2022/05/20
昨日木曜日の夜だった(5/19)。
ブログが誤作動しているのか、本当に誰かがブログを見てくれたのか、1時間くらいの中であっという間に100近い訪問数となった。
大体、月に300超えるくらいの訪問数だから、それがいかに異常なのかわかってもらえると思う。
これがイケメン上司の足あとだったら嬉しいのにな〜なんて思いながら、風呂やごはんの準備に戻った。
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今年の11月をもって今の職場で丸3年となってその後の身の振り方を考える時期に差しかかっている。
この仕事を始めた2019年の12月、私はそもそも今のところに3年もいるとかそれさえも想像できなかったけれども、それよりも2022年という年の夏を前に当時とほぼほぼ同じようなことをブログにツラツラと書くなんていうのはもっと想像していなかった。
もっとさかのぼると2017年の夏を起点にしてもいい。
例えばその5年後の夏に、当時目の前にいたある男性がどうやら自分と魂の繋がりが強くて、その後色々なオカルト体質が自分でも気付けるほどに表立ってきた時に毎回何かしら見えない部分での強力な助っ人、助っ人というよりも本当に力を引き上げてくれる人物になるだとか、それ以上にブログが間を繋いでくれるものになってくれて、連絡が取れない代わりにどうやら元気だとブログの機能を通じて知れるだとか、っていうかこんなに時間が過ぎているのにその後5年先もなんだかんだとずっといる人(心の中)だとか。
そんなの考えられなかったなと思う。
ちなみに、当時と今とで色んなことが変わったけれど、唯一変わってないものとして挙げられるのはイケメン上司の存在だけになる。
今、他にもなかったかな…と思って思いを巡らせて、「あとはペンジュラムだけ」だと思った。
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2022/05/22(日)
5年前の今日、派遣会社から電話があって、イケメン上司のいる職場での仕事を初めて紹介された日だった。
諸々の用事を足すために出かけて、その時大きな白い鳥、つがいと思しき鳥2羽が低空を飛んでいる様子を見て、占星術講座を東京にまで受けに行ったのは3年前の今くらいだったなと思い出した。
当時、毎月深夜バスで東京に行っていたけれど、その時に野うさぎだのモフモフした白サギだの満月みたいな大きな月だの、とにかく毎回毎回何かしら特別なものを行く道中に見ていたことを思い出した。
今日出かけたのは昼間で、そして行き先の1つがイケメン上司が住んでいただろう場所のすぐ近くの雑貨屋さんだった。
妹に頼まれたおつかいで、頼まれたものを買った後、思いつきでいつもとは全く違う道を通ってみることにした。
ふと思いついて、このブログを再開させるキッカケとなった道と同じ道を通ってみようと思って、車を止めていたセブンイレブンを出て、近くのスーパー銭湯の脇の道に入った。
5年前の秋の日に通った以来2回目の通り道で、あの時は無我夢中で私の前を走る、イケメン上司の名字が入った店名を持つ洋菓子屋さんの車について行ったけれど、あの車に遭遇しなければ絶対に入らなかった道だなと思った。
しかも昼間の方が分岐点がいくつも見えて、私はうっかり迷子になりそうだった( ̄∀ ̄;)。
大通りに繋がる道角まで出てきた時、そこには何にも車が通っていなくて、でも5年前のあの日はその通りに出たらイケメン上司と同じ車が走っていて、本当にビックリした。
ついでだから洋菓子屋さんの前を通ったら、例の洋菓子屋さんの世界に1台しかない車が止まっているのを見た。
日曜日の昼間の原っぱに止められた洋菓子屋さんの車はとても平和だった。
まさかその車が、5年前私のこのブログを再開させる原動力となったものとはとても思えない、ほのぼのとした風景が広がっていた。
天気も季節も全部違っていて、当たり前だけれど、あの日あの時と同じことはもう二度と起きないんだなとしみじみと感じた。
もし5年前のあの秋の夕方の時間に、このブログを再開させようとしなかったのなら、今ある現実はなかったんだなとわかる。
神がかり的なことがたかが数分の間でいくつも起こって、それだけのものを見て私はブログを再開することの覚悟みたいなのが決まったけれど、もしそういうことがなければ私はブログを書くことも思いつかなければ、実際に今みたいに書くこともなかっただろうと思った。
