2024年6月9日日曜日

8回目の夏 2024.6.9

2024/06/08
酒屋の前で撮影した夕焼けうろこ雲

当時の通勤路の橋の上

入口を間違えてたどり着いた某施設の裏側

空っぽになった事務所


17、18、19、20、21、22、23、24

8回目の夏。


十数回は数えただろう数字をまた手で指折り数えてみた。


今さらだけど、数字を指を使って数える時、私は両手が空いていたら左手を使うんだなと初めて気付いた。


私は矯正しなければ多分左利きで、保育園の頃に箸と鉛筆をまずは持ち方うんぬんの前に右手で持てるようにしつけられて、だから箸と鉛筆は右手になったけれど、どちらでも良いものは基本的に今も左ですることが多い。


無意識なものは基本左手優位になる。


数を数える時も右よりも左の方がしっくりくる。


そんなことに気付いても8という数字は変わらない。


関係ないけれど、今携帯で「8」と打とうと「はち」と入れたら第一候補が「八王子」になっていた。


ゲイカップルの友人、ノムとミッチーが住んでいる関係で何回か「八王子」と打った名残で携帯の方がそのように学習したのかもしれない。


8回目の夏、「そうだよ」と言わんばかりに本当に風景が変わっていて驚いた。







5月、とにかく激務過ぎて、連日11時間勤務とか土曜日2回出るとか、両親が金沢にいて今はまた1人暮らしだから家のことはもちろん町内の回覧板だとか町内会費だとかも渡したりして、何ならゴミ当番という名のゴミ集積所の清掃をしたりと、なかなか細々としたことがあれこれあって多忙を極めた。


状態の良い中古の車が見つかったと車検とかで諸々お世話になっている車屋さんから連絡が来て、そちらもまた5月の終わりのいつかの金曜日に1時間早退して見に行って代わりに土曜日ガッツリ出て次の締切のものたちをこなして。


なんてことをしていたらとにかく忙しすぎて家事は最小限、ブログはとりあえず放置、それよりもやることやって休息してまた次の日迎えて…という時間がしばらく続いた。


6月の20日前後で忙しいのは終わるから、そこまで駆け抜ければあとは日常に戻る予定。


6月8日の土曜日、ユニクロでずっと愛用しているものがセールになると知ってそれを買いに行くのと、あと豆の焙煎からしてくれるコーヒー豆屋さんでコーヒー豆の挽いたものを買いに行くことを目的に出かけた。


午前中は洗濯の後はうだうだとして、昼間は去年どころか一昨年に買った冷麺を作って食べて(ダメ元で茹でてみたら麺もスープも大丈夫だった)、それから支度をして出かけた。


イオンにも寄ってチェーンの酒屋にも寄ろうとしたら店舗が移転していて、探してそちらにも行ってきた。


飲む気満々だったのに店に入った頃からいきなり気持ち悪くなって、でも迷子になりつつせっかく来たのに何も買わないのは嫌で、体の調子が悪いくせして白ワインとあと気になった輸入食材とを買って、運転できるうちに家に帰ろうと思った。


運転してしばらくすると気持ち悪さが和らいで、ふと「行こう…」と思った。


ペンジュラムは私の膝の上にあったけれど聞かなかった。


何なら酒屋に行く前か着いてすぐに「今日はもうこれ以上どこにも寄らないよね?」とペンジュラムに聞いていて、ペンジュラムは寄らないことにYESと言っていた。


でも運転中の私は「今なら日が暮れる前に行けるし、土曜日だから人の目も気にしなくて済む」と思って、途中で右折して国道から外れた。


そして私は7年前の夏の明日という日に初勤務を迎えたその場所へと向かった。


国道から外れてしばらくは普通に運転していたけれど、道の駅近くまで来て当時の通勤路に差し掛かった辺りで体に緊張が走った。


文字通り「体に緊張が走った」感覚で、寂しいとか悲しいとかそういう気持ちも無くはなかったけれど、それ以上に体にギュッと急に力が入って普段こんな体の状態にはならないという感じになった。


