2023/01/30
80個近く溜まったブログの未完の下書きをパラパラっと見てみた。
これはほぼ完成していたのに、多分だけれど最後の最後に箇条書きにして書いたところをもう少し書き足したかったのかな…と思うけれども、去年の5月の私が何を考えていたのか9ヶ月後の私が覚えているわけもなくずっと下書きに入ったままになっていた。
5月に書いた当時のまま特別何も手を加えずにアップしたいと思う。
ついでだから今わかることを少し書き足しておきたい。
文中に時々「前のブログ」みたいな言い方をしていて、私も何を指しているのかわからなくて当時アップしたブログの下書きを見てきた。
何が驚いたって、今回のシリーズは『舞台裏』と題してすでに4つものブログをアップしていて、これが実質5つ目のブログでこれでシリーズを締めようとしていたこと。
1つくらいは書いたと思っていたらすでに4つも!
とりあえず中身がかぶってないみたいだったからアップしても大丈夫だなとわかった。
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当時のことを読んだ今の個人的な感想など。
2023年の1月はまたまた寒波到来で休日は家にこもることが多くて、その家ごもりの時にカードリーディングを先週、今週とやった。
新しいカードデッキ(カード1セット)を迎えたこともあって、そしてそれがとても好きなカードなのと今はこの1年近くで集めたカードリーディング用のグッズもあるからそのグッズを使いたくてウズウズしているのもあって、それで連続して週末にカードリーディングをやった。
ちょっと手法が違うというのももちろんあるにしても、5月の頃に書いた風な「カードを見て瞬時に色々わかる」というのはやっぱり当時はとっても特殊だったんだと思う。
この3ヶ月くらいでカードの選び方や読み解き方をだいぶ変更したからそれで「瞬時に色々わかる」ことは今は少し難しいやり方にしても、やっぱりカードが出しているメッセージを紐解く前にストーリーが一気に浮かび上がるなんて当時も今もとても特異なことだったとわかる。
今のやり方に比べると当時は質問が具体的だったことも手伝って瞬時にカードから言葉が出ていたのかもしれないけれど、それでもやっぱり特殊は特殊すぎたことには変わりない。
読み返していても瞬時に記憶は蘇らなかったけれど、1つ前とされるブログを読んでみて、「カードを見て瞬時に色々わかる」感触をなんとなく思い出した。
ずいぶんと踏み込んだことをガンガン書いている自分にゾッとしながらも、瞬時に思い浮かんだことをそのまま当時は言葉に起こしていたことは読んですぐにわかったし、それだけくっきりはっきりと来たらもう他の言葉で誤魔化したり隠したりもできないから本当に自分がキャッチしたままのものをダイレクトに書いたんだなと思う。
今年はそんなことするかわからないし(頼まれることが万が一にでもあれば喜んでするけれども、そうでない場合はその時の気分というか気持ちの向き方次第)、するしないどちらにしてもうっかり1年過ぎましたとなるのは避けたいから今アップしようと決めた。
「頼みたい!」なんていう嬉しいお願いが飛び込んできたら喜んでします、今年も!
