2019年4月9日火曜日
奇跡の果実* Lesson 13『才能や資質の特徴』
写真たちは今日の朝パシャパシャと撮ってきた。
つくしと一緒に写っている、紫とピンクの間みたいな色の小さな花はしその花。
タイトル:「新潟にも春が来たよ!」
(雪がなくなったと言いたい!)
【予告】
『奇跡の果実』、あと残すところ3つの予定。
・『⑧覚醒』の説明文
・おじいちゃんからのメッセージ
・『⑧覚醒』が繋いだ人と人とが交わるストーリー
もしかしたら、最後のストーリーは書き方によってはウラ話を付けるかもしれないから、そうするともう1つプラスになるけれど、とにかく終わるは終わる。
まとめて一気に詰めてるから、今回ももれなくすごい長い( ̄∀ ̄;)。
ここから先の本編はものすごーく長くなったので、お時間のある時にどうぞ(*´︶`*)。(かわいい絵文字を使ってゴマかす)
【才能や資質の特徴】
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資質…生まれつきの性質や才能
素質…生まれつき持っていて、性格や能力などのもとになるもの
才能…物事をうまく成し遂げる優れた能力。記述・学問・芸能などについての素質や能力
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私が『才能・資質』と呼ぶのは、上記の資質や素質にあたるもの。
でも一般的には「才能」の方が幅広く言葉として認知されているから、ここではあえて生まれ持った資質と素質をまとめて『才能や資質』と呼ぶ。
私が自分の資質に気付いた後、気付くことができた『才能や資質の特徴』の続きを書きたい。
私の完全な自分目線で見た特徴だけど、こういう特徴だということを知っていたら良かったなぁというものを紹介。
『才能や資質の特徴』
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・才能や資質に最初に気付く時、それはそのカケラ・原石だということ
・才能や資質は気付いてくれるまでずっと待ってくれてる
・生まれ持った才能や資質は、本人しか受け取れない
・生まれ持った才能や資質は、その人自身しか持つことのない唯一無二のもの
誰にも真似はできない
・才能や資質は、
1:気付く・受け取る
2:育む・磨く
3:活かす
の段階を経る
・磨き方、活かし方は本人が知っている
・才能や資質に必要なものはもたらされる
(逆に言うと、必要ではないものはもたらされない)
・生まれ持った才能や資質は、「技術を覚える」ものじゃない
伸ばすものではあるけれど、誰かから習って覚えたりはできなくて、あくまでも本人が自分のやり方で一番ピッタリの方法で伸ばしていくもの
・自分の才能や資質だけに集中できる
・自分にできることとできないこと、それぞれが明確になっていく
・できないことがOKになる
・生まれ持った才能や資質は、その人自身しか持つことのない唯一無二のもの
誰にも真似はできない
・状況や場所・人が変わっても、できる
才能や資質が失われることはない
・当たり前のようにできる
・誰からも理解されないと感じる時間も訪れるかもだけど、それでも続けていられる
・バラバラだった自分の好きなことや得意なことたちが繋がっていって、唯一無二のものになる
・才能や資質に気付くタイミングも磨いて活かすペースも、それぞれの人によって全く違う
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【才能や資質に最初に気付く時、それはそのカケラ・原石だということ】
気付いた瞬間いきなり才能が開花する!なんてことは、基本的にはないと思う。
フィギュアスケートの宇野昌磨選手の幼い頃の映像がこの間テレビで流れていたけれど、彼も最初は今ほどにはもちろん洗練されていなかった。
圧倒的にセンスがあるのはわかったけれど、今ほどではもちろんない。
例えば私がペンジュラムを使うのも、最初は単にYESかNOしかサインはなかった。
今はYES NOの他に、スーパーYES、スーパー NO、そして何か重要だったり意味あるものだとペンジュラムが重たくなることもわかったし、そして何か違う意図があったりするとスーパーYESやスーパー NOでも普段とは違う動き方をすることが徐々にわかってきた。
(ペンジュラムの重さは同じはずだけど、なぜか重たい感じが出てくる時がある。そしてそういう時は、百発百中かなり重要な何かを聞いている時だというのはわかった)
ペンジュラムの使い方もいきなり今みたいな使い方ではなくて、徐々にステップアップしていった。
前回の記事にガラス作家さんのことに少し触れた。
印象的だったのが、ガラスで器を作り始めた最初は自分の方向性がはっきりとしていなかったという話だった。
それが歳月をかけ他のガラス作家さんたちの作品を見ていく中で彼女は気付いていった。
自分は芸術を表すガラスの作品を作りたいのではなくて、日常の生活の中で人間と共にある、日々の暮らしの中で普通に気軽に使える、そして日常にちょっとした彩りを添える、そういうものを作っていきたいということ。
才能や資質は、ダイヤモンドの原石のように、最初はカケラを手に入れる。
自分もそうだし周りの人たちの話を聞いてもそうだなと感じる。
【才能や資質は気付いてくれるまでずっと待ってくれてる】
生まれ持ったものだから当然と言えば当然かもしれないけれど、本人が気付くまで実に辛抱強く待ち続けている。
本人が気付いてくれないからと言って、他の人のものになるとか、勝手に消えて無くなるとか、そういうことは絶対にない。
早く気付くのが良いとも限らず、 それぞれの人たちに魂としての人生の計画があるから、それに沿ったタイミングで気付くようになっている、と私は思う。
例えば、アンチスピリチュアルだった20代の頃に、もし私がペンジュラムに出会っていたとしても、見向きもしなかったと思う。
私のアンチっぷりはかなり筋金入りだった。
子どもの頃、『リボン』や『なかよし』と呼ばれる『少年ジャンプ』の女の子バージョンの月刊誌の漫画雑誌があった。
ちびまる子ちゃんなんかが連載されてた漫画雑誌の裏表紙とかには必ずと言っていいほど、天然石のアクセサリーの通販広告になっていた。
それで両思いとか復縁とか金運アップとか書かれていて、私は毎回冷めた目で「こんなの陰謀だ」と思っていた。
子どもの頃、コックリさんとか言って、紙の上にあいうえお順に文字が書いてあって、そこに十円玉を置いて質問に答えてもらうという遊びが流行った。
誘われて一緒にやったけれど、あれは絶対に誰かが勝手に動かしていると思って、私は内心「誰が動かしてる?」とは思っても、内容や遊び方に関しては完全にウソやまやかしだと思っていた。
