2018/10/31 1:19
今回は何を見るのかな?と思いつつ、もはや何もなくてもいいか、とどこかあきらめのような気持ちがあった。
家を出る時から雨は降っていたけれど、どんどん激しさが増してそのうち土砂降り。
駐車場からバス停まで100mほど。
東京は晴れなら、傘は持って行きたくない。
失くしそうだから。
トンネル抜けたら多少は雨が小降りになるかと期待したけれど、そんなことない。
前回サギを見た地点も通り過ぎ、今日は何もないなぁと思った。
あと10分程度で着くという頃、状況は変わった。
雨が小降りになって、とりあえずワイパーは一番遅いもので良くなった。
そのうち遅いものでも多くて、止めて手動で時々ワイパーをかけるぐらいになった。
着く頃には雨はほぼ止んだ。
それだけでも感動していたのに、外に出てビックリした。
なんと、月が時々雲が切れると見えた!
まさかの月で、あんなに土砂降りで傘の心配したのが嘘のようだった。
バスに乗ってしばらくすると、窓を叩きつける雨の音がした。
また激しく降り出したらしい。
本当にあの時間だけ、雨が止んで月まで見せてくれたんだなと思った。
11/1に下弦の月になる。
意味を調べると、今回の月は
・揺るがない自分
・自分の中の真実
がテーマらしい。
2018/10/31 7時〜
東京駅に降り立った。
思いの外寒くてビックリした。
新潟は出てくる時、8度と電光掲示板に出ていた。
東京の最高気温20度に合わせた格好では足りなかった模様…。
ヒートテック着てきて良かった。
眠い頭のままテクテクと歩いていると、見覚えのある制服を見た。
夏の制服と違って、冬の制服は興味もなくきちんと見ていなかったから、かなりうろ覚えだった。
だけど、色や形が似ていた。
たまたまかもしれないし、世の中には似た制服なんていくらでもあるから、絶対に違うだろうなぁと思って、念のため見ただけだった。
まさかねぇ、こんなところにその制服着た人がいるわけない、と思いつつ、もし本当にそうなら凄すぎ!と思って、悪いと思いながらその制服の男性をガン見した。
思わず目が合って気まずかったけれど、驚いた。
冬バージョンの制服の上着だった。
時間はまだ6時台、7時まで10分以上あった。
会社のワッペンが付いていた。
協力会社の人だったとしても、何がどうしたらその制服の人が東京駅の前に私がちょうど通過するポイントにいると言うんだろう。
あまりの出来具合いに、出てきた時の月よりも驚いた!
しかも、あの感じからすると、誰かを路駐しながら待っている風で(車もみんな同じタイプのものを全国的に使うのか、見慣れたものだった)、今仮にそこを通っても多分もういない。
どんなタイミングですか!と思った。
目が一気に覚めた。
この後、悲劇が。
チョコクリームが飛び出してきて、服にベッタリと付いた((((;゚Д゚)))))))。
胸の辺りに、大人の人差し指から中指の大きさのものが1つ、おへその辺りに親指の第1関節分のものが1つ、計2つ大きなチョコのシミが付いてる。
水や石鹸で落とせず、このまま1日過ごすかどうするか迷っている。
講座の前に用事が1つあるから、服を探すにしても時間的に厳しいなぁと思う。
誰に突っ込まれても、反対に突っ込まれなくても、どうとでも振る舞えるから、このままでもいいか!と思ったり。
こんなすごいシミ、人生で初めて付けたから、ある意味貴重な経験だと思う。
周りの人たちがどう反応するのか、それを見るのも楽しいかもしれない。
2018年10月30日火曜日
書き忘れた宿題からのストーリー
10月30日(火)の目標
〜冷たい雨降りの午後4時過ぎ〜
・ホロスコープの宿題を終わらせる!
間を空けすぎたせいで、ホロスコープの宿題のやり方をけっこう忘れたと言う…。
自分でもかなり気付いていたけれど、私は自分の星には興味があるけれど、他人の星には興味がない。
よく考えたら、自分のホロスコープをもっと読めるようになりたい!と思って受けたから、他人のものは基本スルー。
所詮他人だから、しかも興味もない人だから、余計と気持ちが入らず。
だけど、明日の朝は東京でのんびりとこの半年を振り返るモーニングをしたいから、それだけを目標に宿題がんばろうかと。
やりたくなくなると、こうやって現実逃避。
やり終えていたと思っていた宿題も終わってなくて、今10日前の出来事を振り返っている(←その日の振り返りが宿題に必要)。
思い出したことが1つ。
その日私は久しぶりに遠出をした。
気持ち良い外でお茶タイムして、用事を足してプラプラとウインドーショッピングを楽しんで、あとは帰る気でいた。
一応ペンジュラムに「帰るね」と聞く。
ペンジュラムはNOと言う。
何回か聞くけれど、NO。
とりあえず頭の中にいくつか近隣の寄れる場所を思い浮かべて、それでそこから一番近い大きなツタヤに寄ることになった。
毎回往生際が悪い私は、「私は本を買う予定もなければ、本の探し物もしていません」と思うけれど、ペンジュラムはお構いなしに「ツタヤYES」を私に伝え続けていた。
行かなくてもいい?とこういう時は聞く←自ら帰る帰らないを聞いたくせして、寄り道が面倒くさくなった人。
そんなん聞いたら、ペンジュラムはスーパーNOを勢いよく出してきたから、降参して行った。
私のこの気のムラも気にせずに毎回付き合ってくれるペンジュラムには感謝しかない。
今回が3回目ないし4回目のツタヤX店の訪問で、基本的に中の間取りとかはよくわからない。
入口入ってすぐのところに売れ筋ランキングみたいな本のコーナーがあったけれど惹かれず。
またウロウロしながら、オススメ本コーナーに行った。
そこは色んなジャンルの本を1つの場所に集約していて、その中から見つけた本たちだった。
そこで出会った2冊の本が良かった。
絶対に自分では手に取らない本。
色んなツタヤに行ってみてわかったけれど、本の取り揃えから並べ方まで各店舗全く違う。
X店のそのコーナーも、近隣のツタヤにはないタイプの設定になっていた。
2冊を持って、しばらく適当な椅子に座って読んで、その日は帰った。
そのうちの1冊は買おうかな…と思った。
でも本は本当に欲しい本しか買いたくないから(闇雲に買うと後から整理できなくなるから)、とりあえず保留にした。
あ!となったのはその後。
その少し前の話をしよう。
ウインドーショッピングの一環で、私は樹脂ピアスが充実しているお店にも立ち寄った。
さらに前の話をすると、今月の頭におばたちが去年亡くなったおじの一周忌の後に我が家に遊びにきた。
おばの1人を電車の駅まで送った時に、ガソリン代と言ってお小遣いをもらった。
ありがたく頂戴したけれど、そのおばを送った時間は私にとって、私が生まれてすぐの頃の大事な話を聞くための時間でもあったから、そのお金は一生残るものに変えたかった。
おばはその車の中で、私が生まれてすぐの頃、祖母と一緒に電車に乗って我が家まで私を見に来てくれた話をしてくれた。
だから、それを思い出せる物にそのお金は使いたかった。
で、ふとピアスいいかも!と思って、ピアスを見に行った。
気に入ったものもあったけれど、ペンジュラムは買うことに対し断固としてNOを出していた。
何でだろう?と思ったけれど、まぁペンジュラムがそう言う時はやめる。
もしかしたらもっと素敵な品物に出逢うよ、の予告かもしれないから。
で、ツタヤに行って本を見て、それいいかな〜と思った。
でもそこで即断せずに、地元でも買えるだろうと思ってその日は買わなかった。
それから数日後、今度は地元のツタヤに行った。
その本をやっぱり買おうと思って。
それがこの話に繋がっていく。
>>>数日前にアップしたブログより
(実際は、26日金曜日の夕方のこと)
空いた時間にツタヤに行った。
その時いた場所から
A店…1㎞圏内
B店…次の目的地の1㎞圏内
C店…現地点からも次の目的地からも外れている
3つの店舗の候補があった。
私はA店かB店に行くつもりだった。
でもペンジュラムはC店のみYES。
時間的に間に合うから、何だかよくわからないけれど、C店に行った。
実は探してる本があって、普段通らない通路を通った。
一瞬タイトルが気になって手に取り、パッと開いたらこの文章が書いてあった。↓
【デスクの上が散らかっている人は、案外、「ありのままの自分」を表に出し、「他人からどう見られても構わない」と開き直っているところがあります。つまり、メンタリティが強いことが多いのです。】
『空間心理カウンセラーの「いいこと」が次々起こる片づけの法則』
伊藤勇司
結局私は、その部分だけささっと読んで、本来の目的は次回持ち越しになった。
ペンジュラムは今日も間違いなく私をドンピシャのところに導いている。
なぜなら、私は他の2つの店舗ならその探し物の本のあるだろう場所がなんとなく予測できたから。
今日の店舗だけは予想がつかなくて、とりあえず新刊本コーナー、ビジネス書コーナー、心理コーナーを回ってそれでもなくて、途中文庫本棚の前を通ってエッセイコーナーに行く時に見つけた。
文庫本コーナーは基本どこの店舗でも行かないから、そういう意味でC店でなければいけなかったし、本もパッと目に付く位置にないといけなかった。
ものすごく上手くできていた。
次の約束の時間が迫っていたから、本当にその本だけを今日は見ることになった。
>>>ここまでブログより引用
ホロスコープの宿題書き忘れのおかげで、この一連の話を思い出した。
その日だけを切り取ると、単にツタヤに行って素敵な本に巡り合って…みたいな話になっているけれど、実際は色んなことが絡まり合って1つのストーリーになっている。
そもそもその遠出の日、ペンジュラムがツタヤに行くことを教えてくれなかったら、私はその本に出会うことがなかった。
おばが私にお小遣いをくれたことで、それを何かの物に変えようという発想にはなったけれど、そんなことがなければ本を買うとか考えることもなかった。
その後、地元のツタヤに再度行くわけだけれど、ペンジュラム推薦の店舗に行かないことには、上の引用文の本にも出会うことがなかった。
さらに、このホロスコープの宿題が出なければ、このいくつものバラバラだったストーリーが1つに繋がることもなかった。
順を追うとこんな感じ。
おじの一周忌の後、おばたちがうちに遊びに来る
(おばは、その時たまたま仕事の代休と重なってうちまで来れた)
↓
帰りは電車になったおばを駅まで送る
(普段は車で移動する人)
↓
その時に私が生まれてすぐに祖母と一緒に私に会いに来てくれたことを教えてもらう
↓
おばが私にガソリン代としてお小遣いをくれる
↓
それを思い出の品に変えよう!と決める
↓
ある日、樹脂ピアスの店に行く
↓
気に入ったピアスをそのお小遣いで買おうかと思ったけれど、ペンジュラムはNO
↓
買うのを止める
↓
帰ろうと思ってペンジュラムに「帰る」と聞くとNO
↓
ペンジュラムからその近くにある大きなツタヤに案内される
↓
そこで気に入った本を見つける
↓
その日は買わず、本当に一生手元に置いておきたいかを見定めてから買おうと考える
↓
後日、近くのツタヤに行く
↓
一番行くのに都合の悪い店舗をペンジュラムは案内する
↓
欲しい本のありかがわからず、店内をウロウロする
(他の2つの店舗ならなんとなくありかがわかるからウロウロすることはなかった)
↓
その時に見かけた別の本から、素敵なメッセージをもらう(伊藤勇司さんの本)
↓
↓
そんなことすっかり忘れていて、慌てて講座前日にホロスコープの宿題をしようとしたら、宿題のやり忘れに気付く
↓
振り返りをせざるを得なくなり、振り返る
↓
最終的にこの一連の流れを知ることになる
どこまでも繋がっている!と思った。
さっき、占星術の講座の主催者の先生から来月・再来月のイベントのお知らせがメールで来た。
講座は、講師のU先生と、運営のK先生とで開催されている。
K先生の方からきた。
ちなみにそんなメールをもらったのは、今回が初めてだった。
何が驚いたって、K先生と私がホロスコープを人生で知った最初の日に鑑定士さんから教えてもらった某サイトの筆者の方が繋がっていたことだった。
2月に受けてきた時に、私はホロスコープ関連でとても参考になる人を鑑定士さんから2人教えてもらってきた。
そのうちの1人の方は、わりかしすぐにサイトを見たりした。
今でも時々調べ物の時にお世話になっている。
なんと、K先生は今後の予定でその方と組んで講座をされるらしく、それでその案内が来た。
それには行かないけれども、とにかく最後の最後になって、そんな風にネットで見た人と自分がリアルに知り合えた方とが繋がるなんて思ってもいなかった。
ちなみに占星術で講座される方は世の中に最低でも数千人、もしかしたら万単位でいる。
そんな中で、まさか全く繋がりのない人だと思っていた人たちが繋がっているなんて、本気で驚いた。
本当に今の時代、どこで何と何が繋がるかなんてわからないなぁ!とものすごく強く実感した。
これ書いたら17時をかなり過ぎた。
宿題は書き忘れたところだけ終わって、肝心の部分はまだ手付かず…。
ガソリンも入れてこないとだから、ガソリンをこれから入れに行こう!
宿題、今日中に終わりますように。
(↑これは願うことではなく、「やる」こと)
〜冷たい雨降りの午後4時過ぎ〜
・ホロスコープの宿題を終わらせる!
間を空けすぎたせいで、ホロスコープの宿題のやり方をけっこう忘れたと言う…。
自分でもかなり気付いていたけれど、私は自分の星には興味があるけれど、他人の星には興味がない。
よく考えたら、自分のホロスコープをもっと読めるようになりたい!と思って受けたから、他人のものは基本スルー。
所詮他人だから、しかも興味もない人だから、余計と気持ちが入らず。
だけど、明日の朝は東京でのんびりとこの半年を振り返るモーニングをしたいから、それだけを目標に宿題がんばろうかと。
やりたくなくなると、こうやって現実逃避。
やり終えていたと思っていた宿題も終わってなくて、今10日前の出来事を振り返っている(←その日の振り返りが宿題に必要)。
思い出したことが1つ。
その日私は久しぶりに遠出をした。
気持ち良い外でお茶タイムして、用事を足してプラプラとウインドーショッピングを楽しんで、あとは帰る気でいた。
一応ペンジュラムに「帰るね」と聞く。
ペンジュラムはNOと言う。
何回か聞くけれど、NO。
とりあえず頭の中にいくつか近隣の寄れる場所を思い浮かべて、それでそこから一番近い大きなツタヤに寄ることになった。
毎回往生際が悪い私は、「私は本を買う予定もなければ、本の探し物もしていません」と思うけれど、ペンジュラムはお構いなしに「ツタヤYES」を私に伝え続けていた。
行かなくてもいい?とこういう時は聞く←自ら帰る帰らないを聞いたくせして、寄り道が面倒くさくなった人。
そんなん聞いたら、ペンジュラムはスーパーNOを勢いよく出してきたから、降参して行った。
私のこの気のムラも気にせずに毎回付き合ってくれるペンジュラムには感謝しかない。
今回が3回目ないし4回目のツタヤX店の訪問で、基本的に中の間取りとかはよくわからない。
入口入ってすぐのところに売れ筋ランキングみたいな本のコーナーがあったけれど惹かれず。
またウロウロしながら、オススメ本コーナーに行った。
そこは色んなジャンルの本を1つの場所に集約していて、その中から見つけた本たちだった。
そこで出会った2冊の本が良かった。
絶対に自分では手に取らない本。
色んなツタヤに行ってみてわかったけれど、本の取り揃えから並べ方まで各店舗全く違う。
X店のそのコーナーも、近隣のツタヤにはないタイプの設定になっていた。
2冊を持って、しばらく適当な椅子に座って読んで、その日は帰った。
そのうちの1冊は買おうかな…と思った。
でも本は本当に欲しい本しか買いたくないから(闇雲に買うと後から整理できなくなるから)、とりあえず保留にした。
あ!となったのはその後。
その少し前の話をしよう。
ウインドーショッピングの一環で、私は樹脂ピアスが充実しているお店にも立ち寄った。
さらに前の話をすると、今月の頭におばたちが去年亡くなったおじの一周忌の後に我が家に遊びにきた。
おばの1人を電車の駅まで送った時に、ガソリン代と言ってお小遣いをもらった。
ありがたく頂戴したけれど、そのおばを送った時間は私にとって、私が生まれてすぐの頃の大事な話を聞くための時間でもあったから、そのお金は一生残るものに変えたかった。
おばはその車の中で、私が生まれてすぐの頃、祖母と一緒に電車に乗って我が家まで私を見に来てくれた話をしてくれた。
だから、それを思い出せる物にそのお金は使いたかった。
で、ふとピアスいいかも!と思って、ピアスを見に行った。
気に入ったものもあったけれど、ペンジュラムは買うことに対し断固としてNOを出していた。
何でだろう?と思ったけれど、まぁペンジュラムがそう言う時はやめる。
もしかしたらもっと素敵な品物に出逢うよ、の予告かもしれないから。
で、ツタヤに行って本を見て、それいいかな〜と思った。
でもそこで即断せずに、地元でも買えるだろうと思ってその日は買わなかった。
それから数日後、今度は地元のツタヤに行った。
その本をやっぱり買おうと思って。
それがこの話に繋がっていく。
>>>数日前にアップしたブログより
(実際は、26日金曜日の夕方のこと)
空いた時間にツタヤに行った。
その時いた場所から
A店…1㎞圏内
B店…次の目的地の1㎞圏内
C店…現地点からも次の目的地からも外れている
3つの店舗の候補があった。
私はA店かB店に行くつもりだった。
でもペンジュラムはC店のみYES。
時間的に間に合うから、何だかよくわからないけれど、C店に行った。
実は探してる本があって、普段通らない通路を通った。
一瞬タイトルが気になって手に取り、パッと開いたらこの文章が書いてあった。↓
【デスクの上が散らかっている人は、案外、「ありのままの自分」を表に出し、「他人からどう見られても構わない」と開き直っているところがあります。つまり、メンタリティが強いことが多いのです。】
『空間心理カウンセラーの「いいこと」が次々起こる片づけの法則』
伊藤勇司
結局私は、その部分だけささっと読んで、本来の目的は次回持ち越しになった。
ペンジュラムは今日も間違いなく私をドンピシャのところに導いている。
なぜなら、私は他の2つの店舗ならその探し物の本のあるだろう場所がなんとなく予測できたから。
今日の店舗だけは予想がつかなくて、とりあえず新刊本コーナー、ビジネス書コーナー、心理コーナーを回ってそれでもなくて、途中文庫本棚の前を通ってエッセイコーナーに行く時に見つけた。
文庫本コーナーは基本どこの店舗でも行かないから、そういう意味でC店でなければいけなかったし、本もパッと目に付く位置にないといけなかった。
ものすごく上手くできていた。
次の約束の時間が迫っていたから、本当にその本だけを今日は見ることになった。
>>>ここまでブログより引用
ホロスコープの宿題書き忘れのおかげで、この一連の話を思い出した。
その日だけを切り取ると、単にツタヤに行って素敵な本に巡り合って…みたいな話になっているけれど、実際は色んなことが絡まり合って1つのストーリーになっている。
そもそもその遠出の日、ペンジュラムがツタヤに行くことを教えてくれなかったら、私はその本に出会うことがなかった。
おばが私にお小遣いをくれたことで、それを何かの物に変えようという発想にはなったけれど、そんなことがなければ本を買うとか考えることもなかった。
その後、地元のツタヤに再度行くわけだけれど、ペンジュラム推薦の店舗に行かないことには、上の引用文の本にも出会うことがなかった。
さらに、このホロスコープの宿題が出なければ、このいくつものバラバラだったストーリーが1つに繋がることもなかった。
順を追うとこんな感じ。
おじの一周忌の後、おばたちがうちに遊びに来る
(おばは、その時たまたま仕事の代休と重なってうちまで来れた)
↓
帰りは電車になったおばを駅まで送る
(普段は車で移動する人)
↓
その時に私が生まれてすぐに祖母と一緒に私に会いに来てくれたことを教えてもらう
↓
おばが私にガソリン代としてお小遣いをくれる
↓
それを思い出の品に変えよう!と決める
↓
ある日、樹脂ピアスの店に行く
↓
気に入ったピアスをそのお小遣いで買おうかと思ったけれど、ペンジュラムはNO
↓
買うのを止める
↓
帰ろうと思ってペンジュラムに「帰る」と聞くとNO
↓
ペンジュラムからその近くにある大きなツタヤに案内される
↓
そこで気に入った本を見つける
↓
その日は買わず、本当に一生手元に置いておきたいかを見定めてから買おうと考える
↓
後日、近くのツタヤに行く
↓
一番行くのに都合の悪い店舗をペンジュラムは案内する
↓
欲しい本のありかがわからず、店内をウロウロする
(他の2つの店舗ならなんとなくありかがわかるからウロウロすることはなかった)
↓
その時に見かけた別の本から、素敵なメッセージをもらう(伊藤勇司さんの本)
↓
↓
そんなことすっかり忘れていて、慌てて講座前日にホロスコープの宿題をしようとしたら、宿題のやり忘れに気付く
↓
振り返りをせざるを得なくなり、振り返る
↓
最終的にこの一連の流れを知ることになる
どこまでも繋がっている!と思った。
さっき、占星術の講座の主催者の先生から来月・再来月のイベントのお知らせがメールで来た。
講座は、講師のU先生と、運営のK先生とで開催されている。
K先生の方からきた。
ちなみにそんなメールをもらったのは、今回が初めてだった。
何が驚いたって、K先生と私がホロスコープを人生で知った最初の日に鑑定士さんから教えてもらった某サイトの筆者の方が繋がっていたことだった。
2月に受けてきた時に、私はホロスコープ関連でとても参考になる人を鑑定士さんから2人教えてもらってきた。
そのうちの1人の方は、わりかしすぐにサイトを見たりした。
今でも時々調べ物の時にお世話になっている。
なんと、K先生は今後の予定でその方と組んで講座をされるらしく、それでその案内が来た。
それには行かないけれども、とにかく最後の最後になって、そんな風にネットで見た人と自分がリアルに知り合えた方とが繋がるなんて思ってもいなかった。
ちなみに占星術で講座される方は世の中に最低でも数千人、もしかしたら万単位でいる。
そんな中で、まさか全く繋がりのない人だと思っていた人たちが繋がっているなんて、本気で驚いた。
本当に今の時代、どこで何と何が繋がるかなんてわからないなぁ!とものすごく強く実感した。
これ書いたら17時をかなり過ぎた。
宿題は書き忘れたところだけ終わって、肝心の部分はまだ手付かず…。
ガソリンも入れてこないとだから、ガソリンをこれから入れに行こう!
宿題、今日中に終わりますように。
(↑これは願うことではなく、「やる」こと)
前世の話と今世の今
2018年10月2日 17:17
9月のヒーラーOさんとの集いはまた不思議な体験だった。
毎回不思議体験を体験するために会ってるんじゃないかと思うほど。
今回は過去世からの自分のことや自分の思い、課題を教えてもらった。
どうしてそんな流れを生み出したのかは忘れた。
だけど、Oさんの口から、今の私の色んなマイナス的な思考が「今世の私」ではなくて「過去世の私」から来ているようだと出た。
とてつもなくマイナスな方向に思考も気持ちも流れて、これどこまで行きますか?と聞きたいぐらいにどんどんネガティブさんが出てくる。
止まらなさ過ぎて正直自分に手を焼いている。
そんな時に過去世での私が今の人生に引き継いだもの、正しくは引き継いだというより出てくる予定ではなかったものまで出てきてる、そんな風に説明された。
マニアックすぎる話だから割愛するけれど、Oさんはその場でヒーリングを施してくれた。
そのマイナスな方に出るものに対して取り除くみたいなことをしてもらった。
その半日後、私は真夜中のほとんど人気のない道を運転していた。
その時にハッとなった。
多分今の私の人生が続いているのは、もちろん今回の人生の寿命がまだ尽きてないからということなんだとは思うけれど、その寿命を全うできるように、自分の過去世の記憶を持つ魂の部分も大いに助けてくれてるんじゃないかと思った。
「過去世の記憶を持つ魂」というのは、そうした系の話によれば、魂自体はすべての記憶を持っているとされる。
過去も今も未来も同時進行的に記憶を全て併せ持っているとのこと。
言い方としては、過去世も今世も来世も全部のことを魂は知っているみたいな感じ。
その細かな理論ははっきり言ってどうでもいい。
私が注目したのは、過去から来ている記憶の方の部分。
私は基本的に生命力がものすごく強い。
・誘拐もどき
・自殺願望強いの3回
・911の時のタイミング
・中越地震の時の1日違い
自殺願望強めだった時はさておいても、天災については完全に運が良かったとしか言いようがない。
911も地震も、死者が出た現場を私は通ってる。
地震に関して言えば、死者が出た現場をテレビで見て、大真面目に地震が起きたのが1日遅かったのなら私は完全にアウトだったなと確信した。
土砂災害で死者を出した場所で、私はその翌日そこをその時間にオンタイムで通ることになっていた。
だけど1日早く地震が起きたから、私はそこを通ることはなかった。
地震翌日に本来行く予定だった場所へ連絡を入れて、全て中止を希望した。
大真面目に生かされたんだと思った。
誘拐もどきもほんの一瞬の話だった。
数秒違っていたのなら、私は確実に命を落としたか落としかけたかはしたと思う。
口も塞がれた状態で抱えられ連れ去られていた私を、ちょうど近所の本屋さんのおばちゃんが店じまいで店の外に出てきたそのタイミングで見つけてくれた。
それがなければ私はそのまま連れ去られたし、その後どうなったかなんてのはわからない。
そんなこんなの謎の生命力の強さと運の強さで生き延びてるところがある。
それは魂たちの協力もかなりあると思っている。
一般的に、魂は色んな前世の中で成し得なかったものを今世で経験できるよう、課題的なものを持って生まれるとされる。
だけど生まれる前に記憶は全て消してまっさらな状態で生まれてくるから、今日々生きているところで何を課題としているのかは当然わからない。
ただ、魂は魂で計画がある。
帰りの車の中で思ったのはこうだった。
魂の計画が何かは知らないけれど、それを経験してもらうには、まず大前提として「生きてる」ことが条件になる。
私の場合、その「生きてる」という条件が何回か危うかったわけで、その都度命拾いしたりタイミングがズレてくれたことでセーフだったり、そんなこんなを経て今も存命なわけだから、これは過去世の思いたちに生かされてるんじゃないか…と思った。
過去世から引き継がれている魂の思いによって今自分が生かされてる、きちんとその思いを今度こそ体験できるように命が守られてる、そう思った。
ものすごく言い訳じみてる風に聞こえると思うけれど。
私が過去世に目を向けるのには理由がある。
私は基本的に今現状の問題を過去世と絡めて考えるのは好きではないし、過去世を癒せばいいんだとは思わない。
何でもかんでも今の人生にないところに原因があってそれが悪いとする考え方も大嫌いで、たまにそういうことを平気で口にする人たちを見ると私は内心ものすごく軽蔑していた。
だけど、魂の方に目を向けたのは別の理由がある。
さんざん色んなワークやセラピーをして、かなり解放はされたし、気持ち的に楽になれたところもある。
本当に良くなっている。
ただし、もう今の時点で例えば似たような視点からだけのアプローチと行動では限界があるというのも感じている。
結果は十人十色だから一緒にできないのはよく知っている。
だけど、同じことをして周りの人はどんどん良くなっているのに、私はもうこれでは自分は通用しないというのが見えている。
なんなら、もっと浅いライトなお試しみたいなワークで良くなる人たちもいる。
たくさんやればいいというのではないにしても、何かが根本的にズレてることに気付いた。
百歩譲って、私のやり方がおかしいとして、それでも「えっ?どうして?」と思う。
なんなら最近も、他の人の癒しのレシピとして某心理ワークを紹介したら、子どもの頃より何十年と続いていた、自分をものすごく否定する頭の中の独り言がピタッと止んだという報告をもらった。
ということは、私が紹介したやり方そのものは効果を出すものだと思う。
(基本的に、私は自分がやってみて効果を感じたものしか第三者には紹介しない)
なのに、なんで私には一筋縄でいかない?という単純な疑問が残った。
そんな折に4、5年前のコーチングの授業のノートが出てきた。
今が見るタイミングだったんだなぁと思った。
思い込みや考え方、価値観なんかは基本的に4つの領域で構成されているとなっていて。
・思考(信念)
・DNA
・魂
・前世
一番上の「思考(信念)」だけはコーチングや私が習ったNLPという手法で変化を起こすことはできるけれど、下の3つに付随する思考体系や価値観はコーチング・NLPでは対応しきれない。
そこはもっと他の療法だと効果的とノートにはある。
知りたい人がいるか知らないけれど、そこはヒプノセラピーやシータヒーリングなんかが該当する。
だから、癒しのレシピで効果が出た人の場合、その方法で対応可能だったということなんだと理解している。
思考関係のセラピーは相当な数でやっているから、そこでは解決しないんだろうなぁというのを感じ始めた。
解決を目指すというより、自分が楽になるなら何でもいいから、私が欲しいのは解決ではなく楽になること。
で、色々振り返ってみると、今年の春以降、魂がどうだの過去世がどうだのカルマ的な膿出しが必要だのという言葉が、他の人たちの口から私に伝えられるようになった。
1人が言うならまだしも、私は4人の人たちから1ヶ月おきぐらいに言われ続けた。
しかも4人は全く横の繋がりがなくて、その4人がそれぞれ言うわけだから、変だなと思った。
そこにきてOさんから今回の話が出てきた。
私側は具合悪くなったり、心の状態が落ちたりしたわけだけれど、そうまでして今の人生で成し遂げたい何かを自分の内側から今の私に訴えるかのような気もした。
魂の思いに気付いてもらうために、一連の体調不良なり心の不調みたいな状態が出てきてる、そんな風に感じた。
そして、魂の思いに関して言えば、それに気付いてもらうためには少なくとも私自身が生きていないといけないから、そういう意味で命が守られ続けたのかなと思った。
これまた余談だけれど、私はひっそりと前世に興味はあった。
前世を知ることで何が見えるのか、何を感じるのか、そういうことに興味があった。
でも同時に、前世の責任にして現状がうまくいってないみたいな考え方を毛嫌いしていたから、そうしたセラピーを受けてまで知りたいとは思わなかった。
私の前世への興味の具合は、「もし森山直太朗と飲むことになったら…」とか「もし沖縄の海が見えるところに住んだら…」みたいな、非現実的な、それこそ宝くじ1億円当たったらどうする?レベルと同じ感じだった。
だから、それらに対して具体的な行動を起こさないのと一緒で、前世についても知りたい!というのを具体的行動に結びつけることはなかった。
そうしたら、2月の人生初のホロスコープ鑑定に始まり、今年は少なくとも5人の人から過去世の話を出されて、少なくともうち2人からは私の過去世の一部を教えてもらった。
・10歳ぐらいまでしか生きられなかったペンジュラムを使う男の子
・40過ぎの穏やかな文筆家の女性
・40歳ぐらいのお坊さん
・20歳ぐらいの侍
ちなみに下2人はものすごい禁欲生活をしたようで、かなり厳格な状況が日常化してた模様。
ちなみにどれも記憶なんかさっぱり呼び覚まされない。
唯一、10歳ぐらいまでしか生きられなかった男の子の話を聞いた時は泣いた。
想いが引き継がれたと言ってもいいかもしれないぐらい。
40歳ぐらいのお坊さんについては、相当気をつけて気持ちを汲まないとかな…と思っている。
今年に入ってから、前世の情報が初めてくるようになった。
しかもそういうセラピーを受けてるわけでもないのにやってきた。
多分知るタイミングだったんだと思う。
Oさんから今回話が出された時、「武士俣さん、どう思いますか?」って聞かれた。
最初に「話半分に聞いてください」と前置きされてから、一連の前世情報が伝えられたわけだけど、私はOさんにこう答えた。
「まず、違和感は全くないこと。
そして、今が聞くタイミングなんだろうから聞くことになったんだなぁと思って聞いてました」
「Oさん、何言っちゃってんの?」みたいな気持ちは全くなくて、スルスルと言葉は入ってきた。
Oさんは話を聞かなくても色々わかってしまう人だけれど、それが世間ではいかに怪しいものだと認知されているのかもわかっている人だから、基本的に話し方や話す内容は理論を構築して話す。
私が占星術の勉強をしていることだって、何も言わなくてもいきなりしょっぱなから当てちゃう人だから、見える見えないのレベルで言えば格が違いすぎる。
そのOさんが前置きして信じなくてもいいと言ってまで伝えてくるわけだから、聞く必要があって聞いてる、そう思った。
ちなみにもう少し言うと、「武士俣さん、何で結婚しないんですか?」と聞かれた。
「したい人はいたけれどできなかったし、今はしたくても相手いないです」と答えると。
「いや、過去や今じゃないです。未来です」
「未来?未来私結婚しないんですか?」
ちょっと待ってくださいね…と言いながらOさんは何かに自分の意識を合わせてるようだった。
「武士俣さん、結婚しようと言われているのに、なんか断ってるんですよね」
「えーーーーーーー( ̄Д ̄;)
私そんなアホなことしてんですか?
何ですか、それ?((((;゚Д゚)))))))
っていうか、そんな超奇特な人が現れても私結婚しないってなんですか、それ?」
Oさんは説明してくれた。
「過去世からきてますね、その考え方が。
自分は幸せになっちゃいけないとか、自分の役割を全うしなきゃいけないとか、なんか今とは違う考えによって断る風です」
「困りますーーーーーーー!」
「大丈夫ですよ」
Oさんは続けて言った。
Oさんに何が見えたのか知らないけれど、こんな風に話してくれた。
「何でしょうねこれ。
多分なんですけど、僕と武士俣さんの間で何かあったんだと思います、過去世において。
そして多分僕が今回それを知るということは、僕側に何かしら武士俣さんに借りがあるんだと思います。
ヒーリングを施すことが今の僕にできるカルマ解消で、それで借りを返せることになるんだと思います。
そして武士俣さんについても、その幸せになっていけないとかそういう思いをもう抱かなくていいんだと思います」
そう説明された後、Oさんはヒーリングをその場で施した。
これは私の勝手な予想だけど、40歳ぐらいのお坊さんだった時の私は、相当ストイックな生活をしたんじゃないかと思う。
自分にも他人にも厳しく、特に娯楽とか楽しみを自分の人生から遮断して一切を受け付けなかったんじゃないかと。
色々繋がることもあって、この間も男の人たちから体の関係のトラウマを告白されることを書いた。
下ネタじゃなくて、本気で悩んでたり本気で傷ついてる体験の話で、私は何で聞くんだろう?何でこの目の前の人はその話を突然私に始めるんだろう?と思うことがある。
それはもしかして、私の深い記憶に刻まれているものとリンクしてるのかな…と思う。
2018年10月30日
上のところで書き途中になっていた。
Oさんは実際にあの後ヒーリングをしてくれて、確かに何かが変わったとは思う。
特にOさんに会った数時間後、車の中で出てきた「生かされてる」「過去に生きた自分から守られてる」なんていう感覚は、ものすごく強くて、そして泣いた。
深いところで何かが繋がる時の涙だった。
どこかで幸せになってはいけない、そう思った自分がいたのも事実で、それはOさんに指摘されるもっともっと前に、何かの心理ワークをした時にポロリと出てきた。
もちろん、私は過去世の自分が見えるわけでもないし、過去世とか来世とか言っているけれど、それを証明することもできないわけだから、正直何でもいいと思っているところもある。
でも、私がこの手の話を抵抗なく聞けるのは、それは私の人生の計画もあるだろうけれど、ペンジュラムを最初に見た時のことが鮮明に残っているというのもある。
色や形は覚えていないけれど、あんなにも何かを見てなぜか知らないけれど強烈に惹かれることもない。
物に対してそこまでなることはないし、なんなら今手元にあるペンジュラムでさえ最初見た時にそこまで心が動かされたわけではなかった。
あの時の体験はよく考えたら、これまでの人生でそれ一回きりだった。
それが自分というより魂が呼応したとするならものすごくわかる気がする。
私の中にペンジュラムを大切にしていた男の子の人生の記憶も刻まれてたとするなら、「ようやく再会できたね!ペンジュラム!」ぐらいの強い気持ちが呼び覚まされたんだと思う。
6年も前のことだけれど、その時の空気感や心に響いた感じはとてもよく覚えている。
しかももっと怪しい話になるけれど、私はその部屋で人生で初めて怪奇現象を見た。
窓も閉まっていて誰も通っていないのに、カーテンが突然ユラユラと揺れること数回。
(今どきの低層階マンションだから、すきま風とかでは絶対にない)
その家の家主さんが大丈夫と教えてくれて、決して悪い意味ではないから、むしろ大丈夫のサインだからと教えられた。
現に超警戒心の強い犬が、全く反応せずに穏やかなままだから、私もそれ見てより一層そう思った。
そんな場所で私はペンジュラムに出逢った。
そこが私の魂だの前世だのを知る原点だとするなら、なんと穏やかに事は伝えられてきたんだろうと思う。
疑い深い私が、怪しいのは怪しいでバッサリ切ってしまう私が、すっとスムーズに受け取れるように万全の態勢が整っていた。
話が脱線しそうだから、このままアップする。
過去世や魂のことも知りつつ今を生きる、その意味がいつかわかるようになる気がしている。
9月のヒーラーOさんとの集いはまた不思議な体験だった。
毎回不思議体験を体験するために会ってるんじゃないかと思うほど。
今回は過去世からの自分のことや自分の思い、課題を教えてもらった。
どうしてそんな流れを生み出したのかは忘れた。
だけど、Oさんの口から、今の私の色んなマイナス的な思考が「今世の私」ではなくて「過去世の私」から来ているようだと出た。
とてつもなくマイナスな方向に思考も気持ちも流れて、これどこまで行きますか?と聞きたいぐらいにどんどんネガティブさんが出てくる。
止まらなさ過ぎて正直自分に手を焼いている。
そんな時に過去世での私が今の人生に引き継いだもの、正しくは引き継いだというより出てくる予定ではなかったものまで出てきてる、そんな風に説明された。
マニアックすぎる話だから割愛するけれど、Oさんはその場でヒーリングを施してくれた。
そのマイナスな方に出るものに対して取り除くみたいなことをしてもらった。
その半日後、私は真夜中のほとんど人気のない道を運転していた。
その時にハッとなった。
多分今の私の人生が続いているのは、もちろん今回の人生の寿命がまだ尽きてないからということなんだとは思うけれど、その寿命を全うできるように、自分の過去世の記憶を持つ魂の部分も大いに助けてくれてるんじゃないかと思った。
「過去世の記憶を持つ魂」というのは、そうした系の話によれば、魂自体はすべての記憶を持っているとされる。
過去も今も未来も同時進行的に記憶を全て併せ持っているとのこと。
言い方としては、過去世も今世も来世も全部のことを魂は知っているみたいな感じ。
その細かな理論ははっきり言ってどうでもいい。
私が注目したのは、過去から来ている記憶の方の部分。
私は基本的に生命力がものすごく強い。
・誘拐もどき
・自殺願望強いの3回
・911の時のタイミング
・中越地震の時の1日違い
自殺願望強めだった時はさておいても、天災については完全に運が良かったとしか言いようがない。
911も地震も、死者が出た現場を私は通ってる。
地震に関して言えば、死者が出た現場をテレビで見て、大真面目に地震が起きたのが1日遅かったのなら私は完全にアウトだったなと確信した。
土砂災害で死者を出した場所で、私はその翌日そこをその時間にオンタイムで通ることになっていた。
だけど1日早く地震が起きたから、私はそこを通ることはなかった。
地震翌日に本来行く予定だった場所へ連絡を入れて、全て中止を希望した。
大真面目に生かされたんだと思った。
誘拐もどきもほんの一瞬の話だった。
数秒違っていたのなら、私は確実に命を落としたか落としかけたかはしたと思う。
口も塞がれた状態で抱えられ連れ去られていた私を、ちょうど近所の本屋さんのおばちゃんが店じまいで店の外に出てきたそのタイミングで見つけてくれた。
それがなければ私はそのまま連れ去られたし、その後どうなったかなんてのはわからない。
そんなこんなの謎の生命力の強さと運の強さで生き延びてるところがある。
それは魂たちの協力もかなりあると思っている。
一般的に、魂は色んな前世の中で成し得なかったものを今世で経験できるよう、課題的なものを持って生まれるとされる。
だけど生まれる前に記憶は全て消してまっさらな状態で生まれてくるから、今日々生きているところで何を課題としているのかは当然わからない。
ただ、魂は魂で計画がある。
帰りの車の中で思ったのはこうだった。
魂の計画が何かは知らないけれど、それを経験してもらうには、まず大前提として「生きてる」ことが条件になる。
私の場合、その「生きてる」という条件が何回か危うかったわけで、その都度命拾いしたりタイミングがズレてくれたことでセーフだったり、そんなこんなを経て今も存命なわけだから、これは過去世の思いたちに生かされてるんじゃないか…と思った。
過去世から引き継がれている魂の思いによって今自分が生かされてる、きちんとその思いを今度こそ体験できるように命が守られてる、そう思った。
ものすごく言い訳じみてる風に聞こえると思うけれど。
私が過去世に目を向けるのには理由がある。
私は基本的に今現状の問題を過去世と絡めて考えるのは好きではないし、過去世を癒せばいいんだとは思わない。
何でもかんでも今の人生にないところに原因があってそれが悪いとする考え方も大嫌いで、たまにそういうことを平気で口にする人たちを見ると私は内心ものすごく軽蔑していた。
だけど、魂の方に目を向けたのは別の理由がある。
さんざん色んなワークやセラピーをして、かなり解放はされたし、気持ち的に楽になれたところもある。
本当に良くなっている。
ただし、もう今の時点で例えば似たような視点からだけのアプローチと行動では限界があるというのも感じている。
結果は十人十色だから一緒にできないのはよく知っている。
だけど、同じことをして周りの人はどんどん良くなっているのに、私はもうこれでは自分は通用しないというのが見えている。
なんなら、もっと浅いライトなお試しみたいなワークで良くなる人たちもいる。
たくさんやればいいというのではないにしても、何かが根本的にズレてることに気付いた。
百歩譲って、私のやり方がおかしいとして、それでも「えっ?どうして?」と思う。
なんなら最近も、他の人の癒しのレシピとして某心理ワークを紹介したら、子どもの頃より何十年と続いていた、自分をものすごく否定する頭の中の独り言がピタッと止んだという報告をもらった。
ということは、私が紹介したやり方そのものは効果を出すものだと思う。
(基本的に、私は自分がやってみて効果を感じたものしか第三者には紹介しない)
なのに、なんで私には一筋縄でいかない?という単純な疑問が残った。
そんな折に4、5年前のコーチングの授業のノートが出てきた。
今が見るタイミングだったんだなぁと思った。
思い込みや考え方、価値観なんかは基本的に4つの領域で構成されているとなっていて。
・思考(信念)
・DNA
・魂
・前世
一番上の「思考(信念)」だけはコーチングや私が習ったNLPという手法で変化を起こすことはできるけれど、下の3つに付随する思考体系や価値観はコーチング・NLPでは対応しきれない。
そこはもっと他の療法だと効果的とノートにはある。
知りたい人がいるか知らないけれど、そこはヒプノセラピーやシータヒーリングなんかが該当する。
だから、癒しのレシピで効果が出た人の場合、その方法で対応可能だったということなんだと理解している。
思考関係のセラピーは相当な数でやっているから、そこでは解決しないんだろうなぁというのを感じ始めた。
解決を目指すというより、自分が楽になるなら何でもいいから、私が欲しいのは解決ではなく楽になること。
で、色々振り返ってみると、今年の春以降、魂がどうだの過去世がどうだのカルマ的な膿出しが必要だのという言葉が、他の人たちの口から私に伝えられるようになった。
1人が言うならまだしも、私は4人の人たちから1ヶ月おきぐらいに言われ続けた。
しかも4人は全く横の繋がりがなくて、その4人がそれぞれ言うわけだから、変だなと思った。
そこにきてOさんから今回の話が出てきた。
私側は具合悪くなったり、心の状態が落ちたりしたわけだけれど、そうまでして今の人生で成し遂げたい何かを自分の内側から今の私に訴えるかのような気もした。
魂の思いに気付いてもらうために、一連の体調不良なり心の不調みたいな状態が出てきてる、そんな風に感じた。
そして、魂の思いに関して言えば、それに気付いてもらうためには少なくとも私自身が生きていないといけないから、そういう意味で命が守られ続けたのかなと思った。
これまた余談だけれど、私はひっそりと前世に興味はあった。
前世を知ることで何が見えるのか、何を感じるのか、そういうことに興味があった。
でも同時に、前世の責任にして現状がうまくいってないみたいな考え方を毛嫌いしていたから、そうしたセラピーを受けてまで知りたいとは思わなかった。
私の前世への興味の具合は、「もし森山直太朗と飲むことになったら…」とか「もし沖縄の海が見えるところに住んだら…」みたいな、非現実的な、それこそ宝くじ1億円当たったらどうする?レベルと同じ感じだった。
だから、それらに対して具体的な行動を起こさないのと一緒で、前世についても知りたい!というのを具体的行動に結びつけることはなかった。
そうしたら、2月の人生初のホロスコープ鑑定に始まり、今年は少なくとも5人の人から過去世の話を出されて、少なくともうち2人からは私の過去世の一部を教えてもらった。
・10歳ぐらいまでしか生きられなかったペンジュラムを使う男の子
・40過ぎの穏やかな文筆家の女性
・40歳ぐらいのお坊さん
・20歳ぐらいの侍
ちなみに下2人はものすごい禁欲生活をしたようで、かなり厳格な状況が日常化してた模様。
ちなみにどれも記憶なんかさっぱり呼び覚まされない。
唯一、10歳ぐらいまでしか生きられなかった男の子の話を聞いた時は泣いた。
想いが引き継がれたと言ってもいいかもしれないぐらい。
40歳ぐらいのお坊さんについては、相当気をつけて気持ちを汲まないとかな…と思っている。
今年に入ってから、前世の情報が初めてくるようになった。
しかもそういうセラピーを受けてるわけでもないのにやってきた。
多分知るタイミングだったんだと思う。
Oさんから今回話が出された時、「武士俣さん、どう思いますか?」って聞かれた。
最初に「話半分に聞いてください」と前置きされてから、一連の前世情報が伝えられたわけだけど、私はOさんにこう答えた。
「まず、違和感は全くないこと。
そして、今が聞くタイミングなんだろうから聞くことになったんだなぁと思って聞いてました」
「Oさん、何言っちゃってんの?」みたいな気持ちは全くなくて、スルスルと言葉は入ってきた。
Oさんは話を聞かなくても色々わかってしまう人だけれど、それが世間ではいかに怪しいものだと認知されているのかもわかっている人だから、基本的に話し方や話す内容は理論を構築して話す。
私が占星術の勉強をしていることだって、何も言わなくてもいきなりしょっぱなから当てちゃう人だから、見える見えないのレベルで言えば格が違いすぎる。
そのOさんが前置きして信じなくてもいいと言ってまで伝えてくるわけだから、聞く必要があって聞いてる、そう思った。
ちなみにもう少し言うと、「武士俣さん、何で結婚しないんですか?」と聞かれた。
「したい人はいたけれどできなかったし、今はしたくても相手いないです」と答えると。
「いや、過去や今じゃないです。未来です」
「未来?未来私結婚しないんですか?」
ちょっと待ってくださいね…と言いながらOさんは何かに自分の意識を合わせてるようだった。
「武士俣さん、結婚しようと言われているのに、なんか断ってるんですよね」
「えーーーーーーー( ̄Д ̄;)
私そんなアホなことしてんですか?
