2019年2月20日水曜日
奇跡の果実* Lesson2『不都合の裏の世界』
>>>2019年1月31日 6:28
これをどのタイミングで公開するのかわからないけれど、自分なりの大切な備忘録として残したい。
年明けに、Oさんを通じて亡くなった方の霊魂、おじいちゃんとやりとりしてから、私の見えている世界は凄まじい勢いで変化している。
その細かなことたちは今『奇跡の果実』シリーズで書いているから割愛するけれど、中でもとりわけ大きく変わったのは、世界の見え方だった。
奇跡の果実シリーズの中には色んな人たちが登場してきて、そして各自とのやりとりや関わり合いもちょっとだけ紹介している。
それ以前の私は、自分側のストーリーしか見えなくて、だからひたすら毎日の日常には自分の人生の視点しかなかった。
映画やドラマなんかだと、例えば同じ時間帯のそれぞれの人の場面を流すことがある。
例えば、男女のロマンスがテーマなら、同じ時間の男性側の出来事と、同じ時間の女性側の出来事、それらを交互に見る。
私たち視聴者は、両方を交互に見て、「あぁここでこんな風に重なるんだね」みたいにそれぞれの重なりを知ることができる。
今私に起きているのは、そういうことにとても近い。
これまでは自分だけの部分しか見えてなかった。
それが今は相手の部分、もしくは自分に関係することでも自分以外のところで起きていること、それらがどう現実の中で重なり合っているのか、まるで映画を見ているみたいに見えることが増えた。
それは、今回の一連のことで、時間が未来から過去に向かって流れていることを確信できるきっかけがいくつかあったのと、そしてもう1つ、本当に世界が守られている、私たちが守られているということがわかってきたから。
【守られている=(私たちが考える)悪いことが起きない】という意味じゃない。
色んなことは起こってくるけれども、それでもそれら1つ1つはどれも必要があって起こっているし、たとえそれが人間側にとって不都合の何物でもないような出来事や結果だったとしても、それでも守られている。
特に、不都合にしか見えない出来事や結果の意味合いが大きく変化した。
その不都合は、普通ならそうではない反対の方がありがたいと感じるものだったりする。
例えば今回なら、一番良いのは、秋に私がペンジュラムを使っておじいちゃんの居場所を特定した時、それがそのまま当たって本当におじいちゃんが見つかることだった。
おじいちゃんが見つからなかった、なんていうのは誰にとっても全くありがたくないし、不都合にしか見えない。
それが都合が良いなんて、普通に考えたら誰も思わない。
私だってそんな風に思っていない。
だけど、それは物事のある一側面で、それは事実そのものであるにも関わらず、もう一方の側面ではそこに関係している1人1人がきちんと守られている。
例えば、今回のことにより、私はたくさんの大切なことを直に学ぶ機会、それらを実体験を通じて理解する機会に恵まれた。
これはもう尋常ではないレベルのことで、そうしたことに気付けば気付くほど自分側が守られていることにも気付く。
「ペンジュラムで見つけられなかった、失敗した、終わり!」じゃなくて、「その先に広がる大切なストーリー」を今見せてもらっている。
これはもう私たち人間側が考えうる状況を遥かに凌駕している。
絶望的であっても、必ず違うストーリーが同時進行している。
それは私だけじゃなくて、誰でも。
今回はたまたま他の人たちのストーリーも目にしたからこそ、特にその部分の思い、「何かにみんな守られている」という思いが強くなった。
そんなの普段思えないことの方がたとえ多かったとしても、本当はそうじゃない。
絶望や失望、虚無感なんかを感じている裏側で、同じだけのプラスのものがすでに用意されている。
そのプラスにいかに気付くかで人生の質もずいぶんと変わってくると思う。
どう考えても私なんかはこれからもあれこれやらかすと思う。
それでも絶対に守られてるんだろうなぁと、それも私が何にも頼れないすがれない自分でなんとかするしかないとネガティブな気持ち一辺倒で過ごす時もそうなんだろうと思う。
昨日(1/30)の車の中で感じた。
私は、ギフテッドと気付いた男の子のお母さん側の人生におけるテーマと思しきものを、その時から見て24時間以内のどこかで気付いた。
多分そのお母さんのテーマに違いないと思う。
私は少しずつ、相手の何かをキャッチしている時の感覚的な特徴がわかるようになってきた。
