ねずみ・手紙+狼・きつね
>>>2019/02/13
「ルノルマンカード」のウラ話。
ルノルマンカードがプレゼントされると知って、私はルノルマンカードの予習でもしようかと当初考えてた。
でも即座にそれは止めることにした。
「細かい意味を知らない=自由に発想できる」
そう思ったから、あえて何も調べずに来たもの勝負でいくことにした。
わからなくなったら絶対にネットで調べるし、そして一般的に知れ渡ってるルノルマンカードの意味や専門知識は後からいくらでも自分の中に取り込むことはできる。
何も知らないからこそ発想できる、自由な私オリジナルの紐解きは、今しかできない。
そう思ったから、何も調べなかった。
このやり方は大いに功を奏した。
最初に到着した日(2/11)、私は私向けにカードからメッセージをもらった。
ネズミ、狼、きつね、山。
私向けのメッセージは、どれも「凶」カードに分類されるものだった。
中でも、私の第一印象「きつね」とは、「小賢しい、騙す、ずる賢い」…、そういうことなんだろうか?と思った( ̄ཀ ̄;;)。
すでに、ねずみも狼も出てきた中で、きつねも一般的な解釈ではなく、自分だけの解釈をまずは試みることにした。
私は下調べをしてこなかったから、まずはカードをじっと見ることを徹底した。
【わからない時はカードをじっと見る】
これを私のスタンダードにしようと思った。
するとヒントがくる。
カードの絵柄から私が感じることをそのまま見ていったらいい。
私が最初に感じたのは、
・このきつね賢そう
・そして良いものたくさん持ってる
(巾着を持っていて、色々自分にとって価値あるものを集めた模様)
・木霊たちがいて、森の精たちから守られている
・マント・ベルトを身につけている=自分を良く見せる方法を知っている
・自信に満ちている
・◯◯◯…おじいちゃんを思い出す(※)
(※おじいちゃん=山で行方不明になったおじいちゃんで、私がペンジュラムで探して欲しいと頼まれ、さらに正月明けにおじいちゃんの霊が出てきて意思疎通を図った人物)
ガイドブックよりーー
・予期せぬことを行う人
・思いもよらない発想力のある人
・既存の概念を打ち破る人
・教える人
・一見悪く見えることでも運命の輪が回っている
・どんなことも事実と受けとめるまでは注意深く見守る
→事実を手にするまでは注意深くいる
・周りの人たちから理解を得られるまで時間がかかるけれど、きちんとしていることなら理解が得られる
そういう上の情報を知った上で、カードの中のきつねをもう一度見た。
「好き(♡´艸`)♡」と思った。
このきつね、可愛い♡
本当に賢そうなだけじゃなく、自分で選りすぐった良いものをたくさん持っていそうだし、理知的だし、オシャレして自分を良く見せる方法を知っているし、「自分にとって良い」の基準がしっかりとあってその良いもので自分の周りを固める、そんな風に見えてきた。
顔も凛々しいだけじゃなくやさしげな目元が良い。
自分の意志をしっかりと宿してそうな目をしている。
俄然きつね株が上がった♡(((o(*゚▽゚*)o)))♡
すかさず、ペンジュラムを出してきて、「ねぇねぇ、この解釈で合ってる?o(^o^)o」と聞いたら、「YES」が出た!!
念のため、小賢しいとかずる賢いとか騙す人とかいうのも当てはまっているかを聞いたら、NOが出た( ̄∀ ̄)!
