ひょんなことからおじさん会議を横目で直接見聞きする機会に恵まれた。
A社…今回単発のお仕事を依頼した会社。
B社…A社から備品をレンタルしている。
C社…A社がB社にレンタル契約している備品の日常的な維持管理を担当している。
D社…A社とC社、それぞれの商品に必要不可欠な備品を取り扱う会社。
E社…B社と契約があって、B社製品を卸している。そのB社の製品を購入した一般のお客さんからクレームが入ったことで、B社にそのクレームが報告された。
色々ややこしい話だけど、E社からクレームが方々の会社に入ったことで、東京からA社の人が2名現場に入ることになって、その仕事の補助を一緒にするために私は仕事に行ってきた。
で、C社に行った際、私が作業している横で、『おじさん会議』が繰り広げられていた、という構図。
当初A社の人たちもまさかC社の重役がお出ましになるとは聞いてなかったようで、2人も若干腰を抜かしていた。
当初は課長レベルの人がちょっと対応して、あとは現場での単調作業をするだけの予定でいたのが、大幅に狂った。
で、その狂ったスケジュールにより、私もおじさん会議ならぬ重役会議を始終耳ダンボにして手を動かすという、面白い体験をそばでしていた。
私は完全に風景と化しているから、超観察し放題だった。
何よりも強く感じたのは「日本、もう限界まで来てしまったんだな」ということだった。
B社・C社は今回回ったところだから、社内の中もけっこう見えた。
ほんの一部だけでも、よその会社を見るなんてそうそうないから、私は興味津々で現場を見ていた。
なんならB社に至っては、私の好きな番組、NHKの『サラメシ』で出てきた某企業の仕事の中身と全く同じ仕事をリアルにしていて、私は暇さえあればその様子をガン見していた。
B社もC社も全く業態の違う企業ではあったけれど、1つだけ言えるのは日本経済の根底を支える会社の1つだということ。
そしてそうした人たちの影での努力なくしては、今ある便利さを私たちは1つとして手にできない。
それを超リアルに見てきたから、余計と感動もひとしおだった。
本当に超徹底した仕事ぶりだった。
B社に至っては、来客である私たちにも健康チェックはじめ内部に入室するための身支度にまで規定があって、手抜きなんか許されないぐらい色んなことが徹底されていた。
ちなみにE社というのはお店で、その手のお店なら全国どこにでもある。
日本の人口の9割以上は人生で一度は利用したことがあるはずなぐらい、私たちの生活にものすごく密着している業種。
だからE社に来たお客さんクレームは、完全に個人のお客さんだというのは想定できる。
1つだけ願わずにはいられなかったのは、E社にクレームを入れたお客さんの話が本当の話で、A社なりB社又はC社のいずれかに落ち度が本当にあったものだといいなぁということ。
落ち度を本気で望むなんておかしな発想だけど、それを願わずにはいられないぐらいにたった1人のお客さんの声が協賛数社を巻き込む大騒動になっていたから。
エンドユーザーのお客さんの話というかクレーム内容は現物を見てのことならわかるけれど、現物がないと「そんなこと本当にあるの?」と疑いたくなる話だった。
でもクレームが入った以上、放置もできないから、関係各社が双方やりとりする他なくなった。
それで私が個人的に感じたのは、D社だけは話の中にしか出てこなかったから内実はわからないけれど、他に関しては「もう色々と限界だよね」だった。
限界というのは、本当に頭が上がらないぐらいに世の中の人たちの生活を大真面目に支えるために尽力している企業たちだから、これ以上求めてどうするの?という意味合いでの限界を感じた。
私からすると、今回の企業数社にこれ以上を求めるなんて、「求めすぎ」としか思えなかった。
色々と感じたことがあるから、【】でその内容を囲って、補足であれこれ書いてみたい。
【日本経済の限界】
