この間、過去の家計簿的なノート(家計簿とは違って、何が自分の手元にやって来たのかをひたすらメモするノート)を見て、ペンジュラムを買った時のレシートを発見。
2016年5月17日。
値段は税込1,000円也!
元どころかそれの何十倍もの働き方をしてくれて、ペンジュラムには頭が上がらない。
こんなに酷使されるとはペンジュラムは知ってたんだろうか。
(今聞いたら、知ってたらしい驚!)
私を持ち主として選んでくれてありがとう、という気持ちでいっぱい。
本気の引きこもり的な生活に入って2週間?3週間?。
驚いた。
妹たちがいなくなってからまだ1週間だ!
だからこの今のパターンになって1週間。
そんな中、ペンジュラムが2、3日前からまた1つバージョンアップした。
最初手元にペンジュラムがやって来た時は、YES(時計回り)とNO(縦揺れ)しかなかった。
この2つで十分だったし、お店にあった説明にも「YESとNOを聞く」という指示しかなかったから、それが普通だと思ってた。
去年の12月に入ったか入らないかの頃、朝の通勤中にペンジュラムは新しい動きを見せた。
時計の反対回りに回った。
それは何十回、もしかしたら100回以上聞いた質問だったから、すぐに意味の見当がついた。
多分単なるNOじゃなくてスーパーNOだと。
ペンジュラムに聞いたらそうだと出た。
それはある日突然のことでとても驚いたけれど、その後からスーパーNOの動きは定着した。
あれから約半年、普通のNOよりスーパーNOの方が増えたと思う。
普通のNOは、単純にわかりきってることや、まぁNOでも私が困らないことみたいな感じ。
例えば、「私は◯◯(←妹の名前)ですか?」みたいなことを聞くと、普通にNO。
今さらだけど、同じ質問をずっと続けてするのは大切だと気付いた。
私の場合は、NOの動きは妹の名前で確認するのがこの2年の鉄板の習慣だった。
おかげでいつも同じ動き方=「単なるNOは縦揺れ」ということが確認できたから、スーパーNOの動きがNOとは違うとわかる。
ペンジュラムの動きを確認するためには、同じ質問で絶対に答えが変わらないものを常に聞くのは大事なステップだったんだと今さら気付く。
反対にスーパーNOは、真実と絶対に違うという意味だったり、今動いてはいけないから私をストップさせるためだったり、まぁ色んなパターンがある。
だからスーパーNOの動きが出ると「これ絶対的なNOなんだ」とか「今違うんだ」とか「これダメなんだ」というのがわかる。
その理由はその時はわからなくても、後々にわかる。
冬の大寒波あたりからかな?覚えてないけれど、わざとペンジュラムはYESを出して、実は真逆だったことが時々ある。
ペンジュラムがYESと出たから実際にお店に行ったりしてみると、ものがなかったり、全然見当違いのところに着くこともあった。
最初こそ戸惑ったけれど、それが時間稼ぎでタイミングを合わせるために起こってることや、止むにやまれない事情でそこに行く必要があったことがわかったから、今では納得できなくてももうそのように解釈している。
ペンジュラムが指し示すところに行って初めて予定もしてなかった情報を手にするなんてこともかなり増えた。
その時はわからなくても、ペンジュラムは人間の私とは違う視点で私にとっての最善を示してくれる。
そう思っていつもペンジュラムの答えを眺めている(いや、渦中は、「えー!なんで⁉︎なんでそれなの⁉︎」と悪態ついてる…汗)。
そんな風にして、ペンジュラムと二人三脚、息を合わせて私のベストとなることを探り探り共に歩んできた。
そこに加えて2、3日前から、また新たな動きが出てきた。
今回は質問がものすごく私情を挟んだもので、それこそ毎日聞いてる質問ではあったけれど、私情がくっついているからその新しい動きを見てものすごく不安になった。
新しい動きはこんな風だ。
まずは左右に横揺れ、言葉通り最初左側に動いてから右側へ、また左に戻って右へと、とにかく左右にしばらく横揺れする。
平均して数回横揺れをした後、今度はペンジュラムは通常のYESの時計回りに動きを変える。
最初見た時、「何これ?」と思った。
「ガクブル」というブログ用語みたいなのがあるけれど←ずっと使ってみたかった、本当にガクブルガクブルの世界だった。
(ガクガク、ブルブルを足してガクブルだと思う。)
最初はたまたまかもしれない…と考えて、もう一度と言わず何度もその同じ質問で聞いてみた。
やっぱり数回の横揺れの後時計回りのYESに変わる。
とりあえずペンジュラムに聞いた方が早いと思って、まずはその動きが「YES」で合ってるかを聞いた。
これはYESで合ってた。
安心した。
だけど、どういう意味なのかはわからない。
最初あれこれ聞いたけれど、どれもNOが出て、混乱した。
例えば「YESはYESでも、迷いに迷ってのYES?」とか。
「YESだけど、やっと心に決めたYES?」とか。
「もしくはYESでもNOでもないってこと⁉︎」とか。
何せその動きを見せた時の質問が悪いというか、ものすごい私情を挟んでたから、信憑性のほどがわからなかった。
これが私の私情を挟まないものなら判断もつきやすかったけれど、自分の情が絡んでいて、しかも情の中でも一番情に偏ったものだから、判断が難しかった。
要は、NOが出てきて欲しくないという気持ちが強いから、YESはYESでもスッキリしない内容だった。
で、今のところわかったのは「スーパーYES」だということ。
たまに横揺れが異常に長いものがあるけれど、それはペンジュラムいわく、「スーパーYESの中でも超スーパーYES」という意味らしい。
