2022年10月10日
ずっとアップしようと思って温めていた(?)ブログをアップしたいと思う。
1年越しに…( ̄∀ ̄;)。←ここから先の前座が盛り上がり過ぎて長くなったから、1年越しの記事は次回に持ち越し。
今回の3連休の初日に気付いたとあることを前座としたい。
昼寝から目覚めて携帯を触っていた時に母が部屋にやってきた。
次の日(10/9)に武士俣家本家の親戚が来るから、本家の墓掃除に行くから一緒に行って欲しいという実に面倒くさいお願いをされた。
お盆に本当は本家の亡くなった最後の当主の妹とその子たち(私より年上の姉弟)が来る予定でいたけれど、妹さんの旦那さんが亡くなって、それでその時は来れなくなった。
当主の姉の子たちと妹側の子たちとがそれぞれ遺産手続きに関わっているけれど、今は色々すったもんだしているようで弁護士が間に入って、そして2家族別々に来るから、父と母は都度相手をするから何でもかんでも2倍対応を迫られている。
私は一切関わらないから基本全て不参加にしているけれど、今回は父も墓掃除などしなくて良いと思ったのか父は行かないと言い、さすがに母1人で行くにはそこで何かあったら誰からも気付いてもらえない、民家から離れている小さな山の入口みたいなところにあるから、仕方なくムクリと起き上がって、墓掃除に付き合うことにした。
結局、父も俺も行くと言って、なぜか3人で本家の墓掃除に行くことになった。
路肩が広くなっているところがあって、まずはそこに車を止めた。
そこから歩いて3〜4分のところに墓はある。
父と母が前を歩いて、それこそ3人で横並びする広さはなく人1人立つのがちょうど良い幅の小さな小道を歩いている時に、母が「この小さな川が目印」だという話を始めた。
車道側からは見えないところに墓はあって、そして墓に向かう道も実にわかりづらく何も目印がない。
唯一あるのはその小さな川で、歩く小道よりもさらに幅の小さい川が道のすぐ脇を流れている。
そんな話をしながら、独特の形をした、旅館や寺とかにありそうな庭の石の置き物みたいな形の墓を、どう整えるのが正解なのかわからずとりあえず苔取りなどをした。
パラパラと雨が当たって止めた。
私はいの一番に止めて、さっさと車があるところに戻った。
車を止めたところのすぐ脇には大きな川があって、それは本家の前にも流れていて、上流の本当のど出発みたいなところに家がある。
突然、小学校6年生の時の文化祭の絵を思い出した。
6年の時の先生は図工が専門で、その時の絵は外の景色を布を使って表現するというものだった。
布はどうやって集められたのか忘れたけれど、たくさん色んな布地の切れ端があって、各自好きなように切れ端を選んで絵を描くというか布で景色を表現した。
私はその時の絵のことを突然思い出して、そしてそれが今現在にも繋がっていることに心底驚いた。
田舎ゆえ外の景色は様々な種類を選びたい放題ではあったけれど、私はどういうわけか最初から「川」を選んだ。
山を選ぶ人が多かった気がするし、柿の木を選んだ同級生の絵はとても上手だったこともなんとなく記憶に残っている。
それよりも自分は川を選んで、水色と白の布を使って、川の石にぶつかっての水しぶきみたいな様子とか水が流れる感じを布で表現した。
その川にはモデルもあって、いつも登下校する時に渡る橋のすぐ下を流れる川、小学校の道を挟んですぐ脇に流れる川だった。
そのことを突然とても鮮明に、なんなら使った水色の布の色と布の織り目の独特の目の感じとまでを思い出した。
母が言った「小さな川が目印」の話がなければこんな記憶は出てこなかったと思う。
さらには車を止めた目の前を流れる川を見なければ文化祭の川の絵まで繋がらなかったと思う。
ちなみにその川が私がモデルにした普段の登下校で通る橋の下を流れる川に繋がっている。
しばらくしてハッとした。
その川はさらに10数キロすると、今度は隣りの市に流れ出る。
その川は、イケメン上司がいた職場のすぐ近くで、それこそその近くに架かる橋を渡らないと職場には行けないようになっていた。
武士俣の本家の方、上流から1キロもないような場所から流れる川が、イケメン上司のいた職場のすぐ近くにまで流れているということ。
そして武士俣家本家の墓に繋がる小さな道の脇を流れる小さな川が目印だと言った母の言葉。
偶然で片付けるにはあり得ないくらいの幾つもの事柄が重なっている。
*
ここからは魂の繋がりが強い人たちの間で起こるとされることの話。
今回みたいに、自分の先祖的な、武士俣の本家の墓とかは自分が建立したわけでもなければ、私なんかは本家の当主が今年の2月に亡くならなければ一生知ることのない本家の墓だったわけだけれど、そんな幾つかのことが重ならないと知ることもないような事柄とイケメン上司とのことが重なるだなんて普通はあり得ない。
