2022年11月6日日曜日

長野1人日帰り旅【前編】


道の駅で買ったものたち
左上の花咲しめじは超おいしかった!
そして、りんごがまさか自分の病人食になる
だなんて、この時は思ってもみなかった( ̄∀ ̄;)

地元のスーパーに寄って買ったものたち
左下の豆腐、すごく美味しかった!

「信州まるごとりんご」は濃厚で
すっごいおいしくて、
もっと買ってくれば良かった。
朝露白菜野沢菜も超おいしくて
酒のあてにピッタリ!

赤信号で止まっていたところからパシャリ。
長野は山が壮大な感じ。
新潟の山とは少し感じが違う。

高原と呼ばれる場所の頂上から。
周りに誰もいなくて、写真好き放題に撮れた!




東京旅の話は一旦停止して、今日は長野日帰り旅の話。

・紅葉が見頃

・雪が降る前

・天気が良い日


この三拍子が揃ったら日帰りで長野か福島に行きたいと思っていた。


父と母との3人暮らしが始まってから知ったことだけれど、春は桜、秋は紅葉を日帰りで見に行くことを夫婦でしていて、そこに私もお邪魔して行くようになった。


今年は父と母は金沢の妹のところにいるから私もそんなことする予定になかったけれど、ちょっとだけ年行事的に定着しつつある今、私も1人でもいいから行きたいなと思うようになった。


そして今日10/30の日曜日、天気も含めて良さそうで、ペンジュラムご指定の長野県に行くことにした。


当初小布施でモンブランを食べる、その前にどこかで蕎麦を食べる計画にしていたけれど、結局のところ私1人だから色々変更になって、というか正しくは行き当たりばったりになって、でもそれがもう超トキメキ&癒しとなって無事帰宅して、アルパカワインの限定版を飲みながら晩酌も終えて布団の中から書いている。







前の日の土曜日の夕方、友人ノムと電話した。


ノムに明日長野に1人で行ってきて、主たる目的はモンブランとおいしいものを食べてくることだと話したら、ノムはこんな風に行ってくれた。


「東京で色んな変化を経ての新しいぶっしーとして行く初めての旅になるんだね。

何かそこで目印とか印(しるし)になるものを見つけることになりそう!」


そのように言われてさらなる楽しみになった。


そして、本当にノムの言う通りになった。







ガソリンを入れてそのまま出発する予定が、羽織り物を忘れてきたことに気付いてまた家に戻った。


その時、頭の中をクラシック音楽だけを集めたCDが頭をよぎった。


クラシックをかけながら車の運転なんかしたことないけれども、意外に合う気がした。


2階の自分の部屋に行ってCDがすぐに見つかることを祈りながら探したらすぐには出てこず、10分くらい探してた、狭い部屋の中で( ̄∀ ̄;)


早く出発したらいいものを気分がそちらに傾いたら最後、どうしても見つけたくなって探し続けた。


「あった!」と思ったのも束の間の喜びで、ケースだけあって中身が空っぽだった。


思い当たるは中1の時のたしかクリスマスに親から買ってもらったCDラジカセの中だった。


コンセントの近くにまでまずはラジカセを運んでCDを取り出そうとした。


確実に入っているとわかったけれど、今度はなんとCD部分が「ウィーン」と開く音だけして誤作動で開かないという事態に見舞われた。


3回くらいやってもダメで、気付けば30年ものの代物なんだからガタが来てもおかしくないと感じた。


でもせっかく見つけたCDはやっぱり取り出したくて、手でCDトレイの部分を適度な強さで引っ張ってみたら開いて、ようやくCD取り出しに成功した。


最初に家を出てから20分近く経っていて、せっかく入れたコーヒーはぬるくなってしまったけれど、気を取り直して出発した。


結論から言うと、CDを思いついて家に取りに帰ったのは大正解だった。


その後車内のBGMはずっとそのクラシック音楽になって、おかげで過去の色んなことたちを思い出す起爆剤になってくれて、本当に必要なアイテムだったんだとわかった。







ここから先は道中で印象に残ったことを話したい。







10年前、名古屋にいた頃にもし職業的成功を収めていたのなら今はどうだったかを初めて想像した。


名古屋にいた頃、お世話になった方に誘ってもらって、コーチングと心理セラピー的なものを組み合わせた個人セッションとグループワーク的なものを始めた。


実働は3ヶ月くらいで終わってしまったけれども(その後もなんだかんだと半年近くは何かしらあったように記憶している)、もしあの時事業がどんどん上手くいって進んでしまったとするならものすごく怖いことになっていたことと、その後のこと、2012年から今年の2022年までの10年間にあった色んなことが全く違うものになっただろうことがたやすく想像できて、そうならなくて本当に良かったと心底思った。


