風邪的絶不調6日目。
5日目の昨日、母親は会社の旅行に出かけた。
普段は私もご飯を作るし何てことない。
だけど、昨日は具合が悪い。
ご飯を作るなんてそんな負担の大きいことするなら休みたい。
父は昔気質な人で、料理は男のすることではないと思ってる。
今の時代なら生き残れないタイプの男。
野球の王監督の再婚話を、今日の昼ご飯を食べてる時アッコにおまかせで見てた(←作り手はもちろん私)。
父は何を言うかと思えば「そりゃそうだ。自分じゃ何もできない男は、相手に先立たれてはその部分をしてくれる人がいなきゃ生きていけない」と。
ちなみに私はそんな男の人無理。
自分のことぐらい自分でしてくれ!と思う。
で、そんなことを大真面目に感想として言う料理のできない父と料理はできても絶不調の私とが昨日家にいた。
絶対にご飯をしたくなくて、というか何もしたくなくて、私は朝早々と父には「具合が悪いから、お昼は適当に自分で食べて」と言った。
そうしたら「2人分弁当買ってくる」と言って、それはありがたくいただいた。
夜も作るのは厳しいと言うと、何が食べたいかと聞かれ、何食べても味がわからないから刺身とかは避けて欲しいとお願いした。
刺身は元気な時に美味しく食べたいから。
何を買うのかは父に任せたら、夜は昼とは違うバージョンのお弁当だった。
もちろんありがたくいただいた。
だけど、2食連続の弁当は辛かった。
体が弱ってるから、こういう時は人の手を介して作られたものじゃないと元気が出ないのは知ってる。
それで翌日の今日、昼はうどんを作ることにした。
父にもそれは伝えた。
作る時になって、父は私に言ってきた。
「俺、素うどんがいい」と。
心の声は心にとどまらず口に出た。
「えーっ」
この期に及んで何をリクエストしてくれる?と思った。
素うどん自体は確かに手間暇かからない。
だけど問題は、私は素うどんを食べるつもりはない。
2食弁当で、とにかく作ったものが食べたかった私は、なにかしら具を入れたおつゆを作って食べる気でいた。
冷凍のうどんを使う関係で、私はおつゆを作ったらその中でうどんを煮るつもりでいた。
だから素うどん用のつゆを多めに作ってその後具入りにしたらいいともいかず、結局二度手間のうどんを2回別々に作るという、何とも面倒くさいことをすることになった。
もう1つ言うと、洗い物を極力減らすためのメニューでもあって、だから一気に1つの鍋で2人分を作る当初の予定が代わり、だから心の声がダダ漏れた。
料理する人はその手間がわかるからこういう意味不明なことは言わない。
料理しない父は気遣いのつもりだったのかもしれないけれど、かえって手間が増えるという全くありがたくない事態が発生した。
でも私はもう絶対にきちんと食べたかったから、素うどんだけ先に作って、その後自分のものを作った。
ちなみにつゆも自分で作ったけれど、舌が麻痺してるからそれが濃いのか薄いのか美味しいのかそうでないのかもさっぱりわからなかった。
勘違いされると悪いから書くと、私のうどんとかの手作り麺つゆは「しょうゆ、砂糖、顆粒だし、水」で作る。
気が向けば、酒とみりんも入れる。
だしを一から採るなんていうそんな主婦の鑑みたいなことはできない。
当然常に適当だから分量なんて計ったことなく、今回みたいな味覚障害的な時に作るのは至難の技だった。
味見してあとは足りなければ足りないものを足して終わり。
でも今回は味見したところで全くわからないから、もうそのままにした。
父にも出す時に「しょっぱいかもだからあとは自分でお湯で調整して」とお願いした。
父は一口飲んで「うまいから大丈夫だ」と言い、本当に全部飲んでた。
その素うどんを作った後今度は、しめじとこんにゃく(という名の2日前のあまりものの青のり入り刺身こんにゃく)、薄揚げ、豚肉のコマ切れをつゆに入れて、あとはレンジで温泉卵を作った。
汁が煮たらそこに冷凍うどんを投入。
汗が出たし、味は相変わらずボケていたけれど食べてて体が喜んでるのはわかった。
金曜日の夕方発熱した際、私は静養に入る前に、その前の日に作ったビーフシチューもどきをご飯にかけてチンして食べた。
ビーフシチューもどきと言ったのは、ルーはホテル仕様の高級シチュールー(なのに100円!)だけど、我が家にビーフの買い置きなんぞなく、それで肉は代わりにベーコンとひき肉を使った。
