2018年5月19日
とある透視タイプのメッセージを下ろすことができる方より
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ただ どのような形で?とか 何を用いて?とか そういった具体的な案が曖昧になってしまっているように視えました。
カウンセラーとして活動していくのか ヒーラーとしてなのか スピリチュアルリーダーとしてなのか……。
何を学ばれたのか どのような資格をお持ちなのか ということは さほど重要ではないのですが「私は◯◯ができます!」という◯◯の部分が どうも明確になっていないようなのです。
もしかしたら武士俣さんの中に「私は◯◯で人の心を癒していきます」という具体的なかたちがおありなのかもしれませんが それを高らかに宣言するに至っていない 自信が伴わず宣言し切れない…といった葛藤をお持ちなのではありませんか?
人の心に触れるとき いちばん大切なのは自分が用いる手法を心から信頼して行えるかということです。
(中略)
たとえば人を癒す手法のひとつとしてペンジュラムを使われるのも良いのでは?と思いました。
武士俣さんはペンジュラムを とても信頼していらっしゃるのですね。
この世界には実に多くのツールがありますね。
カードやワンドやアロマオイルなどなど……。
ペンジュラムもツールのひとつです。
どのようなツールを使うにしても大切なのは「そのツールを心から信じているか」というところです。
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10月に行ってきた東京の旅は、全てにおいて無計画に等しく、色んなことたちが突然決まって動き出していった。
その中でも、ことオカルト系のものに関してはものすごくスムーズに且つ何の弊害も無く流れるように動いた。
人生の中のターニングポイントと呼ばれるようなことは突然起こるし、そして自分で起こしていると言うよりも期が熟して起こってくるという感じだった。
私が実際に体験したことは何にも予定になんかなかったし、なるようにしかならないと最初から思っていたから何か特別なことを期待していたわけじゃない。
でも終わってみると、過去最高の自分への贈り物だったし、これでようやく「自分のスタイル」と呼べるものが手に入ったとわかった。
それは10年以上自分がずっとずっと探し求めていたもので、その探すプロセスのどれ1つをとっても欠けてはいけないし、数々の不都合なことさえも必要不可欠だったんだとわかる。
それは選ばなかった手段然り、個人的なセッションをして自分の具合が悪くなったこと然り、どれもこれも必要なことだった。
決して好ましい出来事ではないこと、なんなら何日どころか年単位で悶々としたり、怒り狂ったり、やるせなかったり、そうしたことも全て含めての今に至るまでに必要なことだったとわかる。
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今回は当初からノムとミッチーのゲイカップルのお宅(泊まる場所は自宅から徒歩数歩のアトリエ)に行くことが3日目から最終日の4日目に予定されていたから、ノムは少なくともカードリーディングをしたいだろうなと思って、新潟の自分の部屋で荷物を用意する時にどのカードを持って行くかペンジュラムに聞いて2つほどカードを持って行った。
ミッチーも気が向いたらやりたいと言うだろうし、それは初日に会うシオくんやぐちおもやりたいだろうし、すーさんは何と言うか読めなかったけれど興味を持つかもしれない、そのくらいの予測は立ってとりあえずパンパンの荷物の中にカード2つも忍ばせて持って行った。
当初土曜日からMちゃんのお仏前に手を合わせることをするために東京に行こうとしていたところ、ぐちおから連絡が来てシオくんと金曜日に飲むからぶっしーも来れん?と言われて、私は喜んで金曜日も有休を取って行ったわけだけど、これも超重要なポイントだった。
ぐちおはお兄さんが東京にいて、そちらの予定が流動的で、最終的に夕方からシオくんとぐちおと合流すると決まって、じゃあ私は…ということでタロット美術館を予約してそこに行ってこようとなった。
タロットを知った1年前にタロット特集の雑誌でタロット美術館なるものを見つけて、いつかは行ってみたいとずっとずっと思っていたところだった。