何ですか、それ?((((;゚Д゚)))))))
っていうか、そんな超奇特な人が現れても私結婚しないってなんですか、それ?」
Oさんは説明してくれた。
「過去世からきてますね、その考え方が。
自分は幸せになっちゃいけないとか、自分の役割を全うしなきゃいけないとか、なんか今とは違う考えによって断る風です」
「困りますーーーーーーー!」
「大丈夫ですよ」
Oさんは続けて言った。
Oさんに何が見えたのか知らないけれど、こんな風に話してくれた。
「何でしょうねこれ。
多分なんですけど、僕と武士俣さんの間で何かあったんだと思います、過去世において。
そして多分僕が今回それを知るということは、僕側に何かしら武士俣さんに借りがあるんだと思います。
ヒーリングを施すことが今の僕にできるカルマ解消で、それで借りを返せることになるんだと思います。
そして武士俣さんについても、その幸せになっていけないとかそういう思いをもう抱かなくていいんだと思います」
そう説明された後、Oさんはヒーリングをその場で施した。
これは私の勝手な予想だけど、40歳ぐらいのお坊さんだった時の私は、相当ストイックな生活をしたんじゃないかと思う。
自分にも他人にも厳しく、特に娯楽とか楽しみを自分の人生から遮断して一切を受け付けなかったんじゃないかと。
色々繋がることもあって、この間も男の人たちから体の関係のトラウマを告白されることを書いた。
下ネタじゃなくて、本気で悩んでたり本気で傷ついてる体験の話で、私は何で聞くんだろう?何でこの目の前の人はその話を突然私に始めるんだろう?と思うことがある。
それはもしかして、私の深い記憶に刻まれているものとリンクしてるのかな…と思う。
2018年10月30日
上のところで書き途中になっていた。
Oさんは実際にあの後ヒーリングをしてくれて、確かに何かが変わったとは思う。
特にOさんに会った数時間後、車の中で出てきた「生かされてる」「過去に生きた自分から守られてる」なんていう感覚は、ものすごく強くて、そして泣いた。
深いところで何かが繋がる時の涙だった。
どこかで幸せになってはいけない、そう思った自分がいたのも事実で、それはOさんに指摘されるもっともっと前に、何かの心理ワークをした時にポロリと出てきた。
もちろん、私は過去世の自分が見えるわけでもないし、過去世とか来世とか言っているけれど、それを証明することもできないわけだから、正直何でもいいと思っているところもある。
でも、私がこの手の話を抵抗なく聞けるのは、それは私の人生の計画もあるだろうけれど、ペンジュラムを最初に見た時のことが鮮明に残っているというのもある。
色や形は覚えていないけれど、あんなにも何かを見てなぜか知らないけれど強烈に惹かれることもない。
物に対してそこまでなることはないし、なんなら今手元にあるペンジュラムでさえ最初見た時にそこまで心が動かされたわけではなかった。
あの時の体験はよく考えたら、これまでの人生でそれ一回きりだった。
それが自分というより魂が呼応したとするならものすごくわかる気がする。
私の中にペンジュラムを大切にしていた男の子の人生の記憶も刻まれてたとするなら、「ようやく再会できたね!ペンジュラム!」ぐらいの強い気持ちが呼び覚まされたんだと思う。
6年も前のことだけれど、その時の空気感や心に響いた感じはとてもよく覚えている。
しかももっと怪しい話になるけれど、私はその部屋で人生で初めて怪奇現象を見た。
窓も閉まっていて誰も通っていないのに、カーテンが突然ユラユラと揺れること数回。
(今どきの低層階マンションだから、すきま風とかでは絶対にない)
その家の家主さんが大丈夫と教えてくれて、決して悪い意味ではないから、むしろ大丈夫のサインだからと教えられた。
現に超警戒心の強い犬が、全く反応せずに穏やかなままだから、私もそれ見てより一層そう思った。
そんな場所で私はペンジュラムに出逢った。
そこが私の魂だの前世だのを知る原点だとするなら、なんと穏やかに事は伝えられてきたんだろうと思う。
疑い深い私が、怪しいのは怪しいでバッサリ切ってしまう私が、すっとスムーズに受け取れるように万全の態勢が整っていた。
話が脱線しそうだから、このままアップする。
過去世や魂のことも知りつつ今を生きる、その意味がいつかわかるようになる気がしている。
2018年10月29日月曜日
ananのその後と衣替え
今さらだけど、思い出したから追記。
先週ツタヤに行った時、ananを探した。
基本的に雑誌コーナーに行かないから、ananを探し出すのにも一苦労だった。
今やどのぐらいの雑誌が刊行されているのかわからないけれど、おびただしい数の雑誌が隙間もないぐらいにビッシリと並べられている。
10年ぐらい前はもう少しわかりやすかった気がする。
今は最低でもその当時の3倍ぐらいは種類が増えたように思う。
(日本は人口減ではないのかな?)
女性向け雑誌コーナーの棚の4ヶ所ないし5ヶ所をゆっくりと見て回って、ようやくananを見つけた。
私が見たいのは1つだけ。
私に『記憶に残る』の名言を授けてくれたコーナーが今回はどうなっているのか、それを見たかった。
また1枚1枚、丁寧にページをめくりながら探した。
見つけた。
今回はまた新たな相談になっていた。
相談内容もそれに対しての回答も忘れた。
だけど、3回も当たって砕けてみたら記憶に残る、なんていうような言葉はなかった。
あの日、コメダに行かないと触れられない言葉だったんだと気付いた。
「秋風羽織」というのは、9月までやっていたNHKの朝の連ドラに出てきた、豊川悦司が演じた売れっ子漫画家だった。
主人公が生まれてから40歳になるまでを描いたもので、40歳の時に東日本大震災が起こる、その少し先のところでドラマは終わった。
私はこの朝ドラが大好きで、毎日欠かさずに見た。
DVDになったら買いたい、そう思うぐらいに好きなドラマだった。
トヨエツの役は、かなり強烈キャラだったけれど、大切なことは譲らずに自分の信念を貫く、そういう人物だった。
最終週だったと思うけれど、トヨエツこと秋風羽織が、主人公とその幼なじみの男宛てに手紙を速達で送った。
秋風羽織の下で、主人公と他2人の子が漫画の門下生として高校卒業後からアシスタントをした。
3人それぞれバラバラの道を行くけれど、その後もずっと仲良しで、そして震災でその中の1人が亡くなった。
亡くなったとわかった後に、秋風先生から届いた手紙だった。
以下、手紙より。
【スズメ(主人公)、律君(幼なじみ)、元気だろうか。
短い手紙を書きます。
人生は希望と絶望の繰り返しです。
私なんかそんなひどい人生でも、大した人生でもないのに、そう思います。
でも人には想像力があります。
夢見る力があります。
生きる力があります。
明日を、これからを、どんなにひどい今日からだって、夢見ることはできます。
希望を持つのはその人の自由です。
もうダメだと思うか、いや先はきっと明るいと思うかは、その人次第です。
律君とスズメには、その強さがあると信じています。
秋風羽織】
NHK朝の連続テレビドラマ小説『半分、青い。』
第155話より
脚本:北川悦吏子
こうした名言を残すドラマだった。
ananでは、その秋風羽織が悩み相談に答えるみたいなコーナーらしく、どうも本の宣伝ではなく、悩み相談ページらしい。
私はずっとドラマを見ていたから、そのドラマの物の見方が今の自分にピッタリな言葉をくれることを知っていた。
だからコメダでそのエッセイ本の広告のページを見つけた時にも、ドラマを思い出してそれでちょっと目を通したら、号泣もののメッセージが載っていた、というのが真相だった。
もしかしたら、朝ドラを見ていなければ、そのページはスルーしたかもしれない。
普段ananも見ない、立ち読みすることもない、そんな中で、あの1年前を再現すべく行ったコメダで出逢えた言葉だった。
あのタイミングに発売されていなければ、一生見ることもない言葉だった。
神様か天使が本当にいるのなら、そうやってプレゼントをそっと置いといてくれたんだろう、そう思うぐらいの言葉との出逢いだった。
話はガラッと変わって、衣替え。
今日の夕方、突然スイッチが入り、逃してはまずい!という危機感の下、無事に衣替え完了。
なんと大きな段ボールが1つなくなって、もう1つの段ボールに全て収まった!
少しずつ断捨離していくうちに、かなり数が減っていたらしい。
さりげに気になったのが、あまりの服の少なさに「去年の冬は何を着て仕事に行っていたんだろう…??」ということ。
夏のがんばりはどこ吹く風で、冬は1枚だけ新しく購入したらしいけれど←オシャレ着ゆえ職場には着て行ってないはず、これどうやって毎日仕事行ってたの?レベルだった。
思わず数を数えた。
ちょうど5枚。
同じ形の色違いのカーディガン3枚と厚手のカットソー的なもの1枚、あとは体型隠しのワンピースみたいなの1枚、計5枚を着回してた模様。
真冬になるとプラス3枚のセーターが加わって、それらをローテーション。
オシャレ<防寒、そういう服の選び方だった。
防寒対策によほど力を入れてたらしく、やたらとヒートテックが出てきた。
事務所のあまりの寒さに、ニトリのユニクロで言う極暖みたいなもののひざ掛けと枕カバーを買いに行ったほど。
枕カバーは、クッション代わりで使った。
布製の椅子なのに、毎日極寒過ぎて、椅子に座った瞬間お尻から体全体が冷えるというすごい体験をしたから、お尻を温めるための座布団的なものを探しに行った。
おかげで今、それを畳の上に敷いて家で使っている。
膝掛けも大活躍。
タグ見たら、「Nウォーム」という名前。
(職場の人に暖かい!と宣伝したら、早速ニトリに同じシリーズの布団カバー買いに行って気に入っていた人がいたから、本当に効果ありかと!)
夏と冬でこうも違う時間を過ごしてたのか…と半分呆れて半分感心した。
とても同じ人とは思えない。
今年の夏の衣替えは楽しかった。
去年これ着てテンション上げてたなぁとか、この日着たなぁとか。
服に思い出が残ってた。
(冬は思い出nothing状態…。あるのは、極寒過ぎて対策した防寒グッズばかり)
去年の夏服は、また来夏も活躍する予定。
来年の夏はどんな気持ちでその服たちを眺めるんだろう?
ちなみに冬服を見て、これ誰かとデートすることになったら、初回はいいとして、2回目3回目何着ていくわけ?、デートなら服買わないとないですけど!というおめでたい心配をした。
新しいデートの心配できるぐらいに、私進んでるんだなぁなんて思った(^-^)v
本音を言うと、未来のデートの服の心配はそれはそれでいいけれど、本当に欲しいのは反応の方。
ananの言葉の感想とか、
手紙とか、
お守りの名刺とか、
通い詰めただろう怪しくないお店のオススメポイントとか、
何でもいい、
何でもいいから反応が欲しい。
先週ツタヤに行った時、ananを探した。
基本的に雑誌コーナーに行かないから、ananを探し出すのにも一苦労だった。
今やどのぐらいの雑誌が刊行されているのかわからないけれど、おびただしい数の雑誌が隙間もないぐらいにビッシリと並べられている。
10年ぐらい前はもう少しわかりやすかった気がする。
今は最低でもその当時の3倍ぐらいは種類が増えたように思う。
(日本は人口減ではないのかな?)
女性向け雑誌コーナーの棚の4ヶ所ないし5ヶ所をゆっくりと見て回って、ようやくananを見つけた。
私が見たいのは1つだけ。
私に『記憶に残る』の名言を授けてくれたコーナーが今回はどうなっているのか、それを見たかった。
また1枚1枚、丁寧にページをめくりながら探した。
見つけた。
今回はまた新たな相談になっていた。
相談内容もそれに対しての回答も忘れた。
だけど、3回も当たって砕けてみたら記憶に残る、なんていうような言葉はなかった。
あの日、コメダに行かないと触れられない言葉だったんだと気付いた。
「秋風羽織」というのは、9月までやっていたNHKの朝の連ドラに出てきた、豊川悦司が演じた売れっ子漫画家だった。
主人公が生まれてから40歳になるまでを描いたもので、40歳の時に東日本大震災が起こる、その少し先のところでドラマは終わった。
私はこの朝ドラが大好きで、毎日欠かさずに見た。
DVDになったら買いたい、そう思うぐらいに好きなドラマだった。
トヨエツの役は、かなり強烈キャラだったけれど、大切なことは譲らずに自分の信念を貫く、そういう人物だった。
最終週だったと思うけれど、トヨエツこと秋風羽織が、主人公とその幼なじみの男宛てに手紙を速達で送った。
秋風羽織の下で、主人公と他2人の子が漫画の門下生として高校卒業後からアシスタントをした。
3人それぞれバラバラの道を行くけれど、その後もずっと仲良しで、そして震災でその中の1人が亡くなった。
亡くなったとわかった後に、秋風先生から届いた手紙だった。
以下、手紙より。
【スズメ(主人公)、律君(幼なじみ)、元気だろうか。
短い手紙を書きます。
人生は希望と絶望の繰り返しです。
私なんかそんなひどい人生でも、大した人生でもないのに、そう思います。
でも人には想像力があります。
夢見る力があります。
生きる力があります。
明日を、これからを、どんなにひどい今日からだって、夢見ることはできます。
希望を持つのはその人の自由です。
もうダメだと思うか、いや先はきっと明るいと思うかは、その人次第です。
律君とスズメには、その強さがあると信じています。
秋風羽織】
NHK朝の連続テレビドラマ小説『半分、青い。』
第155話より
脚本:北川悦吏子
こうした名言を残すドラマだった。
ananでは、その秋風羽織が悩み相談に答えるみたいなコーナーらしく、どうも本の宣伝ではなく、悩み相談ページらしい。
私はずっとドラマを見ていたから、そのドラマの物の見方が今の自分にピッタリな言葉をくれることを知っていた。
だからコメダでそのエッセイ本の広告のページを見つけた時にも、ドラマを思い出してそれでちょっと目を通したら、号泣もののメッセージが載っていた、というのが真相だった。
もしかしたら、朝ドラを見ていなければ、そのページはスルーしたかもしれない。
普段ananも見ない、立ち読みすることもない、そんな中で、あの1年前を再現すべく行ったコメダで出逢えた言葉だった。
あのタイミングに発売されていなければ、一生見ることもない言葉だった。
神様か天使が本当にいるのなら、そうやってプレゼントをそっと置いといてくれたんだろう、そう思うぐらいの言葉との出逢いだった。
話はガラッと変わって、衣替え。
今日の夕方、突然スイッチが入り、逃してはまずい!という危機感の下、無事に衣替え完了。
なんと大きな段ボールが1つなくなって、もう1つの段ボールに全て収まった!
少しずつ断捨離していくうちに、かなり数が減っていたらしい。
さりげに気になったのが、あまりの服の少なさに「去年の冬は何を着て仕事に行っていたんだろう…??」ということ。
夏のがんばりはどこ吹く風で、冬は1枚だけ新しく購入したらしいけれど←オシャレ着ゆえ職場には着て行ってないはず、これどうやって毎日仕事行ってたの?レベルだった。
思わず数を数えた。
ちょうど5枚。
同じ形の色違いのカーディガン3枚と厚手のカットソー的なもの1枚、あとは体型隠しのワンピースみたいなの1枚、計5枚を着回してた模様。
真冬になるとプラス3枚のセーターが加わって、それらをローテーション。
オシャレ<防寒、そういう服の選び方だった。
防寒対策によほど力を入れてたらしく、やたらとヒートテックが出てきた。
事務所のあまりの寒さに、ニトリのユニクロで言う極暖みたいなもののひざ掛けと枕カバーを買いに行ったほど。
枕カバーは、クッション代わりで使った。
布製の椅子なのに、毎日極寒過ぎて、椅子に座った瞬間お尻から体全体が冷えるというすごい体験をしたから、お尻を温めるための座布団的なものを探しに行った。
おかげで今、それを畳の上に敷いて家で使っている。
膝掛けも大活躍。
タグ見たら、「Nウォーム」という名前。
(職場の人に暖かい!と宣伝したら、早速ニトリに同じシリーズの布団カバー買いに行って気に入っていた人がいたから、本当に効果ありかと!)
夏と冬でこうも違う時間を過ごしてたのか…と半分呆れて半分感心した。
とても同じ人とは思えない。
今年の夏の衣替えは楽しかった。
去年これ着てテンション上げてたなぁとか、この日着たなぁとか。
服に思い出が残ってた。
(冬は思い出nothing状態…。あるのは、極寒過ぎて対策した防寒グッズばかり)
去年の夏服は、また来夏も活躍する予定。
来年の夏はどんな気持ちでその服たちを眺めるんだろう?
ちなみに冬服を見て、これ誰かとデートすることになったら、初回はいいとして、2回目3回目何着ていくわけ?、デートなら服買わないとないですけど!というおめでたい心配をした。
新しいデートの心配できるぐらいに、私進んでるんだなぁなんて思った(^-^)v
本音を言うと、未来のデートの服の心配はそれはそれでいいけれど、本当に欲しいのは反応の方。
ananの言葉の感想とか、
手紙とか、
お守りの名刺とか、
通い詰めただろう怪しくないお店のオススメポイントとか、
何でもいい、
何でもいいから反応が欲しい。
寒い季節に作りたい料理
忘れないように、作りたい料理の計画表。
#えのきの肉巻き
えのきの肉巻きに目覚めたのは、名古屋にいた頃、近所の八百屋さんがしているお洒落バル的なお店に行ってからだった。
そこだけは自信を持って、友達を連れて行くことができた。
しかもお酒飲めない人でも楽しめるぐらいに料理が美味しかった。
ある時、えのきの肉巻きを注文したら、あまりの絶品に驚いた!
私はそれまで肉巻きの類いを美味しいと思ったことがなかった。
だけど、それは桁違いに美味しかった。
それで家でも試した。
味付けは適当で、楽なのは麺つゆ、自分で味付けしたいなら醤油+みりん+酒に砂糖とか和風顆粒だしは好みで、という感じ。
焼くとえのきのねっとり感が出て、それが良い具合に調味料が肉の周りに付く接着剤的な役割をしてくれて、何だか知らないけれど私にはツボの味になる。
ビール(発表酒)がグイグイ進む味で、私は思い立つとよく作った。
この間テレビで見たのか料理ブログで見たのか忘れたけれど、何かの肉巻きを見て自分も久し振りに作りたくなった。
#みょうがの肉巻き
今の家には、みょうがが自生する。
スーパーで買うと3本で100円とかして超高級食材だけれど、あれは水やり不要、何もしなくても毎年夏から秋にかけて勝手ににょきにょきと生えてくる、春に採れる山菜並みに自生力のある植物。
母の実家なんかは、ピーク時ならスーパーの袋がいっぱいになるほどに採れる。
手間暇を考えると、なぜあんなに高級なのかがいまいちよくわからない。
いつだったか実家から米と一緒にみょうがも送られてきた。
当時そこまで好きではなかった私は(今はすごく好き)、クックパッドで調べた。
その時に見つけたレシピで、今でも重宝している。
みょうがは縦半分に切って、その間に味噌と砂糖と酒を混ぜたもの、お好みで唐辛子振っても美味しい、を挟んで、また元の1つの状態に戻したら肉をくるくる巻いて焼くだけ。
オリジナルのレシピはもっとたくさんの調味料を使っていたけれど、私は面倒くさがりだから、その最低限の調味料で間に合っているし、それで十分おいしい。
焼いてる途中で、みょうがから味噌がにじみ出てくるけれど、気にしない。
それも大好きな肉巻き。
#グラタン
寒くなってきたからグラタンが美味しい季節。
1人暮らしをしていた頃、人が来るたびに作っていた料理ナンバー1だった。
グラタンほど見栄えが良く、簡単なのに手間かかってます風なのは他になかった。
ぱっと見、豪華なのも良かった。
誰に作っても喜ばれた。
グラタンには簡単に作るやり方がある。
昔、ホワイトソースを一から作って、それが毎回うまくできなくてすごいストレスだった。
だからグラタンとかドリアなんてハードル高すぎて作ることがほとんどなかった。
よく作るようになったのは30代に入ってからだったと思う。
クックパッドか何かのレシピでそのハードルを下げる方法が書かれていて、それ以降ストレスフリーで作れるようになった。
バターの方が風味がいいけれど、なければ普通のオイルで大丈夫。
オイルで具材炒めて、一旦火を止めて、適当に薄力粉をパラパラと具材にかけて、へらを使ったりしてまんべんなく粉で具をコーティングするようにして、あとはそこに牛乳を入れて火をかければ、あのグラタンの素ができる。
味付けは、炒めてる時か薄力粉を入れる時、思い立った時にしている。
コンソメが私は好きだけれど、みそ味の和風の味付けも試したことがある。
そこはお好みで。
コンソメも顆粒でなくてキューブなら、指で潰して粉状にしてた←ザ・適当。
しかも基本的に具材は何でもいい。
野菜だけでも美味しいし、肉でもベーコンでもあさりのむき身でもエビでもなんでもいける!
チーズが足りない時はパン粉でごまかす。
食パンがあれば、適当にちぎってミキサーにかければ、生パン粉が即席でできる。
という裏ワザ的、というか適当な部分は、人に聞かれない限りは黙っていて、まるで手が込んでます風に装ってしれっと出していた。
#栗原はるみのじゃがいもグラタン
これはドミニカにいた頃、日系人の方で日本食の仕出しをされてる方から食べさせてもらった一品。
じゃがいもと塩と生クリームだけだったかな…。
ネギも入っていたかな…?
気になる方は、栗原はるみさんの本、『ごちそうそまが、ききたくて。』にレシピ載っています。
開いて左側のページにあったと思う。
その料理上手な方は、その本をボロボロになるぐらいに読み込んでいて、これを真似したのよと言って本を見せながら教えてくれた。
今頂き物で北海道のすっごい美味しいじゃがいもがあるから、それがあるうちに作ろう。
#コロッケ
作ろうと思いながら延期、延期…が続いているコロッケ。
これも作りたい、本格的に寒くなる前に。
寒くなると、台所に立つのがしんどくなる=手間のかかる料理はあまりしたくなくなる。
家が建て直されてIHになったけれど、ガスの方が料理する時に暖かいことを知った。
かなりどうでもいいことだけれど、物は最新型でも使い手は昭和の何十年前の暮らしが染み付いているから、多機能なものを全く使いこなせていないという…。
たまに気が向いて、違うボタンも試すけれど、機械がおかしなこと(機械はおかしくないけれど私には理解できないこと)を言い出すから、そしてその機械が言う指示に従って正しい設定ができていないから、機械もいつまでも作動せず、やっぱり普段の使い方でいいか!となって、加熱以外の機能を使ったことがないという…。
#高野豆腐の肉詰め
私より1つか2つ上の男性の飲みブログで、その方は自炊もするらしく、高野豆腐の肉詰めが出てきた(←誕生日の記事があって、年齢がわかった)。
料理ブログサーフィン中に見つけて、男性のブログでそういう料理が出てくること自体意外で、良い意味で驚いた。
それがまたおいしそうで、私も久しぶりに食べたくなった。
高校生の頃に知り合った年下の女の子の友達のお母さんがめちゃくちゃ料理上手で、そのお母さんが作ったものを食べたのが最初。
ガサツな性格が災いして、綺麗に成形できないことが多々あるけれど、味はいつも美味しい。
これからの季節にぴったりの一品!
ちなみにこれ、コロッケ並みに面倒なレシピだから、気合い入れないと作れない。
高野豆腐を水で戻すのはいいけれど、その後包丁を入れてポケットを作るところが難しい←ここで毎回やらかす。
肉の部分も、作りながら「ハンバーグでいいじゃん」といつも思う。
ポケット失敗の中に肉を詰めて、そして和風の味付けの煮汁で煮る。
手間暇がかかるくせして、見た目のクオリティーが低いのが毎回残念で仕方ない。
個人的に、レンコンのはさみ焼きとかも下手くそだから、そういう系統の料理だけをプロに習いに行きたいなぁと思う。
バラバラ事件が起きない人たちは、どうやって作っているんだろう…と思う←調べる気なし。
#シチュー
20代の頃、おばの家でご飯をいただいた時、シチューが出てきた。
なぜか家ではいつからか作らなくなって、久しぶりのシチューに感動もひとしおだった。
シチューって不思議な食べ物で、味ももちろん美味しいんだけど、食べるとホッとする、そちらの効果の方が私には驚きだった。
それ以来、シチューを秋から冬にかけて時々作るようになった。
私は、カレーもシチューもポトフ(野菜主役の塩味のスープ)も、1人暮らしでも量を気にすることなく作っていた。
3日連チャンでも全然平気だった。
余談だけど、ポトフは塩だけで本当に美味しいスープができる。
あんなに奥行きのある味は、他の調味料を足すと出せなくなる。
今度自分1人の時にまたポトフは作りたいなぁと思う。
(生粋の新潟県民の父と母にはウケない味だと思うし、そこに何かを目の前で足されるのを見るのもイヤだから、これは1人の時に作るに限る)
#料理日記
朝からお昼に食べる用のタイカレーを作った。
冷蔵庫と冷凍庫をガサゴソして、玉ねぎ、人参、エリンギ、かぐら南蛮(地元産のパプリカみたいな形をした辛い南蛮)、冷凍の厚揚げを具にすることにした。
今回はイエローカレーの素を使った。
個人的なこだわりで、具材を炒めたら少量の水で煮て、それからカレーペーストを入れる。
パッケージの作り方には「煮る」とは書かれていなくて、炒めたら直接ペーストを入れるとあるけれど、私は水で水分がなくなるまで煮てから入れた方がおいしいと感じる。
具材それぞれから旨味成分が出るように思う。
煮ている時のグツグツする音を聞いて、ここにも好きな音があった!と思い出した。
先日、サンドイッチを作った時に、ベーコンを小さなフライパンで焼いた。
その時にベーコンが焼ける時の油がパチパチパチッてはねる音に魅せられて、しばらくその音に聞き入っていた。
ベーコンが焼ける音ってどうしてこんなにもしあわせな気分にしてくれるんだろう…と1人で悦に入っていた。
具材を煮る時のグツグツした音にも、同じようなしあわせが満ちていて、私はそういう音が好きなんだなぁと思った。
#えのきの肉巻き
えのきの肉巻きに目覚めたのは、名古屋にいた頃、近所の八百屋さんがしているお洒落バル的なお店に行ってからだった。
そこだけは自信を持って、友達を連れて行くことができた。
しかもお酒飲めない人でも楽しめるぐらいに料理が美味しかった。
ある時、えのきの肉巻きを注文したら、あまりの絶品に驚いた!
私はそれまで肉巻きの類いを美味しいと思ったことがなかった。
だけど、それは桁違いに美味しかった。
それで家でも試した。
味付けは適当で、楽なのは麺つゆ、自分で味付けしたいなら醤油+みりん+酒に砂糖とか和風顆粒だしは好みで、という感じ。
焼くとえのきのねっとり感が出て、それが良い具合に調味料が肉の周りに付く接着剤的な役割をしてくれて、何だか知らないけれど私にはツボの味になる。
ビール(発表酒)がグイグイ進む味で、私は思い立つとよく作った。
この間テレビで見たのか料理ブログで見たのか忘れたけれど、何かの肉巻きを見て自分も久し振りに作りたくなった。
#みょうがの肉巻き
今の家には、みょうがが自生する。
スーパーで買うと3本で100円とかして超高級食材だけれど、あれは水やり不要、何もしなくても毎年夏から秋にかけて勝手ににょきにょきと生えてくる、春に採れる山菜並みに自生力のある植物。
母の実家なんかは、ピーク時ならスーパーの袋がいっぱいになるほどに採れる。
手間暇を考えると、なぜあんなに高級なのかがいまいちよくわからない。
いつだったか実家から米と一緒にみょうがも送られてきた。
当時そこまで好きではなかった私は(今はすごく好き)、クックパッドで調べた。
その時に見つけたレシピで、今でも重宝している。
みょうがは縦半分に切って、その間に味噌と砂糖と酒を混ぜたもの、お好みで唐辛子振っても美味しい、を挟んで、また元の1つの状態に戻したら肉をくるくる巻いて焼くだけ。
オリジナルのレシピはもっとたくさんの調味料を使っていたけれど、私は面倒くさがりだから、その最低限の調味料で間に合っているし、それで十分おいしい。
焼いてる途中で、みょうがから味噌がにじみ出てくるけれど、気にしない。
それも大好きな肉巻き。
#グラタン
寒くなってきたからグラタンが美味しい季節。
1人暮らしをしていた頃、人が来るたびに作っていた料理ナンバー1だった。
グラタンほど見栄えが良く、簡単なのに手間かかってます風なのは他になかった。
ぱっと見、豪華なのも良かった。
誰に作っても喜ばれた。
グラタンには簡単に作るやり方がある。
昔、ホワイトソースを一から作って、それが毎回うまくできなくてすごいストレスだった。
だからグラタンとかドリアなんてハードル高すぎて作ることがほとんどなかった。
よく作るようになったのは30代に入ってからだったと思う。
クックパッドか何かのレシピでそのハードルを下げる方法が書かれていて、それ以降ストレスフリーで作れるようになった。
バターの方が風味がいいけれど、なければ普通のオイルで大丈夫。
オイルで具材炒めて、一旦火を止めて、適当に薄力粉をパラパラと具材にかけて、へらを使ったりしてまんべんなく粉で具をコーティングするようにして、あとはそこに牛乳を入れて火をかければ、あのグラタンの素ができる。
味付けは、炒めてる時か薄力粉を入れる時、思い立った時にしている。
コンソメが私は好きだけれど、みそ味の和風の味付けも試したことがある。
そこはお好みで。
コンソメも顆粒でなくてキューブなら、指で潰して粉状にしてた←ザ・適当。
しかも基本的に具材は何でもいい。
野菜だけでも美味しいし、肉でもベーコンでもあさりのむき身でもエビでもなんでもいける!
チーズが足りない時はパン粉でごまかす。
食パンがあれば、適当にちぎってミキサーにかければ、生パン粉が即席でできる。
という裏ワザ的、というか適当な部分は、人に聞かれない限りは黙っていて、まるで手が込んでます風に装ってしれっと出していた。
#栗原はるみのじゃがいもグラタン
これはドミニカにいた頃、日系人の方で日本食の仕出しをされてる方から食べさせてもらった一品。
じゃがいもと塩と生クリームだけだったかな…。
ネギも入っていたかな…?
気になる方は、栗原はるみさんの本、『ごちそうそまが、ききたくて。』にレシピ載っています。
開いて左側のページにあったと思う。
その料理上手な方は、その本をボロボロになるぐらいに読み込んでいて、これを真似したのよと言って本を見せながら教えてくれた。
今頂き物で北海道のすっごい美味しいじゃがいもがあるから、それがあるうちに作ろう。
#コロッケ
作ろうと思いながら延期、延期…が続いているコロッケ。
これも作りたい、本格的に寒くなる前に。
寒くなると、台所に立つのがしんどくなる=手間のかかる料理はあまりしたくなくなる。
家が建て直されてIHになったけれど、ガスの方が料理する時に暖かいことを知った。
かなりどうでもいいことだけれど、物は最新型でも使い手は昭和の何十年前の暮らしが染み付いているから、多機能なものを全く使いこなせていないという…。
たまに気が向いて、違うボタンも試すけれど、機械がおかしなこと(機械はおかしくないけれど私には理解できないこと)を言い出すから、そしてその機械が言う指示に従って正しい設定ができていないから、機械もいつまでも作動せず、やっぱり普段の使い方でいいか!となって、加熱以外の機能を使ったことがないという…。
#高野豆腐の肉詰め
私より1つか2つ上の男性の飲みブログで、その方は自炊もするらしく、高野豆腐の肉詰めが出てきた(←誕生日の記事があって、年齢がわかった)。
料理ブログサーフィン中に見つけて、男性のブログでそういう料理が出てくること自体意外で、良い意味で驚いた。
それがまたおいしそうで、私も久しぶりに食べたくなった。
高校生の頃に知り合った年下の女の子の友達のお母さんがめちゃくちゃ料理上手で、そのお母さんが作ったものを食べたのが最初。
ガサツな性格が災いして、綺麗に成形できないことが多々あるけれど、味はいつも美味しい。
これからの季節にぴったりの一品!
ちなみにこれ、コロッケ並みに面倒なレシピだから、気合い入れないと作れない。
高野豆腐を水で戻すのはいいけれど、その後包丁を入れてポケットを作るところが難しい←ここで毎回やらかす。
肉の部分も、作りながら「ハンバーグでいいじゃん」といつも思う。
ポケット失敗の中に肉を詰めて、そして和風の味付けの煮汁で煮る。
手間暇がかかるくせして、見た目のクオリティーが低いのが毎回残念で仕方ない。
個人的に、レンコンのはさみ焼きとかも下手くそだから、そういう系統の料理だけをプロに習いに行きたいなぁと思う。
バラバラ事件が起きない人たちは、どうやって作っているんだろう…と思う←調べる気なし。
#シチュー
20代の頃、おばの家でご飯をいただいた時、シチューが出てきた。
なぜか家ではいつからか作らなくなって、久しぶりのシチューに感動もひとしおだった。
シチューって不思議な食べ物で、味ももちろん美味しいんだけど、食べるとホッとする、そちらの効果の方が私には驚きだった。
それ以来、シチューを秋から冬にかけて時々作るようになった。
私は、カレーもシチューもポトフ(野菜主役の塩味のスープ)も、1人暮らしでも量を気にすることなく作っていた。
3日連チャンでも全然平気だった。
余談だけど、ポトフは塩だけで本当に美味しいスープができる。
あんなに奥行きのある味は、他の調味料を足すと出せなくなる。
今度自分1人の時にまたポトフは作りたいなぁと思う。
(生粋の新潟県民の父と母にはウケない味だと思うし、そこに何かを目の前で足されるのを見るのもイヤだから、これは1人の時に作るに限る)
#料理日記
朝からお昼に食べる用のタイカレーを作った。
冷蔵庫と冷凍庫をガサゴソして、玉ねぎ、人参、エリンギ、かぐら南蛮(地元産のパプリカみたいな形をした辛い南蛮)、冷凍の厚揚げを具にすることにした。
今回はイエローカレーの素を使った。
個人的なこだわりで、具材を炒めたら少量の水で煮て、それからカレーペーストを入れる。
パッケージの作り方には「煮る」とは書かれていなくて、炒めたら直接ペーストを入れるとあるけれど、私は水で水分がなくなるまで煮てから入れた方がおいしいと感じる。
具材それぞれから旨味成分が出るように思う。
煮ている時のグツグツする音を聞いて、ここにも好きな音があった!と思い出した。
先日、サンドイッチを作った時に、ベーコンを小さなフライパンで焼いた。
その時にベーコンが焼ける時の油がパチパチパチッてはねる音に魅せられて、しばらくその音に聞き入っていた。
ベーコンが焼ける音ってどうしてこんなにもしあわせな気分にしてくれるんだろう…と1人で悦に入っていた。
具材を煮る時のグツグツした音にも、同じようなしあわせが満ちていて、私はそういう音が好きなんだなぁと思った。
2018年10月28日日曜日
トンネル工事の後…
5月の占星術講座の時から始まった連想ゲーム風なメッセージ。
5月…野うさぎ
6月…リュックサック
7月…スーパームーンのような赤くて大きな月
8月…トンネル工事
夜中に出発すると、毎回面白い何かが見れる。
9月は満月の夜だった。
毎回あまりにもイレギュラーなものたちばかりを見ていたから、今月は何もないかもしれない…と思った。
何もなければ、「満月」が9月のメッセージということにしよう!と決めた。
7月の満月前の月の方がよほど大きさも色もインパクトがあったから、これじゃあ物足りない…なんて思った。
まぁでもそんなにも毎回毎回何かがある方が不思議なんだから、何もなくてもそれが普通か!と思った。
家を出発した。
月は天空高いところにあって小さい。
トンネル工事はもう終わっていてスムーズに進んだ。
野うさぎを見た坂道には何もなかった。
もうあとはひたすら大きな国道に向かって平地を行くだけだから、今回は何もないな…と思った。
街中に入る500mほど手前の辺りに来た時、信号を渡ればコンビニはあるし、店もちらほら出てくるし、あぁこれはもう満月なんだろうなぁと思った。
赤信号が青に変わって車を発進させた。
田んぼ一帯のところからコンビニとガソリンスタンド(夜遅くて閉店中)が出てくる境い目のところで、街灯はない。
信号を越えたばかりの私は、20㎞前後の速度で走っていた。
目の前の道路を見ると、「何だあれ?」という物体が見える。
暗闇の中でさらに黒さを増している、80〜90㎝の物体が見えた。
確実に何かある。
そのままゆっくり走行すると、まさかの鳥だった。
多分サギだと思う。
足の長さといい胴体部分のボリュームといい頭の形といい、サギだと思う。
毛は生え変わりの時期なのかやたらとモフモフしていたけれど、多分間違いなくサギ。
っていうか、何でこんなところに、しかも夜のこんな遅い時間(1時少し前)に、鳥がいるの?と思った。
しかも路肩とかではなく普通に道路の中にいて、ぼさーっとして突っ立っていた。
引かれるよ!というぐらいに私の車が接近したら、ようやくバサって音が聞こえそうなぐらいに羽を大きくバタつかせて、すぐ近くの空き地なのか旧田んぼなのかはわからないけれど、そちらの方に低空飛行して移動した。
そこはよく通る道だし、夜も通るし、なんなら友達と喋りまくって真夜中どころか夜中の2時とかにも何度か通ったことのある道。
でも、サギほどデカい鳥に出くわしたことも見たこともない。
昼間は交通量が多いから、まずサギはじめカラスさえもウロウロしない道。
っていうか、サギは夜行性じゃないはずだけど…?