そして、何よりもそう思った時に、引きこもりになったことが本当の本当に私にとっては欠かせない大切なプロセスだったと本当に心から納得した。


もし当時職業的に成功したのなら、私は勘違いと不安を常に絶えず自分の中に抱いて、そしていつか大爆発したんだろうなと違和感なく想像した。


何となく上手く行っていたのなら、それで合っているだろうと私のことだから大いに勘違いしただろう。


そして、本当はもっと他のことができるのに(ペンジュラムや何かしら情報をキャッチしたりカードからメッセージを読み解いたりとかいう、今はできるって知っていることたち)、それに気付くための探究や研鑽的なことはしなかったんじゃないかなと思う。


なんだけど、本当は色々と不安で、自分のダメなところもいっぱい知っていて、それを隠しながらもしくは見ないことにしながらどんどん突き進んで、それは私にとっては足元がぐらぐらで土台がしっかりしていない沼に柱も真っ直ぐに建てられないような家を建てる(もちろん即座に大倒壊)そういう不安定さをいつも背負っていたと思う。


私にとっては、上手くいかない自分ももちろんのこと、自分の中で「あちゃー」と思っている超自己否定強めな自分の数多の部分を、それが良かろうが悪かろうがそれでも自分は生きてても良い人間だということが自分で心の底から受け入れて納得できる方に半歩でも歩みを進めることが超超超大事だった。


「何もしていない自分」とか「働ける体があるのに働かない自分」とか、とにかく何一つ世の中に価値を提供していない自分というものととことんと言っていいほどに向き合ったことはものすごく良かった。


家族や周りの目も大変に厳しくそのことでさらにしんどさも増したけれども、もう何かをしていなければ自分は生きている価値がないんだというところまで行ってしまったら、その自分の中で強く握り締めて疑うこともせず当たり前と思っている価値観を壊すなり変えるなりしなければいけなかった。


それがあってこその今の自分だし、今はもはや自分に価値があるかないかなんてほとんど気にならなくなった。


子どもも産んでなければ定職にも就かず、他にも社会的マイナス要素満載で他人に堂々と誇れるものなど何もないけれども、今は私にできることがあればやりたいと思うし、微力でもそこに自分の力を添えられるのであれば喜んでさせていただきますとごくごくたまに思えるくらいの自分の精神状態にはなれた。


私にとっては、職業的成功を収めることよりも、こうした心の安定や安心を手にすることの方が俄然大事で、またこれから先も何かよろしくないというか失敗と呼ぶような事態に陥ってもそれで死なせてもらえるわけじゃないから、そうなったらそうなった時にまた考えようと思う。


そんなことを思い出しながら運転をした。







上に書いたことに関連して、もう1つピッタリなタイミングで目にするものがあった。


長野に行く直前だったと思う。


とある人のブログを久しぶりにわざわざ探してまで読んだ。


その方の持っているタロットが私がこの間東京で買ってきたタロットと同じはずだから、それで気になって見てみた。


読んで、真っ先に感じたことは、「癒されてないこと」だった。


その方はタロットと占星術を組み合わせて色々とされてる方で、私が2018年に占星術講座を東京まで毎月受けに行った時に、その方の単発の占星術の要素をふんだんに取り入れた自分用のワークショップを受けに行こうかと思って、実際に私は申し込んだ。


今も結局何が起こったのかはわからないけれども、私は申し込んだのに返信が来なかった。


その方はきっちりされていて、万が一2日だったか3日以内に返信がなければ問合せしてくださいとあってそれにもたしか連絡したけれども、やっぱり返事がなかった。


docomoメールは異質なメールをブロックしてしまうから、そういう時はiPhone Yahooのアドレスを使う。


なんなら自分の控え用にメールも送られてきているのに、なぜか届いてない風で、それで結局のところ私は講座を受けられなかった。


で、4年越しくらいにその方のブログを久しぶりに探し出していくつか読んでみて、どうして私がその人とはご縁がなかったのか感覚としてわかった。


その人はとんでもない傷を抱えている。


仕事や人間関係は私なんか比べ物にならないくらいに上手く行っている風だけれど、でもさっき書いたような「何かしていないと価値のない自分」というものがものすごく強くて、そういうものが文章の合間に見え隠れしている。


