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「誰かのノード回帰の時、自分もそこにちょうど居合わせて、そして自分も影響を受けることはありますか?」
占星術講座が終わった後、毎回近くのカフェに移動して「カフェタイム」なるものがある。
それは自由参加だけど、その時でないと基本的に質問タイムがない。
講座中はとても忙しくて、先生がひたすら解説や説明をしてくれているから、質問の時間がない。
だからその後のカフェタイムで、講座の内容やその他の占星術全般に関する質問をして、先生から色々教えてもらう。
ここ最近のホロスコープ調べで、私は人様のホロスコープを無断で調べて、どうしても気になったことが冒頭の質問だった。
太陽の通り道である黄道と月の通り道である白道の交点をドラゴンヘッド・ドラゴンテイルと呼んで、ヘッドの方は一般的に今世の課題と呼ばれている。
(※私個人の感覚で人によってケースがまちまちと知って、ヘッドとテイルに関しては一般論に当てはめず、聞かれた時には両方のテーマを説明するようにしている。)
ドラゴンヘッドの方は18〜19年に一度、生まれた時のドラゴンヘッドの位置に戻ってくる。
その時を「ノード回帰」と呼ぶ。
ノード回帰の時は、あの世とこの世の交点とも呼ばれるもので、人生におけるターニングポイント的な色んな出来事や出会いが運ばれてきやすい。
私のノード回帰はその1年前(2016年)にすでに終わっていて、今回私ではない人のホロスコープを出して確認してみて、ちょうど私がその人に出逢えた時というのがその人のノード回帰の時期(2017年)だった。
当人はそれをどんな風に感じていたのか、もしくは何も感じなかったのか、そこはわからない。
だけど、私側の影響は無尽蔵で、これは何なのだろう?と今でも学術的な答えは得られず、ただただ私個人の体験談だけが答えになっている。
たしかにその頃、私は私で占星術の中で一番恐れられている覇者冥王星がもたらす中年の危機真っ只中で、「破壊と再生」とか「大変容」とかいう言葉にピッタリな体験を山ほどしていた。
ただ、ノード回帰と冥王星による中年の危機とは意味合いがだいぶ違う。
ノード回帰側は、普段はずっと鍵がかかっている扉が、ノード回帰により開いて、開いた場所に魂的なご縁やそれに繋がる出来事や個人的変化を迎えるものが入り込んでくるっていう感じ。
冥王星側の中年の危機は、これまでの生き方ではもう先に進めませんよ、生き方を見直しなさい!!という個人が個人の生き方を見直さざるを得ないような状況や心の葛藤はあるけれど、それがすなわち魂的なご縁を運んでくるかというと、それは違うと思う。
そういうこともあるかもしれないけれど、そういう意味よりも個人が自分に向き合わざるを得なくなるみたいな意味の方が強い。
だから私は、その人だけじゃなく、私側にも影響がすごく、ものすごーく出たのは、その人のノード回帰から私も影響を受けたのかと思った。
それで先生に聞いてみた。
先生の答えはこうだった。
「Aさんのノード回帰の時に、武士俣さん側にも影響が出るか否かってことですよね?