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1つか2つ前のブログで、当時のことが現実に起こったことなのか夢の中のことなのか、時々区別がつかなくなると書いた。
話は少し違うけれど、ネットですごいものを見たから、それを見て「自分の中さえ変わらなければ、これは一生自分の中では生き続ける」と思えたことがあったからその話を少ししたい。
つい最近、『秋篠宮』と題された本が発売された。
この本は見てないからわからないけれども、この本にまつわる情報操作が為されていたことを私はこの目ではっきりと見て、さらに運良く情報操作が為される前の画面が自分のiPhoneの画面に残っていたからそのスクショまで撮った。
この本はAmazonでものすごい酷評をされて、私が見た最低の時のものは評価は1.5、さらには星1つのレビューが8割近くを占めていて(当時は150近いレビューがあったから星1つの評価が100以上あったと思う)、そしてAmazonで初めて見たけれども、星1つのトップレビューたちに軒並み5,000以上の「参考になった」が付いて、酷い惨状のレビュー状態だった。
なんならレビューも受け付けられないという謎のメッセージが出ていたし、とにかくおかしなことがいくつも重なって、そして今現在はその地の底まで落ちたレビューたちがAmazon側から大幅に削除されていて、レビューも回復して3を切るくらい、約2倍近くの数値にまでとりあえず回復されていた。
民主主義とは思えない日本の国の令和のこの時代にありえない情報操作が為されていて、あまりにも凄かったから私は物珍しさにスクショまで撮った。
それを見て、自分の辿った足あとはどんなに情報操作が世の中で為されていたとしても絶対に変わらないものなんだと、とても強く思えた。
イケメン上司がいた職場に行けたことも、いなくなってしばらくしたある日の夕方に色んなシンクロを目の前で見てブログを再開する決心ができたことも、全部自分の歩んだ道の中に本当の本当にあったんだなと思った。
これは何日か前の朝の通勤の時だけれど、対向車にはダンプカーがいて、そのナンバーが555だった。
このブログを再開しようと決められた背中を押してくれる1つの後押しの中に、「555」の車とすれ違ったことがある。
秋の終わりの夕方で暗くて対向車のナンバープレートなんてほぼほぼ見えなかったにも関わらず、なぜかその555のナンバープレートだけは一瞬だけものすごくはっきりと目に飛び込んできた。
2022年の今、もし5年越しに私がブログを再開したとしても、今ならもうイケメン上司から探してもらえることもなかったな…とはっきりくっきりと思った。
しかも再開した当時、その翌年に書いたもの、はたまたつい最近書いたもの、どれ1つを取ってもその時その時にしか書けないものばかりで、本当にその時その時で書いておいて良かったなと思った。
情報操作無し、その時その時の一本勝負みたいな感じで書き続けた先に今があって、それがいかに凄いことなのか、今回の国家的な圧力がかかったとしか思えない情報操作を見て、本当に地道にコツコツとやり続けることとやり続けた先に実感できるものがあることの凄さ、さらにはやり続けたからこその自分の中の信じられる力とか、そういうものは一朝一夕には手には入らない、そういうものをものすごく強く感じた。
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金曜日(5/20)に残業の後、家に帰る途中見かけたトラックの言葉に私は妙に魅せられた。
トラックには「環境通信輸送」とあった。
それを見て私は真っ先にこのブログが思い浮かんだ。
まずは通信環境があるということ。
そしてその通信が何百キロと離れた土地であっても、通信網を通じてきちんと輸送されている。
時代がもう少し前、今から10年前でもいい、その当時はまだガラケーが普通にあってスマホはちょうど出てきて少しずつ持つ人が増えてきた、変遷期みたいな頃だった。
もしその時に私がブログを書いたとしても今のようにはいかなかったと思う。
そもそもスマホからブログをアップすることは当時はしていなかったし、やろうとさえも思わなかった。
この間テレビで見て知ったけれど、2010年の頃と比べて今というのは情報そのものの量が50倍も増えているとのこと。
それはSNSの発達もそうだし、YouTubeやネットテレビなんかも含めて動画サイトや個人の人たちが情報発信できることも含めて、そうした諸々が重なって情報過多というかぐっと数が増えたと解説されていた。