あと、「教える」というのが1つキーワードであった。
これはガイドブックのきつねの説明文の中に「teach」が出ていて、ガイドブック上はあまりよろしくない意味だけど、私にはteachその言葉自体がポンと目に飛び込んできた。
私は最初自分が教わる人という意味で捉えていた。
でも、ガイドブックをよく読むと、「きつねが教える」という感じになっていて、きつね=私とするなら、私が教える人になる。
「あ!」となった。
ねずみ(カードが私のところに来た理由)、手紙+狼(カードが私に伝えたいメッセージ)の流れを汲むとこうなる。
ネガティブなことも含め隅々まで目を行き渡らせ、そこから大切なヒントやメッセージを受け取る。プラスもマイナスも両方を手にして、そこから生きていくのに大事なエッセンスを抽出し、循環させていく。
それらの流れの先に「きつね」がいるわけで、きつねはそれを教える役を担う。
そして、私のところに来たルノルマンカード本体の性格として、「庭」のカードが出ていて、それは【人々との交流・分かち合い】を指す。
全てのカードと一緒に読み解くと、きつねとしての自分、きつねとしてどうやってこのカードと付き合ったらいいかのヒントがわかる。
後日、ルノルマンカードと天体や星座を組み合わせた一覧のようなものをネットで見つけた。
ルノルマンカードは全部で36種類ある。
(私のは男性カード・女性カードが各2枚ずつあるから、全部で38枚)
それぞれのカードには、繋がりのある天体又は星座が割り当てられている。
36枚中、唯一きつねだけが「天王星」と関連している。
ガイドブックにあった
・予期せぬことを行う人
・思いもよらない発想力のある人
・既存の概念を打ち破る人
これこそが、まさに「天王星」の特徴という感じ。
私の場合、自分のホロスコープでも、天王星がすごく強く影響している配置になっている。
(太陽も月も【天王星+海王星+冥王星】と角度を取っているから、とにかく個人ではなく宇宙のエネルギーを司ると言われるその3天体たちと関係してるだけあって、人生そのものもかなりはちゃめちゃな感じになっている←本人の意志関係なし( ̄ཀ ̄;;))
ふと、その少し前に読んでいた石井ゆかりさんのホロスコープ関連の記事の中にあった「天王星」についての説明を思い出した。
【天王星は「自由と改革の星」「革命の星」などと言われますが
「理によって分解する」
という動きのイメージがあります。
機械を分解する、みたいな感じです。
理論の「理」は「ことわり」と読みます。
ものごとをひとつひとつ割って、わけて考える、ということだと思います。
くっついた全体の状態では解らないものが、
分解して1つ1つ見て行くと解る、
ということです。】
引用元:『2019/01/28ー2/3 全体の空模様』石井ゆかり 筋トレ週報
(http://weekly.hatenablog.com/entry/2019/01/25/193000_1)
こうした特徴を私が持っているとカードたちから言われているみたいですごく光栄だった。
そして同時に、私の第一印象がヘビとかねずみじゃなくて良かった!と心底思ったv( ̄∀ ̄)v。
《「きつね」についての追記》
きつねの表情をもっとよく見たら、若干?かなり?ドヤ顔をしてる気が( ̄∀ ̄)。
特に、「自分は良いものを集めてやったぜ!」的なドヤ顔感が半端ない。
もしや…と思って、ペンジュラムに「このきつね、ドヤ顔してる?」と聞いたらYES。
私の顔は((((;゚Д゚)))))))ってなりかけたけど、YESを9割確信しながら、もしかしてNOになるかもよ?と思って、続けての質問。
「もしや、このドヤ顔・得意げなところ、私もそうってこと?」
「NOになーれ!」と念じるも、ペンジュラムはすぐにクルクルとYES側に回った。
2回3回と聞くけれど、毎回きれいにYES。
往生際悪く、続けて聞いた。
「ネタでしょ、これ?ブログ書くためにネタとして、わざとYES出してるでしょ?」
今度はきれいにNO側にクルクルと回った。
((((;゚Д゚)))))))
>>>2019/02/16
カードに私がハマっている理由の1つに、自分の潜在意識を見ることが含まれている。
人間の意識は、自分たちで普段認識できる【顕在意識】と認識できない【潜在意識】の2つで構成されている。
顕在意識:潜在意識=1〜5%:99〜95%
そんな風に言われている。