ちなみに当時の文中に友人ノムへのコテコテの手作りのプレゼントの話が少し出てくるけれど、ノムは裏切ることなく本当に大喜びしてくれたし人生の中でこれほどまでに自分だけに向けられたプレゼントを受け取ったのは初めてのことだと教えてくれた。
ノムのプレゼントみたいな明るい要素が思い描けなかった当時のことは、そこだけは9ヶ月経とうが1年近くになろうが何のブレもなくとても鮮明に記憶に残っている。
悲しい記憶や心がキュッとなるような記憶は相変わらず鮮明に残るんだなぁなんて思いつつも、それさえも生きているからこその特権だななんて思ったりもする。
とにもかくにも、当時せっかく書き上げたものだからそのままアップしたいと思う。
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2022/5/30
これは舞台裏ではなく私側のストーリーになる。
イケメン上司にしたカードリーディングが、結果的に私のオカルト的な、良く言えばサイキック的な能力をまた上げてくれる1つの大きな転換点になった。
イケメン上司側はそんな気がないのはわかるし、私だってそんなことを期待してやったのとは違う。
だけど、結果としてそうなった。
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ゴールデンウィーク少し前からバタバタと仕事+町内会+家族の役割が重なって、とにかく体を休めたり心の休息を強く欲して、タロットカードにペンジュラム、ペンジュラムボードの読み取りをやめた。
興味が失せたというのではなくて、とにかく外側と自分の内側が落ち着かなくて、とりあえず1つまた1つと外していったら、オカルト的なことから離れた生活を始めた。
ちなみに最近の土日は、サスペンスドラマを中心に録画した番組のテレビ視聴をすることが多くて、タロットは無期休止状態に近い。
ペンジュラムは日常生活ではバンバン使っているけれど、特別に何かオカルトじみたことはしていない。
さらなる余談だけれど、今の星回りというのが私の人生の中で多分1番2番の強烈な感じで、そのせいなのかなんなのか心身共々しんどかったり疲れやすかったりして、こんな時に自ら何か爆弾を生活に投入なんかしたくないから(それこそ布団で寝ていても起こることは起こるみたいな星回り)とにかくおとなしくひっそりと日々生活している。
これだけオカルト的なものたちから離れているし、言うなれば今はイケメン上司が新潟にいた時にかなり近い生活スタイル、ペンジュラムを使う以外はごくありきたりな日常、ということを実に5年6年ぶりに送っている。
とまぁ、とにかくどれだけオカルト的なものを抜いた生活をしているのかをアピールしたくてここまで説明したけれど、それには理由(わけ)がある。
これだけ離れていて、さらにはひとつ前のブログにも書いたように2ヶ月前にしたイケメン上司向けのカードリーディングの内容はかなり詳細を忘れたにも関わらず、私は今でもものすごくはっきりとイケメン上司のカードリーディングをした時の感触を覚えている。
今回、2ヶ月も間を空けてからもう一度当時を振り返っていることもあって、より一層その感触の鮮明さや強さがもっともっと伝わってくる。
イケメン上司の誕生日メッセージ向けにペンジュラムで選ばれたタロットカードを一斉に並べた時のこと。
特定の質問に対してカードを並べる方法を取ったけれど、とにかく見た瞬間にバババッとストーリーが浮かんだ。
私は映像が見えることもないし声みたいな感じで何かが聞こえるタイプでもない。
強いて言うならば、言葉で何かを掴む感じだけれど、言葉だってはっきりと輪郭があるわけじゃなくて、英文とかを読む時に何となくの感覚でわかってもそのわかったことを日本語に置き換えろと言われても即座にはできない、そんな感じに似ている。
例えば、「I have a pen. The color is red. I bought it near my high school.」という英文を読むとして、これを読む感じに似ている。
これがもし「私はペンを持っています。色は赤です。それを(卒業した)高校の近くで買いました。」と日本語で書かれていたとするなら、断然日本語の方が意味もわかるし様子も目に浮かぶ。
英語だと日本語ほどくっきりはっきりと見えない掴めない、けれど言わんとすることはわかるみたいな、そんな感じが私が何かをキャッチする時の感覚に近い。
とにかくそんな風に瞬時にストーリーみたいなものがわかった。
さらには、そのスピードも半端なく速くて驚いた。
例えば「昨日、夕飯何食べた?」って聞かれたら、多くの人は「えっと…」と昨日の夜を思い出そうとするところから始まって、「で、何食べたんだっけ?」という風になると思う。
即座に記憶は引き出せないし、下手すると数分思い出すのに時間がかかるとか、もっとひどいと覚えてないとか、そういうことになりがちだと思う。
でも質問が「1㎝って何㎜?」だったのなら、迷うことなく「10㎜」ってみんな即答する。
それに近い速さでイケメン上司側のストーリーがカードから読み解けて、その感覚こそが2ヶ月経った今もものすごく強烈に残っている。