まさかそのタロット美術館で新しいタロットを買うなんて思ってもいなかったし、それがその後の色んなことに繋がる大切なプロセスに変わるなんてその時は全く想像もしていなかった。
初日の夜、シオくんにカードから来ているメッセージを読んだ時は、とりあえず家から持参した2つのカードのうちの1つを使ってやった。
ペンジュラムが指すものが1つで、枚数もペンジュラムに言われた通りにしたのと、あとシオくんからも文字は見ずに絵で気になるカードを選んでもらったような気がする。
その時も面白いとは思ったけれど、本当に加速度的に物事が進んだのは次の日からだった。
その日は横浜のすーさんの家に泊めてもらって、2日目の朝、私はいつも通り朝の6時台には目が覚めたように思うけれど、その後もうだうだしながらもすーさんは起きてくる気配がなかった。
勝手に風呂も借りてシャワー浴びて、諸々支度も終えて、ふと考えた。
私はどのカードを初めて開封する時も、開封の儀みたいなことをする。
カード1枚1枚にご挨拶して、カードにどうして来てくれたかや私の第一印象やらその他諸々色々聞いてノートに書き記す。
日記帳を持参していたけれども、そもそもそれを記す専用のノートがないし、他人の家でカードを開封するのも何となく落ち着かない気持ちもあって、開封するのは新潟に帰ってからと買った時に思った。
けれど、冷静になって考えると、ぐちおに次会えるのはいつになるのか年単位で未知数だし(今回は5年ぶり)、ノムとミッチーだって今回3年ぶりくらいに再会で次にいつ対面で会えて対面でのカードでのやりとりができるかわからない。
今開けた方が良いんじゃないかと思って、即ペンジュラムを出してカードに直接聞いてみた。
カードを今開封するにYESが出て、それで私は布団を畳んでちょっとはじに寄せて、自分の荷物たちもそこそこまとめて、そして今度は勝手に部屋にあった掃除機を拝借して掃除機をかけ始めた。
そして、カードの開封を始めた。
いつも通りのやり方と記憶にある限りの質問をカードにして、そして聞いたことを日記帳にメモした。
すーさんまだ起きて来ませんように…と祈りながら、そして本当にすーさんはお昼近くまで起きてこなかったから、私は十分に静かな環境でカードの開封の儀を終えることができた。
すーさんは起きてすぐにその後も今日は寝過ぎた、寝坊した、と何度も言っていたくらいに、すーさんとしてもお昼近くまで寝る予定ではなかったらしい。
2日目はその後、今回のメインイベント、Mちゃんのお宅を訪ねることをしたから(そして夜はまた飲んだくれたから)、2日目のカードは朝の開封の儀だけで終わった。
3日目は、ぐちおとすーさんは共通の友達と会うのに町田に行って、私はノムとミッチーがいる八王子に行くとなったから、みんなで同じ電車で向かえることになった。
ぐちおの飛行機の関係で、なるべく早く家を出たいということで朝の10時に出る感じになった。
すーさんが絶品朝食を作ってくれて(旅館レベル!)、その後ぐちおのカードをやった。
例のタロットはぐちおが第一号の使い人になった。
その時も、どのカードを使うかや何枚引くか、ペンジュラムが選ぶかぐちおが選ぶかをペンジュラムに聞きながら、最終的に2つのカードとペンジュラムもぐちおも選ぶという方法に落ち着いた。
この時が本当の意味での初めての「型」の原形になった。
でも当時はわちゃわちゃしていたし、時間も押していたし、すーさんもやるかもと思って落ち着いてカードをするような感じとは少し違っていた。
その時に最後ぐちおが「これって、カードあるんだけど、ぶっしーがほとんど喋ってるよね?」と言って、まさにな話で、ここで私の中で普段からノムに言われていることが繋がった。
ノムはいつも言う。
ぶっしーの場合、カードは入口でしかなくて、そこから先にぶっしーが思ったまま感じたままを伝える、その方が大事なんだと思うと。
ノムにいつも何て言われてるんだったかな?と思って、「友達(ノム)に、ぶっしーのカードでも他の何かでもそれは『見せかけ』だって言われる」とぐちおに言うと、「その友達よくわかってるじゃん!まさに見せかけだな」と笑われた。
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ノムとミッチーの家に移動してから、ノムのカードリーディングを始めた。
この時もペンジュラムを使ってどうカードを選ぶかや何枚選ぶかなんかを聞いてから始めた。