例えばそんな時にペンジュラムが来ても、私は100%スルーしたことが容易に想像できる。
ペンジュラムは、スピリチュアルな世界の学びを始めて、少なくとも2年は経過した頃に初めて目にした。
人生迷いまくりな自分にヒントをもたらしてくれそうな感じはすぐにした。
だけど、私がペンジュラムを手にしたのはそこからさらにまた4年後の話で、名古屋の時みたいに周りにスピリチュアルな世界のことも大切にしながら生きている人が誰もいない新潟に帰ると決まった後だった。
そしてペンジュラムが色々進化するのは、新潟に戻ってきてから1年半ぐらいまた経った後の話。
そして、ペンジュラムを使って山で行方不明になった人を探して欲しいと言われたのは、進化して1年後ぐらいの話で、だから最初ペンジュラムを見てから5年は経った頃に諸々のことが起こった。
多分だけど、ペンジュラムに20代の頃に出会っても私は普通に使えたんじゃないかなとは思う。
だけど、出会うまでのプロセスが必要だったわけで、それで自分の元に迎えたのが今から3年前なんだと思う。
カーナビ代わりに使ったり、セールのタイミングを教えてもらったり、もはや使い方があれこれ可笑しなことにはなっているけれど( ̄∀ ̄;)、いつの時もペンジュラムはずっとずっと待ってくれていたんだなぁと思う。
これも余談だけど、お店には20個近いペンジュラムが販売されてた。
私はその全てに私とおうちに一緒に帰るかどうかを聞いた。
見ただけではわからなかったから。
その中で唯一今のペンジュラムだけがYESを出した。
ペンジュラム自体も私のことを待ってくれていたような気がしてならない。
【生まれ持った才能や資質は、本人しか受け取れない】
ここは「資質」として話した方がわかりやすい気がする。
《資質…生まれつきの性質や才能》
生まれついたものは、それが才能や資質とか問わず、例えばアレルギーとかの体質も、髪の毛の髪質も、どれも本人固有のものになっている。
アレルギーは症状に出るし、髪質も気付けば猫っ毛だったり剛毛だったりする。
受け取るも何もそういうものだから、普通に自分の一部として受け入れている。
才能や資質になると、途端に受け取りにくいものへと変化してしまうのが世の風潮でも、それでも個人に固有に生まれついたものだからその人しか受け取れない。
私の友達で語学の勉強を楽しむことにものすごく長けている人がいる。
最初は気付かなかったけれど、いつ会っても語学の勉強のことを話していて、そしてどう工夫したかを目をキラキラさせながら言っていたから、それで気付いた。
単なる語学の勉強好きではなく、それが講じて、歌詞の意味をとても素敵な日本語に訳すことも普通にしている。
英語もスペイン語も両方いける。
そのズバ抜けたセンスがすごい。
それはまず、歌が好きじゃないといけないし、歌が好きだけではなく今度は聴き取る能力がいるし(←私は歌詞の聴き取りは丸っとできないタイプ)、その上でその歌詞の前後と兼ね合わせて日本語にする、それをとても楽しくやっている。
こういうセンスは、売られていないし、どこかで学んでも身につくものじゃない。
本人が受け取って初めて開花する。
私のペンジュラムを見ても同じことが言えるわけで、私がアンチスピリチュアルな時には絶対に見向きもしなかったけれども、一度自分のところに迎えてからは、どんどん自分の中から出てくるものを受け取るようになった。
今手元にあるルノルマンカードもオラクルカードもそしてペンジュラムもだけど、次から次へと使い方やヒントの引き出し方がわかる。
それも、それらの調べ物をしてる時ではなくて、全く別のことをしている時にパッとひらめく。
これはガチでやっていた英語の勉強の時にはなかった感覚。
そうした資質の磨き方や広げ方も必ずセットで自分に備わっていることを知った。
【生まれ持った才能や資質は、その人自身しか持つことのない唯一無二のもの
誰にも真似はできない】
上の語学を楽しく勉強したり外国語の歌を素敵なセンスで日本語に訳す友達も、私のペンジュラムも、世の中にはそういうことをする人たちは大勢いる。
カードに至っては、世界中で量産されてるものだから、それらを持って日々使っている人たちは限りなくたくさんいる。
だけど、友達が楽しく外国語を勉強する方法も、私がペンジュラムを使う方法も、私が私のカードたちと対話する方法も、どれも唯一無二のそれぞれに合った方法で、誰にも真似はできない。
これは友達がすごいとか私がすごいとかいうことを言いたいのではなく、本当に【それぞれの人のやり方がある】と言いたいだけ。
だから唯一無二になる。
1つ例を紹介。
私の周りには何人かペンジュラムを持っている人がいる。
その中の1人と会った時の話。
ちょうどその頃、友達はある仕事をするしないで迷っていた。
自分のペンジュラムに聞くとYESが出る。
ぶっしーも聞いてと言われてそれで聞いた。
私はその仕事にまつわる細かいことは聞かずに、とりあえず仕事をするしないを聞いた。
私のペンジュラムはNOが出た。
それもスーパーNOだった。
目の前で友達がそれを見た時にこんなことを言った。
「私が見ているものとぶっしーが見ているものが違うから答えも違うんだと思う」
友達が見ているものが何で、私が見ているものが何かなんてのは互いにはわからない。
友達はその違う部分を「視点」だと予想した。
ちなみにこれは後日談がある。
友達はその仕事に行ったけれどもすぐにやめた。
やめた後に会った時、やっとYESとNOの違いがわかった。
これはどちらも正解だった。
YESになったのは、友達にとって必要な体験だったから。
友達が自分の中でタブー視しているものを打ち破ること、打ち破っても自分は大丈夫という体験が必要で、そういう意味で行く必要があったわけだからYESだったと思う。
NOになったのは、私がおそらく聞いていたのは「その仕事が友達に合っていますか?」とかそういうタイプの視点で行く行かないを聞いていたと思う。
だからNOが出て、実際に合わなかったわけだから、そして合わないのは体を悪くするレベルで出たから友達はやめた。
この内容云々ではなくて、それぞれの無意識のうちに持っている感性の部分、それは互いに真似することなんか絶対にできない。
友達も私もペンジュラムは持っている。
でもそれぞれのペンジュラムの性格も、持っている私たちのそれぞれの性格も、見ている世界も違う。
そのどちらも生まれ持ったもので、それぞれがそれぞれ持つ唯一無二のものになっている。
私が彼女の真似ができないように、彼女も私の真似ができない。
どちらもそれぞれの使い方、ペンジュラムとの関係が生まれる。
それぞれのあり方がそれぞれにとっての正解になる。
【才能や資質は、
1:気付く・受け取る
2:育む・磨く
3:活かす
の段階を経る】
書いた通りの順番過ぎて、これ以上説明できない。
言うなれば、どれも本人しか自分のためにできない!
