2018年4月8日日曜日

文字で表現

2年前の日記より

2016年4月7日
・文字が読めるようになり、書けるようになり、そしてそれで表現できるようになった


本当は1年前の4月の自分を知りたくて日記をめくったら、飛び越して2年前の4月のページに辿り着いた。

他の項目も見ていると、自分が人生で到達したことや、自分が今できてることなんかを書いてる。

今の私はもちろん字が読めて書ける。

それが当たり前の今だけど、私は小学校に上がってすぐは文字の読み書きがほとんどできなかった。

ひらがなを見てもそれがひらがなの何になって何と読むのかわからなかった。

保育園では全く集団になじめずよく1人で絵本を見ていたけれど(多分シンデレラ)、私は字が読めなかったからひたすら絵だけを見て勝手にストーリーを作り上げていた。

1年生の頃、周りの子どもたちがみんな先生の言うことがわかってその通りに動いてる様を見て、みんなが大人びて見えた。

私は先生の指示してる言葉の意味すらわからず、いつも周りを見ては何をしないといけないのか探っていた。

図工で大きな画用紙に絵を描く時も、私は小さなメモ用紙に書くように絵を描いていて、先生から何度も注意を受けた。

もっと大きくと言われ、消しては本当に1cmほど大きく描き直すだけで、だからサイズはほとんど変わらず、それでまた注意を受けるの繰り返しだった。

業を煮やした先生は、とうとうドラえもんの出木杉くんみたいな男の子を呼んで、その子に私の絵の輪郭を代わりに描かせた。

その子が画用紙いっぱいに下書きを描いてくれて、それでようやく先生の言ってたことと本当にすることの両方が結びついた。

私はその絵がどんなだったか今でも覚えている。

グラウンドにタイヤを埋めた跳び箱のような遊具があった。

運動音痴の私は跳べないくせして、まるでそれを悠々と跳んでる姿を画用紙に描いた。

正しくはゆうじくんがそれを描いてその上に私はもう少しだけ足して描いた。

先生はその絵の経過を忘れたのか知らないけれど、いつの間にか先生はそれを絵のコンクールに出品していて、後日入賞した絵の賞状を私は渡された。

全く喜べないどころか、自分が描いてない絵が賞を取って、子どもながらに微妙な気持ちになった。

そんな私が文字の読み書きができて表現できるようになったのは、すごいことだった。

子どもの私には、将来の自分は文字を自由自在に操って表現するなんて想像さえつかなかった。

冒頭の日記を読んで、真っ先に思い出したことは、去年の秋に書いた長い手紙だった。

もしかしたら手紙はさっさと捨てられたかもしれない。

もうこの世の中に形として存在さえしてないかもしれない。

そうだったとしても不思議じゃない。

今現在の手紙の状態はどうであれ、あそこには私の言葉が連なった。

文字を使って表現した。

ちょっとでもいいから、何かしら伝わって欲しくて書いた。

上手く言葉にはできなかったそのままを言葉にした。

たくさん書いたけれど、決して上手い表現でも伝わる表現でもなかった。

あぁでも私はとにかく表現したんだなと思った。

拙い言葉や何言ってるのかよくわからない言葉を並べて表現した。

それを思い出したら、2年前の日記の言葉に重みが増した。

・文字が読めるようになり、書けるようになり、そしてそれで表現できるようになった

それは人生の中でも手にすることができてとても嬉しい能力だと思ってる。

伝える手段は色々ある。

その中でも言葉で伝えることは、人と人とが何かを知り合うのにとっておきの手段だと思う。

言葉がなかったら伝わらない。

言葉を発してもすべてが伝わるわけではないけれど、もしかしたらそのうちの5%ぐらいしか伝わってないのかもしれないけれど、それでも人に何かを伝えたい時にそれを可能にしてくれる。

自分の中にしかないものを、文字を使って言葉を紡いで、そしてそれをバトンのように他の誰かに渡す。

下手くそでも何でもいいから、文字で表現できるようになった先には、自分の世界に現れた渡す相手がいる。

表現できることは私の中で人生の勲章みたいなところがある。

そしてその言葉の紡ぎ先に誰かがいるのって、すごい奇跡だ。

あの秋の日の手紙は、生涯を通じて最初で最後の手紙だと思う。

これから先も色んな手紙を書く機会は訪れると思う。

それまでも色んな手紙を書いた。

この間仕事を辞めた時も書いた。

でもあんなにも何かを言葉で必死に訴える手紙もない。

命を懸けて書いていた。

書かずにはいられなかった手紙だった。

・文字が読めるようになり、書けるようになり、そしてそれで表現できるようになった

この続きはこうなる。

・そして大切だと感じた人に文字を通して大切なものを伝えた

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