気を感じた。
仕事のために残業しているのに、頭の中は一気に過去へとタイムトリップを始めた。
一度だけ「武士俣さん」と呼ばれた。
たった一度きりだったけれども、その日色んな偶然が重なって、その人の要るファイルをしまうBOXがしまわれて、その人からしてみたら朝はあったのに返そうと思った時にはないわけだから、きつねにつままれた気分だっただろう。
で、それを管理するのは私だったから、それで「武士俣さん、◯◯◯の箱知りませんか?」と聞いてきた。
本当に変な話で、私が倉庫的な場所にしまうしまわないは当時決められなくて、その指示が出ればしまうけれどそうでなければ基本そのままで、しかもしまうのは当時その日が初めてかせいぜい2回目くらいで、さらにはそのファイルが当日稼働していたにも関わらず、私の教育係の事務さんはそんなこと忘れたのかたまたま見落としたのか、とにかくそういううっかりミスは基本ない人がそんな誤って違う指示を出すという、色々ありえないことが重なった。
そして重なった先に、そんなやりとりを知らないその人は私に箱のありかを聞いてきた。
人生でたった一度の「武士俣さん」呼びだった。
私は名前を呼ばれたことももちろん嬉しかったけれども、それよりもどこにも名前なんか書いてなければ社内メールもない、名札もない、仕事の絡みもない、何一つ私を示すものが置かれてない又は知る手段がない社内の中で私の名前を知ってもらえてることにものすごく驚いた。
私の苗字を知っているんだと驚いた。
下の名前は後日知ることにはなっただろうけれども、当時の私はおはようございますとお疲れ様でしたくらいしか言葉を発さない日々だったから、そして私の名前を呼ぶのは主に隣りの席の教育係の事務さんだけだったから、大きな声で呼ばれることもなく、とにかくその人が私の名を知ってることに心底驚いた。
親しみを込めて呼ぶとかいう感じではなかったし、苗字の1つを呼ぶくらい何てことないことだっただろうけれど、私にはそれが最初で最後になるなんて思ってもいなかったし、そしてそれが特別なこととしてずっと自分の中に残ることも想定外だった。
もう二度とその機会は訪れないし、硬派さんが呼んでくれたみたいに親しみを感じるなんてもっとありえない非現実的なもので未来永劫訪れないものだけれど、それでもたった一度私という人間を特定する名前の一部を呼ばれたことはとても大きかった。
今回このシーンを何回も思い出したけれども、多分間違えてはないとは思うけれども、どうやら記憶の一部が薄れている。
私の席にその人が来たのではなく、途中の通路と言っても数メートルくらいの事務所内の小さな小径(こみち)で呼び止められたと記憶しているけれども、本当にそうだったかな…?なんて記憶が曖昧になってることに気付いた。
それが私にはいつまでもショックみたいな感覚で自分の中にある。
いつかはこんな風にもっともっと忘れ去ってしまうものなんだろうと思ったらすごく寂しい感じが自分の中に広がった。
うかつだった。
他のシーンばかりを思い浮かべていたら、そのシーンをど忘れとは言わないけれども、そんな大切なシーンを記憶の薄いものにいつの間にかなっていた。
声もいつかもう思い出せなくなる日が来るんだろうと思う。
姿かたち、顔、表情も忘れてしまうだろう日が来ると思う。
深い記憶や魂は記憶しても、私のポンコツな頭だけでは記憶はいつか色んなものと塗り替えられたり上書きされたりして、そうした小さな、だけどめちゃくちゃ大事なエピソードがなくなっていくのかもしれない。
それはとてつもなく哀しいこととして私は感じている。
ある種の喪失感に近い。
会えないってそういうことなんだと改めて体感覚的に否が応でも理解する。
そんなこと物わかりよくなりたいのとは違うけれども、別々の人生にいるというのはそういうことなんだと改めて痛感する。
そもそもその人が私の人生に現れてくれたことの方が特異だったわけで、別々の人生こそが当たり前のことだというのは変えようのない事実で、それは頭ではよーくわかっているつもりではいる。
なんだけど、そんな風に自分は「はい、わかりました」とはなってくれなくて、いつになったらそんなことは1ミリも気にならず、なんならそんなことは忘れて生きていけるようになるのかと思う。
気にしなきゃいい。
そう思ってはみても、自分を構成している深い意識の方は鮮明にそして強力に違うことを覚えている。
もっともっと呼ばれたかったし、私の武士俣姓にはその人からするとツボのようなポイントがあったみたいでそれも何なのか聞きたかったし、どうやって私の名前を知ったのかも知りたかった。
「史子って知ってた?」なんて聞ける間柄も関係も全くなかったけれども、それだって聞いてみたかった。
自分の名前をあれこれ考えたり想いを巡らせたりはしないけれども、その人を中心に据えて捉えた時には、自分の名前や自分の命の時間がとてつもなく存在感を現してくる。
見せつけられる。
これから何千回、何万回と色んな人たちから「武士俣さん」と呼ばれると思うけれども、その人から武士俣さんと呼ばれることはどんなに長生きしてももう二度とない。
イケメンエンジニアの硬派さんが私の席にやってきて、「武士俣さん、システムのパスワード知ってますか?」と聞いてきた。
私は知らなくてやりとりはすぐに終わったけれども、その後私の斜め向かいの人にも同じ質問を硬派さんがした時に「すみません、システムのパスワード知ってますか?」と聞いてるのをたまたま見て、ふと思った。
「武士俣さん」と呼ばれるのはいつも通りなんだけど、そして私の場合は呼ばないと私が気付きにくいかもしれないこともあったと思うけれども、それでもなんとなく親しみを持って呼んでもらえてるように感じた。
ただただ呼んでるだけじゃない空気を感じた。
仕事のために残業しているのに、頭の中は一気に過去へとタイムトリップを始めた。
一度だけ「武士俣さん」と呼ばれた。
たった一度きりだったけれども、その日色んな偶然が重なって、その人の要るファイルをしまうBOXがしまわれて、その人からしてみたら朝はあったのに返そうと思った時にはないわけだから、きつねにつままれた気分だっただろう。
で、それを管理するのは私だったから、それで「武士俣さん、◯◯◯の箱知りませんか?」と聞いてきた。
本当に変な話で、私が倉庫的な場所にしまうしまわないは当時決められなくて、その指示が出ればしまうけれどそうでなければ基本そのままで、しかもしまうのは当時その日が初めてかせいぜい2回目くらいで、さらにはそのファイルが当日稼働していたにも関わらず、私の教育係の事務さんはそんなこと忘れたのかたまたま見落としたのか、とにかくそういううっかりミスは基本ない人がそんな誤って違う指示を出すという、色々ありえないことが重なった。
そして重なった先に、そんなやりとりを知らないその人は私に箱のありかを聞いてきた。
人生でたった一度の「武士俣さん」呼びだった。
私は名前を呼ばれたことももちろん嬉しかったけれども、それよりもどこにも名前なんか書いてなければ社内メールもない、名札もない、仕事の絡みもない、何一つ私を示すものが置かれてない又は知る手段がない社内の中で私の名前を知ってもらえてることにものすごく驚いた。
私の苗字を知っているんだと驚いた。
下の名前は後日知ることにはなっただろうけれども、当時の私はおはようございますとお疲れ様でしたくらいしか言葉を発さない日々だったから、そして私の名前を呼ぶのは主に隣りの席の教育係の事務さんだけだったから、大きな声で呼ばれることもなく、とにかくその人が私の名を知ってることに心底驚いた。
親しみを込めて呼ぶとかいう感じではなかったし、苗字の1つを呼ぶくらい何てことないことだっただろうけれど、私にはそれが最初で最後になるなんて思ってもいなかったし、そしてそれが特別なこととしてずっと自分の中に残ることも想定外だった。
もう二度とその機会は訪れないし、硬派さんが呼んでくれたみたいに親しみを感じるなんてもっとありえない非現実的なもので未来永劫訪れないものだけれど、それでもたった一度私という人間を特定する名前の一部を呼ばれたことはとても大きかった。
今回このシーンを何回も思い出したけれども、多分間違えてはないとは思うけれども、どうやら記憶の一部が薄れている。
私の席にその人が来たのではなく、途中の通路と言っても数メートルくらいの事務所内の小さな小径(こみち)で呼び止められたと記憶しているけれども、本当にそうだったかな…?なんて記憶が曖昧になってることに気付いた。
それが私にはいつまでもショックみたいな感覚で自分の中にある。
いつかはこんな風にもっともっと忘れ去ってしまうものなんだろうと思ったらすごく寂しい感じが自分の中に広がった。
うかつだった。
他のシーンばかりを思い浮かべていたら、そのシーンをど忘れとは言わないけれども、そんな大切なシーンを記憶の薄いものにいつの間にかなっていた。
声もいつかもう思い出せなくなる日が来るんだろうと思う。
姿かたち、顔、表情も忘れてしまうだろう日が来ると思う。
深い記憶や魂は記憶しても、私のポンコツな頭だけでは記憶はいつか色んなものと塗り替えられたり上書きされたりして、そうした小さな、だけどめちゃくちゃ大事なエピソードがなくなっていくのかもしれない。
それはとてつもなく哀しいこととして私は感じている。
ある種の喪失感に近い。
会えないってそういうことなんだと改めて体感覚的に否が応でも理解する。
そんなこと物わかりよくなりたいのとは違うけれども、別々の人生にいるというのはそういうことなんだと改めて痛感する。
そもそもその人が私の人生に現れてくれたことの方が特異だったわけで、別々の人生こそが当たり前のことだというのは変えようのない事実で、それは頭ではよーくわかっているつもりではいる。
なんだけど、そんな風に自分は「はい、わかりました」とはなってくれなくて、いつになったらそんなことは1ミリも気にならず、なんならそんなことは忘れて生きていけるようになるのかと思う。
気にしなきゃいい。
そう思ってはみても、自分を構成している深い意識の方は鮮明にそして強力に違うことを覚えている。
もっともっと呼ばれたかったし、私の武士俣姓にはその人からするとツボのようなポイントがあったみたいでそれも何なのか聞きたかったし、どうやって私の名前を知ったのかも知りたかった。
「史子って知ってた?」なんて聞ける間柄も関係も全くなかったけれども、それだって聞いてみたかった。
自分の名前をあれこれ考えたり想いを巡らせたりはしないけれども、その人を中心に据えて捉えた時には、自分の名前や自分の命の時間がとてつもなく存在感を現してくる。
見せつけられる。
これから何千回、何万回と色んな人たちから「武士俣さん」と呼ばれると思うけれども、その人から武士俣さんと呼ばれることはどんなに長生きしてももう二度とない。
2020年5月19日火曜日
サバイバルイングリッシュ
自分の能力を正当に認めてもらえない、もしくは過小評価されることはどうやら腹立たしいらしい。
なんだかモヤモヤしている。
「らしい」と書いたのは、自分でも自分が怒っているのか、悲しんでいるのか、納得していないのか、よくわからないから。
だけど、ずっと引っかかっているのは本当。
気になったことは2つ。
今日英訳依頼がやってきた。
ひとつ目に気になったのは、頼まれた時の言われ方だった。
「いくつか候補を書いてくれたらまたこちらで選ぶのでそうしてください」
これはごくたまにする方法。
どれが正しいのか、そもそも合っているのかもわからない時は、選択肢をいくつか書いて渡す。
そしてあとは技術担当者たちで選んでください!のスタイルにする。
但し、それは私から提案することはあっても、相手から提案されることはない。
そもそもそこに違和感だった。
その彼の中での私の英語力はかなり低いことになっているらしい。
言葉の節々から感じられる。
2つ目は、私の呼ばれ方だった。
データは某フォルダに武士俣さん宛てに入っているから、それを使ってくださいと言われて、彼が去った後某フォルダを開いた。
驚いた。
「技術部佐藤→派遣武士俣さんへ」
未だかつてその某フォルダにおいて「派遣武士俣さんへ」と書かれたことは一度もなかった。
何百人いると言えども「武士俣」なんて私しかいないだろうから、普通に「英訳事務部武士俣さんへ」で良くない?と思った。
他の人たちは「武士俣さんへ」か「英訳事務部武士俣さんへ」と書いてくる。
どうしたらそんな風に書けるのか不思議でたまらない。
今英訳担当者として私含めて3人在籍している。
だけど1人は能力はバッチリでも時短勤務でどうしても勤務上の縛りがあるし、もう1人は勤務上問題なくても実践としてやれる状態に全くない。
だから実質、残業もできて英訳もできるのが私しかいない。
これがもし2人のどちらかにお願いするなら、「正社員鈴木さんへ」「正社員高橋さんへ」などとするんだろうか?
