2021年5月30日日曜日

最後の挨拶とananと手紙



5月最後の金曜日。


脳内で再生されたものの記録。


中間管理職的立場のニシさんという同年代か少し下の年齢の男性が退職された。


ニシさんとは何回か仕事で絡んで、私はニシさんにお礼のメールを書いて出した。


役職が付いていてそこそこの現役の年齢域の人で辞める人は初めてで、初めて辞令を見た時は心底驚いた。


普段接点もないし、最後に仕事で絡んだのは数ヶ月以上も前だったと思うしでしばらくお礼のメールをどうしようかと迷ったけれど、ニシさんが辞める3日前の終業間際に急遽空いた時間が少し生まれて、そこで一気に書いた。


翌日出勤すると、ニシさんから心のこもったとても素敵な返信が届いたのがわかった。


その中でも嬉しかったことは、私の仕事ぶりを見てくれていたことと、そしてこの後も同じ市内にいるからもしバッタリ見かけたら声をかけてくださいと言われたことだった。


ニシさんと私とは学校とかの体育館の端から端くらいまで席が離れている。


部署も違うしとにかく仕事で絡まない限りは何も絡まない。


そんななのに私の仕事ぶりを見てくれていたのは本当の本当に嬉しかった。


ニシさんが最終日となった金曜日、定時間際になって大至急の英訳依頼がやってきた。


それで残業を急遽申請して残っていたら、ニシさんが色んな人たちに1人1人挨拶して回っていて、なんと私のところにまで来てくれた。


余談だけど、去年の年末に派遣先の会社は売上ガタ落ちで、一斉に派遣切りをした。


私はその時は契約が1月末まででその対象から外れたけれど、その後も英訳という特殊な業務のおかげで今も契約更新されているけれども、100人以上いる今のフロアで派遣は私1人しかいなくなった。


これはどの会社でもそうだけれど、派遣だというだけで距離を置く人もいれば社外の人という立ち位置をしっかりと区分して避ける人も必ずいる。


今の社内でも実際にそういう人たちもいるし、失礼なことを平気で言ったり態度に出す人たちもいる。


だけど、ニシさんはそのタイプでは全くなくて、あくまでも人と人として実際の仕事で絡んだ時も対応してくれた人だった。


そしてニシさんにそういうニシさんの接し方が良かったみたいなことをお礼のメールに書いたら、実はニシさんもそれは自分で普段から意識していて、人によって態度を変えないように気をつけているとあった。


ニシさんの様子を見ていると、全員に挨拶しているわけではなかったけれど、あのお礼メールもあってなのか本当にわざわざ私のところに立ち寄ってくれて、つかの間のおしゃべり兼挨拶をした。


メールだけじゃなくて、その時もニシさんは見えないところで私のことをよく見てくれていたんだと知った。


何せ英訳は誰から依頼されるものかわからないから、依頼されたらされた人の元へ行く。


ニシさんは「このフロアで武士俣さんのことを知らない人なんていないんじゃないかと思うくらい、色んな人たちのところに行っていつもすごいがんばってるなと思って」というようなことを言ってくれた。


たしかに縦横無尽に駆け巡ってはいるけれども、まさかそんな風に見てくれているとはその時まで全く知らなかった。


次も機械系の仕事とは書いてあって気になってさらにつっこんだら、ロボットを造る会社に行くと教えてくれて、それはずっとしたかったことなんですか?と聞いたらそうなんですと返ってきて、私は迷わずに「おめでとうございます」と言った。


そして、ニシさんが将来有名人になったら私連絡取って押しかけます!などとも言った。


その後ももう一度ニシさんは私の席の近くの誰かに挨拶に行ったみたいで、その時も私にまた「誰も残っていないのに武士俣さんだけ残っていて頑張っていますね〜」と声をかけてくれて、一言二言話をして最後ニシさんを見送った。







ニシさんとのやりとりを経て、私は4年前のイケメン上司との最後の時とを思い浮かべてその2つのシーンを並べて思った。


もしニシさんとのような交流が持てていたのなら、イケメン上司との最後ももっと穏和なものだったんだろうなぁと。


笑顔があってちょっとつっこんだ個人的なことも聞けて思ったことを思ったまま口にできて、それの真逆を行った4年前とは何もかもが違っていた。


当時の事務所は今のフロアの10分の1程度の広さで、顔も表情を読み解くまではいかなくてもそこそこ見える距離感だったし、少なくとも普通に喋る分にはその声がどこにいても聞こえるくらいの広さだった。