まずは、とにかく気付いて受け取ること。
これがスタートしないと、その後の磨くとか活かすにはなかなかいかない。
それこそ完成形に近い形で気付く場合は別として、基本的には気付いた後に磨き方や育て方を知って(←この作業は私的にとても楽しい)、活かし方はそのうち機会が出てきたりする。
原石は手に入るだけでも私は稀有なことだと感じる。
これは人によりけりだけど、多分日本人は欠点よりも自分の長所や才能を受け取る方が苦手( ̄∀ ̄)。
ちなみに恥ずかしかったら、人目につかないところでコッソリ受け取っておけばいい。
受け取るまでも時間がかかる場合も普通にあるから(特に魂的な目的と直結してるものほど受け取るのに覚悟?勇気?が要る気がする)、それは自分のペースでゆっくりやってる。
私みたいに例えば、最初は楽しく受け取っても(人の潜在意識や魂からメッセージをキャッチ)、途中からそれがやたらと重たいもの(他人様の人生や生き方)とリンクすると知って、「それはイヤ( ̄ཀ ̄;;)」となったりもするから、受け取り方のパターンは無限大。
でも、無視しないで受け止めるようになると、自分の許容範囲も広がって、そこからまた面白い展開が出てくることも今徐々に知りつつある。
【磨き方、活かし方は本人が知っている】
世の中には「文章の書き方」と銘打った情報がたくさんある。
図書館ではそのコーナーは本当にすごい小さな箇所で、どんなに大きな図書館でもあってもぱっと見数十冊程度。
今やブログをはじめ色んなインターネットを通じた媒体があるから、ネット上には無数の「文章の書き方」が垂れ流し状態で出ている。
私が最初にそれに気付いたのは、当時毎日のようにアップしていたアメブロでだった。
たくさんアップしている人たちは大概「どうやって文章を書くか」とか「どうやって文章で相手を惹きつけるか」とかいうことを必ずと言っていいほど書いている。
そういう悩みが多いんだと思う。
じゃなけりゃ、そんなに色んな人が文章の書き方について記事を書くわけがない。
ちなみにその手の文章は読んだことない。
私の書く文章の良し悪しはさておいて、私が文章を書くことに違和感がなかったり、抵抗なくスルスルと書けるのは、そのために日々訓練されていたことと、そして自分でも書く習慣があったからだと思う。
中学の頃、交換日記と手紙は全盛期だった。
とにかくたくさん書いた(授業中に)。
大学では、週1くらいのペースで小論文を書く課題が何かしらあった。
社会人になって最初の仕事は、子どもたちの日常の様子や特記事項を日々記録することが業務の中にあった(←手書き)。
それと並行して、当時招待制のmixiに友達から誘ってもらって、そこでも会員制クラブ的なブログを書いていた(←超楽しかった)。
塾の仕事では、来る子どもたちの様子を連絡帳なるものに毎回数行手書きで書いていた。
塾というやることが決まった中で毎回違うことを書くのは最初は至難の技だったけれど、コツを掴むといくらでも書けるようになった。
派遣の仕事は、1つを除いては全部コールセンターはじめ顧客対応が生じるものばかりだったから、それも当然記録を毎回残すことが義務付けられていた。
とにかくそんな風だったから、別に書くことを鍛えようなんて思わなかったけれども、気付けば書くこと、それも自分だけじゃなく相手にも伝わる、誰が見てもわかるように書くことがずっと求められてきた。
それとは別に、私がどハマりした写経もどきの、本や雑誌、ドラマなんかで気に入った言葉をノートにひたすら書くという行為ももうかれこれ10数年やっている。
これは私に言葉の使い方や響き方を教えてくれる格好の教材にもなった。
しかも自分が好きなものしか書き写さないから、書いていて楽しいし、時々ブログの中に登場させたりもして、さりげに1人で超悦に浸っている( ̄∀ ̄)。
「どう?いいでしょ、これ?」ってな気分で、鼻の穴膨らませて書いている。
書く力を磨こうとしたわけではないけれど、少なくとも書くことが苦にはならない方法は色んな形で身につけてきた。
磨き方・活かし方は、力を入れなくても普通にやってる気がする。
自分にとって無理がなく心地良い方法を誰しもが自分の好きなことや資質に関しては持っている。
それは外に探しに行かなくても、自分では気付かないぐらいに自然にやれていることだと思う。
【才能や資質に必要なものはもたらされる】
(逆に言うと、必要ではないものはもたらされない)
「必要ではないものはもたらされない」という視点から、この特徴については話したい。
これはこの半年ぐらいで気付いたことだった。
自己啓発からビジネス、才能発掘、コーチング・心理学、スピリチュアルの知識の方の勉強、占星術…と色々な講座やセミナー、ワークショップに参加して、私はある共通点に気付いた。
個別対応としては、算命学と呼ばれる占い数回、ホロスコープ鑑定2回、コーチングセッション、NLPの心理ワーク、その他にも私の潜在意識や魂にアクセスしてもらっての個人セッション等々、数えられない種類と回数を受けた。
個人で受けたものの種類について言えば、23までは数えられた。(探せばもう少し増えると思う)
約10年ぐらい何だかんだと学びに時間もお金もかけて、それでも絶対に私が参加したことのないものというのがある。
それが私の感覚を触る講座的なもの。
そうしたものには一度も参加できていない。
私のペンジュラムを使う力とか、人の潜在意識や魂から情報をキャッチする体質とか、そういうものはどこからも習ってきていない。
そして、それを妨害する可能性のある講座や個人セッションとはことごとく縁がない。
何でそういう講座に縁がなかったかと言えば、私の資質が生まれ持ったままの姿で発芽する必要があったから、だと思っている。
そういう講座に仮に参加したとしたら、私の資質は他の人や他の知識が色付いた状態で、言い方を変えると、変な枠組みの中で発芽して育ったことになっただろうと思う。
自信のない私は、私よりできると思った人のやり方を真似しようとしたんじゃないかと思う。
そっちの方が信用できる…と勘違いして。
でも今少しずつその資質の部分が自分でもわかるようになってきて感じるのは、「習わなくて正解」だということ。
自分でもわかるけれども、色々と独特過ぎて、自分じゃないとわからない感覚がある。
例えば、相手の情報をキャッチしてる時なんてやってくる方法は人それぞれで、唯一わかっていることは、相手の人が私にその人自身のことを何でもいいから開示する、それが相手の潜在意識や魂からの情報が来るためのGOサインだということ。