基本的にノード回帰の時は、例えばAさんならAさん側には何かしら大きな変化が人生に流れ込んできやすいです。もちろん魂的なご縁とかも出てきやすいです。
そうした時にそのタイミングで武士俣さんがAさんの人生に居合わせることがあっても、武士俣さんの方に影響が出ることは基本ありません。その時にちょうどAさんの人生にいるということはあっても、言うなれば『そこにいる・巻き込まれている中の1人』というだけで、武士俣さん側が大きく影響を受けるということはないですね」
それを聞いて、真っ先に「神々の審議会」云々のフレーズが頭をよぎった。
その人にまつわることは、ホロスコープでさえも説明できない何かなんだというのはわかった。
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いきなり過去のブログから始まったけれど、突然どうしても気になって私はとあることを調べた。
文中の「その人」は、このブログに数えきれないくらい登場しているイケメン上司。
調べたのは、イケメン上司の「ノードリターン」の時。
イケメン上司に初めて出逢った日のイケメン上司のノードは、イケメン上司の生まれた時のノードに対して360度ある中の1度ほどズレた位置にある。
それだって18年から19年に1度しかやってこないことを考えたら十分すぎるくらいにビンゴだけれど、もっと0度誤差のあたりはいつだろうと思って探した。
当時の私は日々のことをどこにも記録していないからどうしてもその日が5月の何日だったのかは思い出せないけれど、いくつか見当をつけて、それでピッタリ0度になるかどうかを見てみた。
おそらくだけれど、私が派遣会社からイケメン上司のいる職場から求人が来ているけれども行きませんか?と電話で連絡をもらったその日こそ、ピッタリ0度のイケメン上司側のノードリターンの日だったんじゃないのかなと思う。
妄想とかじゃなくて、本当にその可能性が高い。
なんだか妙に納得した。
イケメン上司の目線に立つと、そんな人生で何回も訪れないノードリターンの時に運ばれてきたのが私ではテンションの上がりようもなければ、何かの間違いかとさえ思うかもわからないけれど、私としてはエキストラみたいな感じでその瞬間に居合わせることができてめちゃくちゃ光栄だなと感じている。
ちなみに調べたついでだけれど、私が顔合わせとして初めてイケメン上司がいるその事務所に行った日の方が初めてイケメン上司と顔を合わせた勤務初日よりもイケメン上司の生まれた時のノードに近い。
当時のイケメン上司にしたら、自分の異動の内示もそれとなく出ていたんじゃないかと思うから、そちらの方がノードリターン的な節目だったかもわからないけれど、その時にまさに魂的な出入口がパカっと開いて新規でイケメン上司の人生に流入してきたのは私以外にいないんじゃないかと思う。
本当に近くには田んぼしかないような職場で、しかも毎日朝早くから夜遅くまで仕事をしていただろうイケメン上司はひたすら家と仕事の往復だったのかな…と思うけれど(要は娯楽がない地域)、だから自分の人生に全くの新人が新規で入り込んでくるなんていうのはほぼほぼないんじゃないかと思う。
そんな環境下でやってきたのが私。
私がやってきて良かったかどうかなんて想像することさえゾッとする内容だけれど、少なくとも現実にイケメン上司のノードリターンに合わせたかのようにやってきたのが私だったのは間違いない。
先生がそう言えば言っていたな…という言葉を思い出す。
ノードリターンの時に運ばれてくるご縁というのは、自分からして選べるものとは違うから、良いものもあればそうではないものもくるということ。
縁としてエントリーすることさえ憚(はばか)られるけれど、良い方とは真逆のエネルギーを備えたのが私だったのかもしれないな…と思う。
のしを付けて返したいくらいの人がやってきたかもわからないけれど、とにかくそんな人生で滅多にない天体の組み合わせの時に(単純に平均寿命くらい生きるとするなら、1人あたり人生で4回経験する計算になる)私は運良くそこに居合わせることができたのは本当に嬉しいしとてつもなく光栄。
イケメン上司からしたら、この上ないボランティア状態で私側の人生向上のためにいてくれたようにしか見えないけれど、私側は本当に良かったなと思う。
*