ニシさんが私の仕事ぶりを見てくれていたと知って、当時のもっともっと目が届きやすいところではイケメン上司から見てどんな風に私は映っていたんだろうと疑問を抱いた。


そもそも今とは違って置き物のように静かに淡々と仕事をしていて、パソコン画面やらなんやらで前は見えないイコール他者からも私の顔は見えない、声も出さない毎日だったから、空気と同化するくらいの存在感の薄さだったと思う。


そんな風なのにごはんに誘われたり長い手紙が入った分厚い茶封筒を渡されたりしたら、そりゃホラー級に恐怖だろうなぁと当時はよく思った。


そんなこんなを経てのイケメン上司最終日は、今回のような明るさは当然1ミリもなく、目の前のイケメン上司は今この瞬間がすぐに終わってくれますように!!!、と本気で願っているとしか思えなかった冷たさと突き放したような拒絶みたいなのと、色んな意味で強烈な最後だった。


間違えてもどこに行くのかなんて聞けなかったし、軽口を叩くなんてとてもじゃないけれどもそんな雰囲気も皆無であればそうするだけの積み重ねた歴史もなく、何もかもが重たすぎる空気感と表情を硬くする以外の選択肢なんてないような、そういう時間だった。


今だからある程度心に余裕を持って言えるけれど、あんなにも棒読み且つ心にも思っていないだろう「ありがとうございました」を言われたことなんか人生においてなかったと思う。


今この瞬間、すべてにごめんなさいと言いたくなるくらいに私もやらかした!としか思えなかった、そういう強烈極まりない瞬間だった。


ニシさんとの挨拶とは似ても似つかわない挨拶で、本当にもしニシさんとのやりとりの10分の1でもいい、そういう時間をイケメン上司と仕事で持てていたのならもしかしたらもう少し柔らかい感じの最後を迎えられたのかもしれないななんて思った。







残業の後、当初予定していたコメダに行った。


この週末に保存期間が切れる3時間強の占星術講座の録画ビデオをダウンロードするには安定したWi-Fiが必要だから、そのためにコメダに立ち寄った。


私は当時2日に分けて手紙を書いた。


初日は下書き。


2日目は清書。


どちらかは駅前のドトールで書いたことは覚えているけれども、もう1日はどこで書いたのか丸っと記憶がない。


当時は家を建て直している最中でプライベートスペースがなかったから、私は外で書いた。


もう1日はコメダだったのかな?、でもここに別の日に来てananを見たのは覚えている、とそんなことを思い出した。


ダウンロードしている間、持参した日記帳を開いて日記を書いていたけれど、ふと気になってananを本棚から取ってきて開いて見てみた。


当たり前だけど、4年前に連載されていた小さなコラムは無くなっていた。


無いのは予測していたけれど、その中のどんな言葉に自分が勇気づけられたのかそれが気になって、過去のブログから探した。


何せどんな言葉か完全に忘れていて、あちらこちら探してようやく出てきた。


【彼は、よくあんなに勇気を出せるな、とあきれるかもしれないが、記憶に残る。】

anan  2018.10.17号』


この言葉を改めて見て、本当にその通りになれたんじゃないのかと思う。


呆れたかどうかはわからないけれど、少なくとも記憶には残れたと思う。


まさか、こんなにも自分が書きまくることも想定していなかったけれども、それ以上にイケメン上司がその書きまくりなブログたちに懲りもせず延々と付き合ってくれることはもっともっと想像できなかった。


