それは突然届いた。
しつこい咳からの贈り物だった。
咳が時間を追うごとに酷くなってきてる私は、そうだ!と思いついて、自分オリジナルのヒーリングを自分自身に初めてしてみた。
それは『チャクラ・ヒーリング』という本を使って、自分の今弱ってる場所を特定し、そしてそこから必要なケア方法を見つけていく(実際はもっと別のステップありだけど、自分だからとりあえず最低限で)。
本は特定されるまでは読まず、ひたすらペンジュラムに必要な箇所を選定してもらって、選定が終わったら読んでいく。
ペンジュラムを使うようになって、ますます自分の思考は頼りないものに見えてくるようになった。
思考も大切だけれど、見えない部分の意識なんて自分じゃわからないから、そういう私の思考とは関係ない感覚で情報をキャッチできるペンジュラムの方がこういう時は確実になる。
特に今回の咳は、明らかに風邪と言うより自分で自分に与えた菌のような様相になってきてるから、通常の体だけの対処では大幅な回復は見込めない。
心の部分にも働きかけないとだから、その部分をより詳細に知るために、本やペンジュラムが大活躍してくれてる。
ということで本から情報をペンジュラムで読み込んで、該当ページを見て行ったら…。
咳についての欲しい情報ももちろんあったけれど、それ以上に私が興味を持った情報はもっと別のところにあった。
2月に買ったオルゴナイトについて、一番しっくりくる情報がそこにはあった。
40個近いオルゴナイトたちが私を経由してそれぞれの持ち主の元へ旅立った、1つを除いて。
そのまだ旅立っていないオルゴナイトは、他のものとは全く異なっている。
選び方も他とは違った。
自分のオルゴナイト同様、そのオルゴナイトだけは見てピンときたという、それだけの理由で選んだ。
正しくは、見た瞬間、その持ち主の顔が思い浮かんだから、それなんだと思った。
ペンジュラムもそうだと言うから、間違いないだろうと判断した。
1つ1つのオルゴナイトは、異なったパワーストーンが内蔵されている。
私のはルチルクォーツと呼ばれるものだし、他にも黒水晶やタイガーアイ、アクアマリン、ラリマーなどなど、少なくとも20近い種類の石たちのオルゴナイトを見てきた。
そのオルゴナイトに関しては、見た目はピンときたものの、意味は読んでもあまりよくわからなかった。
本人が読んだらわかるのかもしれないけれど、私が読んでもさっぱりだった。
まぁいいかとそのままにずっとしていた。
友達の1人に同じタイプのものが行っていて、彼女には実にピッタリの意味合いのものが行ったと思う。
本人もどうピッタリなのかこと詳細に説明してくれたけれど、それを聞いたらますますわからなくなった。
その人にも同じ意味合いのものがいく予定だけれどどこかしっくりこない、そんな風だった。
あれから約3ヶ月、そんなことをすっかり忘れた今、そのしっくりこない部分に対してのとても明確なメッセージが本から来た。
咳によって開くことになった本の中に答えがあった。
そして数行の説明で、「あぁ(手元のオルゴナイトは)その人専用のお守りだ」と確信した。
友達に渡す前、店で見た効能とネットで調べた効能とを紙に書いた。
その効能はまさに友達へのメッセージで、当たってるなと思った。
ってことはその人の分も当然そうなるわけだけど、店で見た時同様「何でこれいくんだろう?」と思った。
そうしたら、誕生日プレゼントとして買った本の中に答えが書かれてた。
今回私も咳が出なかったら開かなかったページだった。
読んで納得した。
それは友達に書いた効能とは似ても似つかない別のものだった。
そしてその人にはピッタリのメッセージだと私は思った。
その本を開く数時間前のこと。
私はアメリカの有名なパワーストーンヒーリングをされてる方の動画を見ていた。
その動画の中で、たとえ同じパワーストーンであっても、人によってその効能は違うと説明されてた。
例えば、佐藤さんと鈴木さんに水晶が渡ったとしても、佐藤さんは浄化や解毒をする意味で持って、鈴木さんは進む道をクリアにしてもっとスムーズに歩むという意味で持つ、なんてことが往々にしてあるらしい。
それを聞いていたから、友達の分と最後の1人の分とが同じパワーストーンを内蔵していても、意味としてはそれぞれ別の強化ポイントを持ってることにも納得した。