だけどそんなのはっきりとわかる状態で来ないから、だから後から自分で振り返って「あの時の話がGOサインだったんだな」とわかる程度。
ペンジュラムもそうで、私は質問を基本考えない。
思いついたまま聞いているから、質問の仕方を人から聞かれると毎回答えられない。
これだけ自由にやってこられた理由は、そういう細かな手法や感覚を開く部分に関して、誰からも教わらなかったから。
だから、他の人の癖のついた手法やルールを取り入れず、自分独自のやり方を開発・探究できたと思っている。
過去に受けたいと思っていたのに日程なりお金なりの理由で受けられなかったものは、みんな共通してそういう私の感性を邪魔してしまう可能性のあるものばかりだったことに最近気付いた。
それとは反対に、コーチングやNLPを2年近く週1のペースで習いに行けたのは、それは必要な情報だったから。
コーチングでは人の心の仕組みや信念体系や現実の仕組みを理論的に勉強できた。
NLPでは感情や記憶というものに対し理論的に分析する、理性で捉える、そういう手法を習った。
どちらも私の感性の邪魔にならない且つ補強になるという絶妙なラインで成り立っていて、そしてそれらは必要な知識だったとわかる。
そんな風にして、【才能や資質に必要なものはもたらされるし、必要ではないものはもたらされない】ということがわかった。
【生まれ持った才能や資質は、「技術を覚える」ものじゃない
伸ばすものではあるけれど、誰かから習って覚えたりはできなくて、あくまでも本人が自分のやり方で一番ピッタリの方法で伸ばしていくもの】
これは、今回の才能や資質に関して書こうと思った時に「才能」の定義を調べてる途中で見かけたものだった。
そこでは、才能というのは最初はなくても技術を身につけて覚えれば立派な才能になる、みたいなニュアンスで紹介されてた。
実際の細かい意味や意図は知らないけれど、すごい違和感を覚えた。
そもそも、「才能は全員にあるわけじゃない」と言わんばかりのスタンスに違和感があった。
この人、みんなそれぞれに才能や資質があるって知らないんだと思った。
そして、才能や資質の特徴に関しても勘違いしていると私は感じた。
才能や資質の技術的な部分は、伸ばすことはあっても学校の勉強みたいに覚えるものじゃない。
しかも、才能や資質は、仮にゼロスタートだったとしても、ゼロに辿り着くまでの道筋が用意されてる。
私のペンジュラムなんかがわかりやすいけれど、アンチスピリチュアルな人が何でそんな超オカルト寄りな物に手を付けたかと言えば、そこに至るまでにまずは「スピリチュアルな世界も大切なんだよ」と言葉以外の部分で教えてくれる人たちに何人も出会えたことが大きい。
しかも誰も強制などしてなくて、単に自分の知ってる世界観を私に会話の中で教えてくれただけだった。
「教えてくれただけ」とか簡単に言っているけれど、私はそれこそが本当にすごいことだと思う。
全く押し付けることもなければ私に何か勧めることもなかった。
教えてくれた人たちはみんな単におしゃべりをしている風な感じで私に色々教えてくれた。
どう考えても、その人たち無くしては今の私はいないし、ペンジュラムとは縁遠い世界で生きていたと思う。
才能や資質は、技術を覚えた後に初めて生まれるものではなく、持って生まれたものに対して技術的な面が育っていくという感じがする。
学習塾で見た子どもの1人に、最初学年順位3桁だったのに1桁まで順位を上げた子がいた。
私の指導力が素晴らしかったから(o´艸`)!とか言いたいけれど、そんなわけない( ̄∀ ̄)。
ちなみにそんなにも順位が上がったのはその子だけだった。
その子はこの『奇跡の果実』に出てきたギフテッドのAくんみたいな超天才タイプとは違う。
超天才型じゃない。
代わりにこの子の強みは、「スピード」だった。
とにかく問題を解く速さが普通の子の2倍から3倍はあった。
だから同じ時間内で他の子が1回解くところ、彼女は2回ないし3回は繰り返すことができる子だった。
天才型ではないから、応用問題は基本的に自力じゃ解けないから、そこはやり方がわかったら本人がわかるまでひたすら繰り返した。
だからその子が飛躍的に伸びたのは、自身のスピード感を活かした勉強法に切り替えたからだった。
その子のスピード感を活かす方法を周りの人がその子に教えることができたとしても、そもそも本人が持ち合わせてるスピード感そのものを身につけさせるための何かは教えられない。
それは他の天才型の子たち誰一人絶対に真似できないぐらいの速さで、そういうのを「才能」とか「資質」と呼ぶんだと思う。
だから、そもそも「才能や資質」を自分に身に付けさせるために『技術を覚える』なんて、ありえないと私は思う。
【自分にできることとできないこと、それぞれが明確になっていく】
山で行方不明になったおじいちゃんの件で、霊視ができるOさんと繋がれたことはとても大きかった。
私はOさんとやりとりできたおかげで「自分にできること」と「自分にできないこと」が明確になった。
Oさんがおじいちゃんと繋がった時、当然私にも同じ状況が与えられていた。
けれど、Oさんにはおじいちゃんの霊の存在を感じられていても、おじいちゃんと同じ部屋にいる私は何にも感じられなかった。
その後今度はその情報を元に、おじいちゃんとご家族とOさんを繋げるために、私はご家族のAさんに時間を作ってもらって一通りのことやOさんを紹介するために話をした。
怪しさ100%の話を少しでも信じてもらえるように資料を作ったり、話す時も色んな想定を頭に入れた上であれこれ話をした。
失敗は許されない、だけどマニュアルはないから全ては自分の感覚でする他ない対話だった。
Oさんの霊視はOさんにしかできないように、私が担った部分は私にしかできないことが今回はっきりとわかった。
1人1人の状況や背景、性格やコミュニケーションの取り方に合わせて、私はどうとでも自分を合わせるなり変えるなりすることはできる。
絶対に外してはいけないところ以外は基本的に何でもいい。
そういう自分の性格的なことと性質的なことの合わせ技が、イレギュラーな場面では強みに変わると知った。
そうしたやりとりを経て、私は自分の全くない霊視力を鍛える必要がないことがわかったのと、それと同時に自分の強みもわかったから、それをこれから色んな場面で活かされるのであればそれを伸ばしたらいいことがわかった。
