(↑ノムの個展の案内文。リンク飛びます)
個展「celebration!」のお知らせ
(↑これも個展の別バージョン(?)の案内文)
(↑ノムとミッチーの日常)
「ぶっしーに出逢えて、本当に嬉しい!!
出逢えて本当に良かった!!」
レイさんはこの言葉を何度私に言ってくれただろう。
まだ知り合って10数時間、あと一緒にいられるのは2時間ほど…という頃に、レイさんは朝イチからそんな嬉しいことを言ってくれた。
私ももちろん同じ言葉をレイさんに返した。
毎回、占星術講座の日は、同じ日の夜遅い時間出発の夜行バスに乗って新潟に帰る。
新潟に着くと、真夜中の3時半前とかだから、毎回頭の中は寝ぼけていて、体は疲れているし眠たいんだけど、逆に神経は鋭敏というか、普段出てこないものたちもスッと素直に出てくる感がある。
今回もそのぐらいに着いて、駐車場で車に乗り換えて、家を目指して出発した。
eat LOVE邸でのことが真っ先に思い出された。
色んなことを思い出したけれど、最初だった気がする、レイさんとのそのシーンを思い出したのは。
思い出すたびにポロポロと涙が出てきた。
私は、もし何年か前の自分、特に30歳ぐらいから37歳ぐらいの間の自分に会いに行けるのなら、その自分に伝えたかった。
「“ぶっしーに会えて嬉しい!”と本気で言ってくれる人がもう少しすると現れるから、もう少し人生生きるのがんばって!
がんばらなくてもいいから、生き延びて!」
当時の私は、今以上に彷徨いまくっていて、何で生きているのか、仕事もして生活も営んでいても何のために生きているのか、それがさっぱりわからなくなっていた。
当時一番苦しくなったのは、「何か価値を提供していないと存在価値がない」と思い込んでいたことだった。
それは会社から会社が求める数字を出して表彰された時に、はっきりとそう感じた。
私は他人や社会が求めているものを永遠に提供していないと、世の中では価値がないんだ…と、それは生きる絶望みたいな感じだった。
当時の私にとって、「価値の提供=自己犠牲的ながんばりや努力というのもセット」で、それを残りの人生でずっとしていくのかと思ったら、明日なんて来なきゃいいのに、明日起きたら死んでたとかならないかな…と本気でそれぐらい思って日々を生きていた。
“ありのままのあなただから価値がある”なんていう言葉は嘘だと思った。
なに綺麗事言ってんの?と思ったし、じゃあ何もしなくても本当に価値があるのか…っていうと、そんな世界は存在していなかった。
ニートになるとわかるけれど、本当に社会的役割を手放した時に、それを称賛する文化は日本にはない。
ニートを称賛して欲しいということではなくて、何にもなっていない本当にただの一個人になった時にそれを真っ直ぐに受け止めてもらうなんていう体験は、したことがなかった。
話がかなり逸れるのは嫌だからザックリと言うと、それを誰かからしてもらうことを求めたところでその時は半永久的にやってこないから、代わりに私は自分で自分の心の安心を作ることを始めた。
そこに行くまでに何年もかかっている上、そういうことが自然と身についているタイプの人のまだ足元にも及ばないようなレベルだけれど、それでもそういうことを一切していなかった時よりもうんと良くなってきた。
無価値観みたいなのはだいぶ薄まってきた気がするし、色々やらかしてももしくはやっていなくてもそれが自分だと思えるようになってきたし、その自分とどうしたら少しでも仲良くなれるだろうかと真剣に考えるようになった。
自分自身を敵に回すことが何よりも大変だと本気でわかったから、それをしないように気をつけるようになった。
そういう諸々の積み重ねがあって、そして縁が出てきたのがノムで、そしてノムの先にミッチーとレイさんがいた。
ノムとミッチーとレイさんは、それぞれデコボコしている。
良いとか悪いとかではなくて、本当にそれぞれの人たちがデコボコした自分をそのまま出している。
どこでもそうなのかと言うとそうではなかったとしても、少なくともeat LOVE敷地内ではそのようになっている。
これはものすごい安心感だった。
3人とも完全なる他人なのに、まるで家族みたいな感じでそれぞれがそれぞれのままその場にいる。
私もすっかり安心して、そこに3人といた。
レイさんの存在を知ったのは、eat LOVE邸に誘われるもっと前、星トリオが新潟に星を見に行った後だった。
ノムのメールより…6/13
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ぼくはカレと広い敷地の中の貸家に住んでいるんだけど、
敷地に、大家さんがときどきやってきてね、
なんというか、彼と彼女(51歳女性の大家さん)とのトリオは、
ふしぎな、血のつながりはない家族?親戚?
そういう間柄となったのだけど、
先日ぼくの誕生日があり、
大家さんが、ぼくの「星をみたい!」って願いを叶えるべく
プランニングをしてくれ、すべての準備をしてくれ、車もだし運転もしてくれ、
当初、長野に行く予定だったのが、天候の関係で、新潟へ行く運びとなり、
上越のほうに、車で4時間くらいかけて、いってきました。
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その後、ノムから
「せっかくだから、大家さんもいっしょに夕飯したいな、と彼女を誘ってみてさ。のむ、みっちー、れいさん(大家さん)という星トリオといっしょに、その日は夕飯を食べるのでもよい??」
と聞かれたから、私は二つ返事で返信した。
【40も過ぎた男の人が「星を見たい」と言ったら、本当に星を観れる場所を探して、そこまで車を出してまで連れて行こうとする、その心を持った51歳の女性】にものすごく会ってみたかった。
こうやって特徴(=すぐ上の文の【】の部分)だけで書き出すと、ものすごく考えにくいというか、イメージしにくい。
聞いたことのない発想を持った人同士の、しかも一応大家さんと借り主なわけで、法律上の賃貸契約もあるのに、そんなの飛び越えて人間関係がある2人、ミッチー入れて3人にすごく興味があった。
今だからわかるけれど、ノムが第三者を話の中に盛り込ませてくる時、必ず一言紹介がある。
ミッチーは恋人だから別枠として(←これは今度書くからその時に説明)、それ以外の人たちの時は基本私にもわかるように一言説明が付け足される。
例えば他の人たちなら、「僕にホロスコープを最初に教えてくれた人」とか「ライター時代から唯一繋がっている人」とか、聞けばすぐわかる言葉で説明される。
その中で唯一レイさんだけだった、ノムが自分の心の中にある想いも付け足して説明したのは。
「ふしぎな、血のつながりはない家族?親戚?そういう間柄」
自分との心理的距離についてわざわざ教えてくれたのはレイさんだけで、だからノムにとってレイさんがとても特別な関係にある人だというのだけはわかった。
それはノムだって「ふしぎな間柄」と呼ぶだけあって、ノムにも説明のつかない関係なんだろうと思う。
わりかし何でも言語化を目指そうとするノムがミッチー以外の人に対して曖昧な表現を使うのは、レイさんぐらいだと思う。
どうしても言葉で説明できないものに関しては、ノムは基本そのようにして、無理に言葉にはしない。
レイさんにだけは、明確な言葉での説明をノムはしなかった。
それはすなわち、言葉なんかでは説明できない関係なんだと思ったし、そしてそれがノムのレイさんとの関係に対する敬意なんだと思う。
ノムに私もレイさんに会ってみたくて願ったり叶ったりというような返事をした後に、ノムからまた返信をもらうんだけど、ちょっとだけ気になったことがあった。
「ひとまず、レイさんにぶっしーのメールのこと伝えたらよろこんでました〜🌟」
何が気になったかというと。
ノムはレイさんに「ぶっしーからOKって連絡来ました」と言うんじゃなくて、わざわざ私のメールに書かれていたことを伝えただろうこと。
もちろん、それはすごく嬉しくて、そんなの一言で済ませようと思えば済ませられるのにそうしなかったノムに驚いたのと、その後のレイさんの反応も意外だった。
ノムはプロのライターさんだけあって、言葉にはかなり忠実に表現をする。
だから、レイさんが喜んでいた、というのは、盛った表現ではなくて本当にそうなんだろうと思った。
そのノムの一言に、会ったこともないレイさんが本当に喜んでくれているのが伝わってきた。
それはいきなり何処の者とも知らぬ私をそんな風に受け入れてもらってるみたいでとても嬉しかった。
ノム・ミッチーカップルとレイさんの不思議な関係を感じながら、いざeat LOVE聖地の母屋へと到着した。
私は勝手にファンキーでぶっ飛んだ性格の大家さんを想像していたわけだけど、実際のレイさんはそれとは真逆の第一印象だった。
第2話の『もなかでお茶タイム』の中で、
「気さくな感じの、普通に一緒にスーパーに行けちゃいそうな、本当に朗らかな雰囲気の方だった。
パンクな性格ではなく、細かなことに目が届いて、きっちりするべきことはきっちりしてるのが好きという感じの、私個人は打ち解けやすい感じの女性で安心した。」
と書いたけれど、もう少し付け足そうと思う。
パンクとかファンキーという言葉は、レイさんを見た瞬間に消えた。
しかも、ノムから前情報がなければ、大きな車にゲイカップルを乗せて、往復700キロと離れた場所へ星を見に連れ出すなんて、とても考えられない感じだった。
見た目と実際にものすごく面白いギャップのある人だとわかったし、きちんとしてそうなのに遊び心もあるみたいな感じに私はますますレイさんがどんな人か知りたくなった。
レイさんは本当に気さくで、初めて会っただけじゃなく、自分の直接の知り合いでもないのに、私を本当に心から出迎えてくれた。
レイさんからして私は、家を貸してる人の占星術講座のクラスメイト…という遠い感じの、っていうかそれは一体誰でどうして東京の郊外まで来るのかという自然な疑問が浮かび上がってもおかしくない、そういう存在なのに、レイさんはその中のどれも気にならないのか、本当に単純に「ノムの知り合いでノムが自分のところに呼びたくなった人」ぐらいな感じで解釈してくれてるのがすごく伝わってきた。
後から聞いたことだけど、ノムの方からレイさんにも「レイさんと引き合わせたい人」として私を紹介してくれていた。
それも手伝って、私は本当に温かく出迎えてもらった。
ごちゃごちゃ細かいことは一旦脇に置いて、レイさんは目の前の私を本当に心待ちにしていたよと言わんばかりの雰囲気に溢れていた。
「あ!すごい歓迎してもらってる!」というのが言葉にしなくてもビンビンと伝わってきた。
その時からすぐに「これはとても楽しい時間になるに違いない!」と私は確信した。
実は人見知りな私は、会ってすぐにそんなことを確信できるなんて、人生の中でほとんどない。
見知った仲になってからは話は別だけど、基本的に初対面でそう感じることはまずない。
大人になってからの私は社交性が磨かれそこそこ人と初対面でも話すし、相手が言葉少なめと知れば自分から話すぐらいのこともできるようにはなったけれど、表面に現れる私とは別に内面は超警戒心抱いていたり超距離を置いて状況を観察するクセは抜けない。
ところが、レイさん然りミッチー然りだったけれど、ノムのおかげもあって、その私の内面の警戒心は発動しなかった。
レイさんを見て「大丈夫」とすぐに思えて、その後に続くミッチーにも同じように感じた。
日本の中でこんなにも安心な心地帯が存在するなんて、ミラクル過ぎた。
そもそもノムと私が占星術講座のクラスメイトということも関係していたとは思うけれども、夕ごはんの後、ペンジュラム体験会やらホロスコープ読み解き会なんかを自然な流れの中でやることになった。
レイさんは自分の出生時間がわからなくて、だからノムも大体のホロスコープしか出せないんだよねと言っていた。