不思議な気分でその光景を眺めた。
運転しながらパッと思いついたこと。
・飛び立つ
・モフモフの毛=生え変わり=準備は万端でなくても飛ぶ
そんな風に感じた。
今度の水曜日、ハロウィンの日が講座最終日になる。
5月からみて、あっという間だったなぁと思う。
今回も安定の引き延ばしで、宿題は残ったまま。
ホロスコープは勉強して本当に良かったし、自分のことや自分の人生の特徴なんかも客観的に知ることができて良かった。
でも多分ブームが過ぎた(苦笑)。
結局何でもそうだけれど、最後決めるのは自分で、それはホロスコープがしてくれるわけじゃない。
ちなみに前回意思決定プロセスのパターンをホロスコープから読み解く手法を習ったけれども、こんな風に決められずグルグルすることまでホロスコープに出ていた((((;゚Д゚)))))))。
ホロスコープは何でもお見通し!と言わんばかりに、私のあまり突ついて欲しくないウィークポイントまでもバシッと出してくる。
(「ウィークポイント」って言うと可愛いけれど、現実は可愛いもんじゃない…)
それよりも。
5月の当初、10月の講座の頃には何かしら決めているだろうと予想していて、休みとか上手く調整できるのかな?なんて心配もしていたけれど…。
まさか何も決めてないと言う…(爆)。
ガクブルと入力すると「((((;゚Д゚)))))))」この顔文字がお出ましになるけれど、本気でガクブルだ…チーン。
宿題もさることながら、衣替えという一大イベントも控えてる。
その日、新潟の方は最低気温10度_| ̄|○
着ていく服がない。
忘れもしない今月の頭。
部屋の掃除をした時に、衣替えもしようと思った。
だけど、まだ半袖着る日もあって「早い」と判断。
「早い」よりも「今日ならやってもいいかも」という自分の気持ちを優先しなかったことに激しく後悔。
せめてヒートテックの1枚でも出しておけば良かった…。
ヤバイ、思い出した。
洗濯してからしまおうと(春先に)別にしておいたセーターが放置されてる!(◎_◎;)
もちろん、洗濯していない。
セーターもガシガシ洗濯機で洗えたらいいのに…←数年前やらかして、お気に入りのセーターをダメにした人。
・ホロスコープの宿題
・衣替え
・セーターの洗濯
なんだか忙しい。
5月…野うさぎ
6月…リュックサック
7月…スーパームーンのような赤くて大きな月
8月…トンネル工事
夜中に出発すると、毎回面白い何かが見れる。
9月は満月の夜だった。
毎回あまりにもイレギュラーなものたちばかりを見ていたから、今月は何もないかもしれない…と思った。
何もなければ、「満月」が9月のメッセージということにしよう!と決めた。
7月の満月前の月の方がよほど大きさも色もインパクトがあったから、これじゃあ物足りない…なんて思った。
まぁでもそんなにも毎回毎回何かがある方が不思議なんだから、何もなくてもそれが普通か!と思った。
家を出発した。
月は天空高いところにあって小さい。
トンネル工事はもう終わっていてスムーズに進んだ。
野うさぎを見た坂道には何もなかった。
もうあとはひたすら大きな国道に向かって平地を行くだけだから、今回は何もないな…と思った。
街中に入る500mほど手前の辺りに来た時、信号を渡ればコンビニはあるし、店もちらほら出てくるし、あぁこれはもう満月なんだろうなぁと思った。
赤信号が青に変わって車を発進させた。
田んぼ一帯のところからコンビニとガソリンスタンド(夜遅くて閉店中)が出てくる境い目のところで、街灯はない。
信号を越えたばかりの私は、20㎞前後の速度で走っていた。
目の前の道路を見ると、「何だあれ?」という物体が見える。
暗闇の中でさらに黒さを増している、80〜90㎝の物体が見えた。
確実に何かある。
そのままゆっくり走行すると、まさかの鳥だった。
多分サギだと思う。
足の長さといい胴体部分のボリュームといい頭の形といい、サギだと思う。
毛は生え変わりの時期なのかやたらとモフモフしていたけれど、多分間違いなくサギ。
っていうか、何でこんなところに、しかも夜のこんな遅い時間(1時少し前)に、鳥がいるの?と思った。
しかも路肩とかではなく普通に道路の中にいて、ぼさーっとして突っ立っていた。
引かれるよ!というぐらいに私の車が接近したら、ようやくバサって音が聞こえそうなぐらいに羽を大きくバタつかせて、すぐ近くの空き地なのか旧田んぼなのかはわからないけれど、そちらの方に低空飛行して移動した。
そこはよく通る道だし、夜も通るし、なんなら友達と喋りまくって真夜中どころか夜中の2時とかにも何度か通ったことのある道。
でも、サギほどデカい鳥に出くわしたことも見たこともない。
昼間は交通量が多いから、まずサギはじめカラスさえもウロウロしない道。
っていうか、サギは夜行性じゃないはずだけど…?
不思議な気分でその光景を眺めた。
運転しながらパッと思いついたこと。
・飛び立つ
・モフモフの毛=生え変わり=準備は万端でなくても飛ぶ
そんな風に感じた。
今度の水曜日、ハロウィンの日が講座最終日になる。
5月からみて、あっという間だったなぁと思う。
今回も安定の引き延ばしで、宿題は残ったまま。
ホロスコープは勉強して本当に良かったし、自分のことや自分の人生の特徴なんかも客観的に知ることができて良かった。
でも多分ブームが過ぎた(苦笑)。
結局何でもそうだけれど、最後決めるのは自分で、それはホロスコープがしてくれるわけじゃない。
ちなみに前回意思決定プロセスのパターンをホロスコープから読み解く手法を習ったけれども、こんな風に決められずグルグルすることまでホロスコープに出ていた((((;゚Д゚)))))))。
ホロスコープは何でもお見通し!と言わんばかりに、私のあまり突ついて欲しくないウィークポイントまでもバシッと出してくる。
(「ウィークポイント」って言うと可愛いけれど、現実は可愛いもんじゃない…)
それよりも。
5月の当初、10月の講座の頃には何かしら決めているだろうと予想していて、休みとか上手く調整できるのかな?なんて心配もしていたけれど…。
まさか何も決めてないと言う…(爆)。
ガクブルと入力すると「((((;゚Д゚)))))))」この顔文字がお出ましになるけれど、本気でガクブルだ…チーン。
宿題もさることながら、衣替えという一大イベントも控えてる。
その日、新潟の方は最低気温10度_| ̄|○
着ていく服がない。
忘れもしない今月の頭。
部屋の掃除をした時に、衣替えもしようと思った。
だけど、まだ半袖着る日もあって「早い」と判断。
「早い」よりも「今日ならやってもいいかも」という自分の気持ちを優先しなかったことに激しく後悔。
せめてヒートテックの1枚でも出しておけば良かった…。
ヤバイ、思い出した。
洗濯してからしまおうと(春先に)別にしておいたセーターが放置されてる!(◎_◎;)
もちろん、洗濯していない。
セーターもガシガシ洗濯機で洗えたらいいのに…←数年前やらかして、お気に入りのセーターをダメにした人。
・ホロスコープの宿題
・衣替え
・セーターの洗濯
なんだか忙しい。
2018年10月27日土曜日
振り返りノート〆生きる喜びと生きる楽しみ
2017年9月27日の日記より〜
私、今「死にたい」って思ってない!!!!
もっと生きて、もっと色々な体験したいって思ってる、そしてそういう思いを無理せずに自分が持てることがとっても嬉しい。
彗星のごとく現れたその人は、また彗星のごとくいなくなった。
あまりにも一瞬だった。
地球や宇宙銀河の歴史から見たら、その人が私の人生にいた時間は、私たち人間が感じる1秒とか2秒ぐらいの時間でしかなかったかもしれない。
それでもその人が私の人生に登場したことで、私の人生は大きく変わった。
アニメのシーンとかで、それまで破壊された自然が何かをキッカケに一気に取り戻されて、草木が生い茂って、花が咲き乱れ、空が灰色から青に変わるシーン、あんな風にして息吹が吹き込まれる、それに似ていた。
ちょっと大げさに聞こえるけれど、でも本当に私は何度か人生で死にたいと思ったことがある。
あまりに辛すぎたりあまりに過酷な状況で、死んで楽になりたい、そう思った自分がいる。
それは恋愛も然りで、私にはちょっとヘビー過ぎた体験があったりして、心のキャパを超えた時、「死」という願望がふっと湧くという恐ろしいものがあった。
ここ数年で、自殺する方が後々大変とわかって死にたいとは思わなくなったけれど、それでも「生きたい」となったわけじゃなかった。
どちらかと言えば、辛いことや苦しいこと、自分でももうコントロールできない外側の出来事たちを前に、とりあえず嵐が過ぎるのを待つ、そういう姿勢でしかなかった。
その人と離ればなれになることも、それはそれは悲しくて心が悲鳴を上げるような出来事で、そこから先の人生にその人がいないことは受け入れられなかった。
その人の場合、出来事的には大して大きなものではなかったけれど(私の人生の前半部分は、普通に考えて全体的にヘビー過ぎた)、心の衝撃具合が半端なかった。
付き合ってもいない人を相手に、よくぞそこまで泣けるな…と冷静になると思うぐらいに、自分では想像もできないぐらいに心が悲しんでいた。
のちに、魂的な繋がりの人という情報を得て、その感覚は納得したけれど。
不幸自慢するつもりはないけれど、私が体験した数々のわけのわからない状況は、実際にそうしたことを体験することで自殺する人たちもいるぐらいだから、本当にヘビーはヘビーだったと思う。
それまでのことが人間としてキツイ体験だとするなら、その人との別離は魂としてキツイ体験だった。
だけどこれがとても不思議で、その人がいなくなった日、私は死にたいとか人生から逃げたいとかは一切思わず、代わりにもっともっと人生を楽しみたい、そう思った。
人生を楽しんで生きている人からしたら当たり前のことのように見えるかもだけど、私の中ではこれまで感じたことのない画期的な変化だった。
悲しい渦中にいるのに、心が苦しい渦中にあるのに、私は人生をもっと楽しみたい、そういう気持ちをあの日持っていた。
私は社会人になるまで、ただの一度も「朝が来て何の抵抗もなくその日1日を迎える、そしてそのフラットな気持ちで仕事に行く」ということを体験したことがなかった。
中学まではいじめの巣窟に向かうわけだから、気持ちが明るくなるわけがなかった。
いじめられてなくても、女の子の人間関係はちょっと私には厄介で、子どもながらに変な気の使い方とか根回しとかで、心は落ち着かなかった。
高校からは人間関係がガラリと変わったけれども、それでも「学校が楽しい」なんてただの一度も思ったことがなかった。
もちろん楽しい時間もあったけれど、人がよく言う「学校楽しい!」という何の根拠もない感覚が私にはさっぱりわからなかった。
私にとって社会に出ることは、とても疲れることだった。
今思うと、色々過敏に感じ取ってしまうし、色んな人間模様の背景とかがわかってしまうから、落ち着かなかったんだと思う。
だから私は学校の日よりも、自分のペースで何も気にせず穏やかに過ごせる休みの日をこよなく愛していた。
30代に入ってから体験した半引きこもり生活がわりかし平気だったのは、そういう自分の性質的なものもあったと思う。
大学もまたちょっと違っていて、学業的な追い込みや人間模様やら、ネガティブ思考にはならなかったけれども、落ち着くのともまた違っていた。
だから、私は社会人になって初めて、当時は興味のある仕事に就いたこともあって、朝をフラットな気持ちで迎え、そして楽しく仕事に通うという体験を手にした。
「学校に行くのが楽しみ」っていう人たちはこういう感覚なのかもしれない、と思った。
その仕事を辞めてからはまた波瀾万丈な人生になっていくわけだけど、人生であれこれ大変な時期を過ごしたことで、私は意図的に楽しみや希望を見つけることに関しては天才的に上手くなった。
なんなら時間やお金、人、エンターテイメント性がなくても、楽しみも希望も見つけられる、ある意味強運体質にはなった。
でもそれは、トレーニングして筋肉を付けるのと一緒で、元から備わったりとか自然に身に付けたのとは違っていた。
そんな私の人生において、その人は全く違っていた。
本当にいるだけで、その人が存在しているだけで、目の前の世界は変わった。
努力もしていないし、探したのでもない。
目の前の興味のない仕事・喋らない仕事を前に「やらかしたな、この選択\(ー_ー;)/=3=3=3」とさえ思って当初は仕事に行っていた。
深く考えず安易に飛びついたら、仕事も職場の雰囲気も自分に合わなくて、でもなのに何でこの仕事は何の問題もなくスムーズに決まったんだろう?なんて思っていた。
だから、状況的に悪くはなくても決して良いとも言えなかった。
そんな中にその人はいて、その人の存在をはっきりと認識した瞬間からすべては変わった。
とにかく毎日が楽しくて仕方なかった。
気持ちは勝手に高揚するし、その人を一目見るだけでウキウキするし、いなければガッカリし、戻ってくると「あっ!帰ってきた♪」と毎回感動してた。
用事が発生するのも大歓迎だった。
後輩くんに交代してからの方が時間が長かったけれど、その人との間に起こるイレギュラー的なことは後輩くんになってからピタリと言ってもいいぐらいに止んだ。
電話を取ったシーンを思い出したけれど、いつだったかも相手に頼まれてその人を探しに行ったことがあった。
急ぎの電話か何かで折り返しますと言ってから電話を切って、その人を探しに行った。
単なる電話の折り返しをお願いするだけでも私はテンションを上げていた。
その人の姿を見つけると丁度他の電話中で、もちろん伝言という素晴らしい用事があったからその場で待機、本来見放題だったけれども、反対に恥ずかしくてガン見も出来ず、目を泳がせながらチラ見しながら電話が終わるのを待っていた。
ちなみにこの時が初めてその人にメモ(折り返し先と電話番号)を渡した時で、それから何時間か経った時にそのメモがその人の机の上に置かれていて、別に意味は何にもないけれど嬉しかった。
自分が手渡したものがちょっとだけ長くその人の手元に残っているのが嬉しかった。
多分シュレッターにかけないといけないものだったから、もしくは電話で何かをメモったから置いといただけだと思うけれど。
そういうことで喜んでいたから、本当に毎日がパラダイス状態だった。
いない時は、私はそっと事務所の予定表を出して、「何で今日いないの?」と予定を確認していた←完全に使い方を間違えてた人。
後輩くんに代わってから、鍵当番について「当番って替えられないんすか?」って事務さんに訴えていたことがあった。
それ聞いて、その人は実際早起きで苦ではなかったのか、それとも仕方ないと思ってやっていたのかは知らないけれど、黙々とやっていたんだろうなぁと知った。
後輩くんは「〇〇〇さんは何も言わなかったんすか?」とか言っていたぐらい。
ちなみに鍵当番の見方も私は全く他の人たちとは違う視点で見ていて、その人の名前を見て「絶対にいる日」という、その確認のためだけに見ていた。
当時の私は、もちろん働くために仕事に行っていたけれど、そんなのは見せかけの目的だった。
私は毎日その人に会うために仕事に行っていた。
それは気まずい感じになってからも変わりなかった。
ごはんに誘って気まずくなってから変わったことは、それまでと同じようにその人のことを見れなくなったことだけだった。
1日中事務所にいる日でも、見るに見れなくて、もういなくなるのに見にくいのが本当に残念だった。
見られるのも嫌だろうなぁ、と私なりの訳の分からない気遣いをした。
その当時一度ネット回線がおかしくなって、その人が子機を持ちながら回線会社とやり取りしていたことがあった。
その人が目の前の修繕に一生懸命だったのをいいことに、そしてその時私は普段座りもしない場所に座っていたラッキーを存分に生かして、その人の姿を仕事放ったらかして見まくっていた。
室内の隅っこだったから、私は誰に遠慮することもなくその人の後ろ姿を見ていた。
最後の日以外でしっかりと見れたのはその時だけだった。
後輩くんに代わってから、システムがダウンした日があって、その人が子機持ってやり取りした時以上に大故障していた。
後輩くんには興味もないから「壊れたんだな〜、大変そうだな〜」ぐらいな気持ちで一度だけチラッと見たけれど、あとは見ることもなかった。
その人に関しては、自分でもすごい記憶力だと思う。
暗記しようとしても覚えられないことがたくさんあるのに、その人がいた風景は私の脳裏に焼き付いた。
それは最後までそうだった。
会えることが嬉しくて、そしてそれを私は記憶した。
気まずそうにされてやりにくかった時も、無視されるような形で悲しくなった時も、いなくなると知って心がどん底に沈んだ日々を送っていた時も、それでも私は会えて嬉しかった。
その人に会えることが何よりも喜びだった。
仕事以外の部分にも変化は起こった。
派遣の仕事を始めた数年前より、仕事に着ていくための服を買うようになった。
会社によっては「オフィスカジュアル」というドレスコードを定めていたところもあって、やむなしに私は服を買いに行っていた。
ぶっちゃけ、あまり好きでもない服を買うのはお金がもったいないとすら思っていた。
という私が、その人を意識するようになってから、喜んで仕事兼プライベート用の服を見に行くようになった。
自分の好きな服を選ぶけれど、なんとなくオシャレな感じだといいなぁとか思いながら選ぶのは楽しかった。
化粧やスキンケアにも興味がほとんどない私が、去年は違っていた。
私の人生史上初めて、スキンケアも通常のものにプラス2つ足した。
化粧品も新しく買った。
そんなことしてもその人から見えるわけじゃないけれど、そうしたことを楽しんでやっている自分がいた。
ダイエットも頑張った。
きれいになりたい…、初めてそういう気持ちでダイエットをした。
太ったからヤバイとか周りから見て見苦しいからとかではなく、自分がきれいになりたいという史上最高に前向きな理由でのダイエットをした。
人生で初めて、書店でダイエット誌のコーナーに行って、ダイエット特集オンリーの雑誌を買って、大真面目にその中の道具を使ってエクササイズをしたり、他の痩せる方法も試した。
しかも三日坊主じゃなく、2ヶ月ぐらいは本気でやっていた。
イケメンで背も高くスタイルも良いその人を前に、今の自分よりもきれいになりたい、そう思った。
その人の人生の中には綺麗な人や可愛い人たちが登場してきただろうし、その人たちと張り合うつもりはなかった。
でも、私は私でせめて自分の中でできることはしたいと思った。
それは楽しい努力だった。
私は長いこと、女の人がきれいにすることの意味が理解できなかった。
何で自然体ではダメなんだろう?って思っていた。
付き合った人たちはそういうことを気にしない人たちばっかりだったから良かったけれど、一歩外に出るときれいにと言うより取り繕うみたいな行為が私にはどうしても理解できなかった。
でも、その人が登場して変わった。
相変わらず自然体が一番楽チンだし一般的な女子偏差値は低いけれども、自分自らきれいになりたいと思って自分を整える楽しさを知った。
その人は、いなくなった今も、思いもよらない形で私の人生に貢献してくれてる。
最近のマイブームは、嫌なことがあったり自分・他人の許せない行為や言動があった時、一度それをその人がしたことに置き換える。
これが本当に不思議で、その人がしたとするなら、怒りが鎮まったり、仕方ないかとなったり、自分のことの時は自分のその部分が許せたりする。
初めてそうした時、自分のことだと思うと自分を責めまくるけれど、もしその人が今の私と同じ状況なら、私は責めるどころかそれを理解したい!寄り添いたい!と思う自分に気付いた。
これは使える!と思って、それ以降も心のケアをする時にその人を使って自分への攻撃性を抑えたり、他人への不満を軽減したりすることをよくしている。
すごい濫用っぷりだけど、メンタルヘルスにはこの上なく良い薬だから、勝手にコッソリとその人を使わせてもらっている。
私ひそかに思っていることだけれど、その人のことなら何でも受け入れられるのかもしれない。
その人だけは、その人が何をしてても反対にしてなくても、決して嬉しくないことを私に対してしても、嫌いになることも幻滅することもなかった。
その人に対して感じるものは、とにかく次元が違いすぎた。
私はその人のことを受け止めたいとも理解したいとも思っていないけれど、本能的な感覚でその人のことを受け止められる・理解できる気がする…、そういう風に感じている。
理由も根拠もないけれど、多分私はその人がどうであったとしても、嫌いになんかなれないんだと思う。
振り返りノートを書きながらも、同じことを何回か逡巡した。
(逡巡…Google先生いわく「決断をためらう、グズグズする」ことらしい)
最近読んだ婚活ブログやそこに書かれていた恋愛カウンセラー的な人たちの言葉に何度かハッとした。
今の状態は、「脈がない」というものに匹敵する。
世間一般では、そんなところに未練タラタラなのはとても否定的に捉えられているし、そもそも気持ちは実はそこまでなくてそれを何かにすり替えてしまっているのでは?、思い出を美化しているのでは?とか、まぁかなり辛らつな意見が目立つ。
私の勘違いワールド、思い込み突進、単なる痛い人…、言われたらその通りだと思う。
自分でさえも理解できない気持ちを持っている。
自分で自分のことも否定した。
だけど、私はやっぱり書いた。
どういう風に言われても仕方ないようなことを書き続けた。
私が何よりも欲しい結果は、「伝えない後悔をしないこと」だったのかな…なんて思っている。
今しか紡げない一期一会を、今逃しちゃいけない気がした。
勘違いでも痛い人でも何でもいい。
それよりも、今この瞬間にしか伝えられないことがある。
それを伝えたい、ただそれだけの気持ちでここまで書き続けた。
書いていてわかった。
いつかの未来には書けないこと。
今でも抵抗がぎち一杯だった。
抵抗力も半端なかったけれど、今はまだ伝えたい想いが上回っていた。
だから書けた。
本人に伝わってるのかどうかわからない。
それでももう今しか私が書けない気がした。
世間一般的におかしいことも、本当に色々と勘違いなんじゃないかと思うことも、承知の上だった。
このまま風の便りもなく、終わるのが関の山だと思う。
だからと言って「伝えない…」とはならなかった。
便りがあろうがなかろうが、本人からの反応があろうがなかろうが、これが私の意地だった。
こっそりでもいい。
読んでもらえて、何か1つでも伝わったらいい。
私が書いたこと、私が感じていたこと、その中の1つでもその人に何か響いたら嬉しい。
そういう気持ちで書いていた。
書きながら、時々今自分がどこにいるのかわからなくなる時があった。
確実に今は2018年なのに、書いている内容があまりにもリアルすぎると、一瞬2017年の1年ぐらい前にいるような気持ちになった。
過去に未練があるのでもなく、戻りたいというのとも違う。
でも、ふと今日という日が2018年だということを念頭に置かないと、まるで今目の前が1年前になったりした。
振り返りノートのラストが見えた2日か3日前の夜、ふと出てきた言葉。
【愛されなかった記憶より愛した記憶が残る】
「愛した」だと言葉が重いから、変更文をあれこれ考えた。
「相手にされなかった記憶より、誰かを大切に愛おしいと思えた記憶が残る」
言葉を変えると、インパクトがイマイチだった。
とりあえず相手にはされなかった。
愛されなかった。
たしかに、望むような関係は手にできなかったし、なのに何でこんな風な心境が今も続くのかはわからない。
でも、死ぬ間際に自分の人生を振り返ったら、あんなにも誰かのことをいいと思えた、その部分だけ克明に思い出す気がした。
相手にされなかったとかは、もうどうでもいい風になってる気がする。
私の中に残るのは、間違いなくその人を見てその人を想った気持ちや時間だと思う。
最後に、その人がいた時間を記録したノートから言葉を抜き出したい。
おばあちゃんになって毎日時間を持て余すような感じになったら、それを読み返したら楽しそうだなぁと思う。
手紙の下書きや予定表、自分のメモ、そのノートなんかを1つの布製の大きなポーチにまとめて入れている。
ノートは4分の1程度しか使っていない。
多分もうこのまま書き足すことはしないような気がする。
でももうそれでいいと思っている。
抜粋するところは、その人が仕事の資料の探し物をした時に見つけられなくて、やり取りした時のことを振り返って書いたもの。
書いた日は1年前の11月4日(土)になっていて、天気は雨だった模様。
場所は絶対に起こるわけない賭け事を昼休みにした場所で、その日は雨ゆえに車の中にいたとわかる。
車のハンドルを机代わりにして、思い浮かんだまま書いたことを覚えている。
外の天気と一緒で、書きながら泣いたことも覚えている。
これから私がどんな風な人生を歩むかも知らないし、誰かと一緒に生きることになるかもしれない。
でもどんな風でも、書いたことは変わらないだろうなぁと思う。
かけがえのない時間だった。
命があることへの感謝は尽きなかった。
生きることが喜びで、生きているからこそ居合わせることのできた空間と時間だった。
小さな一期一会が毎日あって、その一期一会に心弾ませて、こんなにも人生って楽しいんだ!と心底感激した。
ある1人の人が同じ空間にいてくれるだけで、その場所は飛びっきりのパワースポット&アミューズメントパークに変わった。
私にはそこの事務所が夢の国だった。
その人の一挙手一投足に注目して、見ているだけで私は楽しかった。
苦しい時間もあったけれど、私の意識にはキラキラした時間が刻まれた。
そして、その人が人生に登場してくれたおかげで、自分は何にもしなくても人生には楽しいことがある、ということを本気で知ったし、そしてこれから先もそういうことがあるだろうと心から信じられるようになった。
私はかなり早い段階で(多分このシリーズ開始の頃)、最後の振り返りノートの題名だけは決めていた。
『生きる喜びと生きる楽しみ』
それがその人からもらったものだったから。
その原点となったその人とのワンシーンを振り返って書いたのが下のもの。
本当に愛おしい瞬間で、本当に愛おしい存在で、その瞬間を人生の中で迎えられたこと、それが自分の人生において、何十年分の1年のある1日(1/365)のたかが数分の出来事でも、そして今離れててこれ書いててもうただただ会いたくて寂しくてそれでワンワン泣いて泣くことになっても、やっぱりあの瞬間があって良かった。私の人生に〇〇さんが現れてくれて良かった。
「自分の世界の中に〇〇さんがいるだけで、本当の本当に幸せだった。」
私、今「死にたい」って思ってない!!!!
もっと生きて、もっと色々な体験したいって思ってる、そしてそういう思いを無理せずに自分が持てることがとっても嬉しい。
彗星のごとく現れたその人は、また彗星のごとくいなくなった。
あまりにも一瞬だった。
地球や宇宙銀河の歴史から見たら、その人が私の人生にいた時間は、私たち人間が感じる1秒とか2秒ぐらいの時間でしかなかったかもしれない。
それでもその人が私の人生に登場したことで、私の人生は大きく変わった。
アニメのシーンとかで、それまで破壊された自然が何かをキッカケに一気に取り戻されて、草木が生い茂って、花が咲き乱れ、空が灰色から青に変わるシーン、あんな風にして息吹が吹き込まれる、それに似ていた。
ちょっと大げさに聞こえるけれど、でも本当に私は何度か人生で死にたいと思ったことがある。
あまりに辛すぎたりあまりに過酷な状況で、死んで楽になりたい、そう思った自分がいる。
それは恋愛も然りで、私にはちょっとヘビー過ぎた体験があったりして、心のキャパを超えた時、「死」という願望がふっと湧くという恐ろしいものがあった。
ここ数年で、自殺する方が後々大変とわかって死にたいとは思わなくなったけれど、それでも「生きたい」となったわけじゃなかった。
どちらかと言えば、辛いことや苦しいこと、自分でももうコントロールできない外側の出来事たちを前に、とりあえず嵐が過ぎるのを待つ、そういう姿勢でしかなかった。
その人と離ればなれになることも、それはそれは悲しくて心が悲鳴を上げるような出来事で、そこから先の人生にその人がいないことは受け入れられなかった。
その人の場合、出来事的には大して大きなものではなかったけれど(私の人生の前半部分は、普通に考えて全体的にヘビー過ぎた)、心の衝撃具合が半端なかった。
付き合ってもいない人を相手に、よくぞそこまで泣けるな…と冷静になると思うぐらいに、自分では想像もできないぐらいに心が悲しんでいた。
のちに、魂的な繋がりの人という情報を得て、その感覚は納得したけれど。
不幸自慢するつもりはないけれど、私が体験した数々のわけのわからない状況は、実際にそうしたことを体験することで自殺する人たちもいるぐらいだから、本当にヘビーはヘビーだったと思う。
それまでのことが人間としてキツイ体験だとするなら、その人との別離は魂としてキツイ体験だった。
だけどこれがとても不思議で、その人がいなくなった日、私は死にたいとか人生から逃げたいとかは一切思わず、代わりにもっともっと人生を楽しみたい、そう思った。
人生を楽しんで生きている人からしたら当たり前のことのように見えるかもだけど、私の中ではこれまで感じたことのない画期的な変化だった。
悲しい渦中にいるのに、心が苦しい渦中にあるのに、私は人生をもっと楽しみたい、そういう気持ちをあの日持っていた。
私は社会人になるまで、ただの一度も「朝が来て何の抵抗もなくその日1日を迎える、そしてそのフラットな気持ちで仕事に行く」ということを体験したことがなかった。
中学まではいじめの巣窟に向かうわけだから、気持ちが明るくなるわけがなかった。
いじめられてなくても、女の子の人間関係はちょっと私には厄介で、子どもながらに変な気の使い方とか根回しとかで、心は落ち着かなかった。
高校からは人間関係がガラリと変わったけれども、それでも「学校が楽しい」なんてただの一度も思ったことがなかった。
もちろん楽しい時間もあったけれど、人がよく言う「学校楽しい!」という何の根拠もない感覚が私にはさっぱりわからなかった。
私にとって社会に出ることは、とても疲れることだった。
今思うと、色々過敏に感じ取ってしまうし、色んな人間模様の背景とかがわかってしまうから、落ち着かなかったんだと思う。
だから私は学校の日よりも、自分のペースで何も気にせず穏やかに過ごせる休みの日をこよなく愛していた。
30代に入ってから体験した半引きこもり生活がわりかし平気だったのは、そういう自分の性質的なものもあったと思う。
大学もまたちょっと違っていて、学業的な追い込みや人間模様やら、ネガティブ思考にはならなかったけれども、落ち着くのともまた違っていた。
だから、私は社会人になって初めて、当時は興味のある仕事に就いたこともあって、朝をフラットな気持ちで迎え、そして楽しく仕事に通うという体験を手にした。
「学校に行くのが楽しみ」っていう人たちはこういう感覚なのかもしれない、と思った。
その仕事を辞めてからはまた波瀾万丈な人生になっていくわけだけど、人生であれこれ大変な時期を過ごしたことで、私は意図的に楽しみや希望を見つけることに関しては天才的に上手くなった。
なんなら時間やお金、人、エンターテイメント性がなくても、楽しみも希望も見つけられる、ある意味強運体質にはなった。
でもそれは、トレーニングして筋肉を付けるのと一緒で、元から備わったりとか自然に身に付けたのとは違っていた。
そんな私の人生において、その人は全く違っていた。
本当にいるだけで、その人が存在しているだけで、目の前の世界は変わった。
努力もしていないし、探したのでもない。
目の前の興味のない仕事・喋らない仕事を前に「やらかしたな、この選択\(ー_ー;)/=3=3=3」とさえ思って当初は仕事に行っていた。
深く考えず安易に飛びついたら、仕事も職場の雰囲気も自分に合わなくて、でもなのに何でこの仕事は何の問題もなくスムーズに決まったんだろう?なんて思っていた。
だから、状況的に悪くはなくても決して良いとも言えなかった。
そんな中にその人はいて、その人の存在をはっきりと認識した瞬間からすべては変わった。
とにかく毎日が楽しくて仕方なかった。
気持ちは勝手に高揚するし、その人を一目見るだけでウキウキするし、いなければガッカリし、戻ってくると「あっ!帰ってきた♪」と毎回感動してた。
用事が発生するのも大歓迎だった。
後輩くんに交代してからの方が時間が長かったけれど、その人との間に起こるイレギュラー的なことは後輩くんになってからピタリと言ってもいいぐらいに止んだ。
電話を取ったシーンを思い出したけれど、いつだったかも相手に頼まれてその人を探しに行ったことがあった。
急ぎの電話か何かで折り返しますと言ってから電話を切って、その人を探しに行った。
単なる電話の折り返しをお願いするだけでも私はテンションを上げていた。
その人の姿を見つけると丁度他の電話中で、もちろん伝言という素晴らしい用事があったからその場で待機、本来見放題だったけれども、反対に恥ずかしくてガン見も出来ず、目を泳がせながらチラ見しながら電話が終わるのを待っていた。
ちなみにこの時が初めてその人にメモ(折り返し先と電話番号)を渡した時で、それから何時間か経った時にそのメモがその人の机の上に置かれていて、別に意味は何にもないけれど嬉しかった。
自分が手渡したものがちょっとだけ長くその人の手元に残っているのが嬉しかった。
多分シュレッターにかけないといけないものだったから、もしくは電話で何かをメモったから置いといただけだと思うけれど。
そういうことで喜んでいたから、本当に毎日がパラダイス状態だった。
いない時は、私はそっと事務所の予定表を出して、「何で今日いないの?」と予定を確認していた←完全に使い方を間違えてた人。
後輩くんに代わってから、鍵当番について「当番って替えられないんすか?」って事務さんに訴えていたことがあった。
それ聞いて、その人は実際早起きで苦ではなかったのか、それとも仕方ないと思ってやっていたのかは知らないけれど、黙々とやっていたんだろうなぁと知った。
後輩くんは「〇〇〇さんは何も言わなかったんすか?」とか言っていたぐらい。
ちなみに鍵当番の見方も私は全く他の人たちとは違う視点で見ていて、その人の名前を見て「絶対にいる日」という、その確認のためだけに見ていた。
当時の私は、もちろん働くために仕事に行っていたけれど、そんなのは見せかけの目的だった。
私は毎日その人に会うために仕事に行っていた。
それは気まずい感じになってからも変わりなかった。
ごはんに誘って気まずくなってから変わったことは、それまでと同じようにその人のことを見れなくなったことだけだった。
1日中事務所にいる日でも、見るに見れなくて、もういなくなるのに見にくいのが本当に残念だった。
見られるのも嫌だろうなぁ、と私なりの訳の分からない気遣いをした。
その当時一度ネット回線がおかしくなって、その人が子機を持ちながら回線会社とやり取りしていたことがあった。
その人が目の前の修繕に一生懸命だったのをいいことに、そしてその時私は普段座りもしない場所に座っていたラッキーを存分に生かして、その人の姿を仕事放ったらかして見まくっていた。
室内の隅っこだったから、私は誰に遠慮することもなくその人の後ろ姿を見ていた。
最後の日以外でしっかりと見れたのはその時だけだった。
後輩くんに代わってから、システムがダウンした日があって、その人が子機持ってやり取りした時以上に大故障していた。
後輩くんには興味もないから「壊れたんだな〜、大変そうだな〜」ぐらいな気持ちで一度だけチラッと見たけれど、あとは見ることもなかった。
その人に関しては、自分でもすごい記憶力だと思う。
暗記しようとしても覚えられないことがたくさんあるのに、その人がいた風景は私の脳裏に焼き付いた。
それは最後までそうだった。
会えることが嬉しくて、そしてそれを私は記憶した。
気まずそうにされてやりにくかった時も、無視されるような形で悲しくなった時も、いなくなると知って心がどん底に沈んだ日々を送っていた時も、それでも私は会えて嬉しかった。
その人に会えることが何よりも喜びだった。
仕事以外の部分にも変化は起こった。
派遣の仕事を始めた数年前より、仕事に着ていくための服を買うようになった。
会社によっては「オフィスカジュアル」というドレスコードを定めていたところもあって、やむなしに私は服を買いに行っていた。
ぶっちゃけ、あまり好きでもない服を買うのはお金がもったいないとすら思っていた。
という私が、その人を意識するようになってから、喜んで仕事兼プライベート用の服を見に行くようになった。
自分の好きな服を選ぶけれど、なんとなくオシャレな感じだといいなぁとか思いながら選ぶのは楽しかった。
化粧やスキンケアにも興味がほとんどない私が、去年は違っていた。
私の人生史上初めて、スキンケアも通常のものにプラス2つ足した。
化粧品も新しく買った。
そんなことしてもその人から見えるわけじゃないけれど、そうしたことを楽しんでやっている自分がいた。
ダイエットも頑張った。
きれいになりたい…、初めてそういう気持ちでダイエットをした。
太ったからヤバイとか周りから見て見苦しいからとかではなく、自分がきれいになりたいという史上最高に前向きな理由でのダイエットをした。
人生で初めて、書店でダイエット誌のコーナーに行って、ダイエット特集オンリーの雑誌を買って、大真面目にその中の道具を使ってエクササイズをしたり、他の痩せる方法も試した。
しかも三日坊主じゃなく、2ヶ月ぐらいは本気でやっていた。
イケメンで背も高くスタイルも良いその人を前に、今の自分よりもきれいになりたい、そう思った。
その人の人生の中には綺麗な人や可愛い人たちが登場してきただろうし、その人たちと張り合うつもりはなかった。
でも、私は私でせめて自分の中でできることはしたいと思った。
それは楽しい努力だった。
私は長いこと、女の人がきれいにすることの意味が理解できなかった。
何で自然体ではダメなんだろう?って思っていた。
付き合った人たちはそういうことを気にしない人たちばっかりだったから良かったけれど、一歩外に出るときれいにと言うより取り繕うみたいな行為が私にはどうしても理解できなかった。
でも、その人が登場して変わった。
相変わらず自然体が一番楽チンだし一般的な女子偏差値は低いけれども、自分自らきれいになりたいと思って自分を整える楽しさを知った。
その人は、いなくなった今も、思いもよらない形で私の人生に貢献してくれてる。
最近のマイブームは、嫌なことがあったり自分・他人の許せない行為や言動があった時、一度それをその人がしたことに置き換える。
これが本当に不思議で、その人がしたとするなら、怒りが鎮まったり、仕方ないかとなったり、自分のことの時は自分のその部分が許せたりする。
初めてそうした時、自分のことだと思うと自分を責めまくるけれど、もしその人が今の私と同じ状況なら、私は責めるどころかそれを理解したい!寄り添いたい!と思う自分に気付いた。
これは使える!と思って、それ以降も心のケアをする時にその人を使って自分への攻撃性を抑えたり、他人への不満を軽減したりすることをよくしている。
すごい濫用っぷりだけど、メンタルヘルスにはこの上なく良い薬だから、勝手にコッソリとその人を使わせてもらっている。
私ひそかに思っていることだけれど、その人のことなら何でも受け入れられるのかもしれない。
その人だけは、その人が何をしてても反対にしてなくても、決して嬉しくないことを私に対してしても、嫌いになることも幻滅することもなかった。
その人に対して感じるものは、とにかく次元が違いすぎた。
私はその人のことを受け止めたいとも理解したいとも思っていないけれど、本能的な感覚でその人のことを受け止められる・理解できる気がする…、そういう風に感じている。
理由も根拠もないけれど、多分私はその人がどうであったとしても、嫌いになんかなれないんだと思う。
振り返りノートを書きながらも、同じことを何回か逡巡した。
(逡巡…Google先生いわく「決断をためらう、グズグズする」ことらしい)
最近読んだ婚活ブログやそこに書かれていた恋愛カウンセラー的な人たちの言葉に何度かハッとした。
今の状態は、「脈がない」というものに匹敵する。
世間一般では、そんなところに未練タラタラなのはとても否定的に捉えられているし、そもそも気持ちは実はそこまでなくてそれを何かにすり替えてしまっているのでは?、思い出を美化しているのでは?とか、まぁかなり辛らつな意見が目立つ。
私の勘違いワールド、思い込み突進、単なる痛い人…、言われたらその通りだと思う。
自分でさえも理解できない気持ちを持っている。
自分で自分のことも否定した。
だけど、私はやっぱり書いた。
どういう風に言われても仕方ないようなことを書き続けた。
私が何よりも欲しい結果は、「伝えない後悔をしないこと」だったのかな…なんて思っている。
今しか紡げない一期一会を、今逃しちゃいけない気がした。
勘違いでも痛い人でも何でもいい。
それよりも、今この瞬間にしか伝えられないことがある。
それを伝えたい、ただそれだけの気持ちでここまで書き続けた。
書いていてわかった。
いつかの未来には書けないこと。
今でも抵抗がぎち一杯だった。
抵抗力も半端なかったけれど、今はまだ伝えたい想いが上回っていた。
だから書けた。
本人に伝わってるのかどうかわからない。
それでももう今しか私が書けない気がした。
世間一般的におかしいことも、本当に色々と勘違いなんじゃないかと思うことも、承知の上だった。
このまま風の便りもなく、終わるのが関の山だと思う。
だからと言って「伝えない…」とはならなかった。
便りがあろうがなかろうが、本人からの反応があろうがなかろうが、これが私の意地だった。
こっそりでもいい。
読んでもらえて、何か1つでも伝わったらいい。
私が書いたこと、私が感じていたこと、その中の1つでもその人に何か響いたら嬉しい。
そういう気持ちで書いていた。
書きながら、時々今自分がどこにいるのかわからなくなる時があった。
確実に今は2018年なのに、書いている内容があまりにもリアルすぎると、一瞬2017年の1年ぐらい前にいるような気持ちになった。
過去に未練があるのでもなく、戻りたいというのとも違う。
でも、ふと今日という日が2018年だということを念頭に置かないと、まるで今目の前が1年前になったりした。
振り返りノートのラストが見えた2日か3日前の夜、ふと出てきた言葉。
【愛されなかった記憶より愛した記憶が残る】
「愛した」だと言葉が重いから、変更文をあれこれ考えた。
「相手にされなかった記憶より、誰かを大切に愛おしいと思えた記憶が残る」
言葉を変えると、インパクトがイマイチだった。
とりあえず相手にはされなかった。
愛されなかった。
たしかに、望むような関係は手にできなかったし、なのに何でこんな風な心境が今も続くのかはわからない。
でも、死ぬ間際に自分の人生を振り返ったら、あんなにも誰かのことをいいと思えた、その部分だけ克明に思い出す気がした。
相手にされなかったとかは、もうどうでもいい風になってる気がする。
私の中に残るのは、間違いなくその人を見てその人を想った気持ちや時間だと思う。
最後に、その人がいた時間を記録したノートから言葉を抜き出したい。
おばあちゃんになって毎日時間を持て余すような感じになったら、それを読み返したら楽しそうだなぁと思う。
手紙の下書きや予定表、自分のメモ、そのノートなんかを1つの布製の大きなポーチにまとめて入れている。
ノートは4分の1程度しか使っていない。
多分もうこのまま書き足すことはしないような気がする。
でももうそれでいいと思っている。
抜粋するところは、その人が仕事の資料の探し物をした時に見つけられなくて、やり取りした時のことを振り返って書いたもの。
書いた日は1年前の11月4日(土)になっていて、天気は雨だった模様。
場所は絶対に起こるわけない賭け事を昼休みにした場所で、その日は雨ゆえに車の中にいたとわかる。