(おまえはどうなんだ?と言われたら、私こそ他人のことなど言えないくらいに酷いです、すみませんとしか言えない( ̄∀ ̄;)。一体何様発言なのはここはスルーでよろしくな気持ち)


もしその人の開催するワークショップを受けていたのなら、もっと早くにオカルト的な何かを始めてそこそこ軌道に乗ったかもわからないけれど(あくまで想像( ̄∀ ̄;))、逆に何もしていない自分とか周りからは隠しまくりたい自分とかが奥に追いやられて、もっともっと切なくて苦しくなっただろうなと思う。


その方は行動を起こすことで自分癒しをされているけれども、今の私が感じるのはずっと癒されていない傷と多分そこにはまだまだ気付けない、むしろ忙しくすればするほど傷から遠のいてさらに傷は奥へ奥へと流れて深く刻まれる、そんな印象を受けた。


本当のところはもちろん知らない。


けれどもそれに気付いた時に、なぜか繋がらなかった4年前のことがあれで本当に良かったのと大正解だったことに気付いた。


その方からだってたくさん色んな刺激を受けて確実に何かしらは良い方向に動いたことも出てきたと思う。


けれど同時に、この4年なら4年かけて癒した色んな自分は癒されなかっただろうし、外側がなんとなく上手く行ったのならますます内側はぞんざいに扱ってスルーしたんじゃないのかなと思う。


そんなことも経ての長野への長距離ドライブは、過去の自分を丸ごと肯定できるような素晴らしい空気が自分の中に流れていた。







「私が50歳になった時、私はこの人の隣りにはいないだろう」


そんな風に思った20代半ばのいつかの時を思い出した。


あの当時は50歳だなんてその時の自分の倍くらいの年齢を重ねないとでずいぶんと遠い未来だったけれども、今の自分は50歳に近くて指折り数えるところまで来ている。


とても変な言い方だけれど、その人の隣りにいなくて良かったなと思った。


もしその時の彼、Aとしよう、Aといて何となく惰性で結婚して、子どももできて、となっていたのなら、結婚も子どももチーム家族も手にしてたかもしれないけれど、なんなら自分好みのマイホームとか(他力本願なところよ…( ̄∀ ̄;))色々自分の欲しい未来があったかもわからないけれど、そんなことよりも私は人といる時の孤独の方がうんと耐えられなくて、それなら1人でこうして気ままに自由にフラフラしている方が自分は良かったように感じた。


これは強がりとかじゃない。


Aといた時に、私は初めて「1人でいるよりも2人でいる方が寂しい」という寂しさを味わった。


それも1回2回ではなく、かなり慢性的に時々爆弾のように大きくなって心に重傷を負うほどの寂しさを体験した。


物理的に2人でいるのに、2人ではないみたいなことが度々あった。


途中で遠距離になった時もあったけれど、その時に久しぶりに会って一緒にご飯に行ったらその時間を2人で共有するものじゃないの!?と私は当たり前のように思っていたけれど、Aは違っていた。


Aはあくまで普段通りで、お店の中に入ったら適当な雑誌を手に取って、食べるものが来るまでそれを見始めた。


それが毎日一緒にごはんを食べている者同士ならまだわかる。


久しぶりに会ってそれなのが私には理解できなかったのと寂しいのと、それ以外にも2人でいても心が全然繋がっていない感じが私には耐えられなかった。


私側にも色々至らないところなど山ほどあっただろうけれど、とにかくたくさんの違和感、私からして絶対に譲れないところがことごとくずれていたから、どうしても未来が見えなかった。


未来の自分も、2人なのに1人みたいな風なのかなととても簡単に想像ができて、そして色んな違和感を抱えて生きていくのはできない、耐えられないと重なりまくって、それで別れることをそのいつかの時からうんと経ってから決断した。


隣りにいないと思った場所というのが、山の斜面の土砂崩れを防ぐような半トンネルみたいなところですぐ隣りには大きな川が流れていた。


私はその道を1人で運転していたと思う、当時も。


そこと同じ道ではなかったけれど、似たような風景のところを行きの長野への道の途中で出合って、その時のことがムクムクと出てきた。


後悔していないどころか、これで本当に良かったと思った。


今の私は1人で誰とも一緒に人生を歩いてなくて、なんならこうしてちょっとしたお楽しみ旅行さえも1人で「おひとり様の達人」みたくなっているけれど( ̄∀ ̄;)、でも寂しいとは感じてない。