通勤路だった橋の上を走っていて、本当にこの道を普段自分が走っていただなんて嘘みたいだなと思った。


たしかに毎日通っていたはずなのに、しかもその橋を渡らないと仕事にも行けないし家にも帰れない道で確実に行きも帰りも通っていたのに、何だかそれが夢の中で見ていることみたいな感覚になってとても不思議な気持ちにもなった。


信号を1つ2つと通過して、小さな直売所があるところの角を曲がって、そして黄色が効いている建物の前に来た。


建物が見えた瞬間、「本当に事務所が無くなった」とわかった。


建物の角にあたる1階と2階の同じ感じで並んでいる窓から室内の壁がよく見えて、カーテンとかブラインドだとかが全部なくなって、中が空っぽなんだとわかった。


事務所の建物がある前の道に車をエンジンごと止めて、その道のところから建物を見た。


本当に空っぽになっていた。


前回私が「こんな看板あったっけ?」と思った事務所の支店名的なネームプレートも撤去されていたし、客先の入口もガランとしていて中に今は何もないことがわかった。


2階の廊下にあたるところにあった窓を見上げるようにして見て、事務所に入るドアが閉まっていて、壁なんかにあれこれ貼られていたものももう何も無く、とにかくもぬけの殻と言わんばかりの事務所だった建物だけが残っていた。


そうだ!と思い付いて、元々撮ろうと思っていた建物の写真だけじゃなく、今月のいつかは手放す今の車と建物をセットにして写真に収めた。


もうこの車でここに来ることはないだろうから、これが最後なんだと思って記念撮影のようなことを1人でしていた。


まさか車の方が先にサヨナラになって次の車の方が私のところにやってくるだなんて考えてもいなかった。


車が変わることも事務所が空っぽになったこともそちらが現実なのに、そちらの方が寝ている時に見る夢の中の出来事みたいだった。


時間が確実に過ぎ去った。


時間だけが確実に過ぎ去ったけれども、自分はもはやどこにいて何をしているのか本当にわからなくなった。


体がここにあって月曜日からはまたラストスパート級にやるべきことたちが控えていて、現実の生活は確実に回っていくのに、そういうことじゃない、自分の今の居場所がわからなくなった。


夢の中で見たこともない場所に自分がいる、あの感覚に近い感覚だった。


時空間が歪むというか、何かどこか掴みどころのない現実だけがひたすらに広がっている、本当に浮遊しているかのような、とてつもなく変な感触の中、私は何枚かアングルを変えて写真を撮った。


土曜日だし主要道路から1本小路に入った場所な上にその道はその事務所の持ち主企業しか基本使わないような道ゆえに誰も通らない、本当に私1人だけがポツンといて、誰にも見られずに好きに写真を道端から撮った。


本当は中の様子を客先の入口からでもいいから覗いて見たかったけれど、さすがに敷地内で不法侵入になるからそこはグッと我慢した。


土曜日なことも手伝って、駐車場には数台の車とあとはお休み中のトラックが奥に止まっているだけでガランとしていた。


これだけ許してねと思いつつ、家に帰るために当時の敷地内に少しだけ車をバックさせて進路変更するために入れさせてもらった。


その職場に行く数ヶ月前に、道挟んだ反対側にある某施設に婚活パーティー的なものに誘われて一緒に職場で仲良くなった子と参加するために行った時、私は入口がわからず迷子になって、どうやら建物の裏側にいるらしいとわかって進路変更した時も、同じように敷地内に少し入らせてもらって車をUターンして目的地に向かったことがあった。


まさかその場所に数ヶ月後に自分が仕事で行くことになって、そして婚活パーティーでは誰にも出会えなかったのにその車をUターンさせるために少しだけ車の車体を敷地内の通路というか駐車場というかに入れさせてもらったその場所で私の人生を大きく変える人物に出会うことになるなんて、その時の私はゆめゆめ思わなかった。