今思うとそれもよくできた話で、その1ヶ月前にノムは目の前で私がミッチーの出生時間をペンジュラムで出したのを見ていたから、少なくともそれを見てノムが出そうと思えば出せなくもなかったのに、ノムはそうしなかった。
すべて後から決まったけれども、私が行くことでそれまでレイさんから誕生日にプレゼントしてもらったペンジュラムを使うのを待って、だからそうなるとレイさんの出生時間もノムが事前に調べることもせず、私がまるで「それやってくるんだよ」と遣わされたみたいにやることになった。
とりあえず見てわかることをレイさんにそのまま伝えた。
伝えた内容は今となればうろ覚えで、ただ唯一その時の感覚で覚えているのは、今という時期はレイさんにとって大きな転換期であることとそこに居合わせる必要があって呼ばれたのかもしれないと思ったことだった。
どの日も一生に一度なんだけど、その中でも個人にとって特に影響の大きい日や時期というのがある。
レイさんにとって今の星回りはまさにそうで、謎のしんどい理由もそこに関わってのことだと思うし、それはまさに生き方そのものをこれまでとは違う「自分のための人生」にするところに入り出していて、そうした諸々のことが星たちに表れていた。
初日の夜よりも、次の日の朝、自宅から30分かけてレイさんが来てくれた時にちょびっと2人きりで過ごせた時の方がさらに濃密だった。
レイさんに「出会えて本当に嬉しい」と何回も言ってもらったこともとっても大きなプレゼントだったし、それで心がホクホクしたことももちろん大きかったけれども、なんだろう、言葉を仮にもらわなかったとしても私はあの高揚感を感じたと思う。
ただただレイさんと一緒にいられる、レイさんと時を共に過ごせる、そのことだけで心が満たされまくりだった。
もう1つ嬉しいことがあった。
これはこの後新潟に帰ってきてからも引き続きの私の宿題みたいになって持ち込まれたけれど、私はまさか目の前の初対面の女性が私の心のわだかまりを溶かす突破口の役目をしてくれる人だなんて考えてもなかった。
そもそも自分の心の傷を癒すことを目的にeat LOVE邸に行ったわけじゃなかったから、そんなことは1ミリも期待どころか考えることもなく伺った。
そして私は客人だし、ノム以外みんな初対面だし、そもそも自分のことをどれだけ外に出すのかも未知数だったから、とにかく楽しい時間をみんなで過ごせたらいいな(あとおいしいごはん楽しみ♪♪♪)ぐらいな程で行った。
今もだけど、「一般人」としてずっと生きてきた私にとって、自分のオカルト体質やスピリチュアルへの興味なんかを口外するのは、相当人を選ぶし、相手の許容範囲は超見る。
そのことで何か関係にヒビなど入れる気は毛頭ないから、そして言わなきゃ言わないなりに普通に関係を楽しめることも知っているから、積極的に口にする気もさらさらない。
だから、ノムがリクエストしていたペンジュラムの扉びらきには立ち会うにしても、私が見たかった『光の書』なんていかにもなタイトルの本を見せてもらっても、それで全部だろうぐらいに思っていた。
だけど、それだけじゃなかった。
第6話『ペンジュラム講習会』でも書いたけれど、その日は4人でペンジュラムやホロスコープのことで大盛り上がりだった。
そして、そこをキッカケに私はレイさんのホロスコープをさっと読むことになった。
見てわかることは喋れても、きちんと紙に書いて調べてないから細かいことはわからない。
それでもわかる範囲のことを伝えた。
実はこれは私にとってかなりチャレンジングなことだった。
(書いてて思ったけれど、「チャレンジ」じゃなくて「チャレンジング」がスッと出てくる時は、現在進行形のテーマなんだとわかる)
ホロスコープ然りペンジュラム然り相手の魂や潜在意識からくるメッセージ然り、どれも軽く伝えられる内容じゃない。
しかも、伝え方も気をつけないといけないし、相手が必要としているのかとかも見ないとだし、何よりこの辺りはすごい繊細な見極めが色々必要だから積極的にやりたいこととは違う。
そして、変に伝えて相手を混乱させたり依存させたりなんてのも好きじゃない。
(依存させたのとは違うけれど、そういうことができると知って、変に頼られてそれを必要とされて私自身が必要とされてないみたいな風に感じて、それで私の方が受け付けられない結果になった人間関係も過去にあった。)
その辺のさじ加減も難しいし、さらにレイさんが年上の女性だというのも私にはためらうものがあった。
これはレイさんがと言うよりも、塾で働いていた頃に痛感したことで、年上の女性でお母さんという立場の人たちには私は何をどうやっても敵わない。
余談だけど、塾の仕事でまだ研修期間だった頃、保護者懇談を影から観察する研修があった。
何教室か行かせてもらって、どうやって主にお母さんたちと懇談するのかをひたすら観察した。
見えないから、言葉だけを聞く時間だった。
9割男性の職場だけあって、1人の女の先輩以外は全員男性ばかりだった。
上から目線で話をしている男性陣にはドン引きしながら、そのやり方は私がすると角が立つとすぐに悟ってやめた。(ちなみにこういう男性たちは、研修の私にも同じ感じできて私はいつも笑顔で「ありがとうございます」と言いながら、心の中では「ばーか!」と悪態ついてた。)
女の先輩は経験数と修羅場数が半端なく多くて、毅然とした対応をしていて、これもまた私的に自分がするのは無理だった。
そこで私が編み出したのは、ひたすら話を聞くのと、困っていることがあれば聞き出すのと、あとは私から見た子どもの様子を話すだけにした。
要はお母さんたちに何も物申さず、頼むのはお金のことだけみたいなやり方をした。
それが私の年齢や立場的(未婚子無し)に一番やりやすくて良好な関係を作れる方法だった。
それは同性として、私が体験していないことを体験してきた方たちに対して並々ならぬ敬意を持っているし、その体験のない私は同じ土俵には立てないし、それをなんとか自分なりに色々経験してどう接するかを試行錯誤して今に至っている。
で、スピリチュアル系のものになってくると、はっきり言って実年齢は関係なくなるけれど、でも現実にコミュニケーションを取るのは実年齢の自分たちなわけだから、そこは配慮が必要になる。
多分私が最大に苦手なのは、年上の子持ち女性たちだと思う。
なぜなら、結婚の苦労も子育ての苦労もさっぱりわからないから(体験したくてもできない 苦笑)、さらにそこに介護だのキャリアだのがくっついたらお手上げで、だから「年上の子持ち女性」という枠組みの中では、レイさんは一番何かを伝えるのに苦手な相手になる。
なんだけど。
レイさんは、その辺が少し違っていた。
レイさんは純粋に知りたがっていた。
しかもどこまでも私を対等に見てくれているのは、なんとなく感じられた。
上手く言えないけれど、私を上にも下にも見てなくて、あくまで「お互い人間同士だもんね」みたいな、そういう空気がレイさんにはあった。
そしてレイさん自身から「知りたい」という気持ちが出ていたのも見て取れた。
初めてのホロスコープの鑑定をした時に、本当に私は最初からものすごく恵まれたと思ったけれども、私がどういう人にだと伝えたいのか、それを相手の子がはっきりと示してくれたことで知ることができた。
私が対象としたいのは、「自分を知りたい人」だった。
運気アップとか相性診断とか職業適性診断とかは、私はできないしやりたくない。
なぜなら、他の誰かの人生はその人の人生だと私は思っているから。
そこに私が口挟んで相手の自由意志や選択を左右するのは絶対にしたくない。(私の勝手な感触で、その手のことを聞いてくる人は往々にして自分で決めることを避けて人に委ねようとする傾向が強い。)
だけど、自分の人生を生きていくのに自分をもっと客観的に知りたいとなった場合、占星術はお助けツールになってくれる。
私は少なくとも手法を知っているわけで、その時は自分自身の知識を使うことこそが正しい行いだと思っている。
レイさんと話していて、レイさんも絶対にそのタイプ、自分を知りたい人だった。
そして、多分自分で調べるだろうなぁというのもなんとなくわかった。
だから、とにかく私側のごちゃごちゃした私情は脇に置いて、話せる範囲のことを伝えた。
レイさんからも感謝されてやって良かったとは思ったけれども、それ以上にやった私の方が癒された。
このことで色々嫌な思いもしてきたから、本当なら怖い体験だった。
なんだけど、やることでレイさんにも私にも双方プラスのことがあって、そしてそれは「やり方(占星術含め自分の使い道)が色々あるのかも」と思えるきっかけにもなった。
新潟に戻ってすぐぐらいの頃、ノムからこんな風に連絡をもらった。
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なんかね、ぶっしーリーディングがレイさんにすごく響いたみたい。楽になれたんだって。だから興味を持てたんだろうね。しかもペンジュラムまで! 伝道師だねー、 ぶっしー。
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そう教えてもらえてとても嬉しかった。
時間にして、トータル30分もレイさんと2人きりで話せた時間はなかったと思う。
なんだけど、一生忘れられないような、そういう濃密な時間になった。
そしてそこからまた新たな展開へと繋がった。
eat LOVE聖地を後にしてから1週間後のことだった。
ノムから手書きで書かれた手紙の写真がきた。
超粋なことをしてくれるなぁなんて思いながら読んだら、「もしぶっしーがOKならレイさんと直接やりとりする場を作るのはどう?」と提案してくれた。
それはノムがレイさん、私とそれぞれやりとりして、そう感じて提案してくれたことだった。
私は二つ返事で、レイさんに私の連絡先を伝えて欲しいとノムにお願いした。
というか、それからまだ1週間しか経ってないことに今気付いた。
レイさんと連絡取れるようにしてもらってそして今日まで、まるでもっと長い時間やりとりしていたみたいに感じていたら、まだ1週間でビックリした。
レイさんからの最初のメールにはこんな風に書かれてきた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ノムが最初にぶっしーのお泊りの話した時、「たぶんこれが最後の上京かもしれないから」って言っていて、お泊りの翌日に見送った時にはもっと話したかったのになあって本気で思った。
だから昨日のメールやブログで、またいつか泊りに来てくれることが前提になっていて、本当にうれしく思ってる。
そして、今度泊りに来る時には合宿ばりに私も泊まり込んで、ずっとしゃべっていたいなあと。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
レイさんが出会ったばかりの私に対してそんな風に思ってくれていたことがとっても嬉しかった。
しかも、いつになるかもわからない次の回をレイさんもとても楽しみにしてくれている。
それも、単に楽しみと言うんじゃなくて、次は自分も母屋に泊まって合宿みたくしてずっとしゃべってたいって、夢のようなプランまで提案してくれてる。
同じメールの中でレイさんはこんな風にも言ってくれた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
たぶん、ホントに珍しいことなんだけど、ぶっしーと私はめちゃくちゃ気が合うんだと思う。だからぶっしーのブログには物凄く共感するし、もしかして自分の気持ちを代わりに表現してくれている?くらいに思うことも多々書かれていて、ビックリすることもある。
普段は、メールするにしてもこんなこと書いたら相手は引いちゃうかな?とかおっかなびっくりで、何度も文章を読み直して書き直すことがざらなんだけど、ぶっしーはそんなこと考えずに書いても受け止めてくれるんだろうなーって思う。