もちろんそんなわけはないわけで、どうして私だと「派遣武士俣さんへ」なのだろうか。
色々モヤモヤした出来事だった。
うって変わって、その頼まれた英訳を今東京から疎開中のMr.ダンディに質問に行こうと思って、今からそちらのオフィスを訪ねても良いかをまずは電話して聞いた。
Mr.ダンディは二つ返事で承諾してくれて、手土産の小さなお菓子を持って伺った。
Mr.ダンディには本当に可愛がってもらっている。
Mr.ダンディの相棒、Mr.紳士にもご挨拶して、そして色々と英訳した土台を持ってどうしたら良いかを確認した。
2人とも本当に仕事一徹のキチッとしたバリバリのエンジニアでありながら、冗談を言ったり可笑しな会社についてのブラックジョークを言ったりする面白い人たちで、みんなから細かいから煙たがられているけれども、私は2人ともとても好きなタイプの人たちだったりする。
仕事に妥協がないところが本当に良い。
私は何せワケワカメでいつも行くから、カタカナ用語なんかは全てそのまま直訳する。
今回もカタカナ用語を直訳したものがあって、あくまでも私としては初めて見た単語だからそれでいいのかどうかを聞きたいだけだった。
ちなみに今回の英訳資料は、Mr.ダンディとMr.紳士のツートップが裏側の黒幕的最終印を押す人たちになっている。
本当は2人に直で聞くのはよろしくないようだけれど、社内のごちゃごちゃした決まりのところを通過して色々おかしくなってさらに2人からまた容赦なく添削されて私も二度三度と英訳するくらいなら、さっさと2人のところに持って行って確認した方が断然速い。
そこの了承さえ取れていれば、印籠のごとくものすごい速さで大御所承認が終わる。
それがわかっていたのと、今回のはそもそも一刻も早く仕上げないといけないものなのに英訳のせいで遅れるのは嫌だから、それもあってさっさとダブルMr.のいる部屋に持って行って見てもらった。
その中の1つのカタカナ用語を見て、Mr.ダンディが即座に反応した。
「これってどんな意味だ?」
英訳は直訳したからこれ以上ないくらいストレートな感じに仕上がっていたけれども、そうではなくそもそもの日本語が変なようだった。
たしかに私も初めて見たカタカナ用語だったけれども、そんなのは日常茶飯事にあるから私は気にもならなかった。
Mr.ダンディがMr.紳士に「紳士さん、これ何だと思う?」と尋ねた。
Mr.紳士も聞いたことないと答えた。
この道40年以上の2人が見たことも聞いたこともない造語だったようで、私も何か聞いているかを聞かれたけれども、それは知らないと答えた。
Mr.ダンディは内線一覧表を開いて、トップから順に電話した。
4人かけても誰も出ず(本当に忙しかったのかどうかは不明…と思いながら見ていた)、ようやく一番ペーペーの今回私に英訳依頼をした佐藤さんに繋がった。
佐藤さんは中身も確認せず英訳を頼むことに注意を受けていたけれども(そりゃそうだ)、中身を確認してMr.ダンディに折り返すように言われていた。
私が部屋を出ようというタイミングで折り返しがかかってきて、事の次第が判明した。
私も聞いたけれども、どこをどう聞いてもそのような意味にはならない日本語が充てがわれていることがわかった。
2人もこれじゃおかしいと言って、2人で名前を相談して変更した。
2人にお礼を言ってあとにして、今度は佐藤さんのところに行った。
事の顛末を話して、日本語も変更する旨を伝えたら、「向こうの了承得てるんですよね?向こうがそうだというものに合わせて直してください」と言われた。
2人の言葉の引力と言ったらない。
今回も大御所承認に出す際、また一言「Mr.ダンディとMr.紳士に確認しました 武士俣」と書いた紙を足そうかと思う(よくはわからないけれども、これをすると誰からも突っ込まれないようでさっさと綺麗に回る)。
2人の仕事ぶりは私は元々英訳関連でやりとりすることもあって、黙っていても目に入る。
絶対にいい加減な仕事はしないし、きちんと確認して最終判断をしているのも毎回部屋に行く度に見ているからわかる。
男の人たちは細かいのを嫌がるけれども、そうじゃなくてそもそもの考え方が違う。
2人が本当に厳しいのは、お客さんとやりとりを直接するからこそ、契約1つ取ることの又はクレーム1つ対応することの大変さを知ってるからだと思う。
先週もMr.ダンディを頼った時に、教えられた。
私の英訳について云々ではなくて、手順書を見てこんな風に言った。
「今回は手順書だけがお客さんの元に行く。それも代理店を通すから末端の人たちがどんな人たちでどんな(技術的)レベルかがわからない。
もし手順書を適当に作ってしまったり訳を間違えたのなら、それが二次障害を引き起こす可能性がある。
例えば、間違えて機械を動かしたり、本来取り付ける場所ではないところに部品を取り付けて結果機械が故障したり。そういうのを防ぐためにも、きちんと手順書を作るのが大事なんだ」
超基本中の基本を当たり前のように言っていた。
だから私は絶対の信頼を持ってMr.ダンディを頼りに行く。
単なる英訳じゃなくて、きちんと末端の人たちや会社として余計なクレームや責任問題を負わなくて済むようにきちんとすることを徹底している。
佐藤さんとのやりとりはモヤモヤしたけれども、Mr.ダンディとのやりとりでそうしたモヤモヤはない。
Mr.ダンディは私が派遣と知っているけれども、それで変に区別することもなければ、社員同様に同じように手厚くサポートしてくれる。
肩書や立場ではなく、人として会社として一緒にがんばろー!という気持ちに溢れているし、それがいつも伝わってくる。
だから私はMr.ダンディを嫌だと全く思わないし、むしろ本当に頼らせてもらえることがものすごくありがたくラッキーなことだと思うから、色々孤立無縁で始まった英訳もおかげさまで何とかなっている。
先週Mr.ダンディの話にも出た手順書の担当者から今朝メールが入っていた。
担当者の物腰柔らかさんは、ヨーロッパ駐在もしたエンジニアの人だった。
本当は物腰柔らかさんが担当ではないんだけれど、本来の担当者作文苦手くんが連チャンで休みだったから、代行で物腰柔らかさんを頼ることになった。
作文苦手くんは部長からあまりの日本語力の低さに注意を受けて書き直しになって、その書き直しになったものを英訳に回されてきたけれども、やっぱりそれもものすごくハテナだらけの文章だった。
正しくは名詞のオンパレードで、「で、だから何?」というのが常だった。
例えば「◯◯な状態」というのがいくつもあった。
えっΣ(꒪◊꒪ )))) ?
状態を作るの?
それとも勝手にそういう状態になるの?
それとも写真が「◯◯な状態」って意味なの?
当たり前だけど、上のどれだったとしても、確実に動詞が変わってくる。
さらには「垂直」と「上下」と区別された専門用語が出てきた。
Σ(꒪◊꒪ )))) ?
垂直はよく出てくるからすぐにわかった。
上下は初めて見た。
だから物腰柔らかさんのところに行った時、最初の質問は「この上下って垂直と何が違いますか?アップダウンって訳していいですか?」だった。
物腰柔らかさんはわかりやすいぐらいに苦笑いして、ちょっと待ってください、と言ってすぐ隣りの上司に確認を取ってくれた。
ちなみに上下の正体は「角度」だった( ̄∀ ̄;)。
そんなこんなをいくつも質問して、なんならその後も3回か4回世話になった。
物腰柔らかさんは、私の持って行った資料の中の私の英訳のたたき台を見てくれたことがあった。
ヨーロッパ駐在だったから、英語もさぞかし堪能なんだろうと思った。
本気で読み込んで「この内容で大丈夫です」と言ってくれたから、本当に知ってる人なんだなとわかった。
で、物腰柔らかさんから、英訳の対応ありがとうございました、英語も確認して大丈夫だったのでそのまま海外部門へ引き継ぎましたとメールが来たものに対して、私もお礼のメールを書いた。
物腰柔らかさんによれば、今回の英訳はイタリアに渡るようだった。
本当にいつも英訳するのが怖くて、毎回全文Google翻訳をかけていて、だから技術も英語もわかる人から見てもらえることの心強さと感謝の意を伝えた。
それに対して物腰柔らかさんはこんな風に返してくれた。
「自分のはサバイバルイングリッシュで、それでお役に立てたのなら嬉しいです」
そんな風に書かれてきた。
本当にこれは嬉しかった。
多分物腰柔らかさんは、私の英語を見て私のレベルもわかったと思う。
物腰柔らかさんが駐在した国は英語圏じゃない。
英語圏じゃないところで英語で仕事をしないといけなかったんだと思う。
本当に言語で苦労しただろうことはなんとなく想像がついたし、言葉が伝わらない悔しさや虚しさも多分知っている人だと思う。
しかも専門は技術なわけで、英語じゃない。
入社にあたり英語力も必須だったとは思うけれども、バリバリ英語ができます!という感じとは違ったんじゃないかと思う。
本当に苦労しながら言葉でのやりとりをやった人なんじゃないかと感じた。
「サバイバルイングリッシュ」
その一言に全てが表れてる気がした。
そして、私にしてくれた対応も本当に丁寧だった。
私が訳せるように訳しやすい言葉を追加で教えてくれたし、なんなら混乱の元となる余計な日本語はカットして英訳したらいいことも教えてくれた。
もちろん質問しているわけだけど、質問したからと言ってそのように教えてくれた人はこれまで皆無だった。
物腰柔らかさんが初めてだった。
日本語を見てそれを英訳するとするなら…という視点で見てくれたのは。
トムさんやMr.ダンディとのやりとりとは違っていて、2人からは最初から英訳1本で見てもらっているけれども、それは特例中の特例で、いつもは基本私1人で相手の技術者の日本語を噛み砕いて訳さないといけない。
だから、物腰柔らかさんのような対応は初めてだった。
「サバイバルイングリッシュ」と言うだけあって、わからないことを何とかする大変さを体で知っている。
その大変さを知っているからこそ、今回の日本語を英語にする難しさもわかるだろうし、ましてや私みたいに技術を知らない人間が英語だけで何とか形にする難しさもわかってくれた気がした。
私のしていることに敬意を持ってくれてるのは何となくの雰囲気で伝わる。
派遣だからだとか、技術知らない=英語もダメなんていう風に見てはいない。
本当に人として対等に扱ってもらえたように感じる。
さらに、「海外駐在したんだな」と感じる雰囲気が漂っていた。
駐在というよりも、海外に住んで、おそらく人種差別も受けただろうし、自分の言語力に悔しい思いもしただろうからこそ、相手と向き合う時まずは「人として対等に接する」ことが体に染みついている。
それを感じる。
冒頭に書いたことは本当にモヤモヤした。
私は私でやってきたことがあるから、それをきちんと見ないで表面的なことだけで判断されることも悔しかったり、どこかで怒ってもいる感じはする。
正当な評価ではないことに腹が立ったのだと思う。
だからこそ、Mr.ダンディや物腰柔らかさんとのやりとりに私は癒された。
2人から英語の指摘を受けても私は全く嫌じゃない。
なぜなら、2人はあくまでも「技術的な内容と違う」点を教えてくれるから。
英語の注意とは違う。
はたまた私をうんと下に見て対応しているのとも違う。
どこまでも対等に扱ってもらえてるのが、何も言わなくとも伝わってくる。
佐藤さんは知らないからそういう振る舞いだとしても、人としてめちゃくちゃ感じが悪い。
特に私なんかはどこに行っても「人がすべて」みたいな考え方をするし、仕事で大事なのは直接の能力ももちろんだけれど、それよりも人間関係の方だと思っているから、余計とそれを感じる。
なぜなら派遣である前に、はたまた役職者である前に、どの人もまずは人だし1人の人間だから、人としての部分をやらかすとその後も色々やりにくい。
自分がその部分を大事にしているのもあって、それを踏みにじられるようなことも嫌だったんだと思う。
私は佐藤さんの良さも知っているからこそ、残念に感じる。
何はともあれ、これからも人としての部分を大事にしながら仕事をしたいなぁと改めて思った。
そして心がやさぐれそうになったら、物腰柔らかさんのような、Mr.ダンディのような人たちを思い浮かべて何とか乗り切ろうと思う。
なんだかモヤモヤしている。
「らしい」と書いたのは、自分でも自分が怒っているのか、悲しんでいるのか、納得していないのか、よくわからないから。
だけど、ずっと引っかかっているのは本当。
気になったことは2つ。
今日英訳依頼がやってきた。
ひとつ目に気になったのは、頼まれた時の言われ方だった。
「いくつか候補を書いてくれたらまたこちらで選ぶのでそうしてください」
これはごくたまにする方法。
どれが正しいのか、そもそも合っているのかもわからない時は、選択肢をいくつか書いて渡す。
そしてあとは技術担当者たちで選んでください!のスタイルにする。
但し、それは私から提案することはあっても、相手から提案されることはない。
そもそもそこに違和感だった。
その彼の中での私の英語力はかなり低いことになっているらしい。
言葉の節々から感じられる。
2つ目は、私の呼ばれ方だった。
データは某フォルダに武士俣さん宛てに入っているから、それを使ってくださいと言われて、彼が去った後某フォルダを開いた。
驚いた。
「技術部佐藤→派遣武士俣さんへ」
未だかつてその某フォルダにおいて「派遣武士俣さんへ」と書かれたことは一度もなかった。
何百人いると言えども「武士俣」なんて私しかいないだろうから、普通に「英訳事務部武士俣さんへ」で良くない?と思った。
他の人たちは「武士俣さんへ」か「英訳事務部武士俣さんへ」と書いてくる。
どうしたらそんな風に書けるのか不思議でたまらない。
今英訳担当者として私含めて3人在籍している。
だけど1人は能力はバッチリでも時短勤務でどうしても勤務上の縛りがあるし、もう1人は勤務上問題なくても実践としてやれる状態に全くない。
だから実質、残業もできて英訳もできるのが私しかいない。
これがもし2人のどちらかにお願いするなら、「正社員鈴木さんへ」「正社員高橋さんへ」などとするんだろうか?
もちろんそんなわけはないわけで、どうして私だと「派遣武士俣さんへ」なのだろうか。
色々モヤモヤした出来事だった。
うって変わって、その頼まれた英訳を今東京から疎開中のMr.ダンディに質問に行こうと思って、今からそちらのオフィスを訪ねても良いかをまずは電話して聞いた。
Mr.ダンディは二つ返事で承諾してくれて、手土産の小さなお菓子を持って伺った。
Mr.ダンディには本当に可愛がってもらっている。
Mr.ダンディの相棒、Mr.紳士にもご挨拶して、そして色々と英訳した土台を持ってどうしたら良いかを確認した。
2人とも本当に仕事一徹のキチッとしたバリバリのエンジニアでありながら、冗談を言ったり可笑しな会社についてのブラックジョークを言ったりする面白い人たちで、みんなから細かいから煙たがられているけれども、私は2人ともとても好きなタイプの人たちだったりする。
仕事に妥協がないところが本当に良い。
私は何せワケワカメでいつも行くから、カタカナ用語なんかは全てそのまま直訳する。
今回もカタカナ用語を直訳したものがあって、あくまでも私としては初めて見た単語だからそれでいいのかどうかを聞きたいだけだった。
ちなみに今回の英訳資料は、Mr.ダンディとMr.紳士のツートップが裏側の黒幕的最終印を押す人たちになっている。
本当は2人に直で聞くのはよろしくないようだけれど、社内のごちゃごちゃした決まりのところを通過して色々おかしくなってさらに2人からまた容赦なく添削されて私も二度三度と英訳するくらいなら、さっさと2人のところに持って行って確認した方が断然速い。
そこの了承さえ取れていれば、印籠のごとくものすごい速さで大御所承認が終わる。
それがわかっていたのと、今回のはそもそも一刻も早く仕上げないといけないものなのに英訳のせいで遅れるのは嫌だから、それもあってさっさとダブルMr.のいる部屋に持って行って見てもらった。
その中の1つのカタカナ用語を見て、Mr.ダンディが即座に反応した。
「これってどんな意味だ?」
英訳は直訳したからこれ以上ないくらいストレートな感じに仕上がっていたけれども、そうではなくそもそもの日本語が変なようだった。
たしかに私も初めて見たカタカナ用語だったけれども、そんなのは日常茶飯事にあるから私は気にもならなかった。
Mr.ダンディがMr.紳士に「紳士さん、これ何だと思う?」と尋ねた。
Mr.紳士も聞いたことないと答えた。
この道40年以上の2人が見たことも聞いたこともない造語だったようで、私も何か聞いているかを聞かれたけれども、それは知らないと答えた。
Mr.ダンディは内線一覧表を開いて、トップから順に電話した。
4人かけても誰も出ず(本当に忙しかったのかどうかは不明…と思いながら見ていた)、ようやく一番ペーペーの今回私に英訳依頼をした佐藤さんに繋がった。
佐藤さんは中身も確認せず英訳を頼むことに注意を受けていたけれども(そりゃそうだ)、中身を確認してMr.ダンディに折り返すように言われていた。
私が部屋を出ようというタイミングで折り返しがかかってきて、事の次第が判明した。
私も聞いたけれども、どこをどう聞いてもそのような意味にはならない日本語が充てがわれていることがわかった。
2人もこれじゃおかしいと言って、2人で名前を相談して変更した。
2人にお礼を言ってあとにして、今度は佐藤さんのところに行った。
事の顛末を話して、日本語も変更する旨を伝えたら、「向こうの了承得てるんですよね?向こうがそうだというものに合わせて直してください」と言われた。
2人の言葉の引力と言ったらない。
今回も大御所承認に出す際、また一言「Mr.ダンディとMr.紳士に確認しました 武士俣」と書いた紙を足そうかと思う(よくはわからないけれども、これをすると誰からも突っ込まれないようでさっさと綺麗に回る)。
2人の仕事ぶりは私は元々英訳関連でやりとりすることもあって、黙っていても目に入る。
絶対にいい加減な仕事はしないし、きちんと確認して最終判断をしているのも毎回部屋に行く度に見ているからわかる。
男の人たちは細かいのを嫌がるけれども、そうじゃなくてそもそもの考え方が違う。
2人が本当に厳しいのは、お客さんとやりとりを直接するからこそ、契約1つ取ることの又はクレーム1つ対応することの大変さを知ってるからだと思う。
先週もMr.ダンディを頼った時に、教えられた。
私の英訳について云々ではなくて、手順書を見てこんな風に言った。
「今回は手順書だけがお客さんの元に行く。それも代理店を通すから末端の人たちがどんな人たちでどんな(技術的)レベルかがわからない。
もし手順書を適当に作ってしまったり訳を間違えたのなら、それが二次障害を引き起こす可能性がある。
例えば、間違えて機械を動かしたり、本来取り付ける場所ではないところに部品を取り付けて結果機械が故障したり。そういうのを防ぐためにも、きちんと手順書を作るのが大事なんだ」
超基本中の基本を当たり前のように言っていた。
だから私は絶対の信頼を持ってMr.ダンディを頼りに行く。
単なる英訳じゃなくて、きちんと末端の人たちや会社として余計なクレームや責任問題を負わなくて済むようにきちんとすることを徹底している。
佐藤さんとのやりとりはモヤモヤしたけれども、Mr.ダンディとのやりとりでそうしたモヤモヤはない。
Mr.ダンディは私が派遣と知っているけれども、それで変に区別することもなければ、社員同様に同じように手厚くサポートしてくれる。
肩書や立場ではなく、人として会社として一緒にがんばろー!という気持ちに溢れているし、それがいつも伝わってくる。
だから私はMr.ダンディを嫌だと全く思わないし、むしろ本当に頼らせてもらえることがものすごくありがたくラッキーなことだと思うから、色々孤立無縁で始まった英訳もおかげさまで何とかなっている。
先週Mr.ダンディの話にも出た手順書の担当者から今朝メールが入っていた。
担当者の物腰柔らかさんは、ヨーロッパ駐在もしたエンジニアの人だった。
本当は物腰柔らかさんが担当ではないんだけれど、本来の担当者作文苦手くんが連チャンで休みだったから、代行で物腰柔らかさんを頼ることになった。
作文苦手くんは部長からあまりの日本語力の低さに注意を受けて書き直しになって、その書き直しになったものを英訳に回されてきたけれども、やっぱりそれもものすごくハテナだらけの文章だった。
正しくは名詞のオンパレードで、「で、だから何?」というのが常だった。
例えば「◯◯な状態」というのがいくつもあった。
えっΣ(꒪◊꒪ )))) ?
