大学時代の友達リカの紹介でイシダくんに会えることになったのは、27歳の時だった。
リカとは1冊の教科書が縁をもたらした。
大学3年の頃、1年だけ違う大学で学べてそのまま単位も元の在籍していた大学に単位も移行できるというプログラムに応募して、それで実際にアメリカの南部の大学に通っていた。
色んなところに住んだけれど、人生の中で一番肌に合わない・しっくりこない土地柄だった。
しかも私の行動範囲も極端に狭く、覚えているのは歩くと端から端までは30分以上は普通にかかる広大な敷地のキャンパスと、超大型のWAL☆MAARTくらい。
他にその町の風景が全く記憶にないという、人生の中でもかなり特殊な記憶の残り方をしている町だったりする。
元いた大学の私のお世話係の教授から、1教科だけ好きな教科を受けていいよと言われたのか、それとも外国語の分野でもう1つ単位が必要だから取るように言われたのか忘れたけれど、私は秋学期に中国語を選んで取った。
漢字があるから英語で他の言語を学ぶ中では一番楽だろうと思ったらとんでもなく、発音がそもそも難しく、文法も難解を極め、私は最後まで要領を得ずに中国語講座は終わった。
春学期になり使わなくなった中国語のテキストを、秋学期の教授のクラスに行き売りに行った(アメリカではそれをしてもおかしくない習慣だった)。
それを買ってくれたのがリカで、それでリカとは繋がった。
本当にたった1冊の教科書がその後こんなに長く繋がることになるとは思ってもみなかった。
日本に帰ってきてからもリカとは何回か再会した。
ある時、リカがイシダくんの話をしてくれた。
自分の大学時代の友達で、霊感が強く視える人がいるという話だった。
単純に興味関心が強かった私は、そのイシダくんに会ってみたい!とリカに言い、リカも実際に何人かの友達とイシダくんを引き合わせたこともあり、2つ返事でいいよと言ってくれた。
そして本当にその場がセッティングされ、東京でリカとイシダくんと3人で会ったのだった。
霊感が強くて何かが視えるという人に会ったのは、イシダくんが初めてだった。
色んなことを教えてくれたけれど、私の中で残っている話は3つ。
そしてその3つは本当にその通りだと今でも思っている。
ちなみにイシダくんは、そういう霊感的な力を仕事としてやっていくことは全く考えておらず、日本でサラリーマンしてますと言っていた。
スーツの着方が、大学教授とかにありがちな個性的なスーツ、言葉を換えればいまいちセンスを感じられない、というよりそのスーツどこで売ってるの!?というような一風変わったスーツを着てたのが印象的だった。
20代の若者とは思えない、髪型や容姿にあまり頓着しないタイプで、今の年齢の私ならそのイシダくんの良さをもっともっと好きになると思うけれど、当時は異性としてさえ捉えていなかった(←とても失礼)。
イシダくんの場合、お母さんが本物の霊能者で自分も遺伝的な感じでそういう力が子どもの頃からあったということだった。
リカが私に紹介してくれたみたいに、色んな人がイシダくんの元を訪れるらしいけれど、本当にやばいと思うとお母さんに繋げると言っていた。
自分の手には負えない人というのがイシダくんの中にあって、そうすると本当にそれを生業にしているお母さんを紹介し、その人の人生が少しでも良くなるようにという感じでお母さんが何か色々なことをするらしかった。
何せその時がそういう人に会ったのは初めてだったから、何を質問していいのかもわからず、リカは「みんなはこういうことをよく聞くで」と関西弁を普通に披露しながら私に説明してくれたのだった。
守護霊に関してはみんながよく聞くらしく、私も聞いてみた。
「フミコさんの守護霊は山ですね」
私はどういう答えが他にあるのか知らないからそう言われても「そうなんですね」と答えたけど、リカの方がむしろ「そんな山とかそういう自然のものが守護霊なんてことあるん?」と聞いていた。
イシダくんは「フミコさんの後ろに山が視えるから、そういうこともあるんでしょうね」と普通に答えていた。
リカいわく、これまでの人たちは先祖だったり何かしら人間の形をした守護霊的なものしかイシダくんの口からは聞いたことないようだった。
だから私の守護霊が山と聞いて、とにかくビックリしたと言われた。
その時はふ~ん位にしか聞いていなかったけれど、これは本当に当たっていると思う。
これは名古屋にいた時に初めて気付いたことだった。
名古屋市内には山はない。
そしてその前に住んだドミニカ共和国の首都にも山はない。
だけど私は必ずどういうところに住んでも山が見える景色の場所と縁があるようになっている。