私自身、敬語を使うことが苦手な人間。ましてや敬語で話されるのは物凄く距離を感じるから、好きじゃない。
だから、年齢は私の方が上だけど、対等な友人関係でいたいから、お互い敬語抜き、普通に話しましょー。
まだまだお互いのことはほとんど知らないけど、たぶんそんな急いでお互いを紹介しなくても全然大丈夫な気がする。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
レイさんが基本的に、普段は慎重に物事に取り組むだろうことは直接会った時にわかったし、本当に些細なことでもここは気をつけようとレイさんの中でなればそこを本当にそっと気をつけるだろうことも見ていてなんとなく気付いた。
だからこそ、レイさんが気にせずにバッと書いたものをそのままメールしてくれる、というのはレイさんが自分で言うぐらい珍しいことなんだと思う。
それをしても良い相手だと思ってもらえるのはとても光栄なことだった。
敬語に関しては、私から質問した。
会ってる時も気付けばレイさんにもタメ口で、若干自分に引いてた( ̄∀ ̄;)。
私の中で、ノムもミッチーもレイさんも同一線上というか同一仲間グループにいる人たちという感じだから、レイさんにだけ敬語を使うのは何だか変な感じだった。
しかも私がそれをしたくなかった。
だからレイさんが気になるなら敬語にしようと思ったけれど、レイさんに聞いたら普通に敬語抜きで話して、対等な友人関係でいましょーときて、ホッとした。
今まで私も最高に何歳下かわからないけれど(覚えている限り一回り以上は下)、相手は私に対して普通にタメ口だし対等にやりとりできるのが嬉しかったから、それは男女問わず関係性問わずそうだから、それでレイさんにも確認したらOKで、そうしたちょっとした価値観が合っているのもとっても嬉しいことだった。
そして何よりも響いたのは
【まだまだお互いのことはほとんど知らないけど、たぶんそんな急いでお互いを紹介しなくても全然大丈夫な気がする。】
の部分だった。
そうやって少しずつ関係を深められること、少しずつ知っていけばいいこと、そうして言葉にしてもらえることが本当に嬉しかった。
レイさんとのやりとりで何が心地いいって、1つ1つ言葉にできること。
遠慮したりとかレイさんがどう思うだろう…とかを考える前に、「まずそのまま思ったことを口にしてみようか」と思えることだった。
対異性(パートナー)は難しすぎるけれど、対同性でもそこはやっぱり配慮が要る。
だけど、レイさんとはそこをまずトライしながら、要は考えるより先に動いてみることを優先できそうな気がした。
そういう、これまで体験したことない関係作りをレイさんとはお互いに試せるように思えた。
それは人間関係の断捨離強化と言わんばかりの流れにいた私にとって、すごく嬉しいことだった。
上に書いたことを、激しく確認する機会が早速巡ってきた。(「激しく確認する」なんて普通言わないけれど、その表現がピッタリだからそう使ってみた。)
それから数日後、レイさんからメールがきた。
読んだ瞬間、バババッとメッセージが出てきた。
1年以上かけて自分の体質に慣れてきたからわかりつつあるけれど、頼まれてもいないレイさん自身の魂と思しきところからメッセージがきた。
いくつか瞬時にやってきて、そしてどんどんダウンロードされる感じがそうだった。
ただ私の想い的な部分とも若干重なっているメッセージではあったから、これ私が思ってること?というのももちろん疑った。
得意のペンジュラムを出して聞いた。
NOに回ってくれていいよーと思っても、こういう時百発百中ペンジュラムはYESを出してくる。
しつこく何回も聞くけれど、絶対にYES。
レイさんの魂から来たこと確定で、当然そうなれば私側に言わない選択はなくなる。
内容は伏せるけれども、一言で言うなら一般社会で年下の者が年上の人に向かって言うのは非常にはばかられる上、こういうメッセージは悪いものではないけれど読むのも消化するのも受け取り手側はかなりエネルギーが要る。
しかもレイさんと知り合って何日目ですか?みたいな。
今これ言うの?っていうか、レイさん今色々考えてるところにこれぶっこむの?みたいな。
今こんな風に冷静に書いているけれど、メッセージをいくつかキャッチした状態でその後運転していた時は、色んなことをしんみりと考えていた。
考えているうちに、心の奥深いところからだと思うけれども、涙が出てきた。
悲しいとかそういうマイナスの感情ではなく、自分でも上手く説明できないけれど、とても深く何かを感じている時の涙だった。
多分レイさんの魂から託されていること。
私がきちんと選ばれていること。
他の誰かじゃなくて私だということ。
そして、これは私にとってもチャンスだということ。
自分の持ってるものをそのまま出しても、それでも自分が望むような健全な人間関係をレイさんとは作れるだろうこと。
普通の人となら絶対にできない。
やったら関係が破綻するか迷惑行為か怒りを引き出すか、反対に依存されたり利用されたり…、けっこうギリギリのことをやるのはわかってる。
ちなみに最後にやった魂からのメッセージの時は、その後(というか今も)人間関係が凍結した。
それが直接の原因ではないけれど、確実にトリガーになった。
全く明るくない終わりを自ら迎えさせて、自分の中でも今も引き続き徐々にその終わりの中身を消化している。
直近の過去はそんな風なんだけど、私はなぜか今回の件に関わることで「レイさんに嫌われてもいい」と思えた。
なんか、あの母屋で「ぶっしーに出会えて良かった!」と言ってくれたレイさんは、本当に今の私だけじゃなくて過去の私も癒してくれて、一生分の救いみたいなものをレイさんからもらった。
だから何かあっても、あの時のことはあの時のこととして胸にずっと残せるし、あの時の気持ちはずっと覚えていられると思った。
そして大丈夫だと思うけれど、万が一レイさんから嫌われてもそれは仕方ないかと諦めるのは惜しいけれど受け入れられる気はした。
はたからすると、いちいち大げさに聞こえるかも知れないけれど、それぐらい私にとっては大きなことで、そして私がキャッチするものは多分本人の生き様やその時の心のライフステージに関わるような大きいことだと思うから、大げさにして何ともなく事済めばいいけれど、そうではない時に私が軽く扱うのは絶対に違うから、だから大は小を兼ねるじゃないけれど、慎重にそのメッセージに向き合う。
任務を遂行。(「任務」って言い方…笑)
レイさんに書いて送る前に経緯だけざっくりと伝えて、書いて送っていいかを聞いた。
【自分の魂からのメッセージ、知りたい!
お願いします🙇】
ここにそのままレイさんの返事を貼り付けるとなぜか言葉にくっついてた空気が薄まるけれど、レイさんから返信をもらった時に、私と同じ温度でもしくはそれ以上の温度で見てくれてるように感じられた。
なんとなく「大丈夫」とストレートに思えた。
そして送ったと連絡したら、
【ありがとー💓
どんな内容でも、心して読みます😉
私のために時間割いて長文メール送ってくれてどうもありがとう❤️】
と返ってきた。
レイさんが見せてくれる反応は、私にとって「そうしてもらえるのはとても嬉しい」と漠然と思っていることが形になったものだった。
普段そんなこと言葉にしないけれど、レイさんから返ってくる言葉はいつもスッと心の奥の方に届く。
さらにメールで、レイさんがメッセージを読み終わった後に返事をもらって、
【あらためて魂からのメッセージ、ありがとう。
ぶっしーはこういうのを伝えた時って、ぐったりするとかないの?大丈夫?】
と冒頭に書かれてあった。
メッセージ云々よりも、まずは私を気遣ってくれるレイさんに、本当に心が打たれた。
レイさんは最後に、パソコンから書いてるから可愛い絵文字がないことまで触れてくれていたけれど、ちなみに私が書いたメッセージのメールも絵文字は最初と最後の挨拶部分に付けただけであとはひたすら文章onlyだったけれど、そういうことに気を配れるレイさんに私はものすごく救われた。
圧倒的な差だった。
わかった。
今レイさんからの返信部分を抜き出して余計とわかった。
これまでに魂のメッセージは10数人やっている。
そのうちの3人、今は私の方から離れた3人の人はそれがなかった。
「ありがとう」とは言われた。
感謝もされた。
私を好いてくれてるのも好意的なのも知ってた。
だけど、それ以上にもっと別の形で私の心にグサっと深く刺さるものがあった。
私の態度もいけなかったと思う。
ただ、こちらが全力でしていることは上手く伝わらないのか、内容云々ではなく、私は3人の前で自分が道具みたいだった。
人間なのにもはや私はそういうメッセージを言うだけのロボットみたいな、口ではどんなに感謝されても違うところからそういうのは伝わってしまう。
そして、それが強烈だった理由は、とても良好な人間関係だったから。
なんならものすごくお世話になった3人だった。
相手に余裕がなかったことも知っていた。
だけど、それを思いやる余裕はもう私の方に残っていなかった。
今言葉にしてわかった。
私がどうにも受け入れられなかったことは、私が一番されたくないことをされたからだった。
相手の人たちは、多分私を道具のように扱っているなんて全く思っていないと思う。
本当に単に相談とか、単に話を聞いてもらってるとか、その程度の感覚だと思う。
だから、いちいち相手が発する別のところに反応するのは私側の感覚だ、ということは本当の本当にわかってる。
だけど、私がある時から「人」ではなくなる一線がある。
誰かと比べられたりとか、私の能力が使えると知って求められたりとか、だけど思う結果ではないとそれを心ない言葉で返されたりとか、もしくは友達だからという理由ですごく軽々しく扱われたりとか。
私は自分のこうした面倒くささや変な細かさも知っている。
だけど、その部分は自然にキャッチしてしまうし、無自覚に勝手に反応してしまう。
それが私の一部で、やっとわかったのは、そこはもう自分で自分を守ってあげるしかないということ。
そこが傷付くと私側は相当キツくなるから、そこは私だけはせめて大切にしないと完全にその部分の自分が居場所をなくしてしまう。
なんならその自分がいることに、前の私だったら罪悪感を覚えたと思う。
世話になってる人たちに対して、自分側のそんな反応1つで何かを断ち切るとか、わだかまるとか、それは自分がいけないんだと思ったと思う。
だけど、もうこの自分を守るには、他の何かを犠牲にしてでも切り捨てても、自分が自分のために盾にならないといけない。
それは私の価値観だから相手には強要できない。
だけど、レイさんはそんな私側のごちゃごちゃした事情なんか何にも知らなくても、そこを自然体で大事にしてくれた人だった。
自分優先スタイルを取り入れてから、私の足元はまだかなりグラグラしてるものの、それが私だというのを優先し始めている。
それに対してレイさんは、自然体で私や私のしていることをサラリとでもとても大切に受け止めてくれている。
私が伝えた内容は受け取るのに時間はかかるかもしれないけれど、それをしている私にはいつもと変わらないレイさんだった。
私は私のままで、レイさんはレイさんのままで、それでパズルがカチッとハマるというのはすごいことだった。
メッセージをやりとりした後、レイさんには少しだけ自分のことを話した。
レイさんから返信がきた。
【大変な係、引き受けてくれてありがとう。
でも、そんな力なくても、ぶっしー大好きだからね😘
(普段は、この手の言い方をすることはあまりしない私ですが😁)】
レイさんとのやりとりは、自分の何か大切なことに関わるものをもう一度新しいやり方で体験することだった。
それは私が自分をとにかく最優先するということを始めてから、初めてのことだった。