上の内容をもっと書き足して誕生日前にアップする気満々でいたけれど、なんだかバタバタとして(プラス、イレギュラーなことが色々重なって、いつものように疲れてお布団と友達状態だった週末)、それで今頃になった。
「今頃」とか言っているけれど、これがいつ本当にアップできるかはわからない。
当初は「42歳に書く最後のブログがイケメン上司にまつわることっていいな(♡´艸`)♡」なんて思っていて、「43歳最初に書くブログはなんだろう?(ワクワク)」みたいな気持ちでいたけれど、結局「43歳最初もこの記事を書くことから始まった( ̄∀ ̄;)!めでたいけれど、その、まぁ…v( ̄∀ ̄;)v」という感じになっている。
で、こうなったからには、誕生日前も後もこだわらなくて良くなったから、逆に丁寧に書きたいなと思った。
そんな風に日が延び延びになったことで、このノード回帰にまつわることのネタまでやってきたから、一緒に書いてアップしたいと思う。
父のいとこが2月に亡くなって、その遺品整理諸々で県外から親戚たちが新潟の田舎町の中のさらに田舎にあるいとこ宅に毎週やってきている。
最初の週は私が金沢に行って見事に避けられて、次週は近くのビジネスホテルに泊まってそこでも避けられて、でもいよいよそんなに毎週毎週は避けられないから、今回(誕生日の翌日に)初めて顔合わせをした。
私は数歳年上の、自分からするとはとこにあたる男性2人に初めて会った。
今回の父のいとこの死に関しては色々感じたことがたくさんあったから、それについて別に書きたいとは思っているけれど、この記事にまつわることについて少しだけ触れたい。
まずは、血縁関係があっても、43歳になる今の今まで私はその2人と会うことが全くなかった。
母いわく、どちらかの方には幼い頃にそれこそ父のいとこ宅(武士俣の本家)で会ったことがあるらしいけれど、記憶に全くないし、とにかく初めての職場や集まりなんかに行って初めて会ったと言わんばかりの「はじめまして」の感じにそっくりだった。
そんな超レアな体験をした時に思ったのは、血の繋がりよりも本当に縁がある人とは会えるということと、反対に血の繋がりがあっても他人同然の人はそのようにしかならない人生の流れがあるということ。
イケメン上司とは、縁があったとは言い難いほどに何にも具体的な交わりはなかったけれど、それでもイケメン上司がいる時空間に4ヶ月弱行くことができて、目の前で毎日見れていたことは私からしたら「縁」と呼ぶには十分すぎるほどの状態だった。
本当に「もたらされたもの」という感じだったし、大事な時間だった。
今でもイケメン上司が私の人生に現れてくれて良かったと思っているし、それについては変わらずにずっと感謝の念が湧き続けている。
そうやって出逢わせてもらえたことは本当の本当に良かった。
縁がある・ないは、自分ではどうやったって決められない。
イケメン上司の件については、縁があると言えるような状態とは違っていても、少なくともイケメン上司がどんな感じの人なのかほんのちょっぴりと見ることができて、発してる空気とか、声とか、働く時の姿勢とか、女性事務さんたちに気を使う姿とか(笑)、そういうものを見られた。
そしてこの5年もの時間、不思議なぐらいに私のオカルト体質含めた色んなことに、イケメン上司はものすごく影響をもたらしている。
そのように縁のある人には変わりなくて、私は本当に良かったと日々日々今も感じている。
*
そのはじめましてのはとこ2人のうちの1人を見て驚いた。
最初マスクをしていて、私はそのうちの1人の目元と放ってる空気くらいしかわからなかったけれども、その1人がイケメン上司に似ていた。
よくよく見たら違っていたけれども、まとってる空気はどことなく似ている。
あれから数日経って風呂に浸かっていたら、「あ!」とわかった。(たしかきちんとした学術的な理由もあったと思うけれど、シャワーや入浴する時は、日常の思考が緩まって潜在意識がのぼりやすかったり、ヒラメキがやってきたりしやすい。)
「やさしさ」の空気感だと思った。
ちなみに2人ともとても良い方たちで、人情味溢れた感じの人で、正直な話、そんなに父方の親戚の良い話をこれまで全く聞いてこなかったから2人を見て本当に驚いた。
遺産狙いとかそういうことではなく、本当にとてつもなく大変な手続きや整理を父の従兄弟のお姉さんたちの息子たちが毎週通ってきてやっている。