ちなみにその高級ルーは、直近の仕事じゃなく、その1つ前の仕事の時に、同じ建物の1階に小さなスーパーみたいな店があってそこで買ったもの。
そこは卸なのかやたらと安くて有名で、そのルーもなぜか100円(通常店頭に並ぶのは500円くらいする)で売られてて、料理上手な人たちが絶賛してたから私もつられて買った。
けど、度重なる引越しで忘れ去られ、この間やっと見つけたら賞味期限1年前みたいな…。
密封されてるから大丈夫でしょうと、木曜日に作ったビーフシチューもどき。
ものすごく美味しくできて(←ルーのおかげ)、ご飯に食べてかけても美味しかったけれど、体はもっと別のものを欲してた。
だけど具合が悪くてそれどころじゃなく、とりあえず寝るための準備をした。
それが最後に食べた手の入った料理で、そこからは既製品しか食べてなかったから、体はどうしても元気が出なかった。
これはひとり暮らしの時もそうだった。
自分で本当にちょっとでいいから手間をかけてあげたらそれでいい。
味噌汁1杯とかで十分。
そういうことをせずに外食や買って食べるものばかりが続くと本当に変になる。
別にそういうものが体に悪いわけじゃない。
外食なら外食で、人が作ってる場合が多いから、必ずしも人の手を介していないとは言わない。
だけど、何かが確実に違う。
本当に少しの手間でいい。
それが自分で感じるレベルのものがないと、私の場合は体にくる。
だから、弁当を用意してもらえる方が断然楽は楽だけど、体は楽にならない。
それが分かっていたから、昼間はうどんを煮た。
うどんを食べて汗をかく、当たり前のことみたいだけれど、それが実はずっとできていなかった体の生理反応だったと気付く。
今回、具合が悪くなってからきちんと汗をかいていなかった。
だからいつまでも体の中に菌が滞在してるみたいな気もした。
他にも体が喜んだのはフレッシュな手作りスムージー。
母の昔からの知り合い(お互いまりちゃんさっちゃんなどと呼び合う仲)の人が木曜の夕方手作りの摘んだばかりのいちごを届けに来てくれた。
傷んでだめになりそうだったから、それと冷凍バナナと牛乳でミキサーにかけてスムージーを作った。
これまで冷凍いちごでしか作ったことなかったけれど、生のいちごで作るスムージーはびっくりするぐらいに新鮮で美味しかった!
こういうのも体が弱ってる時は美味しいんだなとわかった。
多分そろそろ終わる。
無理はしないけど、そろそろ快方に向かってる雰囲気を感じる。
あのわけのわからないダルさがだいぶ薄れた。
書いていて思った。
私が他人の咳一つであんなにもびびったのは、多分自分のこういう体質があったからじゃないかと思う。
風邪の症状が出る時、私はいつもさりげなくごはんにだけは気を使う。
塩を喉に巻いたり、水分をこまめに摂ったり、場合によっては薬も服用するけれど、多分一番はごはんだと思う。
おかゆでも雑炊でも、なんならお茶漬けの素を使ったお茶漬けでもいい。
ちょっとした手間の入ったものがないと、既製品だけでは体が弱るばかりで良くなっていかない。
記憶がないけれど、多分途中から仕事そっちのけでのど飴のことだけを考えてた時間、恐らくそこも頭の中にあったんじゃないかと思う。
栄養というより、人の手から作られたものを口にしてる感じがあまり想像できなくて、だから体の不調のサインを見て、色んな意味で大丈夫かな…と思ったんじゃないかと思う。
最後の方、疲れが重なったのかなんなのか、具合悪そうにしてたのも見た。
机の上に風邪薬と思しき黄色い箱がのっていたのも見た。
色々気付いても何もできることはなかった。
できることは黙って何もしないことだというのがわかったから。
もし何かをしたらもっと負担にしかならないとわかった後だったから、だから黙って見てるしかなかった。
代わりに私はある時から始めた墓参りで、その人の健康も一緒にお願いした。
そんなことして何になるのかはわからなくても、他にできることがない以上、あとは神頼み的な、祈りを捧げるぐらいしかなかった。
いなくなった後もそのままそれは習慣として残って、今も墓参りの時は同じように同じことを祈る。
究極のところ、その人が元気だったらいい。
だから、それを祈る。
祈って何になるかなんて突っ込まれたら元も子もないけれど、それでも祈りたい限りはそうしようと思う。
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