状態を作るの?
それとも勝手にそういう状態になるの?
それとも写真が「◯◯な状態」って意味なの?
当たり前だけど、上のどれだったとしても、確実に動詞が変わってくる。
さらには「垂直」と「上下」と区別された専門用語が出てきた。
Σ(꒪◊꒪ )))) ?
垂直はよく出てくるからすぐにわかった。
上下は初めて見た。
だから物腰柔らかさんのところに行った時、最初の質問は「この上下って垂直と何が違いますか?アップダウンって訳していいですか?」だった。
物腰柔らかさんはわかりやすいぐらいに苦笑いして、ちょっと待ってください、と言ってすぐ隣りの上司に確認を取ってくれた。
ちなみに上下の正体は「角度」だった( ̄∀ ̄;)。
そんなこんなをいくつも質問して、なんならその後も3回か4回世話になった。
物腰柔らかさんは、私の持って行った資料の中の私の英訳のたたき台を見てくれたことがあった。
ヨーロッパ駐在だったから、英語もさぞかし堪能なんだろうと思った。
本気で読み込んで「この内容で大丈夫です」と言ってくれたから、本当に知ってる人なんだなとわかった。
で、物腰柔らかさんから、英訳の対応ありがとうございました、英語も確認して大丈夫だったのでそのまま海外部門へ引き継ぎましたとメールが来たものに対して、私もお礼のメールを書いた。
物腰柔らかさんによれば、今回の英訳はイタリアに渡るようだった。
本当にいつも英訳するのが怖くて、毎回全文Google翻訳をかけていて、だから技術も英語もわかる人から見てもらえることの心強さと感謝の意を伝えた。
それに対して物腰柔らかさんはこんな風に返してくれた。
「自分のはサバイバルイングリッシュで、それでお役に立てたのなら嬉しいです」
そんな風に書かれてきた。
本当にこれは嬉しかった。
多分物腰柔らかさんは、私の英語を見て私のレベルもわかったと思う。
物腰柔らかさんが駐在した国は英語圏じゃない。
英語圏じゃないところで英語で仕事をしないといけなかったんだと思う。
本当に言語で苦労しただろうことはなんとなく想像がついたし、言葉が伝わらない悔しさや虚しさも多分知っている人だと思う。
しかも専門は技術なわけで、英語じゃない。
入社にあたり英語力も必須だったとは思うけれども、バリバリ英語ができます!という感じとは違ったんじゃないかと思う。
本当に苦労しながら言葉でのやりとりをやった人なんじゃないかと感じた。
「サバイバルイングリッシュ」
その一言に全てが表れてる気がした。
そして、私にしてくれた対応も本当に丁寧だった。
私が訳せるように訳しやすい言葉を追加で教えてくれたし、なんなら混乱の元となる余計な日本語はカットして英訳したらいいことも教えてくれた。
もちろん質問しているわけだけど、質問したからと言ってそのように教えてくれた人はこれまで皆無だった。
物腰柔らかさんが初めてだった。
日本語を見てそれを英訳するとするなら…という視点で見てくれたのは。
トムさんやMr.ダンディとのやりとりとは違っていて、2人からは最初から英訳1本で見てもらっているけれども、それは特例中の特例で、いつもは基本私1人で相手の技術者の日本語を噛み砕いて訳さないといけない。
だから、物腰柔らかさんのような対応は初めてだった。
「サバイバルイングリッシュ」と言うだけあって、わからないことを何とかする大変さを体で知っている。
その大変さを知っているからこそ、今回の日本語を英語にする難しさもわかるだろうし、ましてや私みたいに技術を知らない人間が英語だけで何とか形にする難しさもわかってくれた気がした。
私のしていることに敬意を持ってくれてるのは何となくの雰囲気で伝わる。
派遣だからだとか、技術知らない=英語もダメなんていう風に見てはいない。
本当に人として対等に扱ってもらえたように感じる。
さらに、「海外駐在したんだな」と感じる雰囲気が漂っていた。
駐在というよりも、海外に住んで、おそらく人種差別も受けただろうし、自分の言語力に悔しい思いもしただろうからこそ、相手と向き合う時まずは「人として対等に接する」ことが体に染みついている。
それを感じる。
冒頭に書いたことは本当にモヤモヤした。
私は私でやってきたことがあるから、それをきちんと見ないで表面的なことだけで判断されることも悔しかったり、どこかで怒ってもいる感じはする。
正当な評価ではないことに腹が立ったのだと思う。
だからこそ、Mr.ダンディや物腰柔らかさんとのやりとりに私は癒された。
2人から英語の指摘を受けても私は全く嫌じゃない。
なぜなら、2人はあくまでも「技術的な内容と違う」点を教えてくれるから。
英語の注意とは違う。
はたまた私をうんと下に見て対応しているのとも違う。
どこまでも対等に扱ってもらえてるのが、何も言わなくとも伝わってくる。
佐藤さんは知らないからそういう振る舞いだとしても、人としてめちゃくちゃ感じが悪い。
特に私なんかはどこに行っても「人がすべて」みたいな考え方をするし、仕事で大事なのは直接の能力ももちろんだけれど、それよりも人間関係の方だと思っているから、余計とそれを感じる。
なぜなら派遣である前に、はたまた役職者である前に、どの人もまずは人だし1人の人間だから、人としての部分をやらかすとその後も色々やりにくい。
自分がその部分を大事にしているのもあって、それを踏みにじられるようなことも嫌だったんだと思う。
私は佐藤さんの良さも知っているからこそ、残念に感じる。
何はともあれ、これからも人としての部分を大事にしながら仕事をしたいなぁと改めて思った。
そして心がやさぐれそうになったら、物腰柔らかさんのような、Mr.ダンディのような人たちを思い浮かべて何とか乗り切ろうと思う。
2020年5月17日日曜日
「足りない」にこだわる
2020/05/15
「足りない」にこだわる
寝ぼけた頭は「『足りない』にまつわる」をなぜか「足りないに『こだわる』」と読んでいた。
足りないにこだわるーその響きに逆にうっとりとした。
世間一般では「足りない」に意識を向けるのはあまりよろしくないとされる。
たしかに、何でもかんでも足りないに意識を向けていたらしんどくなる。
だけど、今出てきた「足りないにこだわる」は、私がこの数時間モヤモヤしていたことに対する答えをくれた。
そう、私は「足りないにこだわった」。
足りないと思ったから努力をして、足りないと思ったから今すぐできることを探した。
私の場合は「足りない」が原動力だった。
モヤモヤしたのはまたどうしようもないたった1つの言葉だった。
今、同じ部署に新しい若い子がいる。
4月は私が見ていて、今月からは育休明けで戻ってきた方が中心に見て、私は引き続き彼女から何か聞かれた時に動いている。
来週からは、派遣と大御所役職社員を除く従業員はしばらく全員週4の勤務になる。
それで、その知らせの配信を見て彼女が、現教育担当者と私の2人ともが仕事で来ない日が今後出てくるなら、その前日に課題をくださいとメール連絡してきた。
私がモヤっとしたのは「課題をください」というところだった。
本人に悪気はないし一生懸命やろうとしているのはわかる。
なんだけど、来月も引き続き研修のごとく仕事ではなく課題をするつもりなのかと思ったら、何かが違うと思った。
ちなみに、今月5月というのは、私からすると私の時の1月になるわけで、その頃私はもうバリバリ実践に入っているだけじゃなく、いきなり超危険案件や大量の手順書の英訳が一気に始まって、そしてその合間に細々とした業務も並行してやっていた。
課題も何も、いきなりぶっつけ本番で、そして3ヶ月目にあたる2月は稼働日を数えたら18日で、その間私が担当した英訳は18件あった。
それも1つ終わらせるのに1週間は必要なものも18件中3分の1から半分はあった。
そんな量をこなしていたわけで、課題とか悠長なことを言っている場合ではなかった。
ひたすら実践、実践、実践だった。
そんなこんなのやりとりを思い出して、そしてその時に自分が社会人1年目や2年目の時はどうだったかを思い出していた。
性格や職種、能力の種類の差はもちろんあるけれども、私が今ここに立てるのは本当に色んな人たちからサポートしてもらっての今だということと、そして少なくとも相手の方たちも私に手をかけてもいいと思ってもらえるだけのものを私も持っていたんだろうなぁと思う。
自分が今反対の立場になってみて思うのは、相手の助けになろうと思うにはそれだけの気持ちにさせられることが大事だということ。
2020/05/16
上の文章は金曜の真夜中から朝にかけて書いた。
普通に仕事して、帰り際に同じ部署の人と立ち話をした。
井戸端会議風の話を聞いて、ため息やら呆れるやら、色々とバカらしくなってきた。
色々尾ひれがついているにしても、本人からして「教えてもらえない」「仕事を回してもらえない」という風に見えてるらしい。
ふざけてるのかと思った。
(ちなみに本人は真面目にそう感じてるんだと思う。)
英訳について言えば、育子(子育て中だからいくこ)さんも私も信じられないくらいの赤ペン先生ぶりの添削をしている。
自分がこれまでした歴代の添削で、東大受験をする子並みの英作文の添削をした時くらいに丁寧にしている。
教育のプロ、超人級の英語力を持ったスーパー仕事できる人、心のケアのプロ、根気よく教えることのできる中間管理職、そういう4人にそれぞれ相談してアドバイスもらって、できることはすぐにしたし、やれることはやれる範囲でやってる。
「自分はやってる」なんて言うのは好きじゃないけれど、週5の勢いで残業して(1日10時間勤務)ようやくなんとか納期に間に合わせて英訳を仕上げているのに、その隙間時間で添削したり本人の質問に答えたり課題を用意したり、できることは本当にしている。
さらには彼女の特性もあれこれ家でどういう対応が可能かネットで調べたりまでしている。
もっと言えば、単純に彼女の方が給料ももらってるわけで、全く私なんかは対価に見合わないことをやっているけれども、なんだろう、表面的なことしか見えてない、そこだけ切り取って見て周りに愚痴って、アホらしくて仕方ない。
「怒り爆発」
どうして仕事が回してもらえないのかと考えたことがあるんだろうか。
どうして自分の英訳がそこまで直されるのかを考えたことがあるんだろうか。(ちなみに英訳はほぼ全文直しが必要)
仕事ができないだけじゃない。
できないならまだしも、余計なことまでしてしまうから、何かを任せたらそれをチェックする側はまずはマイナススタートからで、とりあえずマイナスをゼロに戻す仕事まで発生する。
そんな状態だから任せられない。
元々大量の仕事を抱えてる中で何かを彼女にさせたのなら、仕事量が軽減されるのであれば喜んでお願いするけれども、軽減するどころか仕事が増える。
それもありえないくらいに仕事が増える。
今練習段階でそうなわけで、これが本番となればさらに念入りなチェックと修正業務が必要になる。
これが習い事ならわかるけれども、これはれっきとした仕事で、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。
書きながらイライラして、思い出してはイライラしていたけれど…。
来週から私がどんな風に反応するか、自分の反応が未知すぎて、それを見るのが楽しみでもあるなぁと開き直った( ̄∀ ̄;)。
2020/05/17
「足りない」が原動力になってくれてたんだなと改めて思う。
最初今の仕事を引き継いだ時に、ほぼほぼ知識も今の英訳に必要な英語力もなかった。
なんなら前任の人が可愛い雰囲気の子で、質問に同行した際、エンジニアたち男性陣がデレっとまでいかなくても嬉しそうにしていたのは見ていた。
来月からババアが行くよ、と思いながら、それもそれで気が重たかった。
とにかくないないだらけの中でのスタートで、1人になってから自分がやれる気が本当に全くしなかったけれども、やらないといけなくて必死でやるしかなかった。
本気で必死だった。
最初は頼れる人も今ほどにはいなかったから、基本的にGoogle翻訳が一番の相棒でもあった。
今思うのは「足りない」ことが良かったということ。
選択の余地もない中での足りない感覚は、私を超真剣に目の前のことに向き合わせる最高の原動力だったと思う。
あと、今回のことをズルズルと引きずり気味の自分を見て、「自分のために怒る」ことをしようと今は思っている。
金曜の夜の立ち話を聞いて、あれは噂ではなく本当だと思う。
彼女から課題をくださいと頼まれたことの話とも繋がるし、そして何が驚いたって私と上司宛てに差し出されたメールの存在まで周りに伝わっているのだから、紛れもなく単なる根も葉もない噂ではなく本人の話が回り回って私の耳にまで届いた、と判断してもいいだろうと思う。
見えないところで色んな人たちが動いていて、それは見えないにしても、教えてもらえてないとかそんな風に言うのはおかしいと思う。
そもそも自分の能力を棚に上げて、周りが教えないというのも事実誤認だし、じゃあ基礎の足らないところを全部1から説明するのか?って言えばそれもおかしい。
マニアックな単語についての説明ならわかるけれども、私や育子さんが説明しているものは英語の基本中の基本で、例えば受け身がなんだとか、形容詞と副詞がなんだとか、中学で習うようなものも含めての説明も必要に応じてしている。
そんなの本来なら本人が自力で身に付けておかないといけないものなのに、それさえも不十分だから今こんなことになってるわけで、それで色々教えてもらえない、仕事がもらえないとぼやくなんて、本気でおかしすぎる。
そして周りは少なくともやれる範囲でやっているわけで、それを上っ面だけを見て誤認して誤認しているものを周りに言うというのは、失礼にも程があるし、私なんかはもう正直なところ何もしたくない。
そこまで言うんだったら自分でやってと思う。
力になりたいとも思わなくなった。
これまではやれることはやろうという気持ちがあったけれども、本人のその誤った認識を耳にして、自分の持ってる情報や知識を渡しても、それこそ「足りない」と思われるだけで、そんなのやりたくない。
私は私のために怒ろうと思う。
自分はやれることはやっているし、そして周りからも協力してもらってできることはしている。
相手がどう受け取ろうと、自分はやってる事実は変わらないし、それを自分の判断だけで違う風に取られる筋合いもない。
いつか怒って本人に言ってしまうのは避けたいから、だから自分1人の時に自分のために怒りまくろう!、そう思っている。
「足りない」にこだわる
寝ぼけた頭は「『足りない』にまつわる」をなぜか「足りないに『こだわる』」と読んでいた。
足りないにこだわるーその響きに逆にうっとりとした。
世間一般では「足りない」に意識を向けるのはあまりよろしくないとされる。
たしかに、何でもかんでも足りないに意識を向けていたらしんどくなる。
だけど、今出てきた「足りないにこだわる」は、私がこの数時間モヤモヤしていたことに対する答えをくれた。
そう、私は「足りないにこだわった」。
足りないと思ったから努力をして、足りないと思ったから今すぐできることを探した。
私の場合は「足りない」が原動力だった。
モヤモヤしたのはまたどうしようもないたった1つの言葉だった。
今、同じ部署に新しい若い子がいる。
4月は私が見ていて、今月からは育休明けで戻ってきた方が中心に見て、私は引き続き彼女から何か聞かれた時に動いている。
来週からは、派遣と大御所役職社員を除く従業員はしばらく全員週4の勤務になる。
それで、その知らせの配信を見て彼女が、現教育担当者と私の2人ともが仕事で来ない日が今後出てくるなら、その前日に課題をくださいとメール連絡してきた。
私がモヤっとしたのは「課題をください」というところだった。
本人に悪気はないし一生懸命やろうとしているのはわかる。
なんだけど、来月も引き続き研修のごとく仕事ではなく課題をするつもりなのかと思ったら、何かが違うと思った。