生まれた土地は丸っと山の中にあるようなものだし、その後大学で住んだ町もかの有名なロッキー山脈のふもとの町だったし(これが山脈の一部かと思うと、とてもしょぼい山だった)、他にも縁あって行った土地はすべて山があった。
名古屋の時もドミニカの時もそうだったけれど、私はある会社や組織に所属はするものの普段の仕事する場所は本社ではなく別のところという具合で、その普段行くところが山の中にあったり山が見える風景を通って行ったりするようになっていた。
リカと知り合ったその大学の町だけが唯一例外中の例外で、私が最後までその町に愛着を持てなかったのももしかしたら山がないことが関係しているかもだし、そして何よりも私は当時人生で一番具合が悪くなった風邪なのか喘息なのか、変な病気のようなものにかかった。
医者にもかかったけれど薬を処方されて終わり、でも後にも先にも1日中寝ている時さえも咳が止まらず、それが3週間以上も続くという、本当に変な症状に見舞われた。
そんなことを思い出しながらも、イシダくんが「山が守護霊」と言ったのは妙に納得した。
イシダくんが伝えてくれた私の性格の1つに「物欲がとにかくない人。100人いたら100番目の人ですよ、物欲の強い順に並んだら」というものだった。
当時もなんとなくそうかもしれないと思ったけれど、今もだいぶそうだと思っている。
普通の女子たちがあれこれ集めたり買ったりするものに私は若い頃から興味がなかった。
気になるものがあると買う癖はあったけれど、物がなければないなりに生活できるし、それを不自由だとか物足りないとか思ったことがない。
流行にも無頓着だから、基本的に物は壊れるまで使い続けるし、携帯もそもそも操作を覚えるのが苦手ということもあって今も同じiphoneを4年近く使っている。
それで事足りてるから、私一人だけ流行遅れなところがある。
むしろ私が心惹かれるのは、世界に1つしかないもの。
だから今私の手元にあるものたちの大半は、他に同じものが世の中には1つもないとか、あったとしてもものすごく数が限られているとか、そういうものたちだ。
私に向けられたメッセージの書
私に描かれたメッセージの絵
引退後工場を工房にして絵を描くファンキーなおじいちゃんから10年以上前に買った絵
ドミニカ共和国で出逢った陶芸家の外国人美人女性の作品
ドミニカに行く前に前職でお世話になった大先輩からいただいた書
ドミニカに行く前に前職でお世話になった大先輩からいただいた書
(順不同・詳細の説明は後日)
ドミニカ共和国でしか採れないラリマールと呼ばれる水色の石とブルーアンバーという黄金色の石
夏に北九州で引いたおみくじ
1000年杉で作られたお守りみたいなの
オルゴナイト
ペンジュラム
ティンシャ
妹夫婦経由でやってきた義弟のお兄ちゃん夫婦がデザインしたコースター
最後のイシダくんの予言は、当時絶対に受け入れられなかった。
嘘だと思った。
そんなわけないと思った。
だけど本当にその通りになった。
イシダくんは当時付き合ってた人とは別れると断言に近い形で言った。
リカが後から
「今のフミコの話を聞いてる限りうちもその人と一緒になって欲しいと思ってんねん。
そういう人なかなかおらんで。
だけど、どういうわけかイシダくんのそういう予言は百発百中で、別れると言われた人たちは色んな事情で結局は別れちゃったし、反対に結婚すると言われた人たちはどんな事情があっても本当に結婚してんねん。
イシダくんには何が見えてんのやろね」
と言われたこともよく覚えている。
そしてその予言は予言じゃなく現実になった。
唯一違うとすれば、別れてからもストーリーがあるということだった。
あれから10年以上経つけれど、私はその現実にようやくなじんだし、今はその予言が悲しいとは思っていない。
人生に色んな人たちが登場してくるけれど、「救世主」のような存在はそうそう現れない。
その人は、恋も愛もたくさん伝えてくれたけれど、それ以上に救世主だった。
私の人生に本当に光をもたらしてくれた人で、私はその人なしでは今の自分にはなれなかったと思う。
話がそれたけれど、イシダくんと会ったのはそれ一度きりだった。
一度きりの出会いにも関わらず、イシダくんの話はとても印象に残っている。
『カメハメハの夜』を書いた時からイシダくんのことはずっと頭にあった。
いつか文章にしてイシダくんを文章の中に登場させたいという願望も、そのずっと前からあった。
そうしたら今回イシダくんの伝えてくれたことと同じようなことを別の人からも伝えられた。
それは嬉しい偶然でもあり、自分をより知っていくためのヒントにもなっている。
そしてその嬉しい偶然がスイッチとなって、この文章に繋がっている。
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