みんなに聞かれることの1つに、私がペンジュラムの動きを操作してるのか?ということがある。
私は一切操作できない。
ペンジュラムが勝手にひとりで動く。
私の意思も全く関係ないし、反対に無理矢理ペンジュラムを動かしたとしても、そうすると途中でペンジュラムの動きが止まる。
最初に見た日、スーパーYESかどうかを聞かなかったのには訳がある。
基本的にスーパーYES的な動きは1つあって、それでこれまで長いこと判断をしていた。
それまでのYESとスーパーYESの違いは、YESの時の回り具合で判断してた。
普通のYESなら普通に回る。
弱めのYESなら弱めに。
反対にスーパーYESの時はものすごい勢いでグルグル回る。
回り方に強弱があるから、それは私から見るとわかるから、そうやって判断してた。
その辺りの回り具合は今も変わらない。
だけど、この度出てきたスーパーYESは、本物のスーパーYESらしい、ペンジュラムいわく。
あの後から質問を変えて聞いてみた。
今のところわかったのは、相当な強い意志を伴ったものでないとスーパーYESにならない。
「私は武士俣史子です」とか「この内容でブログアップします」とか、そんな程度では単なるYESでスーパーYESは出ない。
さすがに全部は聞かないけれど、内容が微妙だったり際どいことは、ペンジュラムにアップして大丈夫かどうかは聞く。
本当は今回のスーパーYESの動きを見せた質問をこのブログに書こうかと思ったけれど(そっちの方が私が話しやすかったから)、それはスーパーNOが出たから止めた。
なんとなく、質問は出せないなと思ったら案の定だった。
その質問を話してもいい人は1人しかいないし、その人以外には一切伝える必要がないことも分かりきってるから、だからペンジュラムはブログにアップすることに対してスーパーNOを出してきたと思う。
とにかくまだスーパーYESは検証中だから、これからまたさらに理解を深めていく。
1つだけ今わかっていることがある。
スーパーNOが出た時の最初の質問と、今回のスーパーYESが出た時の最初の質問には共通することが1つある。
その共通点に関する質問で、どちらも新しい動きが始まったから、その共通するポイントが大切なヒントなんだと思う。
確かにその共通点のものは、単に名前を聞いてYESNOを確認するとか、特定の場所に行くとか行かないとか、そんな軽い内容じゃない。
言うなれば、そのことにより私の人生の出来事が大きく変わったから、それだけの影響力のものだということが根底にあるから、だからスーパーNOもスーパーYESも出現したんだと思う。
私にはさっぱりわからないけれど、なんとなく私側の準備が整うと、ペンジュラムもそろそろいいだろうと判断して新技を見せてくれる気がする。
ペンジュラムから見てどんな判断基準なのかはわからないけれど、私の方で受け入れられる、さらにはきちんと自分の中で分析したり落とし込んだりすることができる、とわかると次行くよ!と言わんばかりに新しい動きが生まれる感じがする。
もし最初にスーパーNOもスーパーYESも出てしまったら、私はただただ混乱したばかりだし、「ペンジュラムってよくわかんないな〜」と私のことだから思いかねない。
2年、本当に感慨深い。
最初の頃、店頭で聞いた質問を2つ覚えてる。
私、地元に戻って大丈夫?って。
アパートも解約の手続きして、荷物も徐々に手放し初めて、もう住めなくなる状況がわかってたにも関わらず、往生際悪くいつまでも「本当に帰るの?」と思ってた。
表面的な手続きとかは進んでも、心は定まり切らなかった。
そんな時に、ペンジュラムが「大丈夫!」と言わんばかりにYESにきれいに回ったのを見て、初めて、とにかく新潟に戻ると決めてから初めて少しだけ安心できた。
何回聞いてもペンジュラムはYESに回った。
もう1つの質問は、どのペンジュラムが私と家に一緒に帰るかだった。
見た目に大差はなくて、私にはこれがピンとくるというのも正直なかった。
その中のどれかが来てくれるなら、どれでも良かった。
だけど、今手元にあるペンジュラム以外はみんなNOだった。
まるで最初から私が持ち主だよと言わんばかりに、1つのペンジュラムしか帰るに対してYESと言わなかった。
まさか2年もすると、こんなにも色んな景色を見せてくれるだなんて、当時は想像さえできなかった。
もっと軽い気持ちで考えてたし、遊び心もたくさんあったから、今いる世界に自分が身を置くなんて、正直思っていなかった。
ペンジュラムはこの2年間、本当に私のお守りで守護神じゃないけれど私を全力で護ってくれるものだった。
本気で色々心細かった時に、いつもそばにいてくれた。
迷子になれば家までの道を教える。
自分の決断に自信がなければ背中を押してくれる。
大切なものに繋がっていけるよう、その場所をそっと教えてくれる。
物事のタイミングもピンポイントでこの時だよと伝えてくれる。
ペンジュラムが伝えてくれた色んなことは、私1人では到底到達できないものばかりだった。
昨日の夜、この時を何と表現しようかと考えた。
「誕生日」では少しおかしい。
だってペンジュラムの誕生日は絶対に今日じゃないから。
出逢い記念日とか?
なんかダサい。
色々言葉を並べて決めたのが
Second Anniversary
だった。
セカンド・アニバーサリー、うん、響きが良い!
ということで、今日はそのお祝いでケーキを食べてくる。
来年はそうなると
Third Anniversary
になる。
サード・アニバーサリーは響きが好きじゃないから、名前は変えようと思う。
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