それはそうとして、そのイケメン上司に似ている方の私からしてはとこの人は、とにかくやさしい空気が出ている。
どちらかと言えば物静かで、にぎやかなタイプとは違う。
イケメン上司はさらに輪をかけて静かな感じではあるけれど、そして顔は見れば見るほど違っていたけれど、あのやさしい感じは似ている、そう思った。
イケメン上司の放っている空気感をこれまで上手く言葉で説明することはできなかったけれど、あの感じはやさしさが根底にある人の空気感なんだと今回わかって妙に納得した。
イケメン上司をそういう視点で見たことがなかったし、本人にしたら「自分はやさしくない」とすぐに否定してくるかもわからないけれど、そういうものは今日いきなり身にまといたくてもまとえるものではなくて、子どもの頃から積み重ねてきたものがあって初めて滲み出るものだと思う。
そういう空気をそのはとこの人を見て、そして少し感じが似ていたというだけでそのように感じた。
私は絶対音感を持っているけれど、ドとレの違いだけじゃなく、ドとドのシャープ(ドとレの間の黒鍵の半音上がったところ)の違いもはっきりとわかる。
そういう微細な差に似た「空気感の分類」みたいな中で、イケメン上司とイケメン上司に似ていたはとことは、同じグループに属する感じ。
「やさしい」空気を醸し出すグループがあるとするなら、2人ともそのグループの所属になる。
イケメン上司も私にも最初は普通に接していたし、その接し方がいつもやさしくて柔らかい感じだった。
その態度を急変させたのは他の誰でもない私でも、そうであった時さえもイケメン上司の無為自然なところはやさしいまんまだったと私は思っている。
*
週明けの月曜日に派遣会社の担当者から連絡がきた。
この方はちなみに西島秀俊風なイケメンの方だったりする。
営業所内でのトップなのに全然偉そうにしてなくて、物腰も柔らかで穏やかな方なのに、仕事なんかの困り事はきちんと企業に申し入れをしてくれるキッチリ仕事をこなすタイプの方。
さすがに電話が来る用事なんかないから、電話が来て超ビックリして、着信履歴を見て即折り返した。
用事は年度が変わったら微々たる金額だけれど昇給するということで、それに伴う事務連絡が用件だった。
私はこれはまたとないチャンス!と思って、ずっと聞きたかったことを聞いた。
「とてつもなく変なお願い、しかも仕事に全く関係のないお願いなんですが」と前置きして、もし派遣会社側に私への連絡履歴が残っていたのならその日にちを調べて欲しいと言った。
コールセンターで働いていたからわかるけれど、基本的に電話の履歴はシステムに残すのがどこも通例だから、派遣会社も派遣会社の事務所から連絡したものなら記録が残っているんじゃないかと思った。
聞いたらビンゴで、それは2017年5月で、最初にA社(イケメン上司がいる企業)の仕事の紹介の電話の日ですと伝えた。
ちなみに今回みたいな電話は記録に残らないようで(単なる事務連絡)、そうではない紹介とか諸々の重要事項なんかだと残るような言い方をされていた。
担当者の西島さんは今事務所にいるということで調べてくれて、「2017年の5月ですよね、ええっと…、何件か電話がいってますね…」と探しながら見てくれているようだった。
当時次の仕事の紹介をお願いしていたから、何件か紹介電話が来ていた。
私は記憶が曖昧で当時の派遣先の正式な社名をパッと言えなくて、代わりにイケメン上司所属側の企業の名前を言った。
一部がかぶっているから、それを言えばわかってもらえるだろうと踏んだ。
「ありました!A社ですよね!
待ってくださいね。
電話したのは佐藤ですね」
「そうです。名前も思い出しました。女性の事務の方で、その方で間違いありません」
「2017年の5月22日ですね、A社を最初に紹介したのは」
そんな風にやりとりをして、私はイケメン上司がいる職場への仕事の紹介が来た日がどの日か特定することができた。
西島さんは私の質問に拍子抜けしたような感じだったけれど、私もその日が何日だったのか色々探したけれどどこにも書いてなくて…とか適当なことを言って、お礼を伝えて電話は終わった。
*
家に帰って、まずは2017年5月22日に日にちをセットしてホロスコープを出してみた。
イケメン上司の生まれた日と2017年5月22日とを重ねた。
˳✧༚*☆・:*+. リンゴンリンゴン˳✧༚*☆・:*+. ˳✧༚*☆・:*+.