車のハンドルを机代わりにして、思い浮かんだまま書いたことを覚えている。
外の天気と一緒で、書きながら泣いたことも覚えている。
これから私がどんな風な人生を歩むかも知らないし、誰かと一緒に生きることになるかもしれない。
でもどんな風でも、書いたことは変わらないだろうなぁと思う。
かけがえのない時間だった。
命があることへの感謝は尽きなかった。
生きることが喜びで、生きているからこそ居合わせることのできた空間と時間だった。
小さな一期一会が毎日あって、その一期一会に心弾ませて、こんなにも人生って楽しいんだ!と心底感激した。
ある1人の人が同じ空間にいてくれるだけで、その場所は飛びっきりのパワースポット&アミューズメントパークに変わった。
私にはそこの事務所が夢の国だった。
その人の一挙手一投足に注目して、見ているだけで私は楽しかった。
苦しい時間もあったけれど、私の意識にはキラキラした時間が刻まれた。
そして、その人が人生に登場してくれたおかげで、自分は何にもしなくても人生には楽しいことがある、ということを本気で知ったし、そしてこれから先もそういうことがあるだろうと心から信じられるようになった。
私はかなり早い段階で(多分このシリーズ開始の頃)、最後の振り返りノートの題名だけは決めていた。
『生きる喜びと生きる楽しみ』
それがその人からもらったものだったから。
その原点となったその人とのワンシーンを振り返って書いたのが下のもの。
本当に愛おしい瞬間で、本当に愛おしい存在で、その瞬間を人生の中で迎えられたこと、それが自分の人生において、何十年分の1年のある1日(1/365)のたかが数分の出来事でも、そして今離れててこれ書いててもうただただ会いたくて寂しくてそれでワンワン泣いて泣くことになっても、やっぱりあの瞬間があって良かった。私の人生に〇〇さんが現れてくれて良かった。
「自分の世界の中に〇〇さんがいるだけで、本当の本当に幸せだった。」
2018年10月26日金曜日
振り返りノート【番外編】
>>>言い訳
『振り返りノート【番外編】』は、元々途中まで書いてあった。
だけど、番外編に相応しく、内容がかなり関係なくて、これはいつか気が向いたらアップするか、もしくは破棄するかどちらかだなぁと思っていた。
だから本来は、最後の振り返りだけが残っている予定だった。
気が変わったのは、日付を見て。
仮にそのままアップだと26日が最後。
もう1つ記事を挟めば、27日が最後のアップ。
私の中でちょうど1年1ヶ月とキリの良い日になるとわかって、じゃあ27でしょ!、もうつぶやきは終わったから入れるとしたらこの番外編。
ということで、番外編投入。
せっかくだから、余計な部分はカットして、多少シリーズものに相応しくなるように途中から書き直した。
>>>本編
振り返りノートを書いていた最中に、私は婚活ブログをいくつか読んだ。
婚活する・始めると勘違いされたくないから言うと、私は少しでも興味の湧くタイトルが付いていると、そのブログを読む。
開いたら闘病日記、不妊治療、ゲイカップルの日常、大食い、グルメ、食べ歩き、レシピ、子育て、夫婦の関係…と色々ある。
だから今回も婚活日記を読むぞー!ではなく、気になったタイトルを見たら婚活だったという。
婚活と名前が付くだけあって、本当に「活動」なんだなと思った。
39歳独身女がこんなことボヤくと火に油、そして説得力ゼロになるけれども、婚活って恋愛するんじゃないんだな…って。
条件がある程度合うと、次に進むらしいけれど、まずは条件ありきなんだと。
そんなの上手くいくのかな…なんて思った←「お前が言うなー!」という声が聞こえてきそう。
読んでいると悲しくなるぐらいに、細かなところや重箱の隅を突つくようなことが書かれている。
たしかに読んでいると「それはないわー」とは私も思うけれど、なんだろう、そういうことじゃないよね?という感覚が否めない。
ダメなところを見つけに行くみたいな、そういう時間ばかりが書かれていて、この人たちどこまでも条件が高すぎて、それで結婚できる方が不思議…とこれまた失礼なことを感じた。
私は自分が今回体験してわかったことは、条件なんて関係ないんだな…ということだった。
頭でいくらこういうタイプの人がいいと思っていても、それに全くかすらないどころか真逆の人でもいいと感じる時は、理由なし理屈抜きに勝手に惹かれるとわかった。
ありえもしないことだけれど、もしその人と私がそれぞれ同じ婚活サイトなり相談所なりに登録してたとしても、絶対に出逢うことはなかった。
私側の人物像もさることながら、相手のプロフィールも私は見てもスルーしたと思う。
例えば、写真があれば、第一印象でその人はもう落選。
なぜならさわやかイケメンだから。
(その人の第一印象がとても良かったのは、さわやかだからでもなく、イケメンだからでもなく、その人が放ってる安心感や信頼感、空気感、そして笑顔が良かったから)
さわやかイケメンは、友達なら自慢するし、見る分には目の保養でいいかもしれないけれど、本気の相手としては選ばない。
さわやかなのもイケメンなのも世間一般受けはいいかもだけど、私は興味がない。
さわやかよりも、男くさいみたいな感じの方が好きだし、さわやか過ぎると自分の身だしなみや体の手入れのいい加減さが際立って落ち着かない。
そしてさわやかイケメン過ぎると浮気の心配も出てくる(笑)。
本人が浮気しなくても女の人は寄ってくる。
しかもさらにタチが悪そうなのが、その人、自分がさわやかイケメンと自分のことを思ってなさそうなところ。
さわやかイケメンとは私だけが言ってるのではなく、事務所の女性陣全員が言っていたし、男の人の外見見ていちいち「イケメン」とか「さわやか」なんて思わない私が思うぐらいだから、普通に印象は相当良い人だと思う。
基本的に物腰柔らかだし、穏やかだし、本人の自己認識がそうでなくても周りの女性から言い寄られる…、ということが常について回りそうな人という感じはする。
少なくともそういう心配をしなくていい人がいい、という意味ではその人は不合格すぎるから選ばない。
(お前何様だ?発言しばらく続きます)
職業欄は意外に私はあまりよく見ないかもしれない。
(これまでの婚活イベントでもきちんと見てなかったし、他のところばかり見てた気がする)
代わりに、嗜好(酒・タバコ)・趣味は見る。
次に趣味。
私は今回その人に出逢わなかったら一生勘違いしていただろうものがある。
私はその人が好きなものを、本当に数ヶ月前までものすごい軽蔑してた。
何でそれが職業として成り立つのかそれさえも理解できなかった。
だからその人の趣味を最初知った時、それがマイナスポイントになったほどだった(←当時は自分の勘違いでその人をいいと思ってる…とかなり疑いまくっていたから、その人への興味が失せるものなら何でも良かった)。
私がその人の趣味を最初知ったのは、何か届け物のお願いの電話がきて、それを取った後輩くんが誰だったら行けるかみたいな話になって、〇〇〇さんたしかにその近くに今日行くんすけどね、まさか本人楽しみにしている☆☆☆☆の前に行ってくださいなんて酷すぎて頼めねーっす!とか言って知った。
私はその時、本当に「無理」と思った。
苦手の範疇を越して、どうしてそんなものが世の中に存在するのかさえ理解できなかったレベル。
私はたしかにジャッジはキツイけれど、特定のものに対して「それは絶対に無理」と思うことはあまりない。
普段の私は、その良さはわからないけれど、それを良いと思う人も当然いるよね、というぐらい。
そういう意味ではわりかし許容範囲広めだと思う。
だけど、その人の趣味だけは、それを良いと思う人もいるよね、ではなく、絶対的に無理・理解不能の領域だった。
書きながら気付いた。
私が無理だったのは、その映像と自分の体験が重なるからダメだったんだと思う。
もちろんそんな過激な体験はしてなくても、動きから伝わるものと自分の体験が重なってしまって若干パニックになるから、それで苦手意識がものすごく出てきていたんだと思う。
具体的なシーンまで思い浮かぶぐらいだけど、私がそこからこれまで長い間感じ取ったメッセージは、「逃げ場がない」「逃げられない」「どこから攻撃が飛んでくるかわからない=怖い」、そうしたことをものすごく思い出させるものだったから、私は見ないようにずっとしていた。
でもそれもよくできているもので、その人と趣味つながりのSさんがそれにまつわる話を色々教えてくれて、見方が変わった。
Sさんなくしては私は自分の思い込みや考え方を変えることはできなかった。
Sさんのおかげで私の視野はぐっと広がって、これまで勘違いしていたあれこれをごめんなさいと謝りたいぐらいだった。
そして、それは別物という位置に置けるようになったことにも、今書いていて気付いた。
Sさんから色々聞いて、それを本気で仕事にしている人たちにはもちろんその哲学や生き様があって、そこに目を向けるようになったら、勘違いしていてごめんなさいと思った。
むしろ、私の勘違いで勝手に思い込んでいた色んなことが恥ずかしくなった。
逆に聞いてみたい。
何でその趣味が好きなのか、どういうところに惹かれるのか、その人の中を知りたい。
話が飛んだけれど、そんなこんなで結婚相談所的な感じでは絶対に出逢えなかったと断言できる。
出会いの場として、これまで体験したものと組み合わせたらどうだったんだろう…。
ちなみに迷子になってその職場の前に着いた時に行った婚活イベント。
絶対に仲良くなれなかっただろうなぁと思う。
私はその中でも年齢が高く、さらに来ていた女性が本当に可愛いとか綺麗な子が多かった。
久しぶりに外見コンプレックスがガンガン刺激されるぐらいのレベルの高さだった。
その中で自分がその人の目に止まるなんてのは考えられない。
そこで仮に顔を合わせたとしても、イベント後に約束して会うなんて絶対になかっただろうと思う。
いつか書いた記憶があるけれど、私はその人が行きつけだったお店の求人に応募しようとしていた。
そこで働いたと仮にしても、すれ違うことすらなかったと思う。
店員とお客さんとしてさえもお互いに会うことはなかったんじゃないかなぁと思う。
当時深く考えていなかったけれど、私その仕事仮に受けて就いていたなら、裸の男性も相手にしなきゃいけなかったんだろうか…(汗)。
私は技術の方にばかり目が向いていて、肝心の客層なんて全く考えなかったけれど、よく考えたら服の上からオイル垂らすなんてあるわけないから…。
(行きつけと言っても色んなサービスを提供してるところで怪しい店ではありません)
今さらだけど、iPhone壊れてくれてありがとう!と思った。
(電話が直った後かけたけれど、ハテナがいくつも飛び交う話だったから進めること自体断った)
そこに就職したとも思わないけれど、仮にそこに行っても知り合うことはなかっただろうなぁと思う。
そう思うと、本当にベストな形で出逢えたとわかる。
職場だったから、私は出逢いなんてそもそも全く期待せずに行くことができた。
胸は期待ではなく不安で膨らみまくっていた。
だから何の先入観もなければ、気負いもなくその場に行けた。
私が人間関係で唯一願ったことは、私の教育係の人や他の女性陣が面倒な人たちではありませんように…だけだった。
事務所の大きさも良かった。
いくつか派遣に行ったことで、あと塾の時も、最後まで名前の知らない人というのが規模が大きくなればなるほど必ずいた。
退職前菓子配りを無言の慣習にしているところでは、お菓子を配った時にはじめましての人もかなりいた(←70個近く用意した)。
こじんまりとした事務所は、適度に距離も近く、チラ見するには丁度いい距離感だった。
しかも部屋はそこしかなかったから、基本的に事務所の中にいればその人にきちんと会えるのも良かった。
私だけが一方的に名前を知っているのではなく、その人も私の名前と顔が一致するぐらいの距離感だったから、本当にその感じが良かった。
世の中には色んな出逢い方がある。
その人に関して言えば、実際の出逢い方以外には方法はなかった、そう思っている。
もしタイミングがズレていたとするなら、絶対に出逢えなかった。
現に、私がいたポジションには今別の人が入っているとのことだけど、その方は当然その人とは時期がかぶっていないから出会えない。
趣味もかぶりそうにもなく、趣味の場では出会えなかった。
場所もタイミングも良かった。
仲を深めるにはかなり役不足な場ではあったけれど、黙っているからこそ知れる姿や気付くこともたくさんあった。
本当にベストな状態で出逢えた。
>>>名言集
【デスクの上が散らかっている人は、案外、「ありのままの自分」を表に出し、「他人からどう見られても構わない」と開き直っているところがあります。つまり、メンタリティが強いことが多いのです。】
『空間心理カウンセラーの「いいこと」が次々起こる片づけの法則』
伊藤勇司
空いた時間にツタヤに行った。
その時いた場所から
A店…1㎞圏内
B店…次の目的地の1㎞圏内
C店…現地点からも次の目的地からも外れている
3つの店舗の候補があった。
私はA店かB店に行くつもりだった。
でもペンジュラムはC店のみYES。
時間的に間に合うから、何だかよくわからないけれど、C店に行った。
実は探してる本があって、普段通らない通路を通った。
一瞬タイトルが気になって手に取り、パッと開いたら上の文章が書いてあった。
その人の机の上が思い浮かんで、なるほど!と思った。
ちなみにこの空間心理カウンセラーの方いわく、上のタイプは組織の中でも大丈夫なタイプで、むしろ気にかける必要があるのは机の上がきれいな人だと言っていた。
それは本当に綺麗好きならいいけれど、そうではなく実は自分の隙を見せることができなくて悩んでるタイプなら要注意とのことだった。
それを読んで、たしかにその人はたくさんお喋りをして自分をわかりやすく外に出すタイプではなかったけれども、自分を大きく見せたり良く見せたりとかいうことも私から見てしていなくて、本当にそのままだったなぁなんて思った。
本人がどこまで自分をそんな風に見ているかは知らないけれど、その人の机の上はその人のトレードマーク的な感じだったし、取り繕ったりせずにありのままを出してる感じはした。
言葉数が少ないのも、人見知りとか内向的とかいう風にもとれるけれど、それがその人らしさでもあったし、そういう自分を隠さない強さみたいなのを私は感じた。
だから、初めて仕事に行った日、その人を見て安心しきったのかもしれない。
言葉数は少ない人ではあったけれど、静かにドシッと構えてるところがあったから、だから組織として落ち着いていたことも頷ける。
無理に取り繕うと必ず無理な雰囲気が出る。
私はそういうのは敏感だから、わりかし気付きやすい。
でも初めて行ったあの日、すごく緊張もしたし不安もいっぱいではあったけれど、無理に取り繕われてる感じは一切しなかった。
あの安心感の根底にはその人の目に見えない積み重ねがあったんだろうなぁ…と今さらながらに気付いた。
結局私は、その部分だけささっと読んで、本来の目的は次回持ち越しになった。
ペンジュラムは今日も間違いなく私をドンピシャのところに導いている。
なぜなら、私は他の2つの店舗ならその探し物の本のあるだろう場所がなんとなく予測できたから。
今日の店舗だけは予想がつかなくて、とりあえず新刊本コーナー、ビジネス書コーナー、心理コーナーを回ってそれでもなくて、途中文庫本棚の前を通ってエッセイコーナーに行く時に見つけた。
文庫本コーナーは基本どこの店舗でも行かないから、そういう意味でC店でなければいけなかったし、本もパッと目に付く位置にないといけなかった。
ものすごく上手くできていた。
次の約束の時間が迫っていたから、本当にその本だけを今日は見ることになった。
おかげで、その人のことをまた1つ知れた。
そして私が上手く言葉にできなかったその人の良さを代弁してくれてた本だった。
変な知り方だし、それで合ってるかどうかも知らないけれど、少なくとも私は大きく頷くぐらいにその通り!って思ったし、そして何よりもその人のことをまた新しい視点で見れるのは嬉しい。
今さら知っても何にもならなくても、完全なる自己満でも、やっぱり嬉しい気持ちには変わりない。
そして、番外編を思い付いて良かった。
じゃなかったら、今日今ここに書いたことは永久に語られることのない話になってしまったから。
『振り返りノート【番外編】』は、元々途中まで書いてあった。
だけど、番外編に相応しく、内容がかなり関係なくて、これはいつか気が向いたらアップするか、もしくは破棄するかどちらかだなぁと思っていた。
だから本来は、最後の振り返りだけが残っている予定だった。
気が変わったのは、日付を見て。
仮にそのままアップだと26日が最後。
もう1つ記事を挟めば、27日が最後のアップ。
私の中でちょうど1年1ヶ月とキリの良い日になるとわかって、じゃあ27でしょ!、もうつぶやきは終わったから入れるとしたらこの番外編。
ということで、番外編投入。
せっかくだから、余計な部分はカットして、多少シリーズものに相応しくなるように途中から書き直した。
>>>本編
振り返りノートを書いていた最中に、私は婚活ブログをいくつか読んだ。
婚活する・始めると勘違いされたくないから言うと、私は少しでも興味の湧くタイトルが付いていると、そのブログを読む。
開いたら闘病日記、不妊治療、ゲイカップルの日常、大食い、グルメ、食べ歩き、レシピ、子育て、夫婦の関係…と色々ある。
だから今回も婚活日記を読むぞー!ではなく、気になったタイトルを見たら婚活だったという。
婚活と名前が付くだけあって、本当に「活動」なんだなと思った。
39歳独身女がこんなことボヤくと火に油、そして説得力ゼロになるけれども、婚活って恋愛するんじゃないんだな…って。
条件がある程度合うと、次に進むらしいけれど、まずは条件ありきなんだと。
そんなの上手くいくのかな…なんて思った←「お前が言うなー!」という声が聞こえてきそう。
読んでいると悲しくなるぐらいに、細かなところや重箱の隅を突つくようなことが書かれている。
たしかに読んでいると「それはないわー」とは私も思うけれど、なんだろう、そういうことじゃないよね?という感覚が否めない。
ダメなところを見つけに行くみたいな、そういう時間ばかりが書かれていて、この人たちどこまでも条件が高すぎて、それで結婚できる方が不思議…とこれまた失礼なことを感じた。
私は自分が今回体験してわかったことは、条件なんて関係ないんだな…ということだった。
頭でいくらこういうタイプの人がいいと思っていても、それに全くかすらないどころか真逆の人でもいいと感じる時は、理由なし理屈抜きに勝手に惹かれるとわかった。
ありえもしないことだけれど、もしその人と私がそれぞれ同じ婚活サイトなり相談所なりに登録してたとしても、絶対に出逢うことはなかった。
私側の人物像もさることながら、相手のプロフィールも私は見てもスルーしたと思う。
例えば、写真があれば、第一印象でその人はもう落選。
なぜならさわやかイケメンだから。
(その人の第一印象がとても良かったのは、さわやかだからでもなく、イケメンだからでもなく、その人が放ってる安心感や信頼感、空気感、そして笑顔が良かったから)
さわやかイケメンは、友達なら自慢するし、見る分には目の保養でいいかもしれないけれど、本気の相手としては選ばない。
さわやかなのもイケメンなのも世間一般受けはいいかもだけど、私は興味がない。
さわやかよりも、男くさいみたいな感じの方が好きだし、さわやか過ぎると自分の身だしなみや体の手入れのいい加減さが際立って落ち着かない。
そしてさわやかイケメン過ぎると浮気の心配も出てくる(笑)。
本人が浮気しなくても女の人は寄ってくる。
しかもさらにタチが悪そうなのが、その人、自分がさわやかイケメンと自分のことを思ってなさそうなところ。
さわやかイケメンとは私だけが言ってるのではなく、事務所の女性陣全員が言っていたし、男の人の外見見ていちいち「イケメン」とか「さわやか」なんて思わない私が思うぐらいだから、普通に印象は相当良い人だと思う。
基本的に物腰柔らかだし、穏やかだし、本人の自己認識がそうでなくても周りの女性から言い寄られる…、ということが常について回りそうな人という感じはする。
少なくともそういう心配をしなくていい人がいい、という意味ではその人は不合格すぎるから選ばない。
(お前何様だ?発言しばらく続きます)
職業欄は意外に私はあまりよく見ないかもしれない。
(これまでの婚活イベントでもきちんと見てなかったし、他のところばかり見てた気がする)
代わりに、嗜好(酒・タバコ)・趣味は見る。
次に趣味。
私は今回その人に出逢わなかったら一生勘違いしていただろうものがある。
私はその人が好きなものを、本当に数ヶ月前までものすごい軽蔑してた。
何でそれが職業として成り立つのかそれさえも理解できなかった。
だからその人の趣味を最初知った時、それがマイナスポイントになったほどだった(←当時は自分の勘違いでその人をいいと思ってる…とかなり疑いまくっていたから、その人への興味が失せるものなら何でも良かった)。
私がその人の趣味を最初知ったのは、何か届け物のお願いの電話がきて、それを取った後輩くんが誰だったら行けるかみたいな話になって、〇〇〇さんたしかにその近くに今日行くんすけどね、まさか本人楽しみにしている☆☆☆☆の前に行ってくださいなんて酷すぎて頼めねーっす!とか言って知った。
私はその時、本当に「無理」と思った。
苦手の範疇を越して、どうしてそんなものが世の中に存在するのかさえ理解できなかったレベル。
私はたしかにジャッジはキツイけれど、特定のものに対して「それは絶対に無理」と思うことはあまりない。
普段の私は、その良さはわからないけれど、それを良いと思う人も当然いるよね、というぐらい。
そういう意味ではわりかし許容範囲広めだと思う。
だけど、その人の趣味だけは、それを良いと思う人もいるよね、ではなく、絶対的に無理・理解不能の領域だった。
書きながら気付いた。
私が無理だったのは、その映像と自分の体験が重なるからダメだったんだと思う。
もちろんそんな過激な体験はしてなくても、動きから伝わるものと自分の体験が重なってしまって若干パニックになるから、それで苦手意識がものすごく出てきていたんだと思う。
具体的なシーンまで思い浮かぶぐらいだけど、私がそこからこれまで長い間感じ取ったメッセージは、「逃げ場がない」「逃げられない」「どこから攻撃が飛んでくるかわからない=怖い」、そうしたことをものすごく思い出させるものだったから、私は見ないようにずっとしていた。
でもそれもよくできているもので、その人と趣味つながりのSさんがそれにまつわる話を色々教えてくれて、見方が変わった。
Sさんなくしては私は自分の思い込みや考え方を変えることはできなかった。
Sさんのおかげで私の視野はぐっと広がって、これまで勘違いしていたあれこれをごめんなさいと謝りたいぐらいだった。
そして、それは別物という位置に置けるようになったことにも、今書いていて気付いた。
Sさんから色々聞いて、それを本気で仕事にしている人たちにはもちろんその哲学や生き様があって、そこに目を向けるようになったら、勘違いしていてごめんなさいと思った。
むしろ、私の勘違いで勝手に思い込んでいた色んなことが恥ずかしくなった。
逆に聞いてみたい。
何でその趣味が好きなのか、どういうところに惹かれるのか、その人の中を知りたい。
話が飛んだけれど、そんなこんなで結婚相談所的な感じでは絶対に出逢えなかったと断言できる。
出会いの場として、これまで体験したものと組み合わせたらどうだったんだろう…。
ちなみに迷子になってその職場の前に着いた時に行った婚活イベント。
絶対に仲良くなれなかっただろうなぁと思う。
私はその中でも年齢が高く、さらに来ていた女性が本当に可愛いとか綺麗な子が多かった。
久しぶりに外見コンプレックスがガンガン刺激されるぐらいのレベルの高さだった。
その中で自分がその人の目に止まるなんてのは考えられない。
そこで仮に顔を合わせたとしても、イベント後に約束して会うなんて絶対になかっただろうと思う。
いつか書いた記憶があるけれど、私はその人が行きつけだったお店の求人に応募しようとしていた。
そこで働いたと仮にしても、すれ違うことすらなかったと思う。
店員とお客さんとしてさえもお互いに会うことはなかったんじゃないかなぁと思う。
当時深く考えていなかったけれど、私その仕事仮に受けて就いていたなら、裸の男性も相手にしなきゃいけなかったんだろうか…(汗)。
私は技術の方にばかり目が向いていて、肝心の客層なんて全く考えなかったけれど、よく考えたら服の上からオイル垂らすなんてあるわけないから…。
(行きつけと言っても色んなサービスを提供してるところで怪しい店ではありません)
今さらだけど、iPhone壊れてくれてありがとう!と思った。
(電話が直った後かけたけれど、ハテナがいくつも飛び交う話だったから進めること自体断った)
そこに就職したとも思わないけれど、仮にそこに行っても知り合うことはなかっただろうなぁと思う。
そう思うと、本当にベストな形で出逢えたとわかる。
職場だったから、私は出逢いなんてそもそも全く期待せずに行くことができた。
胸は期待ではなく不安で膨らみまくっていた。
だから何の先入観もなければ、気負いもなくその場に行けた。
私が人間関係で唯一願ったことは、私の教育係の人や他の女性陣が面倒な人たちではありませんように…だけだった。
事務所の大きさも良かった。
いくつか派遣に行ったことで、あと塾の時も、最後まで名前の知らない人というのが規模が大きくなればなるほど必ずいた。
退職前菓子配りを無言の慣習にしているところでは、お菓子を配った時にはじめましての人もかなりいた(←70個近く用意した)。
こじんまりとした事務所は、適度に距離も近く、チラ見するには丁度いい距離感だった。
しかも部屋はそこしかなかったから、基本的に事務所の中にいればその人にきちんと会えるのも良かった。
私だけが一方的に名前を知っているのではなく、その人も私の名前と顔が一致するぐらいの距離感だったから、本当にその感じが良かった。
世の中には色んな出逢い方がある。
その人に関して言えば、実際の出逢い方以外には方法はなかった、そう思っている。
もしタイミングがズレていたとするなら、絶対に出逢えなかった。
現に、私がいたポジションには今別の人が入っているとのことだけど、その方は当然その人とは時期がかぶっていないから出会えない。
趣味もかぶりそうにもなく、趣味の場では出会えなかった。
場所もタイミングも良かった。
仲を深めるにはかなり役不足な場ではあったけれど、黙っているからこそ知れる姿や気付くこともたくさんあった。
本当にベストな状態で出逢えた。
>>>名言集
【デスクの上が散らかっている人は、案外、「ありのままの自分」を表に出し、「他人からどう見られても構わない」と開き直っているところがあります。つまり、メンタリティが強いことが多いのです。】
『空間心理カウンセラーの「いいこと」が次々起こる片づけの法則』
伊藤勇司
空いた時間にツタヤに行った。
その時いた場所から
A店…1㎞圏内
B店…次の目的地の1㎞圏内
C店…現地点からも次の目的地からも外れている
3つの店舗の候補があった。
私はA店かB店に行くつもりだった。
でもペンジュラムはC店のみYES。
時間的に間に合うから、何だかよくわからないけれど、C店に行った。
実は探してる本があって、普段通らない通路を通った。
一瞬タイトルが気になって手に取り、パッと開いたら上の文章が書いてあった。
その人の机の上が思い浮かんで、なるほど!と思った。
ちなみにこの空間心理カウンセラーの方いわく、上のタイプは組織の中でも大丈夫なタイプで、むしろ気にかける必要があるのは机の上がきれいな人だと言っていた。
それは本当に綺麗好きならいいけれど、そうではなく実は自分の隙を見せることができなくて悩んでるタイプなら要注意とのことだった。
それを読んで、たしかにその人はたくさんお喋りをして自分をわかりやすく外に出すタイプではなかったけれども、自分を大きく見せたり良く見せたりとかいうことも私から見てしていなくて、本当にそのままだったなぁなんて思った。
本人がどこまで自分をそんな風に見ているかは知らないけれど、その人の机の上はその人のトレードマーク的な感じだったし、取り繕ったりせずにありのままを出してる感じはした。
言葉数が少ないのも、人見知りとか内向的とかいう風にもとれるけれど、それがその人らしさでもあったし、そういう自分を隠さない強さみたいなのを私は感じた。
だから、初めて仕事に行った日、その人を見て安心しきったのかもしれない。
言葉数は少ない人ではあったけれど、静かにドシッと構えてるところがあったから、だから組織として落ち着いていたことも頷ける。
無理に取り繕うと必ず無理な雰囲気が出る。
私はそういうのは敏感だから、わりかし気付きやすい。
でも初めて行ったあの日、すごく緊張もしたし不安もいっぱいではあったけれど、無理に取り繕われてる感じは一切しなかった。
あの安心感の根底にはその人の目に見えない積み重ねがあったんだろうなぁ…と今さらながらに気付いた。
結局私は、その部分だけささっと読んで、本来の目的は次回持ち越しになった。
ペンジュラムは今日も間違いなく私をドンピシャのところに導いている。
なぜなら、私は他の2つの店舗ならその探し物の本のあるだろう場所がなんとなく予測できたから。
今日の店舗だけは予想がつかなくて、とりあえず新刊本コーナー、ビジネス書コーナー、心理コーナーを回ってそれでもなくて、途中文庫本棚の前を通ってエッセイコーナーに行く時に見つけた。
文庫本コーナーは基本どこの店舗でも行かないから、そういう意味でC店でなければいけなかったし、本もパッと目に付く位置にないといけなかった。
ものすごく上手くできていた。
次の約束の時間が迫っていたから、本当にその本だけを今日は見ることになった。
おかげで、その人のことをまた1つ知れた。
そして私が上手く言葉にできなかったその人の良さを代弁してくれてた本だった。
変な知り方だし、それで合ってるかどうかも知らないけれど、少なくとも私は大きく頷くぐらいにその通り!って思ったし、そして何よりもその人のことをまた新しい視点で見れるのは嬉しい。
今さら知っても何にもならなくても、完全なる自己満でも、やっぱり嬉しい気持ちには変わりない。
そして、番外編を思い付いて良かった。
じゃなかったら、今日今ここに書いたことは永久に語られることのない話になってしまったから。
2018年10月25日木曜日
振り返りノート#9
本当に最後のつぶやき。
とうとう最後1つの振り返りノートだけになった。
猛烈に寂しすぎて、あまり書きたくない…。
書いたら終わるっていうのが頭にあるから、早く終わらせたいなんて全く思えない。
最後の振り返りノートは、思い出じゃなくて自分のことの振り返りだから、その人がたくさん登場するような文にはならないと思う。
ちょっとだけ寄り道。
「勝ち取ったんだ…」
出てきた言葉。
どハマり中の仲良し夫婦の会話(ブログ)を読みながら、過去の自分が出てきた。
怖い選択だった。
これで人生が終わるんじゃないかというぐらいに怖かった。
だけど、今のような関係を、これから何年、何十年と続ける自信がなかった。
自分が潰れるのがわかっていた。
自分が望むようなしあわせも多分手に入らないことも。
いつか変わる、もうそういうのは信じられなかった。
そして、相手は変わらなきゃいけないとは思っていない。
受け入れて一緒にいるか、離れるかの二択で、受け入れられないなら当然後者になる。
別れる以外の選択肢はないのに、私は延ばしに延ばした。
やっと別れたいと言って終わりになって、それで楽になるかと思ったら、そんなことはなかった。
その後、私は自分のことをすべて肯定、すべて受け入れてくれる人に出逢った。
そのままハッピーエンドの予定だった。
ハッピーエンドとはならず、私はその後ものすごく長い時間、その自分の気持ちと起こったこととに向き合わざるを得なくなった。
なんだか色々と苦しかった。
苦しいのは自分が選んでいます、なんていうスピでも自己啓発でもよく見受けられる言葉だけど、バカ言ってんじゃないよ!と殴りたくなる。
こんなの苦しくありません!なんて割り切れるぐらいならさっさと割り切ってるわ!、苦しくなるぐらいに思いもたくさんあるからこうなるんだよ、と言いたくなった。
ようやく抜けたかな…となった時に、その人が現れた。
だから、人生のご褒美だと思った。
ここまでよくがんばりましたね、これがご褒美です!と言って差し出されたような出逢いだった。
私はその時その時の自分に心底感謝している。
その先の素晴らしい出来事に繋がっているなんて全く想像すらしたことなかったけれど、結果的にそういうものに繋がっていた。
「勝ち取った」は、当時は暗中模索で先も見えない、なんなら出口なんてないんじゃないかという中にいて、その中で選んでもそれでもずっとグルグルして、そんな時の自分を思い出したら、私はそこにいることじゃなくて自分にとって少しでも楽に息ができる世界を選んだんだなと思った。
そして選んだずっと先に、ここで体験した色んなことを手にした=勝ち取った、勝ち取れたんだなと思った。
ここまで書いて、見ないフリしながら書いていたけれど、やっぱり最後なら書こう。
私は当時から変わらずに思っていることがある。
本当はその人は何を思って何を感じていたのかを知りたい。
書きながら何度も思った。
これまで書いたことが仮にも「当てつけのこじつけのストーリー」だとするなら、そんなにもたくさん奇跡が起きるのかと。
天気も日程も会社の決定も第三者の人生もそれら全てを渾然一体としてこれだけのストーリーを意図的に作ろうとしても作れない。
私は1つ1つ検証しないと気が済まなかったからこんな風に検証しまくりだったけれど、本当のところその人は色々気付いていたんじゃないかなと思う時もある。
起こったことの色々ではなくて、その人から見て私がなんか他の人と違うかも…みたいな感じ。
それは私に恋するとか好きになるとかそういうことじゃなくて(そういうことなら尚嬉しいけれど)、何かが違う感じ。
未だに自分でも説明できないような感覚もあるから、その人ももしかしたら似たようなもしくは同じような感覚になっていたのかもしれないなぁ…なんてちょっとだけ思う時もある。
私はたしかにペンジュラムも使うし、それで物とも対話するし、他の人のメッセージもキャッチしたりはするけれど、これが自分のことになるとさっぱりわからなくなる。
普段メガネをかけてる私がたまにコンタクトをすると、私は無意識にメガネがズレたと思い(←もうこの時点でおかしい)、メガネを直そうと目の辺りに手を持ってくると「!、ない!、メガネがない!」とよくなる。
しばらくして、「(視界が)見えてる」「うわっ、コンタクトしてた」となるけれど、それぐらいに自分のことがよく抜ける。
コンタクトだけじゃなく、全般的にこういう現象が発生しやすい私の日常。
自分の心や感情も同様で、自分のことは本当によくわかっていない。
だから、その人のことも、自分では最初の頃全然わかっていなかった。
その人の仕事ぶりを見ていつも思っていたことだけれど、その人は基本的に細かいことにすぐ気がつく。
私は自分の気になるところだけを見るけれど(そこだけ細かくあとは大雑把)、その人は多分もっと俯瞰的な感じで、なのに瞬時に細かいことにも気付けるタイプの人だと思う。
私にしてくれた気遣いも、よく気付いたね!っていうぐらいの小さなことで、私は自分のことなのに気付いていなかった。
無視された時も、私はその人の席に向かってはいたけれど、絶対に私がその人に話しかけるとは限らないのに、その人は私が近付くかも…と察知して、まだそこにさえ到達していないのに、早くも無視の体制に入るため、タイピングのペースを急ピッチで上げだした。
っていうぐらいに気付く人。
そんな人が何も気付かないなんて、ちょっと考えにくい。
外に出す言葉数があまりにも少なすぎて全くわからなかったけれど、本当は何を思って何を感じていたのかな…とは思う。
なんとなくだけど、多分私よりもその人の方が色んなことを感じる感度や感受性が強い気がする。
その人が感じていたことを知りたかった。
今でも知れるのであれば知りたい。
私は1人で大盛り上がりしたけれども、その人の普段の様子を見ていると、きっかけとなった気遣いは、普段の様子からはだいぶ考えられないものでかなりレアだったと思う。
そもそも私の状態に気付く方が難しかったと思う。
普段気遣いができる一緒に動いていた女性さえも気付かなかったのに、その人だけはどういうわけか気付いた。
しかもその人は常に近くにはいなかったと思う(←誰とも関わらなくて済むように、私は作業に集中するフリして背中を向けて周りを遮断してた…、だから周りの様子は全然見えていなかった 苦笑)。
一体いつその私の状態に気付いたんだろう?って思う。
他の時も、素っ気なかったりするのはある意味その人らしい感じはしても(他の人たちにも基本的に愛想振りまくことはしなかったから)、そうではない時の感じはいつもとは違っていた。
そういうのを思うと、その人ももしかして何か別のものを感じてたのかな…なんて想像する。
「すっごい変な感じ」でもいいから教えてもらいたかった。
その人の目に映るものを知りたい。
「知りたかった」じゃなくて「知りたい」。
過去形ではなく、今も現在進行形。
振り返りを終わらせることに後ろ髪引かれる思いもある。
だけど、この振り返りノートシリーズを完結させたら、あとはもう神のみぞ知るの領域だから、一旦は手放そう。
その人と繋がりたい。
10月25日(木) 満月の夜 1:56
>>>追記
午前中、名古屋にいた頃ものすごくお世話になった方と電話をした。
その方が知り合った人の話をする中で、年齢や職業が自分も名古屋で会ったことのある人と同じ感じがして、もしや同じ人だったりして?フルネーム聞けばわかるかな?と思って聞いた。
「佐藤さん(仮名)のフルネームは何て言うんですか?」
「佐藤〇〇〇さんって言うのよ」
別人だとわかったけれど、それよりもその名前に驚いた。
その人と同じ名前だった。
もちろんそんなつもりで聞いたわけじゃなかった。
無限大にある種類の中で、そんなピンポイントでその名前って、毎回凄すぎる(笑)。
そこに何の意味もなかったとしても、その状況を楽しめる自分でいられるのは良かったなぁと思っている。
意味が有る無しはどうでも良くて、その名前が耳に飛び込んできて驚いたり、ニコッとしたり、こうやって書いて残したり…。
完全な自己満でも、幸福度はものすごく高い。
意味はなくても、その人が私にもたらしたものはそういうものだった。
幸福王子なんて呼んだら可笑しいかな?、でもピッタリのネーミングだなぁと思う。
名前聞くだけで幸福度が上がるなんてそうそうない。
つぶやきを締めるにあたって、いい感じの話で締めくくれて良かった。
この1年、本当にそんな風にして私はラッキーハッピーシンクロニシティに囲まれていた。
その人を知った世界は、やさしくて温かくて幸福に満ちたものだった。
それは多分これからも変わらない。
10月25日(木) まんまるお月様の夕方
とうとう最後1つの振り返りノートだけになった。
猛烈に寂しすぎて、あまり書きたくない…。
書いたら終わるっていうのが頭にあるから、早く終わらせたいなんて全く思えない。
最後の振り返りノートは、思い出じゃなくて自分のことの振り返りだから、その人がたくさん登場するような文にはならないと思う。
ちょっとだけ寄り道。
「勝ち取ったんだ…」
出てきた言葉。
どハマり中の仲良し夫婦の会話(ブログ)を読みながら、過去の自分が出てきた。
怖い選択だった。
これで人生が終わるんじゃないかというぐらいに怖かった。
だけど、今のような関係を、これから何年、何十年と続ける自信がなかった。
自分が潰れるのがわかっていた。
自分が望むようなしあわせも多分手に入らないことも。
いつか変わる、もうそういうのは信じられなかった。
そして、相手は変わらなきゃいけないとは思っていない。
受け入れて一緒にいるか、離れるかの二択で、受け入れられないなら当然後者になる。
別れる以外の選択肢はないのに、私は延ばしに延ばした。
やっと別れたいと言って終わりになって、それで楽になるかと思ったら、そんなことはなかった。
その後、私は自分のことをすべて肯定、すべて受け入れてくれる人に出逢った。
そのままハッピーエンドの予定だった。
ハッピーエンドとはならず、私はその後ものすごく長い時間、その自分の気持ちと起こったこととに向き合わざるを得なくなった。
なんだか色々と苦しかった。
苦しいのは自分が選んでいます、なんていうスピでも自己啓発でもよく見受けられる言葉だけど、バカ言ってんじゃないよ!と殴りたくなる。
こんなの苦しくありません!なんて割り切れるぐらいならさっさと割り切ってるわ!、苦しくなるぐらいに思いもたくさんあるからこうなるんだよ、と言いたくなった。
ようやく抜けたかな…となった時に、その人が現れた。
だから、人生のご褒美だと思った。
ここまでよくがんばりましたね、これがご褒美です!と言って差し出されたような出逢いだった。
私はその時その時の自分に心底感謝している。
その先の素晴らしい出来事に繋がっているなんて全く想像すらしたことなかったけれど、結果的にそういうものに繋がっていた。
「勝ち取った」は、当時は暗中模索で先も見えない、なんなら出口なんてないんじゃないかという中にいて、その中で選んでもそれでもずっとグルグルして、そんな時の自分を思い出したら、私はそこにいることじゃなくて自分にとって少しでも楽に息ができる世界を選んだんだなと思った。
そして選んだずっと先に、ここで体験した色んなことを手にした=勝ち取った、勝ち取れたんだなと思った。
ここまで書いて、見ないフリしながら書いていたけれど、やっぱり最後なら書こう。
私は当時から変わらずに思っていることがある。
本当はその人は何を思って何を感じていたのかを知りたい。
書きながら何度も思った。
これまで書いたことが仮にも「当てつけのこじつけのストーリー」だとするなら、そんなにもたくさん奇跡が起きるのかと。
天気も日程も会社の決定も第三者の人生もそれら全てを渾然一体としてこれだけのストーリーを意図的に作ろうとしても作れない。
私は1つ1つ検証しないと気が済まなかったからこんな風に検証しまくりだったけれど、本当のところその人は色々気付いていたんじゃないかなと思う時もある。
起こったことの色々ではなくて、その人から見て私がなんか他の人と違うかも…みたいな感じ。
それは私に恋するとか好きになるとかそういうことじゃなくて(そういうことなら尚嬉しいけれど)、何かが違う感じ。
未だに自分でも説明できないような感覚もあるから、その人ももしかしたら似たようなもしくは同じような感覚になっていたのかもしれないなぁ…なんてちょっとだけ思う時もある。
私はたしかにペンジュラムも使うし、それで物とも対話するし、他の人のメッセージもキャッチしたりはするけれど、これが自分のことになるとさっぱりわからなくなる。
普段メガネをかけてる私がたまにコンタクトをすると、私は無意識にメガネがズレたと思い(←もうこの時点でおかしい)、メガネを直そうと目の辺りに手を持ってくると「!、ない!、メガネがない!」とよくなる。
しばらくして、「(視界が)見えてる」「うわっ、コンタクトしてた」となるけれど、それぐらいに自分のことがよく抜ける。
コンタクトだけじゃなく、全般的にこういう現象が発生しやすい私の日常。
自分の心や感情も同様で、自分のことは本当によくわかっていない。
だから、その人のことも、自分では最初の頃全然わかっていなかった。
その人の仕事ぶりを見ていつも思っていたことだけれど、その人は基本的に細かいことにすぐ気がつく。
私は自分の気になるところだけを見るけれど(そこだけ細かくあとは大雑把)、その人は多分もっと俯瞰的な感じで、なのに瞬時に細かいことにも気付けるタイプの人だと思う。
私にしてくれた気遣いも、よく気付いたね!っていうぐらいの小さなことで、私は自分のことなのに気付いていなかった。