今回たまたま3つの会社を一度で見れるなんていうおいしい役目が回ってきたけれど、とにかく3つとも超超超がんばってる。
すごい少ない時間しか見ていなくても、そうした企業なしでは今の日本の便利さも超高水準な生活環境も経済も、何一つ私たちが享受できないのは本当によくわかった。
私はまさかの気持ちでその様子を見ていた。
例えば、スーパーでもコンビニでもドラッグストアでも何でもいい。
何かひとつ買うとする。
ペットボトル1つ、おにぎりひとつ、精肉1パック、お菓子1袋、何でもいい。
まさかそのたった1つのものが商品として店頭に並ぶまでに10数社・10数種の企業なり個人労働者が関わって初めて商品化されるなんて、誰も思わないと思う。
それは店頭で陳列棚に並ぶ以前の状態で、そこまでの企業数が関わっている。
私も今回超マニアックな部分の作業を手伝ってみて、まさかそれが店頭に並ぶ商品と紐付いていて、そして店頭に並ぶ商品には全く関係のないものがクレーム内容と関連しているなんて、どんな確率の話ですか?と思った。
だから私が言った、個人のクレームを入れたお客さんが本当にその話の通りの不具合を買った商品の中に見つけたことを願わずにはいられなかった、というのはその工程を見たら多くの人は思うことなんじゃないかと思った。
百円玉1つで色んなものが買える。
まさかそのそれにどれだけの人件費に含まれる色んな人たちの労働力が組み込まれているのかなんて、本気で私は今回の仕事に行くまで考えたこともなかった。
もしこれがいたずらなら、私が今回体験したことを1日するだけでいい、してみたらわかる。
どんなに馬鹿なことをやらかしたのか、そして消費者としてどれだけ色んな人たちの労働力によって生活が支えられているのか、見たらいい。
絶対にいたずらでクレームなんてもう入れられないよと思う。
話は戻して、そうした企業努力を見て感じたこと。
徹底したマニュアルに徹底した安全管理・品質管理、そうした中でもやっぱり数千分の1、数万分の1の確率で何かしらの形で不具合が起きてももはや仕方ないと思う。
これが人命に関わるレベルならわかる。
でも今回のクレームは、人命には関わらない。
本当にあった不具合なら、そのすごい確率をくぐり抜けてのことで、残念だったねとしか言えない。
でもそのたった1つの不具合のためにこれだけの人たちが動いていて改善するなんて、もう神レベルではなく、そのさらに上を行くレベルだった。
これ以上の完璧度を企業に求めたら、日本沈没するよのレベルだった。
技術的なカバーや人的なミスを無くすための新たなチェック体制の導入は可能だけど、それをしたらそこに関わる人たちのメンタルがやられる。
その構図が一瞬で浮かぶぐらいに、本当に徹底されてた。
限界過ぎて、もう発展とかやめようよとさえ言いたくなる、そういうレベルだった。
【人手不足の本当の理由】
仕事はたくさんあるのに、どうして人手不足なのか。
単純に、やりたい人が少ないからだと思う。
B社の仕事に近い仕事を一度だけ20代の時にしたことがある。
3日ないし4日の仕事でしかなかったけれど、私はもう二度とやりたくないと思ったぐらいに苦手でやりたくない仕事だった。
細かいことはわからないけれど、不規則勤務の人が大半だろうし(いわゆる24時間オペレーション系の仕事)、そして作業は単調でもやることや気をつけることは盛りだくさん、これは普通にはできない。
やり手が少ないのは一目瞭然だった。
C社のお偉いさんが嘆いていた。
自社のサービス商品を各契約先とやりとりするためにドライバーは欠かせないけれど、ドライバーがとにかく集まらない。
どんなにお金を上げて雇用しても、この半年だか1年で3人辞めたらしい。
それはもしかしたらC社の在り方に問題があるのかもしれないけれど、お偉いさんいわく、その仕事自体がやっぱりすごいヘビーであること、続けてくれる人がそもそも少ないことを言っていた。
