2018年10月23日火曜日

振り返りノート#つぶやき8

多分これが最後のつぶやき。

残すところ、2つ。

1つは、振り返りをするために行ってきたコメダで見つけた雑誌ananの中にあった言葉。

それはもう原型はできてるから、そのままアップするか、もしくはもう少し言葉を付け足してアップするかのどちらか。

もう1つは、全体を通じての振り返り。

これはまだ書き途中。

あぁ終わるんだな…、寂しいなぁと感じてる。

当初こんなに書く予定も、こんなにぶっちゃける予定もなかった。

途中からぶっちゃけることにエンジンがかかったのは、もう色んな意味で最後なら言うこと言った方が私はいい気がする、そう思ったから。

例えば、うっかり何かの拍子に思い出した妹の住んでた駅の名前なんて、はっきり言ってどうでもいい。

可愛い子の話もどうでもいい。

もう1つ書いてはいないけれど、Sさんからその人についてもっと劇薬の話が年末にもたらされた時は、年の終わりに撃沈するという全くありがたくない状況を体験した。

婚活イベントに行って迷子になった話や、ファイルの整理の話もかなりどうでもいい。

どうでもいいというのは、全く何も知らない人から見てということ。

でも私にはどれも大事なことで、それらをちまちまと集めては「あっ!」と驚き、腰を抜かし、そしてその偶然なのか必然なのかわからない重なりにニンマリしたり。

元々シンクロの起こり具合やそこに至るまでのプロセスを振り返るのが大好きだから、もうその人とのそうした接点を見つけるのは私にとって悶絶級の喜び&楽しみだった。

そして、同じことが起こるためにどれだけのことがパズルのピースとして必要なのかを紐解くのも楽しい。

その人を本当にきちんと意識できた日のことなんて、もうその中でも最高峰の話だった。

逆算するとこんな風になる。


あるものを渡してもらう

その人が私の状況に気付く

私はそれを持っていなかった

誰もその物を用意するようには言ってこなかった
(他の注意事項は教えてもらったし、そこは完璧にした!)

私も私でそこには注意が向かず、用意を忘れたというより思いつきもしなかった
(自分の抜け具合にこの時ほど感謝したことはない)

私は前半組で作業
(見た限り、前半と後半で女性陣は作業内容も作業場所も違っていた)

本当は後半組だったけれど、他の人たちの都合により私が前半組に変更

そもそもその作業が予定される

現事務所所在地になってから10数年?、初めての作業


とかいう具合に、小さなことだけど、その小さなことたちがズレてはいけないようになっていた。

しかも私は知らないけれど、その日雨が降ったらどうする予定だったのかな…と思う。

中止?

中止になったら、もうそもそもその瞬間さえ生まれない。

本当に全てきちんと予定通り進行してくれたおかげで、その瞬間を迎えた。

それは今でもしょっちゅう思う。

もし1つでもピースの形が違っていたら、今は100%ない!

そんなの誰の人生もそうだけれど、本当に1つでも形が違っていたら違う道の上を歩くことになって、その人が目の前にいても私は気付けなかったかな…と思っている。

人間の意識の稼働率なんて10%以下なわけで、いくら潜在意識や魂はわかっていても(←こちらが実際の人生を牛耳ってる)自分で意識できる部分の意識に上がって来なければ無いも同然。