どんな風に私が記憶に蓄積されているのかはわからないけれども、少なくとも私という人間がこの世に存在しているということは記憶してもらえたと思う。


過去のブログを探していた時に別のブログも目に入った。


【咳はその人の命の音だった。

私はその命の音をいつも耳を澄ませて聞いていた。

咳の音がすると、キョロキョロして、他の人がしてないかを確認した。

その人だとわかっていても、確認せずにはいられなかった。

咳で生存確認するなんておかしいけれど、それぐらいに大切な音だった。】


その様子が目に浮かんだ。


そうだった、そうだった、咳で生存確認をしていたんだった、と思い出した。


書いておくことでその記憶がすぐによみがえる。


しばらく忘れていても一瞬で記憶は戻った。


そういう記憶の残り方をした存在がイケメン上司なんだと改めて認識した。







ニシさんとの最後の挨拶の時間を思い浮かべて、そしてイケメン上司との最後の挨拶の時間も思い浮かべてということの何回目かをコメダからの帰り道の車の中でやった。


その時に私は思った。


たしかにニシさんとの時間は心地良くて本当に気持ちの良い最後ではあったけれども、それよりも硬くてそこだけマイナス何十度みたいな業務用大型冷凍庫みたいな寒さで何もかもがピキッと凍ってさらに寒さと重さしか感じられないそんな瞬間でも、その強烈極まりないイケメン上司との最後の刻(とき)の方が自分の中に死ぬまで残るシーンなんだろうと思った。


笑うとかお互いに目を見て話すとかそういうものは何一つなくても、イケメン上司との最後は何がどうであってもそこに存在してくれていて、私の目の前に今の瞬間いてくれて、それが今生の別れになってもそれでも命を持ってそこに居合わせられる唯一無二の時間だったから、それに勝るものは何もなかった。


当時は最後は周りに人がわちゃわちゃいる中で挨拶した方が私の気持ちが楽かもしれない、なぜなら人がいればさすがにあまりにもつっけんどんにはできないだろうから、なんて考えたけれど、逆に超絶冷たくて「俺は今この状況が本気で耐えられません」アピールを全力でされても、やっぱり最後はイケメン上司と私しかいない空間で挨拶できて良かったと思う。


その瞬間だけは本当に誰にも邪魔されず、数少ないイケメン上司と私しかいない空間で、そしてイケメン上司も今思うと不器用なんだと思うけれども、上司だとか会社の人だとかいう社会人の顔じゃなくて、完全に個人としての私的な顔を出していた。


出そうと思ったかどうかはわからない。


もう隠すことができないくらいに嫌だったのかもしれないけれども、とにかくあの時は会社の肩書は全てぶっ飛んでいた。


あるのは個人としてのイケメン上司の姿だった。


甘さもやさしさも穏やかさも全て皆無で、あるのは冷たさと刺すような鋭い感じとすべてを拒絶するオーラと、とにかくあんなの二度は経験したくないようなものではあったけれども、それでもその瞬間を自分の人生に持てて良かった。


それはイケメン上司の命の時間と私の命の時間がきちんとタイミング良く重なってくれた瞬間だから、中身が何であれその重なったことの方が私には今でも大事なこととして残っている。


本当に変な話だけれど、ニシさんとばったり街中で会うことの方がイケメン上司と残りの人生のどこかで再会する可能性よりも何千倍と高いけれども、それでもニシさんとの挨拶では感じることのなかったものがイケメン上司との挨拶ではあった。


これだけ時間が経って、そして当時何一つ想像できなかった今みたいにブログが2人の間を繋げてくれるツールになる経過を経て思うのは、本当に凄まじかった最後というのは、嫌とか不快とか不愉快とかそういうこととは違ったんだろうなぁと思う。


そういうことではない、何かもっと言葉での説明がつかないような感覚だったんじゃないのかなと思う。


魂の引き合わせ方が凄くて、でもそんなの普段生きてて経験するようなものじゃないから、色んな意味でぶっ飛んでいて混乱と動揺と錯綜がミックスされたみたいな感じで、全体的に居心地も悪くでも気になるみたいな感じでもおかしくなかったと思う。


私がもし今とは違う容姿でイケメン上司のどストライクな容姿の好みの持ち主だったらまた違ったのかもしれないけれど(そうだったとするなら私に恋してくれたんじゃないのかなと思う())、何でこんな好みでも何でもない人が色々振り回してきて惑わして意味不明な行動に出るんだろう?とそういう感じだったんじゃないのかななんて想像している。