誰かと共有できたらいいなぁなんて思うけれども、その誰かと大切なものが共有できなくて分かり合うとか歩み寄るとかとにかく何かしらの擦り合わせもできなくて余計に孤独を感じたりしなくて済んでいるのはある種しあわせなことだとさえ思う。


バカみたいな話だけれど、当時の私はAと食べに出たり大きなショッピングセンターに行ったりした時に、周りのカップルや夫婦をものすごく見ていた。


本当のところはわからないけれども、みんな笑ったり話したりその他諸々「仲が良い」とわかるような色んなサインを見ては、自分の今やAとの関係に絶望しまくっていた。


長野に向かう車の中で、1人なんだけれど、そういうことを気にしなくて済んでいる今の安堵感を心から味わった。


1人でも楽しくてウキウキしてて、そんな自分だからこそなんだか大丈夫だと思えた。







長野旅でも東京の時同様、相変わらずやらかしまくりだったけれども、良き旅だったことは間違いない。


次回以降活かそうと思った反省点は


iPhone地図は最低限使用。

細かな指示はペンジュラムの方が私の場合合っている。(し、迷子にならない( ̄∀ ̄;)


地図を見て理解したつもりで出発すると、ことごとく道を反対方向に走るという、ある意味地図を読み外す天才になれるかと思うくらいの酷さだったΣ(; )))) 

音声案内でも、超田舎の「次の一時停止で右」くらいな案内はいけても「200メートル先の信号を右」とかとなって間に他の信号もあるとどこの信号かわからなくてことごとくやらかす。

でもペンジュラムに聞くと、とりあえず正しい方向には導かれている。


・道の駅は、「今買おうかな」と迷ったら買い時。後から寄ろうの後は時間が遅すぎたり経路が変わって寄らない可能性大。大というより100%だった、今回の旅。


・日帰り温泉は、そこからせめて家まで数十キロ範囲のところがよろしめ。

今回、家まで100キロという温泉に寄ったのなら、温泉はとっても良かったけれど、その後の帰り道は真っ暗過ぎて変に緊張しながらのそしてすでに1日動いてぐったりしている体で100キロの運転は超大変と体をもって知った。




【後半に続く】えっΣ(; )))) 


本当は続けて書く予定だったけれど、なんと昼前から発熱(O;)!(11/5

喉が最初痛くて、節々が痛み出して、頭痛くて、冗談で熱を測ったらその時は37度5分。

今は38度台真ん中を行き来。

月曜日になったら然るべきところに連絡して検査を受ける段取りを取ろうとは思うけれど、ペンジュラムいわくコロナではないらしい。

8日の夜に4百年ぶりとかの月蝕があって、次は2百年だったか3百年だったか先で、そんな超強烈な月蝕と自分の生まれた時の天体配置が、言うなれば宝くじ1等をたった1回で5本当てました級なことになっていて、そりゃ具合悪くなって当然だよと思う。

基本的に、月の満ち欠け(新月・満月)で体調不良を引き起こしやすいし、それが蝕なんてなったらさらにパワーアップ。

食欲もあって、お昼前にペンジュラムに「買い物行くよ」と言われて隣町のスーパーと洋菓子屋さんにこれから数日引きこもりになっても大丈夫なように発熱したら食べたくなるものたちを買いに行って(アルコール飲料も( ̄∀ ̄;))。

行って良かったー、と午後から本格的な発熱でだるくなってそう思った。

お昼はまだ食欲も普通にモリモリあって、手巻き寿司をたっぷりと食べた。

その後からはあまりにもダルくて、食欲が失せて、柿やりんご(長野で買ってきたりんご!)、フルーツの入ったゼリーなんかを食べた。基本、食欲ゼロにはならない( ̄∀ ̄;)

今、夜中の1時前。(11/6

夜眠れないと困ると思ってロキソニンを飲んだら37度1分に下がったv( ̄∀ ̄)v

色々順番が変わりそうだけれど、長野の旅の後半を書く前に月蝕に合わせてのこの間の東京の旅で得た新しい境地について書きたいと思っている!

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