ノムの時はミッチーが絶品夕ごはん作りをしてくれていたから、はなれにあるアトリエでゆっくりのんびり時間も気にせずにカードリーディングができた。
そしてこの時に私の中でかっちりと全てがハマって、自分でも全貌がわかった。
それは1人目のシオくんの時から3人目のノム(その後の4人目のミッチーも)まで全部共通していて、私はその中の誰にも今のテーマだとか悩み事だとかそうした諸々を一切聞かずに、まずは出てきたカードを見てわかったことを頭の中で少し整理してから、そのままいきなり話し始める。
自分側の掴んだメッセージを一通り伝えた後に、今度は聞き手側の本人が何感じたのかや今の大きなテーマについて話すから、そこからまた掘り下げて話ができる。
カードは2種類、3種類と使うし、それも数枚ずつ使うから、両手を使うくらいの枚数が並べられる。
10枚弱といったところ。
ぱっと見、1つ1つはてんでバラバラだし、何を伝えようとしているのかさっぱりわからない。
けれど、その出てきたカードたちを見ていると、共通点みたいなのが見えてくる。
まずは小さな共通点同士でペアとか組ませて、3組とか4組の全く異なるメッセージたちが並ぶ。
今度はそれらを色々縦に横に並べると1つの大きなメッセージというか物語みたいなのが見えてくる。
とりあえずその辺りで一旦伝えることを伝えると、伝えられた側はその意味がピンとくるようで、何かしら思い浮かんだことを私に教えてくれる。
あとはその場その場の感じに合わせて流れていけば、何かしらのメッセージが届けられる。
カードの絵の中や言葉の中にもヒントはあるけれども、それは本当に入口やヒントで、多くのところは私の感覚で拾ってしゃべっていれば良いのが本当にすごくピッタリだった。
ミッチーの絶品夕ごはんをノムが頂き物の地ビールと赤ワインを開けてくれてそれらと食して、そしてその後はミッチー作のいちじくのタルト(こちらももちろん絶品!)も食べて、お腹いっぱい飲み食いした後に、ミッチーのカードリーディングもしよう!とみんなで決めて、私を筆頭にみんな大急ぎでお風呂に入って、私は先にアトリエに行って、ノムとミッチーも用意ができたらやってきて、今度は布団の上をテーブル代わりにしてカードリーディングを始めた。
ノムが後からその時のことを「パジャマでアトリエで夜中にリーディングとかたのしすぎる。」と言ってくれて、本当、パジャマパーティーって感じですっごい楽しかった。
シオくんに次いでミッチーもアルコール入りの体でカードの読み解きをしたけれども、カードの時はカチッとスイッチが入ってくれるから、シラフの時と私の場合は何にも変わらなかった。(ノムも、ぶっしーって本当に飲んでも変わらないどころかカードやペンジュラムまでできて、凄いね!!!、と言っていた。)
ミッチーの時も同じ感じに進んで、ノムの時とのコントラストがとてもはっきりとしたタイプのメッセージで、本当に人それぞれなんだなと思った。
という風にして、3日目の夜は深(ふ)けていった。
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次の日の最終日だったと思う。
ノムが自分の分とミッチーのリーディングの分と両方を見て私に伝えてくれた。
「ぶっしーの様子を見ていて、『完成』って思った。パズルの最後のピースがあのリーディングのスタイルでカチッとはまった、ようやく最後のピースが揃って完成した!って僕は感じた」
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冒頭に書いたメッセージの話と絡めて、今回の一連の流れと今の自分との話をしたい。
私はずっとずっと自分のできるスタイル、それも自信を持って誰かに差し出せるスタイルを探し続けていた。
32歳を起点とするなら彼これ12年は探し続けた計算になる。
コーチングとNLP(神経言語プログラミング)だけでも、ざっくりとした計算で450時間相当通って習いに行っていた。
それは私が大学4年の時に最後の8ヶ月、現場実習で課せられた450時間と同じになるって今気付いた。
それ以外にもあれこれ数えきれないほどの何かを習ったり受けたりして、さらには占星術もここ3年で基礎力つけて、とにかくものすごくたくさん色んなことをした。
32歳から37歳で新潟に戻ってくるまで、私は何人かの起業支援をする人たちにも会って、もしくは自分のセッションを受けてもらって、自分に何ができるのかそれを客観的に言葉にして説明してもらうこともしてもらっていた。
