2022/09/28(水)
悲しみに浸る時間が与えられていた。
今日(9/28)の仕事の残業中にふと出てきた言葉だった。
昨日(9/27)からおかしな仕事の風が吹き荒れ始めて、その前からも色々個人的なイベントで来月東京に行くにあたり考えたり配慮したり決断したりとかいうことがあってそれのこともちょこまかと動きがあって、とにかくあれこれ忙(せわ)しない。
そんな中でも、今日は26日とか今日は9月最後の月曜日とか、今日はXデーの27日だとか、そんなことはずっとずっと自分の頭の中を何往復もした。
仕事はゴールだけ決まっているのにそこに行き着くまでのことがあまりにも霧の中で、何から手を付けて良いのかもわからなくてしばし呆然としていた。
とりあえずやれることを1つでも始めないといけなくて、頭を使わなくて済む、ただ1つ、また1つと手を動かしていたらできることをやっていた。
そんな時にふと「悲しみに浸る時間が与えられていた」と浮かんだ。
当時は仕事はとにかく過去最高に頭も使わなければ対人系のやりとりも1日トータルで10分もあればいい方で、コピー取ったりExcel入力したり静かに淡々と手を動かすみたいな仕事が90数%を占めていた。
コロナでもなかったけれど、普段から出不精で人にもそもそも会わなければ、元々1人の時間がないと発狂しそうになるから、だから1人になって静かに物思いにふけるみたいな時間がけっこうまとまってあった。(「でぶしょう」と入れたら、「デブ症」と最初に変換されて、iPhoneはとうとう使い手の体型まで見越しての変換をするようになったのかと思った( ̄∀ ̄;)。ちなみにデブ症なんて一度も言葉として使ったことがない!)
純粋に悲しみに暮れて、涙も流せるだけ流して、悲しみに蓋をすることもできなかったくらいに悲しみに集中していた。
今日があれこれ忙しかったからわかる。
悲しみに浸るには、そのための心の余裕がそもそも無いと駄目なんだと知った。
本当に煩雑極まりない、毎度のことながら私は見た瞬間に「ヤバいよこの資料」とわかっても周りはそのヤバさがまだ目にしていないからわからず、そして量が半端ないから(これから100枚近い資料を完成させていく)もはや量も多ければ内容もツッコミどころ満載過ぎて戦意喪失、だけど何とかしないといけないからあちこちに行って確認取って動いて、とにかくボーッとしている時間はなかった。
もう1つの来月の予定の方は、友達何人かに細々とした連絡をしたり、モヤモヤするようなこととは違うけれどもけっこう勇気や覚悟や決断を問われるようなこともあって、頭を使うところがある(基本は楽しみなことだけれど、配慮が必要なことが何点かある)。
とにかくそんな風だから、心の中が「この仕事、どこから手をつけよう?」だとか「この件についてある程度心をクリアにして決めなきゃ」だとか、そんなことがいくつも重なっている。
悲しみに浸るには、悲しみに浸るための心の余裕とそれを感じるための心の余白スペースが絶対的に必要で、5年前はそこが十分与えられていてそして私は文字通り「悲しみに浸っていた」。
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悲しみに浸らなくても色々振り返ることやそれを言葉にすることを今回はとても迷った。
(今回=丸5年経過した2022年9月の終わり)
自分のことなんだから、本当なら誰に遠慮する必要もないし思ったようにしたら良い、そう思う一方で別のことも気になりだした。
今年は特にずっとずっとイケメン上司話題をブログに書いている。
書き過ぎなくらい書いている。
突然だけど、こういうのって重たいんじゃないかと思った。
今さら過ぎるけれど、本当にこんなにやりたい放題好き放題に書いて、読み手側はどんなものかと思った。
書いてはダメなきまりなんて無くても、反対に何でも書いて良いというのもなんだか判断に迷ってしまう。
イケメン上司も飽きたのか新しい誰かでもいるのかはたまた単に忙しいのか、もしくは私が書く内容がいちいち重た過ぎるのか、ブログを見る頻度がすごく減ったのはわかる。
ネットの集計システムなるものは、ペンジュラムと違って具体的な数字を挙げてくるし文字や数字でのわかりやすい情報を出してくる。
いつまでも私が相手にしてもらえるなんてそんなおこがましいことは思っていないけれども、いざ見てもらえないようになると寂しさも出てくる。
そして、毎回同じようなことを言い続けることも、もしかしたらイケメン上司からは負担とか重たいとかそういうものでしかないのかもしれない。
そんなことを思い始めたら、区切りだからという私側の勝手な決め事でさらに同じようなことを発信するだなんてどうなんだろう?と思った。