魂からのメッセージは10数人やって、3人を除いた人たちはレイさんみたいな感じだったけれど、それは最初から恵まれただけの話で、私が自分の立て直しを図らないとまずいとなってからそのようにカチッとハマったのはレイさんが初めてだった。
そして、もう無理せずに自分流を貫いて大丈夫という合図にもなった。
相手も無理しなくていいように、私も無理しなくていいということ。
そして、その互いの無理のない状態で合わない時は、単純に相性の問題で、それは誰が悪いというのでもないこと。
だって実際にその3人の人たちはどの人も人として本当に素晴らしいし、良いところもたくさん持っている。
偽善者みたいだけど、それは今も変わらずそう思っている。
なんだけど、本当に些細で小さなことだけど、私が無視できないところが合わなかったというだけ。
色々な場面を体験してとにかく自分を大事にすることを最優先し始めて、そのタイミングで出会えたのがレイさんだった。
レイさんとの出会いは、私に「自分のままでいても新しく作れる人間関係、自分が望むような健やかな人間関係がきちんと存在するよ」を教えてくれるものだった。
これは帰ってきてから知ったこと。
正直なところ、レイさんのホロスコープを最初見た時に、「私はこの人と本当に縁があったとするなら、星とか関係ないんだな」と思うぐらい、重なりが微妙だった。
ゼロと言ってもいいかもしれない。
(実際によくよく確認したら、ないわけではなかった。でもよくよく確認しないとわからないぐらい。)
レイさんとミッチーのホロスコープの赤の他人とは思えない異常なほどの重なりを見ていたから、私とは、言うならノムと私の縁故的なものから派生した先に、レイさんと私があったのかな…と、そういう解釈だった。
レイさんの先にミッチーがいて、ミッチーの先にノムがいて、ノムの先に私がいるぐらいの重なりのなさだった。
ホロスコープでは本当に他人みたいな感じになっていて、かなり腑に落ちなかった。
まるで、本当に「偶然」互いに居合わせたとしか判断できないぐらい重ならなくて、すごく変な気がした。
さらに占星術の先生の言葉も思い出した。
「最初の数人(お客さん)は、本当にものすごく縁の強い人たちが来ます」
先生に私が初めて鑑定書を書くことになった子との異常なほどの縁の強さを説明したら、そうやって言われた。
(この話も超延び延びになっているけれど、eat LOVEシリーズが終わったら、今度はその話をアップする予定。他の延び延びの話も同様。)
だから、レイさんのホロスコープはたまたま読むことになって、さらには星なんて関係なく繋がる人とは繋がるんだとそういう解釈に最後は落ち着いた。
帰ってきてからわかったのは、全く別のことだった。
ある方法で互いのホロスコープを重ねると、そこで縁がものすごく出てくる場合があることを私は偶然発見した。
ミッチーとレイさんの出生時間を多分正確にペンジュラムで出せただろうことをうけて、私はある人の出生時間も同じようにペンジュラムで出して、その時間でホロスコープを出してみた。
はっきり言って、遊びみたいな感覚でやったに過ぎなかった。
何一つ期待もなければ、元々時間不明の時点で9割重ならなくて縁がないんだと思った。
だから時間がわかったところで結果は同じだろう…と予想した。
予想は大きく裏切られた。
本気で両目が飛び出るぐらいに、卒倒しそうなぐらいに驚いた。
これはペンジュラムのイタズラかもしれない…と私は考えた。
念のため、ノムに伝えた方法でも出して調べた。
その方法でも、見て明らかなのが出てきた。
基本パッと見ただけではホロスコープは読めない私が、パッと見てわかるというのは相当な重なりだということ。
あまりに驚きすぎて、私はパッと見るだけにとどめて、すぐに画面を変えたほどだった。
そう、見た瞬間にわかるぐらいの強烈なものが出てきて、宝くじ当たったことがないからわからないけれど、それに近い感覚だと思う。
ただ、この最初のサンプルがものすごく信憑性に欠けるサンプルだったから、自分で出したものが微妙だと思った。
そこでノムに、ノムとミッチーとかノムとおじいちゃんとで見てくれないかをお願いした。
私以外のサンプルを作らないとわからないなぁと思ったから、それでお願いした。
ノムと先日の6時間にも渡る長電話の半分以上はそのことに関してのものとそこから派生した様々なインテリ(!)な雑談だったけれど、ノムが調べてくれたことでやっぱりその諸説は合っていたことを知れた。
ノムとミッチー、ノムとおじいちゃん、なんならノムのおじいちゃんとミッチーも、私が試してと言った方法で見たらそれぞれ強固に繋がっていたと教えてくれた。
(諸説は合っているけれど、私の最初に出したサンプルは、本当に合っているかわからないから気のせいかもしれない。)
で、遅れて今度はレイさんと私、そしてノムにも分析するためにノムの分を送ってもらってノムと私とで、それぞれ見てみた。
ノムともかなり濃い繋がり方だったけれども、それ以上にレイさんとはものすごく重なっていた。
それも、私側は、私の人生や性格を表す天体たちに関わっていて、最初に鑑定した子とはまた別の意味でレイさんとは「縁がとても強い」ことがわかった。
ノムにそのことを言ったら、
「あれだけいろんな見方が標準装備されているのに。(←ホロスコープ算出する超有名サイト)
ってことは、その方法って相当マニアックなのかもしれないね、わからないけど。
でも、そのひとひねりこそが、
一般的ではない深い情報をひきだす裏技なのかもしれないね!」
と返ってきた。
そう、標準装備にはない手法で、私のそれはたまたま発見したことだった。
単なる好奇心がそれを導き出して、あまりにもドンピシャなものが出てきたから、ノムにも調べてもらった。
色々調べても普通にどこにもそんな情報はなくて、そして標準装備にないぐらいだから、本当にあまり知られていないことなんだと思う。
ノムと私とで出した結論としては、「深い魂の繋がり」を見る方法だということになった。
そう、レイさんとはひとひねりの手法を用いると、本当にとってもご縁が深いことがわかる。
それも生半可な重なりではなく、ものすごく重なっている。
6天体(レイさん側)もピッタリ重なっていて、それが異常な重なりなのはわかる。
しかも、私側はその重なりの中に占星術で「神の指先」と呼ばれる、自分ではどうにもならない宿命的なものも含まれている。
神の指が差すある一点に向けて、ひたすら自分を捧げるみたいな生き方に関わるもの、その部分とレイさんの天体の一部とが関係している。
それはすなわち、私の特殊な生き方に対してレイさんが関わりを持ってくれる人だと読み解ける。
まだ言うかという感じだけど( ̄∀ ̄;)、私のホロスコープにはそうした宿命的なものがいくつも組み込まれていて、私自身もものすごく思い当たる節がたくさんあって、あまり好きじゃない。
「何この苦行みたいなこと?」という内容が、人生全体においててんこ盛り過ぎると思っている。
「ぶっしーのチャートすご。ハードにつぐハード!笑 笑っちゃいけないかもだけど、笑ってしまう。すみません!」
とノムから言われたぐらい、本当に私も色々強烈過ぎて笑うよ!と言わんばかりのホロスコープだから、わかる。
なんだけど、そんなものとレイさんの天体のいくつかが重なるなんてのは、ものすごく嬉しいことだった。
苦行的なことも色々もたらされてしまうけれど、そんな中でレイさんと出会わせてもらえたわけだから、本当の本当に嬉しい。
そもそも、苦行的なことたちがなければ、私は絶対にホロスコープにはここまでハマらなかったと思う。
色々「気のせい」で片付けるには無理すぎて、自力で読み始めたら難易度超高いとわかって、それでくだんの占星術講座に申し込んだ。
去年7回も通い詰めたのに、クラスメイトたちと自分史に残るほどのご縁も特になく、占星術は本当に勉強しに行っただけなんだなと思って終わっていた。
それが色んなことを経て、ノムと繋がって、そしてレイさんとも繋がることができた。
ここまでのご縁だと気付けたのも、ノムに出会わなければ無理で、さらにノムが咄嗟に「レイさんも呼ぼう!」と思ってくれなければさらに起こりようもない現実だった。
この2年ぐらい、アホみたいに魂繋がりだとどういう偶然が起こるのかについて、自分の体験を元にひたすら紐解いていたからわかる。
魂的なご縁は、「ありえない」ことが起こりまくるし、本来繋がらないものが繋がっていく。
イレギュラーなんてものじゃなくて、10数社の不採用食らうぐらいのことを起こしてでも、魂は絶対的なところに繋がろうとする。(人間側ははっきり言って介入できないレベル( ̄∀ ̄;))
「人知を超えたところで起こる」のが魂的なご縁らしいことはわかってきた。
前回の魂サンプルが超意味不明すぎてあれこれ調べたかいがあって、レイさんとのご縁はこんなにもすんなりと受け取ることができた。
しかも嬉しいのが、これが私だけじゃなく、レイさんにとっても思わぬ副産物的な立ち位置で起こっているということ。
詳細は割愛するけれど、レイさんの話を聞いて初めて「財産を引き継ぐ」大変さを知った。
レイさんにしても、今は再建されて素敵なeat LOVE聖地になっているけれども、最初からそんな素敵な流れではなく、レイさんはレイさんでそのことでものすごく葛藤しただろうことは、レイさんの話を聞いて少しはわかった。
言葉で説明すると何分とかで終わっても、その言葉の内容をレイさんは自分の人生全体で体験していて、それはとってもしんどかろう…としか言えない話だった。
子どもの頃から、土地や家屋を持つことによって生じる様々な人間ドラマにレイさんは訳も分からず組み込まれた人だった。
少なくともレイさん側には「拒否権」は存在しなかったんじゃないかなと話を聞いて思った。
だから、今ある姿はレイさんにとって「生きた証」であっても、決して最初から迎合できたことではなかったと思う。
レイさんも私も決してプラスのスタートではなかったものが、こうしてご縁を結んだ時にはそれらなしでは成り立たない出会いだったと知れて、私には格別な想いがある。
単なる講座とか、単なる引き継がれた家屋ではなく、それぞれの歩んだ歴史を抜きには絶対に出会うこともなかった今なんだと思うと、過去の傷たちも報われる。
それらのおかげで今があるということが、本当に特別に感じる。
もし、出会わなければ、eat LOVE母屋で「出会えて嬉しい!出会えて良かった!」と額に飾っておきたいような言葉をレイさんからもらうこともなかっただろうし、私も同じ言葉を返すこともなかったと思う。
どこかにも書いたけれど、あそこの場所は何か異次元のものを運んでくる磁場のようになっている気がしてならない。
お互いに普通に生きているだけじゃ絶対に出会うことのなかった人。
町で偶然すれ違うことさえも絶対になかったと言い切れる。
でも、お互いのタイミングが整って、そして今回の立役者ノムがいて、ようやくレイさんと私は繋がれることになった。
レイさんが守ると決めた場所で、レイさんと私は出会うことができた。
レイさんと繋がることは私にとっても、そしてレイさんにとっても、必然だったんだろうと思う。
そしてこの必然は、「ご縁を紡ぐ」っていう言葉がとても似合っている。
「紡ぐ」という言葉は、綿や繭から必要な部分を抽出してそれを道具を使って糸にしていくことが語源になっている。
「紡ぐ」を調べるうちにとても興味深い説明があった。
時間をかけて美しいところを最大限純化したものを丁寧に引き出して、それを大切な人に届けるとあった。
レイさん、ノム、ミッチーとの出会いは本当にそれだと感じる。
美しいものを最大限純化して、それを互いに差し出したりお互いのものをミックスさせてさらに違う新しいものを生み出す。
この美しいものも、もちろん合言葉は「愛・LOVE」。
写真:eat LOVE聖地の空より
葉は「希望」や「再生と復活」を意味する
木は「自分軸」「調和」「生命力」「循環」「魂の進化」を表す
「ぶっしーに出逢えて、本当に嬉しい!!