ちなみに私が一番しっくり来た割合は、「1:無限大」だった。
それぐらい、私たちは自分自身で潜在意識を認識できない。
だけど、実際は潜在意識にある方が強いわけで、現実に現れる現象だとか、何かが起きた時に感じる感情とかは、潜在意識側のものが反映されている。
例えば、痩せたいのに痩せられないなんていう私みたいな人は、痩せたい【顕在意識】よりも痩せない【潜在意識】の方に何かメリットがあるからで、痩せないとされている。
話は戻してカードの話。
私は自分の潜在意識を見ていくための手段、内観・内省するためのツールとして今はカードを使っている。
毎朝1枚引く。
正しくは、2種類のカードをそれぞれ1枚ずつ引く。
昨日は、
「揺らがずにあること」×「太陽」
が出た。
太陽の方の絵柄は、王子様が眠っていただろうお姫様を助けに来たみたいな図柄になっている。
「素敵な男性が現れてハッピーエンド(♡´艸`)」
みたいな読み解きをしたいのは山々だけど、そんな読み方をしては多分私の場合は何も意味を成さない。
私はそれを見てこう思った。
「自分の中の男性性と自分の中の女性性とがお互いに気付いて1つになる
↓
自分の中でバラバラだったピースが1つになる」
だから2枚合わせて、
「自分の中でバラバラだったものが1つになって状況が好転していく兆し。その時に大事なのは、周りの状況や周りの人たちではなく、自分自身に目を向けて自分が揺らがずにあること」
こんな風にして読んだ。
しかも太陽のカードの方の束の一番下は、「庭」のカードが出て、そこからは人との交流とか、自分自身の持っているものを他人と共有するという意味がある。
(※ルノルマンカードを持っている方がいたら、私の解釈は全くあてになりません( ̄∀ ̄)。あくまでも私の持っている『Fairy Tale Lenormand』カードの絵柄を見ての私独自の解釈です。)
朝引いた時に、少なくとも夜にはある人に連絡を入れないといけないのは知っていたから、それに対してのヒントだと私は受け取った。
そう、揺るがない自分でいること、自分の気持ちに集中すること、自分の中の気持ちを1つにすること、それでいいんだという風に自分に言い聞かせた。
その後、なぜか色々気乗りしなかった私は、恋してます(♡´艸`)♡並みにどハマりしているカードリーディングをされる方の動画を見た。
なぜかそういう気分だったから、そうした。
それ見て私は朝からティッシュを何枚も使うぐらいに鼻水垂らして泣くわけだけど、そこですごいシンクロが起こった。
もちろん動画で使うカードも、何が出てくるのかも、私は見るまで知らない。
だけど、それがこの3日ほどで出てきたすべてのカードと一致して新しい見解が私にもたらされるとは、想像さえしていなかった。
動画の中では4種類のカードが使われていた。
そのうちの1種類が私が持っているカードと全く同じもので、そしてそのうちの2種類が最近私がプレゼントしてもらった「ルノルマンカード」と呼ばれる種類と同じタイプのカードだった。
何が驚いたって、当日出たカード・前日出たカード・前々日出たカードの3枚が、その動画の中でも見事に同じものが出てきて、その3枚を合わせた読み解き方をそのタイミングで聞けたことだった。
まず動画で最初に提示されたのは、私と全く同じカードのもので「人生の目的」と題されたカードだった。
「これ昨日出たやつじゃん!」と思った。
続けて、おととい出た「塔」と当日出た「太陽」のカードが画面上に現れた。
実は「塔」のカードに関しては、私は前々日に出た時に面白いメモをノートに書いている。
「tower(塔)の解釈、課題だなと思った。時間の経過と共に、ヒントが来そうな気がする」
私は自分の持っているルノルマンの「塔」のカードをどう解釈していいのかよくわからなかった。
絵柄もじっくりと見たし、ガイドブックももちろん見た。
なんなら、他の方が解釈されてる「塔」の意味も調べた。
とにかくいまいちしっくり来ない。
しかも、その日もう1枚自分用に引いたものと組み合わせるとさらに一層意味がわからなくて、私はその日、カードのメッセージを読み解くのをやめた。
ちょうど他の占い師さんが書かれているブログで、「解釈をどうしていいかわからない時は、あえて答えを出さずにそのままにしておく」みたいなことを言っていたのを読んだのもあって、私もそれでいいかと思った。
そうしたら、動画の中で説明がきた。
「堅苦しさからの解放」
来たーーーーーー(*⁰▿⁰*)!!
