最近読んだ本の中にこんな風な質問が書いてあった。
「その仕事は自分を幸せにするものか?
その仕事は他人を幸せにするものか?」
たしかそんな風な質問だった。
*
ここ1ヶ月ほど自分の中でくすぶり続けたものが言語化できるようになってきた。
「これ、何のために誰のためにしてるんだろう?」という疑問に始まり、自分は良かれと思ってしていてもそれに対して批判非難してくる人たちがいる。
今朝もそんなことが一悶着あって、愚痴れる子にさらっと顛末を伝えたら、一言
「それって『何もしなくていい』って言ってるものだよね!」
とすごい皮肉を込めた、素晴らしい言葉が返ってきた。
っていうか、何もせず他に何する気なの?というのも後から続けて言ってた。
(本当に色々言うのに何一つやるべきことをやろうとしないから不思議でならない。)
ちなみに私が今回当たっているのは外部向けの営業資料で、それをこの2〜3年で大幅にフォームが変更されて最近は定まってそれに沿って資料作りをしているにも関わらず、「何でそんなことまでしなきゃいけないんですか?」的な言葉が間接的にやってきて(そんなことまでというかそんなことをこれまでずっとしてきてそれで大御所たち御一行様がそれで承認しましたの印を押してるもの)、そしてやるならば詳細のマニュアルが欲しいとも言われて、板挟みな担当者が私に申し訳なさそうにマニュアルは諸々落ち着いたタイミングで作って欲しいと言いにきて、マニュアルも作るし資料もこれまで通りに作るけれど、私は余計なことでも気を利かせてプラスなことをしているのでもなく、会社として必要なこと会社から求められていることを淡々とやっているだけで、なのに「何でしなきゃいけないんですか?」などと言われて、もう絶句して怒りも湧いて呆れて、でも最後は「もうそのうち辞めるんだからやることだけやりきろう」というところに今いる。
で、このようなことが往々にして繰り返されていて、それでものらりくらりとやっていたものの限界に来ていて、そんな折に冒頭の質問に出会って、「…………」と言葉にならないような気持ちがわんさか噴出した。
この後も色々すったもんだの現在進行形だけれども、1日の終わりにとても嬉しいことがあった。
ちなみに事としては崩壊している。
しかも崩壊への序章でしかなく、これからもっともっと崩壊していく。
それは私としても予測はついていて、非難批判係の人たちから協力や理解が得られなければそんなのは遅かれ早かれ崩壊するのはわかっていた。
ただそれがまだ何にも目に見える形になっていなくて私1人がモヤモヤ悶々として時々ブツブツと愚痴って、でももう無理だし限界だなと思っていた。
それがなんとここに来て、これまでずっと私とタッグを組んでやっていた専門知識ゼロに近い人が、今日明るみになったものたちを見て絶叫発狂していた。(「専門知識ゼロに近い」というのは本人の言葉)
その担当者が自分側の業務をするために提出された仕事たちを開けてみた。(提出されたものたちを使っての作業の担当者)
専門知識ゼロと言う人から見て気付く酷いレベルで、形としては仕事をしたことになっているけれども内実は仕事をきちんとしていない分、当然そのフォローや修正という余計な仕事が増えて収集がつかなくなって(100の仕事のうちのまだ序の口の1程度のもの)、そこでコケるくらいだから当然この後は未知数な大コケになっていくわけで、それはもう私ははっきりと想定していただけじゃなく実被害的にも色々あったから本当に毎回うんざりモヤモヤ発狂オンパレードだったけれども、ここに来て本当に私以外の人に伝わったのが嬉しかった。
そして担当者は言った。
「これまでずっと積み上げてきちんと形にしてきたものたちを一気に崩されてしまう。
こんなの、『分担』『作業の分散』が目的だったのに、その結果収集がつかなくなってダメになって、もっともっと仕事が増えて、そして今まできれいに整えてきたものたち、積み上げてきたものたちが全部ダメになるだけ」
きちんと怒りを普段から表現する人だけれども、今日は怒りを通り越して悲しいとかやるせないというような気持ちが伝わってきた。