無視された時も、私はその人の席に向かってはいたけれど、絶対に私がその人に話しかけるとは限らないのに、その人は私が近付くかも…と察知して、まだそこにさえ到達していないのに、早くも無視の体制に入るため、タイピングのペースを急ピッチで上げだした。
っていうぐらいに気付く人。
そんな人が何も気付かないなんて、ちょっと考えにくい。
外に出す言葉数があまりにも少なすぎて全くわからなかったけれど、本当は何を思って何を感じていたのかな…とは思う。
なんとなくだけど、多分私よりもその人の方が色んなことを感じる感度や感受性が強い気がする。
その人が感じていたことを知りたかった。
今でも知れるのであれば知りたい。
私は1人で大盛り上がりしたけれども、その人の普段の様子を見ていると、きっかけとなった気遣いは、普段の様子からはだいぶ考えられないものでかなりレアだったと思う。
そもそも私の状態に気付く方が難しかったと思う。
普段気遣いができる一緒に動いていた女性さえも気付かなかったのに、その人だけはどういうわけか気付いた。
しかもその人は常に近くにはいなかったと思う(←誰とも関わらなくて済むように、私は作業に集中するフリして背中を向けて周りを遮断してた…、だから周りの様子は全然見えていなかった 苦笑)。
一体いつその私の状態に気付いたんだろう?って思う。
他の時も、素っ気なかったりするのはある意味その人らしい感じはしても(他の人たちにも基本的に愛想振りまくことはしなかったから)、そうではない時の感じはいつもとは違っていた。
そういうのを思うと、その人ももしかして何か別のものを感じてたのかな…なんて想像する。
「すっごい変な感じ」でもいいから教えてもらいたかった。
その人の目に映るものを知りたい。
「知りたかった」じゃなくて「知りたい」。
過去形ではなく、今も現在進行形。
振り返りを終わらせることに後ろ髪引かれる思いもある。
だけど、この振り返りノートシリーズを完結させたら、あとはもう神のみぞ知るの領域だから、一旦は手放そう。
その人と繋がりたい。
10月25日(木) 満月の夜 1:56
>>>追記
午前中、名古屋にいた頃ものすごくお世話になった方と電話をした。
その方が知り合った人の話をする中で、年齢や職業が自分も名古屋で会ったことのある人と同じ感じがして、もしや同じ人だったりして?フルネーム聞けばわかるかな?と思って聞いた。
「佐藤さん(仮名)のフルネームは何て言うんですか?」
「佐藤〇〇〇さんって言うのよ」
別人だとわかったけれど、それよりもその名前に驚いた。
その人と同じ名前だった。
もちろんそんなつもりで聞いたわけじゃなかった。
無限大にある種類の中で、そんなピンポイントでその名前って、毎回凄すぎる(笑)。
そこに何の意味もなかったとしても、その状況を楽しめる自分でいられるのは良かったなぁと思っている。
意味が有る無しはどうでも良くて、その名前が耳に飛び込んできて驚いたり、ニコッとしたり、こうやって書いて残したり…。
完全な自己満でも、幸福度はものすごく高い。
意味はなくても、その人が私にもたらしたものはそういうものだった。
幸福王子なんて呼んだら可笑しいかな?、でもピッタリのネーミングだなぁと思う。
名前聞くだけで幸福度が上がるなんてそうそうない。
つぶやきを締めるにあたって、いい感じの話で締めくくれて良かった。
この1年、本当にそんな風にして私はラッキーハッピーシンクロニシティに囲まれていた。
その人を知った世界は、やさしくて温かくて幸福に満ちたものだった。
それは多分これからも変わらない。
10月25日(木) まんまるお月様の夕方
2018年10月24日水曜日
振り返りノート>ananからのメッセージ
最終日の振り返りの一環の時にコメダに行って、雑誌ananを手に取って、そこで見つけた言葉。
===以下、引用【】
【Q好きな人がいます。
でも、傷つきたくなくて告白できません。
A
3回までは、玉砕するつもりでぶつかっていきなさい。
彼は、よくあんなに勇気を出せるな、とあきれるかもしれないが、記憶に残る。】
続けての質問に対しての答えに
【本気で恋をしなさい。
そういう恋は、人生の財産です。】
引用元:anan 2018.10.17号
『秋風羽織の教え 人生は半分、青い』
秋風羽織/北川悦吏子
私が号泣したのは、最初の質問の答えの中の『記憶に残る』の文字を読んだ時だった。
下↓は、最終日の最後のやり取りを振り返りした時に書いた言葉。
『自分で書くのも嫌だけど、冷静になって考えると色々おかしい。
・38歳の独身女が
・相手のことをほとんど知らないのに
・まともに会話もしたことがないのに
・相手を誘い出し断られ
・さらには相手からも避けられたのに
・長くて重たい手紙を書いて渡し
・全く連絡が取れないのに1年以上も想い続ける
ストーカーとも取られかねない内容だったりもしくは完全に頭のいっちゃった人と思われても仕方ない。』
上に書いたことは、この1年ずっとずっとどこかで引っかかっていたことだった。
得意の勘違いや思い込みということにして緩和できていたし、自分のしたことに後悔はないのは本当だった。
でも後悔がないから何も気にならないかと言えばそんなことはなく、自分でも本当に自分が起こした行動が良かったのかどうかなんて分かりようもなかった。
正解なんてないのも、間違いではないのもわかっている。
でもやっぱり心の中では気にしている自分がいた。
私の中で、振り返りを重ねていくうちに、覚悟が決まったことがあった。
書くだけ書く。
そしてそれでも何にも起こらなければ、もうその時はそれが答えだときちんと受け取ろう、と。
それはすなわち、その人とは交わらない人生だということを心から受け止めよう、ということでもあった。
振り返りを書く前までは、私は本気で再会するんじゃないかととても小さな願いではあったけれど、本気でそう思っていた。
そして振り返りを重ねて、そこで気付いたことを書き続けるうちに、本当の本当にすごい出逢いだったことに改めて気付かされた。
間違いなく特別な出逢いだった、それは言い切れる。
だけど、もしかしたら、出逢うこと、そこから私が何か大切なものを感じ取ること、それが大事なんじゃないかと、そしてそれがこの出逢いにおける目的や役割なんじゃないかと感じた。
どんなに振り返っても、どんなに書き連ねても、一緒にはならないのが魂の計画なら一緒にはなれない…、そう思った。
魂の計画…聞き慣れない言葉だと思う。
でも、私はよくわからない自分の人生の流れを20代の終わりから10年位体験して、それを観察し続け、そして今年に入ってホロスコープというツールが来て、確信に近いものを持つことになった。
魂が計画したことならどんなことでも叶うけれども(99%起こらないようなことでも)、反対に計画に含まれないものは努力や思いは関係なく叶わない仕組みになっている
(99%起こる予定のものがなぜかそうならない)、ということ。
私の場合は、それが特に顕著で、思いに沿って動くことはできてもその先の結果は私自身は関与できない。
だから、その人とのことに関しては、思わぬ展開が出てきても不思議ではないし、反対に伝えたところで魂の計画と異なれば今の状態から違う展開は生まれないと思っている。
私は、後悔の無いように書こうと決めた。
書いて伝えるところまではする。
書いて書いて書きまくって、そして最後が、本当の最後が近付いているのを感じながらこれまで書き続けている。
(今は、最終日+つぶやき4までアップし終えて、あとは最後のやり取りを振り返る文章が書き途中のところ)
そんな折にやってきたメッセージだった。
メッセージの中でもとりわけ響きまくったのが、『記憶に残る』の部分だった。
たしかにその人は呆れたのかもしれない。
ここまでどうして私がやってくるのか、全く理解できなかったかもしれない。
変だと思われたかもだし、迷惑や負担でしかなかったかもしれない。
その部分はもう何でも良かった。
その人の人生の中で、その人の記憶の中に残れたとするのなら、御の字だった。
どういう残り方でも良くて、残ってくれたとするなら、もうそれで十分だと感じた。
そして、答えと同じ3回は達成した。
あまりのテンパリように自分でも気付いたのはうんと後だったけれど、私はものすごい短期間のうちに3回その人にアプローチをしている。
3回して玉砕。
ドン引きだったかもしれないな…とも思わなくもないけれど、それで相手の中に残れたとするなら私は単純に嬉しい。
そして、次の質問の答えにあるように、その人に出逢えてそこから体験できた色んなことは「一生の財産」だと感じている。
そんな風に誰かを想ったり感じたりするのは、そんなにたくさん経験できることじゃない。
2018.10.18(木) 9:16
本気で恋しよう!と思ったことはなかった。
私はもうずっとずっと怖かった。
そして、もう誰のことも本気で想うなんてしない、そう信じてた。
もし結婚できたとしても、今度は年齢を重ねた分、落ち着いたような気持ちでするのかと思った。
予想を遥かに裏切る形でその人は突然現れた。
そして、とても良い意味でその人が私の予想を裏切ってくれた。
私はまた誰かのことを想うこともできれば、もうあれほど諦めていた恋愛もまたできると知った。
そして、それはどこかに探しに行かなくても、婚活!とか言いながらがんばらなくても、来るものは来るってわかった。
それは頑なに閉じた私の心を開かせてくれた。
結果だけ見たらさんざんでも、私個人の体験としてこれ以上ないぐらいのものをもたらしてくれた。
しかも相手がグイグイ来ないのが余計に良かったのかもしれない。
その人は一度だけさらりと自己PRした後は、何もなかった(本人からしてそれが自己PRとしてやったかどうかは知らないし、単なる気遣いでしかない可能性が高い)。
しかも私は、最初「その人だから」自分がドキドキしてるのを、「イケメンだから」又は「その行為だから」ドキドキしたのかと勘違いした。
だから気持ちはそのうち静まるだろうと楽観視していたし、あまりにもドキドキしたのが久しぶり過ぎて、その久しぶり感が過剰に反応してるんだと思っていた。
その人をごはんに誘う前、私は相当な数の男性心理の記事を読んだ。
暇さえあれば調べていた。
ちなみに最初はごはんではなく、連絡先の交換をお願いしようとしてた。
だけど男友達と友達の旦那さんからのアドバイスで、「ごはん誘え!そっちの方がわかりやすいし絶対にいい」ということで、それでごはんの方になった。
元々そうしたことが不慣れな私は、男の人をごはんに誘ったことが一度もなかった。
友達なら普通に誘うというか、「次いつ〇〇に行く?」と女友達と同じ感覚で日程調整してたから、あれは誘うとかに入らない。
しかも、まともに話したことなくて、(仕事の絡みは一切ない)職場の上司で、さらにもっと嫌だったのが自分の立場だった。
派遣なのは普段全く気にならないけれど、その人からしたら、派遣に狙われてる、私=危険人物と見なされてもおかしくなかった。
もちろんそんな気はさらさらないけれど、相手がどう採るかはわからない。
いきなりハードル高すぎだわ、と思った。
私は誘い方に関しても、相当調べた。
調べたけれど、どれ1つ使えそうな方法がなかった。
男性心理は読めば読むほど脈なしだと思ったけれど、その一方で自分の中でその人が一瞬見せた表情で腑に落ちないやり取りのこともあったから、とにかく第三者の視点はあまり参考にならなかった。
ちなみに、仮にOKが出たらどこに行くのかも悩みの種だった。
ここは田舎。
適当な店も知らず、その時になったら考えようとそこはもう断ち切った。
そんな風だったから、私も私で相当な不器用さを露呈する他なく、もうなるようにしかならない、と腹をくくった。
今振り返ると、もうあんなことは1つとしてできない、と真面目に思ってる。
そこから始まり手紙を書いて渡すところまで、私は今でも穴があったら入りたいぐらいに恥ずかしかったしやらかしたと思っている。
その人からしてみても、全く理解できなかっただろうなぁと思う。
でも、記憶に残ったとするなら、たとえそれが変な人でも迷惑な人でも意味不明な人でもいい、その人の中に残るならいい、本当にananの記事様々だった。
いつだったかモテ期到来した男友達が私に「その時7人に告白されてさぁ〜」なんて話してきたことがあった。
失礼ながら、私はその友達の素の姿ばかり見ていたから「なぜこいつがモテる?」と思って聞いていた。
でもほぼ同じ時期に7人に告白されても記憶に残るんだから、言われたらそうなのかもしれない。
告白とは違うけれど(私はごはんに誘ったのとラブレターではない手紙を書いただけで、「好きです♡付き合ってください」みたいなことは言っていない)、同じ人が2回3回と来れば記憶には残るかな…と思う。
どんな風でも、その人の人生の中に足あとを残すことができたとするなら、それはそれでいいなぁと思っている。
今でもその人の何がそんなにも良くて心が止まらない状態だったのかはわからない。
でも狙ってもいない、なんなら私は最初圏外の人だと認識していたから意識して見ることもなかった(自分の無意識の行動には全く気付かなかった)。
なのに、その人はただそこにいるだけで、私にものすごくたくさんの影響を与えた人だった。
本人にしたら「俺はそんなこと1つもしていない」となってもおかしくないと思うけれど、何がすごいって、何もしてないのに私の心を目覚めさせるパワーを持っていたこと。
これはオマケの話だけど、私はその人とのことがあったおかげで、もう一度自分が夢見ることができるようになった。
今どハマりしているブログがある(1日前に見つけた)。
多分ブロガーの方は年齢的に私ぐらい。
元交際相手にストーカーされて男性不信に陥った女性が、今の旦那さんに出逢ってずっとラブラブな日常を送っている話(出逢って15年ほどとは思えないぐらいにラブラブ夫婦)。
この女性、当時のことがトラウマで、15年近く経つ今も男性と2人きりなのはダメで、家に修理とか立入り検査的な感じで業者さんが来る時は、旦那さんが有休取って一緒に対応するというすごい徹底ぶり。
(大げさなんじゃなくて、この方そんな状況に1人でいたら本気の発作起こしてその後メンタルと体と両方に支障をきたして命の危険まで出ちゃう人みたいだから、旦那さんの行為はそういう意味ですごく真っ当)
とにかく旦那さんに愛されまくってる。
今の私はそれ読んで、自分もそういうパートナーと出逢ってもいいんだなと思えるようになった。
これまではもうそういうことをあきらめていた。
そういう人と二度とは出逢えない、そう思っていた。
そしてそんな風に誰かを好きになれる自分も想像できなかった。
もう行くところまで行った私は、そうした気持ちを自分が持つことも、そして自分に持ってもらうことも、どうしても想像ができなかった。
10年近く、完全に心が閉じていた。
だけど、その人に出逢って、とりあえず自分側の可能性を見た。
もう誰にも気持ちが向くなんてないと思っていたのに、そういうこともあるんだと知った。
しかも自分のタイプがあるのかと思えば、そんなこともないとわかった。
タイプという意味で1ミリもかすらなくても、それでも自分が惹かれる人なら惹かれる。
頭は色々ジャッジするけれど、心は素直だということもわかった。
心は本当に心1本で「この人」という人を私に知らせてくれる有能な秘書みたいなものだった。
だから、頭では「タイプではない」とバッサリ切っていた人を、心は「この人だよ!」と教えてくれてた。
そこが大きな転換点になった。
今は、もしかしたら生きているうちにお互いに大切にし合えるパートナーと出逢えるかもしれない、そう思うようになった。
その人でないのは残念だけれど、そのブログの旦那さんを見て、そういう男性も世の中にいるよね、とまた素直に思えるようになった。
これは長いこと鉄の意志で絶対に信じようとしなかった私からしたら、大大大進歩だった。
その人が登場してくれたことで、私は自分の殻に閉じこもっていた部分から顔を出すようになった。
そして、見ようとしなかった可能性を見れるまでになった。
頭じゃなくて、きちんと自分の心と体で体験したから、本当に理解できるようになった。
その人に出逢わなければ、私は今そのブログは読めなかった。
過去の傷が一気に出てきて読めなかった。
その人とは上手くいかなかったけれど、代わりにそうした人生の可能性を見れるようになった。
冒頭のananに書かれたように、一生の財産を私は手にした。
その人のおかげで本当に色んなことが癒された。
あきらめるんじゃなくて、希望があることを教えてもらった。
もう少し究極の域の話をしたい。
今手元には、一目見た瞬間「〇〇さんのオルゴナイトだ!」と思って家に連れ帰ってきたオルゴナイトがある。
来年の春になっても手元にあったら、オルゴナイト作家さんにその頃会う約束をしているから、その時こそ忘れずにそのオルゴナイトが本人に渡らない場合どう現実的に対応したらいいかを聞こうと思っている←後先考えずに動くからこういうことになる。
(ちなみに、かなり捨てづらい)
もちろん本人に届いて欲しい。
再会したい気持ちは今もある。
だけど。
もし、オルゴナイトがその人の元へ行くことがなくても…
もし、その人とは再会できなくても…
もし、その人の中で私は黒歴史になっていても…
もし、その人の中で私は抹消されていても…
もし、そもそもその人の中に私は残らずあったことさえ忘れ去られていても…
それでも私は究極いいと思っている。
私は忘れないし、一生の財産を手にしたし、そして多分私はその人に出逢えたことで自分を取り戻せたんだと思う。
私はその人との時間が本気で欲しかったけれど、それを目当てに近寄ったのじゃない。
その人に想いを伝えるためだけに手紙を書いたのじゃない。
この振り返りノートを書いているのも、絶対に届くはず!なんて思って書いたのとは違う。
どれが叶わなくても、究極本当に大丈夫!という域になぜか到達できた。
そして、結果を問わず自分の中でその想いも時間も大切にできることがわかった。
結果が同じなら、ごちゃごちゃと書かず、一言「一緒にいたいです」とだけ言えば良かった。
素直に一言、自分がどうしたいのか、それをストレートに告げたら良かった。
一緒にいたいです。
本当にただただそれだけだった私。
2018.10.24(水) お昼前
===以下、引用【】
【Q好きな人がいます。
でも、傷つきたくなくて告白できません。
A
3回までは、玉砕するつもりでぶつかっていきなさい。
彼は、よくあんなに勇気を出せるな、とあきれるかもしれないが、記憶に残る。】
続けての質問に対しての答えに
【本気で恋をしなさい。
そういう恋は、人生の財産です。】
引用元:anan 2018.10.17号
『秋風羽織の教え 人生は半分、青い』
秋風羽織/北川悦吏子
私が号泣したのは、最初の質問の答えの中の『記憶に残る』の文字を読んだ時だった。
下↓は、最終日の最後のやり取りを振り返りした時に書いた言葉。
『自分で書くのも嫌だけど、冷静になって考えると色々おかしい。
・38歳の独身女が
・相手のことをほとんど知らないのに
・まともに会話もしたことがないのに
・相手を誘い出し断られ
・さらには相手からも避けられたのに
・長くて重たい手紙を書いて渡し
・全く連絡が取れないのに1年以上も想い続ける
ストーカーとも取られかねない内容だったりもしくは完全に頭のいっちゃった人と思われても仕方ない。』
上に書いたことは、この1年ずっとずっとどこかで引っかかっていたことだった。
得意の勘違いや思い込みということにして緩和できていたし、自分のしたことに後悔はないのは本当だった。
でも後悔がないから何も気にならないかと言えばそんなことはなく、自分でも本当に自分が起こした行動が良かったのかどうかなんて分かりようもなかった。
正解なんてないのも、間違いではないのもわかっている。
でもやっぱり心の中では気にしている自分がいた。
私の中で、振り返りを重ねていくうちに、覚悟が決まったことがあった。
書くだけ書く。
そしてそれでも何にも起こらなければ、もうその時はそれが答えだときちんと受け取ろう、と。
それはすなわち、その人とは交わらない人生だということを心から受け止めよう、ということでもあった。
振り返りを書く前までは、私は本気で再会するんじゃないかととても小さな願いではあったけれど、本気でそう思っていた。
そして振り返りを重ねて、そこで気付いたことを書き続けるうちに、本当の本当にすごい出逢いだったことに改めて気付かされた。
間違いなく特別な出逢いだった、それは言い切れる。
だけど、もしかしたら、出逢うこと、そこから私が何か大切なものを感じ取ること、それが大事なんじゃないかと、そしてそれがこの出逢いにおける目的や役割なんじゃないかと感じた。
どんなに振り返っても、どんなに書き連ねても、一緒にはならないのが魂の計画なら一緒にはなれない…、そう思った。
魂の計画…聞き慣れない言葉だと思う。
でも、私はよくわからない自分の人生の流れを20代の終わりから10年位体験して、それを観察し続け、そして今年に入ってホロスコープというツールが来て、確信に近いものを持つことになった。
魂が計画したことならどんなことでも叶うけれども(99%起こらないようなことでも)、反対に計画に含まれないものは努力や思いは関係なく叶わない仕組みになっている
(99%起こる予定のものがなぜかそうならない)、ということ。
私の場合は、それが特に顕著で、思いに沿って動くことはできてもその先の結果は私自身は関与できない。
だから、その人とのことに関しては、思わぬ展開が出てきても不思議ではないし、反対に伝えたところで魂の計画と異なれば今の状態から違う展開は生まれないと思っている。
私は、後悔の無いように書こうと決めた。
書いて伝えるところまではする。
書いて書いて書きまくって、そして最後が、本当の最後が近付いているのを感じながらこれまで書き続けている。
(今は、最終日+つぶやき4までアップし終えて、あとは最後のやり取りを振り返る文章が書き途中のところ)
そんな折にやってきたメッセージだった。
メッセージの中でもとりわけ響きまくったのが、『記憶に残る』の部分だった。
たしかにその人は呆れたのかもしれない。
ここまでどうして私がやってくるのか、全く理解できなかったかもしれない。
変だと思われたかもだし、迷惑や負担でしかなかったかもしれない。
その部分はもう何でも良かった。
その人の人生の中で、その人の記憶の中に残れたとするのなら、御の字だった。
どういう残り方でも良くて、残ってくれたとするなら、もうそれで十分だと感じた。
そして、答えと同じ3回は達成した。
あまりのテンパリように自分でも気付いたのはうんと後だったけれど、私はものすごい短期間のうちに3回その人にアプローチをしている。
3回して玉砕。
ドン引きだったかもしれないな…とも思わなくもないけれど、それで相手の中に残れたとするなら私は単純に嬉しい。
そして、次の質問の答えにあるように、その人に出逢えてそこから体験できた色んなことは「一生の財産」だと感じている。
そんな風に誰かを想ったり感じたりするのは、そんなにたくさん経験できることじゃない。
2018.10.18(木) 9:16
本気で恋しよう!と思ったことはなかった。
私はもうずっとずっと怖かった。
そして、もう誰のことも本気で想うなんてしない、そう信じてた。
もし結婚できたとしても、今度は年齢を重ねた分、落ち着いたような気持ちでするのかと思った。
予想を遥かに裏切る形でその人は突然現れた。
そして、とても良い意味でその人が私の予想を裏切ってくれた。
私はまた誰かのことを想うこともできれば、もうあれほど諦めていた恋愛もまたできると知った。
そして、それはどこかに探しに行かなくても、婚活!とか言いながらがんばらなくても、来るものは来るってわかった。
それは頑なに閉じた私の心を開かせてくれた。
結果だけ見たらさんざんでも、私個人の体験としてこれ以上ないぐらいのものをもたらしてくれた。
しかも相手がグイグイ来ないのが余計に良かったのかもしれない。
その人は一度だけさらりと自己PRした後は、何もなかった(本人からしてそれが自己PRとしてやったかどうかは知らないし、単なる気遣いでしかない可能性が高い)。
しかも私は、最初「その人だから」自分がドキドキしてるのを、「イケメンだから」又は「その行為だから」ドキドキしたのかと勘違いした。
だから気持ちはそのうち静まるだろうと楽観視していたし、あまりにもドキドキしたのが久しぶり過ぎて、その久しぶり感が過剰に反応してるんだと思っていた。
その人をごはんに誘う前、私は相当な数の男性心理の記事を読んだ。
暇さえあれば調べていた。
ちなみに最初はごはんではなく、連絡先の交換をお願いしようとしてた。
だけど男友達と友達の旦那さんからのアドバイスで、「ごはん誘え!そっちの方がわかりやすいし絶対にいい」ということで、それでごはんの方になった。
元々そうしたことが不慣れな私は、男の人をごはんに誘ったことが一度もなかった。
友達なら普通に誘うというか、「次いつ〇〇に行く?」と女友達と同じ感覚で日程調整してたから、あれは誘うとかに入らない。
しかも、まともに話したことなくて、(仕事の絡みは一切ない)職場の上司で、さらにもっと嫌だったのが自分の立場だった。
派遣なのは普段全く気にならないけれど、その人からしたら、派遣に狙われてる、私=危険人物と見なされてもおかしくなかった。
もちろんそんな気はさらさらないけれど、相手がどう採るかはわからない。
いきなりハードル高すぎだわ、と思った。
私は誘い方に関しても、相当調べた。
調べたけれど、どれ1つ使えそうな方法がなかった。
男性心理は読めば読むほど脈なしだと思ったけれど、その一方で自分の中でその人が一瞬見せた表情で腑に落ちないやり取りのこともあったから、とにかく第三者の視点はあまり参考にならなかった。
ちなみに、仮にOKが出たらどこに行くのかも悩みの種だった。
ここは田舎。
適当な店も知らず、その時になったら考えようとそこはもう断ち切った。
そんな風だったから、私も私で相当な不器用さを露呈する他なく、もうなるようにしかならない、と腹をくくった。
今振り返ると、もうあんなことは1つとしてできない、と真面目に思ってる。
そこから始まり手紙を書いて渡すところまで、私は今でも穴があったら入りたいぐらいに恥ずかしかったしやらかしたと思っている。
その人からしてみても、全く理解できなかっただろうなぁと思う。
でも、記憶に残ったとするなら、たとえそれが変な人でも迷惑な人でも意味不明な人でもいい、その人の中に残るならいい、本当にananの記事様々だった。
いつだったかモテ期到来した男友達が私に「その時7人に告白されてさぁ〜」なんて話してきたことがあった。
失礼ながら、私はその友達の素の姿ばかり見ていたから「なぜこいつがモテる?」と思って聞いていた。
でもほぼ同じ時期に7人に告白されても記憶に残るんだから、言われたらそうなのかもしれない。
告白とは違うけれど(私はごはんに誘ったのとラブレターではない手紙を書いただけで、「好きです♡付き合ってください」みたいなことは言っていない)、同じ人が2回3回と来れば記憶には残るかな…と思う。
どんな風でも、その人の人生の中に足あとを残すことができたとするなら、それはそれでいいなぁと思っている。
今でもその人の何がそんなにも良くて心が止まらない状態だったのかはわからない。
でも狙ってもいない、なんなら私は最初圏外の人だと認識していたから意識して見ることもなかった(自分の無意識の行動には全く気付かなかった)。
なのに、その人はただそこにいるだけで、私にものすごくたくさんの影響を与えた人だった。
本人にしたら「俺はそんなこと1つもしていない」となってもおかしくないと思うけれど、何がすごいって、何もしてないのに私の心を目覚めさせるパワーを持っていたこと。
これはオマケの話だけど、私はその人とのことがあったおかげで、もう一度自分が夢見ることができるようになった。
今どハマりしているブログがある(1日前に見つけた)。
多分ブロガーの方は年齢的に私ぐらい。
元交際相手にストーカーされて男性不信に陥った女性が、今の旦那さんに出逢ってずっとラブラブな日常を送っている話(出逢って15年ほどとは思えないぐらいにラブラブ夫婦)。
この女性、当時のことがトラウマで、15年近く経つ今も男性と2人きりなのはダメで、家に修理とか立入り検査的な感じで業者さんが来る時は、旦那さんが有休取って一緒に対応するというすごい徹底ぶり。
(大げさなんじゃなくて、この方そんな状況に1人でいたら本気の発作起こしてその後メンタルと体と両方に支障をきたして命の危険まで出ちゃう人みたいだから、旦那さんの行為はそういう意味ですごく真っ当)
とにかく旦那さんに愛されまくってる。
今の私はそれ読んで、自分もそういうパートナーと出逢ってもいいんだなと思えるようになった。
これまではもうそういうことをあきらめていた。
そういう人と二度とは出逢えない、そう思っていた。
そしてそんな風に誰かを好きになれる自分も想像できなかった。
もう行くところまで行った私は、そうした気持ちを自分が持つことも、そして自分に持ってもらうことも、どうしても想像ができなかった。
10年近く、完全に心が閉じていた。
だけど、その人に出逢って、とりあえず自分側の可能性を見た。
もう誰にも気持ちが向くなんてないと思っていたのに、そういうこともあるんだと知った。
しかも自分のタイプがあるのかと思えば、そんなこともないとわかった。
タイプという意味で1ミリもかすらなくても、それでも自分が惹かれる人なら惹かれる。
頭は色々ジャッジするけれど、心は素直だということもわかった。
心は本当に心1本で「この人」という人を私に知らせてくれる有能な秘書みたいなものだった。
だから、頭では「タイプではない」とバッサリ切っていた人を、心は「この人だよ!」と教えてくれてた。
そこが大きな転換点になった。
今は、もしかしたら生きているうちにお互いに大切にし合えるパートナーと出逢えるかもしれない、そう思うようになった。
その人でないのは残念だけれど、そのブログの旦那さんを見て、そういう男性も世の中にいるよね、とまた素直に思えるようになった。
これは長いこと鉄の意志で絶対に信じようとしなかった私からしたら、大大大進歩だった。
その人が登場してくれたことで、私は自分の殻に閉じこもっていた部分から顔を出すようになった。
そして、見ようとしなかった可能性を見れるまでになった。
頭じゃなくて、きちんと自分の心と体で体験したから、本当に理解できるようになった。
その人に出逢わなければ、私は今そのブログは読めなかった。
過去の傷が一気に出てきて読めなかった。
その人とは上手くいかなかったけれど、代わりにそうした人生の可能性を見れるようになった。
冒頭のananに書かれたように、一生の財産を私は手にした。
その人のおかげで本当に色んなことが癒された。
あきらめるんじゃなくて、希望があることを教えてもらった。
もう少し究極の域の話をしたい。
今手元には、一目見た瞬間「〇〇さんのオルゴナイトだ!」と思って家に連れ帰ってきたオルゴナイトがある。
来年の春になっても手元にあったら、オルゴナイト作家さんにその頃会う約束をしているから、その時こそ忘れずにそのオルゴナイトが本人に渡らない場合どう現実的に対応したらいいかを聞こうと思っている←後先考えずに動くからこういうことになる。
(ちなみに、かなり捨てづらい)
もちろん本人に届いて欲しい。
再会したい気持ちは今もある。
だけど。
もし、オルゴナイトがその人の元へ行くことがなくても…
もし、その人とは再会できなくても…
もし、その人の中で私は黒歴史になっていても…
もし、その人の中で私は抹消されていても…
もし、そもそもその人の中に私は残らずあったことさえ忘れ去られていても…
それでも私は究極いいと思っている。
私は忘れないし、一生の財産を手にしたし、そして多分私はその人に出逢えたことで自分を取り戻せたんだと思う。
私はその人との時間が本気で欲しかったけれど、それを目当てに近寄ったのじゃない。
その人に想いを伝えるためだけに手紙を書いたのじゃない。
この振り返りノートを書いているのも、絶対に届くはず!なんて思って書いたのとは違う。
どれが叶わなくても、究極本当に大丈夫!という域になぜか到達できた。
そして、結果を問わず自分の中でその想いも時間も大切にできることがわかった。
結果が同じなら、ごちゃごちゃと書かず、一言「一緒にいたいです」とだけ言えば良かった。
素直に一言、自分がどうしたいのか、それをストレートに告げたら良かった。
一緒にいたいです。
本当にただただそれだけだった私。
2018.10.24(水) お昼前
2018年10月23日火曜日
振り返りノート#つぶやき8
多分これが最後のつぶやき。
残すところ、2つ。
1つは、振り返りをするために行ってきたコメダで見つけた雑誌ananの中にあった言葉。
それはもう原型はできてるから、そのままアップするか、もしくはもう少し言葉を付け足してアップするかのどちらか。
もう1つは、全体を通じての振り返り。
これはまだ書き途中。
あぁ終わるんだな…、寂しいなぁと感じてる。
当初こんなに書く予定も、こんなにぶっちゃける予定もなかった。
途中からぶっちゃけることにエンジンがかかったのは、もう色んな意味で最後なら言うこと言った方が私はいい気がする、そう思ったから。
例えば、うっかり何かの拍子に思い出した妹の住んでた駅の名前なんて、はっきり言ってどうでもいい。
可愛い子の話もどうでもいい。
もう1つ書いてはいないけれど、Sさんからその人についてもっと劇薬の話が年末にもたらされた時は、年の終わりに撃沈するという全くありがたくない状況を体験した。
婚活イベントに行って迷子になった話や、ファイルの整理の話もかなりどうでもいい。
どうでもいいというのは、全く何も知らない人から見てということ。
でも私にはどれも大事なことで、それらをちまちまと集めては「あっ!」と驚き、腰を抜かし、そしてその偶然なのか必然なのかわからない重なりにニンマリしたり。
元々シンクロの起こり具合やそこに至るまでのプロセスを振り返るのが大好きだから、もうその人とのそうした接点を見つけるのは私にとって悶絶級の喜び&楽しみだった。
そして、同じことが起こるためにどれだけのことがパズルのピースとして必要なのかを紐解くのも楽しい。
その人を本当にきちんと意識できた日のことなんて、もうその中でも最高峰の話だった。
逆算するとこんな風になる。
あるものを渡してもらう
↑
その人が私の状況に気付く
↑
私はそれを持っていなかった
↑
誰もその物を用意するようには言ってこなかった
(他の注意事項は教えてもらったし、そこは完璧にした!)
↑
私も私でそこには注意が向かず、用意を忘れたというより思いつきもしなかった
(自分の抜け具合にこの時ほど感謝したことはない)
↑
私は前半組で作業
(見た限り、前半と後半で女性陣は作業内容も作業場所も違っていた)
↑
本当は後半組だったけれど、他の人たちの都合により私が前半組に変更
↑
そもそもその作業が予定される
↑
現事務所所在地になってから10数年?、初めての作業
とかいう具合に、小さなことだけど、その小さなことたちがズレてはいけないようになっていた。
しかも私は知らないけれど、その日雨が降ったらどうする予定だったのかな…と思う。
中止?
中止になったら、もうそもそもその瞬間さえ生まれない。
本当に全てきちんと予定通り進行してくれたおかげで、その瞬間を迎えた。
それは今でもしょっちゅう思う。
もし1つでもピースの形が違っていたら、今は100%ない!
そんなの誰の人生もそうだけれど、本当に1つでも形が違っていたら違う道の上を歩くことになって、その人が目の前にいても私は気付けなかったかな…と思っている。
人間の意識の稼働率なんて10%以下なわけで、いくら潜在意識や魂はわかっていても(←こちらが実際の人生を牛耳ってる)自分で意識できる部分の意識に上がって来なければ無いも同然。
だから、わかりやすい形がなかったら、完全にスルーした私。
その瞬間に至るまでの全てのピースを並べると、もう言葉では言い表せない感動を覚える。
この1年で色んなことが見えてきたから、さらにそこにはピースが加わって。
誰の何の決定かわからないけれど、御社の素晴らしい決定によりその人を新潟の地に転勤させてくれてありがとうー!だし。
本人の意思は知らない。
本人にしても希望もしなかった異動だったかもしれない。
それでも会社の閣僚決定には背を向けられない。
しかも、その異動、他の人でも良かったわけで、その人以外の候補だってゼロではなかったと思う。
だって各地にそのポジションはあるはずだから、その数の分だけ候補者もいるということ。
その人が自ら希望して新潟になったとはとても思えない。
周りは田んぼ、娯楽はないわけではないけれど都会と比べたら何百分の1、冬は豪雪地帯、異動願を出して行くような土地ではないと思う。
地元民が自らそんなこと言うのもどうかと思うけれど、私はこの町いいよ!とは薦められない。
田舎大好き、雪大好き、鬱々とした天気大好き…みたいなちょっと変わった嗜好をお持ちの方にしか薦められない。
だって、新潟って言えば日本酒でしょう!と言うけれど、新潟県民の中で車や移動手段の心配をせずにゴイゴイと飲める人なんてほんの一握り。
呑兵衛には優しくない交通事情。
故に、そんなところをその人が自ら希望して来たとはとても思えない。
新潟LOVEならもっと長くいただろうし。
ちなみに前任の人はその人の倍ぐらいの期間いたらしい。
どう考えても本人希望じゃない新潟だったと思う。
あみだくじで選考したとは思わないけれど、どこかの誰かが完璧な決断をしてくれたおかげで、その人を新潟に送ってもらえた。
そして私の数々の出来事たちも、もう帰らないとさえ思っていた新潟へ戻らせてくれた。
結果的に仕事を転々としたわけだけれど、その仕事の数+そこに至るまでの色んなプロセスにおいて、ものすごいたくさんの選択に迫られたわけで、本当に取りこぼすことなく選んできたのが奇跡だと思う。
それら双方の全てが重なって初めて同じ空間に立つことになって、そしてどうしてその作業がその日に組み込まれたのかは知らないけれど、その作業があって、そして私の抜け具合のおかげとその人のナイスな気付きがあったおかげで、その瞬間が起こった。
もう1つ、その人の気付き+行動力。
気付いてももしそのまま放置されてたとするなら、その瞬間は永遠に訪れることさえなかった。
はっきり言って、神がかり的な瞬間だった。
私はもう会って話ができないなら、そしてそれが死ぬまでそうなら、とにかく口が動くうちは自分の見てきたものを話したい、伝えたい、そういう気持ちだった。
妹の最寄駅の名前、その人なら絶対にわかる。
そういうことを一緒に笑えたら楽しかっただろうなぁと思う。
それがくだらないでもいいから、ぷっとなる瞬間があったら楽しいだろうなぁと想像する。
その叶わないことは仕方ないにしても、伝えたい欲求は満たそう!、それがこういう形になった。
書いてて本当に楽しかった。
色んな気持ちが行き来しながら、時に涙も流れれば、胸がキュッとする時もあったけれど、それでもやっぱり楽しかった。
すごいパワーだなぁと感心した。
私はたしかに色んなことをブログでも手書きでも書くけれど、意外と書いてて楽しいとは思ったことがほとんどない。
好きだとは思うけれど、「好きだな〜」なんて思いながら書くわけじゃない。
楽しいもない。
無心な感じに近い。
だけど、このシリーズは違った。
本気で楽しかった。
いくらでも書いていられた。
振り返ると、その瞬間が目の前にあるみたいだった。
もっと忘れてるのかと思ったら、そんなこと全然なかった。
どの瞬間も覚えている。
過去にもう一度戻りたい、とは思っていない。
それはその人が毎日目の前にいて最高の気分を味わったその時でさえも、そこに戻りたいとは思わない。
もしもう一度その気分を味わえるチャンスがあるなら、その時はその人と再会させてください、と本心はそっちにある。
過去はいくら振り返っても、どんなに色んな気持ちで満たされても、もう一度は体験できない。
私にあるのは今と未来だから、その今や未来に奇跡が起きたらいい。
奇跡が起きて欲しい。
終わるんだな、寂しいなぁと思いながら、あと残り2つ?書き上げる。
このシリーズ、いつも最後の終わり方に迷う。
何て書くのがいいのかわからなくて、しばし悩んでアップしたのもあるし、後から付け足してからアップしたのもある。
1つ前のつぶやきの最後は、一度アップした後に言葉を足した。
その言葉どうなの?と思いつつ、でもあれは車の中で出てきたことでずっと脳裏に焼き付いていたから、やっぱり載せようとそこだけ足して入れ替えた。
まるでその時だけ出てきた言葉みたいだけど、本当はこれ書いている間中ずっとずっとその感覚だった。
どの言葉を吐き出す時も、根底はその気持ちでいっぱいなんだと自分ですこーしだけ認めてみる。
今ボヤいて良かった。
ノートに書いたことで転記してないものがあることに気付いた。
絶対に入れようと思っていたのに忘れてた…。
それは最後のものに書こう。
キーワードは「愛おしい」。
残すところ、2つ。
1つは、振り返りをするために行ってきたコメダで見つけた雑誌ananの中にあった言葉。
それはもう原型はできてるから、そのままアップするか、もしくはもう少し言葉を付け足してアップするかのどちらか。
もう1つは、全体を通じての振り返り。
これはまだ書き途中。
あぁ終わるんだな…、寂しいなぁと感じてる。
当初こんなに書く予定も、こんなにぶっちゃける予定もなかった。
途中からぶっちゃけることにエンジンがかかったのは、もう色んな意味で最後なら言うこと言った方が私はいい気がする、そう思ったから。
例えば、うっかり何かの拍子に思い出した妹の住んでた駅の名前なんて、はっきり言ってどうでもいい。
可愛い子の話もどうでもいい。
もう1つ書いてはいないけれど、Sさんからその人についてもっと劇薬の話が年末にもたらされた時は、年の終わりに撃沈するという全くありがたくない状況を体験した。
婚活イベントに行って迷子になった話や、ファイルの整理の話もかなりどうでもいい。
どうでもいいというのは、全く何も知らない人から見てということ。
でも私にはどれも大事なことで、それらをちまちまと集めては「あっ!」と驚き、腰を抜かし、そしてその偶然なのか必然なのかわからない重なりにニンマリしたり。
元々シンクロの起こり具合やそこに至るまでのプロセスを振り返るのが大好きだから、もうその人とのそうした接点を見つけるのは私にとって悶絶級の喜び&楽しみだった。
そして、同じことが起こるためにどれだけのことがパズルのピースとして必要なのかを紐解くのも楽しい。
その人を本当にきちんと意識できた日のことなんて、もうその中でも最高峰の話だった。
逆算するとこんな風になる。
あるものを渡してもらう
↑
その人が私の状況に気付く
↑
私はそれを持っていなかった
↑
誰もその物を用意するようには言ってこなかった
(他の注意事項は教えてもらったし、そこは完璧にした!)
↑
私も私でそこには注意が向かず、用意を忘れたというより思いつきもしなかった
(自分の抜け具合にこの時ほど感謝したことはない)
↑
私は前半組で作業
(見た限り、前半と後半で女性陣は作業内容も作業場所も違っていた)
↑
本当は後半組だったけれど、他の人たちの都合により私が前半組に変更
↑
そもそもその作業が予定される
↑
現事務所所在地になってから10数年?、初めての作業
とかいう具合に、小さなことだけど、その小さなことたちがズレてはいけないようになっていた。
しかも私は知らないけれど、その日雨が降ったらどうする予定だったのかな…と思う。
中止?
中止になったら、もうそもそもその瞬間さえ生まれない。
本当に全てきちんと予定通り進行してくれたおかげで、その瞬間を迎えた。
それは今でもしょっちゅう思う。
もし1つでもピースの形が違っていたら、今は100%ない!
