Lesson1 <自覚>
ーー2月16日(土)
今日アップした『ウラ話⑨自分のために勇気を出してみる』から、ちょっとした試みを始めた。
そこに私は、今の時間の流れや空の天体の配置から読み解ける注意事項的なものを書いた。
これまではしれっと書いて、気付いた人はそれはそれでいいし、気付かなくてもそれはそれで問題ないと思って、警告的な感じで書くのは控えていた。
上から目線みたいで嫌だったし、私は私で自分のことさえ色々ままならないわけで、何か自分が発言することにひどく抵抗があった。
だけど、今日書いている時に私は書こう!と思った。
あの時はなんとなくそう思って書いていたけれども、今あれから数時間経過して、どうして書こうと思ったのかわかったから、その理由を書きたい。
私は今回のある人とのやりとりに関して、気付くまでもすごく時間がかかったし、気付いてからも途方に暮れるじゃないけれど、ずいぶんと心の準備が必要だった。
言う必要のあることはある程度見えてきたけれども、私はひどく怯えていた。
前の記事にも書いたけれども、相手は悪気が一切ないし私を傷付ける意図も全くない、むしろ私を大切にしようとしてくれている中で、すごい不意打ちで本人無意識のまま、私が言われたらグサリと心に刺さる言葉を発する。
私も鈍すぎてすぐには気付けないし、その時その時は適当に流していた。
ところが、実はすごく言われたら嫌な言葉たちで、私の中のやっと育てた自分への信頼感とか心の軸とかをたったの一言でグシャっとしてしまう、そういう威力のある言葉たちだった。
で、相手の人も決してメンタルは強くない。
むしろ私ほどガッツリと自分のことはそこまで見ていないから、そういう意味で私以上に弱い。
自分の発した言葉が私を深く傷付けた、などと相手が知ったら、私は想像しただけでゾッとする。
とてもじゃないけれど、そんなことストレートには言えない。
後のフォローがめちゃくちゃ大変すぎて、私はとてもじゃないけれども、自分で目一杯なのにそれ以上の何かを自分に課すなんてできない。
非常に失礼だと知っていて言うと、私はその人の自己治癒力をあまり信用していない。
まだ自己治癒できるほどの力が本人に備わっていない。
そうなってくると、多少のフォローは当然私の方に役割として回ってくるだろうことは予想できる。
でもそれは私が絶対にしたくないのと、だけどこのまま行くと不用意に私は色々傷付く言葉を浴びるのとで、ものすごく四方八方塞がりだった。
自分のことは極力隠して、そしてあくまでも第三者的な立場から見た話みたいにできないかな…と思って、そして私は見事にそのやり方を何とか手にして、協力してもらう人からも了解を得て話をした。
ちなみに私が採った手段は、私の話ではなく協力してもらう人の話をさせてもらって、その中でまずいと私が感じたことを伝えるだった。
まるで協力者の話に特化しているみたいだったけれども、そこになんと私は自分の感情ものせて話した。
しかも、嫌らしいけれども、私はその点に関して専門知識も実践から得た技術もある。
そういう立場も利用しながら話す、という若干えげつないやり方で臨んだ。
ちなみにこういう時の私のモットーは、「使えるものは使おう!」になるv( ̄∀ ̄)v
もう1つついでだから言うと。
今回、とりあえず上手く事が運んだ理由として、私の出した話は実は本人にとってものすごく大切な話で本人も知りたがっていた情報だったから、そういう意味で本人にとってプラスの要素が元々高かった。
だから、相手もプラスになる要素があった話だったから、上手くいったのもあると思う。
これはすごく使えるとわかったから、今後も似たようなことがあって応用できる時は、是非ともその手段を使おうと思う。
話は戻して、話をする前の不安だった時のこと。
不安と恐怖だけがあって、すっごい気持ちは落ちていた。
とりあえず放っておいて良くなることではなかったから、言う以外に手段はなかった。
自分が嫌なのを我慢する、という手段もあったけれど、それは私の精神衛生上よろしくない。
そして、フェイドアウトも普段ならするけれど、それが可能な関係ともちょっと違っていて、だから余計と困った。
それで最終的に「言う」という手段に決定はされたものの、心はその決断に追いついていかない。
すごく苦しい。
そんな時、私が静かに感じていたことは、「この流れで合っている」ということで、そして「この流れで合っている」感覚を私に与えてくれたのは、ネット上でブログや動画を通じて今の流れを公表、シェアしてくれていた方たちの言葉だった。
少なくとも、5人の人のブログと動画から、「人間関係の整理」と「自分の気持ちを自分の言葉で伝える」ことの2つを私はこの2週間ほどの時間で情報としてキャッチしていた。