嬉しいというのは、共感もだけれど、少なくとも私は必要だと信じてというか言われてやり続けて面倒でもその手間も引き受けて毎回ちまちまとやって、自分でもここまでする必要あるかしらね?くらいな気持ちになることだってあったし誰も見ていないというのも思ったけれども、その積み重ねや一緒にやってきたことたちはしっかりと一緒にやってきた人たちにはきちんと伝わっていて見てもらえていたことと、それを共有できたこと、きちんと回り回って自分のところに何かしらが返ってきていること、本当にやり続けてきて良かったと思えた。
もうこの後は崩壊するしかないし、1人1人の仕事への姿勢や在り方がもろに出ることだからそんなのは私みたいに整理整頓が苦手すぎる人に整理収納アドバイザー的なキッチリさを求めるようなもので、無理だなと思う。
私は自分の関わることたちには手を伸ばすしやれるだけのことは全てやろうと思っているけれども、自分の手が出ないものはもうやれないしやらない。
引き継げるようにそれは1つ1つ作り上げたし誰でもアクセスしたり利用できるようにその土台も整えた。
だけれど、それは場所を知っていて単にアクセスしたら良いものの、それをしようとしない。
忙しいとか他にやることがあるとか、それは色々あると思う。
でも少しでも手間をかけたらそれで終わる。
それさえもしない。
そんなのもうこれまで積み重ねたものも一瞬で吹き飛ぶ。
専門知識がないと言う人さえも気付くレベル。
この歪み(ひずみ)はいつか取り返しがつかないものに変わるだろうし、それはいつか自分たちの首を絞めることにもなる。
この2、3年、プンスカプンスカ怒ったりしながらもやることをやり続けてやり抜いて良かったなと思っている。
一緒にやっていた4人でそれぞれの持ち場をしっかりやって、抜けたらフォローして、とにかく口頭で報連相しながら何とか回して形にしてきた。
1人は異動でいなくなってしまったけれど、補充されてさらに他にも人数も増えた。
能力的にできる人たちが増えた。
増えたには増えたけれども、そういう人たちが非難批判をして足を止めて「やらない」選択を続けて、これはもうどうにもならない。
能力は高いのに「やらない」を貫こうとする。
もう少し言うと、私はいつか辞める人で非協力的な方々は残る人たち。
もう遅かれ早かれそういう不具合がいつか大爆発する時がやってくる。
やってくると言うより自ら招いている。
その時は100の仕事のうち1つだけやらなかったとしても、それが100個目の時、100の不具合が出るということ。
1なら今のうちに直せるし手間暇も1つ分で済むけれど、100になった日には100の直しなんてとんでもないしもう手さえ付けることができなくなると思う。
それがわかっているからこそ、準備もして資料もわかるように用意して伝えてさて始めましょうだったものが、もうどうにもならなくなるところにあっという間に到達してしまった。
だから、自分のやることだけに集中して、色々な不具合はもう観客状態で、テコ入れ可能な部分はテコ入れするけれども、何だかなぁな気持ちとやるせなさと諦めと傍観者的な境地と色んな気持ちが混ぜこぜになっている。
*
そんなこんなの折に見た質問で
「誰も幸せにならない仕事」
だということを否が応でも感じた。
自分はもちろん、関わって一緒に取り組む人たちもみんな疲れている。
もちろんきちんとしようとする人たちもいるし、そういう人たちにたくさん救われているけれども、もうそういうことだけでやれる状態を遥かに超えるところまで来てしまっている。
これって誰か幸せになるのかな…と思う。
仕事の仕上げ方とか取り組み方なんかは、同じ方向性を向いている人たちと組むと本当にやりやすいし、その時は終わると「やりきった」と感じるし何とか形にできて良かったなと思う。
そしてそういう人たちと組んで仕事ができるのは「しあわせ」に数えられるものだとも感じている。
だけどそうではない足を引っ張りまくるというか足止めを食らう相手だと本当に「これどこに向かっているんだろう?」という気持ちになる。
もちろん誰も幸せじゃない。
やらないことを貫く人たちだってそれはそれでその場しのぎにはなってもその代償はいつかとんでもなく大きな問題として自分のところに戻ってくる。
結局のところ、辛い苦しい未来が先送りされただけで「この仕事をやれて良かった」とは誰もならない。
*
同一の資料なのに、時をまたいで3回別々に作られて、そこに今度は4回目の別便が近々来て、さらには人も複数人まちまちに関わっているものがある。
同一のものだから、1人が中心となって全体を把握できていたらいいけれど、都度都度の中心となる人物が変わって、さらに関わる人も複数で、1つに仕上げるにはその前の整理作業が出てきた。