ちなみに、今月5月というのは、私からすると私の時の1月になるわけで、その頃私はもうバリバリ実践に入っているだけじゃなく、いきなり超危険案件や大量の手順書の英訳が一気に始まって、そしてその合間に細々とした業務も並行してやっていた。
課題も何も、いきなりぶっつけ本番で、そして3ヶ月目にあたる2月は稼働日を数えたら18日で、その間私が担当した英訳は18件あった。
それも1つ終わらせるのに1週間は必要なものも18件中3分の1から半分はあった。
そんな量をこなしていたわけで、課題とか悠長なことを言っている場合ではなかった。
ひたすら実践、実践、実践だった。
そんなこんなのやりとりを思い出して、そしてその時に自分が社会人1年目や2年目の時はどうだったかを思い出していた。
性格や職種、能力の種類の差はもちろんあるけれども、私が今ここに立てるのは本当に色んな人たちからサポートしてもらっての今だということと、そして少なくとも相手の方たちも私に手をかけてもいいと思ってもらえるだけのものを私も持っていたんだろうなぁと思う。
自分が今反対の立場になってみて思うのは、相手の助けになろうと思うにはそれだけの気持ちにさせられることが大事だということ。
2020/05/16
上の文章は金曜の真夜中から朝にかけて書いた。
普通に仕事して、帰り際に同じ部署の人と立ち話をした。
井戸端会議風の話を聞いて、ため息やら呆れるやら、色々とバカらしくなってきた。
色々尾ひれがついているにしても、本人からして「教えてもらえない」「仕事を回してもらえない」という風に見えてるらしい。
ふざけてるのかと思った。
(ちなみに本人は真面目にそう感じてるんだと思う。)
英訳について言えば、育子(子育て中だからいくこ)さんも私も信じられないくらいの赤ペン先生ぶりの添削をしている。
自分がこれまでした歴代の添削で、東大受験をする子並みの英作文の添削をした時くらいに丁寧にしている。
教育のプロ、超人級の英語力を持ったスーパー仕事できる人、心のケアのプロ、根気よく教えることのできる中間管理職、そういう4人にそれぞれ相談してアドバイスもらって、できることはすぐにしたし、やれることはやれる範囲でやってる。
「自分はやってる」なんて言うのは好きじゃないけれど、週5の勢いで残業して(1日10時間勤務)ようやくなんとか納期に間に合わせて英訳を仕上げているのに、その隙間時間で添削したり本人の質問に答えたり課題を用意したり、できることは本当にしている。
さらには彼女の特性もあれこれ家でどういう対応が可能かネットで調べたりまでしている。
もっと言えば、単純に彼女の方が給料ももらってるわけで、全く私なんかは対価に見合わないことをやっているけれども、なんだろう、表面的なことしか見えてない、そこだけ切り取って見て周りに愚痴って、アホらしくて仕方ない。
「怒り爆発」
どうして仕事が回してもらえないのかと考えたことがあるんだろうか。
どうして自分の英訳がそこまで直されるのかを考えたことがあるんだろうか。(ちなみに英訳はほぼ全文直しが必要)
仕事ができないだけじゃない。
できないならまだしも、余計なことまでしてしまうから、何かを任せたらそれをチェックする側はまずはマイナススタートからで、とりあえずマイナスをゼロに戻す仕事まで発生する。
そんな状態だから任せられない。
元々大量の仕事を抱えてる中で何かを彼女にさせたのなら、仕事量が軽減されるのであれば喜んでお願いするけれども、軽減するどころか仕事が増える。
それもありえないくらいに仕事が増える。
今練習段階でそうなわけで、これが本番となればさらに念入りなチェックと修正業務が必要になる。
これが習い事ならわかるけれども、これはれっきとした仕事で、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。
書きながらイライラして、思い出してはイライラしていたけれど…。
来週から私がどんな風に反応するか、自分の反応が未知すぎて、それを見るのが楽しみでもあるなぁと開き直った( ̄∀ ̄;)。
2020/05/17
「足りない」が原動力になってくれてたんだなと改めて思う。
最初今の仕事を引き継いだ時に、ほぼほぼ知識も今の英訳に必要な英語力もなかった。
なんなら前任の人が可愛い雰囲気の子で、質問に同行した際、エンジニアたち男性陣がデレっとまでいかなくても嬉しそうにしていたのは見ていた。
来月からババアが行くよ、と思いながら、それもそれで気が重たかった。
とにかくないないだらけの中でのスタートで、1人になってから自分がやれる気が本当に全くしなかったけれども、やらないといけなくて必死でやるしかなかった。
本気で必死だった。
最初は頼れる人も今ほどにはいなかったから、基本的にGoogle翻訳が一番の相棒でもあった。
今思うのは「足りない」ことが良かったということ。
選択の余地もない中での足りない感覚は、私を超真剣に目の前のことに向き合わせる最高の原動力だったと思う。
あと、今回のことをズルズルと引きずり気味の自分を見て、「自分のために怒る」ことをしようと今は思っている。
金曜の夜の立ち話を聞いて、あれは噂ではなく本当だと思う。
彼女から課題をくださいと頼まれたことの話とも繋がるし、そして何が驚いたって私と上司宛てに差し出されたメールの存在まで周りに伝わっているのだから、紛れもなく単なる根も葉もない噂ではなく本人の話が回り回って私の耳にまで届いた、と判断してもいいだろうと思う。
見えないところで色んな人たちが動いていて、それは見えないにしても、教えてもらえてないとかそんな風に言うのはおかしいと思う。
そもそも自分の能力を棚に上げて、周りが教えないというのも事実誤認だし、じゃあ基礎の足らないところを全部1から説明するのか?って言えばそれもおかしい。
マニアックな単語についての説明ならわかるけれども、私や育子さんが説明しているものは英語の基本中の基本で、例えば受け身がなんだとか、形容詞と副詞がなんだとか、中学で習うようなものも含めての説明も必要に応じてしている。
そんなの本来なら本人が自力で身に付けておかないといけないものなのに、それさえも不十分だから今こんなことになってるわけで、それで色々教えてもらえない、仕事がもらえないとぼやくなんて、本気でおかしすぎる。
そして周りは少なくともやれる範囲でやっているわけで、それを上っ面だけを見て誤認して誤認しているものを周りに言うというのは、失礼にも程があるし、私なんかはもう正直なところ何もしたくない。
そこまで言うんだったら自分でやってと思う。
力になりたいとも思わなくなった。
これまではやれることはやろうという気持ちがあったけれども、本人のその誤った認識を耳にして、自分の持ってる情報や知識を渡しても、それこそ「足りない」と思われるだけで、そんなのやりたくない。
私は私のために怒ろうと思う。
自分はやれることはやっているし、そして周りからも協力してもらってできることはしている。
相手がどう受け取ろうと、自分はやってる事実は変わらないし、それを自分の判断だけで違う風に取られる筋合いもない。
いつか怒って本人に言ってしまうのは避けたいから、だから自分1人の時に自分のために怒りまくろう!、そう思っている。
2020年5月14日木曜日
星読みのゆくえ
世界が反転
写真の反転がどうにも止まらない
2020/04/05
コーヒーを飲みながら硬派さんと談話した日。
硬派さんは私の携帯画面に映る自分のホロスコープを真剣に見ていた。
見たってわからないから…、普通はそう言うと思う。
星読みのありがたみを全く感じてない実妹たちなど、ホロスコープそのものに全く食いつかなかった。
硬派さんは知らないのに、食いついていた。
画面を拡大して見たり、1つのところをじっと見つめたり、ものすごく真剣に見ていた。
なんなら「武士俣さんのするものって、何ていう名前ですか?」とまで聞いてきた。
硬派さんにその場でさっと西洋占星術と言った後、見たものを文章にするから、そこにも書いておくねと伝えた。
硬派さんが単なる興味関心で話してるのではないのはわかった。
2020/05/09
ようやく昨日、硬派さんに星読みファイルを渡すことができた。
まさかインデックスが必要になるほど書くなんて、硬派さんとお茶飲みした時なんて想像さえしていなかった。
なんとなくの概略を数枚にまとめて書いて渡す予定でいた。
ところが終わってみれば、手紙も合わせて26枚、表・裏を1枚換算したら52枚も書いた。
もちろん一気にじゃなくて、少しずつ書きためて、そしてゴールデンウィーク最後2日+明けた翌日1日の計3日で20枚、すなわち40枚くらいただただ書き続けた。
最後の日は凄かった。
木曜日…10時間勤務(初めて見る言葉ばかりをひたすら英訳Σ(꒪◊꒪; )))) )
↓
家に帰ってから、用事を済ませて21時から夜中の3時まで最後の星読み+書き作業
↓
2時間強眠る
↓
金曜日…朝5時半〜6時半過ぎまで最後のお礼の手紙を書く
インデックス付けたりしてファイル作成
↓
午前中、硬派さんに質問に行く際、しれっとファイルも持って行って(普段も手にたくさんの紙資料や裏紙メモ用紙を持ってウロウロしているからはたから見て違和感なし)、直接手渡し
超人並みの集中力とよくわからぬ桁外れのバイタリティでやり終えた。
過去の土壇場になってからモリモリやった色んなシーンとそっくりだった( ̄∀ ̄;)。
子どもの頃の夏休み(もちろん冬休みも春休みも左に同じ( ̄∀ ̄;))の最後の日の自分と何ら変わりなく、中年になった大人の自分も当時のスタイルをどこまでも忠実に確実に再現していた( ̄ཀ ̄;;)。
三つ子の魂百まで、なんていうことわざを最初に考えた人も私みたいなタイプだったと思う。
自分の悪しき習慣を見てため息つきながら「成長どころか年々年季が入る自分」を見て、超自分にがっかりしながら思いついたことわざとしか思えない。
そんなことはさておき、本当に素敵な星読みタイムだった。
実際の星読みは超地味な作業だし、ひたすら書いたり調べたりが大半だから、キラキラからは全くもって程遠いけれども、そしてそちらにはそんなに心惹かれる要素はなかったけれども、星読みをするってなってから今に至るまで色々硬派さんとやりとりしたそのそれが面白かった。
今日の日中、いつもと同じように技術的なことを質問に行った時のこと。
硬派さんのパソコンがちょうど入れ替わって、普段図面を見るプログラムが立ち上がらず、そして私の質問がたまたま図面見ないとはっきりしたことは言えないもので(なんて私はわからなくて、いつもその辺りは硬派さんが判断して必要に応じて図面見て確認してくれる)、それでそのプログラムなら私のパソコンにも使ってはいないけれども入ってはいるから私の席で調べてもらうことになった。
相変わらずカオスな席に座らせることの方が気になって仕方なかった。
硬派さんに座ってもらって実際にプログラム立ち上げて(そもそものユーザー名とパスワードから私は調べないとわからないくらい、普段99.9%使っていない)、よくわからぬ調べ物を硬派さんは始めた。
いくつかの数字とアルファベットを硬派さんは入れた。
硬派さんいわく、文字列は各機種ごとに決まっていて、それは覚えている文字列もあれば、大体で覚えているものもあるとのこと。
もはや私には謎の暗号にしか見えない文字列を硬派さんは何も見ずにあれこれ入れているから、それだけでカッコ良すぎてクラクラした。
そこからまたさらに検索結果を見て該当するものをクリックして、さらにまた色んな結果から該当するものを一発で定めて開いて、そうすると図面が出てきて(図面という名の点と線の集合体)、名前やら素材やらがわかるらしい。
最初に開いたものは、「あ、これ機種違ってたのでちょっと待ってください」と言われて、それを一度閉じた。
再度謎の暗号入力をして、しかも何がすごいって機種の名前ではない、何なら機種とは関係ない文字列を入れて、そうすると画面いっぱいに検索結果が出て(各部品だと教えてもらった)、思い出してきた、素人はわからないから上から順に開かないとだけど、硬派さんは検索結果の中から該当部品の数字をものの数秒で判断して、それでさらにまた同じ画面が出るから、そこからもまた今回の部品に該当するものを一発で当てて、開いたら開いたで縦横無尽に広がる図面のピンポイントの場所を拡大して、その後近くの名称とかの部分で確認していた。
ひたすら暗号化したアルファベットと数字、図面だって出てくるのは点と線と数字とアルファベット、それだけを見てこれはなにそれ、あれはなにそれと私に伝えてくれる。
その様子を見て、いかに異分野どころか次元というか異次元・異世界・異天体みたいなことの情報を私が持ち込むわけで、こんなにスーパー理系の人にまさか「魂が」とか「人生の方向性は」とか「心の傷」とか、おったまげなボキャブラリー満載、なんですかそれ?みたいなものを延々と何十枚も綴ったわけで、不思議なやりとりだなと思った。
お互いに1ミリも重なり合うものはないのに、こうして縁あって星読みしてその星読みしたものを伝えるわけだから、不思議な巡り合わせだなと思った。
多分普通には出会えない。
本当に魂と魂がこの地で会いましょう、そして星というツールを使って繋がりましょうと約束したんだろうなと思った。
ゴールデンウィーク明けの日のことだった。
バタバタしていて、硬派さんの席に質問方々行けたのは、終業1時間ほど前だったと思う。
今は席も離れているし、硬派さんが私の席に来ることは基本100%ない。
だから私がひたすら足を運ぶ他ないわけだけど(反対に硬派さんが私の席に来たらおかしな風に周りからは映ることになる)、その足を運んで最初に今日は持ってきていないこと、明日は必ず持ってくるからもう1日待って欲しいことを伝えた。
その時に硬派さんが私に向けてくれた笑顔が本当に超素敵で、こんな人と知り合ってそしてこんな風に個人的にやりとりできるってすごくラッキーだなと思った。
星読みを何週も延長したおかげで(夏休み最後の日を何回も再現(苦笑))、硬派さんに週明け何回か「もう少し時間ください」と言いに行って、その度に本当に素敵な笑顔と何てことのない返事が毎回心地良くて、それにも何回も救われた。
硬派さんとのやりとりは、予定外の場所にも癒しをもたらした。
もうずっと長いこと、自分の書いた手紙とその一連のことが引っかかっていた。
3年前の夏の名残りが強く残る時期のある朝、手渡しさえもできずに机の上に無理矢理押し付けるかのごとく置いてきた手紙があった。
迷惑とか負担にしかならないと知っていても、それでも一生分の覚悟をかき集めるかのようにして生まれた手紙だった。
押し付けた自分のことや押し付けられた相手のことを思うと、未だにギュッと胸の辺りが縮こまるみたいな感覚に溢れてしまうけれども、当時の私にはどうすることもできなかった。
手紙の反応も知らなければ、どんな風に持ち帰られたのかも知らない。
机に置いた時は無反応だったし(とっさに反応もできなくて当たり前だと思う)、その後も何一つ私は知ることもなく今日(こんにち)に至る。
実際にものが出来上がって硬派さんに持って行った時、本当に丁寧に受け取ってくれて、さらにはそれをそっと机の引き出しにしまっていた。
1つ1つの動きが本当に丁寧で心がこもっていて、それを見ていた私はそれだけで癒された。
私が大事にしたように、もしくは私以上にそれを大事にしてくれたのがわかった。
そして、その日帰る時、私より一足先に事務所を後にした硬派さんの手には、鑑定文の入ったファイルがあった。
それも大事に持っているというのが見ていて伝わる持ち方だった。
3年前の手紙はどんな風だったのかは全然知らないし、大切に持ってもらえたのか適当に持たれたのかも知らない。
そんなことを色々望める立場にもなかったし、押し付けた手前「手にとって読んでもらえたら御の字」と思っていたから、本当はこうして欲しいああして欲しいがあっても私はそれを全部呑み込んで、自分の奥の奥にしまいこんだ。
何も望まない、それが私が自分のためにできる最大限のこととして当時は終わった。
