残すところあと1日、ラストの日の振り返りだけになった。
その後、翌日と週明けた月曜日の日の風景は書くかもしれない、というところ。
あとは振り返りの途中で書いたものを別にアップして終わる。
明日水曜日に合わせて、1年前のその水曜日に意識を合わせたかった。
朝起きたら、その水曜日と同じ風になるように、自分を持っていきたかった。
だから今日のうちに『ラスト2日』を書き終わらせた。
今回の振り返りは色んな理由で書いた。
書き続けていくうちに、やっぱり書いて良かったと感じる。
もう一度、1年前のことを丁寧に取り出して見る、そして当時をなるべく忠実に語る、もしくは今現在を語る、やりながら自分の大切にしてきたものがもう一度再確認される。
その一連の行為で、気持ちが穏やかになれる。
自分の超現実的な視点を今回書いたのは、もし本当に読んでくれてるとするなら、その部分を伝えたい、知ってて欲しいと思ったから。
これまではあまりに個人的な話過ぎるし、書くのも恥ずかしいし、そんなこと書いてどうするの?とか思っていた。
だから書かずにきた。
今回はそれよりも、伝えたい、知ってて欲しいが上回ったから、それで書いてる。
もしかしたらこんな風にしか伝える手段を持たないままの可能性もあるから、それなら伝えられる範囲で伝えようと思った。
ネット上に公開できるギリギリのところまでは書いてみよう、今回は自然とそう思えた。
さすがに全部が全部こうした公開スペースに書けるわけじゃない。
書けないもっと個人的な部分については、もしリアルに本人に再会できるとするならその時に本人にだけ伝えたらいい、そう自分で判断した。
その書けない部分については今ここで公開する必要は全くないし、もし伝えずに終わって墓場に持って行くことになっても、それはそれで仕方ないと思う。
そこそこの量を書いてきたけれど、ネタもそんなにあるわけじゃないから、もう少しで話は尽きる。
尽きるまでもう少しだけ全力疾走する予定。
ちなみに臨場感を味わうためにも、その日書いたものはその日に読んでる。
例えば今日火曜なら、1年前の火曜に書いた分だけを読む。
翌日の分は明日までの我慢として、目に入れていない。
最終日の風景はすでにいくつか頭の中に思い浮かんでいる。
それだけでも結構な量になっている。
しかも、最終日は覚えておきたくて、実に細かく色んな記録を書いて残してある。
なるべく外に出せるものは書きたいから、見落としがないように隅から隅まで読み込もうと思っている。
あまり長くなるようなら分けて書いてもいいかなと考えている。
ちなみに明日は、さらなる臨場感を出すために、実際に仕事終わりにコメダに行ったように、夕方コメダに行って日記帳を持って振り返ろうかと予定している。
その人がいた日々、その人が旅立った日、そしてそれからの365日、どの瞬間を切り取ってもその人がいる。
ラスト1日、最高の思い出を振り返られますように。
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