ドンピシャ、0度でピッタリとイケメン上司が生まれた日のドラゴンヘッドの位置に2017年5月22日のドラゴンヘッド が重なった˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚←私の心情
えー、やっぱりぃー!?、マジでー!?、と半狂乱になりながら喜んだ。
色々思った。
その日というのは、もしかしたらイケメン上司の転勤の内示が出たとか、または後任の後輩くんが着任したとか、少なくともイケメン上司から見て私などまだ姿形も現してないわけで無も同然だったけれど、こうした魂案件だけあって水面下では宝くじ1等を当てる以上に難しい確率を見事に引き当てて、きちんと魂の扉が開いたところに私の仕事紹介の話は来ていた。
自分の意志で開ける扉とは違うから、「そんな面倒くさい女、俺の人生に現れてくれなどとお願いした覚えはない」となっていてもおかしくないだろうけれど、そういう匙加減は人間の頭で計算できるようなものじゃないから、かなり個人の意志など無視した形で、でもとても絶妙な加減で為される。
異例の速さで決まった仕事だったのは、そうした魂的な人生の意図が絡んでいたからだと思う。
私にとってはすんごい嬉しい天空の状態だったけれど、実際のところどうなんだろう…?と疑問に思って、ノードリターンの中でも人間同士の縁について次の日の仕事中、ネットで調べた。
ドラゴンヘッドの説明でわかりやすい言葉があった。
魂の軌道(太陽)と前世の軌道(月)が交わる点。
生まれた時の魂と前世の軌道が交わる点のところに、18〜19年に1回、同じところにまたその点がやってくる。
イケメン上司側の魂も前世もガッツリと開いた扉に、そうだとは何も知らない私のところにイケメン上司に出逢うための招待状がやってきたことは、(イケメン上司は出してなくても)単純に嬉しい。
そもそも魂絡みだから、甘い蜜ではなくて苦すぎる薬のようなものがもたらされるのが魂の成長には大事だから、そう考えると私なんかはある意味ピッタリな人員配置、キャスティングだったんじゃないかと思う。
だって、自分好みの異性が目の前に現れて、その子からごはんに行こうなどと誘われたら、そりゃ天にも昇る心地になれるだろうけれど、魂はそんな甘いものは好まないから、誰得?何得?!?(・_・;?みたいな、はっきり言って苦行+迷惑+無理ゲー+各種絶対に関わりたくない分野をごそっと持ち込まれるのが魂案件に相応しいものだと思う。
そういう意味で私ピッタリじゃん( ̄∀ ̄;)と思う。
とにもかくにも、私が当時の仕事を紹介された最初の日というのが、イケメン上司のまさにノードリターン!!!という日だった。
*
こんなこと、誰にも聞かれていないけれど、時間の経過と共に私の中で考え方が変わったところがある。
イケメン上司と本当に縁があるなら、また出会える、今の私はそんな風に思うようになった。
逆に言えば、縁がないならもう生きてるうちに会うことは叶わないようになってるはず。
たしかにホロスコープ上でははっきりと魂の扉が開いたところにポンと私が入って行って縁があるのはわかった。
でもそれはそれだし、現実的な縁は現実的な世界できちんと選べるようになっている。
選ぶというのは、私じゃなくてイケメン上司が。(冒頭の先生が教えてくれた話にあるように、主人公はイケメン上司で私は単なる脇役というか居合わせただけの人でしかない。)
だから、ホロスコープではっきりと示されたような縁に従って私と仲良くする必要なんか全くなくて、それはイケメン上司の意志に確実に委ねられるところだと思う。
もしくは、これだけ強固でそれこそ神々の審議会で決定されるようなご縁なら、強制的にその縁の意図が達成されるのかもしれない。
一緒に何かを共有することがその意図なら、また再会の機会を得るだろうし、反対に5年前の当時に対面での目的が全て果たされたとするなら、目的というのは魂的な目的の方、そうならもう残りの生きてる時間で会うことも叶わないと思う。
そういう考え方にシフトできて、私としてはものすごく気持ちが楽になれた部分がある。
もちろん、会いたいと思う。
でもそれが叶う叶わないはもはや私の力の及ぶところで決められないから、もうなるようにしかならない、そう思っている。