そうやって迷い出したら、書く内容も自分がどうしたいのかも色々ブレブレになって、仕事中(←こらっ!)ネットのYES NOタロットなんかをして、そこにもよろしくないNO関係のタロットがバンバン出てさらに迷って、もう書くの止めた方がいいのかな…なんて思うようにまでなった。
(思うようになったけれども、こうして書いているから今は「書く」ことの心が決まった。)
イケメン上司の反応がないのは地味にじわじわとボディーブローが効いていて、言葉にして発信するって怖いとも思う時があれば、こんなことして何の意味があるんだろう?と暗くなるばかりの自滅型自問自答モードに入ったり、はたまた「重たいんじゃないか」疑惑がムクムクと膨れ上がったり…。
そんなこんなで、9月の最後の数日は思いっきり1日1日を強く意識していたけれども、イマイチ書き進められないのと、そして仕事も突如発生した台風案件みたいなのがやってきて、そうこうしているうちに10月になって、そうしたら落ち着いて書けるようになった。
ちなみに余談だけれど、もう少し元気だった9月の中頃は、今年は趣向を少し変えていつもとは違う視点からこの5年を眺めて文章にするなんてどうだろうとか考えて少しだけ書き始めていたけれど、結局そこに至れる力が残っていなくて今のようになっている。
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悲しみを癒すのに必死だった。
夜満天の星を久しぶりに見て、当時は星がよく見える灯りもないような山と田んぼだらけみたいなところに行って星を見に行って、時々流れ星まで見れたことを思い出した。
5年前の今頃は、とにかく自分の中に溢れている悲しみを何とかしようと、そして到底受け入れられないイケメン上司が不在の世界に日常に慣れようと、本当に必死だった。
私の準備が整わなくてもイケメン上司は決められた通りにいなくなってしまった。
当時は10月2日が月曜日だったと思うけれど、私は2日になるその時まで「もしかしてイケメン上司から連絡が来るかも」と本気で奇跡を願った。
さすがに引越しも終えて月曜日を迎える頃には、もうこの土地にもいなければ、会うことも不可能になると、受け入れられなくても現実はそうなんだという認識を初めて持った。
イケメン上司が連絡をくれるかも(ハート)!とかいうめでたい感じでは全くなくて、自分の中で奇跡が起こるかもしれないことに対して祈り続けるみたいな感じで、そうした意味で私は真剣にひたすら奇跡を願い続けた。
信じられないくらいの量の涙が出てもそんなの何の足しにもならないと言わんばかりに明らかにキャパオーバーの悲しみがひたすら押し寄せてきて、もはや何をどうすればいいのかさえもわからず、とにかくひたすらに自分の悲しみを何とか解消しようとのたうちまわる感じだった。
星がよく見えるところにちょくちょく行って、そこで人生で何度目かの流れ星を何回か見て、お願いだからイケメン上司と私とを繋げてくださいと願ったり、流れ星という超レアな瞬間に立ち会えることで一瞬だけ感動しているその時に少しイケメン上司の影が薄れてくれたり、そんな時間や瞬間を何度も何度もやり過ごした。
今は仕事の不満をぼやいたり、個人的な何かを心配したり、あれこれ心の中が日常の色んなことで忙しいけれども、当時は全然違っていた。
ただただ悲しくてイケメン上司がいない日常が信じられなくて、そのことだけに心の中は忙しかった。
そして書きながら思い出した。
当時は悲しみを癒すことに必死だったわけだけど、その大元には寝ても覚めても本当の本当に苦しかった、だからこそその苦しさが嫌で嫌でそれで何とかしたかったんだと自分の中で繋がった。
当時の自分の状態を言葉にするなら「苦しい」の一言に尽きる。
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2022/10/01(土)
土曜日の朝、新聞をペラペラとめくっていた。
何枚目かに一面、某車メーカーの広告が出てきた。
もしかして…と思って紙面を見渡すと、イケメン上司が乗っていた車と同じ車も載っていた。
そして色も同じ色だった。
イケメン上司は今も同じ車に乗っているのかどうかはわからない。
仮に乗っていたとしても、この後20年30年と同じ車に乗るというのは現実的ではないと思う。
乗り換えて全く同じ車種の同じ色でもない限り、いつかはもしくは既にその車ではない時がくる。
時間が経過するとはそういうことだし、それは仕方のないことだとも思っている。
自分の中の知っていることはずっと時間が止まっている。