けれど、自分でもわかってはいたけれど、私のは1人1人に向けるものがその人その人に合わせていたから、スタイルが全部違っていた。
ひたすら話を聞いて、聞いたことを聴きながら紙にまとめて、その後伝えるという人もいれば、トラウマ解放のセラピー的なものをした人もいた。
相手のニーズに合わせてはいても、だから「これをしています」と堂々と宣言できる言葉が見つからなかった。
さらには、コーチングやNLPは私にとってこの世の色んなことを理解するための、そして誰かと真剣に向き合うため時に必要な大事な基礎にはなってくれても、それらの具体的な手法は私の中でテキスト無しで使いこなせるものがほとんど無くて、だからかなり初期の頃から超独自スタイルを進み始めていた。
もはや何をしているのか自分でも説明できなかったし、何でそのやり方?と聞かれても「えっ!なんとなく…」としか言えないことがたくさんあった。
占星術を独学で始めた2018年の春、自分の生まれた時の星の配置を調べ出して、そして忘れもしない、なぜかあの時長岡駅のロータリー前を通過したけれど、その時に「傷を癒すエキスパート」という言葉がスルリと出てきて、涙がドバドバと出てきたことがあった。
これを当時は「自分の中の軸になる気がする」と感じたけれど、たしかにそれは大切だしこれからも大切にしたいテーマの1つではあるけれど、冒頭のメッセージに書かれていたように、
「ただ どのような形で?とか 何を用いて?とか そういった具体的な案が曖昧になってしまっている」
というところがさらに浮き彫りになっていった。
その後、またたくさんの占星術講座を受けて色々と知識は増えたけれども、より一層私は迷走したし、先生たちのようなきちんとした星読みなどできそうにもなく、そこから引きこもりも始まって色んな意味で人生喪失自信喪失になっていった。
占星術のホロスコープ鑑定で自分のオカルト体質的なことが伝えられてもそれも全然ピンとこなかったし、やらなくて済むならやりたくないと思ったし、私の場合は人の人生の根幹に、要は生き死にじゃないけれど、人が生きていくことのすごい深いところに関わるなどと言われたらさらに逃げたく、そんなこんなのことがいくつも折り重なってとうとう来るべきものが来た。
山で行方不明になったおじいちゃんを探して欲しいという依頼が来たのが今からちょうど3年前くらい。
そこから本格的にオカルト体質にも少しずつ向き合うようになったと思う。
そしてたくさん時間をかけて、タロットにも出会って、そして色々派遣の仕事の傍らで自分一人でやったり時々ノムと「今日はお互いにメッセージを贈り合おう!」と決めて電話越しにカードリーディングをしたりする中で、なんとなくカードを使うのは私の場合道具の1つとして良いかもしれないなと思うようになった。
こんなに言葉ではっきりと書いたのは今が初めてだけれど、タロットカードを手にして、海外のサイトを見て英語の本を取り寄せたり海外でのタロットの使い方を学んだりするうちに良いなとはうっすらと感じていた。
ただ、まだまだ逃げたい気持ちが99%みたいな私には、色んなことを先延ばしにしていたし、そのうちタロットもペンジュラム用のボードも触らなくなって、私このまま何もしないんじゃ!?と今年になってから何十回と思ったかわからない。
数ヶ月単位でオカルト活動を全てストップさせて、占星術からも離れて、仕事は激務で疲れたのもあったけれど、春から夏くらいにかけて何ヶ月も休みの日は何もしたくない、できれば1日中ダラダラしていたいと思ってそのようにすることが増えた。
今回の東京の旅でカードリーディングすることだって「時間があったら…」的に捉えていたし、何が何でもやろう!絶対にやろう!なんていう強い意志があったのとは違う。
やる流れになったらやろう!くらいの、実にやる気なんかゼロに等しく、もしかしたらのもしに備えてカードは持って行ったに過ぎなかった。
そうそう。
すーさんの家を日曜日の午前中に出ることになったからノムとミッチーのところに昼過ぎに着けたけれども、当初は時間も読めなくて夕方になるかもと言っていたくらいで、そうなると八王子滞在時間も24時間あるかないかわからなくて、そんな忙しない時にカードリーディングをするのは現実的じゃないななんて思ってた。
