ようやく待ちに待った2月4日を迎えることになる。
その日どんなことが起こるのかは想像がつかない。
だけど、間違いなく長い人生の中での大きなターニングポイントになる。
それはもう約束されたことだったんだと思う。
もちろんその日予約をしてそれである人に会ってくるのは間違いない。
そういう約束じゃなくて、今世であなたに会いますよということを約束した人だと思う。
まだまだ序の口の名古屋メモリーズは、これからもっと色々と書き足していく。
22歳の夜に体験した実写版カメハメハにはまだ続きがあって、それもいつかのタイミングで書いていくだろうなぁと思っている。
カメハメハの夜の日から確実にこの2018年の2月4日に向かって物事が動いていたと思う。
2月4日を過ぎたところで、別にいきなり大きく人生が変わるわけじゃない。
でも、これまで、少なくともこれを書いている2月1日時点では知らないことが、2月4日になったら全て明かされる。
そしてそこを見たら、今と全く同じ気持ちで生きているというのは少し想像しにくい。
もしかしたら何も変わらなかったよ自分は、となるかもしれない。
もちろんそういう自分もそのまま2月4日以降も引き継がれると思う。
でも今とは違う自分の側面も確実に引き出されると思う。
そういう流れになるように物事は水面下で動いていたし、それらを全部引き受ける覚悟みたいなのも少しずつ生まれている。
先のことがどうなるかなんて自分でも全くわからない。
だけど少しずつ少しずつ自分の中での意思みたいなのが固まりつつある。
自分がどんな風に生きていたいのか、そういうことのピースを1つまた1つと集めて今に至っている。
私はこのブログを自分の足あと帳のようにして今は使っている。
この秋から冬にかけて私はこのブログに書いた全部の文章を読み返した。
350近くあったんじゃないかと思う。
そして読み返して良かった。
いつの時の自分もその時の自分でしか書けないようになっていた。
例えば5年前の2013年2月1日に戻って何かを書こうと思っても書けない。
そもそも私なんかはその時何をしていたのか自分の履歴書でも見ないとさっとは思い出せない。
何をしててもいいけれど、その時のリアルな気持ちはやっぱりその時にしかわからないようになっている。
それは今も同じで、beforeに該当する今時分は、今の自分にしか書けない。
だからとりあえず今思っていることをこうして書いている。
秋にこのブログを再開させて本当に良かった。
ブログを再開した理由はたった1つ。
今の自分を残すためじゃなく、届けたいメッセージがあったから。
限りなくゼロに近い可能性のものに私はかけて、一生届かないかもしれないようなメッセージを書こうと決めた。
今は届かなくてもそれでも書く自分がいる。
実際のところ、本当に届いているのかどうかなんて神のみぞ知るのような領域だから、そこを何とかすることはできない。
だけどせめて、そうせめて、届く届かないについて私ができることは何もないけれど、届けるためのメッセージを書く、そこまでなら私もできる。
誰をわずらわせることなくできる。
ふと我に返った時、そんなこと起こるわけないと思う。
でも絶対に起こらないとは言い切れない。
その絶対ではないけれど限りなくゼロに近いものに私はかけてみた。
そして今もかけている。
窓の外を見ると、コンテーナーは雪に覆われている。
日に日に水色よりも白の面積の方が増えていく。
空の色も地面の色もコンテーナーの色も数ヶ月前とは大きく異なる。
あの夏の日、私の目に見えていたものは、本当に大切なものだけだったんだと思う。
とても鮮やかな黄色いスニーカーしか覚えていないと言っても過言ではない。
たくさん人はいたのに、私は他の人の履き物の記憶が一切ない。
だけど黄色いスニーカーは、単に目立つから記憶に残っていると思っていたけれど、今思うとそうじゃない。
もっとこう脳裏に焼き付くようにその足元が頭全体に残っている。
しかもその黄色いスニーカーを目に留めたのは1回じゃない。
多分無意識に私はその黄色を『ウオーリーを探せ』のように探していたような気がする。
今書きながら、目で追うようにして探していた当時の自分を思い出した。
当時は無意識すぎて全然気付いていなかったけれど、私は黄色いスニーカーがある場面をいくつも覚えている。
ということは目に留めたのは少なくとも1回じゃないし、そしてそれは探さないと見えないものだった=目で探してたということになる。
before
& afterに関係なさそうなのに、そこがぱっと思い浮かぶんだから、それは相も変わらず大切なままだということ。
コンテーナーとスニーカーの話はただしたわけじゃない。
私は自分が過去に書いている全部の文章に共通しているたった1つのことがこのコンテーナーとスニーカーにも言えると思っている。
私がその時々で書くものは、必ずその時の自分にとってとても強く印象に残っていること、色んな形で心動かされたことという共通項がある。
before
& afterの2月4日前と後で、そのコンテーナーとスニーカーのことはそうそう変わらないんじゃないかと思っている。
多分生涯を通じて、大切な今になるのか大切な思い出になるのかはわからないけれど、どちらの場合も「大切な」何かになるのはまちがいないと思う。
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