2016年4月15日金曜日

消えるものと続くもの

思い立って、家から1時間ほどかかるところにある図書館に向けて出発した。

いつも同じルートでは飽きて、ちょっと違うルートで行ってみたくなった。

思い出した。

本当は別のところに行こうとしていたけれどそれを取り止め、代替案での図書館だった。

でももう頭の中ではその最初の目的地のルートが描かれている。

それでその近くを通る感じで行けるルートはないのかと、iphoneのマップ機能を使って検索したん

だった。

それで別のルートでもそう距離数変わらずに行けるとわかり、そちらを採用した。

歩いている途中で気付いたのは、そこは以前の仕事の関係で何回か歩いたことある通りだった。

何年も前だし、そんなに何回も何回も通い詰めたわけではなかったから、記憶もおぼろげだった。

おぼろげではありつつも、大体この辺りのはず…というのは思い出せた。

思い出せたけど、当時の建物がない。

建物らしきものの前を通った時に、どうももうその事業所は閉めただろうことが判明した。

今は整体かマッサージの店舗に代わっていた。

いつ閉まったのかは知らない。

だけどあっという間(4年前?)に新設したと思ったら、あっという間になくなったようだ。

そのままさらに歩き続けたら、なんとまたなつかしい場所の近くだということがわかった。

そちらもついでに立ち寄ってみた。

場所は2階だったから絶対にばったり会うこともないし、すでに勤務時間で当時の関係者と顔を

合わせることもないだろうとわかり、その建物の前まで行った。

結果、そこも多分そこだったと思うとしか言えなかった。

窓に貼られていたものは当然撤去され、何もなくなっていた。

記憶があいまいで、たしかこのすぐ隣りがお菓子屋さんで…という具合にしか確認できなかった。

何の目印もない建物の空白状態を見ても、そういう状態で記憶にとどめているわけではないから、

本当にそれで合っているのかどうかは、周りの残っている建物を見て判断する他なかった。

とりあえず、おいしいと評判のラーメン屋さんとわたしが1人暮らしのわりかし初期の頃に購入した

白い湯呑みを売っているせともの屋さんは健在とわかりホッとした。

両方、小さな商店街、すたれたと言ってもいい商店街の中にあるにも関わらず、やっぱりきちんと

したことを積み重ねているから残るのだろうと思った。

まさかこの4年程の間で2つもの事業所が撤退したなどとは思わず唖然としたけれど、本来の

目的地へとさらに足を進めた。

まさかそこで5年前に出逢った個展と同じ作家さんの個展に今日偶然にも遭遇するとは。

しかも5年前とほぼほぼ同じような状況で再会した。

5年前も今日も、たった1枚の小さな官製はがき大の広告を見て知った個展だった。

畳1畳分を横長にした位の大きな掲示板のところにその広告は貼ってある。

掲示板の位置は5年前と今日とでは違っていたけれど、ハガキ大の大きさの広告は同じだった。

ただ最初まさか同じ作家さんの個展とは思わずに見ていて、そうしたらよく目をこらしたら同じ作家

さんで、しかも今週いっぱい開催していると知った。

閉館20分前に急いで中に入り、ざざっと駆け足ですべての展示を見て読んだ。

一番最初を飾っていた作家さんの直筆のメッセージですでに泣きそうになった。

わたしが今欲しいヒントがそこにぽんと描かれていた。

そしてその後の作品にもたくさんたくさんヒントが描かれていた。

どうしてもすべての作品をもう一度見たくてたまらなかった。

なんだったらすべての作品を手元に置きたい程。

そうしたらそれらすべてが一体となった絵本が販売されていた。

何の迷いもなく即決でその本を購入した。

こんなにも数秒で買い物をしたのは久しぶりだった。

個展をあとにし、本来の目的地の図書館へ行ったらなんと閉館日だった。

あぁ今日は図書館ではなく、本当の目的はこの個展だったんだ、個展に呼ばれたんだと悟った。


わたしが今日最初に目にした2つの消えた事業所。

あれはやはり消えるべき運命にあったと思う。

当時から無理に無理を重ねたものだというのは、中にいたからよく知っていた。

がんばってもがんばっても追いつかなくて、でも会社はもっともっとと求めてくる。

中で働いている人たちは、わたし含め大半の人が疲弊していた。

当然その疲弊は営業成績にも表れる。

嘘みたいな本当の話だけど、わたしは途中から会社から許可を得て営業スタイルを変えて、