このこれを何日にも渡って書きながら、途中気付いたことがある。
今の私は、イケメン上司のことで何ひとつ悩んでいないこと。
そりゃ、希望やら願望やらは雨あられのようにとどまることを知らないくらいにありまくりではあるけれど、そのどれもが叶わないからと言って悩んでもなければ、悔やんでもない。
ある意味とても健全で、そして悩みがない分、自分の気持ちだけにひたすら忠実でいられることにも気付いた。
イケメン上司との関係が一歩前進することで出てくるかもしれない悩みならいくらでもウェルカムなんだけどな…と好き勝手なことを思いつつ、でも今は今で何の悩みもないことはその恩恵もたくさんあるわけでいいなと思う。
まるでアイドルの追っかけとか「推し」みたくなっているけれども、悩まずにひたすら相手を想えるというのはとてもしあわせなことなんじゃないかなと私は思っている。
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いつのまにか、今の職場の上司の1人が転勤でいなくなっていた。
紛らわしいからその方のことはここでは「上席」と呼ぼう。
物理的距離で言えば、イケメン上司と私の当時の職場の席くらいの距離感で、大きめの事務机の5個先が上席の席だった。
その方は関東への転勤が告示されていたから知っていたけれど、気付いたらいなくなっていて、いつからいなくなったのかはわからない。
私だけじゃなくて、他の人たちにもほぼほぼ挨拶をしなかったんじゃないのかなと思う。
同じ部の部長とかそれ級の人にのみ挨拶したんじゃないのかなと想像する。
机の整理をしていたのは気付いたし、次の転勤先に引継ぎ及び引越しで行き来していたことにも気付いた。
だけど、何ひとつ感じることもなければ、「あ!いない、いつからいなくなったんだろう?」となったくらいにいないことさえ違和感がなかった。
イケメン上司の転勤の時とは全く違っていて、今のところは元々の事務所の面積も広いから、誰かがいなくなっても本当に気付かないくらい、何の感情も湧かない上席の転勤だった。
挨拶して欲しかったとかそんなことはないけれど(昇格しての転勤なのにきちんとその辺りをしていないことはどうなのかと疑問はあるけれど、元々色々と社会の非常識を普通にやっちゃう企業体質ゆえにさもありなんという感じ)、いつのまにかいなくなった上席を見て、イケメン上司の時にも十分同じことが起こる可能性があったんだなと思った。
最後の日、イケメン上司の頭の中に「武士俣さんへの挨拶」なんていう選択肢ははなからなかったと思う。
「武士俣さんが挨拶に来ちゃうかも」懸念はあっても、「最後だから挨拶しよう」なんて気は1ミリもなかったと断言してもいいくらい、そういうものはイケメン上司から感じられなかった。
他の人たちには挨拶しても、私だけには上手にかわして何もないように伏線張られまくりだったんじゃないかと想像する。
イケメン上司は上手く逃げたつもりだったかもしれないその後に、階段を上りきった先に私が立っているなんて、ある意味ホラーみたいな状態だったんじゃないかとさえ思う。
私がその場で挨拶を切り出さなければ、絶対に何も言わずサーっとそのまま事務所に入ったと思う。
不意打ち食らうわ、この期に及んで挨拶はかまされるわで、踏んだり蹴ったりだったのかもしれない。
棒読みのようなお世話になりましたありがとうございましたは、一生のうちでそんな挨拶を受けることはもう二度とないと思う。
そこだけがいきなり真冬みたいな、真冬というよりも北極ですか級の氷と氷のような冷たい風が吹き荒れるみたいな状態で、今思い出してもこうして自虐的にでも言ってないとかなりしんどかった瞬間なわけで、でもそれさえも本当は存在することのできない時間だったのかなと思うと、無いよりもあって良かったと思っている。
今回の上席のことはあっという間に記憶が薄れて早々と無になりそうだけど、イケメン上司との最後の時はそうならない。
それは北極みたいな冷たい空気が流れまくってしんどかったという理由で忘れられないのではなく、そこにイケメン上司がたしかにいたという、ただそれだけの理由でずっとずっと残っている。
それさえももう手にできない今は、その瞬間さえ他に代えられない、唯一無二の瞬間として今も私の中に残っている。
