2015年9月12日土曜日

本とわたしを繋ぐもの

今日気になって手にした1冊の本。

普段はクローゼットの奥にしまいこまれているけれども、突然読みたくなって出してきた。

ヒーリングをされる方の著書だけど、これがいつ読んでも今の自分を正したり、新たな発見が

あったりして、「先生」のような1冊だ。

気付かぬうちに表紙の白い部分が薄汚れていたけれども、これからも死ぬまで手元に置くだろう

1冊なのは間違いない。

この本は、自分で買ったものではなかった。

その本の中に出てくる「先生」と呼ばれる人物が講師として話すセミナーに申し込んだ際、事務局

から「当日までに読んでおいて下さい」ということで郵送されてきた本だった。

ヒーリングをするしないは別にしても、生きていく上でとても大切なエッセンスを伝えられている本。

これほどわかりやすい本をこれまでに見たことがない。

そしてどんなに技術やヒーリング界においてもさらなる発展が今後あっても、全てにおける本質を

ずばりついた内容になっているから、100年先も生き続けるだろう内容だと個人的に思っている。


先週ぐらいに図書館から借りた本の中に、料理家の小林カツ代さんのエッセイが1冊ある。

いつか本屋で立ち読みしたもので、図書館で見かけた時はうれしくなってさっと手に取った。

今見たら2014年の終わりに近い頃発行されているけれど、その頃カツ代さんがまだ生きていた

のか、すでに他界されていたのかは定かではない。

読んでいる途中だけれども、その中で明治生まれのカツ代さんのお父さんの話や、事故に遭う

うんと前の息子のケンタロウのことも出てくる。

ケンタロウとカツ代さんで神戸の震災直後(1995年)、二人一緒にボランティアで炊き出しをする

話が出てくる。

その時に葱とゴマを使った焼き飯を作り、そのレシピが本の中では紹介されている。

本屋で立ち読みした何ヶ月も前にそのレシピを知り、これまでに何度もリピートしている。

20年も前に、食糧が限られた中で生み出されたレシピ。

ただの通りすがりの一読者のわたしの目にも留まり、そのレシピが再現される。

時空を超えて、カツ代さんとケンタロウの共同作業が「活字」を通じてわたしの元へ届けられる。

そういう偶然による偶然を数えると、人生そのものの深遠さをいつも思わずにはいられない。


もう1冊、手持ちの本がかれこれ10日ほど手の届く位置に置いてある。

これも普段はクローゼットの中にしまわれている。

最初のヒーリングの先生のセミナーを紹介してくれた方ご推薦の1冊だ。

そしてわたしがコーチングのセッションを受けていた時のコーチも推薦してくれた1冊だ。

内容は対談集のような感じになっている。

対談は、1987年のもの、およそ今から30年前の話。

この本も最初のヒーリングの本とカツ代さんの本と同じで、内容は一切古くさくない。

むしろ、今読もうがあと100年後に読もうが、同じように不変的な真理を伝えてくれる1冊だろう。


本が溢れ返っている今の時代。

一瞬で消え去る本の方が圧倒的多数だと思う。

その中で、繰り返し読まれる本、ずっとこれから先も受け継がれていく本というのは、稀少だ。

そしてそういう本に1冊でも出逢えるというのは、とってもラッキーなことだ。


書いていてタイトルの『本とわたしを繋ぐもの』という言葉とここに書いた内容がちょっとずれてる、

そんな風に感じた。

タイトルを変えようかとも思ったけれども、今回はこのまま最初に浮かんだ言葉で通す。

例えば、「受け継がれる本」なんていう候補が今ふと出てきたけれど、やはり最初の言葉の方が、

なぜかとってもしっくりとくる。

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