そんなの誰の人生もそうだけれど、本当に1つでも形が違っていたら違う道の上を歩くことになって、その人が目の前にいても私は気付けなかったかな…と思っている。
人間の意識の稼働率なんて10%以下なわけで、いくら潜在意識や魂はわかっていても(←こちらが実際の人生を牛耳ってる)自分で意識できる部分の意識に上がって来なければ無いも同然。
だから、わかりやすい形がなかったら、完全にスルーした私。
その瞬間に至るまでの全てのピースを並べると、もう言葉では言い表せない感動を覚える。
この1年で色んなことが見えてきたから、さらにそこにはピースが加わって。
誰の何の決定かわからないけれど、御社の素晴らしい決定によりその人を新潟の地に転勤させてくれてありがとうー!だし。
本人の意思は知らない。
本人にしても希望もしなかった異動だったかもしれない。
それでも会社の閣僚決定には背を向けられない。
しかも、その異動、他の人でも良かったわけで、その人以外の候補だってゼロではなかったと思う。
だって各地にそのポジションはあるはずだから、その数の分だけ候補者もいるということ。
その人が自ら希望して新潟になったとはとても思えない。
周りは田んぼ、娯楽はないわけではないけれど都会と比べたら何百分の1、冬は豪雪地帯、異動願を出して行くような土地ではないと思う。
地元民が自らそんなこと言うのもどうかと思うけれど、私はこの町いいよ!とは薦められない。
田舎大好き、雪大好き、鬱々とした天気大好き…みたいなちょっと変わった嗜好をお持ちの方にしか薦められない。
だって、新潟って言えば日本酒でしょう!と言うけれど、新潟県民の中で車や移動手段の心配をせずにゴイゴイと飲める人なんてほんの一握り。
呑兵衛には優しくない交通事情。
故に、そんなところをその人が自ら希望して来たとはとても思えない。
新潟LOVEならもっと長くいただろうし。
ちなみに前任の人はその人の倍ぐらいの期間いたらしい。
どう考えても本人希望じゃない新潟だったと思う。
あみだくじで選考したとは思わないけれど、どこかの誰かが完璧な決断をしてくれたおかげで、その人を新潟に送ってもらえた。
そして私の数々の出来事たちも、もう帰らないとさえ思っていた新潟へ戻らせてくれた。
結果的に仕事を転々としたわけだけれど、その仕事の数+そこに至るまでの色んなプロセスにおいて、ものすごいたくさんの選択に迫られたわけで、本当に取りこぼすことなく選んできたのが奇跡だと思う。
それら双方の全てが重なって初めて同じ空間に立つことになって、そしてどうしてその作業がその日に組み込まれたのかは知らないけれど、その作業があって、そして私の抜け具合のおかげとその人のナイスな気付きがあったおかげで、その瞬間が起こった。
もう1つ、その人の気付き+行動力。
気付いてももしそのまま放置されてたとするなら、その瞬間は永遠に訪れることさえなかった。
はっきり言って、神がかり的な瞬間だった。
私はもう会って話ができないなら、そしてそれが死ぬまでそうなら、とにかく口が動くうちは自分の見てきたものを話したい、伝えたい、そういう気持ちだった。
妹の最寄駅の名前、その人なら絶対にわかる。
そういうことを一緒に笑えたら楽しかっただろうなぁと思う。
それがくだらないでもいいから、ぷっとなる瞬間があったら楽しいだろうなぁと想像する。
その叶わないことは仕方ないにしても、伝えたい欲求は満たそう!、それがこういう形になった。
書いてて本当に楽しかった。
色んな気持ちが行き来しながら、時に涙も流れれば、胸がキュッとする時もあったけれど、それでもやっぱり楽しかった。
すごいパワーだなぁと感心した。
私はたしかに色んなことをブログでも手書きでも書くけれど、意外と書いてて楽しいとは思ったことがほとんどない。
好きだとは思うけれど、「好きだな〜」なんて思いながら書くわけじゃない。
楽しいもない。
無心な感じに近い。
だけど、このシリーズは違った。
本気で楽しかった。
いくらでも書いていられた。
振り返ると、その瞬間が目の前にあるみたいだった。
もっと忘れてるのかと思ったら、そんなこと全然なかった。
どの瞬間も覚えている。
過去にもう一度戻りたい、とは思っていない。
それはその人が毎日目の前にいて最高の気分を味わったその時でさえも、そこに戻りたいとは思わない。
もしもう一度その気分を味わえるチャンスがあるなら、その時はその人と再会させてください、と本心はそっちにある。
過去はいくら振り返っても、どんなに色んな気持ちで満たされても、もう一度は体験できない。
私にあるのは今と未来だから、その今や未来に奇跡が起きたらいい。
奇跡が起きて欲しい。
終わるんだな、寂しいなぁと思いながら、あと残り2つ?書き上げる。
このシリーズ、いつも最後の終わり方に迷う。
何て書くのがいいのかわからなくて、しばし悩んでアップしたのもあるし、後から付け足してからアップしたのもある。
1つ前のつぶやきの最後は、一度アップした後に言葉を足した。
その言葉どうなの?と思いつつ、でもあれは車の中で出てきたことでずっと脳裏に焼き付いていたから、やっぱり載せようとそこだけ足して入れ替えた。
まるでその時だけ出てきた言葉みたいだけど、本当はこれ書いている間中ずっとずっとその感覚だった。
どの言葉を吐き出す時も、根底はその気持ちでいっぱいなんだと自分ですこーしだけ認めてみる。
今ボヤいて良かった。
ノートに書いたことで転記してないものがあることに気付いた。
絶対に入れようと思っていたのに忘れてた…。
それは最後のものに書こう。
キーワードは「愛おしい」。
振り返りノート>奇跡の出逢い
・伝えたい衝動
・想いを伝える世界
・その世界に生きている
生きて会えることの不思議を思う。
今の私の心情として、伝えるだけ伝えて、それでも何も起こらないなら、もうこのバラバラの人生を送ることが正解なんだろうと思っている。
もちろん相手の意志がある。
それはわからないけれど、人生の計画にないことは私の場合は何をどうやったって叶わない。
普通には有り得ないこともたくさん起こる代わりに、起こってはいけないことは私の個人の希望なんて関係なく、容赦ない現実が目の前に現れる。
だからその人とは出逢うだけ、がもしかしたら人生の計画だったのかもしれない。
それは死ぬまでわからない。
その人と出逢えたことで、自分の人生の中で一番大きかったことは、自分の人生の流れを信用できるようになったこと。
いくら到底理解の及ばないことが起こっていても、それは次なる素敵な目的地へ向かうための道しるべだと知った。
上手くいかないことが正解だと知ったのもその人に出逢えたから。
日記の中で私は過去の選択が上手く運ばなかったことたちを挙げて、そして最後に一言「上手くいかなくて良かった」と書いていた。
上手くいっていたのなら、私は今頃全く別の人生の上に立っていた。
上手く生きられない自分のもどかしさも半端なかったし、周りからはさらに理解されないことだらけだった。
それでも、その人に出逢えた時に、本当に過去の全部が癒された。
上手くいってはいけなかったことを知った。
はたから見た私の人生は、ブラック企業に採用とか、不当な事業解散とか、行き当たりばったりな職業選択とか、意味不明な職場内での嫌がらせとか、明るいものではない。
ダメンズと付き合うとか、好きな人とは一緒になれないとか、パートナーシップもハードな様相を呈している。
もちろんそんな風になっても、私には笑う時間も楽しい時間も満たされた時間も色々ある。
でも、やっぱり自分の不器用な生き方はどこか間違っている気がしていたし、自分の人生の選択も間違えていたのかと思うことも度々、いやかなりな回数あった。
そういうのは全部本人の思い癖や思考による、なんて言われてしまうと、私にはその言葉がさらに凶器にしかならなかった。
一生懸命生きてるつもりなんだけどなぁと思っていた。
だけど、その人に出逢えた時に、過去の全部が丸っとAll OKになった。
2018.10.13(土) 23:02
その人と出逢うには、色んな不毛なこと、自分の意とは全く違うこと、自分個人の力ではどうにもならなかった出来事たち、それら全部が必要だった。
渦中はありがたさのかけらもなかったけれど、むしろ避けられるのであれば全力で避けて通りたかったけれど、もう今となればそれら全てがあってこその出逢いだったから、そのおかげで全ての過去が「◯」になった。
今だったらユーモア交えて話せるけれど、職場の中で仕事に絶対に必要、むしろ紛失したら始末書レベルじゃなく上層部行き対応必須のものを隠された時は、何かと思った。
(数日生きた心地がしなかった。
しかも個人情報だから、書類関係はすべて二重三重に管理されるセキュリティ体制で紛失することは状況的にありえなかった。)
それだけではなかったけれど、そのレベルまでになるともう私もそこまでされて職場に残るなんてできなかったわけで、それで契約更新を断った。
その後もよく考えたらおかしくて、辞めた後に次の派遣の仕事を探したら、派遣の仕事で職場まで足を運んで落とされたところが2ヶ所あった。
しかも2つとも半分内定が出ていたようで、派遣会社の担当者たちからも「うちとしても話が違っていて、どういう事情なのかわかりません」的な説明をされた。
うち1つは急募案件。
基本的に情報は開示することを徹底していた派遣会社だから、派遣会社の人たちも嘘やごまかしといった感じはなく、本気で「どうしたんでしょうね」という感じだった。
ちなみにその人の後輩くんが教えてくれたけれど、派遣社員を派遣先の会社が受け入れる時、基本的に職場見学まで進んだのなら派遣先の会社は法律上断ってはいけないらしい。
(それで後輩くん困ったことになって、私に話を振ってきた。結局、後輩くんが何もすることなく、相手の方から断ってくれて事無きを得ていた。そしてその後もっと可愛い子が入ってきた!)
要は派遣会社と派遣先の会社の間で内々定的な感じにはなっていて、最後に確認するために職場見学というのが本来の流れらしい。
たしかに、職場見学の前に社内選考もあるし、社内選考後も派遣会社側から派遣先に派遣社員の履歴・経歴書が送られて、それでまずは書類選考的なものもある(←この時は断っても問題ないはず)。
そこで合意が得られると、初めて職場見学に行くことになる。
だから内々定的な感じで話が進んでいたのは間違いないと思う。
そんな風だったから、普通は有り得ないことが何だか知らないけれど起こっていた。
しかも、当時は私は何があっても名古屋に残らないといけない事情があった。
仕事ではない個人的な活動で私はある契約を結んだ。
その契約の打ち合わせや形にしていくための作業の関係で、名古屋に住むことはある意味必須だった。
契約先からも契約前にそれは言われていた。
なのに仕事は決まらないし、よくわからないことは起こるし、一応手は尽くすけど、どうにもならない…、本気で四方八方塞がりだった。
仕事も契約もお金もわけのわからない状況を生み出して(お金は私側の管理不行き届きにしても)、それで最終的に親を頼って新潟に帰る決断になった。
これは私の持論だけど、魂絡みのことになると、そういうわけのわからない状況もいくらでも生み出されると思う。
普通にありえないことが有り得てしまう。
要はそこまでの出来事が引き起こされてまで、魂の願いが叶えられる、そういう力を持っているんじゃないかと思う。
だって、新潟に帰ってきてから就いた仕事が当時の名古屋での仕事なら、私は仕事も絶対に自ら辞めなかったし、契約の方も順調に進んだと断言できる。
当然当時は何も知らなかったわけで、何で新潟に帰るかな…と思いながら新潟に戻った。
そうしたことたちは私の中で長いこと解せなかったし、自分の何が悪くてそんなことになってるのかもわからなかったから、気をつけようがなかった。
それらを経てのその人との出逢いだった。
魂がどんなことをしてでも引き合わせたかった、私側の魂がその人に会いたくてたまらなかったんだろうなぁ…と思う。
魂はついでの話だけれど、仮にそんな空想めいた話は本当に私の単なる妄想だったとしても、その人に出逢えたことで私が自分の人生を肯定できて、人生の流れを心から信じられるようになったことには変わりない。
そして、それはあくまでも副産物で、何がどうであってもその人に出逢えたことは本当の本当に良かった。
出逢えたことで得た副産物がなくても、その人に出逢えて良かった。
その人との出逢いは、もう言葉では語り尽くせない、何か根底から生まれ変わるんじゃないかというような威力があった。
余談だけれど、その人の発言は遠くにいてもものすごい威力で私の元へ届いた。
「爆破」という言葉がぴったりなぐらい。
その可愛い子が新しく入ってきた時のこと(本当に可愛い子でそして性格もめちゃくちゃ良い子だった。後輩くんが懇切丁寧に対応してるのもわかるぐらい。本人に指摘したら、そういう意味できちんと教えてるわけじゃないと反論されたけれど)。
Sさんが可愛い子が来たというのをその人にLINEしたらしい。
もちろんLINEしたなんて私は知らなかった。
私が受けた要らぬ報告は、その人が即反応して返ってきた返事の内容のところからだった。
本当に秘密兵器並みの爆薬で、私は本気で泣きそうになりながらも元来の上手に立ち回る営業用の顔を出して、その話を一緒に笑い飛ばしたフリをした。
そんなのいなくなってから半年も後のことで、なのにそんなにも威力があって本当に参った。
劇薬的な威力は、距離も時間も関係ないんだな…と思った。
そして私が本当の本当に嫌だったのは、そのやり取りや可愛い子に反応してるその人ではなくて(それも嫌だったけれど)、全然知らない子で可愛いなら会いたいと冗談でも言ってもらえることだった。
私の場合は冗談で済まされなかったにしても、本当に久しぶりに予期せぬところから爆弾投下がされた…。
書いてたら思い出して涙が出てきたからやめよう、この話。
関係ないけれど、昨日の夜気付いた。
その人が異動になったとされる先の最寄り駅は妹夫婦が10年近く住んでいた沿線上だというのはいつだったか気付いた。
それにも気付いた当初驚いたけれど、昨日の夜に気付いたことはもっと驚いた。
妹は私がわかりやすいようにちょっとだけ遠くなる方のわりかし大きな駅で降りることを教えてくれてたけれど、実は最寄駅はそこじゃなかった。
妹と一緒に電車に乗るなら、最寄駅は別で、そしてその最寄駅をひらがなにするとその人の名前が入っている…ということに昨日の夜気付いた。
何でそんなにも偶然が重なるかな…と思いながら笑いそうになった。
ちなみに妹たちがそこに住んだのは、義弟の職場の関係だった。
パン職人の義弟の職場はそこから夜中の2時でも自転車、最悪徒歩でも行けるところにあった。
世の中にこんなにもたくさんのパン屋さんがある中で、義弟が専門学校卒業後に長く勤めたのがそこだった。
だから妹もそれに合わせてそこに引っ越した。
そんなのもう私が手が出せる範囲はとっくに超えてる。
偶然と片付けることもできる。
でもそんなことのオンパレードだから、それも多分必然だったんだろうなぁと思う。
私が自分で気付けるように、じゃないと自分の勘違い片想いで片付けかねなかったから、あえてわかるようになっていたのかな…と。
日本国内にいくつの駅が存在するのか知らないけれど、そんなにピンポイントで何かが合致するなんて早々有り得ない。
もう私は勘違いだとは思っていない。
本当にそれだけ突き付けられて、自分でも色んなことに気付いて、さらにはありとあらゆることたちが寸分の狂いもなく起こっていたとわかるから。
しかも相手側の転勤もそこにプラスαできちんと組み込まれないといけない。
その会社の転勤がどうやって決められているのか知らないけれど、場所や時期だって外してはいけない。
きちんと新潟県で時期も2017年にかぶるようにしてもらわないといけない。
それぐらい、個人の意思では動かせないことたちばかりが重なって起きた出逢いだったから、私は出逢うことが予定されていた人だと思っている。
だからその人との出逢いは奇跡そのものだった。
・想いを伝える世界
・その世界に生きている
生きて会えることの不思議を思う。
今の私の心情として、伝えるだけ伝えて、それでも何も起こらないなら、もうこのバラバラの人生を送ることが正解なんだろうと思っている。
もちろん相手の意志がある。
それはわからないけれど、人生の計画にないことは私の場合は何をどうやったって叶わない。
普通には有り得ないこともたくさん起こる代わりに、起こってはいけないことは私の個人の希望なんて関係なく、容赦ない現実が目の前に現れる。
だからその人とは出逢うだけ、がもしかしたら人生の計画だったのかもしれない。
それは死ぬまでわからない。
その人と出逢えたことで、自分の人生の中で一番大きかったことは、自分の人生の流れを信用できるようになったこと。
いくら到底理解の及ばないことが起こっていても、それは次なる素敵な目的地へ向かうための道しるべだと知った。
上手くいかないことが正解だと知ったのもその人に出逢えたから。
日記の中で私は過去の選択が上手く運ばなかったことたちを挙げて、そして最後に一言「上手くいかなくて良かった」と書いていた。
上手くいっていたのなら、私は今頃全く別の人生の上に立っていた。
上手く生きられない自分のもどかしさも半端なかったし、周りからはさらに理解されないことだらけだった。
それでも、その人に出逢えた時に、本当に過去の全部が癒された。
上手くいってはいけなかったことを知った。
はたから見た私の人生は、ブラック企業に採用とか、不当な事業解散とか、行き当たりばったりな職業選択とか、意味不明な職場内での嫌がらせとか、明るいものではない。
ダメンズと付き合うとか、好きな人とは一緒になれないとか、パートナーシップもハードな様相を呈している。
もちろんそんな風になっても、私には笑う時間も楽しい時間も満たされた時間も色々ある。
でも、やっぱり自分の不器用な生き方はどこか間違っている気がしていたし、自分の人生の選択も間違えていたのかと思うことも度々、いやかなりな回数あった。
そういうのは全部本人の思い癖や思考による、なんて言われてしまうと、私にはその言葉がさらに凶器にしかならなかった。
一生懸命生きてるつもりなんだけどなぁと思っていた。
だけど、その人に出逢えた時に、過去の全部が丸っとAll OKになった。
2018.10.13(土) 23:02
その人と出逢うには、色んな不毛なこと、自分の意とは全く違うこと、自分個人の力ではどうにもならなかった出来事たち、それら全部が必要だった。
渦中はありがたさのかけらもなかったけれど、むしろ避けられるのであれば全力で避けて通りたかったけれど、もう今となればそれら全てがあってこその出逢いだったから、そのおかげで全ての過去が「◯」になった。
今だったらユーモア交えて話せるけれど、職場の中で仕事に絶対に必要、むしろ紛失したら始末書レベルじゃなく上層部行き対応必須のものを隠された時は、何かと思った。
(数日生きた心地がしなかった。
しかも個人情報だから、書類関係はすべて二重三重に管理されるセキュリティ体制で紛失することは状況的にありえなかった。)
それだけではなかったけれど、そのレベルまでになるともう私もそこまでされて職場に残るなんてできなかったわけで、それで契約更新を断った。
その後もよく考えたらおかしくて、辞めた後に次の派遣の仕事を探したら、派遣の仕事で職場まで足を運んで落とされたところが2ヶ所あった。
しかも2つとも半分内定が出ていたようで、派遣会社の担当者たちからも「うちとしても話が違っていて、どういう事情なのかわかりません」的な説明をされた。
うち1つは急募案件。
基本的に情報は開示することを徹底していた派遣会社だから、派遣会社の人たちも嘘やごまかしといった感じはなく、本気で「どうしたんでしょうね」という感じだった。
ちなみにその人の後輩くんが教えてくれたけれど、派遣社員を派遣先の会社が受け入れる時、基本的に職場見学まで進んだのなら派遣先の会社は法律上断ってはいけないらしい。
(それで後輩くん困ったことになって、私に話を振ってきた。結局、後輩くんが何もすることなく、相手の方から断ってくれて事無きを得ていた。そしてその後もっと可愛い子が入ってきた!)
要は派遣会社と派遣先の会社の間で内々定的な感じにはなっていて、最後に確認するために職場見学というのが本来の流れらしい。
たしかに、職場見学の前に社内選考もあるし、社内選考後も派遣会社側から派遣先に派遣社員の履歴・経歴書が送られて、それでまずは書類選考的なものもある(←この時は断っても問題ないはず)。
そこで合意が得られると、初めて職場見学に行くことになる。
だから内々定的な感じで話が進んでいたのは間違いないと思う。
そんな風だったから、普通は有り得ないことが何だか知らないけれど起こっていた。
しかも、当時は私は何があっても名古屋に残らないといけない事情があった。
仕事ではない個人的な活動で私はある契約を結んだ。
その契約の打ち合わせや形にしていくための作業の関係で、名古屋に住むことはある意味必須だった。
契約先からも契約前にそれは言われていた。
なのに仕事は決まらないし、よくわからないことは起こるし、一応手は尽くすけど、どうにもならない…、本気で四方八方塞がりだった。
仕事も契約もお金もわけのわからない状況を生み出して(お金は私側の管理不行き届きにしても)、それで最終的に親を頼って新潟に帰る決断になった。
これは私の持論だけど、魂絡みのことになると、そういうわけのわからない状況もいくらでも生み出されると思う。
普通にありえないことが有り得てしまう。
要はそこまでの出来事が引き起こされてまで、魂の願いが叶えられる、そういう力を持っているんじゃないかと思う。
だって、新潟に帰ってきてから就いた仕事が当時の名古屋での仕事なら、私は仕事も絶対に自ら辞めなかったし、契約の方も順調に進んだと断言できる。
当然当時は何も知らなかったわけで、何で新潟に帰るかな…と思いながら新潟に戻った。
そうしたことたちは私の中で長いこと解せなかったし、自分の何が悪くてそんなことになってるのかもわからなかったから、気をつけようがなかった。
それらを経てのその人との出逢いだった。
魂がどんなことをしてでも引き合わせたかった、私側の魂がその人に会いたくてたまらなかったんだろうなぁ…と思う。
魂はついでの話だけれど、仮にそんな空想めいた話は本当に私の単なる妄想だったとしても、その人に出逢えたことで私が自分の人生を肯定できて、人生の流れを心から信じられるようになったことには変わりない。
そして、それはあくまでも副産物で、何がどうであってもその人に出逢えたことは本当の本当に良かった。
出逢えたことで得た副産物がなくても、その人に出逢えて良かった。
その人との出逢いは、もう言葉では語り尽くせない、何か根底から生まれ変わるんじゃないかというような威力があった。
余談だけれど、その人の発言は遠くにいてもものすごい威力で私の元へ届いた。
「爆破」という言葉がぴったりなぐらい。
その可愛い子が新しく入ってきた時のこと(本当に可愛い子でそして性格もめちゃくちゃ良い子だった。後輩くんが懇切丁寧に対応してるのもわかるぐらい。本人に指摘したら、そういう意味できちんと教えてるわけじゃないと反論されたけれど)。
Sさんが可愛い子が来たというのをその人にLINEしたらしい。
もちろんLINEしたなんて私は知らなかった。
私が受けた要らぬ報告は、その人が即反応して返ってきた返事の内容のところからだった。
本当に秘密兵器並みの爆薬で、私は本気で泣きそうになりながらも元来の上手に立ち回る営業用の顔を出して、その話を一緒に笑い飛ばしたフリをした。
そんなのいなくなってから半年も後のことで、なのにそんなにも威力があって本当に参った。
劇薬的な威力は、距離も時間も関係ないんだな…と思った。
そして私が本当の本当に嫌だったのは、そのやり取りや可愛い子に反応してるその人ではなくて(それも嫌だったけれど)、全然知らない子で可愛いなら会いたいと冗談でも言ってもらえることだった。
私の場合は冗談で済まされなかったにしても、本当に久しぶりに予期せぬところから爆弾投下がされた…。
書いてたら思い出して涙が出てきたからやめよう、この話。
関係ないけれど、昨日の夜気付いた。
その人が異動になったとされる先の最寄り駅は妹夫婦が10年近く住んでいた沿線上だというのはいつだったか気付いた。
それにも気付いた当初驚いたけれど、昨日の夜に気付いたことはもっと驚いた。
妹は私がわかりやすいようにちょっとだけ遠くなる方のわりかし大きな駅で降りることを教えてくれてたけれど、実は最寄駅はそこじゃなかった。
妹と一緒に電車に乗るなら、最寄駅は別で、そしてその最寄駅をひらがなにするとその人の名前が入っている…ということに昨日の夜気付いた。
何でそんなにも偶然が重なるかな…と思いながら笑いそうになった。
ちなみに妹たちがそこに住んだのは、義弟の職場の関係だった。
パン職人の義弟の職場はそこから夜中の2時でも自転車、最悪徒歩でも行けるところにあった。
世の中にこんなにもたくさんのパン屋さんがある中で、義弟が専門学校卒業後に長く勤めたのがそこだった。
だから妹もそれに合わせてそこに引っ越した。
そんなのもう私が手が出せる範囲はとっくに超えてる。
偶然と片付けることもできる。
でもそんなことのオンパレードだから、それも多分必然だったんだろうなぁと思う。
私が自分で気付けるように、じゃないと自分の勘違い片想いで片付けかねなかったから、あえてわかるようになっていたのかな…と。
日本国内にいくつの駅が存在するのか知らないけれど、そんなにピンポイントで何かが合致するなんて早々有り得ない。
もう私は勘違いだとは思っていない。
本当にそれだけ突き付けられて、自分でも色んなことに気付いて、さらにはありとあらゆることたちが寸分の狂いもなく起こっていたとわかるから。
しかも相手側の転勤もそこにプラスαできちんと組み込まれないといけない。
その会社の転勤がどうやって決められているのか知らないけれど、場所や時期だって外してはいけない。
きちんと新潟県で時期も2017年にかぶるようにしてもらわないといけない。
それぐらい、個人の意思では動かせないことたちばかりが重なって起きた出逢いだったから、私は出逢うことが予定されていた人だと思っている。
だからその人との出逢いは奇跡そのものだった。
2018年10月22日月曜日
振り返りノート#つぶやき7
2018年10月20日(土)
>>>振り返りリスト
・生きる喜びだけじゃなく生きる楽しみを持つことがもたらされた
⇒これは最後の締めでもっと言葉足して書く予定
・またいつか書きたくなったら書く
終わりと決めるとちょっと苦しくなる
⇒本当は、この振り返りノートシリーズを書き終えたら、二度とその人のことは書かないつもりでいた。
だけど、それだとまた書きたくなったらバツが悪いから、一応(仮)で一旦は終わらせるけれど、絶対に書かない!ってしなくてもいいかなと。
・いつもその人が自分の中にはいて、それを否定したりおかしいと非難した瞬間も数え切れないぐらいにあったけれど、私は基本的にすごくしあわせだった。
そして思い出す度に癒しや幸福感をもらい続けた。
私はとってもしあわせだったと言い切れる。
⇒これは今回改めて思ったこと。否定した時も、悲しかった瞬間を思い出した時も、どんな時でも幸福感があった。
・うまくいけば良かった。でもうまくいかなくてもそれが全部ダメなんてことは全くなくて、むしろうまくいかなかったからこその経験をたくさんできた。
その人を知っている世界の方が、たとえ色んな悲しみや寂しさがセットでも、うんと良かった。
⇒大げさではなく、その人が人生に登場したことで、世界の色が変わった。
同じ場所で同じことをしていても、私の目に映るものは全く別物になった。
夜寝る前に「今日も1日良かった」と枕の上で思い、朝起きて一番に「今日も朝が来て嬉しい」と思いながら目覚めた。
悲しい瞬間も気まずい瞬間も、それでもその人が生きている世界の中に全てはあったから、私の中は常に満たされていた。
それが全部悲しみだったとしても、誰かと出逢わなければ持つことのできないものたちばかりだった。
2018年10月21日(日)月がキレイな夕方
>>>つぶやき
本格的に振り返りノートを始めたのが1週間前の土曜日だった。
たしかその頃、私は闘病日記のブログを何人か立て続けに読んだ。
ちょうど亡くなったばかりの人もいたし、1年前に亡くなって今遺族が振り返りとして書いていた人もいたし、もう終わりが近い本人が書いているものもあった。
どの人たちからも生きたくても生きられない、必ず終わりがあることを示されていた。
今日でおじが亡くなって丁度1年になる。
母はありとあらゆる日を忘れる人だけれど、今朝「兄が亡くなって今日で1年」と私に言った。
先日、母の妹弟たちが我が家に集結した時に、生前に言えなかった言葉を互いに言う兄弟たちの姿があった。
死んだらこういう話し合いには加われないんだな…と他人事のような気持ちで見ていた。
だから今書けることを書こう!なんてなったのとは違う。
闘病日記のブログもおじの死も何かしら大切なことを伝えてくれたけれど、決定的なこととは違っていた。
やっぱりこの振り返りの一番の原動力はその人の存在そのものだったと思っている。
「伝えたい」その気持ちだけで書いていた。
何にもならない可能性が非常に高いし、本当に単なる独り言みたいなもので、必要かどうかなんてのはわからない。
でも、
必要だからするとか、
お金になるからするとか、
自分や誰かのためになるからするとか、
生産性があるからするとか、
そういうことじゃない。
そんな感じのものとは全く別の次元でこの振り返りノートは展開している。
そして常々言葉の用意はしていないのに、いくらでも書ける。
書いても書かなくてもいいもの、だけど私が書きたいから書く。
究極のわがままがまかり通るものだった。
そしてどこまでも自分の気持ちに従って書けたから、とても純粋なものに仕上がったとも思っている。
この振り返りノートを書いていた時間、私は心から安心しきっていた。
子どもの頃から「ホッとする」とか「安心する」とかいう感覚を持ちづらかった、ましてや自分の心にあるものを吐き出す時はもっとドギマギして落ち着かない私が、この振り返りノートを書いている間中、ずっと安心していた。
安心しきって、自分の心に集中して、そして自分の中にある言葉に耳を傾けた。
それはその人の存在がもたらしてくれるマジックだと私は思っている。
2018年10月22日(月)
・その人のことに関して、悩みや心配からは完全に解放されてる。
その人をごはんに誘おうかな…という素敵な悩みもない代わりに、重大で気が重苦しくなるような悩みも全くない。
心配もない。
その2つから解放されてるだけで、どれだけ心が自由なんだろうと感じる。
おかげで、心は色々素直に感じることができる。
・過去に飛んでも心はいつも安全で、そして満たされている。
悲しかった瞬間さえも、今思い出すと心は満たされる。
・傷はない。
よく考えたら、どんなに冷たかったその人を前にしても、たしかに心は複雑骨折並みにボキボキと折れまくったけれど、その人に傷付けられたとは一度も思ったことがない。
私はその人を通じて色んなものをもらったけれど、傷だけはもらっていない。
あるのは
一緒にいられない痛み
一緒にいられない寂しさ
一緒にいられない悲しさ
一緒にいられない切なさ
・寂しさ・悲しさ・切なさは、「愛おしい」の別の表現だと思う。
愛おしいから寂しい。
愛おしいから悲しい。
愛おしいから切ない。
>>>振り返りリスト
・生きる喜びだけじゃなく生きる楽しみを持つことがもたらされた
⇒これは最後の締めでもっと言葉足して書く予定
・またいつか書きたくなったら書く
終わりと決めるとちょっと苦しくなる
⇒本当は、この振り返りノートシリーズを書き終えたら、二度とその人のことは書かないつもりでいた。
だけど、それだとまた書きたくなったらバツが悪いから、一応(仮)で一旦は終わらせるけれど、絶対に書かない!ってしなくてもいいかなと。
・いつもその人が自分の中にはいて、それを否定したりおかしいと非難した瞬間も数え切れないぐらいにあったけれど、私は基本的にすごくしあわせだった。
そして思い出す度に癒しや幸福感をもらい続けた。
私はとってもしあわせだったと言い切れる。
⇒これは今回改めて思ったこと。否定した時も、悲しかった瞬間を思い出した時も、どんな時でも幸福感があった。
・うまくいけば良かった。でもうまくいかなくてもそれが全部ダメなんてことは全くなくて、むしろうまくいかなかったからこその経験をたくさんできた。
その人を知っている世界の方が、たとえ色んな悲しみや寂しさがセットでも、うんと良かった。
⇒大げさではなく、その人が人生に登場したことで、世界の色が変わった。
同じ場所で同じことをしていても、私の目に映るものは全く別物になった。
夜寝る前に「今日も1日良かった」と枕の上で思い、朝起きて一番に「今日も朝が来て嬉しい」と思いながら目覚めた。
悲しい瞬間も気まずい瞬間も、それでもその人が生きている世界の中に全てはあったから、私の中は常に満たされていた。
それが全部悲しみだったとしても、誰かと出逢わなければ持つことのできないものたちばかりだった。
2018年10月21日(日)月がキレイな夕方
>>>つぶやき
本格的に振り返りノートを始めたのが1週間前の土曜日だった。
たしかその頃、私は闘病日記のブログを何人か立て続けに読んだ。
ちょうど亡くなったばかりの人もいたし、1年前に亡くなって今遺族が振り返りとして書いていた人もいたし、もう終わりが近い本人が書いているものもあった。
どの人たちからも生きたくても生きられない、必ず終わりがあることを示されていた。
今日でおじが亡くなって丁度1年になる。
母はありとあらゆる日を忘れる人だけれど、今朝「兄が亡くなって今日で1年」と私に言った。
先日、母の妹弟たちが我が家に集結した時に、生前に言えなかった言葉を互いに言う兄弟たちの姿があった。
死んだらこういう話し合いには加われないんだな…と他人事のような気持ちで見ていた。
だから今書けることを書こう!なんてなったのとは違う。
闘病日記のブログもおじの死も何かしら大切なことを伝えてくれたけれど、決定的なこととは違っていた。
やっぱりこの振り返りの一番の原動力はその人の存在そのものだったと思っている。
「伝えたい」その気持ちだけで書いていた。
何にもならない可能性が非常に高いし、本当に単なる独り言みたいなもので、必要かどうかなんてのはわからない。
でも、
必要だからするとか、
お金になるからするとか、
自分や誰かのためになるからするとか、
生産性があるからするとか、
そういうことじゃない。
そんな感じのものとは全く別の次元でこの振り返りノートは展開している。
そして常々言葉の用意はしていないのに、いくらでも書ける。
書いても書かなくてもいいもの、だけど私が書きたいから書く。
究極のわがままがまかり通るものだった。
そしてどこまでも自分の気持ちに従って書けたから、とても純粋なものに仕上がったとも思っている。
この振り返りノートを書いていた時間、私は心から安心しきっていた。
子どもの頃から「ホッとする」とか「安心する」とかいう感覚を持ちづらかった、ましてや自分の心にあるものを吐き出す時はもっとドギマギして落ち着かない私が、この振り返りノートを書いている間中、ずっと安心していた。
安心しきって、自分の心に集中して、そして自分の中にある言葉に耳を傾けた。
それはその人の存在がもたらしてくれるマジックだと私は思っている。
2018年10月22日(月)
・その人のことに関して、悩みや心配からは完全に解放されてる。
その人をごはんに誘おうかな…という素敵な悩みもない代わりに、重大で気が重苦しくなるような悩みも全くない。
心配もない。
その2つから解放されてるだけで、どれだけ心が自由なんだろうと感じる。
おかげで、心は色々素直に感じることができる。
・過去に飛んでも心はいつも安全で、そして満たされている。
悲しかった瞬間さえも、今思い出すと心は満たされる。
・傷はない。
よく考えたら、どんなに冷たかったその人を前にしても、たしかに心は複雑骨折並みにボキボキと折れまくったけれど、その人に傷付けられたとは一度も思ったことがない。
私はその人を通じて色んなものをもらったけれど、傷だけはもらっていない。
あるのは
一緒にいられない痛み
一緒にいられない寂しさ
一緒にいられない悲しさ
一緒にいられない切なさ
・寂しさ・悲しさ・切なさは、「愛おしい」の別の表現だと思う。
愛おしいから寂しい。
愛おしいから悲しい。
愛おしいから切ない。
2018年10月21日日曜日
振り返りノート☆祝福
これはずっと書きたいと思っていたこと。
その人と出逢ってから、その人も私もお互い元気で毎日会えるだけで「生きる喜び」を感じていた、そのことはこのブログでも何回か書いた。
それとは別にすごく貴重な喜びの体験をしたから、今日はそれについて書きたい。
去年の夏は結婚式があったおかげで、何人もの友達と再会することができた。
それとは別に、結婚式以外で会った友達、お盆の時に会ったお世話になっている年上の友達、20年来の心友、そして数ヶ月前にあった大阪地震で連絡がついた友達、その人たち全員からもらったものがある。
どの人も全員、私のこのよくわからない片想いのような状況を心底喜んでくれた。
御年38歳、今年に至っては39歳の時に、なんと「いい人に出逢えた!」と言うだけで、私はどれだけの祝福を受けたことだろう。
今指折り数えたら9人!
いい年した独身女が、「彼氏ができた!」とか「結婚を前提として付き合ってる人がいる!」ではなく、なんなら「好きな人がいる」でもなく(←こういう言葉のニュアンス的なところは頑固だから、絶対にその言葉を使わない)、「いいなと思う人がいる」と報告するだけで、本気の祝福を受ける、というすごいおめでたい事態に見舞われた。
それを言うだけで、あんなにも周りの人たちがニコニコしてくれるなんて前代未聞の体験だった。
しかも、20年来の心友と大阪の友達に報告した時は、すでに何もかもが上手くいかなかった時で、全く明るい話ではなかった。
なのにものすごく喜んでくれた。
これまでに体験したことのないもので、私は本筋は全く望まぬ結果でも、それ以外の部分ではものすごく祝福を受けた。
しかもそのうちの4人は男性だけど、男友達の方が私の計画に対してとても優しかった。
私を常にからかってばかりいる人たちが、その時だけは真面目に話を聞いてくれて一緒に考えてもくれた。
小さなメモを使って誘い出そうかと考えてると言った時、女友達2人から「それ重たい」とか「今どきじゃない」とかまぁかなりボロクソに言われた。
反対に、男友達は1人もそんな風に言わなかった。
状況が状況だったから仕方ないとも言わず、それいいかもじゃないけれど、そっと背中を後押ししてくれるような言い方をしてくれた。
普段とは打って変わって、みんな本当に優しくて感動した。
(普段は優しさより私をからかうことに力を入れていて、そういう優しさに触れる場面がこれまでなかったから知らなかった。でも基本的にみんな心根の優しい人たちばかりだと感じている)
なんなら友達の1人は、旦那さんにまで聞いてくれて、男の人の意見はこうだったよー!とまで教えてくれた。
私の人柄が良いからとかではなく、本当に周りの人たちに恵まれていたということをものすごく感じた。
しかも、結婚とかじゃない。
まだどうなるかもわからないそんな時に、周りの人たちは祝福してくれた。
私はまさか38歳でそんな体験ができるとも知らず、本当に感動しまくりだった。
しかもそのうちの2人はその後どうなった?と私に聞いてきた。
聞いてきた1人は男友達だったけれど、本当にそれを聞くためだけに連絡をくれた気がする。
結婚式の翌日、男友達2人と私とで散策をした。
そう言うととても華やかな感じかもしれないけれど、実際は全く違っていて、朝の移動中の電車の中で2人はいつかの札幌のすすきの旅行について語り出し、お酒も何も入ってないシラフな状態で下ネタ全開の話を始めた(田舎にあるタイプの向かい合う座席だった)。
移動の車中はずっとすすきの話だった。
門司港に行くためにフェリーに乗った時、私は日傘を差して着席した。
それだけでセレブッシーなどと呼ばれ、写真も撮られ、どれだけその人たちの中の私は女子力低いことになっているんだろう…と思いつつ、旅は続いた。
途中で1人は先に帰り、もう1人と私はまたもやぷらぷら散歩した。
途中、多分地元では有名な神社に行って、私はそこで人生で初めて「恋みくじ」なるものを引いた。
何種類かおみくじがあって、私は普段ならレギュラーなありきたりのものしか引かない。
だけど、その時はその恋みくじの紙人形みたいなのとカチッと目が合って、それに引き寄せられるように引いた。
大吉が出ておめでたいくじだけではなく、内容が良かった。
「神に感謝したくなる」ような出逢いだと出ていた。
うん、うん、そうそう!まさにそういう出逢い!と思いながら、読んだ後はそっとカバンにしまった。
友達は気付いていたと思うけれど、黙っていてくれた。
その友達にはその2週間か3週間後、私が手紙が長くなってどうしよう…とラインした時に、私の書きたいように書けばいい、と後押ししてくれた友達だった。
九州から東京に戻った後、そこでも友達の家に泊まらせてもらった。
着いた日は神楽坂のオシャレ割烹みたいなお店で女子会を開催してくれ、翌日はわざわざ休みを取ってくれて友達と2人で面白いことをした。
女子会の時、うちらの隣りの席の3人組が実は独身の年頃息子と両親という組み合わせで、母親はいつなら見合い話を持ってきていいの?みたいな緊迫した会話だったらしい。
私は後から着いたから全く知らなくて、その後うちら4人はそんなシリアストークな親子の隣りで、婚活とかの爆裂トークをしていた。
私以外の3人は可愛いか綺麗のどちらかでモテ子たち、尚且つ超仕事ができるキャリアウーマンたちで、そんな人たちが繰り広げるぶっちゃけトークの隣りでそんなシリアスな話をしていたとは。
その事情を最初から見て知っていた子は「でも、あの男の人からしたら良かったと思うよ〜!だってご両親は頭の固い古い考え方で、でも息子はそうじゃないから、息子の話だけでは全然説得力なくても、すぐ隣りの同じぐらいの年の女の人たちがあれだけぶっちゃけた話をしてたら、両親はドン引きでもあの人は良かったんじゃない?」などと言っていた。
まだ結婚相手すらいない時から、式に誰を呼ぶだのという話にまでなっていたらしい!
ちなみにその時私は、新潟で行った婚活イベントの話をした、あまりにおかしかった婚活パーティーの例として。
その時は全く気付いていなかったけれど、その2〜3ヶ月後にその時のことを思い出して「楽しかったなぁ♪」なんて回想していた時に、一気に色んなことが繋がった。
その婚活イベントの日に、迷子になってその未来の職場に行き着いたこととか。
まさかその人に出逢う前にその出逢いの場に自ら赴いていたなんて、その神楽坂女子会がなければ気付けなかったかもしれない。
記憶がかなり怪しくなってきたけれど、その神楽坂女子会は後に色んなことが繋がるためのスイッチみたいな役割を果たしてくれたものだったことは間違いない。
その翌日は、友達がせっかくだから東京大神宮に行こう!と言った。
そこは恋愛成就の神様として知られてるから、うちらも祈願しに行こう!って。
行ってみて驚いた。
友達がすごい人気のスポットだから!と言っていたけれど、想像以上に凄かった。
平日なのに、年頃の女性がこれでもかと言わんばかりに後を絶たずお参りに来てて、友達なんかは「ここで婚活イベントすれば絶対に人集まるのにね!」とか茶目っ気たっぷりに言った。
中には男性もいて、男性も神頼みしてるのかなとか言いながらしばらく人間観察に励んでた。
ちなみに一緒に行った友達は、今年の夏に連絡をくれて、その時にはいなかった彼氏とその後出逢って、その人と結婚したと教えてくれた。
私の方はおめでたいことにはならなかったけれど、一緒に行った友達はおめでたいことになって、それはそれでとても嬉しかった。
20年来の心友からは手紙をもらった。
その前に私が彼女にオルゴナイトと手紙を出して、その返事と誕生日プレゼントが今年の誕生日以降に届いた。
自分の書いた手紙は手元にないから最初に少しだけ言い訳すると、私は「恋」とは言わなかったと思う。
友達はこんな風に書いてくれた。
「史子の恋、〇〇さんとのこと、何度も読み返したんだけど、私はとてもうらやましく思った。
魂レベルの恋、なんて素敵なんだろうって。
うまくいく、いかないは別としても、そんな気持ちを抱くなんて、その気持ちに気づけるなんて、なんて素晴らしいことなんだろうって思った。
〇〇さんはとても幸せな人だなあ、と。他人にそこまで想われて、うらやましい位、幸せ者。
史子に対しても、純粋にうれしかった。またそんな気持ちになれた、〇〇さんという人からいろんなものを感じて、いろんな気持ちが生まれて、それこそ中学生のようなその気持ちが、私にはすごくうらやましかったんだ。
今の史子は、またさらにかわいくなっているのではないかと想像して、今回はお誕生日プレゼントに、シャネルのグロスを選びました。私も去年かな、友達にシャネルの化粧品をプレゼントでいただいて、私は人生初のシャネルで、なんかありきたりだけど、そして普段私はブランド物には全く興味もないんだけど、それだけはなぜか魔法がかかったみたいに女の子になった気がして、すごくすごく、うれしかったの。もし同じ気持ちになってもらえたら…と思って。」
中学生みたいだと手紙で言ったのは覚えてる。
相手のことを幸せ者だと言ってくれたのは、その友達だけだった。
私でさえそうは思えない、それは今でも思えない。
どこかでごめんなさい、と謝っている自分がいる。
迷惑やら負担やらを与えて申し訳ない気持ちや後ろめたさなんかは、この1年事あるごとに出まくりだったけれど、その人私に想われて幸せだなんて考えたこともなかった。
でも、その友達はその人のことをそんな風に誰かに想われて幸せ者だと言った。
すごい言葉のプレゼントだった。
私本人よりもめちゃくちゃ肯定してくれて、私はその手紙で泣いた。
今も読んでたら涙が出た。
そう言えば、一度だけ私はその人に直接「ごめんなさい」と言った。
本気の罪滅ぼし的な意味で言った。
とっさに出てきた言葉ではあったけれど、言っといて良かった。
今初めてその時のことを思い出したけれど、1回言うだけではとても足りないのは否めなかったけれど、それでも言えて良かった。
心友の幸せ者だという言葉は、そんな私の心の中も救ってくれた。
そして、おかげさまで、私も39歳でシャネルデビューをした!
私もブランド物には興味がないから、自分で買いに行くこともないし、何よりも私はあのデパートの化粧品売り場のにおいがダメで、近寄ることもしない。
だけど、その人の話をしたことで、シャネルのグロス(口紅みたいなの)をプレゼントしてもらえた!
それだけで女子力がめちゃくちゃ上がったような気持ちにさせてもらえた(笑)。
こんな風にして、その人と出逢ったことで私の周りにはハッピーが増えた。
周りの人たちが付き合ってもないのに祝福してくれたり、上手くいかなかったのに私に想われて相手のことを幸せ者だと言ってくれたり。
おめでたいと言えない状況でも私はこれだけたくさんの祝福を受けて、そして人からたくさんの優しさをもらった。
それはその人と出逢うことがなければ、手にすることのなかった贈り物だった。
その人と出逢ってから、その人も私もお互い元気で毎日会えるだけで「生きる喜び」を感じていた、そのことはこのブログでも何回か書いた。
それとは別にすごく貴重な喜びの体験をしたから、今日はそれについて書きたい。
去年の夏は結婚式があったおかげで、何人もの友達と再会することができた。
それとは別に、結婚式以外で会った友達、お盆の時に会ったお世話になっている年上の友達、20年来の心友、そして数ヶ月前にあった大阪地震で連絡がついた友達、その人たち全員からもらったものがある。
どの人も全員、私のこのよくわからない片想いのような状況を心底喜んでくれた。
御年38歳、今年に至っては39歳の時に、なんと「いい人に出逢えた!」と言うだけで、私はどれだけの祝福を受けたことだろう。
今指折り数えたら9人!