けれど、魂絡みの関係が強いとそういうイレギュラーなことが重なる。
それも寸分の狂いもなく重なる。
母が言った「小さな川が目印」だって、それにも訳がある。
母はこの土地の出身ではないし、本家の墓だの何だのと主体的に掃除に関わる必要が出てきたのはこの半年くらいの話で、父も当初記憶が曖昧で入口が「大体この辺り」みたいな感じだったし、母なんかは70歳も越えてからの初めての場所なわけで余計と位置がわからなかったわけで、それで目印になったのがその小さな川だった。
本家の当主が亡くなって父と母とが片付けに行った際、その変わった形の墓を見てみたいと母に興味本位で言った時、母は当時は1人じゃ墓にも辿り着けないみたいなことを言っていたくらいに知らなかった。
もしこれが母方の家の墓ならこんな話にはならなかったし(母の実家の墓は家のすぐ隣りの敷地にある)、そして本家の墓の場所が本当にわかりにくい位置にあるからこそこんな話になっているわけで、そういう諸々のことは私が個人で何とかできる設定じゃない。
さらには私が墓掃除に呼ばれるのなんて本当にもっとあり得なくて、当主の妹さん家族が来るのだって前々日の夜に突如決まったことで、そして普段なら父と母とで協力して本家関連のことはしているけれど、今回ばかりはちょうど新米の時期と重なって父が新米を方々に送る準備でバタバタしていて、それで急遽私に声をかけられたという顛末だった。
そういうことが幾つも重なっての今のことで、それがまさかまさかのイケメン上司との色んなこととが重なるだなんて、全てが想定外すぎた。
*
この事の凄さやスケールの大きさは言葉では到底伝わらないだろうし、私は実体験だから震撼するような迫力を感じるけれども、読む側からすると「だから何!?」状態だと思う。
なんだけれど、その色んなことたち、自分が生まれる前から建てられていた墓とか、いつからあるのかわからない大きな川とか、その近くに本家の家があるとか、本家の墓の近くの目印となる小さな川とか、そういうことは何一つ私に決められるものはない。
さらには6年生の時に布を使った風景画を描く課題、その時に川を選んだことなんて、本当に30年以上忘れていた。
しかも子どもの頃に描いた絵はほとんど忘れたにも関わらず、どういうわけかその水色の布を使って描いた川のことはとても鮮明に覚えている。
まさかその川が四半世紀ほどすると、魂繋がりの強い人と出逢う場所にも水路が繋がる地にまで伸びているだなんて、小学生だった私が想像できるはずもない。
イケメン上司と私との現実的な関係性はさておき、こうした神の領域みたいなところはパーフェクトなくらいに色んなことたちが複雑に絡み合って成り立っている。
そこに全ての力が注がれた感が半端ないけれど( ̄∀ ̄;)、私としては現実的な関係性もそれくらいの勢いをくださいと超思っているけれど、この自分の力の及ばないところに色々あるのはいかにも魂案件だなと思う。
*
これいつか前半部分は書いた気でいたけれど、下書きを探してもどこにも出てこなくて、だからアップしたのかしてないのか定かではないけれど、この本家絡みの話でここ半年くらいで気付いたことを書きたい。
仮名で2人の名前を出したい。
田中次郎(たなかじろう)
田内太郎(でんないたろう)
田中次郎さんは私が児童養護施設に勤めた時の最初の施設長の名前(仮名)。
そして田内太郎(でんないたろう)さんは、イケメン上司の仮名。
いつかブログに書いたと思っていたことは、施設長の名前の漢字の最初の文字「田」と最後の文字「郎」がイケメン上司と丸かぶりだということで驚いた、みたいなことは書いた気でいた。
いたけれど、書いた形跡が出てこなくて、もしかしたら初めてこうしてブログに書いてるかもわからない。
で、ここからはこの半年で気付いたこと。
施設長の名前「たなかじろう」を平仮名にして、苗字の最初の文字「た」と名前の最後の2文字「ろう」を足すと「たろう」になって、イケメン上司の下の名前「たろう」と同じになる。
田中次郎さんの最初と最後の漢字は同じでも、音はイケメン上司の名前とは違う。
平仮名にすると、今度はイケメン上司の名前(音)がそこから浮かび上がる。
「たなかじろう」→「たろう」。
という、すごい関連性が社会人初の職場の施設長の名前とイケメン上司との名前とにはある。
で、ここからが本家絡みの話。
仕事を始めてしばらくすると、源泉徴収票とかに関わる用紙を施設長から渡されて、諸々記入して出したしばらく後のことだった。
ある時、施設長と私としかいなかった時に施設長から言われた。