一番しっくり来た。
そう、この場合の「塔」は堅苦しさで、まさに私が話をしなきゃと思っていることに関してのヒントそのものだった。
「堅苦しさ」が私の姿勢としてあって、それは必要なこともあれば、反対に手放した方がいいこともある。
今回は、私が私自身に向けているものに関しての堅苦しさは外してあげて、対相手に向ける姿勢は堅苦しいままでいい気がした。
なぜなら、私自身に対しては、もう散々苦しいパターンも生きづらくなるパターンも経験していて、それは今手放していいところまで来ましたよ!というサインだと思った。
どうでもそのやり方でなくていい、別の方法で試すことも可能だよと言われているように感じた。
その一方で、相手に対しては堅苦しさを外してはダメだと思った。
なぜなら、私が堅苦しさを外してしまうと、おそらく相手は私が軽く話してしまうことでその軽さを取ってしまう危険がある。
「危険」と書いたのには理由がある。
普通なら「可能性」と書く。
だけど、「危険」とあえて書いた。
なぜなら、軽く採られてしまうと、事の重大さにも気付いてもらえなければ、また相手は無意識に私が傷付く言葉をバンバン言ってきそうで、それは絶対に避けたかった。
だけど、私が厳しい態度で臨めば、少なくともそこはきちんと汲み取れる人だから、絶対に軽くは採らない。
だから、堅苦しいまま話すのでいいんだと思った。
何を行う時もそうだけど、相手がいる場合、2つの態度がある。
1つは相手に向けての自分の態度、もう1つは自分自身に向けての自分の態度。
相手に向けてのものは臨機応変に変える必要があるけれど、自分に向けてのものはもう堅苦しさだけをずっと持ち続けなくてもいいんだと、今回一通りの話し合いが終わって感じた。
自分に対して、がんじがらめになるほどの厳しさや堅苦しさはもう持たなくても大丈夫だと感じた。
元々の性格にそうしたものがあるから、それは必要な時にまたいつでもその自分のやり方を復活させることができる。
でも、今から先は、それ以外のもう少し柔らかいやり方ややさしさを自分自身に許してもいいんだと気付いた。
そしてその「堅苦しさの脱却」が、自分の人生に何か新しい風を吹き込んでくれると思う。
堅苦しさとはなんぞや?というのはそれぞれの人によって違うし、私も私でそこは自分に問いかけていかないとわからない。
だけど、カードの素晴らしいところは、そうしたヒントを与えてくれるところ。
例えば、「自分の心の中を見る」というヒントよりも「自分の堅苦しさに気付く」というヒントの方がより具体的でわかりやすい。
で、自分で読み解けなくても、自分がわかる形でどこからともなくヒントはやってくるから、それをいつでもキャッチできるように自分の耳や目、心を澄ましておけばいい。
ちなみにコツは、「忘れること」♪( ´θ`)ノ
「ヒントください」と心の中で願ったら、あとは忘れる。
忘れた頃にどこからともなくやってくる。
今回の私はyoutubeだったけれども、本やテレビ、電車やバスのつり革広告、看板、新聞、人との会話など、色んな形でやってくる。
>>>2019/02/18
『(13)1ヶ月早い誕生日プレゼント』より
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物事の細部、人生の細部に宿っているメッセージに私が気付いていく、私に気付かせていくためにやってきてくれた。
そこには必ずメッセージがある。
そのメッセージを他の人たち、自分の大切な人たちと取り交わす。交換する。
それは良い悪いに関係なく。
そして私が良いと思って集めたものを、今度は私が周りの人たちに教えていく、広めていく。
困難や大きな障壁がやってきたとしても、そこを突破する道も用意されているし、知恵も道中にきちんとある。
そこを抜けたら、しあわせとか本当の自分の願いに気付いていく。
それらすべてのつながりの中にヒントや答えがある。
虹のような明るい扉を開ける鍵を持っているし、それは常にあるから大丈夫!
大事なのは、気付くこと!