今の派遣先で何人か転勤でお見送り的なことをしたり最後の挨拶を交わしたりしたけれど、もちろん素敵な最後の会話の方もいたけれど、誰一人としてイケメン上司みたいな感じの感情や感覚になった人はいない。
だからこそわかる、イケメン上司だけがとても特別だったこと。
*
超番外編な話だけれど、次またいつブログを書くかわからないから、一緒に書いてしまおうと思う。
3月5日から6日にかけて、近くのビジネスホテルに泊まった日のこと。
私は日記帳もタロットカードやオラクルカードも持ち込んでホテルに入った。
色々した中で、途中動画も見た。
元々は次のタロットカードを探していて、世の中の色んな国のタロットラバーたちが自分のタロットコレクションを披露する動画をアップしていて、それを見た。
YouTubeはランダムに似たような番組を列挙する。
その中に日本人男性のタロットリーダーの方の動画があって、気になって見てみた。
男性の気持ちをタロットと男性の視点から読み解くというもので、私はそれを開いて見た。
そもそも日本でタロットカードのリーディングをする男性がいることに驚いたし(占星術は男の人でプロの方もけっこういらっしゃるけれど、タロットの方はほとんど見たことがない)、内容も相手の気持ちとあってさらに気になった。
そんなの気休めでしかないなどと心で悪態つきながらも、やっぱり気になるから見た。
その動画は3つのカードの中から1つ選んで、選んだものが気になる彼の気持ちとかいうようなものだった。
これまでにもたくさんのカードリーディング動画を見てきたから、それが自分の内面や状況と呼応するのはよくわかっている。
でも今回はそこにイケメン上司の姿を重ね合わせてるから、半信半疑で見始めた。
半信半疑で見出したら、私の願望やらなんやらを差し引いたとしても、それでも内容はまるでイケメン上司のことみたいだった。
過去のことをカードを使って説明されてて、それがまさにイケメン上司が私に見せた行動そのものだった。
その1つには、例えば2人の関係が上司と部下とか同じ社内同士で…とかいうくだりがあったけれど、それを初めとして次から次へと色んなことがイケメン上司の姿と重なった。
途中から涙が出てきたくらいに、声はカードリーダーの男性の声だし、自分に何度も「これはカードでしかない」と言い聞かせながらも、内容はイケメン上司の沈黙を代弁するかのような内容だった。
そうだった、そうだった、どうして沈黙を通してるみたいな説明もあったと思う。
そしてその沈黙の向こうにある言葉を、カードリーダーの男性はカードから読み取れるままのことを次から次へと口にした。
それが私の妄想とか願望ではなくて、本当にリアルなイケメン上司の心の中だったらいいのになと思って聞いていた。
その動画があまりにも良くて、私はその後も2つ3つと続けて見た。
出発前はイケメン上司から程遠い世界、おひとり様満喫プランへGOだったのに、気付けばホテルに滞在しながらずっとずっとイケメン上司がメインディッシュみたくなって、滞在中の1番の長い時間を費やしたのもその動画であれば、考えたこともイケメン上司のことだった。
何にも変わらないとわかっていても、自然と向かう方向がそちらなわけだから、もう仕方ないかと半ばあきらめみたいな気持ちもありつつも、その状態を私は快く迎えて楽しんだ。
なんならチェックアウト寸前まで支度もそこそこに動画を見ていて、ちょうどいいところで出ないといけなくなって、そこで私は出た後近くのセブンイレブンに寄って、ホットコーヒーを車の中で飲みながら残りの動画の部分も見終えて、その後本当に予定していた新潟駅近くでのショッピングに精を出した。
20分くらいは動画を見ていたと思う。
どこまでもイケメン上司祭りみたいな時間だった。
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2022/03/21 春分の日
2月に亡くなった、父のいとこの住処に今日の昼間、父と母と共に行ってきた。
私は今回初めて足を踏み入れた。
細かいことは言い出したらそれだけで1記事書けるから、とりあえずこのブログに通じる部分だけかいつまんで話したいと思う。
私が行きたかった1番の理由は、変わった形のお墓を見に行くことだったけれど(本当にかなり変わった形らしい)、まだ雪に埋もれていて墓は見れないとのこと。