だから万年人不足みたいな中で、ギリギリ回してるようだった。
わかる気がした。
あれだけ色んなことを個人単位の労働者が求められたのなら、強靭なメンタルでもないと普通は具合が悪くなる。
政府は外国人材受け入れとか言っているけど、厳しいでしょ?と思う。
なぜ自国民ですらやりたがらない仕事を、外国人にさせるのか、やりたい人ならわかるけれど、そもそもどうして国民の多くがその仕事をやりたがらないのか、それを無視して対処療法的なことをしたって解決にならないと私は思う。
そもそもが高水準過ぎることに対して、それをきっちりとその通りにしてくれる働き手の人たちの影での努力は半端ない。
そういった、この上はもうないという水準のあり方をそもそも見直さないと、多分多くの人がやれないよと思う。
これ以上の技術やサービスでカバーするんじゃなくて、もっと根本的なところをなんとかしないといけないと思う。
言うなら、足し算じゃなく引き算のやり方を取り入れないと、誰もそれやりたくないよね?と思ってしまう。
例えば今、コンビニの24時間営業そのものの見直しがされるようになった。
今必要なのは、そういう抜本的な改革だと感じる。
これ以上の技術やサービスを売りにしても、それについてこれる人たちが極端に少ない。
単純な労働人口の減少もあるけれど、本当のところは人手不足なんじゃなくて、そもそも仕事に求められる内容を前に、それを担える人・担いたい人が少ないんだと感じた。
【AIではできない仕事】
私が今回した仕事は、これからどんなにロボット開発が進んで普通にAIが働くことになっても、人の手でなければできない仕事なんだとわかった。
本来課長級の方がする仕事ではない。
(役職は知らないけれど、もしかしたら部長クラスの人かもしれなかった、会議の様子を見ていると)
いきなり入った私がやれるぐらいすぐにできる仕事だから、特別な技術はいらない。
でも、特定の状態を探し出すのは、将来ロボットにできないとは思わないけれど、コストかかりすぎと思う。
ロボット1台いくらするのか知らないけれど、数万円台で買うぐらいの値段にまで下がらないと、人件費よりロボット代の方が高くつく。
年に1回どころか初めてのケースなら、人的対応の方が安く上がる。
超イレギュラーな仕事だったから、A社においても、基本的に「ない」仕事らしい。
今回クレームだの何だのとあって初めて発生した仕事だった。
人の手は必ずいる。
だけど、難しい内容ではない上にすごくイレギュラー、発生頻度はかなり低い。
そういうものは、最後まで人の手の仕事として残ってしまうものなのかなと思う。(費用対効果の観点から)
【おじさん会議】
おじさん会議は別の意味ですごかった。
おじさんと言ったけれど、そのうちの2人は30代で今が働き盛りの人たち。
入社10数年目ぐらいな感じ。
他は、課長級ないしは部長級ポストの人が2人、そして役員級のお偉いさんが1人という会議だった。
D社を最初の説明に入れたのには訳がある。
A社とC社それぞれは仕事の業種が似ている。
言うなれば、建設業と土木業が似ている感じ(実際違うものにしても。建設業と介護業は異ジャンルなら、その2つが似ているのはわかる)
その似ている部分に関して、同じ道具が必要で、その道具をメーカーD社製を使っているようだった。
そして、このD社分のものが今回のクレームの対象商品だった。
話の感じからして、D社はその商品における超老舗メーカーで、最終的にみんながみんなD社製を使うぐらいのマーケットを持っているようだった。
で、おじさんたちが今回の件を受けて、当然互いの会社をしのごの言うことはできない。
だけど何かしらは言わないといけない。
そこで言えない分を、なんと「D社製製品」に関しての意見交換という名の批判をして、とりあえずその場をしのいでいる場面があった。
本音をお互いに言うと、多分ビジネスが決裂する。