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この文は、ルノルマンカードが届いた日、私自身向けに引いたカード7枚すべての意味を継ぎ足してそれで1つのメッセージにまとめたもの。
上の文の「虹のような明るい扉」は、あれから2〜3日後に新たなヒントが来た。
「虹のような明るい扉」は、絵柄を見て私が言った言葉。
ねずみ・狼・きつねの3トリオのカードの次に来るのが「鍵」のカードだった。
だから、その3つのカードから受け取ったメッセージを元に、私は何かの扉を開けるんだろう、最初はそう解釈した。
後日、私はルノルマンカードの解説をしているサイトで、各カードが対応する天体もしくは星座を知ることになった。
鍵が対応するのは、天体「キロン」だった。
魂の傷やテーマを表すとされるキロン。
あぁと感嘆の声が出そうだった。
私がこのカードから伝えられてるメッセージ
・私のところに来てくれた理由(ねずみ)
・カードが今一番伝えたいこと(手紙+狼)
・カードから見た私の第一印象(きつね)
この3つの先には、私の人生そのもの、魂の道に繋がっていくんだとわかった。
私はカードを手にした瞬間、確信していた。
これが私のこれからの相棒になることを。
絵柄を見てガイドブックを見たらわかる。
私にしか読み解けないメッセージがある。
同じカードを持っている人たちは世の中に他にもいるけれど、私と同じ読み解きは多分誰もできない。
私の読み解き方は、私のこれまでの人生すべての中で培ってきた色んな情報を足しての内容になる。
ルノルマンカードの読み解きで、天体や星座までセットで読み解いている人はまずいない。
それだけじゃない。
例えば「魂のテーマ」として意味を引っ張ってくるとするなら、それが一体何を指すかは千差万別の解釈になる。
私の場合は、このカードが私の何か大切なものと繋がっていく、それだけはわかった。
そしてその大切なものは、唯一無二のもので絶対に譲れない、ということがわかる。
通常の「鍵」というキーワードから「唯一無二のもので絶対に譲れない」なんていうメッセージはどうやっても引っ張って来れない。
でも私にはそのメッセージが来る。
さらに、何に繋がっているのかは知らないけれども、私の手元にあるルノルマンカードは、私に何か古い記憶を思い出させるような懐かしい感じがする。
そんな風に思っていたら、昨日(2/17)名古屋にいた頃からお世話になっているSさんと話して、面白い展開に突入出来そうな話がやってきた。
Sさんはかれこれ1年近く前世療法に興味を持っていて、「それ受けてきたんですか?」並みにベラベラと解説できるぐらい動画をひたすら見て、調べ物も半端なくしている。
私もいつか動画を教えてもらって見て「面白い」とは思ったけれども、私は興味はそこまで湧かず、それ一度きりしか見ていない。
普段なら興味のあることはすごい速さで申し込むSさんが、前世療法だけはずっと温存していて、そんなにも興味を持っていたと知ったのはつい最近だった。
話を聞いていてわかる。
Sさんがなぜ前世療法にすごく意識が向くのか、なぜそんなにもこだわるのか、なぜそこまで徹底して調べてとことん準備して、そして今ようやく申し込むフェーズに入ろうとしているのか。
異常なほど慎重に進めているから、それがSさんの人生のテーマ、魂のテーマにものすごくリンクしているのは感じた。
Sさんは、最終的に講座受講をしようと考えていて、その時は私にモニターをして欲しいと声を掛けてくれた。
私は二つ返事で「やりたいです!!」と答えた。
Sさんが話してくれた前世療法はすごく興味深かった。
今生ですごく縁のある人は、その前世療法の中で登場してくるらしい。
いつか生きた前世の人生の中に、前世療法を通じて入っていけるらしい。
そこに行くと、景色や時代、名前、家族構成なんかもわかるらしく、例えば当時の家族の顔をよく見ると今の家族の誰かの顔だったりするらしい。
しかも、自分で指定して特定の前世に行けるとのこと。
私もその動画を一度見たからわかるけれど、受けてる人は完全に違う世界に意識が飛んでる。
そしてその違う世界で見えるものを口にして、そこから何かしら今世の自分に向けてのメッセージを受け取っている。
私は自分の準備が整ったタイミングでその前世療法のモニターをさせてもらうことになると思う。
見に行くのは決めている。