【できないことがOKになる】
上の件で、私は本当に気持ちが楽になった。
Oさんとおじいちゃんの件でやりとりする前までは、自分の専門性もはっきりしていなかったし、【自分には何かが足りない】思考もかなり強かったから、何か磨いて足さなきゃいけない気持ちがまだまだあった。
できる誰かとできない自分とを比べて、できる誰かの真似はできないにしても、そのできる誰かと同じレベルの何かが自分にも必要だと、それは無意識の中で強迫観念のごとく思っていた。
だから、自分自身に対して、欠乏感やら変な焦り、追い立てるような気持ちを持っていた。
ところがOさんと関わったことで、残りの人生をかけて私が仮に霊能力を磨く練習を重ねても、絶対に今のOさんのレベルには到底行き着かないことがはっきりした。
それは私がやらなくていいことだし、本物の専門家がいるんだからそれでいいんだと知った。
私にそれができないということは、私には他の何かができるという意味でもあるというのがはっきりとわかった瞬間でもあった。
自分の専門外のことに関しては「できなくて正解」ということもわかった。
なぜなら、できることが限られるというのは、それだけ自分の資質に集中できるということだから。
仮に私がOさんと同等の霊視力を持ったとしたなら私が潰れる。
Oさんの話を聞いているだけでもすごい情報量なのに、それに加えて自分側の別の情報もやってくると、完全に自分が対応できるキャパを超える。
もしそんなことしたら、自分の持っている資質までもが下手すると潰れる。
そこまでわかった時に、「自分にできないことがある」ということが、自分の才能や資質を引き出すための絶対条件だということが腑に落ちた。
私は秋の終わりにおじいちゃんをペンジュラムで探して欲しいと依頼を受けた時、私にできる目一杯のことはした。
だけど、結果的に見つけられなかった。
ご家族には申し訳ない気持ちはあるけれども、あれはあれでやる必要があったと今は思っている。
正月明けにおじいちゃんの霊が出てきて、Oさんがおじいちゃんの通訳をして、初めてそれはOさんの仕事だとはっきりとわかったのと、そして自分の専門外だということもこれ以上ないぐらいにはっきりとわかった。
もしあの時におじいちゃんが見つかったら、私は自分の専門外を自分の専門と勘違いした可能性が高い。
そして専門外のことに手を出し続けて、自分に本来備わっている資質を見つけたり磨いたりすることに目を向けなかったと思う。
あの時の容赦ない結果に最初は後悔や不甲斐なさでいっぱいだったけれども、今は本気で自分が失敗してくれて良かったと思っている。
そして、それによって、自分の専門性もまたはっきりとしてきた。
ここまではっきりと「できなくて正解」というのがわかって、私は自分のできることに注目するようになった。
【自分の才能や資質だけに集中できる】
上のことがあってから、自分にできることとできないことがとてもはっきりとした。
そして自分を知れば知るほど、それでいいんだとわかった。
人と比べなくて良くなる。
代わりに、自分が興味あることや自分ができることだけに集中するようになった。
例えば私なら、心の機微や微細な感覚を拾うこと、日常の小さなことと心の中とを繋げる言葉を探すこと、そういうことに異常なほど興味がある。
多分それはこれから先も興味は尽きないと思う。
特に言葉に関しては、これから先も長い付き合いになると思う。
これは私が言葉の限界以上に言葉の可能性に触れて自分が癒されてるから、だと思っている。
才能や資質とは少し話が逸れるけれど、私がどうして言葉にこだわり続けるのか理由があるからここで少しそのことに触れたい。
ここ最近、また自分のホロスコープを読み解くことにハマっている。
一時期落ち着いていたけれども、また熱がけっこう激しく再燃した感じになっている。
私は良くも悪くも、子どもの頃から『周りの人たちから自分をそのまま理解してもらう』という体験が極端に少なかった。
誰でも100%の理解は自分自身からも他者からも得られないものだと思う。
そういう理解のことを指してるのではなくて、私が指してるのは10%、なんなら5%でもいい、そういうこともあるよね、誰だってそういう気持ちになるよねぐらいで十分満たされる。
本当にせめて理解できなくていいから否定だけはしないで…という部分をとことんやられるから、自分で言うのもなんだけど、本当にそれほどにすごい環境にいたのによくぞここまで気持ち的に変に曲がらず真っ直ぐにこれたなぁと感心さえする。
社会適応のために自分を半強制的に何かに合わせたりとか、変だと言われることはその後気をつけてみたりとか、社会の中で人と上手く関係するにはある程度の妥協は要ると思って表面上は相手に受け入れてもらうために振る舞ったりとか、そのように自分を変えてまで何とかしていた。
もちろん、それで良い思いもしたし、全部が全部ダメだなんて一切思っていない。
だけど、とにかく自分の安心できる何かがないのは一体何なんだろう?と思っていた。
20代は社会的に非常にプラスの色を帯びた時間だったから、親や友達をはじめみんなある程度良い風に受け止めてくれていた。
ところが30代は、自分でもよくわからない流れがどんどんやってきて、正直お手上げ状態だった。
職を転々としたりニートしたり引きこもったり、結婚もせずキャリアも積まず、親はぎゃあぎゃあと言うし、周りからは色んな言葉が飛んでくるしで、私はいつしか本音を言うことを避け出した。
言うとしても相当相手を選んだ。
周りが信用できないと言うよりも、理解されないことによる余計な心の不具合のケアの方が大変過ぎて、それを避けたくて私はここまでだったらギリギリかな…という線引きみたいなことを始めた。
そんなこんなの30代の終わりの方になって、ホロスコープがやってきた。
ちょうど1年になる、自分のホロスコープを読み解き始めて。
私は本気でホロスコープに救われた。
自分のよくわからない人生は、その性質をはっきりと天体に刻んでいて、いわゆる社会的なスタンダードな生き方にはならないことがわかった。
そしてスタンダードではない天体配置を持って生まれた自分は、当然そうではない道こそ正解なわけで、その読み解き方を解説というよりも、そのマニアックな人生に対してこれ以上ないエールを贈ってくれているのが、星を読み解ける方たちの言葉だった。
世間的には到底理解されない自分の人生が、ある別の視点から見るとわかってもらえる。