硬派さんに渡したものは全く別の物だし、そして今回は硬派さんご所望のものであるから、ぞんざいに扱うことはなくても、やっぱり丁寧に扱ってもらえたらそれはすごく嬉しい。
そして今度はその様子を全て目にすることができたわけだから、それだけで本当に私は嬉しくてその嬉しさは心の深いところにもしっかりと届いた。
3年前のことを帳消しにはできなくても、当時は得ることのできなかった癒しを私は手にした。
2020/05/11
硬派さんと仕事が終わった後、階段を降りきったところで待ち合わせて、そこからすぐの扉から外に出て30分ほど立ち話をした。
仕事でかなり困ったことが出てきて、私からお願いして時間をもらった。
困ったことというのは、何とも言いようのない板ばさみ的な立場になって、それでそれを社内の事情も鑑(かんが)みてどうしたらいいものかを聞いた。
その辺りの話は半分ふざけたことを言いながらもとりあえず終わりにして、最後に鑑定書を見ての感想を聞いた。
・とにかく分厚さを見て驚いたこと
・パソコンで打ったのかと思ったら全て手書きでさらに驚いたこと
・しかも修正テープを使うこともなくあれだけの量(ルーズリーフ26枚)を書いていてすごいと思ったこと
中身に入る前のそもそものモノ自体への率直な感想が嬉しかった。
硬派さんから具体的な質問を受けて、その質問を聞いただけで本当にものすごくよく見て確認しながら読んでくれてることもわかった。
本当に大事にしてもらえてることがひしひしと伝わってきた。
全てに目を通したら時間を取って話すことになっている。
それは私も感想とか聞きたいのもあるけれど、硬派さんも聞きたいことがあるという意思がそこには含まれている。
いつかの手紙みたいに一方通行ではなく、きちんと両方向から同じ意思があるのは、それだけで癒された。
もちろん事情は全く違うし、そもそも硬派さんが望んでの今回の星読みだったわけで、最初から一方通行ではなかったから当たり前と言えば当たり前かもしれないけれど、そのことが私にとっては過去の目をふさぎたくなった瞬間のことに対して「あれは仕方なかった。だけど、きちんと望まれればこんな風に自分の持ってるものが求められることもある」と思わせてもらえる瞬間になってくれた。
硬派さんに、そもそもどうやって読んでるのかを聞いた。
奥さんが見ても大丈夫なようにはもちろん書いたけれども、奥さんの横で読むのもなんともシュールな絵面だなと思っていた。
そうしたら硬派さんから「実家に帰って読みました」と返ってきた。
1人になって集中して読みたいというのもあったと思うけれども、そうやってまで読んでくれる気持ちが嬉しかった。
あの手書きの分厚い星読みファイルは、硬派さんのためでもありながら私のためでもあったんだなと思った。
2020/05/13
星読みとは直接関係ないけれども、何で硬派さんとやりとりすると自分が癒されるのかよくわかることがあった。
硬派さんに技術的なことを聞きに行った時のこと。
他の人が急な仕事依頼で硬派さんの元にやってきて、私は自分の席に戻った。
それは終業30分前を切っていて、私はもう今日は聞けないなとあきらめたと言うより、そのように理解して、今できることをしていた。
終業15分前に硬派さんは私の席に来た。
まずそれだけでも気にかけてもらえたことがわかる。
それだけで私はものすごく嬉しかった。
硬派さんのすごいのはその後も続いた。
「たくさん質問ありますか?」
この言葉で硬派さんは始めた。
私はたくさんあると答えてから、時間もギリギリだからまた明日お願いしますと答えた。
この手の質問は、百発百中答えが決まっている。
まるで模範回答でもあるかのごとく、技術の人が「たくさん質問がありますか?」と私に聞く時は、私の答えが「1つだけです」でない限り「今時間ないのでまた今度でお願いします」になる。
だから私も変に先回りするクセがついて、聞かれる時は「いくつかあるんですが…」と言って相手の様子を見たり、「今難しかったら時間改めて来ます」とか自ら言ったりする。
硬派さんにたくさんあるからまた明日と返したら、硬派さんは驚くべき答えを返してきた。
「全部は無理かもしれないですけれど、少しなら答えられるので、いくつかだったら今大丈夫です」
この時の驚きと言ったらなかった。
逆に私が心配になって、他に今日中の仕事があるんだよね?今日残業するの?と聞いた。
硬派さんは確かにあるし今日残業しないとは言ったけれども(会社全体で不急な残業は暗黙の了解で全面的に今禁止されてる←私は例外で、締切の迫ったものは相手[お客さん]のあることだから残る)、反対に「武士俣さん残るんですよね?」と聞かれた。
残るけれども、硬派さんのことを本来の仕事を差し置いても私のために時間を使わせるのはできないと思っていた。
硬派さんは続けた。
「武士俣さんは残ってそれしないといけないんですよね!?だったら少しだけ今答えられることは答えます」
そうやっていくつか答えてくれて、私はもう残りは明日と思っていたら、硬派さんは続けて「あと1つ2つなら大丈夫です」とこれまた爽やかにサラッと言ってくれた。
もう大丈夫ですなどと言わずに、私も図々しくそのオファーに乗った。
そして実際に残業中に仕事を進めるのに必要な分の情報を私は無事手にすることができた。
この神対応に私は嬉しいやら驚くやら、一瞬で色んな気持ちが湧いた。
真面目にやさしさ担当の神様かと思った。
多分硬派さんに「硬派さん、やさしいですね」と言ったら、ほぼ全力で「そんなことありません」と否定されそうだけど、もうそれはどこをどう切り取っても極上のやさしさになる。
こんな風に気にかけてもらえること、私のしていることが大事なことと認識してもらえること、そうしたことにたくさん癒される。
本当に自分がこの世に存在していいんだと思わせてくれる。
そんな風に思わせてくれる人と出会えただけじゃなく、その人の星読みまでさせてもらえたことは生涯持ち続けることができる勲章のようだった。
2020年5月12日火曜日
⒃②【おいせさん手帳】ノードが運ぶご縁
おいせさん手帳第16回目
担当:ノム
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
5月12日
人とのご縁の結び目が、切り替わりました。
ノードが蟹座から双子座へ
太陽と月の軌道が交わるポイント“ノード”が、先週から切り替わりました。
ご縁が結ばれる人たちの雰囲気が変わり始めるかもしれません。
たとえば、ホームパーティーを楽しんでいた仲間から、
街をいっしょに散歩する仲間との時間が増えていく、そのような切り替わり。
初夏の気持ち良い風を感じながら、新たな出会いに心をはずませてみましょう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
太陽と月の軌道が交わるノードは、別名「ドラゴンヘッド (ノウスノード)」「ドラゴンテイル(サウスノード)」と呼ばれる。
この世に生きるすべての人が生まれた瞬間にドラゴンヘッド とドラゴンテイルが与えられる。
諸説あるけれども、ヘッドは今生のテーマ、テイルは過去世から今世に引き継いだもの(資質や能力)と言われている。
テイルは得意分野だったりするから今生は反対に力を入れるのではなく、そこを手放してヘッド側のテーマをやるようになると言われている。
私個人の例でいくと、ヘッドとテイルは2つでセットだと思う(2つは180度対角線上に位置する)。
私の感覚だと、私はヘッドよりもテイルのテーマが苦手だったりする(通常は逆のことが言われる)。
私のヘッドはオカルト能力を指すもので、テイルは自分の持っている専門知識を人に教えることになる。
これは私が思っていることだけれど(そんな説はどこにもないから、本当に完全な私個人の考え)、オカルトのテーマをテイル的なやり方でやるんじゃないのかなと思っている。
だから、オカルト的なものを人と分かち合うなり人のために使って、人に知ってる情報を教えるみたいな、両方ともやって初めて魂のテーマが完成する、そう思っている。
で、すごい繋げ方だけれども、「魂のテーマ」と呼ぶだけあって、ノードが絡むタイミングというのはご縁を運んできやすいと言われている。
占星術講座を受けていた時に先生から説明されたのは、こんな風だった。
どの人も18〜19年に1回ノードリターンと言って、ノード回帰を迎える。
自分が生まれた時のドラゴンヘッドの位置に、今現在のドラゴンヘッドが同じ位置に帰ってくることをノードリターン(ノード回帰)と呼ぶ。
で、先生いわく、そのノードリターンの時というのは、ご縁の扉が開いて、一度開いて入ってきた縁についてはもう後戻りはできない、強制的な力でその後も続いていく、はたまたはその続く縁の中で自分の魂のテーマをやるようになる。
そんな風に説明を受けた。
ここからは私の話をしたいと思う。
私が前回のノードリターンを迎えた頃は、37歳と2ヶ月半位の時で、これは後々わかったことだけれど、ノードリターンのその日に私は名古屋を引き払って今の新潟の実家に帰ってきた。
あれから4年ほど経った今思うことは、あの日これまでの環境や人間関係が幕を閉じて、次の新たなフェーズに入るようになっていたんだなと思う。
ノード回帰のその日に新たに人に出会うということではなく、その前後から少しずつ色んなものが変化していったことが今ならわかる。
実家に戻る2週間ほど前に、私は自分の相棒となるペンジュラムを手に入れた。
ペンジュラムは本当に、私と色んな人やモノを繋げてくれる最強の相棒になった。
ノード回帰の日に新潟に戻って、本当にふてくされるぐらいに新潟に住むのは嫌だったけれども、その後から今に至るまで言葉にはできないくらいたくさんの出会いと運命ーー命が運ばれるーーに出会わせてもらった。
やっぱり色々あっても、断トツで人に恵まれた。
死ぬ間際に思い出す人、思い出すシーンの中にいる人、そういう人たちが4年前のノート回帰の後から増えたように思う。
そういう人たちに出会えば出会うほど、出会いの完璧さを思う。
寸分の狂いもなく、本当に出会うべくして出会う人たちにピッタリのタイミングで会わせてもらえる。
今日はどうしても筆が進まない。
こんな風に不完全な日があってもいい気がする。
また日を改めて書いてもいいし、仮にそれを忘れ去って日常に埋もれるのもこれまた1つのあり方としてOKだと思う。
2020年5月6日水曜日
星読みゴールデンウィーク
ゴールデンウィーク6連休だった今年。
初日の1日は、普段平日にこなせない用事を足して、残りの5日間で硬派さんの星読みをする予定でいた。
ところがエンジンがかからないどころか睡魔に日々襲われて、寝ても寝ても眠いという時間を過ごした。
睡魔に襲われて起きたらスッキリするどころか、余計とボーッとして、当然星読みへのやる気などどこ行った?状態だった。
連休ラスト2日の今日、ようやくエンジンがかかって、モリモリとやり出した。
モリモリと言ってもやることはひたすら検索とボーッとしてるところにやってくるメッセージをキャッチしてメモするだけだから、地味な作業を延々と繰り返す感じ。
明日1日で本当に終わるんだろうか?と思っている…汗。
もう1ヶ月待ってもらったから、何が何でも書いて終わらせる気ではいる。
相変わらず、のび太やカツオみたいだなと思う、このギリギリまで引き延ばしてしまうところ( ̄∀ ̄;)。
今思ったけれども、この異常なほどの眠気は、もしかして霊性アップというか星読み力アップから来てるんじゃないか?ということ。
後半に来てわかったことだけれど、まだ全然調べていない天体の情報をまるで先取りするかのように私は同じようなメッセージをキャッチしていて、そして忘れないために閃いたらそれをノートに書いておいた。
それは、なんと後から調べた天体の性質とまんま重なるみたいなのがいくつかあった。
天体の性質から読み解いたのとも違っていて、とにかく突然パッと閃く。
なんかいいなぁこのメッセージ!と感じるから、忘れないうちにノートに書き留めておく。
とかいうものが、後から調べた時に似たような言葉でネット上や本に出てくるわけだから、ちょっとだけビックリした。
その時は疲れていたから、そういうこともあるんだと思ったけれども、今書いてて、それってかなりマニアックだよね?普通に起こることとは違うよね?と自分に尋ねてる。
とにもかくにもまだ全容に辿り着いてなくて、明日1日で10ページ近くメッセージを書けるんだろうか?とかなり疑問だけれど、やるしかないから何とかやりきろうと思う。
ちなみにものすごい量のメッセージを書いているけれども、それは硬派さんにとって必要なものだと思っている。
そもそも超理系の硬派さんの星読みをする、それも「自分の周りにそういう星読みみたいなことをする人は誰もいなくて武士俣さんが初めてです」なんていう硬派さんみたいな人にすること自体かなりイレギュラーだったと思う。
星を読むうちにますます納得したけれども、硬派さんは読む必要のある人だったと思う。
今年含めて数年はかなり大きな影響を受ける星の配置の人なのと、あとはかなり特殊な才能を持っている人だから、その開花を知らせる必要があると思って見ている。
星読みするべくしてする人という感じ。
どうか無事明日完成しますように。
初日の1日は、普段平日にこなせない用事を足して、残りの5日間で硬派さんの星読みをする予定でいた。
ところがエンジンがかからないどころか睡魔に日々襲われて、寝ても寝ても眠いという時間を過ごした。
睡魔に襲われて起きたらスッキリするどころか、余計とボーッとして、当然星読みへのやる気などどこ行った?状態だった。
連休ラスト2日の今日、ようやくエンジンがかかって、モリモリとやり出した。
モリモリと言ってもやることはひたすら検索とボーッとしてるところにやってくるメッセージをキャッチしてメモするだけだから、地味な作業を延々と繰り返す感じ。
明日1日で本当に終わるんだろうか?と思っている…汗。
もう1ヶ月待ってもらったから、何が何でも書いて終わらせる気ではいる。
相変わらず、のび太やカツオみたいだなと思う、このギリギリまで引き延ばしてしまうところ( ̄∀ ̄;)。
今思ったけれども、この異常なほどの眠気は、もしかして霊性アップというか星読み力アップから来てるんじゃないか?ということ。
後半に来てわかったことだけれど、まだ全然調べていない天体の情報をまるで先取りするかのように私は同じようなメッセージをキャッチしていて、そして忘れないために閃いたらそれをノートに書いておいた。
それは、なんと後から調べた天体の性質とまんま重なるみたいなのがいくつかあった。
天体の性質から読み解いたのとも違っていて、とにかく突然パッと閃く。
なんかいいなぁこのメッセージ!と感じるから、忘れないうちにノートに書き留めておく。
とかいうものが、後から調べた時に似たような言葉でネット上や本に出てくるわけだから、ちょっとだけビックリした。
その時は疲れていたから、そういうこともあるんだと思ったけれども、今書いてて、それってかなりマニアックだよね?普通に起こることとは違うよね?と自分に尋ねてる。
とにもかくにもまだ全容に辿り着いてなくて、明日1日で10ページ近くメッセージを書けるんだろうか?とかなり疑問だけれど、やるしかないから何とかやりきろうと思う。
ちなみにものすごい量のメッセージを書いているけれども、それは硬派さんにとって必要なものだと思っている。
そもそも超理系の硬派さんの星読みをする、それも「自分の周りにそういう星読みみたいなことをする人は誰もいなくて武士俣さんが初めてです」なんていう硬派さんみたいな人にすること自体かなりイレギュラーだったと思う。
星を読むうちにますます納得したけれども、硬派さんは読む必要のある人だったと思う。
今年含めて数年はかなり大きな影響を受ける星の配置の人なのと、あとはかなり特殊な才能を持っている人だから、その開花を知らせる必要があると思って見ている。