で、わりかし何でもかんでも赤裸々にこうして言葉にする私というのは、言葉による自己表現に苦手意識を強く持っていそうなイケメン上司からすれば、自分が言葉にできないものを言葉にする翻訳機みたいなものなのかもしれない。


今ついでだから言いたい。


普通にはありえないのかもしれないけれども、私は男と女という別の性だからってそれら全てが彼氏彼女とかパートナーとか配偶者である必要なんかないと思っている。


私相手だとどれにも当てはまらないあまりにも微妙な立ち位置なんだろうけれど、別にそれでいいじゃんとさえ思っている。


イケメン上司が一番付き合いやすい形を私は持てたらいいと思うし、私もいくらなんでも気持ちが向いてない人を無理やり自分に向けるような趣味も心の強さもない。


例えば星読みをして欲しくて一度だけ星読みだけして欲しい、でももちろんいいと思っている。


私はもう十分すぎるほどの生きる力をイケメン上司からもらったから、それの恩を返す意味でも何かお願いされたのなら二つ返事で喜んでやるし、形とか在り方とかは気にならない。


普段の人間関係なら絶対に嫌だけど、イケメン上司なら私は自分が利用されたって良いと本気で思っている。


それは私にとって、イケメン上司から利用されるだけの価値を認められてさらには必要とされることとイコールだから、喜んでやる。


他の人の時はそうはいかないけれども(なんなら断固拒否)、そういう意味ではイケメン上司は別次元の人だから、それが生涯で一度きりのお願いに終わってもその時はその時で喜んで受けるのにー!と思っている。


っていうか、こういうことを平気で言ってくるところがそもそもアウトなのかもしれない汗。


話を元に戻そう。


最後に交わした挨拶、「交わした」という言葉さえも話を盛り過ぎな感じのあの挨拶は、当時も今も変わらずにとても特別で尚且つ一生の思い出になっている。


そして4年近く経った今、ようやく少しだけ「嫌とか不快とかいうこととは違う気持ちもあったんじゃないかな」と思えるようになった。


好きとか恋愛感情とかいうよりも、言葉にならない感覚があったんじゃないのかなと。


イケメン上司はそれをどうしたのかはわからないけれど、そういうのはとても便利な言葉「魂の感覚」という風にしちゃえばいい。


私なんか都合のよろしくないものは全て「魂の感覚」でくくるのに。


よりにもよって相手が私で、一般の人よりオカルト的な体質や出来事の濃度が濃い目で、よってイケメン上司側に到来するものもずいぶんとちんちくりんというかヘンテコなものなんじゃないかと思うけれども、それはそういう魂的な意図や背景が強く働いてるから仕方ないと思う。


そうした変な感覚に対しての嫌悪感なのか違和感なのかであの最後の挨拶なら、仕方のないことだったと思う。


ちなみにそうであって欲しい。


私に対しての嫌悪感ではなく、意味不明な感覚、またはそういうものをもたらす私という人物に対しての嫌悪感であって欲しい(切実)。







手紙のことは気になって当時のノートや日記帳を開いて見てみた。


肝心のどこでどうしたかを書いていなくて、何でそんな大事な情報が抜けてるの!?と思ったけれど、どこかにはあるはず!と思って探したら出てきた。


下書きしたのはコメダの方。


そして清書したのはドトールだった。


私はそれをイケメン上司がいなくなった後に、当時の細かな記録を残しておきたいと思って、オシャレなデザインのシンプルな大学ノートを買って、そこにいくつかのすでに終わった予定を書き込んだ。(もっと書いておけば良かった!)


その中に書いていただけじゃなく、私はご丁寧に便箋と封筒を買った時のレシートを張り付けていた。


便箋はもしかするとイケメン上司も行ったことがあるんじゃないのかなと予想できる、イケメン上司が当時住んでいた場所から一番近いところのダイソーで買っていた。


その日の私は朝からイボ治療で皮膚科に行って、その後ダイソーに寄って便箋を買って、それを持ってコメダに行った。


次の日の日曜日は、今度はドトールに行って、そこで前の日の下書きしたものを推敲しながら清書して、それで最後終わった時に封筒に入らないことに気付いて、それで慌てて同じビルの中に入っている百均に駆け込んで茶封筒を買ったんだった。