しかも、マイナスにしか見えないようなことを、第三者から、それもどこの誰かも知らない第三者の言葉から、絶対的な肯定を示してもらえるというのは、どれだけの癒しのパワーと生きる希望を生み出すのか、計り知れない。
私は言葉に癒された。
今も癒されてる。
言葉の持つ可能性を自分が体感して、だからこそ言葉に宿っている力を見ずにはいられない。
私は才能や資質のために言葉に注目してるわけじゃなくて、自分が癒されるために必死で自分が必要な情報を探している。
本末転倒かもしれないけれど、確実に自分は言葉の力には並々ならぬ興味を抱いている。
そういう意味で、これがどう繋がるかは知らないにしても、とにかく言葉に魅せられている。
言葉によって見せてもらえた世界は、他者評価とか比較によって生まれる自己否定とかではなく、自分の心の深い部分で癒されるもの、ずっとダメだと思って握りしめていた価値観を解き放ってくれるものだった。
この異常なほどの言葉に対する集中力は、自分の資質にも関係しているんだろうなぁと、そんな感覚を今は覚えている。
【状況や場所・人が変わっても、できる
才能や資質が失われることはない】
上のことにプラスして、「ブランクがあっても」も付け加えたい。
元々備わっている才能や資質は、状況や場所、人が変わっても、失われることはない。
ブランク期間があっても、もしかしたら本人比で精度が落ちたと感じることがあっても、失われることはない。
1日1回もペンジュラムに触らないなんて日はないけれど、仮に1週間1ヶ月触らなくても普通に使えるだろうと思っている。
こうやって色々文章で表現することに関して言えば、どういうわけか私は1年半丸っと月に1回だけ書く日記以外は何も書かずにいた時期がある。
それがある人をキッカケに書くことを再開することになったわけだけど、私はその時の感覚を思い出す度に「失われない」感覚がよくわかる。
失われないどころか、私の人生においてあの時と同じ感覚で何かを書くことなんか二度とないんじゃないかという、一生に一度の感覚に近いものがあった。
1年半近いブランクを感じさせないどころか、どこからそのパワーが来てるのか、未だもって説明できない。
思いついたままに書くにしてもその言葉や着想なんかも、自分が書いているにも関わらず、それはどこが源で、そんなものが自分の中のどこにあるのかさえわからない状態だった。
私は丸2日、ひたすら書いて読んで直してまた書いて…を繰り返した。
もしあの時に「書く」こと、それも全部手書きだったから、手を使って書きまくることをしなかったら、99%今このブログは動いていなかったと思う。
1年半ぶりの書き物は、魂の記憶にも結びついていたから余計にインパクトがあったと思うけれども、とにかく何一つ忘れてはいなかった。
そして、たった1人の人が人生に現れただけで、自分の内側にある魂が転生を繰り返す中で重ねてきた資質が呼び起こされるなんて夢にも思っていなかった。
生まれ持ったものは、どのように使って活かすかはさておいても、ずっと自分の中にあるものだから、然るべきタイミングで呼び覚まされる、そんな気がする。
呼び覚まされ方はそれぞれ違っていても、共通していることはとても自然で無理のない形だということ。
さらに言うと、その呼び覚まされる感覚の必要具合や重要度具合によって強弱はあるかな…と思う。
ちなみに、
・ペンジュラム
・人の潜在意識をキャッチする
・カードを読み解く
・書く
の4つを比べた時、1年半のブランクを空けて書くのを再開した時が一番烈しい感覚だった。
魂が本格始動するためのスイッチが押された、そんな風だったと今振り返って思う。
【当たり前のようにできる】
上に書いたこととも連動するけれども、生まれ持った才能や資質は、事前に練習とかしなくてもさらりとできる。
素敵な食器をたくさん持っていて使いこなしているMちゃんの家に行った時のこと。
飲み物が変わる度にカップや湯呑みが変わったけれども、その用意を普通に話しながらやっていた。
飲み物を選ぶセンスもピカイチで、喋りながらそれまで食べたおやつやこれから手を付けるおやつに目を自然と行き渡らせながら、絶妙な飲み物をそれに合った器で毎回用意していた。
私から見て目を引くものでも、彼女にとっては当たり前のことで日常の延長だから、ものすごい自然体でやっていた姿が強く印象に残っている。
内容によっては、ブランクがあっても全くブランクなんか感じさせないぐらいに普通にできてしまう。
上に書いた書くことがまさにそうだった。
体はきちんと憶えている。
文字の紡ぎ方も、自分の中から言葉を出す方法も。
しかも書いた内容の中には、たくさんの瞬間瞬間の記憶が散りばめられていた。
瞬間の記憶は本当に一瞬一瞬のものが多かった。
それでも私の体は細胞中でそれを記憶していて、その細胞の記憶を辿りながらひたすら言葉を紡ぐ感じだった。
私に必要な道具は紙とペンだけだった。
それさえあれば、あとは普通に書くことができた。
1年半近くほとんど何も書かなかったとは思えないぐらいに書けた。
一生分の想いを使い果たしたんじゃないかと思うぐらいに全身全霊で、でも普通に書いていた。
【誰からも理解されないと感じる時間も訪れるかもだけど、それでも続けていられる】
「人の潜在意識や魂からの情報をキャッチする」と今は書いているけれども、それに気付いた初期の頃は、正直何に自分が繋がって情報をもらっているのか全然わからなかった。
とりあえず『癒しのレシピ』と名付けて始めた。
何人目かは忘れたけれども、相手から厳しい言葉が返ってきたことがあった。
正直、言われた言葉も内容もものすごく嫌だった。
今ならもっとフォローもできるし、なぜにそんなことになったのかその意味もわかるけれども、当時は仕組みもわかっておらず、仕組みがわからないからアフターケアも私もどうしていいのかわからなかった。
伝えっぱなしということはないけれど、相手から返ってくる言葉のキツさに私がめげそうだった。
後から怒りすら湧いた。
だけど、私はそこで止める選択はしなかった。
今ははっきりとわかるけれども、はっきり言って内容は私ではなく本人が選んでるものだから私には選定ができない。
それがわかったから、相手の気持ちと自分の気持ちを混同しなくていいことがわかった。
だけど当時は仕組みがわかってないから、相手に言われるまま私もものすごく嫌な思いをした。
にも関わらず、私は『癒しのレシピ』の研究はやめずにその後も今も続けている。