だから例えば私のこのブログなんかは、宣伝もしていないし、今の目的は情報発信よりも特定の個人に向けての発信なわけで、だから普通の検索では引っかかりようがないし、その50倍に増えたと言われる情報社会の中で見つけてもらうことの方がうんとうんと難しい。
だから本当に意志がなければ繋がりようのない今だったんだとより一層強く思った。
もちろん私が「書く」ことを始めなければどうにもならないにしても、書くだけではダメで、イケメン上司側も何かしらの意志を持って探して見よう、読もうとしてくれなければ、どうにもならなかったんだなと改めて強烈に感じた。
単なる偶然でもバッタリでもなく、本当に意図しないことには起こることもない現実なんだとわかった。
通信が時代の恩恵に預かって輸送されていく。
ネットワークはもちろん目には見えないけれど、確実に色んな人たちの努力の結果、見えないところで繋がれていく。
さらにこれは嬉しいことの1つだけれど、イケメン上司の携わっている仕事というのはこうした通信に関わるもので、私もその超末端の中の末端のことに当時は携わっていたわけで、そんな風に関わったものが結局のところ、今のこのブログであったり見えないところにいるイケメン上司であったり、そういうところに全てが繋がっていて、それにはものすごく感動をしている。
例えば今やっている英訳の仕事で扱っている分野は、それも理系は理系だけれど、丸っと分野が違う。
ブログでも通信環境でもスマホでも、今の仕事だとどれもかすらない。
世の中には本当に色んな仕事があって、色んな物やサービスがある。
私の仕事の選び方は、業種や職種については全く選ばず、私側の条件、契約期間だとか勤務時間だとか時間給だとか、そういう選び方だったから、だからまさかピンポイントでやってきたお仕事の中身と今の自分のブログとが重なるだなんて、当時は全く想像もしていなかった。
イケメン上司がどうしてその仕事を選んだのかはわからないけれど、イケメン上司にしてみてもまさか自分の携わっているものとこの私のブログとが未来のいつか交わることになるなんて絶対に想像していなかったと断言できる。
そういう風に繋がれたことも、これははっきり言って棚からぼた餅状態だけれども、それでもそんな棚ぼた的な感じでもものすごく嬉しい。
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6月が近づいてきているせいか、イケメン上司に絡んでくる言葉がふわふわと自分の中に出入りしていて、だからしばらくはまたイケメン上司関連テーマをブログにアップするような気がする。
それ以外のことも普通にブログに書きたいとは思うけれども、とりあえず今はふわふわと浮かんでくるのがイケメン上司の何かだから、しばらくは流れに身を任せてみたい。
こんな風にストレートに書くと敬遠される可能性も十二分にあるけれど、その時は仕方ないと割り切りつつある。
関係ないけれど、仕事で勤務年数が長くなった分、初期の頃から関わってきたメンズたちとは仲良くというか色々言い合える、相談できる感じになりつつあって、つい金曜日もすったもんだに巻き込まれてたまたま立ち話をすることになった時があった。
私は基本的に距離を取って立つけれど、相手によって距離は様々で近い人はかなり近い。
金曜日の人もかなり近かったけれども、その時に「イケメン上司もこんな風なんだろうか…」とあらぬ方向に思考は飛んでいった。
その方も爽やかで仕事もバリバリして責任感の強い、なのに物腰柔らかみたいな人で、そんな人を前にすると、イケメン上司はどんな風に女の人たちに接してるんだろうか、また爽やかオーラを放って微笑なんかつけたくらいにして女の人たちから人気なんじゃないのかな…と仕事そっちのけで耳は仕事の方に集中していたけれど、脳内は別の関係ない場所に集中というか集中力の方向が間違った方に向かっていた。
そしてそういう想像をする度に「私には関係のないこと」とかなり卑屈気味に思ってなんとかその思考を止めようとするのが最近のパターンと化している。
6度目の夏というその数字というか時間にも気圧されて、ますます遠い存在のイケメン上司とそうやって数字や時間でしか遠さを感知できてない私と、そのギャップたるや本当に酷い。
今年の6月は何を自分が書くのか、それを楽しむくらいの気持ちで自分の中を覗きこめたらいいなと思う。
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