これもよくできた話で、そもそも私がここまで咳をこじらせることをしなければしばらく開く予定のない本だった。
今回最初はあまりにも原因不明の風邪?と咳?で、しかも咳は日に日に悪化するから、それで何をしたらいいかを調べようと考えた。
しかも、本自体は140ページほどある。
その中でピンポイントでその情報のページにたどり着くんだからすごい(もちろんすごいのは、ペンジュラム)。
2、3ページしか読んでないのに、そこに必要な情報があった。
本人に渡るかどうかは知らないけれど、本当に渡るとするなら今回見つけたメッセージを効能としてきちんと紙に書いて渡せる。
私の症状が「咳」なのも良かった。
実はその人、冬でもないのに咳を毎日のようにしてた。
私は風邪じゃない何か別の咳なんだろうなと思って見ていた。
過去の仕事で病人もやたらと見てたから、風邪の咳とそれ以外の咳とが違うことが感覚的にわかる。
その人は何回も咳をして咳き込むわけじゃなく、2、3回咳払いする風にして、それが1日の中で数回ある、そしてほぼ毎日という感じだった。
最初こそ風邪なのかと思ったけれど、ずっと毎日のように観察してたら、言いたいことを飲み込んで喉が詰まるのかな…⁉︎と、思って見てた。
こんなこと本人は知らぬままだから良かったけれど、私はある日の仕事帰り、大型のスーパーとホームセンターがくっついたような店に立ち寄った。
すごい咳してたから、のど飴でも机の上にボンと置いておこうかと考えた。
今思うとすごい思考回路だけど、その日の私は仕事の途中からのど飴のことしか頭になかった。
大人だから死にはしないと思ったけれど、普段の様子を見てる限りじゃきちんと食べてるのかどうかも怪しければ、特保のお茶とかに手を出すあたり栄養状態が素晴らしく良いとは思えなかった。
のど飴置いたところで「これ誰が置いたの?」なんて周りに聞く感じじゃなさそうだから、しれっと置けるかなと思った。
で、大型のスーパーに行った。
あんなに真剣にのど飴を見たこともなかった。
本当に隅から隅まで何回見たかわからない。
何十種類とあって、未だかつてないぐらいに目を凝らして見た。
平日の夕方、そんな売り場は閑散としてたから、途中からペンジュラムまで出して聞いた。
結局オーソドックスなキンカンのど飴を買った。
それなら苦すぎず甘すぎず舐めれるかなと思った。
家に帰ってからは、看護師の友達から教えてもらった喉のケアについてメモの下書きをした。
(歯には良くないけれど、夜寝る時に飴舐めながら寝ると、喉の粘膜が守られて良いとのこと)
何回も書き直した。
ようやくできて翌日カバンに入れて持って行った。
けど、一晩寝たら、自分があまりにもおかしなことをしてることに気付いて、私は結局渡さなかった。
メモは速攻捨てて、のど飴は買ってしまったから私の仕事机の引き出しに移した。
あの時の衝動も半端なくすごかった。
今振り返るとすごくぶっ飛んでることがわかるけれど、当時は変だと思う前になんか勝手に体が動くかのごとくそんなことをしてた。
私はその人の具合が悪くなるのがすごく嫌だった。
休める立場じゃないから具合悪くても体押して仕事に来そうなタイプではあったけれど、とにかく「元気でいてくれないと困る」と私は一体どこの誰だ?というようなことをいつも無意識に思ってた。
しかもその飴を用意した時はまだ私の名前知ってますか?ぐらいな勢いだったのに、私は突然そんなことをしていた。
当たり前だけど、私も自分の気持ちなんてわかってなかったから、そんな行動に容易く移れたけれど、本当に我に返ってビックリした。
私この人の彼女でも友達でも仲の良い同僚でも、せめてせめて気軽に挨拶できる間柄でもないのに、私は何をそんなすごいことしようとしてるんだろう…と自分を見て理解できなかった。
バカじゃないの?とは思わなかったけれど、「どうしたの?」と思った。
自分の不可解な行動が理解できたのはそれからまたさらにたくさんの時間が過ぎ去ってからだった。
今の朝の連ドラ『半分、青い。』で、豊川悦司が売れっ子の癖のある漫画家で、その癖のある秘書を井川遥が演じてる。
豊川悦司は5年前にガンを患った設定になっていて、その再発が疑われるような行動を匂わせて、秘書の井川遥に何度も詰問されてた。
「先生、もしかして再発されたんですか?」と。
いつかの回の時、井川遥が豊川悦司に言う。
「先生、5分でいいですから私より長生きしてください!