そのモデルがメーカー側で廃車にならない限り、これから先も街中で広告でその車を見ることになる。
そして見るといつの時もイケメン上司をパッと思い浮かべる自分がとても簡単に想像できる。
そこまでのことを瞬時に想像した時、私は忘れられない自分をとことん許して甘やかそうと思った。
その自分を責めたり何してるんだろうと否定的に捉えるのじゃなく、それをOKにしそしてとことんその自然にしてしまう癖をそのままにして、飽きるまで自分に付き合いまくろう、そんな風に思った。
大きな悲しみはもうある程度のところまで癒されたわけだから、あとは残りの小さな習慣や日常的な無意識にやってしまうパターンなんかはもうそのままでも良いかなと思った。
いつかは何にも気にならなくなるかもだし、これから年を重ねれば重ねるほどまだまだ残っていくかと思うと半分ゾッとする気持ちもあるけれど、例えば50歳とか70歳とかそういう年齢の時にトキメキのような時間を思い出せるのはそれは貴重で粋だなと思う。
年齢はさして気にならない方だけれど、これからババアになる一方でそんな甘い蜜みたいなものを持つのは段々と難しくなるだろう中でそうしたものが1つでも2つでもあるのはとっても素敵だなと思う。
話は全然違うけれども、私は唯一10数回見たことがある映画が『タイタニック』だけれど(映画館でも数回見に行った記憶がある)、タイタニックの最後のシーンで主人公の女の人が90歳近くになっていて、20代くらいの若かりし頃の一生忘れ得ない思い出を回想するシーンがとても印象深く残っている。
小さな手鏡が沈んだタイタニックから出てきて、そのコンパクト越しに今の自分を見て「(鏡の姿は変わってないけれど)私の外観は随分と変わったわね」みたいな半分ジョークのような皮肉を言いつつも、それを手に持って自分の顔を見て、その先はその20代の頃に最も愛した人との時間を回想するシーンに入っていって、私の中ですごく印象的なシーンとして残っている。
そこまでロマンチックな感じとは違うけれども、そういう未来の回想シーンをいつかの私も未来の楽しみの1つに持てるだろうことは小さな希望だなと感じる。
それだけはイケメン上司と今後何一つ起こることが無くてもきちんと約束されたものだから、その小さな希望を楽しみに持って未来に向かえるのは嬉しい。
自分の未来に明るいものを思い描けないのは私の人生全体の特徴と言ってもいいことだけれど、まさか5年くらいしたのなら本当に未来への楽しみに当時のことが引き継がれて持てるようになるなんて想像さえしていなくて、自分の人生で初かもしれない。
子どもの頃から「今起こっている悪いことがこの後も起こるかもしれない」という不安がほぼ日常的にあった私からして、未来に確約された楽しみを持っているというのは、そんなこと過去に一度もない。
ちなみに悪運と感じることはその後繰り返されることはなくここまで無事に来れたけれども、代わりに別の大変さがやってくるから、それこそテレビゲームと一緒で1面クリアしたら次は難易度が上がる2面、3面…という感じ。
この後の人生もなんだかなだらかな道ではなさそうだけれど、その当時を回想する楽しみはこの先ずっと自分の中で持ち続けられることはすごく嬉しい。
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2022/10/04(火)
届くから書く、届かないから書かないというのは違う。
届く届かないは結果でしかない。
書きたいから書く
届けたいから書く
届く可能性に賭けたいから書く
そのくらいシンプルなことでいいんだと6年目の秋を迎えて初心にかえった。
もういつかは届かなくなるかもしれない、それはずっとずっと自分の中にある不安の種で、その不安が大きく膨らんで「もう書くことは止めようか…」と何度思ったかわからない。
イケメン上司の生活だって色々変化してるだろうし、私という人がイケメン上司の日々や人生の中でそもそもどこにいるのかもわからない。
もういない人の枠に入っている可能性は存分に高い。
でも、それは私の生きている世界や自分が選べる選択肢には関係ない。
私が今生きる毎日の中で、こうして書きたいかどうか、届けたいかどうか、届く可能性に賭けたいかどうか、それが全てなんじゃないかと思う。
自分の中でいよいよ書きたくもなく、届かなくてもどうでもよく、そしてありえない可能性に賭けるような熱意や行動力がなくなったら自然淘汰すると思う。
でもそうでない限りは、書きたいなら書こうと思うし、可能性に賭けたいなら賭けようと思う。
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