だから、それを湾曲的にその場にはいないメーカーの話をして、避けようとしていた。
誰しもが本音を言えない、そういう会議がしばらく続いた。
その流れを変えたのは、役員的なお偉いさんだった。
お偉いさんは最初不在で、途中から参加した。
あまり好きなタイプのおじさんではないけれど、ただ「本音をズバッと言う」という意味では本当に男気溢れる人だった。
一言はっきりとA社に対して「◯◯を検討して欲しい」と言った。
長く付き合いたい、これで取引をやめたいというのでもない、ただ現状では今の状況でうち(=C社)は厳しいと。
だから、今すぐこの場でどうこう決定して欲しいというのではなく、なんとか現状に見合った条件の変更を依頼していた。
A社の課長的な方が「自分もペーペーでこの場で返事をするのは難しいですが、社に戻って前向きに検討させていただきます」と言われていた。
そして、私は当初業界ルールを知らないからお世辞で言ってるのかと思ったけれど、C社というのはA社がこれまで全国で回った同業他社の中で断トツで維持管理体制が徹底しているようだった。
C社の工程の一部が見え隠れしていて、A社の2人の方は感嘆のため息をついて「さすがだわ」と感心していたから、本当にきちんとしていたんだと思う。
さらにC社の凄さをその会議中に知ることになった。
E社にお客さんからクレームが入ったことで、E社の店舗なのか本社の母体から、誓約書を取り付けられた。
それはA社、B社、C社に当てられたもので、要は被害が出た場合責任を負うことに対しての誓約書のようだった。
これはあくまでも私の予想でしかないけれど、もしかしてこれは本当に個人のお客さんのいたずらなのか?と思ってしまった。
というのも、その件に関してB社はとても冷めた感じで騒いでいなかったし、A社の人もB社から直接のクレームではなく、C社経由で話が来て、それでB社C社に赴くことになったと話していた。
内容は伏せるけれど、何をどうしたらそれが起こるのか、どんなに可能性を考えてもありえない内容だった。
B社のあの徹底ぶりから考えて、その内容が起こるというのは、私からすると宝くじ1等前後賞が当たるぐらいの確率なんじゃないかと思った。
しかもB社的な仕事に短期でちょっと行ったことがあるからわかる。
そのクレームが起こる可能性はどれだけの確率なの?と思う。
だから、B社はE社に対して陳謝はしたと思うけれども、正直いたずらを想定したのかもしれないなぁと思った。
C社が黙っていられなかったのは、自分たちも徹底しているものを、そんな1個人客のクレームにより、企業対企業で賠償責任なんかの締結まで迫られたことだと思う。
もう、本気でそれ現物あるんですよね?って聞きたい内容だった。
A社の人たちも、寝耳に水というか絵空事のようにしか見えない風だった。
だけど、取引先との関係のためにそんな呑気なことも言ってられないから、役職級の人たちを2人も地方に派遣して、作業的に手が足りない分現地では単発で手伝ってくれる人を雇ってまで何とかしないといけない重大案件に変わっていたようだった。
どうやらA社に落ち度があるらしい。
A社に落ち度というより、クレームの対象となったものの大元の管轄メーカーがA社だった。
(そのクレームの備品の仕入れ先がD社)
お偉いさんがすごいなぁと思ったのは、E社から半強制的に渡された誓約書に関して、本当ならお偉いさんたちC社の立場からだってA社に同じものを求められるところ、それはしていないことだった。
E社の在り方に納得はいっていない様子ではあったけれど、それを自分たちも真似して他社(A社)に損害賠償を目的とした署名を求めるとかは一切していないことだった。
そうしたやり取りを横目で見ながら、日本の責任転嫁主義の最も悪いところが出ている場面を見た。
自社の利益を守るためなら手段は選ばないみたいな、そしてそれがいかに信用問題を余計にこじらせるものなのか、それも考えずに出しているE社の在り方に疑問を抱かずにはいられなかった。
