2019年5月21日火曜日
ココロ模様ー令和元年東京
心の中に浮かんだまま書いてみようと思う。
来週の水曜日、占星術講座中級編を受けに東京に行く。
「中級」という響きが、「私そこまでレベルアップしました!」と言えるみたいで鼻高々な気持ち。
実際は今頃になってようやく基礎をしっかり作ろうと、もう一度学び直してる最中ではあるけれど 苦笑。
講座もクラスメイトや先生に再会するのも楽しみだし、束の間の東京探訪も楽しみだけど、それとは別に自分でもどう持っていたらいいのかわからない気持ちも一緒にもれなく付いてくる。
1ヶ月以上前、私はとうとう最後の手段を使った。
最後の切り札は、最後なだけあって、二度も三度もは使えない。
生涯を通じて一度しか使うことのできない切り札だった。
覚悟はしていた。
どんな結果になろうとそれを受け入れるつもりで使った。
終わったことは仕方ない。
どうすることもできない。
残ったのは、手段を完全に失ったという現実と、それに追っつかない自分の気持ちだった。
その気持ちは日々微妙に形を変えつつも、原形はその姿かたちをとどめたままになっている。
生きているのに手段がないとは本当に酷なもので、私はまだそのこととの折り合いをつけられない。
折り合いの付け方を知らないと言った方が近い。
その折り合いも付かないまま、来週の水曜日には私の体は東京へと運ばれていく。
1年前の丁度今頃、占星術講座の席が取れて東京行きが確定した。
狂喜乱舞したのは、何も席が取れたからだけじゃなかった。
物理的に近くなるということが私の心をものすごく高揚させた。
今回はその高揚感はなくて、代わりに手にすることのない世界を前に絶望している自分がどうしてもチラついてしまう。
東京はいつのまにか「哀しみよこんにちは」の場所になってしまった。
「哀しみよこんにちは」の部分も楽しめるぐらいになったら上出来だし、その時はもっともっと東京を楽しめると思うけれど、今はまだそういう気持ちからはずい分と遠くにいる。
最後の切り札を使ったくせして、あれは幻だったんじゃないかと思うことが時々ある。
でもそれはやっぱり幻じゃなくて現実で、雑踏の中に入っていく自分の気持ちと自分の中にある孤独感とが重なる。
さっきこれを書き出す前に思い出した名古屋駅での光景があった。
まだ名古屋に移って数週間みたいな頃だった。
日曜日の夕方、私は駅建物内にある高島屋の入口前にいた。
そこは「金の時計」と呼ばれるものが近くにあって、駅前での待ち合わせ場所によく使われるところだった。
私はそこにしばらく佇んで、道行く人たちをずっと眺めていた。
色んな人たちが行き交う。
待ち合わせの人も仕事帰りやショッピング帰りの人も旅行者も地元の人も、とにかくあらゆるタイプの老若男女が通り過ぎていった。
それを見ていて私は猛烈な孤独に襲われた。
とにかく目まぐるしく景色も人も入れ替わる。
1秒として同じ風景がないぐらいに、色んな人たちが行き交っている。
そんなにもたくさんの人たちが目の前を通過していくのに、私はその中のただの1人も知り合いがいなかった。
その頃は会社と家の往復で、休みの日に会える友達と呼べる人はまだ誰もいなかった。
こんなにたくさんの人が目の前にいるのに、その中の誰一人私を知る人も、私が知っている人もいない、というのは想像以上に孤独だった。
人は数え切れないほどいるのに誰とも繋がっていないのが本当に寂しすぎた。
あの時の気持ちと今現在の気持ちとが重なる。
東京に行けば、人はたくさんいる。
日本の首都らしく、人は絶え間なく行き交う。
なのにそこには私が会いたい人がいない。
東京に入ると、その事実がより一層際立つ。
新潟にいる時にはそこまで感じなくて済んでいるけれど、東京入りしたら無視もできなくなる。
そういう気持ちと共に東京に行くんだな…とかなりどんよりした気持ちが沸き起こる。
もちろん今回だって色々お楽しみポイントはある。
行ったら行ったでそのお楽しみポイントを楽しむ自分も想像できる。
だけど、それとは別次元のところに、どうやったって埋まらない穴がある。
しかもその穴の存在感たるや威風堂々とし過ぎている。
何かに取って代わることもない。
穴は穴のまま、ずっと君臨し続ける。
穴の存在を忘れさせないためと言わんばかりに、ずっと私の中に存在し続ける。
そうとわかって行く東京。
残された道は、ひたすらその穴とその孤独とその現実を自分の中に受け入れること。
[写真たち]
最後に東京に行った去年の11月の思い出ショット。
自分で撮った、朝もやの東京駅近くの道の写真が個人的にとても好き。
食卓に華を添えてくれる食器たちに出会って、いつか手にしたいなぁと思って作家さんの名前と作品を写真に収めてきた。
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