だから、私の個人の流れはおそらく世の中全体に影響する天体のエネルギーとリンクしているだろうことはわかった。
それって知らないより知ってる方が私は心強い。
30代の約10年、特に39歳になるまでの9年間は本当に自分の人生がしんどかった。
しんどい中でも特に大きかったのは、自分の人生の流れがあまりにも読めないことだった。
自分の努力や頑張りではどうにもならない抗えない流れがあって、それがずっと意味がわからなくて、本当に怖かったし自分を責めるのは止まらないし、何も良いことがなかった。
情報がなかったから、私はまさかそうした人生の流れが私の場合自分の人生の特徴そのもので、そして天体のエネルギーをかなり受けやすく、そして否が応でもやらなければいけないことがあるからゆえ、よくわからない流れにも強制的に乗せられてしまう、そういうことがわからなくて、ひたすら翻弄されっぱなしだった。
38歳の時、人生がガラッと変わるぐらいの出逢いには恵まれたけれど、そしてそれに関して今でもめちゃくちゃ感謝しているけれど、それだって現実には何も上手くいかなかったわけで、真剣に願って望んでいることが叶わない自分の人生を見て、言葉にはならない想い、それは深い悲しみだったりやるせなさ、無念、残念…色んな複雑な想いがある。
相手もあることだから私1人の勝手にはできないけれど、自分の全身全霊で想う人とはどうにもならない自分の人生を見て、私はほとほと自分の人生のおかしな流れが嫌になった。
だけど、やっとホロスコープをはじめとする天体の情報を得たことで、とりあえず私は無駄に色んなことに振り回されなくて良くなった。
「無駄に色んなこと」というのは、自分を責めたりとか自分の努力が足りないと自己否定に走ったりとか、そういうことをしなくて良くなった。
だから、情報って大事だなぁと思っているし、そして私がそれに助けられている1人だから、本当にその「知ってる」ことがどれだけ自分を助けてくれるか身に染みて実感している。
で、私は今回ブログを書いててわかった。
そういう情報を私以外にも必要としてる人がいるんじゃないかな、と。
お節介ババアでもいいから、もしそれで本当に助かる人が1人でもいるなら、私は自分1人で情報を持っているよりも、ブログでしかもダラダラと書いているからわかりにくいけれども、それでも「これ大事だよ!」って自分からアピールして発信してもいいのかな…と思った。
少なくともこれからますます時代は混沌とするし、過渡期ゆえかなり大きな衝撃や強制的な変化が個人単位のレベルでも起こって来やすい。
それをわかっているのと何も知らないのとじゃ、それを体験する人からすると雲泥の差なわけで、私は少なくとも知っているならそれを発信していくのも1つ大切なことなんじゃないかな…と思っている。
そう思えたから、吹っ切れてお節介ババア的な発言がブログ内でできたんだと思う。
話は超変わるけれど( ̄∀ ̄)。
『奇跡の果実⑧覚醒』をあちらこちらの人たちに宣伝して拡散した時に、私ははっきりと自分が表現するものの凄まじい影響力を知った。
後から、ヒーラーのOさんから、どうもあの文章には私以外の力、天界や守護界的な存在だと思うけれど、そうした存在と私とでの共同執筆的な感じになっていることを教えてもらった。
その辺はもちろん本当かどうかなんてわからないのと、少なくとも私自身は自分の体験から100%書いたものだと思っていたから本当のところは知らない。
ただ、そうかもしれない…と唯一思った理由は、周りからの反響具合だった。
『奇跡の果実』シリーズの最後に、その時に私の元に集まったストーリーたちを結集させて書こうと思っているけれども、本当に色々と有り得ないことたちが重なりまくった。
一個人が発信した文章がそれだけたくさんの人たちの人生と連動していたなんてとてもじゃないけれども考えられない。
だから、私は自分の書いている感覚と、それとは別に周りからの反響とのギャップには驚かずにはいられなかった。
ただ1つ言えるのは、自分の発言が半端なく影響が出やすいものであることはわかった。
しかも自分の体験や学びから得たものを言葉にすると、それはとてつもなく大きなものへと姿かたちを変えていく。
ならば…とここから先はあくまで仮定の話。
私が持っている情報は、もしかして今地球上に生きている他の誰かが欲しいものなのかもしれない。
新潟の片田舎の小さな部屋から発信している。
しかもすぐに話が脱線して毎回大変なことになっている(  ̄Д ̄;)。
それでも、私の持っている情報が役に立つことも考えられる。
少なくとも、私が得る情報の内容に関しては相当お役立ち度が高いと思う。