続けたいという気持ちよりも、「大事に育てたい」という方が気持ちとしてしっくりくる。
言葉が大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、せっかく授かった資質だから、資質から私にサヨナラされない限り私はきちんとその資質に向き合いたいと思っている。
自分でもそれは自分の人生の中でかなり大事なところに関わっていると感じるから、それは自ら手放すことだけはしないにしようと思っている。
ダメだなと感じたら休めばいいけれど、そこと決別するなんていう選択だけは、自分のために避けよう、そんな気持ちでいる。
しかも続けてわかってきたこと。
きちんと自分が心を開けば、資質の方からヒントをもらえる。
その磨き方や育て方のヒントをもたらしてくれる。
資質と自分とで二人三脚をしているような気分。
だから、向き合ったら向き合った分のバックがあるから、私はそのそれを信じてこれからもやっていきたいと思っている。
【バラバラだった自分の好きなことや得意なことたちが繋がっていって、唯一無二のものになる】
これはまだパズルを組み合わせている途中だから全体図は見えてないけれど、コツコツとやったり、なんとなく興味を持って続けていたり、強制的にやったことで後天的に身に付いたりしたもの、それぞれが繋がり始めたように感じる。
鍛えられたことでズバ抜けた英語力は、さりげに心の癒しを手助けしてくれるアイテムになっている。
心の癒しに関しては、私の場合はある程度徹底的にやらないと、これから先の人生を生きるのに苦しいままは嫌だと思ってそれで始めた。
こちらは必要に駆られて始めたことだけど、ここに来てまさかの英語が役立つという異例の展開。
相変わらず英語は必要に迫られない限り見向きもしないけれど、ここ最近も「この表現LOVE♡」と思った、胸ズキュンワードがやってきた。
お間違えなく。
胸キュン(♡´艸`)♡、じゃなくて胸ズキュン!の方。
シビれたーー☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆って感じ。
癒しのキーワード、トップテン入りする言葉のひとつ、「浄化する」。
グーグル先生いわく、「浄化」とは【よごれや悪を取り除いて、清浄・清潔にすること】とある。
自身を浄化すると言うと、自分が持っている汚れや悪を取り除く…みたいなイメージになる。
そう、自分と汚れや悪は一体化みたいな( ̄∀ ̄;)。
ところが【浄化】に匹敵する言葉を先日ネットに出ていた英語のカードで見たら、言葉が全然違っていて、「これ良いv( ̄∀ ̄)v」ってなった。
その時の言葉は【cleanse your system】とあった。
清潔にする対象は、自分自身じゃなくて、【yourシステムだよ!あなたのシステムだよ!】と。
これすごい良くて、日本語だと「自分自身が汚いから」と言われてる感じなのに比べて、私が見た英語は「あなたのシステムが汚くなってるから掃除して」みたいな感じで、自分と自分の澱(よど)んだ部分を分けて考えられるところ。
なんなら、「システム」と言われて、取り外し・交換可能ぐらいなイメージさえ湧いた!
ちなみに、前も書いたかもしれないけれど、英語で「心配する」とか「不安だ」と言う時。
日本語と同じく「私が心配している」「私が不安になっている」という言い方もあるけれど。
それとは別に、「【心配・不安】が私を邪魔している」という言い方がある。
これすごい画期的で、心配や不安が独立していて、自分自身と一体化していないところが良かった。
余談になったけれども、こういう風に英語力が役立つようになったのは1年前からで、触りたくもなかった英語の株が急上昇した。
自分自身を知るようになってから、こういう風に少しずつ違う資質や能力が結びつくようになってきた。
【才能や資質に気付くタイミングも磨いて活かすペースも、それぞれの人・それぞれの資質によって全く違う】
巷に溢れている何かを売り込む広告には「◯ヶ月で☆☆達成!」みたいなことがよく書かれている。
[結果を出せる人の特徴]と[結果を出せない人の特徴]なんていうのがあると、私は後者の出せない方の特徴にそりゃ見事すぎるぐらいに当てはまる。
でも、それはナンセンスないかにも資本主義的な発想だと思う。
100人いたら100通りのやり方がある。
1人の人の中に大小様々な資質が100個あるとするなら、その発芽時期はそれぞれ異なる。
みんなそれぞれペースやスタイルがあるから、それに合わせて行くのが一番良い。
話の途中に出てきた学年順位1桁まで行った子のことで、ちょっと試したくなって他の子に試したことがあった。
学年1位2位をいつもキープしている子がいて、その子にその順位を上げた子と同じ量の課題を出してみた。
とてもそんな順位を取ってくるなんて思えないマイペースな子で、量をこなせばもっと伸びるのかな?という単純な興味関心でやってみた。
実験は失敗どころかその子に不安まで与えてしまって、私は平謝りした。
その子は量をこなそうとペースを上げた代わりに、結局課題を時間内に終えられなくて、それが本人にとっては「できなかった」ところだけが残ってしまった。
本人はできたことではなく、時間内に終えられなかった自分のペースを気にしてしまった。
本人には私が意図したことと、それはその子には合っていなかったことを説明して、そして謝った。
当たり前だけど、すぐに次の回からは元の課題量に戻して本人の本来のペースでやることになった。
その子は回数こそ少ないけれど、1問1問じっくりと解いてそのプロセスを1回でインプットするタイプの子だった。
ちなみにその子は天才型ゆえそんな凄技がいけるけれど、凡人はそんな一度きりでインプットするのは無理。
例えば同じ目標設定をするにしても、やり方は1人1人違っていて当たり前だと思う。
それぞれの一番無理のないスタイルこそが一番伸びる!と個人的には色んな子ども達を見ていて思った。
そして、それは才能や資質に関しても同じことが言えると思う。
先日、新聞をたまたま広げたら、見慣れた顔があった。
新聞のカラーだから人違いかな…と思ったら、やっぱりご本人で、その先生は私が社会人1〜3年目の時の上司だった。
私が入る直前にその先生は癌になって、ちょうど復帰したばかりの時に私が入った。
だから私は元気な姿しか知らないけれども、周りの話だと壮絶だったとのこと。
本当にバイタリティに溢れた先生で、栄転された後も施設のことに色んな形でボランティアで関わられた先生だった。
