日曜日の夜、「声楽家500人が選ぶ歌の上手い歌手」的なタイトルの番組を見た。
声楽家は190人の間違いだった。
とにかくそれを見て、感じたことがある。
一番「推し」の直太朗は、18位だった。
(一度でいいから「推し」という言葉を使ってみたかった。)
直太朗が18位だった時点で全く興味が失せて残りはダラダラと見ていた。
1位は私も予想したMISIA。
で、男性1位、全体2位だったのは玉置浩二だった。
直太朗推しとしては何で玉置浩二が2位なのかさっぱり理解できなかったけれど、まぁプロの声楽家たちは玉置浩二推しだった。
玉置浩二は尾崎豊のI LOVE YOUをカバーしたらしく、その映像がテレビでは流れた。
その時の1枚が今回の写真。
そんな風に色んな人たちの声を聞きながら、どの声も自分的には全く好きじゃなく、直太朗の声さえも好きでもなんか違う風に感じた。
ちなみに私は声フェチでもないし、普段声が好きとかそんなことを意識にも上がったことがない。
その前に見た番組でEXILEのTAKAHIROさんが出ていて声がいいとかいう話が出ていたけれども、私にはその良さがちっともわからなかった。
いつか見た番組で、芸人の川島明の声が一般視聴者投票か何かで1位だったかとにかく上位にランクインしていたけれども、それさえも私の中で「これじゃない」と何様かと思うような感想を抱きながら見ていた。
とにかく声なんていうのは普段の私からすると、興味ないランキング上位のもので、気にする要素なんかゼロと言ってもいい。
そのくらいの自分が、唯一声に全神経を注いでいた時期がある。
何が何だか全然わからずに、自分が全力で声を聴こうとしていることさえ気付かずに、とても無意識にそのようにしていた時があった。
だからその時以降私の声の基準はその声であって、あんな風に自分の全神経が持っていかれる声にその前もその後も出会っていない。
そもそもその時だって、自分がそんな風に声を懸命に聞き取ろうとしているなんて最初はそのことにさえ気付いていなかった。
あまりにも無意識すぎて、そうしてると気付いたのは、多分最初の日から数えて3週間とか経ってからだと思う。
しかも気付いても「気のせい」ということにした私は、そのことに本格的に気付いたのはさらに2ヶ月とか先だったかと思う。
そしてそれがとっても特別だったとさらにきちんと知ったのを今だとするなら、その時からおよそ4年も先になる。
もっともっとよく聞いておけば良かったなぁなんて全ては後の祭り。
声というのは波動で、その声が好きとか落ち着くとかいう時は、その声と自分とが共鳴している。
声フェチではない私は、基本他人の声には無頓着だし、相手がどんな声でもそれをどうこう思うなんてことも無いに等しい。
だからその声だけが本当にとっても特別だったとわかる。
自分が何かに対して無意識に深く反応するその感覚は、自分でさえも自分のことなのに決められない。
心臓がどうやって動いてどうやって鼓動を維持管理しているのか自分じゃわからないのと一緒で、声に対する反応もまさにその神的な領域の話で自分じゃ全くコントロールできない。
好きになろうと思って好きになれるものでもなければ、気にしようとして無意識に気にかけることもできない。
気付けばそうなっていた、なんて本当に神の領域だなぁなんて思う。
しかも私は無意識にその声に反応しても、他の人たちは他の人たちで別の声に反応するわけで、誰も彼もがどうして特定の誰かの声がいいのかなんて具体的に説明できないと思う。
説明できるような領域の話じゃない。
説明はできなくても自分の細胞はその声が良いって知ってる。
細胞にあらかじめ刻まれていたかのごとく、特定の声に自分が反応するようにできている。
それはその人が自分にとって特別な人だと気付くにはさらに私なんかは時間がたくさん必要だったけれども、当時の声に全神経集中していた自分の感覚こそが紛れもない本物だったと今にして思う。
テレビ画面の向こうの玉置浩二の声はたしかに上手な歌声ではあったけれども、私にはやっぱり違っていた。
玉置浩二の声じゃない。
自分の細胞が反応するのは玉置浩二ではない、直太朗でもない、もっと別の誰かだった。
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