E社は、日経新聞読めない女でさえ知ってる有名企業ゆえ、この1年ぐらいで見た色んなニュースとその紙切れ1枚の存在がどこかで重なるようだった。
ちなみに、E社のような知名度は全くない地元の大企業C社の寛大な対応には感動した。
紙切れではなく、きちんと企業対企業で互いに利益となるような方向を打ち出そうとしていた。
【男の人たち】
おじさん会議を眺めながら、その人たちの私生活を想像した。
C社で最初に対応してくれた30代の男性は、指輪をしていたから既婚者とわかる。
私でも名前ぐらいは知っている地元優良企業での中堅役。
マイホーム建てて、妻と子と住んでいるんだろうか…と想像した。
でも、表情に生気がなかった。
お偉いさんは超絶癖のありそうな人ではあったけれども、少なくとも会社のためにひと肌脱ごうというのだけは伝わってきた。
「午前中、別の企業さんに行ってて、帰り道高速が事故でストップしてたんですよ。普段なら私それだけでもう『今日は会社に戻らない』で終わりですよ。でも今日はA社さんが来ると聞いていたから、何が何でも帰ろうと思ったんですわ。
◯◯からこの現状を何とかテコ入れして欲しいとお願いされて、だから動いてるに過ぎないですよ、私は」
と言っていた。
◯◯が誰なのか知らないけれど、お偉いさんはその人の頼みならやるぞという気負いだけはものすごく感じられた。
しいては、従業員たちを守るために出てきたのもわかった。
それに比して、30代の男性は、丁寧だしきちんとしているけれど、覇気がない印象を受けた。
仕事だから対応しているだけで、何かや誰かのために動いているという感じは全くと言っていいほど感じられなかった。
家族のために働いているんだろうことは予想できても、それさえも仕事への動機にはなれないぐらい、魂が抜け落ちたみたいな、スマートなビジネスフェイスのお面をかぶったような雰囲気なのがどうしても見えてしまった。
人様のことを想像するのもどうかと思ったけれども、多分外側がある程度満たされてはいても心の中は真っ暗なのかな…という感じはした。
もっとはっきり言うと、定年を迎えるもしくは本人が自主退職しない限りその仕事というよりその地方ではズバ抜けて条件が良いだろう職場に縛られるのが見えているから、それが好きならいいけれど好きではないのは一目瞭然だったから、その葛藤が本人も気付かぬうちに出ている感じはした。
私の偏見だけど、その仕事に関しては「やりたい!」と言って就くタイプの仕事じゃない。
だけど、企業の基盤がでかいから、そして客層のニーズがどんなに社会が発展しても絶対的にあるものだから、よほどのことがなければ倒産しない。
ロボット産業が主力に代わる時代になったって、絶対に生き残れるタイプの仕事だから、倒産は本当に考えられない。
だから、安定という意味では◎(二重丸)企業でも、心の中で切り捨てるもの・あきらめるものの方が大きかったのかな…なんて思った。
色んな男性たちを見てきた中で、かなり病的な危うさを感じた人だった。
(書いてて思ったけれども、どれも私の主観の話だからどこまでがそうなのかは知らないけれど、なんかそういう見えない部分のエネルギーだけはやたらと感じてしまうのは、そもそもの自分の癖や体質なんだと気付いた。)
それがさらに麻痺しただろう人がその上司と思しき男性で、ザ・事なかれ主義の人だった。
波風を立てたくないのはすぐにわかった。
絶対に本音は言わないし、うまい具合に話を避けてる。
司会進行役?と私なんかは勘違いしたぐらいだった。
でも、名刺交換の前に課長とか呼ばれていたから、役職の付いた人なのは間違いなかった。
どうでもいいことだけど、そういう場面の時に挨拶の仕方を見ているとよくわかる。
役職ありだから挨拶して、ない人には何も挨拶しない人は、多分仕事もあまり上手じゃない。
その人はA社の2人にだけ挨拶をして、私ともう1人には目もくれなかった。
