>10月17日(水) 9:42
最終日の文章を書き始めたけれど、最初のさわりだけを書いてから(机の上の話あたりまで書いた)書けなくなって、一旦休止している。
記憶を全部なんて思い出せないし、記録の方も断片的ではあるけれど、けっこうリアルに思い出せるもんなんだなと知る。
もういない時間を1年以上過ごして、例えば今日これから最後の瞬間を迎えるわけではないのに、体や心は当時の感覚を勝手に再現し始めた。
ザワザワする感じとか、無情にも過ぎていく時間を前に何もできないことへの無力感とか、終わって欲しくない・行って欲しくないという気持ちとか。
今回は完全に自己満足で書いているし、自分でも納得して書いているからいいはずなのに、心の中のどこかで腑に落ちてない自分がいる。
一旦休止してから、温かいコーヒーを大きなマグカップに用意してこれを書いてる。
1年前ブログを再開した頃のブログを読み始めた。
私はてっきりこのブログが最初に再開してあれこれ書いたものかと思いきや、もう一つ別のブログの方だったとそれを読んで今気付いた。
もう一つの方は長いことログインしてなくて、それであれこれすったもんだしたことは覚えているけれど、そうまでして何を書いたかは忘れていた。
自分で言うのもなんだけど、当時のことものすごく上手く書けてる。
今同じように書けと言われても書けない。
書いといて良かった!と思う。
当時のことは当時のタイムリーな出来事だったから実況見分のごとく書けたけれど、今は記憶が抜け落ちてるからあんな風には書けない。
これ書きながら、その人の制服の着こなし方を思い出した。
男性はみんな同じ制服を着ていた。
制服だからみんな同じものだけど、着方はそれぞれの個性が出ていた。
ちなみにその人の制服の着方は断トツでカッコ良かったし、私の中では一番好きな着こなし方をしていた。
例えば、シャツの裾をどの程度ズボンの中にインするのか、そして腕まくりの感じとか、本人も超絶こだわり抜いてそうなっていたわけではないと思うけれど、その人のバランス感覚で選ばれる裾の量とか腕まくりの返し方とかが、本当に良かった。
あと私はその人の腕をよく見ていた。
よく友達なんかと、異性の体のどこを見るか、何が萌えポイントかとか話したりする時に、私が絶対に挙げるポイントがある。
肘から手首にかけての腕の部分で、特に肘近くの盛りっと筋肉が盛り上がる部分、あそこを見る。
どうでもいい情報だけど、その人の腕のその部分は、私が見た中でNo. 1の形だった。
それはその人を意識するしないとかの前からそうだったと記憶している。
自然についた筋肉で太さのあるのが良くて、その人の腕の形はまさに私が好きな形をしていた。
だからその人のその腕の部分は超見ていた。
だからおのずと腕まくりの感じも目に入った。
振り返りの中で、普段の挨拶についても書こうとしたところがあった。
最終日の内容からかけ離れるから書くのはやめたけれど、それも書きながら思い出してた。
カットしたのはこんな内容↓
【余談だけれど、そのうんと後(その人がいなくなった後)に、朝から男性が5人も6人も自席にいて、「おはようございます」と挨拶したら、それぞれの低い男性の声でおはようございますが返ってきて、それがあまりに大音量でビックリした時があった。
たくさんのおはようございますと大音量のあいさつ、どちらも全然嬉しくないんだなぁなんて思った。
その人のあいさつは、そもそも言っているのかもしれないけれど、実はあまりきちんと聞いたことがない。
場所の問題もあったけれど、奥まったその席は入口から入っただけじゃ死角になっていて見えなかった。
私は入口から一番遠い席で、実は毎回どこの地点で声を出して挨拶をしたらいいかわからなかった。
朝はまだ良かったけれど、帰りは本当にあいさつしにくかった。
奥の席から入口までかなり距離がある。
3回くらい言うことになるし、言っても何も返ってこない時もあったから、それは最後まで毎日気も揉むことだった】
で、この後続けて書こうとしたのは、時々返ってくるその人のワンテンポずれての「お疲れ様でした」が嬉しかったこと。
小さな挨拶だけで私は嬉しくなってたから、ずい分と安上がりだなと自分のことを思った。
安上がりだとおかしい言い方だけれど、とにかくその人が関与しているなら何でも良かった。
挨拶1つ、どこぞの誰かと電話で話してる声1つ、そういうことで私は嬉しくなっていた。
そんな風だったから、自分でも自分が大丈夫かと疑問に思った。
その手のちょっと大丈夫ですか?的なエピソードは他にもあった。
その人がいなくなってから、当然その人のポジションには他の人が着任したわけだけど、人が替わってからその業務の中の末端業務を時々頼まれることがあった。
直では来ないけれど、私の教育係の事務員さん経由で頼まれた。
時には名前を手書きで書くとかいう仕事も来たけれど、それが全くと言っていいほどテンションが上がらず、これ何でその人いた時に頼まれなかったんだろう…と思った。
事務員さんも説明の時に「前は本人がしてたから私たちがこれするのも久しぶりなんだけどね〜」なんて言っていたから、どっちみち頼まれなかったことはわかったけれど、やりたかったなぁとは思った。
だから、私が10ヶ月いた中で一番萌えに萌えた仕事は、その人の名前を代筆で書く時だった。
年度も半分以上過ぎた頃、年度初めの書類の整理があって、その作業の煩雑さと言ったらなかったけれど、どうしても署名漏れとかがあってはいけないとかで、それも合わせて見ながら、よくわからない束となっていた書類を分類してファイリングしていた。
で、その署名漏れと言うより署名もらい忘れの書類が出てきた。
聞いたら、代筆を頼まれて、それでその人の名前を書くことになった。
署名済みの本人の自筆を見ながら楽しく練習をして、そして数回練習した後本番で書類にその人の名前を書いた。
かなり上手く似せて書けたと思う。
それが一番萌えに萌えた仕事だった。
全ては今さらな話だけど、もう少し普通に関われたら良かったな…。
色んなことが本当にもどかしかったし、無限の距離がものすごく遠かった。
反対にそれだけ遠かったのに、接点も皆無と呼んでも良かったぐらいなのに、よくその人の存在に気付けたなと思う。
偶然のようなことがいくつも重なる時、それは必然なんだと私は思っている。
その人の存在に気付くことも、人生で必然だったんだと思う。
偶然を装って起こる必然的な出来事たちは、そうまでしてでも何かをメッセージとして伝えてこようとする。
私は今現在の状況を前にしても、それらが全て起こってくれて良かったと思っている。
その人を知らない人生よりもその人を知る人生の方が何倍も良かったから。
そしてその偶然のような出来事たちが運んできたメッセージは、私に人生の中で大切なもの・大切な人を教えてくれたと思っている。
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