少し前、テレビのコメンテーターなのか何なのか、誰かの経歴詐称がニュースになった。
テレビを見ないからその人物がどんな人なのかはわからないけれど、本人もさぞかし心苦しいまま
その時を迎えたのではないかと想像している。
実はわたしも二度ほど経歴詐称をしたことがある。
自分の名誉のために言うと、自ら詐称したのではない。
最初は、第三者によって詐称され、そこで面倒がなくその方がスムーズとわかって二度目は担当
の人に最初の時のようにしてもらえるとありがたいと自らお願いしたのだった。
ちなみに詐称したのはどの部分かと言うと、期間を詐称した。
どうしてこんなことになったのかと言えば、こうだった。
派遣の企業見学という名の面接に出向いた時、その直前に派遣会社の人と打ち合わせをする。
その打ち合わせの時に、相手企業に見せるわたしの職務経歴書も渡される。
そこでその期間詐称が発覚したのだった。
ちなみに、その職務経歴書は派遣会社側が作成する。
当たり前だけど、わたしは自分の経歴についてはそのまま申告する。
それを偽っても仕方ないし、偽るなんていう発想自体がない。
期間詐称になったのは、おそらく派遣会社側の判断で、経歴の見た目を良くするためにと思って、
そのようになったのだと思う。
正直に、「実際と期間が違っていて、わたしとしてはありがたい限りですがいいんですか?」と、
担当者に聞いた。
担当者の女性は大丈夫よ位な感じで応えていた。
期間について補足すると、もうどこに行っても大体わたしの経歴書は期間の部分を指摘される。
そういう公の場でなければ個人的に大真面目に質問したいといつも思うけれど、そういうことを
指摘してくる人たちに
「人生の中で、ぽかんと空白の時間があるのはおかしなことですか?」
と聞いてみたい。
本当に細かい人だと、少しでも空白があるとそこを容赦なく突っ込んでくる。
やましいことなどないので、当たり障りないことを応える。
当然当たり障りないことしか言わないから、それを聞いて相手もほっとする。
なんじゃそりゃ!?と思う。
とまぁそんな具合だから、その空白の期間がなかったことにしてくれた派遣会社の配慮は、ある
意味ものすごくありがたかった。
嘘は嘘になる。
だけど、そんな細かなことを気にする頭のとんちんかんな人たちを相手にするには、その位の策が
必要なのかもしれない。
だからその後もう1社行くことになった時、わたしは前回のようにしてもらえたらありがたいと自ら
言ったのだった。
嘘つくことよりもあの余計な詮索とそれに応えて辟易する自分よりましかと思った。
もちろん面談中の違和感は拭い去れなかった。
変なのと思った。
それでも詐称しなければわからない感覚でもあった。
ちなみに。
わたしはその程度で済んでるけれど、これが本当に公の場に出るものとなれば本人が一番辛い
だろうなぁと思う。
かばう気持ちはないけれど、いつかはばれてしまう。
そんなの抱えて生き続けることの方がずっと負担が大きくないだろうか。
なのでわたしはまた聞かれることがあれば、そこはいつもと同じようにあるがままを申告する。
そんなよくわからない理由で体裁だけ整えてもどうするの?と思っている。
その期間詐称の部分だけでも詐称する側になってみて、嘘をつき通すとか要はでたらめなことを
自分の口から言うというのは、非常に大変なことがわかった。
事実と違うわけだから、わたしなんかはひたすら細かく突っ込まれませんようにと祈りながら説明
していた。
わたしの場合は、実際の勤務期間より長く設定されたわけで、その長さゆえのとんでも質問は
どうにかして避けたいと思っていた(→聞かれずに済んだ)。
ありがたい策ではあったけれど、なんだかどっと疲れたのも本当だった。
それをニュースになった人は365日×何年も貫いたということなら、相当なダメージがどこかに
あってもおかしくないだろう。
人の信用云々よりも、自分で自分を追い詰めるという意味でのダメージ。
そういう意味で、清廉潔白であること、見た目の良し悪しはさておいても、ありのままの自分をその
まま表現できるというのは、すんごく自由な感じがしてならない。
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