2021年5月16日日曜日

場所シンクロとたんぽぽの綿毛


たんぽぽの綿毛
強めの風が吹いていたのに
ずっとそこにとどまっていた

おしゃべり会場の高台
ここは私が30年ぶりくらいに
ブランコ恐怖症を克服できた場所でもある



わたし的に度肝を抜かれた話だった。

情報は一瞬だったし、情報整理は後からしよう!とおしゃべりに意識を戻した。


帰りの車の中で振り返った。


聞き間違えたかもしれないけれど、聞き間違えではない気がする。


私は決して情報を引き出してもないし、誘導尋問もしていない。


イケメン上司が住んでいた場所の近くにある某名所の名前を知らされた。


私は何かの冗談かと思った。


今でも半分冗談かと思っている。


ストーカーみたいな話で口に出すのもためらわれるけれど、えっ(°°)!!ってなった。


その某名所を私が知った理由は、そこが名所だから知ったわけじゃない。


名前くらいは知っていたけれど、それこそ私には東京タワーや東京スカイツリーがどこにあるのかわからないような、それ級の場所だった。


私がそこを知った理由はただ1つ、友達が住んでいるから。


それも帰りの車の中でウンウンと唸りそうになりながら過去の記憶をたどると、はっとした。


そこに通った回数は1回2回じゃない。


彼女と知り合ってからというもの、一番泊まった回数が多いのが彼女の家な気がする。


しかも最初に泊まった時のエピソードも思い出した。


彼女チカの家に泊まることをチカから提案されたのは、地球の裏側ドミニカ共和国にいた時だった。


チカは協力隊の時の同期で、私たちは日本に帰国したら帰国手続き含めた諸々のために数日東京への滞在が義務付けられていた。


私みたいに帰る家が遠い人は、帰国前に泊まる場所を予め確保しておかないといけなかった。


それでチカがぶっしーうちに泊まらない?とオファーしてくれて、うちってどういうこと!?と思ったら、チカは既に自分でマンションを購入していて家持ちだということをその時初めて教えられた。


そんなの2年以上一緒にいて初めて知ったことで、チカの家が具体的にどこにあるのかなんて全く知らず、チカに言われるがままに着いて行って、そしてその最寄駅がその某名所の場所だった。


チカの家にはその時に限らず何回も泊まらせてもらったし、なんならイケメン上司と同じ職場にいた頃かその直前のどちらかで2回ほど九州に結婚式に参列した時にもチカの家に泊めてもらって2人で余韻に浸った。


それ以来は行ってないと思うけれど、何せ足繁く通ったところだから、今でもチカなしで1人でチカの家に行ける。


都内に一体いくつの駅が存在するのか知らないけれど、もしかしたら最寄駅は同じではないかもしれないけれど、とにかくそんなニアピンで何回も何回も通ったところと同じ地区にイケメン上司が住んでいたなんて超驚いた。


色々場所を割り出すと、ものすごい確率でシンクロが起こっていた。


今金沢でパン屋を開いている妹夫婦が夫婦として最初に住んだ町は、イケメン上司が異動した場所の最寄駅から同じ沿線の2つないし3つ行ったところだった。


そこにも何回も通ったし、生まれたばかりの姪っ子を初めて抱いたのもその町だった。


そしてここ近年とても仲良くなれた友達は、イケメン上司が育った町に住んでいて、コロナが落ち着いて県をまたぐ移動も解禁となっていよいよ友達の発案で温めた構想を形にするとなったら、真っ先に訪れるのはその町かと思う。


3ヶ所とも全く違う場所に位置しているし、沿線も違う。


なのに私は知らぬ間にその3地点を制覇していて、自分の意志というよりもそれぞれ縁のある人たちから呼ばれて行ったらそれぞれがイケメン上司の人生の中の何かしらとも関わっていた、という結末になった。







それがなんだということにはもちろん答えなんかない。


何かあったとしても、今の現状、繋がってるわけでもなければ連絡も取り合える仲にも一切ない。


これを書けば繋がるなんてもちろんないだろうし、とにかくないない尽くしになる。


ないない尽くしではあるけれど、この奇妙過ぎる、でも絶妙な場所シンクロは自分の過去が肯定された気持ちになれた。


イケメン上司の育った町や職場の場所は、本人が選んだのとは違って気付けばそうだったレベルのものでも、それを何も知らない過去の私がもしくはイケメン上司と出逢った後の未来の私が私と縁のある人たちによって運ばれた場所と重なるなんて、ありえないくらいの確率なのにそのありえないを現実のものとして過去の私が体験したのは、私に自分の人生を信じる強さと自分の人生を肯定する力をくれた。