レシートを見たら、閉店7分前でギリギリセーフだった。


そうだった、そうだった!とレシートを見て当時を鮮明に思い出した。


不思議な時間だった。


そしてそれは今でも思う。


あれは人間である私と何回も転生を重ねた私の魂とが同じ目的に向かって共同で書き上げたものなんだろうと。


捨てられるの覚悟して書いたけれども、1つだけ叶えてもらえるならば、何でもいいからイケメン上司の手元に自分の足跡を残したかった。


イケメン上司の隣りで誰が生きることになっていても、私はそのポジションには決して立てなくても、何でもいいから出逢えたことの印を残して渡したかった。


名刺も持たない、仕事中に仕事のメモは渡してもそれはその場限りのもので残らない、連絡先の紙もどうなったのかわからない、何にもなかった私にとって、物体化したもので何かを残すとなればそれくらいしか思いつけなかった。


こんなにもブログをチェックしてくれてるところを見ると、手紙はもしかすると今もずっと本人の日常の空間のどこかにあるんじゃないのかなと思う。


その手紙がどんな意味があるかなんてわからないけれども、邪険にはされてないような気がするし、なんだかんだとわりかし重要な位置に置いてもらえてるかもしれない。(むしろあんなの危険すぎて、他人に見られたくない代物だと思う。)


そうやって手元に残してもらえたのなら本望だし、それだけでも残ることができたのならスーパー御の字になる。


自分の足跡が、自分の手を介して生まれたものが、誰か他の人の人生に入り込めるなんて、ものすごい奇跡だと私は思っている。


他人の人生には勝手には入り込めない。


特に何の関係もない場合は、さらに相手の人生との距離感が無限大に悲しいぐらいに広がっていく。


入る隙なんてない。


そんなところに私は無理矢理橋を渡そうとしたわけで、自分の無謀さには自分でも呆れ返ったし、なんていう古風で重たくて迷惑行為みたいなことをしようとしてるんだろうと何度も何度も思った。


しかも突き返されたら嫌だから、私は本人がいる時に本人の机の上にお願いしますとだけ言って置いたというか押し付けてきた。


ますます全ては波乱の色しか見えなくて、本当に私は何してるんだろ?とどこかで冷静に思っていた。


そうした波乱色のものが4年くらいしたら、「あれ?意外にもあれは手元にあったりして」と思えるんだから、なんとも頭の中がめでたい。


あれこそブログとは違って姿形を変えないどころか中身も更新されない、時と共にひたすら古びるしかない代物だけれど、なんなら材質は紙だから経年劣化も確実にあって色が朽ちててもおかしくないけれど、それでも今もまだご存命なら嬉しい。


私という人は色々と予測不能で変な人だったんだろうけれども、手紙共々記憶に残れたのならとっても嬉しい。


何を書いているのかわからなくなってきたところでこれはおしまいにしてアップしよう。


普段の記憶力は穴でも開いてるのかと思うくらいに残らないことが多々あるけれど、ことイケメン上司絡みの諸々は時間が経とうが自分の人生の日常生活が変わろうが、何一つ取りこぼすことなく鮮明にくっきりと残っている。


今すごい可笑しな想像をしてしまったけれども


これだけ「イケメン上司」などと連呼して、命名したのは私だし、この上ないくらいに本人の特徴が正しく盛られていて社会的立場もわかる素晴らしいネーミングセンスだったと超自己満足しているけれども、これが万が一本人から連絡が来たらそれこそ呼ばれた本人も呼んでる私も超絶恥ずかしいことになるって今さらなことを思った。


でも本名は出せないし、AさんとかXさんなんてのもおかしいし、そうじゃなくても私のブログには色んな方たちを登場させてるからある程度固有名詞の方が書く上では都合が良いわけで、ってなるとやっぱり固有名詞ならイケメン上司が断トツで使い勝手がいい。


そして意外にも私はこのニックネームを気に入っていて愛着を持っている。


本人目の前にしては呼べないけれども、ブログの中のことだけならいいかと思っている。得意の開き直り。


もし万が一本人から直接クレームを言われるようなそんな奇跡が起こったのなら、その時は全力で謝ろう、そうしよう。

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