何であんな風にわかったのかはわからない。
間違えている可能性も大いにあるかもしれないけれど、間違いかどうかよりも、カードを見て即座にストーリーが浮かび上がる、そのプロセスと速さこそに私は完全に度肝を抜かれた。
で、これはわりと早い段階で気付いたことだけれど、タロットカードにしてもそうした能力的な部分にイケメン上司がすごく強く影響していた。
それ以前にだってタロットカードでもオラクルカードでもカードの読み解きはしてきたし、タロットカードはそこまでではなくても「カード」とくくるなら、10年以上なんだかんだとやっていて、自分以外の誰かのカードもたくさん読んできた。
でも、イケメン上司の時みたいに、瞬時にわかってストーリーがパッと掴めたことは過去に一度もない。
合ってる合ってないはわからないけれども、まるでテレパシーのごとくカードが表しているものが伝わってきたのはその時が初めてだった。
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ひとつ前のブログを書いていた時に、何で私はカードリーディングをイケメン上司の誕生日に合わせてやったんだろう?と思った。
カードの絵柄の説明を書きながら、私の場合は喜ばせたいと思ってやったのとは違う。
何かしらの関係があれば、喜ばせたいと思って準備もしただろうけれど、関係もなければ一切頼まれてもいない。
だから「喜んでくれるかな〜♡」なんて気持ちは1ミリも湧かなかった。
今、友人ノムの誕生日プレゼントを用意している最中だけれど(コテコテの超手作り)、ノムなら絶対に喜んでくれるのがわかっているから、私は途中のプロセスも手紙として書きまくっている。
人生で一番手の込んだプレゼントを作っているんじゃないかと思うくらいのものを作っているけれど、今回と2ヶ月前とは全然違う。
最後の最後まで、こんなことしていいのかな…と疑心暗鬼になりまくりなまま、当時の私はメッセージを書いてブログにアップした。
今だって、どう思われてるのかわからないけれど、私がやりたいからやる、と超開き直ってやっている。
で、話を戻して、当時はどういう気持ちでやったのかと言うと。
まずは、何かしらの形でお祝いをしたかった。
そして、形が確実にいるから、それでタロットカードや他のカードを持ち出してきて、自信は常々ないからペンジュラムにも「やっていい?」とか「このカード使う?」とか聞きながらやった。
そしてメッセージが出揃った時には「それを伝えよう」という伝えたかった気持ちが出てきた。
そこでも相変わらず、やっていいのかどうか全くわからないまま、でももうカード選んじゃったしメッセージは瞬息でやってきたし、じゃあ伝えないわけにいかないよね!というけっこう身勝手な感じでやっていた。
*
・イケメン上司を疑っているわけじゃない。
自分が傷つきたくないから、わざと悪い方だけを想像している
・本当に真っ直ぐで嘘がつけない人
・向かわれ方として私が望む形とは違うけれども、私の方を向いている、それは伝わっている。
本当にそっぽを向いているとするなら、今頃ブログなんて絶対に見ていない。
↑上の3つのメモ書きは、舞台裏を書く用に私が4月の終わりにさっと携帯のメモに入れておいたもの。
「イケメン上司を疑っているわけじゃない。」というのは、これに限ったことではなく何でもそうなんだけれど、私が迷惑じゃないだろうかとか頼まれていないとか本当は嫌なのかな…とか、とにかくそういうことをしょっちゅう言ってしまう理由は、イケメン上司の気持ちを想像しているんじゃなくて、そのように想像して自分側の防御を整えておくことで、本当にそうであっても自分側のショックが小さいように、はたまた自分が傷つかないように、そういうことを意図して言っている(書いている)。
真っ直ぐで嘘がつけない人というのは、もう言葉のまんまになる。
仕事はスマートにそつなくできる人ではあるけれど、個人的な人間関係とか相手が一歩踏み込んでくるような対人にまつわるやりとりは、多分、相当苦手分野だと思う。
ごはんに誘われて断るところまではわかるけれど、その後仕事のやりとりなのにそのやりとりをあからさまに無視みたいな、上手く言えないけれど、そういう態度を取りたくて取っていたのか、取りたくはないけれど上手くはやれなかったのかその辺りはわからないにしても、そういうところが普段の姿からは想像すらできない感じだった。
私のブログをチェックしてくれるようになるのは想定外だったけれども、それも沈黙を貫くあたりが何かしらの意志というか、自分なりの筋みたいなものを通しているのかなと思ったりもする。
都合良くとか適当にとかできないんだと思う。
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書きながら、B(武士俣)サイドの話いる!?とかなり思わなくもなかったけれど、せっかくここまで書いたからアップする気でいる。
とりあえず、誕生日のカードリーディングの話はこれにておしまい。
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