出逢えて本当に良かった!!」
レイさんはこの言葉を何度私に言ってくれただろう。
まだ知り合って10数時間、あと一緒にいられるのは2時間ほど…という頃に、レイさんは朝イチからそんな嬉しいことを言ってくれた。
私ももちろん同じ言葉をレイさんに返した。
毎回、占星術講座の日は、同じ日の夜遅い時間出発の夜行バスに乗って新潟に帰る。
新潟に着くと、真夜中の3時半前とかだから、毎回頭の中は寝ぼけていて、体は疲れているし眠たいんだけど、逆に神経は鋭敏というか、普段出てこないものたちもスッと素直に出てくる感がある。
今回もそのぐらいに着いて、駐車場で車に乗り換えて、家を目指して出発した。
eat LOVE邸でのことが真っ先に思い出された。
色んなことを思い出したけれど、最初だった気がする、レイさんとのそのシーンを思い出したのは。
思い出すたびにポロポロと涙が出てきた。
私は、もし何年か前の自分、特に30歳ぐらいから37歳ぐらいの間の自分に会いに行けるのなら、その自分に伝えたかった。
「“ぶっしーに会えて嬉しい!”と本気で言ってくれる人がもう少しすると現れるから、もう少し人生生きるのがんばって!
がんばらなくてもいいから、生き延びて!」
当時の私は、今以上に彷徨いまくっていて、何で生きているのか、仕事もして生活も営んでいても何のために生きているのか、それがさっぱりわからなくなっていた。
当時一番苦しくなったのは、「何か価値を提供していないと存在価値がない」と思い込んでいたことだった。
それは会社から会社が求める数字を出して表彰された時に、はっきりとそう感じた。
私は他人や社会が求めているものを永遠に提供していないと、世の中では価値がないんだ…と、それは生きる絶望みたいな感じだった。
当時の私にとって、「価値の提供=自己犠牲的ながんばりや努力というのもセット」で、それを残りの人生でずっとしていくのかと思ったら、明日なんて来なきゃいいのに、明日起きたら死んでたとかならないかな…と本気でそれぐらい思って日々を生きていた。
“ありのままのあなただから価値がある”なんていう言葉は嘘だと思った。
なに綺麗事言ってんの?と思ったし、じゃあ何もしなくても本当に価値があるのか…っていうと、そんな世界は存在していなかった。
ニートになるとわかるけれど、本当に社会的役割を手放した時に、それを称賛する文化は日本にはない。
ニートを称賛して欲しいということではなくて、何にもなっていない本当にただの一個人になった時にそれを真っ直ぐに受け止めてもらうなんていう体験は、したことがなかった。
話がかなり逸れるのは嫌だからザックリと言うと、それを誰かからしてもらうことを求めたところでその時は半永久的にやってこないから、代わりに私は自分で自分の心の安心を作ることを始めた。
そこに行くまでに何年もかかっている上、そういうことが自然と身についているタイプの人のまだ足元にも及ばないようなレベルだけれど、それでもそういうことを一切していなかった時よりもうんと良くなってきた。
無価値観みたいなのはだいぶ薄まってきた気がするし、色々やらかしてももしくはやっていなくてもそれが自分だと思えるようになってきたし、その自分とどうしたら少しでも仲良くなれるだろうかと真剣に考えるようになった。
自分自身を敵に回すことが何よりも大変だと本気でわかったから、それをしないように気をつけるようになった。
そういう諸々の積み重ねがあって、そして縁が出てきたのがノムで、そしてノムの先にミッチーとレイさんがいた。
ノムとミッチーとレイさんは、それぞれデコボコしている。
良いとか悪いとかではなくて、本当にそれぞれの人たちがデコボコした自分をそのまま出している。
どこでもそうなのかと言うとそうではなかったとしても、少なくともeat LOVE敷地内ではそのようになっている。
これはものすごい安心感だった。
3人とも完全なる他人なのに、まるで家族みたいな感じでそれぞれがそれぞれのままその場にいる。
私もすっかり安心して、そこに3人といた。
レイさんの存在を知ったのは、eat LOVE邸に誘われるもっと前、星トリオが新潟に星を見に行った後だった。
ノムのメールより…6/13
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ぼくはカレと広い敷地の中の貸家に住んでいるんだけど、
敷地に、大家さんがときどきやってきてね、
なんというか、彼と彼女(51歳女性の大家さん)とのトリオは、
ふしぎな、血のつながりはない家族?親戚?
そういう間柄となったのだけど、
先日ぼくの誕生日があり、
大家さんが、ぼくの「星をみたい!」って願いを叶えるべく
プランニングをしてくれ、すべての準備をしてくれ、車もだし運転もしてくれ、
当初、長野に行く予定だったのが、天候の関係で、新潟へ行く運びとなり、
上越のほうに、車で4時間くらいかけて、いってきました。
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その後、ノムから
「せっかくだから、大家さんもいっしょに夕飯したいな、と彼女を誘ってみてさ。のむ、みっちー、れいさん(大家さん)という星トリオといっしょに、その日は夕飯を食べるのでもよい??」
と聞かれたから、私は二つ返事で返信した。
【40も過ぎた男の人が「星を見たい」と言ったら、本当に星を観れる場所を探して、そこまで車を出してまで連れて行こうとする、その心を持った51歳の女性】にものすごく会ってみたかった。
こうやって特徴(=すぐ上の文の【】の部分)だけで書き出すと、ものすごく考えにくいというか、イメージしにくい。
聞いたことのない発想を持った人同士の、しかも一応大家さんと借り主なわけで、法律上の賃貸契約もあるのに、そんなの飛び越えて人間関係がある2人、ミッチー入れて3人にすごく興味があった。
今だからわかるけれど、ノムが第三者を話の中に盛り込ませてくる時、必ず一言紹介がある。
ミッチーは恋人だから別枠として(←これは今度書くからその時に説明)、それ以外の人たちの時は基本私にもわかるように一言説明が付け足される。
例えば他の人たちなら、「僕にホロスコープを最初に教えてくれた人」とか「ライター時代から唯一繋がっている人」とか、聞けばすぐわかる言葉で説明される。
その中で唯一レイさんだけだった、ノムが自分の心の中にある想いも付け足して説明したのは。
「ふしぎな、血のつながりはない家族?親戚?そういう間柄」
自分との心理的距離についてわざわざ教えてくれたのはレイさんだけで、だからノムにとってレイさんがとても特別な関係にある人だというのだけはわかった。
それはノムだって「ふしぎな間柄」と呼ぶだけあって、ノムにも説明のつかない関係なんだろうと思う。
わりかし何でも言語化を目指そうとするノムがミッチー以外の人に対して曖昧な表現を使うのは、レイさんぐらいだと思う。
どうしても言葉で説明できないものに関しては、ノムは基本そのようにして、無理に言葉にはしない。
レイさんにだけは、明確な言葉での説明をノムはしなかった。
それはすなわち、言葉なんかでは説明できない関係なんだと思ったし、そしてそれがノムのレイさんとの関係に対する敬意なんだと思う。
ノムに私もレイさんに会ってみたくて願ったり叶ったりというような返事をした後に、ノムからまた返信をもらうんだけど、ちょっとだけ気になったことがあった。
「ひとまず、レイさんにぶっしーのメールのこと伝えたらよろこんでました〜🌟」
何が気になったかというと。
ノムはレイさんに「ぶっしーからOKって連絡来ました」と言うんじゃなくて、わざわざ私のメールに書かれていたことを伝えただろうこと。
もちろん、それはすごく嬉しくて、そんなの一言で済ませようと思えば済ませられるのにそうしなかったノムに驚いたのと、その後のレイさんの反応も意外だった。
ノムはプロのライターさんだけあって、言葉にはかなり忠実に表現をする。
だから、レイさんが喜んでいた、というのは、盛った表現ではなくて本当にそうなんだろうと思った。
そのノムの一言に、会ったこともないレイさんが本当に喜んでくれているのが伝わってきた。
それはいきなり何処の者とも知らぬ私をそんな風に受け入れてもらってるみたいでとても嬉しかった。
ノム・ミッチーカップルとレイさんの不思議な関係を感じながら、いざeat LOVE聖地の母屋へと到着した。
私は勝手にファンキーでぶっ飛んだ性格の大家さんを想像していたわけだけど、実際のレイさんはそれとは真逆の第一印象だった。
第2話の『もなかでお茶タイム』の中で、
「気さくな感じの、普通に一緒にスーパーに行けちゃいそうな、本当に朗らかな雰囲気の方だった。
パンクな性格ではなく、細かなことに目が届いて、きっちりするべきことはきっちりしてるのが好きという感じの、私個人は打ち解けやすい感じの女性で安心した。」
と書いたけれど、もう少し付け足そうと思う。
パンクとかファンキーという言葉は、レイさんを見た瞬間に消えた。
しかも、ノムから前情報がなければ、大きな車にゲイカップルを乗せて、往復700キロと離れた場所へ星を見に連れ出すなんて、とても考えられない感じだった。
見た目と実際にものすごく面白いギャップのある人だとわかったし、きちんとしてそうなのに遊び心もあるみたいな感じに私はますますレイさんがどんな人か知りたくなった。
レイさんは本当に気さくで、初めて会っただけじゃなく、自分の直接の知り合いでもないのに、私を本当に心から出迎えてくれた。
レイさんからして私は、家を貸してる人の占星術講座のクラスメイト…という遠い感じの、っていうかそれは一体誰でどうして東京の郊外まで来るのかという自然な疑問が浮かび上がってもおかしくない、そういう存在なのに、レイさんはその中のどれも気にならないのか、本当に単純に「ノムの知り合いでノムが自分のところに呼びたくなった人」ぐらいな感じで解釈してくれてるのがすごく伝わってきた。
後から聞いたことだけど、ノムの方からレイさんにも「レイさんと引き合わせたい人」として私を紹介してくれていた。
それも手伝って、私は本当に温かく出迎えてもらった。
ごちゃごちゃ細かいことは一旦脇に置いて、レイさんは目の前の私を本当に心待ちにしていたよと言わんばかりの雰囲気に溢れていた。
「あ!すごい歓迎してもらってる!」というのが言葉にしなくてもビンビンと伝わってきた。
その時からすぐに「これはとても楽しい時間になるに違いない!」と私は確信した。
実は人見知りな私は、会ってすぐにそんなことを確信できるなんて、人生の中でほとんどない。
見知った仲になってからは話は別だけど、基本的に初対面でそう感じることはまずない。
大人になってからの私は社交性が磨かれそこそこ人と初対面でも話すし、相手が言葉少なめと知れば自分から話すぐらいのこともできるようにはなったけれど、表面に現れる私とは別に内面は超警戒心抱いていたり超距離を置いて状況を観察するクセは抜けない。
ところが、レイさん然りミッチー然りだったけれど、ノムのおかげもあって、その私の内面の警戒心は発動しなかった。
レイさんを見て「大丈夫」とすぐに思えて、その後に続くミッチーにも同じように感じた。
日本の中でこんなにも安心な心地帯が存在するなんて、ミラクル過ぎた。
そもそもノムと私が占星術講座のクラスメイトということも関係していたとは思うけれども、夕ごはんの後、ペンジュラム体験会やらホロスコープ読み解き会なんかを自然な流れの中でやることになった。
レイさんは自分の出生時間がわからなくて、だからノムも大体のホロスコープしか出せないんだよねと言っていた。
今思うとそれもよくできた話で、その1ヶ月前にノムは目の前で私がミッチーの出生時間をペンジュラムで出したのを見ていたから、少なくともそれを見てノムが出そうと思えば出せなくもなかったのに、ノムはそうしなかった。