会釈の1つもできないのかと唖然とした。
私にきちんとしてくれというよりも、細かいことに気付けるかどうか、人を人として見れるかどうかの部分だから、そこがおかしい人は大概何かしらおかしいと私なんかは感じる。
明らかに服装が私ともう1人は違っていたから部外者なのはわかるけれども、もしかしたら取引先の関係者かもしれないわけで、普通に挨拶しとけよ!と思う。
30代男性も課長風の人も、心の中は色々烈(はげ)しい風が吹きまくりなのかと感じた。
お偉いさんは、孫がいそうな感じがした。
「じじ」とか呼ばれたら、デレデレして財布の紐が緩みまくりな人って感じだった。
どういう理由かは知らないけれど、その年齢の新潟県男性には珍しく、結婚指輪をしていた。
本当に珍しいから、家族第一なのか家族から疎まれても本人は家族ラブなのか、まぁそんなこんなは予想できた。
孫なんて来た日には、それがたとえ孫は金目当てでも目尻をどこまでも下げていそうなおじさんの姿が目に浮かんだ。
A社の2人の方は、2日間ご一緒させてもらって、本当に面白い人たちだった。
特に課長的な年上の方は、出張をどこまでも楽しんでいた。
初日、思いの外早く仕事が上がると、一目散に個人的趣味に基づいた小さな旅を決行しに行かれた。
行き先に営業時間や、営業時間までに間に合わなかった場合の商品の後日郵送可否やらを電話で尋ねるぐらいの徹底ぶりだった。
初対面だから待ち合わせ場所で最初に会った瞬間は見たままの情報しかない。
それでも、C社の面々の方々を見た時のような病的な危うさは感じなかった。
むしろ、感じ良さそうな方たちで本当に良かったと思った。
久しぶりに、本当に「人」に会ったって感じだった。
中身は仕事なんだけど、仕事人の前に「人」を感じられる人たちで、私の中では超ポイントが高かった。
【心をさらけ出せる場所】
またまた独断と偏見の話ではあるけれど、おじさんたち五人衆を見て、「心をさらけ出せる場所」というのがキーワードとして出てきた。
B社の社内で仕事をしていた時、その場所というのが従業員の方たちが行き来したり立ち寄る場所で、色んな方たちを見た。
現場の入口手前で壁や扉なんかの仕切りもあるから、声は現場には漏れない。
現場担当のおじさんも何人か見て、その方たちと女性たちとのやりとりがすごく良かった。
互いに愚痴を吐き出しつつ、自分いない時にそこは頼むよってお願いし合える仲のようで、そういう会話を何人か耳にした。
現場には現場の不満があるのは話ですぐわかった。
それを共有できて互いに応援を頼めるというのは、とても心強い。
だから、そういう人たちが私がいた場所に備品返却や備品引取りに来ると、感じの良さが空気だけで伝わってきた。
マニュアルの細かさで言ったら、私が見た数々の企業でもトップ3に入ると思う。
完璧が当たり前の出来だとされる職種・企業において、少しでも気を緩める場所があるのは絶対に心強い。
C社の役職のおじさんたちに会った時、それが本当になくて、多分仕事も1人で抱え込むものが多いだろうことと、あの感じだと家でもどうかな…なんて思った。
心をさらけ出すのが得意な人不得意な人がいるし、それを絶対の解決策とは言わないけれど、それがあるとないとでは人生における心の健康の質がかなり違うだろうと予想できる。
心に風通しの良い何かがあれば、それだけで心の健やかさはかなり上がったりする。
職場内でなくても、家でも友達でもはたまた趣味の場でもなんなら自然と戯れるでも、自分が自分のままでいられて、心をそのままさらけ出せることがあることは、私の場合、人生で一番重要だと言ってもいいかもしれない。
だから、C社の人たちを見てその出ている空気感が気になったのは、そこだったのかもしれない。
抱えきれない何かをどこにも出せずにいる風に見えたから(実際は知らないけれど、多分私の感覚で言うと9割は私の読みで当たっていると思う)、見ている側も何となく息苦しいみたいなのを感じた。