いい年した独身女が、「彼氏ができた!」とか「結婚を前提として付き合ってる人がいる!」ではなく、なんなら「好きな人がいる」でもなく(←こういう言葉のニュアンス的なところは頑固だから、絶対にその言葉を使わない)、「いいなと思う人がいる」と報告するだけで、本気の祝福を受ける、というすごいおめでたい事態に見舞われた。
それを言うだけで、あんなにも周りの人たちがニコニコしてくれるなんて前代未聞の体験だった。
しかも、20年来の心友と大阪の友達に報告した時は、すでに何もかもが上手くいかなかった時で、全く明るい話ではなかった。
なのにものすごく喜んでくれた。
これまでに体験したことのないもので、私は本筋は全く望まぬ結果でも、それ以外の部分ではものすごく祝福を受けた。
しかもそのうちの4人は男性だけど、男友達の方が私の計画に対してとても優しかった。
私を常にからかってばかりいる人たちが、その時だけは真面目に話を聞いてくれて一緒に考えてもくれた。
小さなメモを使って誘い出そうかと考えてると言った時、女友達2人から「それ重たい」とか「今どきじゃない」とかまぁかなりボロクソに言われた。
反対に、男友達は1人もそんな風に言わなかった。
状況が状況だったから仕方ないとも言わず、それいいかもじゃないけれど、そっと背中を後押ししてくれるような言い方をしてくれた。
普段とは打って変わって、みんな本当に優しくて感動した。
(普段は優しさより私をからかうことに力を入れていて、そういう優しさに触れる場面がこれまでなかったから知らなかった。でも基本的にみんな心根の優しい人たちばかりだと感じている)
なんなら友達の1人は、旦那さんにまで聞いてくれて、男の人の意見はこうだったよー!とまで教えてくれた。
私の人柄が良いからとかではなく、本当に周りの人たちに恵まれていたということをものすごく感じた。
しかも、結婚とかじゃない。
まだどうなるかもわからないそんな時に、周りの人たちは祝福してくれた。
私はまさか38歳でそんな体験ができるとも知らず、本当に感動しまくりだった。
しかもそのうちの2人はその後どうなった?と私に聞いてきた。
聞いてきた1人は男友達だったけれど、本当にそれを聞くためだけに連絡をくれた気がする。
結婚式の翌日、男友達2人と私とで散策をした。
そう言うととても華やかな感じかもしれないけれど、実際は全く違っていて、朝の移動中の電車の中で2人はいつかの札幌のすすきの旅行について語り出し、お酒も何も入ってないシラフな状態で下ネタ全開の話を始めた(田舎にあるタイプの向かい合う座席だった)。
移動の車中はずっとすすきの話だった。
門司港に行くためにフェリーに乗った時、私は日傘を差して着席した。
それだけでセレブッシーなどと呼ばれ、写真も撮られ、どれだけその人たちの中の私は女子力低いことになっているんだろう…と思いつつ、旅は続いた。
途中で1人は先に帰り、もう1人と私はまたもやぷらぷら散歩した。
途中、多分地元では有名な神社に行って、私はそこで人生で初めて「恋みくじ」なるものを引いた。
何種類かおみくじがあって、私は普段ならレギュラーなありきたりのものしか引かない。
だけど、その時はその恋みくじの紙人形みたいなのとカチッと目が合って、それに引き寄せられるように引いた。
大吉が出ておめでたいくじだけではなく、内容が良かった。
「神に感謝したくなる」ような出逢いだと出ていた。
うん、うん、そうそう!まさにそういう出逢い!と思いながら、読んだ後はそっとカバンにしまった。
友達は気付いていたと思うけれど、黙っていてくれた。
その友達にはその2週間か3週間後、私が手紙が長くなってどうしよう…とラインした時に、私の書きたいように書けばいい、と後押ししてくれた友達だった。
九州から東京に戻った後、そこでも友達の家に泊まらせてもらった。
着いた日は神楽坂のオシャレ割烹みたいなお店で女子会を開催してくれ、翌日はわざわざ休みを取ってくれて友達と2人で面白いことをした。
女子会の時、うちらの隣りの席の3人組が実は独身の年頃息子と両親という組み合わせで、母親はいつなら見合い話を持ってきていいの?みたいな緊迫した会話だったらしい。
私は後から着いたから全く知らなくて、その後うちら4人はそんなシリアストークな親子の隣りで、婚活とかの爆裂トークをしていた。
私以外の3人は可愛いか綺麗のどちらかでモテ子たち、尚且つ超仕事ができるキャリアウーマンたちで、そんな人たちが繰り広げるぶっちゃけトークの隣りでそんなシリアスな話をしていたとは。
その事情を最初から見て知っていた子は「でも、あの男の人からしたら良かったと思うよ〜!だってご両親は頭の固い古い考え方で、でも息子はそうじゃないから、息子の話だけでは全然説得力なくても、すぐ隣りの同じぐらいの年の女の人たちがあれだけぶっちゃけた話をしてたら、両親はドン引きでもあの人は良かったんじゃない?」などと言っていた。
まだ結婚相手すらいない時から、式に誰を呼ぶだのという話にまでなっていたらしい!
ちなみにその時私は、新潟で行った婚活イベントの話をした、あまりにおかしかった婚活パーティーの例として。
その時は全く気付いていなかったけれど、その2〜3ヶ月後にその時のことを思い出して「楽しかったなぁ♪」なんて回想していた時に、一気に色んなことが繋がった。
その婚活イベントの日に、迷子になってその未来の職場に行き着いたこととか。
まさかその人に出逢う前にその出逢いの場に自ら赴いていたなんて、その神楽坂女子会がなければ気付けなかったかもしれない。
記憶がかなり怪しくなってきたけれど、その神楽坂女子会は後に色んなことが繋がるためのスイッチみたいな役割を果たしてくれたものだったことは間違いない。
その翌日は、友達がせっかくだから東京大神宮に行こう!と言った。
そこは恋愛成就の神様として知られてるから、うちらも祈願しに行こう!って。
行ってみて驚いた。
友達がすごい人気のスポットだから!と言っていたけれど、想像以上に凄かった。
平日なのに、年頃の女性がこれでもかと言わんばかりに後を絶たずお参りに来てて、友達なんかは「ここで婚活イベントすれば絶対に人集まるのにね!」とか茶目っ気たっぷりに言った。
中には男性もいて、男性も神頼みしてるのかなとか言いながらしばらく人間観察に励んでた。
ちなみに一緒に行った友達は、今年の夏に連絡をくれて、その時にはいなかった彼氏とその後出逢って、その人と結婚したと教えてくれた。
私の方はおめでたいことにはならなかったけれど、一緒に行った友達はおめでたいことになって、それはそれでとても嬉しかった。
20年来の心友からは手紙をもらった。
その前に私が彼女にオルゴナイトと手紙を出して、その返事と誕生日プレゼントが今年の誕生日以降に届いた。
自分の書いた手紙は手元にないから最初に少しだけ言い訳すると、私は「恋」とは言わなかったと思う。
友達はこんな風に書いてくれた。
「史子の恋、〇〇さんとのこと、何度も読み返したんだけど、私はとてもうらやましく思った。
魂レベルの恋、なんて素敵なんだろうって。
うまくいく、いかないは別としても、そんな気持ちを抱くなんて、その気持ちに気づけるなんて、なんて素晴らしいことなんだろうって思った。
〇〇さんはとても幸せな人だなあ、と。他人にそこまで想われて、うらやましい位、幸せ者。
史子に対しても、純粋にうれしかった。またそんな気持ちになれた、〇〇さんという人からいろんなものを感じて、いろんな気持ちが生まれて、それこそ中学生のようなその気持ちが、私にはすごくうらやましかったんだ。
今の史子は、またさらにかわいくなっているのではないかと想像して、今回はお誕生日プレゼントに、シャネルのグロスを選びました。私も去年かな、友達にシャネルの化粧品をプレゼントでいただいて、私は人生初のシャネルで、なんかありきたりだけど、そして普段私はブランド物には全く興味もないんだけど、それだけはなぜか魔法がかかったみたいに女の子になった気がして、すごくすごく、うれしかったの。もし同じ気持ちになってもらえたら…と思って。」
中学生みたいだと手紙で言ったのは覚えてる。
相手のことを幸せ者だと言ってくれたのは、その友達だけだった。
私でさえそうは思えない、それは今でも思えない。
どこかでごめんなさい、と謝っている自分がいる。
迷惑やら負担やらを与えて申し訳ない気持ちや後ろめたさなんかは、この1年事あるごとに出まくりだったけれど、その人私に想われて幸せだなんて考えたこともなかった。
でも、その友達はその人のことをそんな風に誰かに想われて幸せ者だと言った。
すごい言葉のプレゼントだった。
私本人よりもめちゃくちゃ肯定してくれて、私はその手紙で泣いた。
今も読んでたら涙が出た。
そう言えば、一度だけ私はその人に直接「ごめんなさい」と言った。
本気の罪滅ぼし的な意味で言った。
とっさに出てきた言葉ではあったけれど、言っといて良かった。
今初めてその時のことを思い出したけれど、1回言うだけではとても足りないのは否めなかったけれど、それでも言えて良かった。
心友の幸せ者だという言葉は、そんな私の心の中も救ってくれた。
そして、おかげさまで、私も39歳でシャネルデビューをした!
私もブランド物には興味がないから、自分で買いに行くこともないし、何よりも私はあのデパートの化粧品売り場のにおいがダメで、近寄ることもしない。
だけど、その人の話をしたことで、シャネルのグロス(口紅みたいなの)をプレゼントしてもらえた!
それだけで女子力がめちゃくちゃ上がったような気持ちにさせてもらえた(笑)。
こんな風にして、その人と出逢ったことで私の周りにはハッピーが増えた。
周りの人たちが付き合ってもないのに祝福してくれたり、上手くいかなかったのに私に想われて相手のことを幸せ者だと言ってくれたり。
おめでたいと言えない状況でも私はこれだけたくさんの祝福を受けて、そして人からたくさんの優しさをもらった。
それはその人と出逢うことがなければ、手にすることのなかった贈り物だった。
振り返りノート>最終日のシーン
最後のシーンについて、私なりに感じたことをここでは書こうと思う。
最終日の振り返りに混ぜなかったのは、振り返りとは少し位置が違うのと、またまた私の超独断と偏見に満ち満ちた話だから、そことは一線を画して書きたかった。
最後にその人と挨拶を交わしたシーンも、そしてその後私が帰る時に見たその人の後ろ姿もよく覚えている。
脳内再生率、No.2か3を狙えるぐらいに再生してるから、今回改めて振り返らなくてもそのシーンは忘れることなく記憶にしっかりとある。
当たっているかどうかはわからないけれど、私はなんとなく最後の日、その人はわざと私を避けたような気がしている。
私は余程のことがなければ、いつも定時きっかりに上がっていた。
しかもその職場はきっかり上がっても誰も何も言ってこないところだったから(内心は知らない)、私は毎日時間になれば帰っていた。
しかも私の仕事の良いところは、その日に終わらせなくてもいいことだった。
だから定時上がりをしても誰にも迷惑がかからなかったし、咎められることもなかった。
もちろん急なものがあればそれはさすがに私も残った。
だから、その人からしてみても、私の上がる時間は簡単に予測がつくわけで、たまたまなのか意図的なのか、私が帰る時間の前後にその人は事務所から姿を消した。
で、時間が経てば経つほど、その時の行動は意図的だったのかな…と思うことの方が増えた。
自分の脳内のおめでたさ加減には呆れるけれども、今回勇気を出して話してみようと思う。
私は、その人が意図的に最後の挨拶を避けようとして、そして最後の最後私と絶対に顔を合わせなくて済むように背中も向けて見ないようにしたのかなと思っている。
当初は私が嫌すぎてそうしてるのかと思ったけれど、実は違う理由だったのかな…とこの1年ぐらいをかけて思うようになった。
その違う理由について話したい。
今だいぶ冷静に物事を眺められるようになって、1つ思ったこと。
この1年、本当に色んなことがあったし、不思議な体験も多かった。
そんなこんなの中で、私が1つどうしても解せないことがあった。
その人に対して感じるもののレベルとか深さとか種類とか、とにかくそれがこれまでの人生経験とは大きく異なっていた。
自分で書くのも嫌だけど、冷静になって考えると色々おかしい。
・38歳(当時)の独身女が
・相手のことをほとんど知らないのに
・まともに会話もしたことがないのに
・相手を誘い出し断られ
・さらには相手からも避けられたのに
・長くて重たい手紙を書いて渡し
・全く連絡が取れないのに1年以上も想い続ける
ストーカーとも取られかねない内容だったりもしくは完全に頭のいっちゃった人と思われても仕方ない。
普通の感覚ならそこまでしないし、もう今頃次の出会いに目が向いていてもいいと思う。
だけど、そんなおかしなことになってまで今ある現実を体験している私側にも言い分がある。
何せそれまでの数年間で何百回もの心理ワークを自分1人でもやったし、そして数十回は他人からしてもらったことのある私からすると、その人に対して感じる心の部位や感情の種類が、明らかにこれまでの人生では体験したことのないものだったりする。
マニアックな話だけど、例えば「悲しみ」1つとっても、体験別に悲しみを感じる体の部分が変わってくる。
愛もそうで、恋愛、親子愛、家族愛、夫婦愛…と並べると、同じ「愛」でも感じ方が違うのがわかるかな…と思う。
心理ワーク系は意識の状態も変えたりするから、言うなれば頭だけで物事を捉えている時と、ものすごく集中していて何かが閃く時とでは意識の状態が違う。
(β波・α波・θ[シータ]波とかの話)
なんなら専門家からしてもらった時の心理ワークで、私は退行という手法を使って4歳前後の自分に戻っていって、その時に感じた感情を追体験するなんてこともしている。
何が驚いたって、そんな昔のことでもそこに対して正しい設定がされると、きちんと当時の感情を鮮明に思い出すことができる。
そうした意識の状態の違いなんかもあれこれ体験してるわけで、そうした諸々を並べて見ても、その人に感じる諸々のことはもはやこれまでの体験のどれにも当てはまらないものばかりだった。
それだと例としてわかりにくいから、恋愛にしよう。
異性関係はたしかに不器用だけれど、人を好きになったことも付き合ったこともある。
もうこれ以上誰かを好きになれないという体験もしている。
そうした全てを並べて見ても、やっぱりその人に対して感じるものは、あまりにも未知過ぎた。
付き合ってる人同士が「相手のどういうところが好きなんですか?」と聞かれて「わからないけど好きなんです」と答えるのは微笑ましい。
何が!とは具体的に言えなくても、何かがしっくりいっているんだね、言葉にできなくても何かが好きなんだねと読み解くことができる。
でも今の私に、付き合ってもいない相手、そして相手の何も知らない私に、「相手のどういうところがいいんですか?」と聞かれて、「わからないけど良いんです」と答えたら、本当に単なる痛い人でしかない。
自虐的というより、本当に世間一般的に見たら、そう見えるのが普通だと思う。
私はこの1年、びっくりするぐらいにたくさん泣いた。
それも奇異(奇妙+異常)だった。
何でその人のことを思うと涙がボロボロ出てくるのか、私には正直理解できなかった。
涙が無意識に出てくる時は、何を悲しんでいるのか知らないけれど、ものすごく深いところが反応して涙が出ているのはわかる。
言葉では説明できないし、他の人や他の場面では起こらない現象だから、余計と特殊だとわかる。
で、この1年色んな情報がやってくる中で一番しっくり来たのは「魂の繋がり」だった。
またかよ、魂話…って感じもあるけれど、でもこれ以上ない、一番しっくりくるから私は何度でも言う。
今の私では感知できないレベルでもそれが魂が感知していて起きているとするならば、あの説明のつかない感覚や涙もものすごく納得できる。
泣こうと思って泣けないのと一緒で、その人を思って涙が流れる時の感覚は、心理ワークではそこまで導けない。
その人のことを思い浮かべれば、今はその感覚を体験しようと思えばできるけれど、でもその人以外をきっかけにしてその感覚になろうとしてもなれない。
だから感覚としてすごく限定されたもので、さらに言うと、もしその人に出逢わなければもしかしたら私は今生では体験しなかったかもしれない感覚だとさえ思っている。
前置きが長くなったけれど、この1年で私が思ったこと。
もしかして、相手も私と同じような又は似たような感覚を感じてるんじゃないのかな…と。
例えば水たまりに石ころを投げたとする。
左半分だけゆらぎが生じて、右半分は静止したままなんてことは絶対にあり得ない。
この一連の感覚を振り返ると、私1人の側だけに何か大きく影響している、と考えられないわけでもないけれど、もしかして双方に影響してるのかな…と思うことが増えてきた。
1回だけのことで判断するのはちょっと信憑性に欠けるけれども、私がそう感じた瞬間がある。
その人は外に気持ちを出すタイプではないし、自分のことを相手がわかるように表現するのも苦手な人だと思う。
いつだったか職場の人が言っていたのが、その人があまりに顔に出さないから、実はすごい大変な状況だったのに気付かなかった、だった。
それぐらい外に出さず自分の中で全部抱えるタイプの人なんだと思う、基本的には。
というその人が、ある物を探しても見つからなかったようで、その一部始終を後ろから見ていた私が声をかけたことがあった。
その時のその人の反応に私は心底驚いた。
仕事のやり取りだし、何も特別なやり取りでは全くないし、何てことないものだった。
なのにその人は、照れてるのか恥ずかしいのか他のもっと違う感覚かはわからなかったけれど、すごいぎこちなかったのと、表情も見たことないような表情だったのと、えっ⁉︎もしかして女の人に慣れてないとか?なんて疑ったぐらいに、とにかく普段のその人からは想像もできない反応が返ってきた。
ちなみに女の人に慣れてないってことはないと思う。
他の女の人たちとは普通にやり取りしてたから。
私が新参者だから、慣れてなくてそうだったのかもしれないけれど。
ただ、私も同じように反応したかもしれないと思った。
もしその時の役割が逆で、私が探し物しててその人が不意に私に話しかけてきたとしたら、多分私も同じような反応をしたんじゃないかと思う。
不意打ち過ぎて、自分の感情を隠せなかったかもしれない…そう思う。
さっきの感じたことのない感覚の話と双方に影響があるんじゃないかの話と魂の話を組み合わせて見てみると、私は「もしかして…」と思うことがある。
この意味不明でやたらと勢力の強い感覚をその人も感じてるとするなら、避けたくなる気持ちもわからなくもない。
感覚自体がかなり特殊だし、影響力は強いし、平静を保ちたい人からすると、積極的に持ちたい感覚では絶対にない。
相手が私のスイッチを入れたように、もし私が相手のスイッチを入れるのだとすれば(もちろん私はそんなことしてるつもりはない)、逃げたくなるかな…と思う。
だって、いきなり涙がボロボロ流れてくるなんて普通は困る。
涙が流れなくても、何かしら心に影響はあるだろうから、それをもろに受けると平穏無事な毎日とはいかない。
多かれ少なかれ自分を保てないところが出てきてしまう。
例えば、他の人たちとは普通に話せるくせして、その人になった途端話せないどころかすごい緊張する、そしてそれが例えば「気になる人だから緊張する」とするなら、これまでの気になる人の緊張度合いが1とするなら、その人の緊張度合いは100になる。
どんな種類の感情もその人相手だと通常の数百倍強く感じる傾向があったから、良くも悪くも「平常心を保つ」なんてのは難しかった。
そして、魂として考えるなら、やっとやっと出逢えた人だとするなら、離れる時の悲しみや切なさは半端ない。
やっと出逢えたのに離れる。
私の中で潜在意識と魂は違っていて、潜在意識は今の人生で起こったことを全て記憶している部分、魂は今生だけではなく過去に生きていたとされる全ての人生のことを記憶している部分、という風に捉えている。
余談だけど、私が知った自分の過去世は、
・ペンジュラムを友達のようにして使っていた10歳ぐらいまでしか生きられなかった男の子
・40代ぐらいの穏やかな物書きの女性
・40歳ぐらいのお坊さん(多分相当な禁欲生活を送っていたと思われる)
・20歳ぐらいの侍男子
証明のしようがないけれど、そんな話を耳にすることになった、ということは私にとって必要だから耳にしたと私は解釈している。
潜在意識は、今の武士俣史子人生のみの記憶しかないけれど、魂の方は武士俣史子+上の人たちの人生の時の記憶+他にも生きただろう人生すべての記憶を持ち合わせている、そう思っている。
色んな人生の中で色んな人たちと関わったのは間違いなくて、そしてその時の人たちはまたどこかの人生や今回の人生でも出逢ったりするんだと私は思っている。
中には1回ではなく何回も何回も出逢う魂もいると思う。
それを思うと、私がいきなり誰にも習わず調べたりもせずペンジュラムが使えたこともわかる。
過去世からの記憶が今に引き継がれてた、と思う方が、あの並大抵ではない使いこなし方に納得できる。
(スピリチュアルな体験に慣れてる人たちから見ても、私のペンジュラムの正確さや的中率はゾッとするものがあるらしい)
書くことも、基本的に苦にならない。
それも過去世からの引き継いだ記憶の1つだと思う。
その人との出逢いはペンジュラムや書くことととても似ていると私は思っている。
他の人たちとは一線を画している。
あのよくわからない涙とか、本当の本当に体の奥側の方から湧いてくる感情とか、それは単に38歳までの自分の経験から来ているのではなくて、魂が生きたこれまでの人生の記憶から来ているもののような気がしてならない。
そうだとするならば、本当に理解に困っていたその感覚がわかる。
だから、離れる・肉体的に物理的にまた会えない生活になるとなった時、ものすごい強い感情が噴出したことも納得できる。
自分の心も含めて人間の心理は複雑怪奇過ぎるし、全てを読み解くことなんかできない。
私が勝手に解釈しているだけで、それだって真実ではない可能性も十分にある。
その人は、最後の挨拶の時も私が時間が欲しいと言ってできないと言った時も、一瞬だけ私の方を見た。
最後の時はとても冷たい目ではあったけれど、見た。
できないと言った時の目の表情は、冷たくはなかったけれど、じゃあそれが何かとはそれを表現する言葉を私は持っていない。
それでも私の方を見上げるようにして見た。
見なきゃいいのに…と思わなくもなかった。
単に怖いもの見たさだっただけかもしれないし、相手の目を見ないで話すのは失礼だと思ったのかもしれない。
でも、普段のその人を見ていると、嫌なものは徹底的に避けるみたいな感じがしたから、たしかに十分避けられてる風だけど、その避けたいの意味も少し違うんじゃないかと感じる。
最後にその人とまともに話した時、その人はとても優しい目をしていた。
それはもちろん私が危害を与えていないからだと言ってしまえばそれまでだけど、それだけの理由であんなに優しい目ができるとはちょっと思えない。
私は普段から、空気感とか雰囲気とか周りの風景とかは相当強く記憶に残る。
だけど、意外に残らないのが人の表情。
空気感は覚えているから、それに近い表情はなんとなく記憶に残るけれど、それもあまりない。
2歳の姪っ子の表情すら、あまり記憶に残っていない。
多分私は普段から人の表情をよく見ていないと思う。
見たところで大半は忘れる。
そんな中、その人だけは全く違っていた。
その人の表情だけはやたらと記憶に残った。
少し離れたところから盗み見したものも含めて、とても鮮明に残っている。
顔の細かいパーツは全く見てなかったから(見たくても恥ずかしくてガン見もできなかった)、その人の顔のパーツの形は全く知らない。
だけど、顔全体の表情と目の表情とそしてその人が放ってる雰囲気とその人の周りに流れてる空気感、それだけははっきりと記憶している。
あの優しそうな目は誰にでも向けてるかもしれないけれど、普段からそんなにバンバンと見れるものではなかった。
(仕事中なんだから当たり前か…)
あの表情や空気感が、もしその人も無意識だけど私にだけ向けられたものだとするなら…。
本当に穏やかで温かい感じの時間が流れていた。
その時も、まともではないことを話しかけて、内容も「何言ってんだこいつ?」ぐらいのもので、私からしてもとてもおかしなことを言っているという自覚は大いにあった。
それでも私の個人的なメモが流出する方が絶対に困るから、言わざるを得なかった。
机の汚いのが初めて嫌だと思った。
何でそんな爆弾みたいなものを後輩くんとの机の境目に置いているの?と思った。
少なくとも3日ほどその放置状態は続いていて、しかも日に日にメモの位置は後輩くんの机側に移動していて、どう考えても気付いてるとは思えなかった。
普通の感覚では、気付いていてあの状態にしてるとは考えられなかった。
それに気付いてもらうべく、少なくとも安全圏に避難させて欲しくて、そのよくわからないことを言いにいった朝があった。
自分でも何すごいヘンテコな話をしてるんだろう…と思いながらも背に腹は変えられず、とにかく言うだけ言わないと!と思って話しかけた。
朝から何トンチンカンなこと言ってるの?って感じだったけれど、その人はさらりと対応してくれた。
その時の表情と言い空気感と言い、私は朝から猛烈にテンションが上がった。
自分のしょうもない用件なんかぶっ飛ぶぐらいに、本当にその人は素敵だった。
営業用の顔ではないと私は思った。
本当にその人本来の良さが最大限に発揮された表情と空気感だった。
年齢から言えば相手もおじさんなわけで、そして社会的な立場もあって、そして場所は職場。
(年齢はおじさん域だけど、その人は俳優さんじゃないけれどその人たちのように全くおじさんには見えない)
なのに何でそんなにスレてないの?と言わんばかりの空気感をその人は持っている。
少年ぽいわけでも若者というわけでもない。
反対に落ち着いた大人の男というのとも違う(落ち着いてはいるけれど)。
男の人で仕事に邁進してるオーラとも違う。
仕事命!みたいな男の人たち特有のオーラがあるけれど、それとも違う。
その人が醸し出してるのは、それのどれとも違う異次元のものって感じだった。
勝手に予想すると、多分ずっと同じ職場に勤めていると思うけれど、全然曲がっていない。
理不尽なことも無茶苦茶なことも組織の中だから絶対にあると思うけれど、そういうことに影響されないのか、本当に人として素地がきれいで透明な人なんだと感じる。
誰しもが人のオーラの真似はできないけれど、その人の持っているものは本当に真似できない。
関係ないけれど、その後その人の同期という男性が一度事務所に来たことがあった。
その同期の男性は、私がそれまで目にしていたそのぐらいの年齢の男性社会人の典型的な感じの人で、全然違和感がなかった。
その人は仕事はきちんとしているのに、言うならそういう典型的な部分がかなり薄くて、代わりにその人独自のオーラが全面に出ている、そんな風だった。
話が逸れまくった。
元の最後の日の話に戻そう。
詳細は省くけれど、その人が「わざとですか?」と言いたくなるぐらいに、最後の最後私から背中を向けてすごく変な位置に立っていた件。
絶対に私の姿が見えない位置に立っていた。
見えないと言っても、広い事務所ではないから、私が帰る時は私がお疲れ様でしたと言えば周りの人たちもお疲れ様でしたと返してくれるから、見えなくても少なくともいなくなるぐらいのことはわかる。
とてもはっきりと無視をされたかな…と私は思っている。
そこまで嫌だったんだと当時は思った。
そうやって片付けることにもした。
だけど、腑に落ちたわけではなかった。
小さな引っかかりがあったけれど、他の感情でいっぱいいっぱいで、引っかかりはかなり隅の方に追いやられていた。
そのことに対して腑に落ちたのはそれから4ヶ月後のことだった。
当時のブログから抜粋すると。
>>>
これをものすごく私のいいように解釈したとするなら…。
過去に私が先に死んでいく姿を見たとして、まぁ今回は私は死ぬわけでもないしむしろいなくなるのは相手の方だったけれど、そういう最後の瞬間を見たくないと魂の部分で感じたとするなら、あの背中はもしかしたらそういう意味だったのかもしれない。
だって立っている位置自体も変だった。
普通に立つなら、むしろ背中を向けるんじゃなくて私から見ると私の方を向いて立つ方が自然だった。
なのにわざわざ背中を向ける場所にあの時は立っていた。
そう、わざわざその位置に行かないとそういう立ち方にはならないでしょ!?という感じの場所に立っていた。
事の真相は知らないけれど、魂の再会という視点で物事を見ると、ちょっとこれまでとは違った風景や情景がそこには見える。
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今年の2月にホロスコープの鑑定に行った時、過去世のペンジュラムの男の子の話を聞くことになった。
過去世とか輪廻転生の話はそれまでも多少の知識として聞きかじってはいたけれど、私自身の過去世を聞くのはその時が初めてだった。
その男の子は病弱で10歳前後で死んでしまったとのこと。
今生私はその男の子の意志をとても強く引き継いでいる、と不思議な透視力のある鑑定士さんに言われた。
その内容に納得したのには2つの理由がある。
1つは、その子はペンジュラムを自分の体の一部のように、自分の大切な相棒のように、とても大切に持っていたこと。
その時の能力的なものを今の私が引き継いでいると考えれば、自分のペンジュラムの使いこなし方はものすごく納得がいく。
もう1つは、今生の私はとても健康体を与えられていること。
長生き仕様の体におそらくなっていると思う。
それは長く元気に生きて色々体験したい、そういう想いを反映できる体を選んでいると思う。
真実は知らないし、全て私の想像でしかない。
だけど、あれから1年が経過した今、その人が見せた姿は、関わり合いになりたくないという意思よりも、別の意思があの行動に繋がっていたのかもしれないと思う。
その死にゆく男の子の死を、そのすぐ近くにいた(とされる)その人が目撃する立場だとするなら、自分の近い人が亡くなる瞬間なんてそう何度も見たいもんじゃない。
今の私は死なないし、いなくなるのはその人の方だったけれど、今の人生以外の記憶も重なってのあの行動だとするなら…、あの背中を向けた最後の瞬間の想いはその人さえも気付いていない魂からの強い想いからかもしれないと感じる。
別離の瞬間、それはすごい痛みを伴う。
見なければ痛みがないわけではないけれど、直視するよりかはちょっとだけでも痛みが軽減できる。
それが魂レベルとなれば、余計と痛みは強くなる。
私が自分で思うのは、魂レベルのものになると、もう自分では感知ができない。
色々おかしな感情は交錯するけれど、何でそんな気持ちになるのかとか、自分が何を感じてるのかは、全く理解できない。
頭脳や知識、経験則からの理解は不能で、ただただよくわからない感情を伴った体験だけがある。
その人が最後に向けた背中は、たまたまそういう状態だったとももちろん捉えることができるけれど、そうではないもっと深い意味や感情が渦巻いてそうだった…と思う方が今では自然な気さえする。
私の妄想劇もいいところだけれど、どうしても、どうやっても、その思いが断ち切れない。
私はその人じゃないからその人の気持ちはわからない。
それでも、私は自分が感じた小さな違和感は、単なる勘違いとかではないと思う。
自分の人生で感じる小さな違和感は、その時には意味がわからない。
けれど、時間が経ってある未来の地点に立った時に、突然その違和感の理由がわかる出来事が起こったりする。
その人の後ろ姿や立っている場所やそれまでのその人の普段のクセとか、色々重ねて見た時に感じた違和感も、そういうタイプのものだった。
意味はわからないけれども、何か別の意味合いがありそうな小さな予感のするものだった。
「これが最後じゃない」そう私は思って、その人にとっての最後の日、職場を後にした。
こうやって一通り書くと、単にその人にとって私は厄介者で好みでも何でもなくできればこのまま会わずに済ませたい人、と解釈するのが普通だと思う。
興味のない異性に寄ってこられても困るから、無視するのが冷たくするのが背中を向けるのが一番、というのは定説かと思う。
私が受け入れたくなくて自分の都合のいいように解釈してるのかもしれない。
でも、1年近く自分の心を見つめ続けて、そして最後の日、何も考えずに私はとっさに「これが最後じゃない」と一瞬ものすごく強く思った時とを振り返って、終わった気がしない。
こんな風に1年も何もなければ希望なんてないし、このまま何もなくいつかの寿命がきたら死にゆくだけかもしれないとも思う。
それでも、その人は他の人たちとは全く違っていた。
知らないことばかりで、何がそんなにも心が動くのかわからなかった。
ある種の心の更年期的なものかと思ったりもした。
おばちゃんたちがアイドルにキャーキャー言うみたいな。
でもそうじゃなくて、本当に縁のあった人、だと考える方が自然は自然だった。
色んな流れによって運ばれて、出逢う前に未来に起こる出逢いのヒントとなるようなことが幾つも起こって、「時が熟す」という意味の満月の日に出逢って、色んな偶然でその人とちょっとだけやり取りして、そしてある日を境にその人は私の中にいることになった。
ドラマでも書けるんじゃない?と言わんばかりのストーリー満載だった。
そして、私は全身全霊でその人を見て、細胞中でその人のことを記憶に残そうとし、そして細かなこともものすごく鮮明に覚えた。
覚えたと言うより、記憶に色濃く残ったと言う方が正しい。
その人と離れるのは、本当に発狂レベルだった。
理性を持った大人で社会人だから、外にいる時は平静を保って何事も無いように日常をこなした。
1人になると、色んな感情がどっと押し寄せてきて、私はもうどうしていいのかわからなかった。
涙は止まらないし、どこからその強い感情は出てくるの?という感じだった。
寂しくて体が痛くなるなんて初めての体験だった。
最後の日のシーンは、飽きることなく何度も何度も思い返した。
意味なんてないのかもしれない。
それでも私には全てが特別だった。
まさか私は1年後にその時のことをこんな風にして綴るなんて思ってもいなかったし、1年もすれば忘れるのかと思っていた。
でもそうはならなかった。
忘れられないどころか、とにかくずっとずっとその人はいた。
そういうのは自然の流れに任せるのが一番、と思うようになってからは、ますます自由に思いは勝手に鎮座した。
色々そんな予定じゃなかった…と思ったけれど、仕方ない、そうなってしまった。
色々おかしいとは思っているけれど、ここに書いたことは本心だから、今回勇気を振り絞って書くことにした。
私が色々変なのは今さらだからもう仕方ない。
だけど、言わなきゃ伝わらない。
だから伝える。
だから書く。
多分だけど、
39歳の私は((((;゚Д゚)))))))こんな風だけど、
魂の私は♪♡(((o(*゚▽゚*)o)))♡♪こんな風かもしれない。
書いて死ぬわけでも処刑されるわけでもないからいいか、とそれぐらいの気持ちで書いている(爆)。
最終日の振り返りに混ぜなかったのは、振り返りとは少し位置が違うのと、またまた私の超独断と偏見に満ち満ちた話だから、そことは一線を画して書きたかった。
最後にその人と挨拶を交わしたシーンも、そしてその後私が帰る時に見たその人の後ろ姿もよく覚えている。
脳内再生率、No.2か3を狙えるぐらいに再生してるから、今回改めて振り返らなくてもそのシーンは忘れることなく記憶にしっかりとある。
当たっているかどうかはわからないけれど、私はなんとなく最後の日、その人はわざと私を避けたような気がしている。
私は余程のことがなければ、いつも定時きっかりに上がっていた。
しかもその職場はきっかり上がっても誰も何も言ってこないところだったから(内心は知らない)、私は毎日時間になれば帰っていた。
しかも私の仕事の良いところは、その日に終わらせなくてもいいことだった。
だから定時上がりをしても誰にも迷惑がかからなかったし、咎められることもなかった。
もちろん急なものがあればそれはさすがに私も残った。
だから、その人からしてみても、私の上がる時間は簡単に予測がつくわけで、たまたまなのか意図的なのか、私が帰る時間の前後にその人は事務所から姿を消した。
で、時間が経てば経つほど、その時の行動は意図的だったのかな…と思うことの方が増えた。
自分の脳内のおめでたさ加減には呆れるけれども、今回勇気を出して話してみようと思う。
私は、その人が意図的に最後の挨拶を避けようとして、そして最後の最後私と絶対に顔を合わせなくて済むように背中も向けて見ないようにしたのかなと思っている。
当初は私が嫌すぎてそうしてるのかと思ったけれど、実は違う理由だったのかな…とこの1年ぐらいをかけて思うようになった。
その違う理由について話したい。
今だいぶ冷静に物事を眺められるようになって、1つ思ったこと。
この1年、本当に色んなことがあったし、不思議な体験も多かった。
そんなこんなの中で、私が1つどうしても解せないことがあった。
その人に対して感じるもののレベルとか深さとか種類とか、とにかくそれがこれまでの人生経験とは大きく異なっていた。
自分で書くのも嫌だけど、冷静になって考えると色々おかしい。
・38歳(当時)の独身女が
・相手のことをほとんど知らないのに
・まともに会話もしたことがないのに
・相手を誘い出し断られ
・さらには相手からも避けられたのに
・長くて重たい手紙を書いて渡し
・全く連絡が取れないのに1年以上も想い続ける
ストーカーとも取られかねない内容だったりもしくは完全に頭のいっちゃった人と思われても仕方ない。
普通の感覚ならそこまでしないし、もう今頃次の出会いに目が向いていてもいいと思う。
だけど、そんなおかしなことになってまで今ある現実を体験している私側にも言い分がある。
何せそれまでの数年間で何百回もの心理ワークを自分1人でもやったし、そして数十回は他人からしてもらったことのある私からすると、その人に対して感じる心の部位や感情の種類が、明らかにこれまでの人生では体験したことのないものだったりする。
マニアックな話だけど、例えば「悲しみ」1つとっても、体験別に悲しみを感じる体の部分が変わってくる。
愛もそうで、恋愛、親子愛、家族愛、夫婦愛…と並べると、同じ「愛」でも感じ方が違うのがわかるかな…と思う。
心理ワーク系は意識の状態も変えたりするから、言うなれば頭だけで物事を捉えている時と、ものすごく集中していて何かが閃く時とでは意識の状態が違う。
(β波・α波・θ[シータ]波とかの話)
なんなら専門家からしてもらった時の心理ワークで、私は退行という手法を使って4歳前後の自分に戻っていって、その時に感じた感情を追体験するなんてこともしている。
何が驚いたって、そんな昔のことでもそこに対して正しい設定がされると、きちんと当時の感情を鮮明に思い出すことができる。
そうした意識の状態の違いなんかもあれこれ体験してるわけで、そうした諸々を並べて見ても、その人に感じる諸々のことはもはやこれまでの体験のどれにも当てはまらないものばかりだった。
それだと例としてわかりにくいから、恋愛にしよう。
異性関係はたしかに不器用だけれど、人を好きになったことも付き合ったこともある。
もうこれ以上誰かを好きになれないという体験もしている。
そうした全てを並べて見ても、やっぱりその人に対して感じるものは、あまりにも未知過ぎた。
付き合ってる人同士が「相手のどういうところが好きなんですか?」と聞かれて「わからないけど好きなんです」と答えるのは微笑ましい。
何が!とは具体的に言えなくても、何かがしっくりいっているんだね、言葉にできなくても何かが好きなんだねと読み解くことができる。
でも今の私に、付き合ってもいない相手、そして相手の何も知らない私に、「相手のどういうところがいいんですか?」と聞かれて、「わからないけど良いんです」と答えたら、本当に単なる痛い人でしかない。
自虐的というより、本当に世間一般的に見たら、そう見えるのが普通だと思う。
私はこの1年、びっくりするぐらいにたくさん泣いた。
それも奇異(奇妙+異常)だった。
何でその人のことを思うと涙がボロボロ出てくるのか、私には正直理解できなかった。
涙が無意識に出てくる時は、何を悲しんでいるのか知らないけれど、ものすごく深いところが反応して涙が出ているのはわかる。
言葉では説明できないし、他の人や他の場面では起こらない現象だから、余計と特殊だとわかる。
で、この1年色んな情報がやってくる中で一番しっくり来たのは「魂の繋がり」だった。
またかよ、魂話…って感じもあるけれど、でもこれ以上ない、一番しっくりくるから私は何度でも言う。
今の私では感知できないレベルでもそれが魂が感知していて起きているとするならば、あの説明のつかない感覚や涙もものすごく納得できる。
泣こうと思って泣けないのと一緒で、その人を思って涙が流れる時の感覚は、心理ワークではそこまで導けない。
その人のことを思い浮かべれば、今はその感覚を体験しようと思えばできるけれど、でもその人以外をきっかけにしてその感覚になろうとしてもなれない。
だから感覚としてすごく限定されたもので、さらに言うと、もしその人に出逢わなければもしかしたら私は今生では体験しなかったかもしれない感覚だとさえ思っている。
前置きが長くなったけれど、この1年で私が思ったこと。
もしかして、相手も私と同じような又は似たような感覚を感じてるんじゃないのかな…と。
例えば水たまりに石ころを投げたとする。
左半分だけゆらぎが生じて、右半分は静止したままなんてことは絶対にあり得ない。
この一連の感覚を振り返ると、私1人の側だけに何か大きく影響している、と考えられないわけでもないけれど、もしかして双方に影響してるのかな…と思うことが増えてきた。
1回だけのことで判断するのはちょっと信憑性に欠けるけれども、私がそう感じた瞬間がある。
その人は外に気持ちを出すタイプではないし、自分のことを相手がわかるように表現するのも苦手な人だと思う。
いつだったか職場の人が言っていたのが、その人があまりに顔に出さないから、実はすごい大変な状況だったのに気付かなかった、だった。
それぐらい外に出さず自分の中で全部抱えるタイプの人なんだと思う、基本的には。
というその人が、ある物を探しても見つからなかったようで、その一部始終を後ろから見ていた私が声をかけたことがあった。
その時のその人の反応に私は心底驚いた。
仕事のやり取りだし、何も特別なやり取りでは全くないし、何てことないものだった。
なのにその人は、照れてるのか恥ずかしいのか他のもっと違う感覚かはわからなかったけれど、すごいぎこちなかったのと、表情も見たことないような表情だったのと、えっ⁉︎もしかして女の人に慣れてないとか?なんて疑ったぐらいに、とにかく普段のその人からは想像もできない反応が返ってきた。
ちなみに女の人に慣れてないってことはないと思う。
他の女の人たちとは普通にやり取りしてたから。
私が新参者だから、慣れてなくてそうだったのかもしれないけれど。
ただ、私も同じように反応したかもしれないと思った。
もしその時の役割が逆で、私が探し物しててその人が不意に私に話しかけてきたとしたら、多分私も同じような反応をしたんじゃないかと思う。
不意打ち過ぎて、自分の感情を隠せなかったかもしれない…そう思う。
さっきの感じたことのない感覚の話と双方に影響があるんじゃないかの話と魂の話を組み合わせて見てみると、私は「もしかして…」と思うことがある。
この意味不明でやたらと勢力の強い感覚をその人も感じてるとするなら、避けたくなる気持ちもわからなくもない。
感覚自体がかなり特殊だし、影響力は強いし、平静を保ちたい人からすると、積極的に持ちたい感覚では絶対にない。
相手が私のスイッチを入れたように、もし私が相手のスイッチを入れるのだとすれば(もちろん私はそんなことしてるつもりはない)、逃げたくなるかな…と思う。
だって、いきなり涙がボロボロ流れてくるなんて普通は困る。
涙が流れなくても、何かしら心に影響はあるだろうから、それをもろに受けると平穏無事な毎日とはいかない。
多かれ少なかれ自分を保てないところが出てきてしまう。
例えば、他の人たちとは普通に話せるくせして、その人になった途端話せないどころかすごい緊張する、そしてそれが例えば「気になる人だから緊張する」とするなら、これまでの気になる人の緊張度合いが1とするなら、その人の緊張度合いは100になる。