星読みするべくしてする人という感じ。
どうか無事明日完成しますように。
2020年5月5日火曜日
観察・回想・暴走
これを書き始めた日の朝焼け
2020/05/03
書きそびれそうだから、仕事のウラ話をしたいと思う。
今回ももれなく暴走。
4月の1ヶ月、業務とは別に観察に励んだことがある。
新しい子が来る前から、その子が同じ部署のおやつ男子を気に入っていると聞いていた。
おやつ男子は、私に時々おやつをくれる。
ある時から私もお返しを渡すようになった。
しかも私はスーパーのお菓子なのに、おやつ男子はどこぞの洋菓子店的な、おしゃれなスイーツをくれる。
それはそうと、新しい子はおやつ男子に恋してるようだとの噂は私の耳にも入った。
ちなみにやたらと積極的だけれど(女側が)、おやつ男子は全くその気がないとのことで、その辺りの諸事情もかなり詳細に私は知っていた( ̄∀ ̄;)。
で、これは観察しての私の感想。
ちなみに私だけじゃなく、その噂をというよりも本人から直接話を聞いてる子も同じ感想を抱いていた。
おやつ男子は気がないこと。
それはよーく観察して、初めて気付くレベル。←観察はもちろん仕事中。
だけど、もし私が何も知らないなら、おやつ男子の態度を見たら、男側もまんざらではないのかもしれない…と思ってしまいそう。
全然嫌そうでないどころか、普通によく世話も焼いてくれているから、逆に気があるのかも…なんて勘違いしそうな勢いだったりする。
そんな風に見えてはいるものの、おやつ男子は全く気がなくて、なんなら最近私が誘われて一緒にランチした別部署の女の子のことが気にかかっているらしい。
その女の子からLINE交換しましょうと言われてLINEまで私は交換した。
私は何も知らないことになっているから、もしおやつ男子が彼女と接近したいのなら私はいくらでもセッティングやら何やらするよ!とその情報をもたらしている子(おやつ男子と仲良い女子)には言った。
私がそう言ってたと言ってもらってかまわないから!と言い添えて。
(落ち着いたらそのお気に入り女の子から飲みに行きましょ!とまで誘われた私)
とにかく。
おやつ男子がはっきりしない態度だし、新しい子の気持ちも知りながらよく面倒を見ているから、これ勘違いするよね!と思ってこの1ヶ月見ていた。
それを見て、私はそんなのが優しいなんてちっとも思わないし、むしろもっと傷付くかもしれないなぁなんて思った。
彼女は多分相手も気があるんじゃないかと思ってもおかしくないと思う。
実際に相変わらず付き合ってる彼女みたいなLINEまで送ってくるらしい(LINEの中身まで聞いてドン引きした…。その内容を他の子に言う方も言う方だけど、そんな内容を送る方も送る方だなと思う)。
それを見ていて、自分はとてつもなく冷たくされたことが、決して良かったとは思わないけれども、おやつ男子みたいに中途半端に普通にされて何なら勘違いされてもおかしくないくらいに世話を焼かれるよりは良かったかもしれないと思った。
っていうか、本当に嫌がられていたんだろうなぁと改めて思った。
ちょっと嫌ではなく、本当の本当に嫌だったんだろうと思う。
でもあれだけ嫌です表示をしてくれたおかげで変な勘違いはせずに済んだから、それはそれで良かったのかもしれない。
数々のLINEメッセージがなぜか私の耳にも入っているというかなり残酷な状況にあるけれど、そういうことも当時のイケメン上司は絶対にしなさそうだから、少なくとも職場内では何事もなかったかのようにしてくれていたから、それだけは本当に良かった。
一度だけ誰かが来て私がインターホン対応した後イケメン上司が黙って席を立って階下に行った時だけ、後輩くんが私に「武士俣さんは行かなくて大丈夫です」と言ってくれたけれども、それだって何も言わずに立ち去ったイケメン上司を見て後半くんは一瞬ポカンとしていたけれども、普段から口数少ないイケメン上司ゆえ何事も余計なことは思われずに済んだと思う。
昨日から今日にかけて、私はあるブログの四コマ漫画風のある夫婦の出会いや馴れ初めの漫画を読破した。
旦那様は12歳上で、2人の出会いのところから書いている。
胸キュンキュンしながらも、それを読んで地雷踏むかのような苦い気持ちもじわじわと味わった。
描写の中で男性側が好きな人にどうするかが描かれていて、それもいくつも描かれていて、それを見れば見るほど心の奥底はチクリと針で刺されたみたいになっていた(けれども読み続けた)。
スーパー自爆テロで、そのうちの1つもされなかったどころか、数々のというほどの数はなくても破壊力無限大の撃沈したシーンがいくつか蘇って(よみがえって)きて、体がシクシク痛み出した。
冗談や比喩で言っているんじゃなくて、このことは今も上手く自分の中で消化できないままで、思い出すと本当に体がシクシクと痛み始める。
体なのか心なのかわからないけれども、本当に痛いは痛いし、血が逆流したみたいになって苦しくなる。
それくらいの破壊力あるシーンに自分がいたわけで、でもそれを発信する側もさぞかし嫌だったんだろうと思う。
年齢差を見て、要らぬ情報もカムバックしてきた。
年下の女の子から見ると大人の男性はこんな風なのか…と思った。
私はそれこそ10代の頃から年上男性に全く興味がなく、大人に見えるとかいうのもほぼほぼなかったから、むしろ私より長生きしてるんだからしっかりしてて当たり前でしょ!みたいな鬼みたいなことを平気で思うタイプだから、よって女の人たちが年上男性に惹かれる気持ちが未だにわからない。
だけどその漫画の中では37歳の男性と一回り下の女の子のカップルの話で、複雑な気持ちでその話を読んだ。
人生で初めてかもしれなかった、自分の年齢が嫌だとか若さには勝てないって思ったのは。
年齢なんてどうにもならないのに、そしてじゃあ私が若ければどうにかなったのかと言えばそんなことは絶対にないわけで、だけど自分の年齢がその時はとっても悔しくて、戦意消失したのは言うまでもなかった。
もっと嫌だったのは、そういう情報がもたらされても、自分の気持ちが変わらないことだった。
本気で何度も何度も自分に言った、あきらめようと。
色々無理なんだからやめときなさい、そういう言葉を自分に数え切れないほど私は吐いた。
昨日の朝、部屋を掃除した時に当時のことを記録したノートを久しぶりに開いた。
開いたページのノートの中の風景は、イケメン上司が私の手書きメモを初めて見た時のことが書かれていた。
私はその手書きメモをガン見しているように見えたその人のことを2つほど離れた自分の席から見ていた。
私の体内時計の感覚なのか、本当に長かったのかは今となってはわからない。
わからないけれども、とにかくその時は時が止まったみたいにその人はメモをじっと見たまま、その左隣りで事務さんが話しかけているのを聞いていた。
ただの仕事用の電話で伝えられたメモだったし、私は何を言われているのかさっぱりわからなくてとりあえず聞いたままをメモしたものを清書して、事務さんが渡すと言ったから直接渡せなくて残念(涙)などと思って、致し方なく事務さんに託したものだった。
事務さんも見てくれたから内容はOKなはずだったけれども、とにかくその人はじっとメモを見ていた。
今でもあれが何だったのかなんてわからないし、たしかに当時の職場で手書きメモなんてものすごい珍しいものだったからそれで単に見ていたに過ぎないかもしれなかったけれども、私はそれを見てすごく不思議な感覚になっていた。
本当に時が止まったみたいになっていて、そんな風に見えていたのも私の気のせいかも…と思った。
今の職場で席が隣りの隣りだったイケメンエンジニアの硬派さんのホロスコープを読み始めてから1ヶ月近くになった。
読んでいる間にも次々と新しい情報がもたらされて、本当に縁のある人だと知った。
ホロスコープを重ねた時に、その人が縁の濃い人か薄い人かはわかる。
硬派さんはかなり濃い部類に入る。
それもどう濃いのか、その濃い理由もホロスコープのまんまだなと思う。
私の心の安心とか心の基地と呼ばれるようなもののところに、硬派さんは美を届けてくれる人。
生きることの美しさを硬派さんが体現して私にとっての心の安心に繋がる。
こういう感じになるんだなと知る。
イケメン上司と私とはホロスコープを出すと関係しているけれど、硬派さんと私みたいにはならなかった。
何も後悔はしていないけれども、やり方を色々間違えたんだなとは今でも思う。
もし硬派さんと関係を作るみたいに当時もできたのなら、今は全く違ったと思う。
LINE友達くらいにはなれた気がする。
マスクいる?必要なら送ろうか?ぐらいなお節介ぶりも発揮しただろうし、星読みの練習台になって!とかこれまたどさくさに紛れてお願いしたと思うし。
硬派さんもイケメン上司並みに口数が少ない。
少ないけれども、やりとりしているし、何ならお互いに利害もないからどうでもいいことをケタケタと笑ってやりとりすることもある。
イケメン上司が当時の職場で唯一仲良くしている女性がいて、その女性と一緒の時のイケメン上司は本当に楽しそうで朗らかだった。
女性の方は、基本的に誰に対してもそういう感じだったから何の不思議さもなかったけれども、イケメン上司がその表情をするのはその女性の時だけだった。
硬派さんと私がどんな風に見えるかは知らないけれども、当時の2人に似通った感じなんじゃないかと思う。
硬派さんと仲良くなればなるほど、本当はイケメン上司ともキッカケがあればこんな風に仲良くなれていたのかもしれないな…と思う。
私から見たイケメン上司は、私のことをこの世で一番関わり合いになりたくない人のように思っているんだろうな…という感じだった。
好意を持たれることさえも本気で迷惑だと言わんばかりの、全力で拒否する態度を示すくらいのものだった。
そういう感じで、今でも私の中は整理がつかないし、悪かったと思う気持ちもあれば上手くいかないことへの悔しい気持ち、もういい加減終わりにしようよと思う気持ち、色んなものがごった煮状態で頭の中から離れない。
イケメン上司はどういういきさつか、私のこのブログの存在を知って読んでくれている模様。
でも今回、年の差夫婦の四コマ漫画を読んで私の中は大きく変わった。
大事にしたいと思われない自分というのがよくわかった。
ブログはどういうわけか読んでくれているようだけど、ブログを読みたい衝動と私と関わり合いになりたい衝動はイコールではないというのと、当然そんな衝動がないからここまで何もないわけで、じゃあ今後何かがひっくり返るのかと言えばそれもおそらくない。
おやつ男子のふるまいを観察してわかったのは、本当に第一印象って大事なのと、「この人はない」というラベルが貼られたら、もうどうやってもくつがえらないということ。
この3年ぐらいの時間を思うと、イケメン上司は間違いなく魂的な関係の人で、そういう意味ではもしかすると人生で一番関係そのものは強い人なのかもしれない。
なんだけれども、それと現実の人間関係がイコールになるとは限らなくて、それはそれ、これはこれなんだと思うことにしている。
四コマ漫画を見て、自分も単純にお互いがお互いを大事にできる人と一緒になりたいんだなと思った。
となると、私がどんなにそれを望んでもイケメン上司はそういうのは御所望じゃないわけで、そんな叶いそうにもないことを延々と願っても仕方ない、そう強く思った。
魂の関係って本当に変な感じなんだろうと思う。
特にイケメン上司は理系の人で、訳の分からない、何の根拠も理論もない私のこの話や発想に共感してくれるとはとても思えない。
私のこの支離滅裂な、起承転結のない話なんて、本来読みたい文章とも違うと思う。
私が気になるというよりかは何か違うものなんだろうし、これだけ色々書いてきても何にも音沙汰もないし、現実に会うまでいかなくてもメールでもLINEでもするような感じには全くならない。
いつかはブログだって見なくなるだろうと思う。
魂的な繋がりと現実の人間関係はイコールじゃないし、そして何よりも人の気持ちを変えるなんてそんな芸当はできない。
四コマ漫画やおやつ男子を見てその辺りはよーくわかった。
そして硬派さんとやりとりして、そういう男女関係みたいなのは超越した、全く新ジャンルの関係もいくらでもできると知って、尚のことそれさえも起こらないイケメン上司と私とはもはや永遠に交わることはないんだろうと思い始めてる。
コロナ規制かかりまくりの今、本当に何が大事なのかを個人レベルでも問われている。
何が大事かを考える時に、私は相手の人生の中にいないんだとわかると、もういよいよ受け入れる時期なんだろうなと思う。
自分じゃどうにもできないことだから、選ばれないことはどうやったって選ばれない。
初動がよろしくなかったせいで、硬派さんと私みたいな関係も難しければ、メル友みたいな携帯でやりとりするようなこともない。
何もないことがこれから先も続く。
無理やり自分の中を整理する気はないけれども、それを受け入れられるようになりたいし、別々の道の上を死ぬまで歩くことが今生のテーマなんだろうと割り切れるようになりたい。
こんなこと書いてたら…。
テレパシーのごとく、あ、それ読む!?今それ読んじゃう!?的な記事が読まれていた。
私の勘違いでなければ、その人も本当のところは私と話がしたいんじゃないかと思う。
ラブラブトーク♡とかではなくて、硬派さんが真面目に星読みをお願いしたいと言うように、その人もその人で何か言いたいとかやりとりしたいとか、そういうのじゃないのかな…と。
私のブログを読んでれば、少なくとも私が色々ズレているのと一般的な枠組みからは大きく外れているから、ちょっとやそっとのことじゃ驚かないし引いたりもしないのはわかると思う。
臆さずに言うと、読まれるものの1つに経歴詐称の人の話がある。
経歴詐称する人の心理を想像したり、実際に自分も経歴を偽った経歴書を派遣会社から作ってもらった時のことを書いている。
表面は経歴詐称でも要は自分に嘘をついていることの苦しさに私は注目して書いた。
もしその人がそれを読んでいるとするなら、その人も注目しているのは経歴詐称だとか私の経歴書が偽造されたこととかいう部分じゃないと思う。
何か自分に対して嘘をついたり本当とは違うものを本当のように見せかけたりしたことに対する心の中をのぞいているんじゃないかと思う。
魂の関係が強いと、強い分だけ出方も独特だと思う。
色々ぶっ飛んでいるし、これまでの人間関係の経験が何も役立たないぐらいに色々おかしい。
女の人として興味はないし付き合いたいとも一切思わないですが、武士俣さんと話はしてみたいです、って言われても私はそれでいいと思っている。
良心の呵責があるかもしれないけれど、割り切って単なる人間関係を始めてみるでも私は全く構わない。
そしてそういう人間関係は何かあった時にすぐにバッサリと切れてしまうものだと思うけれど、それでいいと思ってる。
数々の苦行のおかげで、物事が思い通りにならないことにも対応しうる体質に鍛え上げられたし、特に人が絡むものになればなるほど、全てが思い通りになるなんて絶対にないこともわかる。
彼女とか隣りにいて欲しい人とは違う立ち位置に私はいるんだろうし、そもそも他に仲良くしている女の人たちみたいな関係さえも持ちたくないのかもしれない。
もう何の期待もないから、ちょっとやりとりして気が済むのならそのちょっとのやりとりだけすればいいとさえ私は思っている。
それ都合良すぎでしょ?なんて言わないし、思わない。
連絡するだけでも人生で一番の勇気と覚悟を問われるぐらいのことだと思うから、私は本当に連絡が来たのなら都合良すぎだとかそういうことは思わない。
ふと冷静になってみると、こんなん言われたら余計連絡しづらいわ!と思った( ̄∀ ̄;)。
余計なことはもう書かずに、この脳内大暴走文章をアップしよう。
2020年5月2日土曜日
社窓の窓からー4月のしめくくり
☆宣伝写真☆
友達のノムこと野村浩平さんが
対談・構成を担当した本です。
帯にある「女の人生」は
ノムの案で通ったテーマ!!!!!