ペンジュラムを自分の大切な友達のようにして持っていた小さな男の子のところへ行く。
10歳ぐらいまでしか生きられなかったというその男の子に会いに行く。
私がそこにこだわるのには理由がある。
そこに行ったら多分会えると思う人がいるから。
今世、私の目の前に職場の上司として現れた男性が登場するかと思う。
もう今生では二度と会わない人なのかもしれない。
それさえも全部覚悟して、私はそれでも見に行きたい。
その人にもう一度きちんと会いたい。
どうしてその人と出逢ったのか、それをきちんと見届けたい。
今世まで引っ張ってきてでも絶対に出逢った理由がある。
1年前の3月末に仕事を辞めて、4月からぷー太郎になって、そして気付けばそろそろ1年経とうとしている今。
社会的にはぷー太郎でも、私個人の人生はこれまで生きてきた中で一番濃密で色んなことがあった。
ペンジュラムで山で行方不明になった人の居場所を探すとか、失敗して2ヶ月後ぐらいに今度はその方の霊魂がやってきてメッセージを伝えてくるとか。
それ以外にも本当にありえないぐらいに不思議なことや不思議なご縁満載の時間だった。
今もその流れを汲んでいて、相変わらず摩訶不思議なことたちは色々やってくる。
単純にこの1年近い時間で起こったことの方がインパクトも大きいし、記憶にも強く鮮明に残る。
だけど、私の中でそれよりもずっと長く濃く残っているのは、その上司の方だった。
その人と初めて顔を合わせた日、その後脳内お花畑のような毎日の中で見ていたその人の姿、人生の中で一度も感じたことのない不思議な気持ちや感覚になった瞬間(←一応仕事のやりとり)、最後にあいさつした時、そして最後の最後に見たその人の後ろ姿、その全部がすごい濃さで残っている。
私の片想いとかいう次元のレベルじゃない。
不思議な感覚は、その人も一度は感じたんだと思う。
ある時、仕事の探し物をしているその人に声をかけたら、普段のその人からはとても想像できないような反応をしていたから、相手にはどんな風に私やその場面が映っていたのかは知らないけれど、とにかく尋常ではない空気が流れていた。
そうした1つ1つが私の記憶には深く刻まれた。
そしてその人が私の人生からいなくなった後から今に至る1年半近い時間の中で、私の人生には信じられないぐらいに色んなことが起こりまくっている。
さすがにここまで来ると、私個人の力だけでこんなことになっているとは思わない。
絶対に何か違う力とか流れが入り込んでの今のような状況になっているのは間違いない。
色々あった1年半で、私の見える世界の中にその人の姿はもういなくなってしまったけれども、数々の重要な局面の時には必ずその人が何かしらの形で関わっている。
本当にこれは生涯で一度しかありません的な、そして緊張感や難しさを伴う場面になればなるほど、ふとした時にその人だとわかるサインが来たり、他の人たちの口からその人の話が出されたり。
本当に不思議な存在感を放っている。
転勤でいなくなってしばらくの時は、気のせいかと思った。
たまたまの偶然が重なってるだけかもしれない…、だから変に意識を持ってますますドツボにはまらないよう、勘違いをしないよう、色々と心の中で制止した時もあった。
だけど、どんどんどんどんそういうことは重なり続けた。
挙げ句の果てにはその人のことを全く知らない霊視ができるヒーラーのOさんから、その人の特徴をいきなりいくつも言われて度肝を抜かれたのが去年の夏だった。
その人がいなくなって1年が過ぎようという頃だった。
Oさんの前でただの一度も話題にさえ出したことないのに、こんな意味不明なことが起こるんだと唖然呆然とした。
Oさんから今度対面で会う時に、その人が私にとってどういう意味合いの人なのかを教えてもらう話にはなっていた。
(電話やメールでは伝えられない、伝えるとするなら直接会う時、とOさんから言われた)
だけど、Sさんの前世療法の話を聞いて、私の気持ちが変わった。
Oさんとか第三者から聞くのではなく、私自身がある時の前世に立ち戻って、そこで何があったのかを見てこようと。
その人と私とはお互いに共通しているだろう何かが過去にあって、何をその時に感じて、そしてどうして今生もう一度出逢うことになったのか、私は自分の目で確かめたい。
相手の口からは何も語られない以上、私は相手の側の景色を見ることは決してない。
前世療法を受けたからと言って、何かその人と私との今現在の関係が変わるとも思っていない。