すべて後から決まったけれども、私が行くことでそれまでレイさんから誕生日にプレゼントしてもらったペンジュラムを使うのを待って、だからそうなるとレイさんの出生時間もノムが事前に調べることもせず、私がまるで「それやってくるんだよ」と遣わされたみたいにやることになった。
とりあえず見てわかることをレイさんにそのまま伝えた。
伝えた内容は今となればうろ覚えで、ただ唯一その時の感覚で覚えているのは、今という時期はレイさんにとって大きな転換期であることとそこに居合わせる必要があって呼ばれたのかもしれないと思ったことだった。
どの日も一生に一度なんだけど、その中でも個人にとって特に影響の大きい日や時期というのがある。
レイさんにとって今の星回りはまさにそうで、謎のしんどい理由もそこに関わってのことだと思うし、それはまさに生き方そのものをこれまでとは違う「自分のための人生」にするところに入り出していて、そうした諸々のことが星たちに表れていた。
初日の夜よりも、次の日の朝、自宅から30分かけてレイさんが来てくれた時にちょびっと2人きりで過ごせた時の方がさらに濃密だった。
レイさんに「出会えて本当に嬉しい」と何回も言ってもらったこともとっても大きなプレゼントだったし、それで心がホクホクしたことももちろん大きかったけれども、なんだろう、言葉を仮にもらわなかったとしても私はあの高揚感を感じたと思う。
ただただレイさんと一緒にいられる、レイさんと時を共に過ごせる、そのことだけで心が満たされまくりだった。
もう1つ嬉しいことがあった。
これはこの後新潟に帰ってきてからも引き続きの私の宿題みたいになって持ち込まれたけれど、私はまさか目の前の初対面の女性が私の心のわだかまりを溶かす突破口の役目をしてくれる人だなんて考えてもなかった。
そもそも自分の心の傷を癒すことを目的にeat LOVE邸に行ったわけじゃなかったから、そんなことは1ミリも期待どころか考えることもなく伺った。
そして私は客人だし、ノム以外みんな初対面だし、そもそも自分のことをどれだけ外に出すのかも未知数だったから、とにかく楽しい時間をみんなで過ごせたらいいな(あとおいしいごはん楽しみ♪♪♪)ぐらいな程で行った。
今もだけど、「一般人」としてずっと生きてきた私にとって、自分のオカルト体質やスピリチュアルへの興味なんかを口外するのは、相当人を選ぶし、相手の許容範囲は超見る。
そのことで何か関係にヒビなど入れる気は毛頭ないから、そして言わなきゃ言わないなりに普通に関係を楽しめることも知っているから、積極的に口にする気もさらさらない。
だから、ノムがリクエストしていたペンジュラムの扉びらきには立ち会うにしても、私が見たかった『光の書』なんていかにもなタイトルの本を見せてもらっても、それで全部だろうぐらいに思っていた。
だけど、それだけじゃなかった。
第6話『ペンジュラム講習会』でも書いたけれど、その日は4人でペンジュラムやホロスコープのことで大盛り上がりだった。
そして、そこをキッカケに私はレイさんのホロスコープをさっと読むことになった。
見てわかることは喋れても、きちんと紙に書いて調べてないから細かいことはわからない。
それでもわかる範囲のことを伝えた。
実はこれは私にとってかなりチャレンジングなことだった。
(書いてて思ったけれど、「チャレンジ」じゃなくて「チャレンジング」がスッと出てくる時は、現在進行形のテーマなんだとわかる)
ホロスコープ然りペンジュラム然り相手の魂や潜在意識からくるメッセージ然り、どれも軽く伝えられる内容じゃない。
しかも、伝え方も気をつけないといけないし、相手が必要としているのかとかも見ないとだし、何よりこの辺りはすごい繊細な見極めが色々必要だから積極的にやりたいこととは違う。
そして、変に伝えて相手を混乱させたり依存させたりなんてのも好きじゃない。
(依存させたのとは違うけれど、そういうことができると知って、変に頼られてそれを必要とされて私自身が必要とされてないみたいな風に感じて、それで私の方が受け付けられない結果になった人間関係も過去にあった。)
その辺のさじ加減も難しいし、さらにレイさんが年上の女性だというのも私にはためらうものがあった。
これはレイさんがと言うよりも、塾で働いていた頃に痛感したことで、年上の女性でお母さんという立場の人たちには私は何をどうやっても敵わない。
余談だけど、塾の仕事でまだ研修期間だった頃、保護者懇談を影から観察する研修があった。
何教室か行かせてもらって、どうやって主にお母さんたちと懇談するのかをひたすら観察した。
見えないから、言葉だけを聞く時間だった。
9割男性の職場だけあって、1人の女の先輩以外は全員男性ばかりだった。
上から目線で話をしている男性陣にはドン引きしながら、そのやり方は私がすると角が立つとすぐに悟ってやめた。(ちなみにこういう男性たちは、研修の私にも同じ感じできて私はいつも笑顔で「ありがとうございます」と言いながら、心の中では「ばーか!」と悪態ついてた。)
女の先輩は経験数と修羅場数が半端なく多くて、毅然とした対応をしていて、これもまた私的に自分がするのは無理だった。
そこで私が編み出したのは、ひたすら話を聞くのと、困っていることがあれば聞き出すのと、あとは私から見た子どもの様子を話すだけにした。
要はお母さんたちに何も物申さず、頼むのはお金のことだけみたいなやり方をした。
それが私の年齢や立場的(未婚子無し)に一番やりやすくて良好な関係を作れる方法だった。
それは同性として、私が体験していないことを体験してきた方たちに対して並々ならぬ敬意を持っているし、その体験のない私は同じ土俵には立てないし、それをなんとか自分なりに色々経験してどう接するかを試行錯誤して今に至っている。
で、スピリチュアル系のものになってくると、はっきり言って実年齢は関係なくなるけれど、でも現実にコミュニケーションを取るのは実年齢の自分たちなわけだから、そこは配慮が必要になる。
多分私が最大に苦手なのは、年上の子持ち女性たちだと思う。
なぜなら、結婚の苦労も子育ての苦労もさっぱりわからないから(体験したくてもできない 苦笑)、さらにそこに介護だのキャリアだのがくっついたらお手上げで、だから「年上の子持ち女性」という枠組みの中では、レイさんは一番何かを伝えるのに苦手な相手になる。
なんだけど。
レイさんは、その辺が少し違っていた。
レイさんは純粋に知りたがっていた。
しかもどこまでも私を対等に見てくれているのは、なんとなく感じられた。
上手く言えないけれど、私を上にも下にも見てなくて、あくまで「お互い人間同士だもんね」みたいな、そういう空気がレイさんにはあった。
そしてレイさん自身から「知りたい」という気持ちが出ていたのも見て取れた。
初めてのホロスコープの鑑定をした時に、本当に私は最初からものすごく恵まれたと思ったけれども、私がどういう人にだと伝えたいのか、それを相手の子がはっきりと示してくれたことで知ることができた。
私が対象としたいのは、「自分を知りたい人」だった。
運気アップとか相性診断とか職業適性診断とかは、私はできないしやりたくない。
なぜなら、他の誰かの人生はその人の人生だと私は思っているから。
そこに私が口挟んで相手の自由意志や選択を左右するのは絶対にしたくない。(私の勝手な感触で、その手のことを聞いてくる人は往々にして自分で決めることを避けて人に委ねようとする傾向が強い。)
だけど、自分の人生を生きていくのに自分をもっと客観的に知りたいとなった場合、占星術はお助けツールになってくれる。
私は少なくとも手法を知っているわけで、その時は自分自身の知識を使うことこそが正しい行いだと思っている。
レイさんと話していて、レイさんも絶対にそのタイプ、自分を知りたい人だった。
そして、多分自分で調べるだろうなぁというのもなんとなくわかった。
だから、とにかく私側のごちゃごちゃした私情は脇に置いて、話せる範囲のことを伝えた。
レイさんからも感謝されてやって良かったとは思ったけれども、それ以上にやった私の方が癒された。
このことで色々嫌な思いもしてきたから、本当なら怖い体験だった。
なんだけど、やることでレイさんにも私にも双方プラスのことがあって、そしてそれは「やり方(占星術含め自分の使い道)が色々あるのかも」と思えるきっかけにもなった。
新潟に戻ってすぐぐらいの頃、ノムからこんな風に連絡をもらった。
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なんかね、ぶっしーリーディングがレイさんにすごく響いたみたい。楽になれたんだって。だから興味を持てたんだろうね。しかもペンジュラムまで! 伝道師だねー、 ぶっしー。
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そう教えてもらえてとても嬉しかった。
時間にして、トータル30分もレイさんと2人きりで話せた時間はなかったと思う。
なんだけど、一生忘れられないような、そういう濃密な時間になった。
そしてそこからまた新たな展開へと繋がった。
eat LOVE聖地を後にしてから1週間後のことだった。
ノムから手書きで書かれた手紙の写真がきた。
超粋なことをしてくれるなぁなんて思いながら読んだら、「もしぶっしーがOKならレイさんと直接やりとりする場を作るのはどう?」と提案してくれた。
それはノムがレイさん、私とそれぞれやりとりして、そう感じて提案してくれたことだった。
私は二つ返事で、レイさんに私の連絡先を伝えて欲しいとノムにお願いした。
というか、それからまだ1週間しか経ってないことに今気付いた。
レイさんと連絡取れるようにしてもらってそして今日まで、まるでもっと長い時間やりとりしていたみたいに感じていたら、まだ1週間でビックリした。
レイさんからの最初のメールにはこんな風に書かれてきた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ノムが最初にぶっしーのお泊りの話した時、「たぶんこれが最後の上京かもしれないから」って言っていて、お泊りの翌日に見送った時にはもっと話したかったのになあって本気で思った。
だから昨日のメールやブログで、またいつか泊りに来てくれることが前提になっていて、本当にうれしく思ってる。
そして、今度泊りに来る時には合宿ばりに私も泊まり込んで、ずっとしゃべっていたいなあと。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
レイさんが出会ったばかりの私に対してそんな風に思ってくれていたことがとっても嬉しかった。
しかも、いつになるかもわからない次の回をレイさんもとても楽しみにしてくれている。
それも、単に楽しみと言うんじゃなくて、次は自分も母屋に泊まって合宿みたくしてずっとしゃべってたいって、夢のようなプランまで提案してくれてる。
同じメールの中でレイさんはこんな風にも言ってくれた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
たぶん、ホントに珍しいことなんだけど、ぶっしーと私はめちゃくちゃ気が合うんだと思う。だからぶっしーのブログには物凄く共感するし、もしかして自分の気持ちを代わりに表現してくれている?くらいに思うことも多々書かれていて、ビックリすることもある。
普段は、メールするにしてもこんなこと書いたら相手は引いちゃうかな?とかおっかなびっくりで、何度も文章を読み直して書き直すことがざらなんだけど、ぶっしーはそんなこと考えずに書いても受け止めてくれるんだろうなーって思う。
私自身、敬語を使うことが苦手な人間。ましてや敬語で話されるのは物凄く距離を感じるから、好きじゃない。