(最初は別のテーマの予定が、ノムの提案で
女の人生に変更になった)
1人で英訳するようになってから4ヶ月が経過した。
相変わらず初めて訳す文章は、いつ訳す時も怖いし、自分にできるんだろうか?と毎回不安にもなる。
この4ヶ月、私の相棒はGoogle翻訳だった。
自分の訳す文章が本当に日本語が意図する内容と同じかどうかを確認するために、とにかくどんなに大丈夫な文章であってもGoogle翻訳を全てかけた。
中には日本語の通りに訳せないものもあるから、そういう時はGoogle翻訳の和訳を見て、その後はもう一度自分が書いた英語を見て、本当に内容が合っているかどうかをくまなく確認している。
常に怖いし、自分の英語がその後エンドユーザーから各国の翻訳者たちに手渡ると思うと、いっときも気が抜けなかった。
そうやって走り抜けてきた4ヶ月だった。
昨日(4/28)の夜、ノムと電話した時に新人の子の話をした。
ノムに私は「自分が困るわけでもないし、イライラするのとも違う、なんだけどなんだかずっとモヤモヤする」と言った。
ノムは相変わらず丁寧に聞き取りをしてくれて、さらには面白いことを提案してくれる。
「ねぇぶっしー、ダイス振ってみて」
「双子座、6ハウス、ヘッドホンの形の時に下に線があるのってヘッドだっけ?」とか言いながらノムとやりとりをした。
ノムは電話の向こうで言った。
「コミュニケーション、コミュニケーションって真っ先に出てきた。今回のことってコミュニケーションじゃない?」
ノムはこんな風に続けた。
「心が通うコミュニケーション、そこな気がする」
ノムは色んなことを私の話から察してくれた。
新しい子というのが、とても失礼なことをしているように感じるとノムは切り出して、具体的にどうしてそう思ったかを私が言った話のエピソードの具体例をいくつも出しながら説明してくれた。
例えば私が英語や仕事の中で大事な点に関して説明しているのにメモを取らないとか、添削して返しても全然それに対してありがたみを覚えてないようなところとか(←「ありがたみ」と私は一度も言ったことがなくて、話の感じからノムが「ありがたがってない風に聞こえる」と言って、私もそれで言われてみれば…とようやく気付いた)、私が指示したGoogle翻訳を全然活用せず完全に我流で英訳していたこととか。
Google翻訳の話は私は初日にもしたし、その後実際に英訳練習の時にも言った。
本番の英訳になると、自分が最初で最後の英訳担当者・確認係になるから、Google翻訳は欠かせないことを言っていた。
自分の英訳が人様の命に関わるもので事故や怪我があっては絶対にいけないから、だからこそきちんと訳せたかどうか自己判断だけで判断できないから、それゆえにGoogle翻訳に必ずかける必要があることは言った。
そうしたことが全く響いてなかったのか、軽く捉えたのか、覚えることがたくさんあるから抜けたのか、それとも派遣社員であり尚且つ英語の仕事は初めてしたと言う私が信用に値しないのか、なんなのかは知らない。
とにかく、真剣に教えたり伝えたりしたことがことごとく伝わってないのは本当だった。
なんなら何回かは「今の話は大事なことだから、メモを取ってください」と指示した時もあった。
英語ではなく、業務上大切な点を伝えているのにスルーされることも多々ある。
とにかく、色んなやりとりを思い出すと、本当にあれこれ失礼なことも言われたりされてきたんだなと、ノムが教えてくれたことで初めて気付いた。
いつだったかは、本人が聞いてきた文法があって、それはその時説明したけれども、実際のところどうなんだろう?と思ってネットで検索した。
検索した中でYahoo知恵袋にあった回答が一番わかりやすく端的に丁寧に説明されていたから、それを私はコピーして彼女に渡したことがあった。
ちなみに調べたのは残業した後の平日の夜家の中だった。
そして次の日の朝、職場でそのYahoo知恵袋を検索かけて、なんとか職場の閲覧規制はかからず無事に印刷できて彼女に渡したものだった。
その時に彼女は私にこんな風に言ってきた。
「あのー、これは良いと思うんですけれど、大学の時先生からネットの英語情報は信用できないから使わないようにと指導されてきて、だから私はネットの情報に不慣れなんですが。ネットの情報も使って良いんでしょうか?」
最後の質問は具体的に何という言葉かは忘れたけれど、おおよそそんな風だった。
その時私は、とにかく私はわからないものに関してはひたすら検索する癖があるから、見たらそれが信用できるものかどうかすぐに判断できるから、もし今後文法がわからないとなって調べて判断つかない時は、印刷してそれを見せてもらえたら使える内容かどうかは伝えられるから、見せてくださいと言った。
って言った日から一度もそんなこと聞かれてないことに今書いてて気付いた。
はっきり言って、私は彼女をバカにしている。
能力的なことをバカにしているのではなく(そんなのは各自得意不得意があるから、そういうことで誰かのことをバカにすることは絶対にない)、目の前に使える人=私がいて、とりあえず聞けばなんでもほいほいと答えてくれるだけじゃなく、知ってることは出し惜しみせず情報をありったけ渡してくれる人がいるのに、それを使わない。
大学の先生とかいう肩書きやキャリアとかだけで判断するのか知らないけれど、私みたいにいちいち細かく本人が書いたこの文章はここがおかしいとかいうことをきちんと説明のメモ付きで、まるで赤ペン先生のように書いて渡すのに、そういうことの重みも全くわかってない。
彼女はやる気があると思ったからそうしていたけれども、実際は全然言葉と行動が一致していなくて、本気なら本気でもっとやるだろうと思う。
伸びないだろうな…、そう思い始めてる。
伝えても反応がない、反応が薄いところを見て、これで伸びる方がおかしいとさえ思う。
まぁ色々思うことはあるけれども、今回の私が変に落ち込まず芯から強く立っていられるのには理由がある。
理由は大きく2つあって、1つにはわかる人たちにはわかってもらえてさらに支持してもらえたり応援してもらっていること。
例えばノムなら、精密機械のこともマニアックな英語のこともちんぷんかんぷんだと思うけれども、ノムは真っ直ぐに本質だけを見て、私のしていることの凄さや本気度をいつも冷静に客観的に見て言葉にしてくれる。
ノムに言われるまで私は自分がしていることが凄いことだなんて全く思っていなかった。
でもノムは私が友達だからとかそういう理由ではなく、本当に人として何が大事か、仕事をする時に何を大切に思うか、自分の価値観を軸にして見るものと私の話とを組み合わせて、それで私のしていることがどんな風に映るのかを言葉にして教えてくれる。
今いきなり思い出したから、ここで自慢をすると。
このブログに出てくるノムの名前は「野村浩平」さんで、そしてつい最近ノムが対談や構成を担当した瀬戸内寂聴さんと宮沢りえさんの本が刊行された。
その時のウラ話やノムが構成する際の素案やら色々聞いていたから、それが本当に本になったと聞いて嬉しさ然り、自慢したい衝動に駆られている。
そう、こんな凄い人物としょっちゅう電話して好き放題に喋れるなんて、私は最強の人運に恵まれている。
そう、この本の裏にある「野村浩平」さんこそが私の仕事の色んなことの相談に乗ってくれて、素敵なアドバイスや本質的な視点をもたらしてくれてる。
こうやって言葉にして表すと、私はなんと凄い人と繋がれているんだろうと思う。
職場の中でも、周りの人たちからたくさん助けてもらっている。
私がする質問は毎回厄介だし、はっきり言って説明するのに手間もかかるから面倒くさいと感じても不思議じゃない。
なんだけど、そんなことはいとわずに、私の質問に根気よく付き合ってくれる人たちがいる。
私のしていることに理解を示してくれるだけじゃなく、大事なこととして思ってくれてるのが相手の人たちの態度から感じられる。
さらには、英語に強い友達と障害児教育専門の友達にそれぞれ連絡して、英語の友達には彼女が英訳した文章を、教育の友達には彼女の様子をそれぞれ伝えて、そういう子には何をすれば本人の力が伸びるのかを聞いた。
それだって、どちらの友達も中堅的な立場で仕事も忙しいし、子どもも小さいから家でも忙しいのに、時間をそれぞれ作ってくれて、ものすごく丁寧且つ具体的なアドバイスをくれた。
そうやって周りに頼れる人たちがいて、そして力を貸してもらえるというのは、本当の本当にありがたい。
もう1つは、誰が何と言おうと、自分のこれまでの積み重ねを自分が見てきているから、それで自信がある。
この間、国公立の医療系大学院に通っているチカと話した。
チカに聞かれるまで知らずにいたけれども、私が大学時代に書いていた各種レポートや論文は、日本でいうところの大学院レベルのスタイルでやっていた。
リサーチペーパーと呼ばれるもので、仮説を立てて、その仮説を支える理論を探して、そしてその理論と自分の仮説から具体的な研究方法や方針を定めて、実際に研究検証して、その後データ分析や解析をして、そこから結論を導いて、実際の理論と現実とがどうだったかをまとめるみたいなことも一通りやって(数本はそのスタイルで課題としてやった記憶がある)、当然それらすべては英語で書いて読んで調べて…となる。
そうしたことを思い出した時に、私が18年近い英語のブランクがあっても即座に書けて対応できるのは、そうした積み重ねがあるからだとわかった。
しかも、若いってすごいな!って人生で初めて自分に対して思ったと思うけれども、若い頃に身につけたものは体で覚えている。
今さっきも、becomeを調べていた。
とにかく英語ではbecomeをほとんど使うことがなかった。
これは口酸っぱく「使わない」と私はネイティブの英語のエキスパートたちから教えられて、それで今回新しい子がやたらとbecomeを使うのと、その使い方がまたとにかく「変」で、どうしたことかと思っていた。
あまりにも変な使い方をいくつかしていて、それでとうとう私は調べた。
とにかく変だけど、どうしてそれがダメなのかが理由がわからない。
ちなみにわかったことは、becomeは永続的に「なる」状態に使う動詞だと知った。
だから
「He became tall.」彼は背が高くなったー
は高くなった背については変わらないからbecomeを使えるけれど、
「He became tired.」彼は疲れたー
は疲れたはその時はそうでも時間が経てば変わるから、そういうことには使えないと知った。
それでわかった。
彼女の書いたbecomeに違和感があったのは、色々切り替わる機械の状態に対してbecomeを使っていたから、それでとてつもなく変だったこと。
何が言いたかったかというと、私はそうしたことを理由もなく感覚的にずっと習得していたから、だから感覚的に覚えたことはおおよそ間違いはないはず。
理論理屈は後からいくらでも見つけられるけれど、この感覚は今から習得するとなると、ものすごい時間がかかるし、さらには英語圏にいない環境下でそれを身に付けるとなったら半端なく大変になる。
調べてわかったけれども、私は上に書いた説明に行き当たるまで今回は10数個のサイトを見ている。
なかなかピンとくる説明に行き当たらなくて、それでようやく探し当てたものだった。
この「ピンとくる」感覚は、私の専売特許みたいなもので、そのピンとくるこないというのは普段から色んなものを調べる癖があって、それだからこそ英語にしてもそういう基準が自分の中にあるから、センサーに引っかかる引っかからないがはっきりしている。
こうした自分の感覚は一朝一夕に出来上がったのじゃない。
isとdoesの区別もつかず、なんなら今でも仮定法と呼ばれるものの時制とかわからないまま来てしまっているけれども、それでもこうして最後は腹を決めて訳すことができて、そして自分の持っている情報を堂々と出せるのは、これまでの積み重ねのおかげに他ならない。
ひたすら小さなことを積み重ねてきた自分がいるから、その過去の自分に今の自分が支えられている。
連休に入る前、とうとう同じ部署の人から新人の子が何をしていて何ができるようになったのかを聞かれた。
私はその話題をとことん避けていた。
聞かれてもすっとぼけて、話を切り替えたりして避けてきた。
だけど今回はもう誤魔化せないし、実際に同じ仕事をするチームとしては少しでも手が欲しいのも本当で、だから細かいことは言わなかったけれども、かなり厳しいことと現時点で本人にお願いできる業務がほぼゼロであることを伝えた。
(ちなみに私は最初の1ヶ月で6個の大きなくくりの業務を同時進行で教えられて、さらには2ヶ月目からはその同時進行で教えられた通常業務+いきなり英訳依頼が止まらなくなって今に至る)
その時にそれじゃまずいよねという話から、新人の子は派遣や契約ではなく正社員なんだから、確実に仕事ができないとまずいと言っていた。
そんな風にこれまで考えてなかったから、言われてみてそうか…と初めて思った。
まぁ実際に言われてもピンとこなかったけれども(苦笑)。
続けて彼女は言った。
正社員だから、少なくともそれ相応の給料はもらっているはずで、だから何もしてないっていうのはちょっとね…、という感じだった。
それに関しても、その通りでもだから何だ?という感じだった。
言ってきた子に何か思うこともなければ、新しい子に何かを思うこともなかった。
家に帰って、ふと気になって、一体新卒採用ならいくらあの会社は給料を出すんだろう?と思ってネットで調べた。
額面を採用サイトで知って、思わず電卓で自分の時給から1ヶ月分の給料を割り出した。
私が1ヶ月普通に働くよりも今現在何もできない新しい子の方が普通にお金をもらっている( ̄∀ ̄;)。
朝のメールのやりとりを思い出した。
新しい子の対応のことで、正社員の男性陣にお願いメールを出した。
本当に色々やらかしていて、何せ周りはどういう状況かも知らないから、それで少しだけ状況を伝えての対応に関してお願いメールを書いた。