どんな種類の感情もその人相手だと通常の数百倍強く感じる傾向があったから、良くも悪くも「平常心を保つ」なんてのは難しかった。
そして、魂として考えるなら、やっとやっと出逢えた人だとするなら、離れる時の悲しみや切なさは半端ない。
やっと出逢えたのに離れる。
私の中で潜在意識と魂は違っていて、潜在意識は今の人生で起こったことを全て記憶している部分、魂は今生だけではなく過去に生きていたとされる全ての人生のことを記憶している部分、という風に捉えている。
余談だけど、私が知った自分の過去世は、
・ペンジュラムを友達のようにして使っていた10歳ぐらいまでしか生きられなかった男の子
・40代ぐらいの穏やかな物書きの女性
・40歳ぐらいのお坊さん(多分相当な禁欲生活を送っていたと思われる)
・20歳ぐらいの侍男子
証明のしようがないけれど、そんな話を耳にすることになった、ということは私にとって必要だから耳にしたと私は解釈している。
潜在意識は、今の武士俣史子人生のみの記憶しかないけれど、魂の方は武士俣史子+上の人たちの人生の時の記憶+他にも生きただろう人生すべての記憶を持ち合わせている、そう思っている。
色んな人生の中で色んな人たちと関わったのは間違いなくて、そしてその時の人たちはまたどこかの人生や今回の人生でも出逢ったりするんだと私は思っている。
中には1回ではなく何回も何回も出逢う魂もいると思う。
それを思うと、私がいきなり誰にも習わず調べたりもせずペンジュラムが使えたこともわかる。
過去世からの記憶が今に引き継がれてた、と思う方が、あの並大抵ではない使いこなし方に納得できる。
(スピリチュアルな体験に慣れてる人たちから見ても、私のペンジュラムの正確さや的中率はゾッとするものがあるらしい)
書くことも、基本的に苦にならない。
それも過去世からの引き継いだ記憶の1つだと思う。
その人との出逢いはペンジュラムや書くことととても似ていると私は思っている。
他の人たちとは一線を画している。
あのよくわからない涙とか、本当の本当に体の奥側の方から湧いてくる感情とか、それは単に38歳までの自分の経験から来ているのではなくて、魂が生きたこれまでの人生の記憶から来ているもののような気がしてならない。
そうだとするならば、本当に理解に困っていたその感覚がわかる。
だから、離れる・肉体的に物理的にまた会えない生活になるとなった時、ものすごい強い感情が噴出したことも納得できる。
自分の心も含めて人間の心理は複雑怪奇過ぎるし、全てを読み解くことなんかできない。
私が勝手に解釈しているだけで、それだって真実ではない可能性も十分にある。
その人は、最後の挨拶の時も私が時間が欲しいと言ってできないと言った時も、一瞬だけ私の方を見た。
最後の時はとても冷たい目ではあったけれど、見た。
できないと言った時の目の表情は、冷たくはなかったけれど、じゃあそれが何かとはそれを表現する言葉を私は持っていない。
それでも私の方を見上げるようにして見た。
見なきゃいいのに…と思わなくもなかった。
単に怖いもの見たさだっただけかもしれないし、相手の目を見ないで話すのは失礼だと思ったのかもしれない。
でも、普段のその人を見ていると、嫌なものは徹底的に避けるみたいな感じがしたから、たしかに十分避けられてる風だけど、その避けたいの意味も少し違うんじゃないかと感じる。
最後にその人とまともに話した時、その人はとても優しい目をしていた。
それはもちろん私が危害を与えていないからだと言ってしまえばそれまでだけど、それだけの理由であんなに優しい目ができるとはちょっと思えない。
私は普段から、空気感とか雰囲気とか周りの風景とかは相当強く記憶に残る。
だけど、意外に残らないのが人の表情。
空気感は覚えているから、それに近い表情はなんとなく記憶に残るけれど、それもあまりない。
2歳の姪っ子の表情すら、あまり記憶に残っていない。
多分私は普段から人の表情をよく見ていないと思う。
見たところで大半は忘れる。
そんな中、その人だけは全く違っていた。
その人の表情だけはやたらと記憶に残った。
少し離れたところから盗み見したものも含めて、とても鮮明に残っている。
顔の細かいパーツは全く見てなかったから(見たくても恥ずかしくてガン見もできなかった)、その人の顔のパーツの形は全く知らない。
だけど、顔全体の表情と目の表情とそしてその人が放ってる雰囲気とその人の周りに流れてる空気感、それだけははっきりと記憶している。
あの優しそうな目は誰にでも向けてるかもしれないけれど、普段からそんなにバンバンと見れるものではなかった。
(仕事中なんだから当たり前か…)
あの表情や空気感が、もしその人も無意識だけど私にだけ向けられたものだとするなら…。
本当に穏やかで温かい感じの時間が流れていた。
その時も、まともではないことを話しかけて、内容も「何言ってんだこいつ?」ぐらいのもので、私からしてもとてもおかしなことを言っているという自覚は大いにあった。
それでも私の個人的なメモが流出する方が絶対に困るから、言わざるを得なかった。
机の汚いのが初めて嫌だと思った。
何でそんな爆弾みたいなものを後輩くんとの机の境目に置いているの?と思った。
少なくとも3日ほどその放置状態は続いていて、しかも日に日にメモの位置は後輩くんの机側に移動していて、どう考えても気付いてるとは思えなかった。
普通の感覚では、気付いていてあの状態にしてるとは考えられなかった。
それに気付いてもらうべく、少なくとも安全圏に避難させて欲しくて、そのよくわからないことを言いにいった朝があった。
自分でも何すごいヘンテコな話をしてるんだろう…と思いながらも背に腹は変えられず、とにかく言うだけ言わないと!と思って話しかけた。
朝から何トンチンカンなこと言ってるの?って感じだったけれど、その人はさらりと対応してくれた。
その時の表情と言い空気感と言い、私は朝から猛烈にテンションが上がった。
自分のしょうもない用件なんかぶっ飛ぶぐらいに、本当にその人は素敵だった。
営業用の顔ではないと私は思った。
本当にその人本来の良さが最大限に発揮された表情と空気感だった。
年齢から言えば相手もおじさんなわけで、そして社会的な立場もあって、そして場所は職場。
(年齢はおじさん域だけど、その人は俳優さんじゃないけれどその人たちのように全くおじさんには見えない)
なのに何でそんなにスレてないの?と言わんばかりの空気感をその人は持っている。
少年ぽいわけでも若者というわけでもない。
反対に落ち着いた大人の男というのとも違う(落ち着いてはいるけれど)。
男の人で仕事に邁進してるオーラとも違う。
仕事命!みたいな男の人たち特有のオーラがあるけれど、それとも違う。
その人が醸し出してるのは、それのどれとも違う異次元のものって感じだった。
勝手に予想すると、多分ずっと同じ職場に勤めていると思うけれど、全然曲がっていない。
理不尽なことも無茶苦茶なことも組織の中だから絶対にあると思うけれど、そういうことに影響されないのか、本当に人として素地がきれいで透明な人なんだと感じる。
誰しもが人のオーラの真似はできないけれど、その人の持っているものは本当に真似できない。
関係ないけれど、その後その人の同期という男性が一度事務所に来たことがあった。
その同期の男性は、私がそれまで目にしていたそのぐらいの年齢の男性社会人の典型的な感じの人で、全然違和感がなかった。
その人は仕事はきちんとしているのに、言うならそういう典型的な部分がかなり薄くて、代わりにその人独自のオーラが全面に出ている、そんな風だった。
話が逸れまくった。
元の最後の日の話に戻そう。
詳細は省くけれど、その人が「わざとですか?」と言いたくなるぐらいに、最後の最後私から背中を向けてすごく変な位置に立っていた件。
絶対に私の姿が見えない位置に立っていた。
見えないと言っても、広い事務所ではないから、私が帰る時は私がお疲れ様でしたと言えば周りの人たちもお疲れ様でしたと返してくれるから、見えなくても少なくともいなくなるぐらいのことはわかる。
とてもはっきりと無視をされたかな…と私は思っている。
そこまで嫌だったんだと当時は思った。
そうやって片付けることにもした。
だけど、腑に落ちたわけではなかった。
小さな引っかかりがあったけれど、他の感情でいっぱいいっぱいで、引っかかりはかなり隅の方に追いやられていた。
そのことに対して腑に落ちたのはそれから4ヶ月後のことだった。
当時のブログから抜粋すると。
>>>
これをものすごく私のいいように解釈したとするなら…。
過去に私が先に死んでいく姿を見たとして、まぁ今回は私は死ぬわけでもないしむしろいなくなるのは相手の方だったけれど、そういう最後の瞬間を見たくないと魂の部分で感じたとするなら、あの背中はもしかしたらそういう意味だったのかもしれない。
だって立っている位置自体も変だった。
普通に立つなら、むしろ背中を向けるんじゃなくて私から見ると私の方を向いて立つ方が自然だった。
なのにわざわざ背中を向ける場所にあの時は立っていた。
そう、わざわざその位置に行かないとそういう立ち方にはならないでしょ!?という感じの場所に立っていた。
事の真相は知らないけれど、魂の再会という視点で物事を見ると、ちょっとこれまでとは違った風景や情景がそこには見える。
>>>
今年の2月にホロスコープの鑑定に行った時、過去世のペンジュラムの男の子の話を聞くことになった。
過去世とか輪廻転生の話はそれまでも多少の知識として聞きかじってはいたけれど、私自身の過去世を聞くのはその時が初めてだった。
その男の子は病弱で10歳前後で死んでしまったとのこと。
今生私はその男の子の意志をとても強く引き継いでいる、と不思議な透視力のある鑑定士さんに言われた。
その内容に納得したのには2つの理由がある。
1つは、その子はペンジュラムを自分の体の一部のように、自分の大切な相棒のように、とても大切に持っていたこと。
その時の能力的なものを今の私が引き継いでいると考えれば、自分のペンジュラムの使いこなし方はものすごく納得がいく。
もう1つは、今生の私はとても健康体を与えられていること。
長生き仕様の体におそらくなっていると思う。
それは長く元気に生きて色々体験したい、そういう想いを反映できる体を選んでいると思う。
真実は知らないし、全て私の想像でしかない。
だけど、あれから1年が経過した今、その人が見せた姿は、関わり合いになりたくないという意思よりも、別の意思があの行動に繋がっていたのかもしれないと思う。
その死にゆく男の子の死を、そのすぐ近くにいた(とされる)その人が目撃する立場だとするなら、自分の近い人が亡くなる瞬間なんてそう何度も見たいもんじゃない。
今の私は死なないし、いなくなるのはその人の方だったけれど、今の人生以外の記憶も重なってのあの行動だとするなら…、あの背中を向けた最後の瞬間の想いはその人さえも気付いていない魂からの強い想いからかもしれないと感じる。
別離の瞬間、それはすごい痛みを伴う。
見なければ痛みがないわけではないけれど、直視するよりかはちょっとだけでも痛みが軽減できる。
それが魂レベルとなれば、余計と痛みは強くなる。
私が自分で思うのは、魂レベルのものになると、もう自分では感知ができない。
色々おかしな感情は交錯するけれど、何でそんな気持ちになるのかとか、自分が何を感じてるのかは、全く理解できない。
頭脳や知識、経験則からの理解は不能で、ただただよくわからない感情を伴った体験だけがある。
その人が最後に向けた背中は、たまたまそういう状態だったとももちろん捉えることができるけれど、そうではないもっと深い意味や感情が渦巻いてそうだった…と思う方が今では自然な気さえする。
私の妄想劇もいいところだけれど、どうしても、どうやっても、その思いが断ち切れない。
私はその人じゃないからその人の気持ちはわからない。
それでも、私は自分が感じた小さな違和感は、単なる勘違いとかではないと思う。
自分の人生で感じる小さな違和感は、その時には意味がわからない。
けれど、時間が経ってある未来の地点に立った時に、突然その違和感の理由がわかる出来事が起こったりする。
その人の後ろ姿や立っている場所やそれまでのその人の普段のクセとか、色々重ねて見た時に感じた違和感も、そういうタイプのものだった。
意味はわからないけれども、何か別の意味合いがありそうな小さな予感のするものだった。
「これが最後じゃない」そう私は思って、その人にとっての最後の日、職場を後にした。
こうやって一通り書くと、単にその人にとって私は厄介者で好みでも何でもなくできればこのまま会わずに済ませたい人、と解釈するのが普通だと思う。
興味のない異性に寄ってこられても困るから、無視するのが冷たくするのが背中を向けるのが一番、というのは定説かと思う。
私が受け入れたくなくて自分の都合のいいように解釈してるのかもしれない。
でも、1年近く自分の心を見つめ続けて、そして最後の日、何も考えずに私はとっさに「これが最後じゃない」と一瞬ものすごく強く思った時とを振り返って、終わった気がしない。
こんな風に1年も何もなければ希望なんてないし、このまま何もなくいつかの寿命がきたら死にゆくだけかもしれないとも思う。
それでも、その人は他の人たちとは全く違っていた。
知らないことばかりで、何がそんなにも心が動くのかわからなかった。
ある種の心の更年期的なものかと思ったりもした。
おばちゃんたちがアイドルにキャーキャー言うみたいな。
でもそうじゃなくて、本当に縁のあった人、だと考える方が自然は自然だった。
色んな流れによって運ばれて、出逢う前に未来に起こる出逢いのヒントとなるようなことが幾つも起こって、「時が熟す」という意味の満月の日に出逢って、色んな偶然でその人とちょっとだけやり取りして、そしてある日を境にその人は私の中にいることになった。
ドラマでも書けるんじゃない?と言わんばかりのストーリー満載だった。
そして、私は全身全霊でその人を見て、細胞中でその人のことを記憶に残そうとし、そして細かなこともものすごく鮮明に覚えた。
覚えたと言うより、記憶に色濃く残ったと言う方が正しい。
その人と離れるのは、本当に発狂レベルだった。
理性を持った大人で社会人だから、外にいる時は平静を保って何事も無いように日常をこなした。
1人になると、色んな感情がどっと押し寄せてきて、私はもうどうしていいのかわからなかった。
涙は止まらないし、どこからその強い感情は出てくるの?という感じだった。
寂しくて体が痛くなるなんて初めての体験だった。
最後の日のシーンは、飽きることなく何度も何度も思い返した。
意味なんてないのかもしれない。
それでも私には全てが特別だった。
まさか私は1年後にその時のことをこんな風にして綴るなんて思ってもいなかったし、1年もすれば忘れるのかと思っていた。
でもそうはならなかった。
忘れられないどころか、とにかくずっとずっとその人はいた。
そういうのは自然の流れに任せるのが一番、と思うようになってからは、ますます自由に思いは勝手に鎮座した。
色々そんな予定じゃなかった…と思ったけれど、仕方ない、そうなってしまった。
色々おかしいとは思っているけれど、ここに書いたことは本心だから、今回勇気を振り絞って書くことにした。
私が色々変なのは今さらだからもう仕方ない。
だけど、言わなきゃ伝わらない。
だから伝える。
だから書く。
多分だけど、
39歳の私は((((;゚Д゚)))))))こんな風だけど、
魂の私は♪♡(((o(*゚▽゚*)o)))♡♪こんな風かもしれない。
書いて死ぬわけでも処刑されるわけでもないからいいか、とそれぐらいの気持ちで書いている(爆)。
2018年10月20日土曜日
振り返りノート>パズルのピース
>>>枠なし振り返り
ーー2017年7月2日
改めてお礼を言うかどうか5日間も迷った自分がいた。
そんな悩みに5日間も費やすなんて、粋なことだった、今振り返ると。
普段ならさっさとお礼を何の気構えもなくさらりと言う。
その場でありがとうございますとは言ったけれど、もう一度きちんと言いたい、そう考えた。
お礼も言いたかったけれど、ちょっとでもいいから今よりももうちょっとだけでも仲良くなれないものかと、そういうよこしまな気持ちもあった。
その頃には、その人が無駄話をするタイプじゃないことはわかり始めていたから、そもそも突然話しかけるような形でお礼を言うのも超難易度が高かった。
どのタイミングで言うの?とか、そんなことだけ言うために話しかけるって変じゃない?とか、今さら…って思われるかもとか、まぁ頭のお喋り具合はすごかった。
日が経てば経つほど言いにくくもあり、1人でああでもないこうでもない、と悩んでいた。
言う!と決断できたのは、その前々日ぐらいに電話がきて、その方から「今できることをする」ということを教えてもらったから。
内容は忘れたけれど、その方はけっこう大きな問題を本人が前にしたのか周りがそうだったのかで、それでその言葉を口にしていた。
今できることは逆に今しかできないみたいなことも言ってた気がする。
それで私は言おう!って決めて、そしてタイミングよく言える瞬間があった時に、突然話しかけてそしてお礼を改めて言った。
素っ気ない返事が返ってきて少しばかり残念だったけれど、まぁ言えたは言えたからいいかとその場は終わった。
そんな風に悩めた当時が今となってはとても粋でとても贅沢だったなぁと思う。
その時はまだ明日もあさっても来週も来月も数ヶ月後も普通にやってくると疑わなかったから。
ーー2017年10月1日
1万年以上保存がきくというツバメノートを購入した。
そこに記録を残そうと思った。
その人との間であった小さなやり取りたちを記そうと思って選んできた。
持ち帰ったテプラの名前のシールや、小さな本人直筆のサインのコピーもそのノートに貼ってある。
その日の私はすごい願い事を日記の中でしていた。
「新しいところでも今みたいに近寄りがたいオーラを出してて欲しい。女の子が言い寄ってきたら、私にしたように超冷たくつき離して欲しい(←身勝手)」
世の中には男の人がたくさんいるのに、どうしてその人なんだろう…って書いていた。
自分のタイプを書き並べて、今でもそういう人がタイプだと思っているのに、なんで〇〇さん?って失礼なことも書いていた。
色々やさぐれたこと書いた後、最後にこんな風に書いている。
「恋とも愛とも呼ぶのに抵抗があって、唯一自分の中で抵抗なく受け入れられたのが『愛おしい人』だった。何がどう愛おしいのかなんてわからないけど、それだけはしっくりときた」
ーー2017年10月2日
朝出勤前の車の中で号泣する。
猛烈に寂しくなって、仕事行く前なのに目が真っ赤になるほどに泣いた。
しばらくそんな日が続きまくる。
「涙の理由はうまく説明できないし、自分でも正直わからない」
涙はくしゃみや鼻水の生理現象に近くて、泣きたいわけじゃないのに涙が勝手に出てくる、そう書いてた。
1年するとそこまでの涙は出てこなくなったけれど、この振り返りノートを書いている途中、何度も涙がドバッと出てきた。
冒頭の贅沢な悩みもそうで、今それ読むと泣けてくる。
その人が目の前にいた時間、そして小さなことに一喜一憂しながらもその人を見ていられた時間、色々思い起こすと心の奥の方が震える。
その人は私のよくわからない涙を誘発する人になっている。
ーー2017年10月11日
〜最終日から2週間後〜
ファイルの片付けをした。
そのファイルは、その人にそれならここにありますよ、と教えたファイルだった。
もしかしてその人が携わった仕事だから、何かしら書き込みがあるかも!と期待して開いて見たらビンゴ!
そのファイルを見て、私はますますその人の仕事の仕方に惚れ込んだ。
仕事上、たくさんのファイルを目にしていた。
ファイルには決まったものたちを全て入れることになっていたけれど、私はその中のほとんどが使われてないことを知っていた。
その使われてないものしかほとんど見たことがなかったから、それが当たり前だと思っていた。
その人が携わった仕事ファイルを見て驚いた。
白紙で毎回鎮座している用紙に全て記入があった。
数ヶ所の署名欄には署名がきちんとされていた。
誰もチェックしないページのところまで署名がされていたぐらい。
ちなみにそこに署名していたのは、その人以外誰もいなかった。
仕事用資料にも、全部細かく日付と名前を書き込んでいた。
誰も見てないようなところも一切手抜きがなかった。
数冊見たけれど、どれも同じように完成していた。
その人がいた時は、その人の仕事ぶりは目で見るものが全てだったから、実際の仕事の中身は見たことがなかった。
目で見てる限り仕事がすごくできるのはわかったけれど、それを証明できるものは仕事の絡みがないから見る機会がなかった。
ファイルに挟まれていたメールに続いて、見ることができた成果物だった。
私の想像以上にすごい仕事ができる人だったんだな…とそのファイルたちを見て思った。
そして、そのファイルのありかについて聞いてもらえて良かった。
その人が自分の仕事で必要だから聞いてきたことを知っていたから、私も「もしかして何か書かれているかも」という予測ができたし、それがなければ自分では見ることもしなかったと思うから。
いつの会話だったのか忘れたけれど、その人がいなくなってからだいぶ経った後、後輩くんと事務さんとで何かしらの仕事の進め方について話をしていた。
後輩くんは「××さんの時はどうしてたんですか?どうやって見極めて判断してたんですか?」みたいなことを事務さんに聞いていた。
事務さんは答えていた。
「もうさぁ、わかると思うけれど、××さんは絶対に無理だったから、〇〇ちゃんに毎回聞いてたよ!本当は〇〇ちゃんに聞いちゃいけないことだったけれど、頼れるの〇〇ちゃんしかいなかったから、だから〇〇ちゃんに聞いてたんだよね」
「そうだったんすねー。〇〇○さんならきちんとそれ判断できますもんね」
事務さんはその人に頼りきっていたことを説明しながら、後輩くんもそれなら絶対大丈夫だったと確信しながら、話をしていた。
(断片的にしかわからなかったけれど、後輩くんともう1人の人に替わってから、その何かしらの決定に毎回かなり苦戦してた模様。
事務さんたちも男性陣不在の時に相当不平不満を言っていた)
本人はそんな風に評価されてたなんて知らないだろうなぁと思いながらその様子を見ていた。
ちなみにぬけさくなところもあって、いつだったか誰もいなくて私が来訪者の応対をしたことがあった。
町内会の役員のおじさんで、町内会費がうちのところだけ支払われていないということの催促に来られた。
かなりネチネチと言われたけれど、私は誰の担当かもわからなかったから、とりあえず事務さんに事の顛末を伝えた。
山ほどクレーム対応をしてきたから、そのおじさんのネチネチは平気だったけれど、それがその人の担当とは知らず、あぁ本人に私が直接言いたかったなぁなんて思った。
あとから、本人がいない時にあんなに机の上が汚いからそういう書類がなくなるんだよと言われていて、笑いそうになった。
そして、対応したのが私で良かったなと思った。
これ事務さんのどちらかなら、後から私の10倍は話を盛って本人がいないところで文句をぶうたれてたと思うから。
基本的にきっちり仕事をする人だというのは見ていてわかったから、逆にそういうちょっとした抜けとか、机周りのごちゃごちゃ感とか、夏になっても置きっ放しのダウンとか、そういうアンバランスな感じが私にはツボだった。
役職名はいかついし、仕事は真面目にしっかりしてるし、外見はイケメンだし…と隙がないと言うか、近寄りがたい要素満載過ぎたから、少しでもそうした抜けてるところとかを見るとホッとした。
その人がいなくなった翌日の日記にこんなことを書いている。
「Sさんと話してて、私何一人で高嶺の花のようなさわやかイケメンを選んでるんだろうって思った。他にもっと男の人いるじゃん!って。しかも〇〇さん、自分ががんばらなくても女の人寄ってくるよねって。私もその1人だ。なんかアホアホな感じがしてきた」
自分を卑下するつもりはないけれど、私では不釣り合いな感じは否めなかった。
だから、その人の人間らしいところ、抜けてるところとかうっかりしてるところとか、本当はそういうところをもっともっと知りたかった。
ーー2017年12月8日
〜日々の記録ノートより〜
〇〇さんがいたことで、ドシッとかまえてる〇〇さんがいて安定していたこと
いざとなったら絶対に頼れる人だったこと
〇〇さんが感情を表に出さないタイプの人だったからそれで根底が落ち着いていたこと
もちろん100%なんてないけれど、私も自分のことに集中できる、安心して集中できていたこと
↑こんな風に書いていた。
職場の中がものすごく不安定でみんながイライラを募らせていた時期で、そんな時にその人がいた時がどうだったのか私なりに分析して書いたメモ。
ーー以下携帯メモより抜粋
・・・2017年10月1日
過去に生きるつもりはない。
だけど、憶えておきたい。
本当にあったことを。
・・・2017年10月7日
【『カフカ』さんという方の本より抜粋】
本気だから傷つく。
それは多分むき出しの心でぶつかっているから。
誰にでも心をすべて見せることはない。
どこかで人と距離をおく。でも本気の人は別。
自分のことをわかってほしいから距離は近くなる。
近づくから心にふれる。
傷つくことを恐れては
相手の心に届かない。
(p258)
言葉にして
はじめて形になって
温度がうまれる。
言葉にすることで
相手の奥の奥に
自分の気持ちを
そっとおいてくることができる。
(p284)
当時は、自分が言葉にできない部分を女性向けエッセイ本とかを読んで、それで自分の心の言葉を埋めてた。
特に2つ目の言葉は、すごく響いた。
私も置いてくることができたのかな…と、それができたとするならそれだけでもなんだか嬉しいなぁと。
・・・2017年10月9日
前職場の〇〇さんに窓口で会ったこと
郷さんがドルチェ〇〇のお菓子を差し入れてくれたこと
このメモは、過去の思い出の一部。
それを思い出した時の衝撃はすごかった。
\(´⊙ω⊙`)/ってなった。
(↑自分なりに驚きの絵文字を作ってみた)
その前の職場でその人と同じ苗字の男性〇〇さんがいた。
前の仕事とその次のその人と出逢う仕事の間に1週間程度の休みがあった。
その時に役所の諸々の手続きに行った日、なんとその〇〇さんにバッタリ会った。
〇〇さんとは、〇〇という名のラーメン屋で会ったり、郵便局で会ったり、窓口で会ったりと、他の人とは起こらないシンクロだらけだった。
郷さんの差入れはこんな風だった。
当時1ヶ月だけ休日窓口を設けていて、私は1日だけ休日出勤をした。
郷さんは正規の方で、その日臨時で出た人たちにわざわざ差入れを持ってきてくれた。
その時に配られたスイーツが、後に私のこのブログを再開するきっかけになったその人の苗字が入った洋菓子屋さんのものだった。
1年前(2017年)の今頃、その人との間にあった出来事をブログに書こうかと初めて思った日、その洋菓子屋さんの名前入りの車の真後ろにたどり着いて(プラスもう2つのシンクロ)、そんなレアなことが起こったことで私はブログを再開した。
で、そんな風になる半年ぐらい前、まだ私がその洋菓子屋さんの存在も知らなかった当時、郷さんがそこのお菓子を差入れしてくれた。
郷さんは、その洋菓子屋さんがある隣りの市の住人ではないし、ましてや休日出勤の窓口は新幹線の停まる大きな駅のすぐ近くで、差入れするためのお菓子屋さんならたくさんある。
郷さんがどうしてそのお店のお菓子を差入れしたのか、ましてやどこで買ったのかも知らないけれど、とにかくそんな風にして私はそこの名物菓子を知ることになった。
しかも郷さんも毎週土日に差入れしたわけではないと思う。
その日は小学生の子どもを連れて、近くに用事があったとかなんとか言っていた。
ということを突然思い出して、そんな偶然ってあるの?と思った。
1つ1つのことは全く関係ないけれど、その人に出逢うことを軸にすると、1つ1つの関係ない出来事までもが全て1本の線で繋がるようになっていた。
・・・2017年10月10日 0:48
今日人生最後の日なら
〇〇さんに伝えたいメッセージを言葉に置き換えてさらにはそれを見える化にしたから
何も後悔はない
ブログをその人に伝えるためだけに本格的に再開したその日の夜に浮かんだ言葉。
・・・2017年10月19日
この瞬間一番欲しいものは手にしていない。
だけどそこに対する気持ちだけは持っている。
それが全てだと思う。
・・・2017年11月1日
【本『ミラクル 奇跡の毎日が始まる』より抜粋】
本音を伝える
あなたの中に閉じ込めている本当の気持ちを伝えましょう。
大きなことから何気ないささいなこと、ちょっとした疑問まで、その大小にかかわらず、どんなこともです。伝える相手、互いの立場、「いつどう伝えるか」といった場面などは一切関係ありません。
今、あなたの本当の思いや気持ちを、すべての流れが必要としています。
すべての物事は、パズルのようにぴったりとはまっています。あなたの本音は、パズルの大切なひとつのピースなのです。あなたが本音を伝えることで、ほかのピースもはまるでしょう。
今、全体はあなたのピースを必要としています。
湧き上がってきた思いを、無視してはいけません。
それは、チャンスを逃しているのと同じこと。
自分を深く知るチャンスを、物事がありのままになるチャンスを。
自分に、世界に、奇跡が起こるのは、あなたが「本当の音」を出したときだけ。
(p56)
・・・2017年11月28日
4:39
あの冷たい目
キラキラした目と冷たい目
その両方を見た私
何でも両極端を見てきた人生の流れがあったからこそ、その冷たさだけじゃない温かさも知れる、そんな風に感じる
19:21
Sさんから〇〇さんが「☆☆☆☆LOVE」と口にすることを教えてもらう
(☆=その人の好きなもの)
明け方のメモは、キラキラした目も冷たい目も両方を見ることができた自分に対して、片方だけじゃない両方を知れて良かったという気持ちと、冷たい目があるからより一層温かい目が際立つことへの称賛のような気持ちで書いていた。
夜のメモは、羨ましかった。
LOVEの相手は人じゃないけれども、LOVEと言ってもらえることがめちゃくちゃ羨ましくて、そしてヤキモチを焼いた。
ーー2017年7月2日
改めてお礼を言うかどうか5日間も迷った自分がいた。
そんな悩みに5日間も費やすなんて、粋なことだった、今振り返ると。
普段ならさっさとお礼を何の気構えもなくさらりと言う。
その場でありがとうございますとは言ったけれど、もう一度きちんと言いたい、そう考えた。
お礼も言いたかったけれど、ちょっとでもいいから今よりももうちょっとだけでも仲良くなれないものかと、そういうよこしまな気持ちもあった。
その頃には、その人が無駄話をするタイプじゃないことはわかり始めていたから、そもそも突然話しかけるような形でお礼を言うのも超難易度が高かった。
どのタイミングで言うの?とか、そんなことだけ言うために話しかけるって変じゃない?とか、今さら…って思われるかもとか、まぁ頭のお喋り具合はすごかった。
日が経てば経つほど言いにくくもあり、1人でああでもないこうでもない、と悩んでいた。
言う!と決断できたのは、その前々日ぐらいに電話がきて、その方から「今できることをする」ということを教えてもらったから。
内容は忘れたけれど、その方はけっこう大きな問題を本人が前にしたのか周りがそうだったのかで、それでその言葉を口にしていた。
今できることは逆に今しかできないみたいなことも言ってた気がする。
それで私は言おう!って決めて、そしてタイミングよく言える瞬間があった時に、突然話しかけてそしてお礼を改めて言った。
素っ気ない返事が返ってきて少しばかり残念だったけれど、まぁ言えたは言えたからいいかとその場は終わった。
そんな風に悩めた当時が今となってはとても粋でとても贅沢だったなぁと思う。
その時はまだ明日もあさっても来週も来月も数ヶ月後も普通にやってくると疑わなかったから。
ーー2017年10月1日
1万年以上保存がきくというツバメノートを購入した。
そこに記録を残そうと思った。
その人との間であった小さなやり取りたちを記そうと思って選んできた。
持ち帰ったテプラの名前のシールや、小さな本人直筆のサインのコピーもそのノートに貼ってある。
その日の私はすごい願い事を日記の中でしていた。
「新しいところでも今みたいに近寄りがたいオーラを出してて欲しい。女の子が言い寄ってきたら、私にしたように超冷たくつき離して欲しい(←身勝手)」
世の中には男の人がたくさんいるのに、どうしてその人なんだろう…って書いていた。
自分のタイプを書き並べて、今でもそういう人がタイプだと思っているのに、なんで〇〇さん?って失礼なことも書いていた。
色々やさぐれたこと書いた後、最後にこんな風に書いている。
「恋とも愛とも呼ぶのに抵抗があって、唯一自分の中で抵抗なく受け入れられたのが『愛おしい人』だった。何がどう愛おしいのかなんてわからないけど、それだけはしっくりときた」
ーー2017年10月2日
朝出勤前の車の中で号泣する。
猛烈に寂しくなって、仕事行く前なのに目が真っ赤になるほどに泣いた。
しばらくそんな日が続きまくる。
「涙の理由はうまく説明できないし、自分でも正直わからない」
涙はくしゃみや鼻水の生理現象に近くて、泣きたいわけじゃないのに涙が勝手に出てくる、そう書いてた。
1年するとそこまでの涙は出てこなくなったけれど、この振り返りノートを書いている途中、何度も涙がドバッと出てきた。
冒頭の贅沢な悩みもそうで、今それ読むと泣けてくる。
その人が目の前にいた時間、そして小さなことに一喜一憂しながらもその人を見ていられた時間、色々思い起こすと心の奥の方が震える。
その人は私のよくわからない涙を誘発する人になっている。
ーー2017年10月11日
〜最終日から2週間後〜
ファイルの片付けをした。
そのファイルは、その人にそれならここにありますよ、と教えたファイルだった。
もしかしてその人が携わった仕事だから、何かしら書き込みがあるかも!と期待して開いて見たらビンゴ!
そのファイルを見て、私はますますその人の仕事の仕方に惚れ込んだ。
仕事上、たくさんのファイルを目にしていた。
ファイルには決まったものたちを全て入れることになっていたけれど、私はその中のほとんどが使われてないことを知っていた。
その使われてないものしかほとんど見たことがなかったから、それが当たり前だと思っていた。
その人が携わった仕事ファイルを見て驚いた。
白紙で毎回鎮座している用紙に全て記入があった。
数ヶ所の署名欄には署名がきちんとされていた。
誰もチェックしないページのところまで署名がされていたぐらい。
ちなみにそこに署名していたのは、その人以外誰もいなかった。
仕事用資料にも、全部細かく日付と名前を書き込んでいた。
誰も見てないようなところも一切手抜きがなかった。
数冊見たけれど、どれも同じように完成していた。
その人がいた時は、その人の仕事ぶりは目で見るものが全てだったから、実際の仕事の中身は見たことがなかった。
目で見てる限り仕事がすごくできるのはわかったけれど、それを証明できるものは仕事の絡みがないから見る機会がなかった。
ファイルに挟まれていたメールに続いて、見ることができた成果物だった。
私の想像以上にすごい仕事ができる人だったんだな…とそのファイルたちを見て思った。
そして、そのファイルのありかについて聞いてもらえて良かった。
その人が自分の仕事で必要だから聞いてきたことを知っていたから、私も「もしかして何か書かれているかも」という予測ができたし、それがなければ自分では見ることもしなかったと思うから。
いつの会話だったのか忘れたけれど、その人がいなくなってからだいぶ経った後、後輩くんと事務さんとで何かしらの仕事の進め方について話をしていた。
後輩くんは「××さんの時はどうしてたんですか?どうやって見極めて判断してたんですか?」みたいなことを事務さんに聞いていた。
事務さんは答えていた。
「もうさぁ、わかると思うけれど、××さんは絶対に無理だったから、〇〇ちゃんに毎回聞いてたよ!本当は〇〇ちゃんに聞いちゃいけないことだったけれど、頼れるの〇〇ちゃんしかいなかったから、だから〇〇ちゃんに聞いてたんだよね」
「そうだったんすねー。〇〇○さんならきちんとそれ判断できますもんね」
事務さんはその人に頼りきっていたことを説明しながら、後輩くんもそれなら絶対大丈夫だったと確信しながら、話をしていた。
(断片的にしかわからなかったけれど、後輩くんともう1人の人に替わってから、その何かしらの決定に毎回かなり苦戦してた模様。
事務さんたちも男性陣不在の時に相当不平不満を言っていた)
本人はそんな風に評価されてたなんて知らないだろうなぁと思いながらその様子を見ていた。
ちなみにぬけさくなところもあって、いつだったか誰もいなくて私が来訪者の応対をしたことがあった。
町内会の役員のおじさんで、町内会費がうちのところだけ支払われていないということの催促に来られた。
かなりネチネチと言われたけれど、私は誰の担当かもわからなかったから、とりあえず事務さんに事の顛末を伝えた。
山ほどクレーム対応をしてきたから、そのおじさんのネチネチは平気だったけれど、それがその人の担当とは知らず、あぁ本人に私が直接言いたかったなぁなんて思った。
あとから、本人がいない時にあんなに机の上が汚いからそういう書類がなくなるんだよと言われていて、笑いそうになった。
そして、対応したのが私で良かったなと思った。
これ事務さんのどちらかなら、後から私の10倍は話を盛って本人がいないところで文句をぶうたれてたと思うから。
基本的にきっちり仕事をする人だというのは見ていてわかったから、逆にそういうちょっとした抜けとか、机周りのごちゃごちゃ感とか、夏になっても置きっ放しのダウンとか、そういうアンバランスな感じが私にはツボだった。
役職名はいかついし、仕事は真面目にしっかりしてるし、外見はイケメンだし…と隙がないと言うか、近寄りがたい要素満載過ぎたから、少しでもそうした抜けてるところとかを見るとホッとした。
その人がいなくなった翌日の日記にこんなことを書いている。
「Sさんと話してて、私何一人で高嶺の花のようなさわやかイケメンを選んでるんだろうって思った。他にもっと男の人いるじゃん!って。しかも〇〇さん、自分ががんばらなくても女の人寄ってくるよねって。私もその1人だ。なんかアホアホな感じがしてきた」
自分を卑下するつもりはないけれど、私では不釣り合いな感じは否めなかった。
だから、その人の人間らしいところ、抜けてるところとかうっかりしてるところとか、本当はそういうところをもっともっと知りたかった。
ーー2017年12月8日
〜日々の記録ノートより〜
〇〇さんがいたことで、ドシッとかまえてる〇〇さんがいて安定していたこと
いざとなったら絶対に頼れる人だったこと
〇〇さんが感情を表に出さないタイプの人だったからそれで根底が落ち着いていたこと
もちろん100%なんてないけれど、私も自分のことに集中できる、安心して集中できていたこと
↑こんな風に書いていた。
職場の中がものすごく不安定でみんながイライラを募らせていた時期で、そんな時にその人がいた時がどうだったのか私なりに分析して書いたメモ。
ーー以下携帯メモより抜粋
・・・2017年10月1日
過去に生きるつもりはない。
だけど、憶えておきたい。
本当にあったことを。
・・・2017年10月7日
【『カフカ』さんという方の本より抜粋】
本気だから傷つく。
それは多分むき出しの心でぶつかっているから。
誰にでも心をすべて見せることはない。
どこかで人と距離をおく。でも本気の人は別。
自分のことをわかってほしいから距離は近くなる。
近づくから心にふれる。
傷つくことを恐れては
相手の心に届かない。
(p258)
言葉にして
はじめて形になって
温度がうまれる。
言葉にすることで
相手の奥の奥に
自分の気持ちを
そっとおいてくることができる。
(p284)
当時は、自分が言葉にできない部分を女性向けエッセイ本とかを読んで、それで自分の心の言葉を埋めてた。
特に2つ目の言葉は、すごく響いた。
私も置いてくることができたのかな…と、それができたとするならそれだけでもなんだか嬉しいなぁと。
・・・2017年10月9日
前職場の〇〇さんに窓口で会ったこと
郷さんがドルチェ〇〇のお菓子を差し入れてくれたこと
このメモは、過去の思い出の一部。
それを思い出した時の衝撃はすごかった。
\(´⊙ω⊙`)/ってなった。
(↑自分なりに驚きの絵文字を作ってみた)
その前の職場でその人と同じ苗字の男性〇〇さんがいた。
前の仕事とその次のその人と出逢う仕事の間に1週間程度の休みがあった。
その時に役所の諸々の手続きに行った日、なんとその〇〇さんにバッタリ会った。
〇〇さんとは、〇〇という名のラーメン屋で会ったり、郵便局で会ったり、窓口で会ったりと、他の人とは起こらないシンクロだらけだった。
郷さんの差入れはこんな風だった。
当時1ヶ月だけ休日窓口を設けていて、私は1日だけ休日出勤をした。
郷さんは正規の方で、その日臨時で出た人たちにわざわざ差入れを持ってきてくれた。
その時に配られたスイーツが、後に私のこのブログを再開するきっかけになったその人の苗字が入った洋菓子屋さんのものだった。
1年前(2017年)の今頃、その人との間にあった出来事をブログに書こうかと初めて思った日、その洋菓子屋さんの名前入りの車の真後ろにたどり着いて(プラスもう2つのシンクロ)、そんなレアなことが起こったことで私はブログを再開した。
で、そんな風になる半年ぐらい前、まだ私がその洋菓子屋さんの存在も知らなかった当時、郷さんがそこのお菓子を差入れしてくれた。
郷さんは、その洋菓子屋さんがある隣りの市の住人ではないし、ましてや休日出勤の窓口は新幹線の停まる大きな駅のすぐ近くで、差入れするためのお菓子屋さんならたくさんある。
郷さんがどうしてそのお店のお菓子を差入れしたのか、ましてやどこで買ったのかも知らないけれど、とにかくそんな風にして私はそこの名物菓子を知ることになった。
しかも郷さんも毎週土日に差入れしたわけではないと思う。
その日は小学生の子どもを連れて、近くに用事があったとかなんとか言っていた。
ということを突然思い出して、そんな偶然ってあるの?と思った。
1つ1つのことは全く関係ないけれど、その人に出逢うことを軸にすると、1つ1つの関係ない出来事までもが全て1本の線で繋がるようになっていた。
・・・2017年10月10日 0:48
今日人生最後の日なら
〇〇さんに伝えたいメッセージを言葉に置き換えてさらにはそれを見える化にしたから
何も後悔はない
ブログをその人に伝えるためだけに本格的に再開したその日の夜に浮かんだ言葉。
・・・2017年10月19日
この瞬間一番欲しいものは手にしていない。
だけどそこに対する気持ちだけは持っている。
それが全てだと思う。
・・・2017年11月1日
【本『ミラクル 奇跡の毎日が始まる』より抜粋】
本音を伝える
あなたの中に閉じ込めている本当の気持ちを伝えましょう。
大きなことから何気ないささいなこと、ちょっとした疑問まで、その大小にかかわらず、どんなこともです。伝える相手、互いの立場、「いつどう伝えるか」といった場面などは一切関係ありません。
今、あなたの本当の思いや気持ちを、すべての流れが必要としています。
すべての物事は、パズルのようにぴったりとはまっています。あなたの本音は、パズルの大切なひとつのピースなのです。あなたが本音を伝えることで、ほかのピースもはまるでしょう。
今、全体はあなたのピースを必要としています。
湧き上がってきた思いを、無視してはいけません。
それは、チャンスを逃しているのと同じこと。
自分を深く知るチャンスを、物事がありのままになるチャンスを。
自分に、世界に、奇跡が起こるのは、あなたが「本当の音」を出したときだけ。
(p56)
・・・2017年11月28日
4:39
あの冷たい目
キラキラした目と冷たい目
その両方を見た私
何でも両極端を見てきた人生の流れがあったからこそ、その冷たさだけじゃない温かさも知れる、そんな風に感じる
19:21
Sさんから〇〇さんが「☆☆☆☆LOVE」と口にすることを教えてもらう
(☆=その人の好きなもの)
明け方のメモは、キラキラした目も冷たい目も両方を見ることができた自分に対して、片方だけじゃない両方を知れて良かったという気持ちと、冷たい目があるからより一層温かい目が際立つことへの称賛のような気持ちで書いていた。
夜のメモは、羨ましかった。
LOVEの相手は人じゃないけれども、LOVEと言ってもらえることがめちゃくちゃ羨ましくて、そしてヤキモチを焼いた。