私に「人生大丈夫だよ」と教えてもらえた気分で、本当に色々と上手くなかった数多(あまた)の現実さえも、色んなことが重ならないことには起こりようもないことばかりで、その全てをじわじわと肯定されていく気分を味わった。


今調べて驚いた。


上の3つの時期はどれもドンピシャに人生トップ10、トップ10よりもむしろトップ5の方に入る長期人生苦行期にいずれも訪れている。


チカの家に初めて行った時というのは、私の人生が空中分解してその前と後とで合わせると10年くらい彷徨うことになる、その崩壊直後くらいの時だった。


42歳の私にもう一度当時と同じ状態でその10年分を経験してください、などと言われたら、うっかり間違うと自殺してもおかしくないなぁと真面目に思う。


先々は何一つ見えてないしどうなるかわからないけれど、40代の今の私がある種人生で一番落ち着いているように思う。


年代ごとに区切ると、本当に自分の人生に強制的に向き合わざるを得なくなってしんどかったのは、30代がダントツでトップになる。


その頃イケメン上司がどこにいたかなんてわからなくても、彼のどこかの人生の場所と私がチカの家に行かせてもらった場所とはピッタリと重なる。


姪っ子がこの世に生まれたというとてもおめでたいニュースの頃、私は過去全ての職場の中でダントツで一番しんどい、本気の嫌がらせを受けていた職場にいた。


仕事内容ではなく人間関係を理由に辞めたのは後にも先にもその職場しかない。


妹夫婦の当時の自宅だって、なぜそこだったかと言えば義弟の職場から近いというただそれだけの理由だった。


そこは弟がパン職人になるべく一番長く勤めた店になる。


この間弟と2人で今の金沢のパン屋さんでパンの準備をしながら話した時に聞いた。


今のパンのレシピって何が元になっているのかを。


当時働いていた店で覚えてきたものの多くが今の金沢の自分たちの店のパンのラインナップの多くに反映されているとのこと。(レシピは完全に2人のオリジナル配合で作られているけれど、その基本形となる構想の元はそちらの店で覚えたことが大半だと言っていた。)


生まれて2週間ほどの姪っ子と初対面した町は、それこそ妹夫婦はドミニカに私がいた頃に移り住んだんじゃなかったかなと思う。


途中で姪っ子も生まれて、そしてある時に3人で今度は三重に移り住むまでに住んだ町で、そこにもかなりな回数通った記憶がある。


私がイケメン上司の転勤先の地名を聞いてすぐにピンときたのは、妹夫婦の家に行くのにいつも通過した駅の名前だったから知っていた。


そしてイケメン上司の子ども時代を過ごした町に行くことになったのは、トータルで1年8ヶ月近くに及んだ引きこもりがあと半年もすると終わるという頃に友達に家に呼んでもらって遊びに行かせてもらったのが最初だった。


その時も先のことなんか全くわからなくて、何で今日も今日で今日が来てしまうのかみたいな、人生全体に対して後ろ向きまたは無気力だった時期なのは紛れもなかった。


だけど、その土地にある友達の家を訪れて、少しずつ私の心がほどけていった。


心がほどけていくキッカケの1つがその町で起こっていた。


だからイケメン上司の人生の何かしらと重なった場所というのは、どれもこれも私の人生が今の状態になるまで必要不可欠な場所ばかりになる。


どれも私には必然だったことばかりで、もちろんそれとイケメン上司の何かが重なるなんて、最後の友達の家以外は知らなかったわけだけど、実は人生のしんどかった時期さえもきちんと何か重なっていたと知れて、私は単純にその重なりが嬉しかった。







Sさんから見晴らしの良い高台で、チカの住むところのすぐ近くにある某名所の名前を聞いたあたりだった。


途中から私たちの座るテーブルの一角にたんぽぽの綿毛が止まっているのが目に入った。


ずっと気になっていた私は、途中で席を立って、Sさんに断ってその写真を撮った。


たんぽぽの綿毛の花言葉は「神のお告げ」。


その時は何がお告げなのかピンと来てなかったけれど、帰りの車の中から翌朝履歴書の見本をクローゼットの中から探して出すその時まで、それらを全部組み合わせて今ここに書いたことが完成して、それで「神のお告げ」がピッタリな言葉だなと思った。