〜ここから下は、上のものを書いてから数日後に書き足した〜5/20
【おじさんたちの痛み】
いつもの癖で「どうしてこのシーンを目撃することになったんだろう?」と疑問に思っていた。
私の中での重要度は低くても、一生に一度あるかないかのイレギュラーな出来事には違いないから、気になった。
【起こることすべて必要があって起こる】という信念を心のポケットに持っているから、だからこのことが妙に印象に残る理由が当初わからなかった。
(「心のポケット」って言葉が今出てきて、それ使えて大満足(o´艸`))
あれから数日経って、オルゴナイトを使ってののどの不調治療中、不調第4ラウンドに突入した今、私は身体ではなく心の方からの癒しのプロセスに切り替えつつある。
その辺りはまた後日ブログに書こうと思っているけれども、そののどの不調和に対してのケアと男性性の癒しとがリンクして、それでハッとなった。
(わかりにくい説明だけど、色々なプロセスを経て「男性性を癒す」というヒントが出てきたから、今「男性性」について調べている)
おじさん会議で私が見ていたのは、「痛み」それも「心の痛み」だったんだと気付いた。
当初高みの見物状態だったけれど、今はそこで見て取れた痛みが自分の痛みとリンクしている。
しいては5月5日スタートののどの痛みとも繋がっているらしい。
ここからまた独断と偏見の私の分析を書くけれど。
あそこにいたおじさんたちは、全員多分「限界」を目の前で日々見ていて気付いていると思う。
これまでのやり方が通用しないことも、紙切れで誓約書なんか交わしたところで根本的な解決になっていないことも、全部全部わかっていたと思う。
だけど、そうしたことに真っ向から向き合って、さらにはこれまで成功したやり方を脇に置いて新しいやり方、しかも足し算ではなく引き算をする、そういうタイプのことをしていないから、当然恐怖も不安も半端ない。
しかも成功事例というか実施実績がないから、先の見通しが効かない。
そんなものを提案するなんていうのは、まだまだその前にたくさんの準備と分析がいるだろうことは予測がついた。
これまでの功績を脇に置くなんてのは、ものすごい勇気がいることだし、さらにそこには大なり小なり痛みのようなものも発生しやすい。
ある意味向き合わない方が楽だったりする。
「降参です」とは言えない維持やプライドもあるだろうし、日々一生懸命やっている自分が報われない怖さもあるような気がする。
互いに取引先との会議ゆえ、目の前の数字、目の前の案件に目を向けて話し合いが持たれるのは当然のことだし、それが正しい在り方だと思う。
だけど、あの時間が妙に印象に残ったのは、おじさんたち1人1人の外に出せないもの、心の痛みが見え隠れしていて、私はそれを自分に重ね合わせて見ていたのかな…と思った。
その時は興味津々で見ていたけれど、自分の今とおじさん会議で見てきたものがリンクし始めた。
これは私の場合だけど、自分の中の痛みをいきなり見るのはハードルがとても高いから、自分のものを見る前に他人のものを見て感じる場面が与えられることが往々にしてある。
そういうものは長く印象に残って、あとから「これのことだ!」という何かが自分の中から出てくる。
今回なら「自分の痛みに気付いてね」ってことだったんだと思う。
その痛みと向き合っての今(身体的な痛みが今回は先で心の痛みは後から徐々に気付いている)、新たに見えてきたことはまたおいおい書いていこうと思っている。
[写真たち]
おじさん会議の日に集合場所に行く道中で見つけたものたち。
色とりどりの花に癒された♡
セロリや水ナスの苗なんて本当に小さくて、そんな小さな芽があんなにデカイものに成長するのかと思ったら、驚きと感動で心の中がいっぱいになった。
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