そして変えて楽をするようになったら営業成績が伸びて安定した。

多分これは本当に体験した人にしか通じない話だと思うけど、がんばったらがんばった分成績に

表れるのではないとはっきりとわかった。

成績を上げたければ、がんばらないことの方が大事だった。

がんばらず、気負わず、嫌なことを全て省いたら、ちなみに嫌なことの中には営業行為そのものも

含まれていたけれど、それすらもしなくなったら売上も契約率も上がった。

しかも表彰される位に上がった。

だけどわたしはがんばらないことが大事だと気付かされたけど、そんなのたまたまという程度に

しか会社や周りからは見られていなかったと思う。

わたしみたいなのははっきり言って特例で、他はすべて無理を強いられていたままだった。

変な話だけど、当時はわたしのところに何人かの人が、どうしたらそのわたしが手にした働き方を

手にできるか、要はどうやって会社と交渉するのかを聞いてきたりした。

それ位、一部の人たちも喉から手が出る程に欲しいものだったんだと思う。

ちなみにわたしは交渉したのではなく、ある日上の人からその働き方を提案された。

そりゃそうだろう、10回近くも退職届を出されては(苦笑)。

でもそんな現場の裏の声など聞き入れてもらえるような体制ではなく、気付けば現状は当時よりも

性質悪く、閉鎖となっていた。

しかも1か所じゃない、2か所も。

無理は続かないということの証拠を目の前で教えられているような気分だった。


そしてまさかの5年ぶりの再会の作家さんの個展。

基本のスタイルは変わらないにしても、メッセージはますます引き立っていた。

作家さんの魂から発せられるメッセージなんだと思う。

だから惹きつけられる。

そのメッセージ、絵にも詩にも嘘は一切含まれない。

その方の中から生まれたものをそのまま表現しているだけ。

ただただ表現しているだけだけど、それが生きることすべての真実に繋がるようなものだから、

心の奥深くで自分も納得し、その絵や詩が染み渡る。

今回の個展の絵本の後ろに、作家さんの略歴が載っていた。

初めてその方がどういう方なのか、薄ぼんやりと知った。

素敵だなぁと思ったのは、世間的な賞賛部分を省いていたこと。

唯一知っている賞賛部分というのが、その作家さんの活動がNHKでドキュメンタリーとして取り

上げられたこと。

でもそこには一言も触れていなかった。

自分のしている活動のみを淡々と箇条書きにしていた。

しかも絵本も通常の絵本というよりかは、冊子のような形式に近い。

でもでも立派な絵本だ。

そしてわたしはどんな時も死ぬまで持ち歩く1冊になることはすぐにわかった。

それ位、どんなに年を重ねて経験を重ねたとしても、ずっとずっと残る、何か大切なことを伝えて

くれるものだと直観でわかったから。

結局のところ、続くものってそういうものなんだと思う。

がんばり続けることは決して悪くはない。

だけど、自分に無理があるがんばりは絶対に続かない。

反対に、無理が一切なく自然に湧き上がるものは、放っておいても勝手に動く。

勝手に動くから、意図的に止めない限り止まらない=続く。


消えるものと続くものをこうも間近にしかもたかが1時間位の時間の中で次々に見るとは思わず、

何とも言えない気持ちの今に至る。

ちなみにその個展会場をあとにした直後、目に飛び込んできたドラゴンズの大きなポスター。

「前進、あるのみ。」

人生はいくら立ち止まってみても前進するしか手立てはなく、なんだったら立ち止まっている間も

時は進み続ける。

今自分に問われている。

どうやって進みたいのか。

もうがんばり続けること、要は自分に負荷をかけて無理ながんばりを続けることは無理だと、

認めたくないけれどそれが本当の現実になってしまった以上受け入れる他ない。

意図的に止まらない限り止まれない位、何か自分の中にあるもの、それを少しずつ汲み上げて

要は自分の心の奥からひっそりと聞こえる声に傾けて前に進む時期に来ているのだろう。

色んな意味で混沌としているけれど、ヒントはこうやってもたらされる。

色々怖すぎて決断できずズルズルしているけれど、いつかは決断することになるし、動くことに

なる。

今はその直前で、はっきり言って「怖い」の一言に尽きる。

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