2018年5月16日水曜日

本屋での人間観察

ホロスコープの本を書店で見るようになってから、時々そこで他のお客さんを見るようになった。

これは少し面白い現象で、私個人の観察による発見を1つ紹介。

県民性の違いなのか、都市と田舎の違いなのか、名古屋と新潟では全く違うところがある。

名古屋にいた頃、ジュンク堂書店が1番のお気に入りでよく行ってた。

1番好きなジュンク堂はちょっと変わった造りで、地下1階が雑誌・漫画・小説・新書・実用書・絵本なんかのコーナーで、そして同じビルの7階には各種専門書だけを集めたコーナーになっていた。

間の階はロフトだの他の専門店だのが入った、ちょっとしたショッピングビルのような感じだった。

そこの精神世界のコーナーが1番充実してたのと、行くと毎回何かしらの閃きが湧きやすいのとで、私の中でそこはちょっとしたパワースポットだった。

ついでに言うと、ビジネス書もすごい充実してて、私はスピリチュアルとビジネスとそれぞれ別ジャンルの本なのに同じことを言ってることを見つけるのも好きで、それを見比べるのに絶好の配置の書店だったから、それも気に入ってた。

当時はホロスコープには全く興味がなかったけれど、スピリチュアル系の書籍の種類によってはなぜか占いコーナーに属するものがあって、それで占いコーナーには時折足を運んでた。

マニアックな内容なのに、精神世界ではなく占いコーナーに陳列されてるのが不思議だった。

ちなみに占い系は地下の方になる。

反対に精神世界系はもうガッツリ数メートルに渡る大きな棚1列分が7階の一部にあった。

コンビニの端から端ぐらいの長さはあったと思う。

で、新潟の片田舎と名古屋の大きな違い。

名古屋では精神世界コーナーは大きいのもあって、まず誰かしら必ずそのコーナーにいる。

これはそのお気に入りのジュンク堂に限らず、そこそこの規模の書店は皆共通してそうだった。

たまに20〜30代のイケメン風な人もいて、こんな人も読むんだと驚いたりもした。

今度は反対に地下の占いコーナーに行く。

そこで誰かとかち合うことはほぼほぼなかったと思う。

すぐ近くに体のマッサージだとか体に良い療法や食べ物なんかの本のコーナがあったから、それを見てる人たちはいても占いコーナーはほぼ毎回誰もいなかった。

新潟では、現象が反対になる。

精神世界コーナーはまずほとんど誰もいない。

私がそうだったからわかるけれど、怪しいコーナーゆえに大抵の人は避けるどころか、そのコーナーの存在すら知らないと思う。

逆に占いのコーナーに行くと、けっこうな確率で誰かしらいる。

みんな女性ばかりだけれどいる。

昨日なんかはすっごいキレイな30前後の女の子が超一生懸命に今年の運勢を立ち読みしてたから、思わず見とれてしまった。

もちろん声なんてかけないけれど、心の中では思ってしまう。

そんなに一生懸命読むなら、ホロスコープの解読の方が面白いよ、って。

私は細木数子が出してるような今年の運勢みたいなのは、疑ってるわけじゃないけれど、ちょっと首を傾げてしまうところがある。
(個人的に細木数子は好き。今はわからないけれど、テレビによく出てた頃は、あの人が放つ言葉の奥深さや優しさがすごく好きだった。)