なぜなら、数々の不遇な体験のおかげで、私は困ったことがあるとすぐに検索する癖が定着して、定着だけじゃなく情報の取捨選択も相当上手くなった。
かれこれキャリアは10数年のネットサーフィン歴により、私の情報を精査する力は半端ない。
しかも私のすごいところは、料理のレシピでも家事のテクニックでも心理のワークでも、気になったら試す。
だから余計と単なる情報だけではなく本当に効果があるのかや使える情報なのかまでを自分で判断するというプロセスも相当数踏んでいる。
だから精査する力は強いと思う。
で、そんな私のところに何回もやってくる情報というのは、多分間違いなく時代の流れを汲んでいる。
しかも相当コアなところを汲んでいる。
ブログだとアメブロからの情報が結構多いけれども、私の場合、例えば「占い」ジャンルで登録されているブログだった場合、順位は良くても2桁、中には普通に3桁の方のものもある。
純度の高さとブログ順位は関係ない。
でも読めば私には少なくともそれが信用できる情報なのかそうでないのかはわかる。
そういう情報を掛け合わせての、今回の「人間関係の整理」と「自分の気持ちを自分の言葉で伝える」を出してきている。
しかも、行方不明になったおじいちゃんの霊魂とやりとりした際、私は「本物としか繋がれない」という霊界からもお墨付きの称号(?)をいただいている( ̄∀ ̄)。
なら、それをもう発信してもいいと思った。
悪い意図で発信するんじゃなくて、誰かに役立つかもしれないという清い心で発信するわけだから、まぁそれならいいのかなぁと。
(「清い心」とか言うことに抵抗があるけれど、他に良い言葉が思い浮かばないからとりあえずそれを採用( ̄∀ ̄))。
逆にそうした情報を独り占めするのはどうかと思うから、もうどんどん持ってるものは出しちゃえ!と思っている。
そして出すからには、「影響がある(かもしれない)」ことを自覚すれば、おかしなことを言うのも避けられる。
どっちみち、この私のブログに何らかの形で行き着いてくれた方たちは超稀な奇特な方たちなわけで、そしてこんなにもダラダラと長いのに読んでくれる人なんてそれだけですごい。
そんな人たちに悪い人がいるとはとても思えないし、むしろめちゃくちゃ良い人・心のきれいな人なんじゃないかと思っている。
であれば、私は自分の持っている情報を出すのもありだと思う。
ということで、Lessonの第1回目終了!
ここから先は、『Lesson』誕生の追記。
一応、『奇跡の果実』の本編はあと6話ほどで終了を予定している(2/16現在)。
ウラ話はまぁあれはウラ話だから、必要に応じて更新予定。
で、今日のような話。
これは本編でもないし、かと言ってウラ話でもない。
むしろ「学び」の要素が強い。
さらに言うと、『奇跡の果実』は、学びの部分がかなり大きくて、それこそが私が書き続ける理由の1つだと思うから、それで新たに『Lesson』カテゴリーを加えることにした。
私が書き続けるというより、書かされてる感がある、『Lesson』に関しては。
要は、私は自分の体験を基に書くだけなんだけど、それは他の人たちとシェアするためにもたらされた体験という感じで、それで書いてるというか書かされている。
そんな風に感じている。
だから、Lessonカテゴリーを新たに設けて書くことにした。
個人的には、本当に2月でこれを終わらせたい。
いい加減違うことも始めたくなってきた。
これ!とははっきりとしていなくても、とにかくひたすら書く以外の別のことを始めたい!
目標は2月で完了!!!
これもまたかなり不要な情報だけど、私自身のための覚書。
タイトル『自覚』は、パッと出てきた言葉を採用している。
自覚は私側の話だから読んでくれてる人たちには関係ない話だけど、少なくとも私のところに入ってきた情報や話は、【周りの人たちとシェアしなさい】という意味で入ってきていると思う。
この『奇跡の果実』シリーズを書いている途中からそれは感じていた。
ネタに関しては色んな形でもたらされるから尽きることはないけれど、どんどん書いていくうちに内容がもはや私1人のものじゃないことに気付かされた。
多分だけど、私が体験している理由は、単に私側の人生において必要だからだけではなく、この私の飽きずに書いていられる性格もあって、それを買われての体験する人になっている気がする。
要は体験して終わりじゃなくて、その体験したことやそこから得たことを書いて発信していく、発信して他の人たちと共有する、その流れを作ることが大事なのかもしれない。
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