なら私は夏場に両親がいる時にいつか行けばいいかなと考えていたら、母が一緒に行って家の中を見てみるかと聞いてくれて、なんとなく興味もあって行くことにした。
ちなみに両親は片付けや掃除のためにほぼ毎日通っている。(ゴミ屋敷級にすごいことになっていたところを、とりあえず家として機能するくらいにまで今はなっていた。)
前の晩からひそかに「何か遺品をもらいたい」と思っていた。
これもまたおかしな発想かもわからないけれど、今しか何かしら武士俣の血が長年続いたところのものをもらうことはできないと思った。(亡くなった父のいとこは、武士俣本家の16代か17代の最後の当主とのこと)
家は遅かれ早かれ壊されるか、はたまた別の人が最終的に買って、もう二度と中に入ることはできないだろうと思う。
父のいとこからして甥っ子たちが遺品整理や相続関係を全てまかっているけれど、今月末からまた夏に入るあたりまで両親が金沢に行っている間、その短期間に二度と敷地の中に入れない可能性もゼロではないから、それで今日しかないなと思ってついて行って、そして何か手元に置けるものがあるといいなと思った。
高価なものよりも、何か日常使いできるもので、私が怖がらずに手元に置けるものがいいと思っていた。
行く前はペンとか筆記用具を想定していた。
けれど行ってみると、ペンはたしかに何本かあったけれど、心惹かれるものがなくて、何か他のもので適度に魅力的なものはないかな…と思った。
10部屋までいかないけれど、本当に何部屋あるのかと思うくらいにたくさん部屋があって、そして2階に上がった洋間らしきところに本やら辞書やらが色々置いてあった。
パッと目に入ったのは広辞苑だった。
他のものも目だけで見てみたけれど、広辞苑が確実に私が残りの人生でも使いそうなものだと思って、広辞苑を手にした。
出版された年を見ると、昭和44年とあった。
父のいとこが就職したくらいの年だろうと予想した。
私は今でも普通に国語辞典を時々使うから、広辞苑も欲しい!とはならなくても、もしプレゼントされたとするなら喜んで受け取る1つに数えられる。
高校の時、無遅刻無欠席の生徒が皆勤賞で広辞苑をもらったと聞いて、超羨ましいとさえ思っていた。
広辞苑なら、何せ古いし、でも骨董品のような価値もないし(骨董品系のものはゴッソリ無くなっていると父と母が今日言っていた)、譲り受けることが可能かもしれないと思った。
そこで父と母に広辞苑が欲しいから、相続担当の甥っ子たちに私がもらうことが可能かどうかを聞いて欲しいとお願いした。
私は見るだけ見たら掃除で残る父と母とは分かれて、自分は家に戻ることにした。
帰る前に今朝頼んだ3冊目のタロットの英語本の料金をコンビニで払ってから帰ることにした。(余談だけど、タロットカードの方はブログを書いてない間もどんどんめざましい進化を遂げている( ̄∀ ̄;))。
雨が降る中車を走らせている間、何で広辞苑なんだろう?って考えた。
「こうじえん、こうじえん、こうじえん…」
と誰もいないのをいいことに、車の中で1人でブツブツと唱えていて、ハッとした。
!(◎_◎) !(◎_◎) !(◎_◎) !(◎_◎)
何でペンとか筆記用具ではなく、広辞苑だったのか…。
超スーパー都合の良い解釈なのはわかっているけれど、自分の中で広辞苑とイケメン上司とが繋がった。
そんな理由で!?と今布団の中でペンジュラムに聞いたら、クルクルクルとYESが出た。
イケメン上司と広辞苑もイケメン上司と武士俣の本家も何の繋がりもないけれど、超意外なところで繋がった。
その広辞苑が本当に私の手元にやってくるかはわからないけれど、他のものではなく何で広辞苑だったのかがわかったから私にはそれで十分だった。
そんな風にして、春分の日の今日も、イケメン上司にまつわる何かしらがあって、ちょうど季節の節目、占星術業界では春分の日イコール天空の正月みたいな切り替わりの時で、そんなタイミングの時にまたもや人生で一度きりしかないような貴重なこととイケメン上司とが重なり合うのはとても嬉しいことだった。
今回だけは、イケメン上司の気持ちや負担などあまり考えずに、自分の好きなように言葉を綴った。
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