だから、わかりやすい形がなかったら、完全にスルーした私。

その瞬間に至るまでの全てのピースを並べると、もう言葉では言い表せない感動を覚える。

この1年で色んなことが見えてきたから、さらにそこにはピースが加わって。

誰の何の決定かわからないけれど、御社の素晴らしい決定によりその人を新潟の地に転勤させてくれてありがとうー!だし。

本人の意思は知らない。

本人にしても希望もしなかった異動だったかもしれない。

それでも会社の閣僚決定には背を向けられない。

しかも、その異動、他の人でも良かったわけで、その人以外の候補だってゼロではなかったと思う。

だって各地にそのポジションはあるはずだから、その数の分だけ候補者もいるということ。

その人が自ら希望して新潟になったとはとても思えない。

周りは田んぼ、娯楽はないわけではないけれど都会と比べたら何百分の1、冬は豪雪地帯、異動願を出して行くような土地ではないと思う。

地元民が自らそんなこと言うのもどうかと思うけれど、私はこの町いいよ!とは薦められない。

田舎大好き、雪大好き、鬱々とした天気大好き…みたいなちょっと変わった嗜好をお持ちの方にしか薦められない。

だって、新潟って言えば日本酒でしょう!と言うけれど、新潟県民の中で車や移動手段の心配をせずにゴイゴイと飲める人なんてほんの一握り。

呑兵衛には優しくない交通事情。

故に、そんなところをその人が自ら希望して来たとはとても思えない。

新潟LOVEならもっと長くいただろうし。

ちなみに前任の人はその人の倍ぐらいの期間いたらしい。

どう考えても本人希望じゃない新潟だったと思う。

あみだくじで選考したとは思わないけれど、どこかの誰かが完璧な決断をしてくれたおかげで、その人を新潟に送ってもらえた。

そして私の数々の出来事たちも、もう帰らないとさえ思っていた新潟へ戻らせてくれた。

結果的に仕事を転々としたわけだけれど、その仕事の数+そこに至るまでの色んなプロセスにおいて、ものすごいたくさんの選択に迫られたわけで、本当に取りこぼすことなく選んできたのが奇跡だと思う。

それら双方の全てが重なって初めて同じ空間に立つことになって、そしてどうしてその作業がその日に組み込まれたのかは知らないけれど、その作業があって、そして私の抜け具合のおかげとその人のナイスな気付きがあったおかげで、その瞬間が起こった。

もう1つ、その人の気付き+行動力。

気付いてももしそのまま放置されてたとするなら、その瞬間は永遠に訪れることさえなかった。

はっきり言って、神がかり的な瞬間だった。

私はもう会って話ができないなら、そしてそれが死ぬまでそうなら、とにかく口が動くうちは自分の見てきたものを話したい、伝えたい、そういう気持ちだった。

妹の最寄駅の名前、その人なら絶対にわかる。

そういうことを一緒に笑えたら楽しかっただろうなぁと思う。

それがくだらないでもいいから、ぷっとなる瞬間があったら楽しいだろうなぁと想像する。

その叶わないことは仕方ないにしても、伝えたい欲求は満たそう!、それがこういう形になった。

書いてて本当に楽しかった。

色んな気持ちが行き来しながら、時に涙も流れれば、胸がキュッとする時もあったけれど、それでもやっぱり楽しかった。

すごいパワーだなぁと感心した。

私はたしかに色んなことをブログでも手書きでも書くけれど、意外と書いてて楽しいとは思ったことがほとんどない。

好きだとは思うけれど、「好きだな〜」なんて思いながら書くわけじゃない。

楽しいもない。

無心な感じに近い。

だけど、このシリーズは違った。

本気で楽しかった。

いくらでも書いていられた。

振り返ると、その瞬間が目の前にあるみたいだった。

もっと忘れてるのかと思ったら、そんなこと全然なかった。

どの瞬間も覚えている。

過去にもう一度戻りたい、とは思っていない。

それはその人が毎日目の前にいて最高の気分を味わったその時でさえも、そこに戻りたいとは思わない。

もしもう一度その気分を味わえるチャンスがあるなら、その時はその人と再会させてください、と本心はそっちにある。

過去はいくら振り返っても、どんなに色んな気持ちで満たされても、もう一度は体験できない。

私にあるのは今と未来だから、その今や未来に奇跡が起きたらいい。

奇跡が起きて欲しい。

終わるんだな、寂しいなぁと思いながら、あと残り2つ?書き上げる。

このシリーズ、いつも最後の終わり方に迷う。

何て書くのがいいのかわからなくて、しばし悩んでアップしたのもあるし、後から付け足してからアップしたのもある。

1つ前のつぶやきの最後は、一度アップした後に言葉を足した。

その言葉どうなの?と思いつつ、でもあれは車の中で出てきたことでずっと脳裏に焼き付いていたから、やっぱり載せようとそこだけ足して入れ替えた。

まるでその時だけ出てきた言葉みたいだけど、本当はこれ書いている間中ずっとずっとその感覚だった。

どの言葉を吐き出す時も、根底はその気持ちでいっぱいなんだと自分ですこーしだけ認めてみる。

今ボヤいて良かった。

ノートに書いたことで転記してないものがあることに気付いた。

絶対に入れようと思っていたのに忘れてた…。

それは最後のものに書こう。

キーワードは「愛おしい」。

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