整理作業は私ははっきりと認識しているけれど、なんならこれをサボりまくると最後私が英訳をする段階でとんでもないことになってもう一度1から全て作り直しになってしまうからそれを避けるべく整理できるものを先に整理することにした。
これは本来なら社員の中でも上の人がやる筋のことだし、派遣の私がやるのはとてつもなく変なのはわかっているけれど、後からやってくるツケは甚大で、それこそ一番忙しいピークの時に言うなれば「あとはできた資料を印刷するだけ!」→「資料を印刷しないと」→「あれ?エラー?印刷用紙が補充されていない」→「印刷用紙を取りに行ったら在庫がない」→「印刷用紙を注文しないと」→「っていうか紙が明日までないから印刷できない」→「今日お客さんがくるのに」とかいうようなことがドミノ倒し的に起こるのは目に見えているから、だから先にやっておけばとりあえずのドミノ倒しは防げる、ということをやった。
印刷はあくまでも比喩で、実際の内容は役員級の強烈なものだから、被害が末広がりに広がってしまう。
そんなこんなで関係書類とデータを全て集めて、誰が見てもわかるように整理して連絡した。
私はこの手の作業に慣れていることもあって、ということは回数を相当こなしているから、もはや1つ1つの重要度がいまいちわからない。
ところが今回は本当に重要度が高かったらしく(いつもいつも高い高い詐欺に遭いまくりだから、また今回も勝手で無茶な計画を立てたなくらいにしか思っていなかった)、私のメールはあっという間に上層部に共有されてさらには追加であれこれと依頼を受けた。
っていうかそんな一大事なものをなぜ派遣の私がかなり詳細に把握しているのに、本当に必要としている上層部や社員の人たちが把握できていないのか不思議すぎる。
もちろん私だって知らないことだらけだから、そこはさっさと関係者に状況を直接聞いて情報集めに奔走してそれで全容に近付いていく。
私は自分がしているこうした作業で骨折り損になったことなど一度もなく、むしろ自分が本当に正式に依頼される英訳の時にこうした先回り的な対応に何度救われたかわからないし、反対にそれがないまま進んでただでさえ英訳がカツカツの納期なのにそこに大元の日本語の資料からの仕切り直しなんかもダブルで言い渡されて憤慨したりはちゃめちゃな日程で連日残業しまくりなんてことも数えられないくらいにある。
私は今自分が困るのが嫌だから色々根回しやら状況の整理やら情報集めに動くけれども、これ絶対に誰かがやらないと回らないしさらなるクレームや大問題を引き起こすものだから「やる」以外に選択肢がない。
自分が辞めた後はもう間違いなくすごい迷走をすることがわかるから、みなさんの「やらない」選択肢がいつかとんでもないツケとなって回ってくるのがわかるから、もう色々とダメになったら良いと大真面目に思ってる。
そういうことの重要性がきちんとわかる人たちとは向かう方向も見ているものも同じだからとてもスムーズに事が運ぶしやりやすい。
自分が正しいとか必要だと信じているものをひたすらに形にしていくだけで、あとのしょうもない社内事情や人間模様はイライラしたり悶々とするけれど、とにかく無視を貫こうと思う。
*
これ1ヶ月くらい何回かに分けて書いたもの。
すぐ上の部分は昨日一昨日の話だけれど、それ以外は桜が咲いていた頃の4月の初めくらいの話。
全然変わらない体質にさらには不愉快な言葉もあれこれ飛んできたけれど、もうなるようにしかならないから自分ができることをひたすらやっている。
全然変わらないんだなと物事の停滞具合が痛々しい。
で、今現在はこれを金沢行きのバスの中で書いていて、これから5月4日まで3年生になった姪っ子と1歳4ヶ月の姪っ子のところにお世話係として行ってくる。
下の姪っ子はとうとう壁つたいに階段を降りられるようになったらしく、店舗・工房・自宅と三階建ての建物内の土足で行き来する階段を裸足で降りて大人が毎回大変な羽目になるらしいΣ(꒪◊꒪; )))) 。
1年前は床に転がしておけば良かったけれど、もはやそんなことは無理で大人のモニターが常に必要な様子(꒪ꇴ꒪〣)。
ということで、ゴールデンウィークは10連休にしておば業に家政婦業に励む予定。キリッ( ̄^ ̄)ゞ
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