素案は私が書いて、その後上司から大幅に修正が為されたものを私は清書してそれを送信した。
その私のメールに対して、男性の1人から彼女はまだ何も知らないゆえに技術的なことも教える必要があることや能力に差があるのは仕方ないけれどもだからと言って何も知らないままにはさせられないから…というようなことを書かれてきた。
そして社内の状況で、みんな忙しいから下々になればなるほど冷たくされたりきちんと教えてもらえない状況もあるから、だからこそできる範囲のことは協力したいみたいなことも書かれてきた。
それもごもっともだからよろしくお願いします、と返した。
けれど、それもまた私はちょっと引っかかった。
というのは、その中に具体的な技術の基本のきと呼ばれるような言葉がいくつか出ていて、それを彼女は知らないから正しく知る必要があると書かれていたものを、私も1つも知らない状態で、なんならその中の言葉によっては英単語さえ今も知らないぐらいで、そんな中で私はずっと英訳をしてきた。
社内で冷たい対応なんてのも色々浴びてきたけれども、私は唯一その担当者しか頼れないから、どんなに塩対応でも本当はその場で泣き出したいぐらいに嫌な思いをしていた時でも、それでも何事もないようにひたすら質問を続けて、なんとか説明を受けて、その十分とは言い難い説明と日本語の原稿とを最大限忠実に日本語で理解した上でそれを英訳していた。
相手が怒っているなぁなんてのも感じることは時々あるし、心折れそうになってももう自分だけが唯一そこで踏ん張ってやらないことには私じゃなくてその先のその文章を本当に必要とする人たちに迷惑がかかるのは明らかだったから、自分の感情は捨てた。
質問の後、恐怖とかでしばらく体が震えるぐらいの時だってあったし、気持ちを切り替えるのにコーヒーを飲んだり何か違うことをしてみたりとか、そんな風にやってきたこともかなりあった。
今でこそイケメンエンジニアの硬派さんという最大のサポートを惜しみなくしてくれる人がいるけれども、これだって色々な偶然が重なって硬派さん自ら申し出てくれて、さらには周りの目もあったけれどもそれも見て見ぬふりでガンガン質問に行くことを繰り返して、それでもはやもう私が質問に行くのは当たり前みたいな風景におそらく今はなっていて、未だに誰からも文句は言われていない。
文句を言われたのなら私はいつでも硬派さんをかばう用意はできているし、そして私自身の困り事も訴える用意はできている。
さらにトムさんや海外事業トップのMr.ダンディーからの英訳のサポートも適宜お願いしている状況だけれど、それらだって1から色んなやりとりを積み重ねていての今だったりする。
いくら仕事と言えども本当にかなりな負担を相手の人たちに強いるから、負担の大きい人たちに小さなお菓子を用意して持って行くのも私なりの罪滅ぼしでやっている。
どんな塩対応でも絶対に最後は時間をもらったことや説明をしてくれたこともお礼をしっかり言うし、本当に超きちんとしてくれた人には「ものすごい助かりました」というのも付け足して言う。
とにかく、派遣だし何か相手の人たちにプラスとなるような容姿やフェロモンや癒しを与えられるわけでもないから、本当に自分で工夫できることは工夫して、なんとか協力してもらえるように(本当は私がお願いされてるからそれも実際は少しおかしな話だったりする)動いている。
孤立無援且つ何も知らない状態でいきなり難易度MAX+大至急とか激短納期みたいな英訳ばかりに当たりまくって、それで走り抜けてきた最初の1ヶ月2ヶ月だった。
硬派さんはじめ色んな人たちからサポートをもらうのは最初と比べて数段良くなったことだけれども、難易度MAXや大至急なんてのは相変わらず変わらない。
それに比べて、最初から恵まれた状況+理解者も協力者もいる新しい子を前に、釈然としないものの、代わりに自分がしてきたこと、全力でやって積み重ねてきた数々のもの、それに対してすごく誇らしい気持ちになった。
それは私が選んでいることだから何も言えないけれども、だけどもし周りが、お金なら確実に私よりもらっている新しい子の方が何一つできなくて責任あるものも何もさせられない状況で、反対に彼女よりお金をもらっていない私が責任のある、そしてものによってはものすごく重たい責任のものを担当していると知ったらどうなんだろう?と思った。
責任あるものをさせられないというのは、その中でも一番簡単なものを教えて引き継ぐ予定だったけれども、引き継ぐのは変わりないけれども、それを引き継ぐだけの十分な能力に達していないどころか色々やらかすことが徐々に判明していて、それで引き継ぐにしてもものすごいフォローとチェックが常に必要だというのが最近わかった(上がその状況をたまたま見つけて、それで1からチェック必須になった)。
一番簡単な業務でそれだから、この後もっと色々業務でやるものがあるのに、もはや何ならできるのか…とまで囁かれ始めている。
それはそうと、本当に何もないところからのスタートでよくぞここまで形にしてきたなぁと思った。
ちなみに技術的なことで言えば、頭キレッキレの硬派さんでさえも知らないとか何を意味しているのかわからないというような原稿まで無知な私が担当しているわけで、本当にどうなっているんだろうと思う( ̄∀ ̄;)。
色々あったけれども、最終的に自分が自分に納得できる形を追求し続けたのは良かった。
給料云々も聞いたからと言って、仕事に対して手を抜くとか文句を言うとかはない。
同じように仕事をするし、今手元にある新しい子の英訳の練習で添削の終わってないものはそれもこれまで同様に添削して返そうと思う。(ちなみに返しても、それをどの程度中身を見てくれてそこから感じてくれるのかはわからない。そこは期待ゼロでいかないと自分の方がしんどくなる。)
5月からは新しい子への新人教育的な業務がなくなるから、自分が担当した部分だけは最後までしっかりやりきって終わりにしたい。
この世的には色々と不利な感じなんだとは思う。
立場で言えば、正社員がしっかりとお勤めをこなしたらいいわけだし、派遣の私は補佐的に入るのが本来正解なんだと思う。
こんな言い方も卑しいけれども、ただ現実、私の方が数をこなしているのと元々の英語の知識が豊富なのとで、仕事自体はやれる。
それも会社が求める正確性とスピードという点で、それにある程度適ったものを提供できる。
その辺りは割り切って私はするし、とにかくきっちりとすることで次の扉が開くと思っている。
今のところも長くはいないと思うし、いつかは終わりがくる。
そのいつか終わる時に「◯◯をしておけば良かった」みたいな後悔だけはしたくない。
これからだって理不尽なことや納得いかないこと、嫌な思いをする場面はあると思う。
そういうのは仕方ない。
だけど、それらに対して不平不満をこぼして、それで本来の業務を手抜きするというのは違うと思うし、そうはしたくない。
さらに言うと、今の職場は周りがどう思うかは別として、私は最後は人とか人同士の信頼関係だと思っている。
あの人はきちんとやる人だと思われていたい。
あの人にお願いしておいたら大丈夫と思われるような状態はいつも心がけたい。
今回みたいな状況を目の当たりにして、可哀想というか憐れな感じがする。
本来優秀なはずなのに(数少ない採用人数を突破して大手企業に採用されるわけだから、素の能力は高いと思う)、今の仕事内容は相当な努力を要する現状にある。
しかも本人希望でやりたい仕事にも関わらず、その仕事に対しての適性に、はっきりと言えば壊滅的にマッチしていない。
努力してなんとか埋まるとかいうレベルじゃない。
英語の基礎基本からおかしなことになっているから、そんなの仕事以前の問題になってしまう。
しかも怖ろしいことに、その基礎基本も知らないならまだしも誤って覚えたまま今に至るものがたかが4つの原稿の英訳練習で毎回何個かあるわけだから、そんな状態ではとてもじゃないけれどもお客さん含めて対外的に出せるようなレベルにない。
私がこれまで担当した英訳の中に、過去の英訳がおかしかったものを直したことも時々ある。
おかしかった英訳を見ていて、本当に毎回イラッとするぐらいに酷い英訳だったけれども、今回わかった気がした。
そういうレベルの人が訳したらそうなるわ!って。
私が直した英訳は、ことごとく大事な情報が欠けている状態で英訳をされていた。
だからその欠けている大事な情報たちを足して書き直した。
それに酷似した英訳を練習の時点で新しい子は作っているから、これはもう数をこなせばわかるようになるというレベルじゃない。
良くも悪くも私みたいに「自分の英訳が信用ならない」とか「間違えたらやばいから、絶対にGoogle翻訳かけなきゃ」みたいな危機感もないし、自己不審的な、自分の能力を疑うこともしない。
彼女にはそうした感覚がないこともあって、だから余計と現状では本番なんてとてもじゃないけれどもさせられないし、今後やれるようになるのかと言えば、一旦これまでの基礎基本を捨てて1から学び直しましょう!と提案しても良いぐらいに新しく身に付けるだけじゃなくこれまで積み重ねた基礎を一度無しにしてもう一度正しい基礎基本を身につけないといけない。
とかいう状況で、やりたいことでも適性がないというのは本当に本人にしたら苦しいことだと思う。
そういうこともあって、可哀想とか憐れに感じる。
しかも、自分の習ってきたこと、学んで自分の中に積み重ねたことが間違えていたなんて、とんでもなく悲しい。
彼女は彼女で中高大学と10年分の英語の学びがあるわけで、その学びが違いますなんて、私なら本当に嫌になる。
これまで英語に関してどうこう思うことはなかったけれども、彼女に会ったことで自分の英語の基礎基本の凄さを知った。
本当の本当に徹底的に鍛え上げられたものだから、最初は自分で、大学の頃は英文法専門とするネイティブの人たちから直して正しいものを教えてもらえたから、だから今の私がいる。
当時のような環境にもなければ、本当に嫌になるくらいに勉強したり英文書いたりしないとだったから、そんなことを今もう一度やれと言われてもやりたくはない。
何でもそうだけど、その時にしかやれないことってあって、その時にやらなかったことはいつか持ち越したくてももうやれない。
彼女がこれからどの程度伸びるかはわからないけれども、かなりな積み重ねを必要とするのは間違いない。
しかも本業は基礎を積み立てることではなく、本来なら基礎があって当たり前で、それを軸にして仕事をこなさないといけないのにその基礎が不十分で誤っているわけだから、そこからやらないといけない。
色々なんだかなぁと思う。
好き放題に書いた。
このままアップする。
自分で「あの人はきちんとやる人だと思われていたい。」と書いていてかなり吐きそうだけれど( ̄ཀ ̄;;)、だけど本当のことだからそのままにした。
他にも人のことを良く言わないのも趣味にはないけれども、それだって本当のことすぎて嘘は書いてない。
情報開示について、社名伏せて名前伏せても読む人が読んだらわかるのもどうかと思うけれども、それで罰則を受けたり解雇になっても仕方ないと思う。
ちなみに書いてて気付いたけれども、仕事に関して言えば、人として挨拶しないとか煙たい態度を取ってくるとかいう人ででも仕事はできる人と、人当たりは良くても仕事ができない人なら、私の場合は前者の人の方がいい。
冷たくされたりイライラぶつけられるじゃないけれど明らかに自分の感情を私にぶつけてますよね?の人たちもいるけれど、どの人も少なくとも私が聞いたことについてきちんと大事なことは説明してくれた。
仕事ができなくて本人にその認識もないというとんでも事態に遭遇して、そちらの方がタチが悪いとわかった。
私は何でもかんでも言いすぎる傾向があるのかもしれないけれど、会社だって「新しいものには取り替えずに既存のものを調整する」ことを「新しいものに取り替える」と訳してもらっては困るわけで、それを知ってるのに報告にあげず、「できます」とかいう嘘の報告するわけにいかないでしょ?と思う。
真面目にそのレベルの出来栄えに毎回私は当たったわけで、それが1回ならまだしも毎回何個(=複数文に誤訳あり)もそのような事態に陥っていて、それでわからないことは質問してくださいと言ってることもまるでご挨拶状態で大事なことは何も聞かれず(ちなみに質問はされるけれども、的違いなことばかりを聞かれる)、そんなこんなで何とか普通にしようと目論む方が無理がありすぎる。
誰しもが強みはあるけれども、適材適所というのはあるから、適材適所になっていないものをどうにかするよりも、適材適所で本人の強みが活かされるところにいる方がうんといいだろうと思う。
特に白黒はっきりした結果を求める業界なら尚のことそうで、常に白いものを求められているのに本人が頑張っても黒いものしか用意できないなら、そこに居続けることの方が本人も周りもしんどくなるのは時間の問題だと思う。
完全に私の愚痴日記になったけれども、それが直近の現実。
5月から体制が変わるから(正社員の育休明けの人が戻ってくる)、また違う流れになっていくだろうと思う。
ちなみに連休前に席替えがあって私は通路側に移動になったけれども、何が嫌かって私の雑多すぎる机周りが常に人々の目にさらされること( ̄∀ ̄;)。
仲良くしてくれてる人たちが私の席に来て「すごいたくさん資料があるんだね」と遠回しにその雑多ぶりを皆が伝えてくれるぐらい、本当にカオスな机がオープンになっている。
しかも悲しいかな…、その通路、技術の人たち皆が各種資料を持ち込むのに通過するところだから、もうここはあきらめて、その汚さや雑多さにみんなの目が慣れるのを待つしかない( ̄∀ ̄;)。
過去にその席だった人たちはとてもきれいに整理整頓されていて、初代雑多王が私になる。
そんなこんなで4月の勤務を終えて、今は6連休の2日目。
ゴールデンウィークって速く過ぎ去るんだな…と思ってる。
あと休みが4日しかないという事実に愕然とする((((;゚Д゚)))))))。