この2、3年の話だと思うけれど。

いつかの年、私は数冊違う種類の来年の運勢を見た。

基本的にどれも自分の生年月日から割り出した数なり型なりを当てて、それで読んだ。

色んな流派があっていいと思うし、それぞれ専門があるからそれもそれで一定の敬意は持ってるつもりでいる。

けれど、何が信用できなかったかと言えば、流派によって全く違う運勢を言われるところだった。

私という1人の人間に対して、しかも生年月日はどの流派で読んでも私の生年月日だから同じなのに、言うことがてんで違う。

それを見ていて、良いことが書かれていても半信半疑だったし、悪いことが書かれていても「これは違う」と判断してた。

しかも手法の名前は全く覚えてないけれど、ある1つの方法は私と同じ年に生まれた人はみんな同じ型になっていた。

その365日みんなが一緒という考え方には、「無理がありすぎでしょ!」と思った。

だから、私はその見比べをしてから運勢を見なくなった。

それまでも雑誌で見る程度だったけれど、あの手の本は確実に何かが違うと私は思ってた。

そう思うと、ホロスコープに行き着いたのは、ある意味必然だったのかもしれない。

要は大勢の人たちに向けた運勢や性格じゃなくて、自分だけに特化した情報がずっと欲しかったから、そういう意味でホロスコープは完璧なツールになってる。

少し話は変わるけど、私が占いのおばちゃんにお金を払ってまで見てもらってたのは、私個人のことから読み取ってくれるから。

おばちゃんが使うのは私の生年月日と名前だけ。

名前はもしかしたら、調べる時に使ってないかもしれない。

しかもおばちゃんはものすごい勢いで過去も未来も当てた。

ちなみにおばちゃんもホロスコープのようなものを触ってると今は思う。

なぜなら、おばちゃんもホロスコープ鑑定の人と同じことを言ってたから。

私は前回12月に訪ねた時、またもやピンポイントで「今年の6月」と言って、その時の運勢がどうだったのかを見てもらった(実際は去年の6月)。

「あなたそこで仲間に会ってるわね、縁のある人と会ってるわね」
おばちゃんはそう言った。

私はその人は友達じゃなくて、出会った場所は職場だと言ったら、「それを、仲間って言うの。同じ仕事の人は仲間でしょ」と言われた。

度肝を抜かれた。

毎回あのDSみたいな機械は何をおばちゃん(正しくは80越えのおばあちゃん)に伝えるのか知らないけれど、本当にピンポイントで出来事を言い当ててくる。

でもそれについてはもう何をどう触れていいかもわからなくて、それ以上の質問はしなかった。

まぁとりあえず予定通りのことが起こったことだけはわかった。

「予定通り」という言い方をする理由がある。

おばちゃんは、過去にも恐ろしいほどにピンポイントで、何年何月に何があったということをその機械で特定して私にあれこれと言ってきた。

「あなた何年何月ぐらいに、これこれこういうことがなかった?」という具合に聞いてくる。

あまりの的中率に、しかも過去だけじゃなく未来も(未来は具体的な時期は言わないけど、起こってくる事象は予言のごとく言う)だから、私の中では「計画通り」と言わざるを得ない。

ちなみにその仲間と言われた人とのことをそれ以上聞かなかったのは、「それ以上何もないわよ」とおばちゃんの口から言われるのが怖かったから。

あのおばちゃんなら当ててくる。

過去に大当たりしたことは、私が絶対に起こらないと信じていて、おばちゃんがどんなに有能な占い師さんでもそれだけはないと本気で私は思った。

だけど、その2、3年後、おばちゃんが言ったことは現実に起こった。

嘘のような本当の話だった。

そして私はそのことが起こるその時まで、おばちゃんの予言めいた話を一度も信じたことがなかったし、そんなのあるわけないと決めつけてた。

そんなことが過去にあったから、だからおばちゃんが言う未来の予測は100%みたいな感じに見えるから、それで怖くて聞かなかった。

もう何もないならないで、自分の時間の経過の中で知るのがその時は良いと思ったから。

話が飛躍したけれど、純粋に個人の生年月日とかだけを見てそれを深く分析していく、その方法しか私は信じてないのかもしれない。

唯一星座占いだけは昔から信じていて、運勢云々よりも性格は本当に当たっていたから、それで信じてた。

さっき運勢は見ないと言ったけれど、石井ゆかりさんの著書だけは別で、『3年の星占い 2018ー2020 魚座』は買ったし読んだ。

これはホロスコープ鑑定を受ける2ヶ月ぐらい前に買った。

前回の3年分が1冊になった本も買った。

大まかな流れと個人の流れが妙に合致していて、それで読んだ。

しかも魚座だって1ヶ月ぐらいの流れがあるし、さらには年齢を含めたら膨大な数の人がいる。

だけど当たってるからすごい。

ちなみに2人の魚座友達も当たってると言って、同じ本を買ったよと教えてくれた(当たってるから、ぶっしーも見てみて!みたいな感じで連絡が来た)。

今考えたら、石井ゆかりさんもホロスコープを基準にして見てる方だ。

ホロスコープはその星座とその他の色んな要素を織り交ぜて読み込むから、私に本当に合ってるツールだと思う。

占いコーナーで人を見かける度に、しかも本気でガチで運勢的なものを読んでる人を見る度に、ホロスコープ良いですよと教えたくなる。

ああいうのを必死で読む心情は、想像するに、それ相応の重大な決心をしないといけないか、人生の転機的な位置にいると思う。

もしくは意味不明なことが続いたりして、これは何だろう?なんて思うんだと思う。

私は「意味不明」という言葉がけっこう好きで、このブログでもよく使うけど、その理由は2つあって。

本当に意味がわからなくて「意味不明」と言う時(←最近はこの方が多い)。

もう1つは、自分にとって大変だったりきついことを「意味不明」とわざと言うことで輪郭をぼやけさせる時とがある。

だから先に書いた意味不明の意味不明は、多分当人にとったら相当キツいものがやってきてると思う。

そういう時は何かにすがりたくなる。

だからみんな必死で読んでるんだろうなぁと思う。


これを読んでくれた方に最後少しだけ豆知識を!

今日5月16日に、天王星が牡羊座から牡牛座に移動した。

7年ぶりに。

これから2025年ぐらいまでが天王星牡牛座時代になるということで、時代に対応した自分作りのヒント。

自分にとっての正しいとか好きとか心地よいとか大切とかいう基準を大切にすること。

その際に、自分のペースを大事にすること。

あとは、自分の五感、触覚・視覚・聴覚・味覚・嗅覚が反応するもの、その自分の五感にとって気持ち良いものを選ぶこと。

その辺りが大切と色んなホロスコープの専門家たちが言ってた。

大切と言うより、その方法がこれからの時代を「生き抜く」ヒント、ぐらいな感じで紹介されてた。

詳しく知りたい方は「天王星牡牛座」で検索したら、多分あれこれ出てくると思います。

「多分」というのは、私はホロスコープの調べ物の途中で見つけてるから、実際にその言葉で検索してないからわからない…。

0 件のコメント:

コメントを投稿