そうしたことたちがたくさん重なって、たくさんと言うより全て寸分の狂いもなく重なって、それで私は最後のパズルのピースを手にした。
カードをしてわかった。
まずは、自分が一番無理なくやれて、疲れないし、頭も基本使わないし、おしゃべりみたくやったらいいし、自分もやっていて楽しいからまたやりたいと思える。
そして相手の個人的なことを聞き出さなくて良いのもポイントが大きかった。
色んな話を色んな人たちから聞いてきてるから、一般的な平均値があるとするなら、それよりかは遥かに私はゲスイことや世の中の不条理や理不尽なことに耐性がある。
ドラマや映画の世界なら他人事みたいに見聞きできても、まさに自分が何かの犯罪や暴力に巻き込まれるとか反対に自分が加害者だったとか、まぁ十人十色数多にある。
なんだけれど、そんなのほじくり返す趣味もないし、話したい手放したいと言われたら私にできることはやれても、積極的にやりたいかと言われるとそうじゃない。
あと、これは内容ではなく相手の発するエネルギーに私に耐性が無いんだと思うけれど、個人セッションで2回ほど終わった後に自分の具合がかなり悪くなったことがある。
これは相当に気をつけていてもらわないと決めていても、起こる時は起こってしまうし、私はそういう意味での防御は真面目に専門家に習いに行かないといけないレベルだと思うから、そうまでしてやりたいこととも違う。
しかも大きなトラウマが解放されたと仮にしても、それだけがその人の人生の全てじゃないから、他にも傷やら痛みやらなんていうのは幾らでもある。
そういうのも好ましくなかった。
しかも、セラピー系は完全に時間が読めない。
深いもの、重たいものをやる時は、私はあまり時間を気にしたくない。
人によってそのトラウマゾーンに入る時間のかかり方も入り方も全然違う。
必要な誘導はしても、私の都合に合わせて相手のペースを変えさせることはしたくない。
相手がそこにきちんと向き合えるように、なるべく時間を1時間とか2時間とか区切りたくない。
そういうのは力の無い人間が言うことでプロなら時間内に収めることも仕事だしお金なんだとよく巷のビジネスノウハウには書かれているけれども、私にはやっぱりピンとこない。
でも、カードはそこがとてもクリアになる。
最初のカード選びから私1人だけがベラベラとカードを見て感じたことを話すのは、かかっても30分かからない感じだったし、せいぜい20分くらいで骨格部分は完了する。
その後はお任せスタイルなら、一番良い形に着地することを信じていたら大丈夫。
しかも自分でやってみての感想として、適度に本人の意向(本人からカードを選んでもらう)と本人も私も意図できない部分の見えない世界の領域(ペンジュラムがカードを選ぶ)とが見事に重なり合うところも絶妙なバランスですごい良い。
私がペンジュラムでカードを選ぶようになった理由は、単にタロットを始めるにあたっていきなり78枚全てをマスターすることは不可能で、でもカードを知るのには順番通りがいいからシャッフルしたくなくて、それで思いついたのがペンジュラムからその時その時に必要なカードを選んでもらうことが始まりだった。
だから、ペンジュラムも使ってやるぞー!とか、自分だけのタロット使いを身に付けるぞー!とかいうような理由は一切なくて、そうした諸々の自分事情でやり始めたら、むしろそちらの方が私の邪念やら変な迷いやらが紛れ込まなくて良いなとわかってそうなったに過ぎない。
そしてこの使い方は、私が使うペンジュラムの使い方でも一番精度が高いと感じるし、そして今回4人のリーディングを見ていても、本当にペンジュラムは絶対に外さないことがわかるから、自分としても大大大満足している。
これ以上ないくらいに信頼している。
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コロナ陽性が判明したのが4時間くらい前。
どうしてもこの皆既月食に合わせての満月の時間に合わせてこのブログをアップしたくて、なんとかここまで書き切った。
もちろん何日かに分けて書いたけれども、後半はこの3時間くらいで一気に書き上げた。
自分なりに1つの大きな区切りとなるこの皆既月食に合わせてとりあえずアップしたい。
また書ききれなかったことは後から付け足しじゃないけれど、別記事に書こうと思っている。
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