そして当時と同じようにまた車の後ろ部分を少し入れさせてもらってUターンして、家路に向かうだなんて、それが8回目の夏を迎える前日にそんなことをするだなんて、時系列も色んなことたちも一気にぶっ飛んでわけがわからないことになった。







帰りの車の中でイケメン上司は当時のことまだ覚えているのかな…と思った。


初対面の時のことを鮮明に覚えていられる人なんて多分世の中にほとんどいないと思う。


ましてや自分にとって重大なことでもなければさらに印象など何も残らない。


私がブログにあれこれ書いたから、私が綴る文字を通してイケメン上司の中の記憶も多少は呼び覚まされるかもしれない。


けれども、当時のことなんて私には強烈なインパクトが今もずっと残っているけれど、イケメン上司の中には何にも残ってないだろうなと想像した。


私が来たとてそんなのは自分が直で関わる相手ならまだしも、協力会社側に派遣でやってきた事務員で、関わることもなければ容姿や顔なんかで惹きつけられる何かなどないし、とにかく何も印象に残る要素など無いわけで、そんな設定自体も超絶濃度が薄くて、そんなところに私の第一印象的なものが私の中にあるイケメン上司の第一印象級に残るほどの何かがあったとはとても思えない。


私にとっては紀元前紀元後級にそれくらいに違いが自分の人生の中に生まれるほどの節目だったけれども、イケメン上司には単なる新潟勤務のとある1日ゆえに何か残ることの方が異常事態だろうと思う。


それは悲しいとかいう風にはならなかったけれども、その心に広がる風景の差というか濃度差というかが悲しい現実を如実に表しているようでそれに悲しさを覚えた。


そしてまた別の現実にも目を向けた。


イケメン上司と事務所を再訪する夢はとうとう叶わなかったな、と。


特に行きたい場所は、工具的なものを整理していたイケメン上司がいた場所だった。


もしイケメン上司と再会できたとするなら、その場面を再現して記憶を上書きみたいなことがしたかった。


上書きじゃないな、同じ場所で2つの違うシーンの記憶を自分に持たせたかった。


今となれば当時のことはもうその時にしか存在することのできなかったとても希少なものたちだということがわかるから、どんなに辛辣で厳しい空気のものでももうそれこそがその時にだけ存在できたとわかるから、それを無理に綺麗な思い出に書き換えたりとかしなくて良いと本気で思っている。


ただ、欲で、当時を一緒にイケメン上司と振り返ることができたらまた面白いというか別の現実を新しく持つことができるなとそんな風に思った。


そのひそかに願っていたことはこの先一生叶うことがないんだなと、とても真面目な気持ちでその現実に向き合った。


どこか悲しさがあるようで、でももうこれが現実なんだという自分の中の実感めいたものと、久しぶりにイケメン上司テーマの時にしかやってこない感覚を感じた。


そう、事務所を目の前にしたり通勤路を車で通ったりここに書いたようなことを回想していた時に出てきた感覚は、いずれもイケメン上司の時にしかやってこない感覚になる。


日常の他のどんな場面でも出てこない、唯一無二の感覚の領域なものになる。


そういうものたちをイケメン上司はプレゼントした気など1ミリもないかと思うけれども、そういうものたちを私はプレゼントしてもらえたんだなと思っている。


生きることを選び続けてきて良かった、本当に心の底からそのように思わせてもらえた、そういう人がイケメン上司だった。







パシャパシャと撮影した写真をブログに載せるために何回もチェックしていた時のこと。


写真撮影していた時も小さな違和感があったものの、もぬけの殻になった事務所のインパクトや誰かに見られたらどうしようという焦りとかに忙しくてそれどころじゃなかったけれど、やっぱり何かしら「違う」感覚があった。


多分だけど、駐車場にあった貨物列車に積むようなコンテーナが撤去されたと思う。


コンテーナのすぐ隣りは広々とした駐車場があったと思うから、多分事務所撤退の時にコンテーナも撤退したのかなと思う。


コンテーナはどうでもいいけれども、コンテーナには別の意味が私にはあって、それが無くなったということがもう永遠にその時はやってこないと言わんばかりの今が強調されるんだなと、そちらの方にインパクトがある。