だから、年齢は私の方が上だけど、対等な友人関係でいたいから、お互い敬語抜き、普通に話しましょー。
まだまだお互いのことはほとんど知らないけど、たぶんそんな急いでお互いを紹介しなくても全然大丈夫な気がする。
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レイさんが基本的に、普段は慎重に物事に取り組むだろうことは直接会った時にわかったし、本当に些細なことでもここは気をつけようとレイさんの中でなればそこを本当にそっと気をつけるだろうことも見ていてなんとなく気付いた。
だからこそ、レイさんが気にせずにバッと書いたものをそのままメールしてくれる、というのはレイさんが自分で言うぐらい珍しいことなんだと思う。
それをしても良い相手だと思ってもらえるのはとても光栄なことだった。
敬語に関しては、私から質問した。
会ってる時も気付けばレイさんにもタメ口で、若干自分に引いてた( ̄∀ ̄;)。
私の中で、ノムもミッチーもレイさんも同一線上というか同一仲間グループにいる人たちという感じだから、レイさんにだけ敬語を使うのは何だか変な感じだった。
しかも私がそれをしたくなかった。
だからレイさんが気になるなら敬語にしようと思ったけれど、レイさんに聞いたら普通に敬語抜きで話して、対等な友人関係でいましょーときて、ホッとした。
今まで私も最高に何歳下かわからないけれど(覚えている限り一回り以上は下)、相手は私に対して普通にタメ口だし対等にやりとりできるのが嬉しかったから、それは男女問わず関係性問わずそうだから、それでレイさんにも確認したらOKで、そうしたちょっとした価値観が合っているのもとっても嬉しいことだった。
そして何よりも響いたのは
【まだまだお互いのことはほとんど知らないけど、たぶんそんな急いでお互いを紹介しなくても全然大丈夫な気がする。】
の部分だった。
そうやって少しずつ関係を深められること、少しずつ知っていけばいいこと、そうして言葉にしてもらえることが本当に嬉しかった。
レイさんとのやりとりで何が心地いいって、1つ1つ言葉にできること。
遠慮したりとかレイさんがどう思うだろう…とかを考える前に、「まずそのまま思ったことを口にしてみようか」と思えることだった。
対異性(パートナー)は難しすぎるけれど、対同性でもそこはやっぱり配慮が要る。
だけど、レイさんとはそこをまずトライしながら、要は考えるより先に動いてみることを優先できそうな気がした。
そういう、これまで体験したことない関係作りをレイさんとはお互いに試せるように思えた。
それは人間関係の断捨離強化と言わんばかりの流れにいた私にとって、すごく嬉しいことだった。
上に書いたことを、激しく確認する機会が早速巡ってきた。(「激しく確認する」なんて普通言わないけれど、その表現がピッタリだからそう使ってみた。)
それから数日後、レイさんからメールがきた。
読んだ瞬間、バババッとメッセージが出てきた。
1年以上かけて自分の体質に慣れてきたからわかりつつあるけれど、頼まれてもいないレイさん自身の魂と思しきところからメッセージがきた。
いくつか瞬時にやってきて、そしてどんどんダウンロードされる感じがそうだった。
ただ私の想い的な部分とも若干重なっているメッセージではあったから、これ私が思ってること?というのももちろん疑った。
得意のペンジュラムを出して聞いた。
NOに回ってくれていいよーと思っても、こういう時百発百中ペンジュラムはYESを出してくる。
しつこく何回も聞くけれど、絶対にYES。
レイさんの魂から来たこと確定で、当然そうなれば私側に言わない選択はなくなる。
内容は伏せるけれども、一言で言うなら一般社会で年下の者が年上の人に向かって言うのは非常にはばかられる上、こういうメッセージは悪いものではないけれど読むのも消化するのも受け取り手側はかなりエネルギーが要る。
しかもレイさんと知り合って何日目ですか?みたいな。
今これ言うの?っていうか、レイさん今色々考えてるところにこれぶっこむの?みたいな。
今こんな風に冷静に書いているけれど、メッセージをいくつかキャッチした状態でその後運転していた時は、色んなことをしんみりと考えていた。
考えているうちに、心の奥深いところからだと思うけれども、涙が出てきた。
悲しいとかそういうマイナスの感情ではなく、自分でも上手く説明できないけれど、とても深く何かを感じている時の涙だった。
多分レイさんの魂から託されていること。
私がきちんと選ばれていること。
他の誰かじゃなくて私だということ。
そして、これは私にとってもチャンスだということ。
自分の持ってるものをそのまま出しても、それでも自分が望むような健全な人間関係をレイさんとは作れるだろうこと。
普通の人となら絶対にできない。
やったら関係が破綻するか迷惑行為か怒りを引き出すか、反対に依存されたり利用されたり…、けっこうギリギリのことをやるのはわかってる。
ちなみに最後にやった魂からのメッセージの時は、その後(というか今も)人間関係が凍結した。
それが直接の原因ではないけれど、確実にトリガーになった。
全く明るくない終わりを自ら迎えさせて、自分の中でも今も引き続き徐々にその終わりの中身を消化している。
直近の過去はそんな風なんだけど、私はなぜか今回の件に関わることで「レイさんに嫌われてもいい」と思えた。
なんか、あの母屋で「ぶっしーに出会えて良かった!」と言ってくれたレイさんは、本当に今の私だけじゃなくて過去の私も癒してくれて、一生分の救いみたいなものをレイさんからもらった。
だから何かあっても、あの時のことはあの時のこととして胸にずっと残せるし、あの時の気持ちはずっと覚えていられると思った。
そして大丈夫だと思うけれど、万が一レイさんから嫌われてもそれは仕方ないかと諦めるのは惜しいけれど受け入れられる気はした。
はたからすると、いちいち大げさに聞こえるかも知れないけれど、それぐらい私にとっては大きなことで、そして私がキャッチするものは多分本人の生き様やその時の心のライフステージに関わるような大きいことだと思うから、大げさにして何ともなく事済めばいいけれど、そうではない時に私が軽く扱うのは絶対に違うから、だから大は小を兼ねるじゃないけれど、慎重にそのメッセージに向き合う。
任務を遂行。(「任務」って言い方…笑)
レイさんに書いて送る前に経緯だけざっくりと伝えて、書いて送っていいかを聞いた。
【自分の魂からのメッセージ、知りたい!
お願いします🙇】
ここにそのままレイさんの返事を貼り付けるとなぜか言葉にくっついてた空気が薄まるけれど、レイさんから返信をもらった時に、私と同じ温度でもしくはそれ以上の温度で見てくれてるように感じられた。
なんとなく「大丈夫」とストレートに思えた。
そして送ったと連絡したら、
【ありがとー💓
どんな内容でも、心して読みます😉
私のために時間割いて長文メール送ってくれてどうもありがとう❤️】
と返ってきた。
レイさんが見せてくれる反応は、私にとって「そうしてもらえるのはとても嬉しい」と漠然と思っていることが形になったものだった。
普段そんなこと言葉にしないけれど、レイさんから返ってくる言葉はいつもスッと心の奥の方に届く。
さらにメールで、レイさんがメッセージを読み終わった後に返事をもらって、
【あらためて魂からのメッセージ、ありがとう。
ぶっしーはこういうのを伝えた時って、ぐったりするとかないの?大丈夫?】
と冒頭に書かれてあった。
メッセージ云々よりも、まずは私を気遣ってくれるレイさんに、本当に心が打たれた。
レイさんは最後に、パソコンから書いてるから可愛い絵文字がないことまで触れてくれていたけれど、ちなみに私が書いたメッセージのメールも絵文字は最初と最後の挨拶部分に付けただけであとはひたすら文章onlyだったけれど、そういうことに気を配れるレイさんに私はものすごく救われた。
圧倒的な差だった。
わかった。
今レイさんからの返信部分を抜き出して余計とわかった。
これまでに魂のメッセージは10数人やっている。
そのうちの3人、今は私の方から離れた3人の人はそれがなかった。
「ありがとう」とは言われた。
感謝もされた。
私を好いてくれてるのも好意的なのも知ってた。
だけど、それ以上にもっと別の形で私の心にグサっと深く刺さるものがあった。
私の態度もいけなかったと思う。
ただ、こちらが全力でしていることは上手く伝わらないのか、内容云々ではなく、私は3人の前で自分が道具みたいだった。
人間なのにもはや私はそういうメッセージを言うだけのロボットみたいな、口ではどんなに感謝されても違うところからそういうのは伝わってしまう。
そして、それが強烈だった理由は、とても良好な人間関係だったから。
なんならものすごくお世話になった3人だった。
相手に余裕がなかったことも知っていた。
だけど、それを思いやる余裕はもう私の方に残っていなかった。
今言葉にしてわかった。
私がどうにも受け入れられなかったことは、私が一番されたくないことをされたからだった。
相手の人たちは、多分私を道具のように扱っているなんて全く思っていないと思う。
本当に単に相談とか、単に話を聞いてもらってるとか、その程度の感覚だと思う。
だから、いちいち相手が発する別のところに反応するのは私側の感覚だ、ということは本当の本当にわかってる。
だけど、私がある時から「人」ではなくなる一線がある。
誰かと比べられたりとか、私の能力が使えると知って求められたりとか、だけど思う結果ではないとそれを心ない言葉で返されたりとか、もしくは友達だからという理由ですごく軽々しく扱われたりとか。
私は自分のこうした面倒くささや変な細かさも知っている。
だけど、その部分は自然にキャッチしてしまうし、無自覚に勝手に反応してしまう。
それが私の一部で、やっとわかったのは、そこはもう自分で自分を守ってあげるしかないということ。
そこが傷付くと私側は相当キツくなるから、そこは私だけはせめて大切にしないと完全にその部分の自分が居場所をなくしてしまう。
なんならその自分がいることに、前の私だったら罪悪感を覚えたと思う。
世話になってる人たちに対して、自分側のそんな反応1つで何かを断ち切るとか、わだかまるとか、それは自分がいけないんだと思ったと思う。
だけど、もうこの自分を守るには、他の何かを犠牲にしてでも切り捨てても、自分が自分のために盾にならないといけない。
それは私の価値観だから相手には強要できない。
だけど、レイさんはそんな私側のごちゃごちゃした事情なんか何にも知らなくても、そこを自然体で大事にしてくれた人だった。
自分優先スタイルを取り入れてから、私の足元はまだかなりグラグラしてるものの、それが私だというのを優先し始めている。
それに対してレイさんは、自然体で私や私のしていることをサラリとでもとても大切に受け止めてくれている。
私が伝えた内容は受け取るのに時間はかかるかもしれないけれど、それをしている私にはいつもと変わらないレイさんだった。
私は私のままで、レイさんはレイさんのままで、それでパズルがカチッとハマるというのはすごいことだった。
メッセージをやりとりした後、レイさんには少しだけ自分のことを話した。
レイさんから返信がきた。
【大変な係、引き受けてくれてありがとう。
でも、そんな力なくても、ぶっしー大好きだからね😘
(普段は、この手の言い方をすることはあまりしない私ですが😁)】
レイさんとのやりとりは、自分の何か大切なことに関わるものをもう一度新しいやり方で体験することだった。
それは私が自分をとにかく最優先するということを始めてから、初めてのことだった。