最後は保育園の園長先生になったことまでは知っていた。
新聞を見たら66歳になられていて、今も現役だと知った。
定年後も再雇用で続けていることを知ったのと、そして新聞記事によると、そこで習った某伝統芸能を保育の現場にも使って子どもと楽しみたいとあった。
本当に子どもと楽しむことをどこまでも追求されてる姿に、一緒に働かせてもらった当時のことを思い出した。
私はその先生から注意をされたのは2回だけだった。
目に余ることなんか山ほどあったと思うけれども、本当にダメな時にそっと私のところに来てそっと一言伝える、伝えたらニコッと笑って立ち去る、そういう先生だった。
私は今でも注意されたことの2つは覚えているし、本当の本当に愛情いっぱい目をかけてもらっていたなぁと感じる。
出会った時はその先生は48歳近くだったと思うけれども、それから約20年変わらずに走り抜けてる先生の姿が思い浮かんで、何歳になっても遅いことはないよ、とその先生はじめ当時お世話になっていた先生たちが言ってくれた言葉も思い出した。
***エピローグ***
〜今現在の私の気持ち〜
・気付いたのにそれを使わないのは、その力も自分も悲しむと思った。
使ってあげることが自分の魂の願いを叶える一番のことだと思った。
→私は自分の資質の方向性が他人様の人生と交わるとわかって重たいと感じた時に、こんな資質は要らないと大真面目に思った。
だけど時間をかけて少しずつ向き合っていくうちに、その資質を使わないのは資質自体もそして私自身も悲しむ…、そういう感覚が出てくるようになった。
多分私の資質は、私が生まれる前に魂の意図として設定したものだと思う。
さっきの1年半ぶりの「書きもの」の再開のように、魂から来る願いの場合、とんでもない力が出てくる。
何が何でも叶えたいから、次元が飛んだんじゃないかと思うぐらいのエネルギーが自分の中から湧く。
まだまだ私は自分の資質に対して腫れ物に触るような心理的距離感があるものの、自分の資質にはきちんと向き合いたいと思うようになった。
そしてそれこそが今生叶えたい何かに繋がっている、そんな風にも感じている。
・『努力』や『がんばる』の意味合いが変わった。
→前は『努力』や『がんばる』が誰かに認めてもらいたくてとか、やらないと後々面倒くさいからやるみたいなところがあった。
そういう部分はまだまだ他の部分で残っているけれど、今は才能や資質に関しては「極めたい」気持ちが強い。
そしてそのための努力なら気持ち良く取り組める。
最終的に目指したいのは、それで喜んでくれる人がいるとするなら、人に認めてもらうためじゃなく、喜んでもらうために努力を重ねたい、という気持ちになれたらいいなぁと思う。
今はまだ方向があべこべ過ぎて、「で、この資質どうやって活かすの?どう伝えていくの(=宣伝)?」とか、そういうところだから喜びとは程遠い場所にいるけれど、本当に目の前の人に喜んでもらうには…という視点が持てるようになるといいなぁとは思う。
・【自分をこの世の誰よりも大切に扱おう】と心に決めてできることから始めたのが大きな転機だったと思う。
(それまでは人や周り、状況に求めていた)
こういう気持ちになれたのも、大元は「才能や資質を探すぜ!」みたいなノリじゃなくて、とにかく自分を大切にすることを本気でやろうと決めてから起きた変化だった。
周りからして欲しいことを周りの人に求めても返ってこないとやさぐれた時から、それなら一層自分で自分にやったらいいんじゃないかと思って始めたのが今から数年前。
まぁでも受け入れたくない自分は山ほど出てくるわけで、色々自家中毒ならぬ自分ノイローゼになりそうだった( ̄ཀ ̄;;)。
でも少しずつ少しずつやっていく中で、やっと「自分を大切にするってこういうこと?」というのが増えてきた。
年齢的なものなのか積み重ねのおかげなのか、とにかく以前に比べてものすごく自分を大切にすることに関しては良くなってきた。
多分だけど、資質側からしても大切なことだったんだと思う。
今ならわかる。
自分を大切にできなかったら、才能や資質だってぞんざいに扱われるのがわかっているから、出てきたくても出ていけないって。
私がようやく自分ケアに邁進するようになって、それからだった、こういう資質の部分がチラホラ顔を見せてくれるようになったのは。
私は他人に対してのジャッジがキツイのを自分で知っているからよくわかる。
自分に対してダメ出し・否定・卑下・無価値観・罪悪感ばかりを与えて、どこまでも完璧主義みたいな厳しさばかりを向け、そんな私では才能も資質も育てる余裕なんてない。
だから、資質側もきちんと本人の準備が整ったかどうかを見極めて出てきてくれた気がする。
・自分の資質が評価されなくても、いいと思うようになった。
必要な人たちと繋がれたらいいし、仮に誰とも繋がらなくても私は私でこのマニアックな体質を楽しもう!という気持ちに変わってきた。
→こういう経過を辿ってやってきた資質だから、他者から評価されなくてもそれはそれだと自分の中で割り切れる部分が出てきた。
誰にも伝わらなくても、私はできればそれで食べられるようにして下さい!!!と並々ならぬ野望も持ってはいるけれど、それでもそういう望んだ形にならなくても、そうならない自分を受け入れるぐらいの受け皿ができたから、なんか大丈夫!って思える自分が出てきた。
【上手くいかなくても大丈夫】という受け皿は私にとってものすごく大事で、それは私が私として生きる限り絶対に持っていたいと思う。
この特異体質は必要とされず誰かと繋がれなくても、私は私でこの体質を楽しんだらいいと思った。
実際に、ペンジュラムも書くこともカードを読み解くことも普通に普段からやっている。
唯一相手の潜在意識や魂から情報をキャッチすることだけが自分以外の誰かがいないと成り立たないけれど、それは私ががんばる部分だけで成り立つわけじゃないから、そこはもうお任せスタイル的なところがある。
それはそうと、自分にやってきたものたちは、それぞれ楽しいエッセンスをもたらしてくれるから、それはこれからも楽しみながら付き合っていきたいなと思ってる。
色々読みにくいところがあったと思いますが、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
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