書き途中のものがあるけれど、先にオンタイムの話を書いてしまいたい。
昨日(5/26)の皆既月食の夜、友達のノムと電話をした。
お互いの近況やら仕事ですったもんだしていてそれの話とか、皆既月食に相応しい流れだね〜なんて話して楽しい電話タイムは終わった。
その後いつものように、ブログのチェックをした。
どうせそんなに見られていないだろう、と決めつけてブログの管理画面を見た。
私は最初見間違えたのかと思った。
普段見たことのない数字が訪問数として並んでいた。
そして直近にチェックされた記事が最大20記事までそのタイトルが表示される。
それらを見た時に真っ先に思ったのは
「何かあったのかな?」
だった。
そんなの私が心配しても仕方のないことだけれど、いつもとは違う感じが伝わってきて、何もないこと、月蝕だったからそれの影響で心の状態がいつもよりナイーブだったりオープンなことの可能性を信じたいと思った。
読まれてるのかどうかはさておいて(何せ1つ1つが長いから、それぞれの記事の中の気になるものだけを拾い読みしてるのかな…なんて勝手に想像している)、画面に表示されているタイトルたちを見て、本当にきちんと知ってもらえていることを感じて、言葉もないくらいにしばらく放心して、その後じわじわと喜びというか嬉しい気持ちを味わった。
書いている私でさえも、もはやどの記事がどこにあるのかわからなくて、さらにはタイトルを見ただけでは何を書いたかさえすぐには思い出せない。
その人が選ぶ記事たちは、開くとその中で共通点があるのがわかる。
それだけ多くのものを1200以上ある記事の中からピンポイントで選ぶというのは至難の業になる。
例えばその中にある共通のテーマに沿って私自身がそのテーマに沿ったブログを選ぶとするなら、そんなにピンポイントで正確には選ぶことができない。
本当の本当によく知ってくれてることが伝わってきたし、それだけのものにするにはそれだけの時間をかけてくれたことでもあるから、そのことに対してもとてもうれしい気持ちになった。
連絡してくれたらいいのに…、とも思った。
今なら数百キロの距離があるから、近付いてこられる心配もないし、ぐいぐいと寄って来られることも絶対にない。
ある意味とても安全だから、連絡もらえたらいいなと思った。
今日というより昨日(5/27)になってしまったけれど、皆既月食の翌日も色々とチェックしてくれたのはわかった。
2日立て続けにそうだったから、それでうれしい気持ちとは別に心配になる気持ちもムクムクと出てきた。
どうか無事でありますように…、と祈らずにはいられない。
皆既月食の翌朝、起きて歯磨きしながら茶の間のテレビを付けた。
何かのCMの最後1秒、2秒が映し出されたそのすぐ後、その人が当時乗っていた車のCMが流れた。
私は穴が開くほどにそれを見つめて、この皆既月食の翌日にこんなにテンションが朝から上がるものに遭遇できたシンクロに心から感謝した。
画面右下に流れている音楽のタイトルがあった。
そのタイトルを見て、色々と思うことがあった。
タイトルの中に『カタチ』という文字が入っている。
そのタイトルに含まれたカタチは、色んなカタチがあっていいし、それはそうだとわからなくても相手がそうだと感じるならそれでOKだなと思った。
ちょうど読まれたかはわからないけれども、チェックはされた記事の1つの中に姪っ子とのやりとりが出てきた。
私が出かける時に、当時3歳だった姪っ子から「ふみこもきをつけていってきてね」と抱っこしながらそのように言ってもらって送り出してもらったシーンがそこには描かれていた。
そこに私は愛を感じた。
姪っ子は私に愛を渡そうなんて思ってないだろうし、愛をプレゼントしている気も毛頭ないと思う。
だけどそのように言ってもらった私の方は、姪っ子とのやりとりに愛を感じた。
そう、カタチは何でもいいんだと思った。
色んなカタチがあって良くて、その中で私が何を感じるかは私の自由なんだと思った。
私がそこに何か温かいものを感じればそれがそのカタチだし、愛を感じればそれが愛のカタチの1つなんだと思った。
そのCMのタイトルが本当にドンピシャで良くて、朝からとてもしあわせな気持ちに包まれた。
元気なのかな?大丈夫かな?と気になったから、伝言メモのようなこの記事を先に書いた。
どうか無事でありますように( *ˊᵕˋ)
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