私先生のいない世界を生きる勇気がありません」
咳で死ぬなんて思ってないし、ましてやまだエネルギッシュな世代で死を感じるような年齢ではないのに、私はあの時井川遥のセリフみたいなことを思ってた。
いつもとは違う咳を聞いた時、元気でいてくれなきゃ困るよ、って。
私が何に困るかなんて全然わからなかったし、自分でも何考えてんだ⁇と思ったけれど、時々妙に相手の命そのものがとてつもなくデカくて、私この人いないと本当に困ると思った。
のど飴を差し入れて何となく近づくみたいな魂胆もなかったとは言えない。
だけど近付くきっかけなんて他の何かでもいいのに、私はやたらとその人の健康状態が気になって気になって仕方なかった。
世話を焼くというより、「長く生きてね」という、自分が死ぬわけでも相手が死ぬわけでもないのに、そんなことをよく思った。
そんなことを思い出しつつ、そうだそうだ、喉というかよく咳をしてたなと思い出した。
そして本で意味を知って、より一層、相手が出してたシグナルみたいなのがあの時伝わったのかなと思った。
あの時というのはオルゴナイトを買いに行った日。
石の知識皆無の私が、ペンジュラムに一切頼らず、あんな風にピンポイントで選べるなんてその時一度きりだった。
しかも生きてるうちに相手の手に渡るなんてどんな確率ですか?っていうところなのに、それでも私は見に行って手に入れた。
そのオルゴナイトは物と対話することをはじめ、色んなことを私に教えてくれたけれど、今もずっと変わらず何回聞いてもNOと言う。
「ねぇ私のために動いてる?」
だから私のオルゴナイトじゃない。
持ち主を知ってる。
私のオルゴナイトはきちんと私が持ち主だから、普通に同じ質問をするとYESが出る(出なきゃ困る)。
そのもう1つのオルゴナイトはいつも近くにちょこんといるけれど、別にそこにいるだけでまだ持ち主のためには発動していない。
今日は書かないけれど、オルゴナイトはあの後も驚異のスピードで色んなストーリーを紡いでる(他の人たちに渡ったオルゴナイト)。
私の手を経由して30個ほどは郵便で旅立って、都度都度出発前に「もう発動してる?」と聞いた。
もちろんどの子もNOだった。
そして持ち主の元に届くと、ペンジュラムはきちんとYESに回る。
これは1人の例外もなくそうなってる。
得意の願掛けで、最後の1つも無事持ち主の元へ渡りますようにと祈ってる。
咳の産物から話がまたどんどんそれた。
本(『チャクラヒーリング』リズ・シンプソン 著)の中にこんな一節があった。
「言葉のない沈黙」ではなく、「真実が語られない沈黙」
深いため息が出そうだった。
直感的に、後者なんだろうなと思った。
言葉を持たない沈黙とは違う風だった。
言葉はあっても何も言わない、言わないに徹する、そんな風に見えた。
私は今でも真実が知りたい。
毛嫌いされてたって構わないから、私は真実を知りたい。
真実が何かなんてわからないけれど、こんな数年ぶりの体調不良の時でも、思わぬ形でその人にまつわる何かを知ってやさしい気持ちになる。
今回は私が独断で買ったオルゴナイトや沈黙についての情報だけれど、それでも私はやさしい気持ちになる。
本を読んだだけでは全然癒しなんか起きやしなかった。
よく他の人たちには癒しが起きたなと感心したぐらい。
でもその人の何かに繋がる情報を見て、私はそれだけで嬉しくなって、それまで溜め込んでた怒りも行き場のない他の気持ちも我慢しすぎたところも、あっという間に癒された。
なんなら、ひどい咳よありがとうー!ぐらいな気持ちにまでなった。
沈黙についても何にもわからなかったし、最後まで悶々どころか私は今もまだ悶々としている。
普段は忘れたフリして日々生活してるけれど、本当は忘れたことなんかない。
熱が出たり咳込んだりと体が休まらない時も忘れない。
同じ空間にいたことが奇跡だったんだと知る。
咳はその人の命の音だった。
私はその命の音をいつも耳を澄ませて聞いていた。
咳の音がすると、キョロキョロして、他の人がしてないかを確認した。
その人だとわかっていても、確認せずにはいられなかった。
咳で生存確認するなんておかしいけれど、それぐらいに大切な音だった。
咳が命の音だなんて、そんな風に思える人、多分最初で最後だ。
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