魂からのメッセージは10数人やって、3人を除いた人たちはレイさんみたいな感じだったけれど、それは最初から恵まれただけの話で、私が自分の立て直しを図らないとまずいとなってからそのようにカチッとハマったのはレイさんが初めてだった。
そして、もう無理せずに自分流を貫いて大丈夫という合図にもなった。
相手も無理しなくていいように、私も無理しなくていいということ。
そして、その互いの無理のない状態で合わない時は、単純に相性の問題で、それは誰が悪いというのでもないこと。
だって実際にその3人の人たちはどの人も人として本当に素晴らしいし、良いところもたくさん持っている。
偽善者みたいだけど、それは今も変わらずそう思っている。
なんだけど、本当に些細で小さなことだけど、私が無視できないところが合わなかったというだけ。
色々な場面を体験してとにかく自分を大事にすることを最優先し始めて、そのタイミングで出会えたのがレイさんだった。
レイさんとの出会いは、私に「自分のままでいても新しく作れる人間関係、自分が望むような健やかな人間関係がきちんと存在するよ」を教えてくれるものだった。
これは帰ってきてから知ったこと。
正直なところ、レイさんのホロスコープを最初見た時に、「私はこの人と本当に縁があったとするなら、星とか関係ないんだな」と思うぐらい、重なりが微妙だった。
ゼロと言ってもいいかもしれない。
(実際によくよく確認したら、ないわけではなかった。でもよくよく確認しないとわからないぐらい。)
レイさんとミッチーのホロスコープの赤の他人とは思えない異常なほどの重なりを見ていたから、私とは、言うならノムと私の縁故的なものから派生した先に、レイさんと私があったのかな…と、そういう解釈だった。
レイさんの先にミッチーがいて、ミッチーの先にノムがいて、ノムの先に私がいるぐらいの重なりのなさだった。
ホロスコープでは本当に他人みたいな感じになっていて、かなり腑に落ちなかった。
まるで、本当に「偶然」互いに居合わせたとしか判断できないぐらい重ならなくて、すごく変な気がした。
さらに占星術の先生の言葉も思い出した。
「最初の数人(お客さん)は、本当にものすごく縁の強い人たちが来ます」
先生に私が初めて鑑定書を書くことになった子との異常なほどの縁の強さを説明したら、そうやって言われた。
(この話も超延び延びになっているけれど、eat LOVEシリーズが終わったら、今度はその話をアップする予定。他の延び延びの話も同様。)
だから、レイさんのホロスコープはたまたま読むことになって、さらには星なんて関係なく繋がる人とは繋がるんだとそういう解釈に最後は落ち着いた。
帰ってきてからわかったのは、全く別のことだった。
ある方法で互いのホロスコープを重ねると、そこで縁がものすごく出てくる場合があることを私は偶然発見した。
ミッチーとレイさんの出生時間を多分正確にペンジュラムで出せただろうことをうけて、私はある人の出生時間も同じようにペンジュラムで出して、その時間でホロスコープを出してみた。
はっきり言って、遊びみたいな感覚でやったに過ぎなかった。
何一つ期待もなければ、元々時間不明の時点で9割重ならなくて縁がないんだと思った。
だから時間がわかったところで結果は同じだろう…と予想した。
予想は大きく裏切られた。
本気で両目が飛び出るぐらいに、卒倒しそうなぐらいに驚いた。
これはペンジュラムのイタズラかもしれない…と私は考えた。
念のため、ノムに伝えた方法でも出して調べた。
その方法でも、見て明らかなのが出てきた。
基本パッと見ただけではホロスコープは読めない私が、パッと見てわかるというのは相当な重なりだということ。
あまりに驚きすぎて、私はパッと見るだけにとどめて、すぐに画面を変えたほどだった。
そう、見た瞬間にわかるぐらいの強烈なものが出てきて、宝くじ当たったことがないからわからないけれど、それに近い感覚だと思う。
ただ、この最初のサンプルがものすごく信憑性に欠けるサンプルだったから、自分で出したものが微妙だと思った。
そこでノムに、ノムとミッチーとかノムとおじいちゃんとで見てくれないかをお願いした。
私以外のサンプルを作らないとわからないなぁと思ったから、それでお願いした。
ノムと先日の6時間にも渡る長電話の半分以上はそのことに関してのものとそこから派生した様々なインテリ(!)な雑談だったけれど、ノムが調べてくれたことでやっぱりその諸説は合っていたことを知れた。
ノムとミッチー、ノムとおじいちゃん、なんならノムのおじいちゃんとミッチーも、私が試してと言った方法で見たらそれぞれ強固に繋がっていたと教えてくれた。
(諸説は合っているけれど、私の最初に出したサンプルは、本当に合っているかわからないから気のせいかもしれない。)
で、遅れて今度はレイさんと私、そしてノムにも分析するためにノムの分を送ってもらってノムと私とで、それぞれ見てみた。
ノムともかなり濃い繋がり方だったけれども、それ以上にレイさんとはものすごく重なっていた。
それも、私側は、私の人生や性格を表す天体たちに関わっていて、最初に鑑定した子とはまた別の意味でレイさんとは「縁がとても強い」ことがわかった。
ノムにそのことを言ったら、
「あれだけいろんな見方が標準装備されているのに。(←ホロスコープ算出する超有名サイト)
ってことは、その方法って相当マニアックなのかもしれないね、わからないけど。
でも、そのひとひねりこそが、
一般的ではない深い情報をひきだす裏技なのかもしれないね!」
と返ってきた。
そう、標準装備にはない手法で、私のそれはたまたま発見したことだった。
単なる好奇心がそれを導き出して、あまりにもドンピシャなものが出てきたから、ノムにも調べてもらった。
色々調べても普通にどこにもそんな情報はなくて、そして標準装備にないぐらいだから、本当にあまり知られていないことなんだと思う。
ノムと私とで出した結論としては、「深い魂の繋がり」を見る方法だということになった。
そう、レイさんとはひとひねりの手法を用いると、本当にとってもご縁が深いことがわかる。
それも生半可な重なりではなく、ものすごく重なっている。
6天体(レイさん側)もピッタリ重なっていて、それが異常な重なりなのはわかる。
しかも、私側はその重なりの中に占星術で「神の指先」と呼ばれる、自分ではどうにもならない宿命的なものも含まれている。
神の指が差すある一点に向けて、ひたすら自分を捧げるみたいな生き方に関わるもの、その部分とレイさんの天体の一部とが関係している。
それはすなわち、私の特殊な生き方に対してレイさんが関わりを持ってくれる人だと読み解ける。
まだ言うかという感じだけど( ̄∀ ̄;)、私のホロスコープにはそうした宿命的なものがいくつも組み込まれていて、私自身もものすごく思い当たる節がたくさんあって、あまり好きじゃない。
「何この苦行みたいなこと?」という内容が、人生全体においててんこ盛り過ぎると思っている。
「ぶっしーのチャートすご。ハードにつぐハード!笑 笑っちゃいけないかもだけど、笑ってしまう。すみません!」
とノムから言われたぐらい、本当に私も色々強烈過ぎて笑うよ!と言わんばかりのホロスコープだから、わかる。
なんだけど、そんなものとレイさんの天体のいくつかが重なるなんてのは、ものすごく嬉しいことだった。
苦行的なことも色々もたらされてしまうけれど、そんな中でレイさんと出会わせてもらえたわけだから、本当の本当に嬉しい。
そもそも、苦行的なことたちがなければ、私は絶対にホロスコープにはここまでハマらなかったと思う。
色々「気のせい」で片付けるには無理すぎて、自力で読み始めたら難易度超高いとわかって、それでくだんの占星術講座に申し込んだ。
去年7回も通い詰めたのに、クラスメイトたちと自分史に残るほどのご縁も特になく、占星術は本当に勉強しに行っただけなんだなと思って終わっていた。
それが色んなことを経て、ノムと繋がって、そしてレイさんとも繋がることができた。
ここまでのご縁だと気付けたのも、ノムに出会わなければ無理で、さらにノムが咄嗟に「レイさんも呼ぼう!」と思ってくれなければさらに起こりようもない現実だった。
この2年ぐらい、アホみたいに魂繋がりだとどういう偶然が起こるのかについて、自分の体験を元にひたすら紐解いていたからわかる。
魂的なご縁は、「ありえない」ことが起こりまくるし、本来繋がらないものが繋がっていく。
イレギュラーなんてものじゃなくて、10数社の不採用食らうぐらいのことを起こしてでも、魂は絶対的なところに繋がろうとする。(人間側ははっきり言って介入できないレベル( ̄∀ ̄;))
「人知を超えたところで起こる」のが魂的なご縁らしいことはわかってきた。
前回の魂サンプルが超意味不明すぎてあれこれ調べたかいがあって、レイさんとのご縁はこんなにもすんなりと受け取ることができた。
しかも嬉しいのが、これが私だけじゃなく、レイさんにとっても思わぬ副産物的な立ち位置で起こっているということ。
詳細は割愛するけれど、レイさんの話を聞いて初めて「財産を引き継ぐ」大変さを知った。
レイさんにしても、今は再建されて素敵なeat LOVE聖地になっているけれども、最初からそんな素敵な流れではなく、レイさんはレイさんでそのことでものすごく葛藤しただろうことは、レイさんの話を聞いて少しはわかった。
言葉で説明すると何分とかで終わっても、その言葉の内容をレイさんは自分の人生全体で体験していて、それはとってもしんどかろう…としか言えない話だった。
子どもの頃から、土地や家屋を持つことによって生じる様々な人間ドラマにレイさんは訳も分からず組み込まれた人だった。
少なくともレイさん側には「拒否権」は存在しなかったんじゃないかなと話を聞いて思った。
だから、今ある姿はレイさんにとって「生きた証」であっても、決して最初から迎合できたことではなかったと思う。
レイさんも私も決してプラスのスタートではなかったものが、こうしてご縁を結んだ時にはそれらなしでは成り立たない出会いだったと知れて、私には格別な想いがある。
単なる講座とか、単なる引き継がれた家屋ではなく、それぞれの歩んだ歴史を抜きには絶対に出会うこともなかった今なんだと思うと、過去の傷たちも報われる。
それらのおかげで今があるということが、本当に特別に感じる。
もし、出会わなければ、eat LOVE母屋で「出会えて嬉しい!出会えて良かった!」と額に飾っておきたいような言葉をレイさんからもらうこともなかっただろうし、私も同じ言葉を返すこともなかったと思う。
どこかにも書いたけれど、あそこの場所は何か異次元のものを運んでくる磁場のようになっている気がしてならない。
お互いに普通に生きているだけじゃ絶対に出会うことのなかった人。
町で偶然すれ違うことさえも絶対になかったと言い切れる。
でも、お互いのタイミングが整って、そして今回の立役者ノムがいて、ようやくレイさんと私は繋がれることになった。
レイさんが守ると決めた場所で、レイさんと私は出会うことができた。
レイさんと繋がることは私にとっても、そしてレイさんにとっても、必然だったんだろうと思う。
そしてこの必然は、「ご縁を紡ぐ」っていう言葉がとても似合っている。
「紡ぐ」という言葉は、綿や繭から必要な部分を抽出してそれを道具を使って糸にしていくことが語源になっている。
「紡ぐ」を調べるうちにとても興味深い説明があった。
時間をかけて美しいところを最大限純化したものを丁寧に引き出して、それを大切な人に届けるとあった。
レイさん、ノム、ミッチーとの出会いは本当にそれだと感じる。
美しいものを最大限純化して、それを互いに差し出したりお互いのものをミックスさせてさらに違う新しいものを生み出す。
この美しいものも、もちろん合言葉は「愛・LOVE」。
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