だけど、何か1つでもいい、私はその人と自分のことについて、自分がわかる手がかりが欲しい。
本当に意味不明な超オカルト最前線みたいな世界が自分の人生にどんどん入り込んできて、私の人生そのものがかなり特殊なのはわかった。
死ぬその時までそうだろうから、そこはもう覚悟を決めている。
逃げるともっと面倒なことになりそうだから、そこはもう引き受ける、来たものはとにかくやる、その気持ちは出てきた。
その人がいなくなってから1年半ほど経った今、たった1つだけ確信が持てるようになったことがある。
私のこの色んなことを根底で支えているのは、その人だということ。
ペンジュラムの機能がどんどんバージョンアップする時もそう。
私自身の感覚がどんどん開いて色んなことがもっとわかるようになる時もそう。
誰か他の人に対してやさしい気持ちになれる時もそう。
色んな人たちの大切な人生の節目に居合わせることになる時もそう。
それら全ての瞬間瞬間にその人の存在は常に私の中にあって、そして色んな形で助けられている。
言葉もほとんど交わしたことのない、その人のこれまでの人生がどんなかも知らない、好きな人や好きなものが何かも知ることもない、生きている毎日の中で一番遠くにいて交わる気配もない、そんな人なのに、私にははっきりとわかる、その人が本当に本当にとても深いところでの繋がりがある人だということ。
だから、せめて、本人の口から何も語られることがないのであれば、私は自分がそのいつかの時代のどこかの場所で生きていた自分に会いに行って、そしてそこにおそらくいるだろうその人にも会いに行こうと思う。
Sさんいわく、前世療法を受ける本人はわかるらしい。
その登場人物たちを見て、それが今世の中でどの人たちなのかを。
私はその人が転勤でいなくなる前に、それはそれは長い手紙を書いて渡した。
あれは渡したとは言わず、押し付けたが正しい。
相手が私に突き返すことができないようなやり方だった。
その時、私は手紙を書いて良かった。
そして、押し付けてきて良かった。
色々言葉にできなかったことを紙とペンを使って伝える、愛の言葉を1つも言わずにひたすら自分の中から出てきた言葉を綴り続けたあの時間は、生涯を通じてあの時1回きりだった。
完全な私1人の自己満足だけど、あの時とにかく訳もわからずペンを走らせて良かった。
今も手元に下書きがあるけれど、本当にこの手紙は何だ?と思う。
今だからわかる。
あの時、それこそ言葉通り全身全霊で、魂が魂からの叫びを書き綴ったんだと思う。
理屈では絶対に説明できないものだった。
言葉での説明も限界があった。
だけど、理屈や言葉を超えたところにその気持ちみたいなのはあって、それは伝えなきゃダメだと思った。
今を逃したら二度とその時は来ない、そう思った。
手紙の最後をその人への「ありがとう」で締めくくっている。
出逢ってくれてありがとう、私の人生に現れてくれてありがとう、今日も生きているそのことにありがとう、たくさんの喜びと奇跡をありがとう、そういうありがとう全部を足したありがとうだったと今になって思う。
私はSさんから話を聞くまでは、前世療法に全く興味がなかった。
むしろ超否定派だった。
前世なんか知ってどうすんの?と思っていた。
Sさんに聞いて変わった。
言葉にならない想いがあるとするなら、それは魂が繰り返し繰り返し色んな人生を生きてきた中で得たもの。
それを聞きに行く、その時その時の自分や大切な誰かに会ってくる、そういう感じがした。
私が前世療法を受けたからと言って、ガラリと何か生活が変わるとか、生き方のヒントを手にするとか、そんないかにも三次元的なメリットを手に入れるのが目的で受けるのとは違う。
(多分私はメリットも欲しい人だから、我欲丸出しで受けると思うけれど)
でもそういうことじゃなくて、例えば昨日と同じような今日を生きるにしても、何か自分の中で「これは大事にしたい」とか「これって自分にとって大切なんだ」とか、そういうのがわかるかもしれないし、今目の前にある人間関係の縁のすごさに気付くのかもしれない。
それは何を手にするのかは知らないけれど、少なくとも私は自分の中で何かしらが欲しいんだと思う。
その人と私が出逢った意味でも何でもいい、何だったら意味なんてなくて「また会えたね」とかいう軽いものでもいい、何でもいいから自分が感じられる決定的な何かが欲しい。
今生、別々の世界に生きるのは仕方ないにしても(←私はそんな風には割り切れないけれども)、せめて、本当にせめて、私側が何か心で心の奥深いところで感じられるものが欲しい。