「武士俣さんのお父さんは『たけし』さんというのかね?(たけしは仮名)
武士俣さんから出してもらった書類の世帯主の名前を見て驚いたよ。
たけしさんと俺とはもしかしたら従兄弟かもしれない。
田中ではなく、『さとうじろう』と言えばお父さんはわかるかもしれない」
そんなことを言われた。
家に帰ってから父にその話をした。
そうしたら正真正銘、施設長の田中次郎、旧姓佐藤次郎さんと父とは従兄弟だった。
父からこれは本家の最後の当主が亡くなった後に聞いたような気がするけれど、父の父、私からしたら父方の祖父は4人きょうだいだったとのこと。
本家の先代当主が長男で、たしか父方の祖父は次男だと聞かされた気がする。
そしてそのきょうだいの中に、施設長田中次郎さんの母「千代」さんがいた。
千代さんは元々「武士俣千代」さんだったわけで、結婚して「佐藤千代」さんになった。
父いわく、施設長の次郎さんたちは三兄弟で、次郎さんは田中家に婿養子で入って、それで「佐藤次郎」だったのが「田中次郎」になった。
そして「田中次郎」という名前の人物が何十年もの時を経て、武士俣たけしの子どもとは知らずに目の前に現れた私を採用したら、ある時の源泉徴収票に書かれた武士俣たけしの名前を見てそれが自分の従兄弟だと気付いて、それで今書いたような話になった。
2001年の10月の今くらいに施設見学という名の面接をすることになって、その時にいたのが田中次郎さんと私の恩師的な大先生の2人だった。
そして父の従兄弟と判明した、武士俣の本家と繋がっている田中次郎さんは、イケメン上司「田内太郎」さんの漢字や名前が色々かぶりまくりだという奇跡。
イケメン上司に出逢うのはその田中次郎さんの下で働き始めた16年後だけれども、この色んなことに気付くのはさらに時間が必要で、田中次郎さんに出会った20年以上後に色んなことが自分の中で繋がった。
それこそ田中次郎さんの母「千代」さんが佐藤(仮名)という家に嫁ぐことも私が決められたことでは一切ないし、佐藤家の次男として誕生した次郎さんは長男ではないから跡継ぎにならなくて良くて、そして婿養子希望の田中家へと婿に入った。
もちろんそんなことも私が決められたことじゃない。
施設長も異動でなるポジションで、田中施設長とは2年少し一緒だったと思うけれど、施設長の異動なんてまさに組織の人事の管轄で私が何かできることではない。
ましてや田中次郎さんが事務的なトップも兼務していたから私の父のフルネームを知る流れになったけれど、田中次郎さん含め歴代の施設長以外の職場の人たちは私の父の名前をフルネームで知ることは絶対になかった。
そしてその後2人の施設長に当たったけれど、どちらの人も「武士俣たけし」は赤の他人で「武士俣たけしさんは自分の従兄弟かもしれない」なんて言われたのは後にも先にも田中次郎さんの時だけだった。
とかいうすごい繋がりが、すごい長い歳月をかけて作られていた。
しかも父の従兄弟でフルネームで私が名前を知っているのは、亡くなった武士俣家最後の当主と田中次郎さんだけで、他の武士俣繋がりの父の従兄弟のことは一切知らない。
ちなみに武士俣の最後の当主のフルネームの最後の文字は、イケメン上司の名前の最後の漢字と音と全く一緒になる。
さらにいつか書いたか忘れたけれど、そのイケメン上司の最後の1文字は、父の母、私からすると父方祖母の旧姓の苗字の1文字とかぶっている。
もはや異次元すぎる壮大なスケールの一族の名前のルーツとイケメン上司との名前とが色々かぶりまくりという、本当にありえないことだらけなことが起こっている。
小さな川と布の川、今は亡き祖先の人たちの名前と今を生きるイケメン上司との名前、そうしたものがこうして繋がっている。
何度も言うけれど、もう本当に相当な強い力で魂同士は繋がっているんだと思う、イケメン上司と私とが。
そしてしつこいけれど、そちらに全て持って行かれたのか、現実のイケメン上司と私とは何も繋がりもしないという。
そんなすごいミラクルを本当に1%でいいから現実の関係性にも恩恵をもたらして欲しい。
そんな謎解きみたいなところだけやたらと魂的なあの世とか神々の審議会的な力を大発揮されなくても、私が欲しいのは現実の普通の関係性の方だけれど…。
こういう現実も含めて魂同士の繋がりなのかもしれない。
魂同士というより、魂だけが強固に結び付いて、人間同士は断絶みたいな(꒪ꇴ꒪〣)。
イケメン上司に繋いでもらえるなら、私はあとどんなことでも徳を積んだり善行を行いますと思っているのに、その辺りはまるで私の独り言にしかなっていない。
嗚呼…orz(←頭を垂れてうなだれる図)
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