30代の私は毎年違うことをしていたから、自分でも当時のノートや履歴書を見ないと何をしていたかすぐにはわからない。


だから姪っ子が生まれた2015年の12月というのが自分が何をしていたのかとっさにはわからなくて、それでクローゼットの中にしまってある履歴書を見た。


Sさんとのことで言えば、何で昨日だったんだろう、と思ったことがいくつかあった。


私の記憶違いでなければ、Sさんにはチカの家の話を最低でも2回か3回した記憶がある。


イケメン上司とSさんは共通の趣味を持っていて、その趣味の聖地なのかで某名所の名前が出た時に、私が「友達(=チカ)がその近くに住んでいて、友達は絶対にその趣味には出かけてないと思いますが、そこがもしSさんの家ならSさん大興奮ですね〜」みたいな話をした記憶がある。


だけど、昨日までただの一度もSさんはイケメン上司の住んでた場所については一切言わなかった。


イケメン上司の個人情報を守ろうとしていたのかもしれないし、単に言わなかっただけかもしれない。


Sさんが絶対に否定しないだろうことは想像がついたけれども、まさか私が今もズルズルとこのような心情になっていることは言えなかった。


なんなら今は男性9割な職場だという話をしたら「良い人いないんですか?デートに誘われません?デートしたい人いないんですか?」と聞かれたくらいで、余計と本当のことは言いづらいものがあった。


当時のことやその後から今に至るまでいくつかイケメン上司のことが話題にのぼったけれども(自分の名誉のために言うと、私からは話を振っていない)、なんだか不思議な気分だった。


時々自分の今の立ち位置や自分の人生の今というのがタイムスリップしたみたいにわからなくなる時があるけれど、昨日がまさにそういう感じだった。


その時のことを余力があれば文字に書き起こしたいとは思うけれども、書くかどうかはわからない。(昨日はすごい楽しかったけれども、ゴールデンウィーク明けから仕事が激務過ぎて心身共々疲弊したから、ゆっくりしたい。そしてゆっくりしてまた1週間が始まると、日常に忙殺されて昨日のことを書かないまま時間が経つ気もする。)


その不思議な気分の頃にたんぽぽの綿毛が私からもSさんからもしっかりと見える位置に着地して、そしてそれはテーブルの隙間にハマったことでそこからは動かなくなってずっと存在をアピールするかのように目の前にあった。


Sさんも写真を撮る私を見て「私も気付いてました!」と言ってたくらい、たんぽぽの綿毛の存在感たるやすごかった。


ブシ俣さんみたいに写真を撮ろうとまでは思わなかったけれども、ブシ俣さんを見たら私も撮ろう!、と言ってSさんも写真撮影を続けてしていた。


SさんはSさんのこだわりで私を「ブシ俣さん」と書くし呼ぶ。


武士俣ではなくブシ俣が大事らしい()


そんなこんなで、色々衝撃だった1情報ならぬ位置情報と、その位置情報によって繋がった私の過去と、さらにはそれら全て渾然一体となって私の人生への大丈夫サインとが一堂に会してやってきて、とても気持ちの良い風が自分の中に吹いた。


「魂の関係」と言うとくどさしつこさ満載かもしれないけれど、昨日の色んな話を経てこれが魂の関係ぽいなぁなんて思った。


これだけSNSや連絡手段が発達していつでもどこでもやりとりできる状況なのに、私といえばそんなやりとりは皆無で、昔々の何も個人の通信手段なんかがなかった頃同様に風の便りで誰かの安否や情報を知るみたいな


悪くはないけれど、私は普通に連絡を何の気負いや緊張もなくやりとりできる方が嬉しいんだけどなぁと思わずにはいられない。


「魂の関係」の一言を出してしまえば、仕方ないと少しは思えるし、もはやあきらめの境地にもなる。


まぁとにかく驚いた場所シンクロと、そこから導かれる人生への信頼感とが、「これでいいんだよ」と語りかけてくれるみたいで、これはこれでOK(ˊˋ*)と思っている。

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