だから、多分今回も私の思い込みとかじゃなくて、本当にそのお母さんのテーマをお母さん側の潜在意識なり魂なりからもらっていると思う。
その情報が私にダイレクトに伝わってきている、そう感じた。
今回のは多分ご本人にとってとても大きなテーマで、相当気持ち的に厳しいものや重たいものを体験することにはなると予想している。
だけど、私ははっきりと気付いた。
これ、その人を悪い方向に向かわせるために起こっているんじゃないって。
それは大切なメッセージに本人が気付くための、そのためのものなんだって。
だから全て大丈夫、悪いことには絶対にならないし、きちんと大切なメッセージを本人の元へ運んでくれるから大丈夫、そう思った。
絶対に大丈夫と思っているし、多分私の今思っている感覚で当たりなのか、やたらとゾロ目を見た。
至る所で見た。
そして空気が澄んでキラキラとしていた。
車の中にいるから外気に直接触れているわけでもないのに、キラキラとしていた。
過去の人生で何回か体験したキラキラの感じと似ていた。
「大丈夫、絶対に大丈夫」
そう感じながら私は車を右折レーンの方に寄せた。
>>>2月19日 夜23時過ぎ
上のギフテッドのお母さんの話は、この後2回ないし3回の記事の後に書いてアップする予定。
私が当時感じた
「これ、その人を悪い方向に向かわせるために起こっているんじゃないって。
それは大切なメッセージに本人が気付くための、そのためのものなんだって。
だから全て大丈夫、悪いことには絶対にならないし、きちんと大切なメッセージを本人の元へ運んでくれるから大丈夫」
これはその通りになった。
悪いどころかめちゃくちゃ良い風に事は運ばれていった。
20年ぐらい抱えていたものが、スコーンと外れた。
外れたことで、もっとその人自身もギフテッドの男の子の方にも良い変化がどんどん出てきている。
とにかく、言いたかったのは、一見重たいこと・悪いことに見えることでも、その裏側では大切なことがきちんとあって、そしてそれに向き合うとその大切な方の展開が実際に人生に流れ込んでくる!ということ。
昨日アップした前世療法がその最たる例だと思う。
簡略して言うと、こうなる。
私にとってはものすごくハードルの高い、逃げれるものなら逃げたい、やらなくて済むならやりたくない話をある人にしなければいけなかった。
↓
1時間半、私にとってのお守りオルゴナイト2個を手に握りしめて、もう1つのお守りの名刺を目の前に置いて時々触りながら電話に臨んだ。
↓
このことで、名古屋でお世話になっているSさんの前世療法の話をもっと深く知ることになった。
↓
そして、Sさんの前世療法の話が進むにつれて、私自身の前世を見る機会に関しても、すでにそちらに向かって水面下では物事が動き始めている、と思われる。
↓
私にとって、その当時の前世を知ることが、私の生涯において大切なメッセージを得ることになるだろうと思う(これは未来の話)。
ちなみにSさんは早速前世療法の予約を入れた、と私に今日教えてくれた。
それは、私にとっても、大切なメッセージに近付いてるよのサインだった。
大切なメッセージ、大切な人に出逢うための、私にとっても他の何にも代えられない大事なものになっている。
そう、最初は絶対に向き合いたくない話がスタートだった。
だけど、そこに向き合ったらもっと大切なものが人生の方にやってきた。
私の人生の中でも1、2を争う大切なこと、そこに近付くようになっていた。
冒頭の写真は、ギフテッドの男の子からつい最近もらったLINEのスタンプ。
大事なのは手で作られたハートマーク(♡´艸`)
ガチャピンとムックのスタンプを返したけれど、本当なら私もハート付きのスタンプを返したかった(涙)。
それしたら本当の嫌がらせになっちゃうから、大人として適切な対応をした( ̄∀ ̄)。
そうそう、昨日奇跡的にiPhoneから写真をブログにアップできる方法を知って、それでこれからは時々写真も入れ込むことができるようになった٩((*^o^*))و
私にとってはハートマークの方が萌え萌えだったけれども、その子がくれたハートマーク付きのスタンプの言葉の方が、この一連の全てに言えることだから、スクリーショットを撮って今回アップした。
感謝するぜ
これまでの
全てに!!!
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