当時一度だけ外掃除をする日があった。


事務所開設以来の外掃除だったらしく、その日出勤だった人たちは全員強制参加だった。


当時の私は事務さんたちとイケメン上司と後輩くんともう1人の男性、そして私の直の上司にあたるような責任者くらいしか名前を覚えておらず、さらには一切しゃべることがないどころか男性陣の多くは日中現場に出ていてろくに顔も合わせたことがなくて、名前どころか顔さえもはじめまして状態に近くて、そんな時にたとえ事務的なやりとりでもわからないことがあれば絶対に聞かなきゃいけないだろう状況に戦々恐々としながらその掃除に行った。


他の人たちが何していたかなんてわからなかったけれども、私は雑草を抜いたり土が堆積したところの土をシャベルで掻き出したりゴミを拾ったりということに徹して、なんならそのコンテーナが周りの人たちから自分の身を隠すのにこの上なく良い衝立て(ついたて)のような役割を果たしてくれてて、だから私にとってコンテーナはコンテーナ様様みたいな感じだった。


そのコンテーナが多分無くなったと思う。


あの日どんな風に私の姿がイケメン上司に見えていたのかはわからない。


だけど隠れ蓑のようにコンテーナの影に隠れていた私や私の抜けさく的な姿にイケメン上司は気付いてくれて、私にさっと必要なものを手渡してくれた。


しかもあそこに必要なものがあるよと口頭で教えてくれたんじゃなくて、わざわざ持ってきて私に手渡してくれた。


今思い出しても自分の抜けっぷりが恥ずかしいけれども、そんな風に記憶にずっとずっと残っているシーンだからこそ、あのコンテーナがなさそうなのには違和感を覚えた私の感覚は正解だったんだなと思う。


あの日イケメン上司には私がどんな風に映っていたのかなと思う。


本当によく気がつくタイプの人なんだと思うけれども、よくぞあの状況下、やることは色々あってそんな中私はコンテーナの裏に隠れるようにしてしかもコンテーナの端じゃなくて割と真ん中というか奥側にいた私を見つけてもらえたことは特大ラッキーなことだったなと思う。


その時のことも私がしつこいくらいにブログに書いたから、そう言えばそういうこともあったかも…とイケメン上司の記憶に多少かすったかもしれないけれど、私みたいにすごい強く記憶に残ってることはなさそうだなと思う。


魂メイト的な、そういう強さでの残り方はもしかするとあるかもわからないけれども、私みたいな脳内お花畑的な残り方ではないだろうと思う。







8回分の今日を巻き戻すと、今頃はイケメン上司との「はじめまして、武士俣史子です、よろしくお願いします」的なご挨拶も終わっていれば、イケメン上司たちからの名刺渡しの時間も終わっている。


幾つかの派遣先に行ってみて、名刺を渡されることってけっこうレアだなと思う。


あの時は何も考えずにもらっていたけれど、今となれば本当にもらえて良かったなと思っている。


というのも、名刺だけが唯一「物」として私の手元に残ってくれたものだから。


イケメン上司が所有していたもので、たとえ儀礼的に単に名刺を渡したに過ぎなくても、イケメン上司が所有する=イケメン上司の生きる世界が存在していて、そこに私も運良く巡り合わせてもらえるようになっていて、たとえそれが人生全体の中の1%未満の時間であったとしても、イケメン上司の記憶から私が抹消されようとも、確実に存在していた時間なんだと教えてくれる、示してくれるものがその名刺で、そうしたものを自分の手元に置いておけるのは嬉しい。


自分が望んだような未来にはならなかった今の現実に対して、唯一「その時が存在してたよ」と物的証拠としてあるものがそれだけで、他にも当時のメモ帳とか日記とか日程表とかあるけれど、自分発じゃなくてイケメン上司側からもたらされたものがその名刺だけになる。


もうちょっと掘り下げた話もしたいけれど、お腹空いたのとアップできないことは避けたいからとりあえずこれでひとまずアップ。

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