実は、前世療法は怪我の功名だった。
そもそもは、つい数日前、オルゴナイト2個を1時間半近く握りしめて電話したところに端を発する。
その電話のために、私はそのさらに数日前、Sさんから前世療法の話を聞かせて欲しいとお願いして聞かせてもらった。
もしSさんが、フラワーアレンジメントと言えばフラワーアレンジメントだったし、薬膳カレーと言えば薬膳カレーだったし、ヨガと言えばヨガだった。
私からして、Sさんがピンポイントで話す内容の中身は、それがSさんの残りの人生を賭けて取り組むことなら何でもありだった。
だから、私が話を聞いたのは、「前世療法」ではなく「Sさんが残りの人生を賭けて向き合いたいもの」だった。
それが、たまたま前世療法だった。
だから、前世療法ありきではなく、あくまでもSさんの人生の話を聞くのが私の本当の目的だった。
しかも、Sさんの残りの人生を賭けて向き合いたいもの、この話を聞くにも大元はSさんと別の共通の知り合いの人とでのやり取りがないとこんな風にはならなかった。
共通の知り合いの人とSさんとの話が良からぬ方向に着地し、そしてそもそもの紹介者が私だったから、それでそれぞれのフォローなり話なりをきちんとしなきゃダメだと思って話を聞いた。
Sさんの話を聞いた上で、共通の知人に連絡を入れて話をしようと思った。
だから、そもそものSさんと知人とのやりとりが上手くいっていたのなら、私は登場することもなければ、そんな大切な話にズカズカと入り込んで首を突っ込むこともなかった。
そういう幾つもの事柄が重なって、それでやっと私は前世療法についてSさんから聞く、その段階に初めて立てた。
Sさんと昨日話した時、Sさんはすっごい真剣に話を聞いてくれたし、私が過去に話していたこともよく覚えてくれていた。
「背中の話、覚えてるよ。切なかったから覚えてるよ」
この一言がどれだけ私に癒しをもたらしただろう。
Sさんは、本当に私の人生のすべてを大事にしてくれる。
些細なことも、本当に大切に話を聞いてくれる。
私が経済的に立ち行かなくなって親を頼って新潟に帰るとなった時のこと。
不採用は続きまくって訳の分からないことになっても新潟にだけは絶対に帰りたくないという気持ちでいた当時の私に、Sさんはいつだったか言ってくれた。
「ぶっしーちゃん、誰か大切な人に出逢うために新潟に帰るんだね」
そんな言葉、Sさん以外誰も言わなかった。
そして、Sさんのその考えに触れて、私にはマイナスにしか見えなかった新潟に帰ることも、実は別の意味があるのかもしれないと少しだけ思えるように当時はなった。
だから、その心が少しでも軽くなることを伝えてくれたSさんには今でもめちゃくちゃ感謝している。
Sさんの予言通りになった。
上司が異動してから1年半近くが経った今、そこにプラス40歳目前+独身+仕事超絶不安定という状況下で、普通に1年半前にいなくなった人、そして普通に考えて二度と会えない人が忘れられないなどと、いくら何でも私は大きな声でそんなことを赤裸々には告白できない。
言われた側も反応に困るだろうし、私もどう話したところでおかしいことは百も承知だから、わざわざ空気をざわつかせる又は凍らせるような話を自らは振らない。
だからSさんにも余計なことは言わなかった。
Sさんはそういう話も全然OKな人だけど、私の方がためらわれてあえて話には出さなかった。
だけど、Sさんの受け答えはどこまでもやさしくて、そして言ってくれた。
「前世療法、ぶっしーちゃんがする時の話が本当に楽しみ♪」
私の体験をこうして一緒に楽しみに待ってくれる人がいるのはすごく心強い。
ますますSさんの前世療法を受ける時が楽しみになった!!!
もう本人には二度と会えなくても、前世療法という私の中でしか体験できない世界の中であっても、私はやっぱりその人にもう一度会いたい。
たとえそれがわずかな時間であっても(カウンセリング入れてトータル3時間と聞いたから、いいところ1時間〜2時間だと思う)、そこでしか見れない私の魂の歴史の中にその人が出てきたらそれはめちゃくちゃ嬉しいことだなと思った。
今回の途中の振り返りシーン、ティッシュ30回ほど使ったから、本当に前世療法を受ける時はティッシュボックス持参して行こう、そうしよう!
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