2021年3月6日土曜日

雨の音を聞きながら綴る夜



夜早くに寝落ちしたら、真夜中に目覚めて今も起きている。

真夜中3時半を回った頃。


電気を消したらさすがにまぶたが重たくなってきた。


久しぶりに透明ケースから名刺を取り出して見てみた。


知らぬ間に紙の上に傷跡があって、ケースに入れていたのにどうしたことだろうと思った。


不思議な巡り合わせだった。


改めて、私の手元にその名刺がやってきたことの不思議と偶然のようであり必然のような感覚と、色んな気持ちがごちゃ混ぜになって出てきた。


確実に所属先や役職が変わったから、その名刺は今となっては幻の名刺になった。


本人さえももう手持ちの名刺がないんじゃないかと思うほど、もうオフィシャルには使えないその名刺を私はずっと持っている。


持ち歩いてお守りのようにしている。


朝の出勤は毎日どんなに早くても30分弱はかかる。


運転をしているとしょっちゅう色んな過去の出来事をあれこれ思い出す。


社会人1年目の自分のことや子どもの自分、はたまたドミニカにいた頃の自分、直近の昨日の自分、とにかく自由自在に過去を旅する。


そんな中、名刺の持ち主のことも相当な割合で登場してくるけれど、このことだけは他の過去とはずいぶんと違う立ち位置にある。


現実に起こったことなのに、時々どころかしょっちゅう「本当に現実だったよね?」と思うことがある。


手元の名刺だって、本人から手渡してもらったにも関わらず、まるである日突然私の生活の中に空から舞い込んできたくらいの摩訶不思議さを日毎に増している。


現実と非現実が常に入り混じって、半分夢の世界みたいな感覚に陥る。


名刺の後ろには、本人の日付印を拝借して押してある。


本人の日付印は共用管理のような状態だった上に、私は仕事で時々必要に迫られて使えていたから、ある時そっと名刺の裏にそれを押した。


「29」


平成、今年は33年。


指を使って数えた。


丸4年。


夏が来れば5年目に突入する。


時間の重さを感じた。


そして重さと比例して遠さを感じた。


もう夏はやってこない。


どんなに記憶を辿って記憶を反芻し続けても、あの時は戻らない。


それは仕方ないと思っている。


仕方ないと思えるようになったというか。


同じところを行きつ戻りつしながら、最近は少し違う風に感じる部分も出てきた。


いつか消えてなくなる、そんなことを思うようになった。


例えば今の日常は当時とはまるっと違っていて、日々訳の分からないところに自分がいるけれども、そんな風に日常を重ね続けたらいつかは記憶からそっと薄れていく、そんな風なのかもしれないなぁなんて思った。


少しずつ少しずつ薄れて、そして最後はあったことは消えなくても日常の思考からは消えていくようになるのかもしれない。





続けて書いてはいるけれども、話が切り替わるからスペースをわざと入れてみた。


本当は星読みの紹介をしようと思っていて、だけどそちらはとんと手が進まない。


この間、引きこもり後半期の時を含めた1年の星読みをしてみて度肝を抜かれた。


本当に私の手元にある本で当時の天体位置から割り出した部分を拾い読みすると、とことん引きこもりで大正解と言わんばかりのことが書かれてあった。


それを紹介したら、星読みの良さというか興味深さが伝わるかなと思って、それで書こう書こうと思いながらも全く1文字も書けていない。


星読みがしたいのとは少し違う。


星読みは手段でしかない。


星読みという少しは興味を持ってもらえそうなものをかざして連絡を取れる方法が欲しいだけなんだと自分で自分を認める。


そのようにしたい自分はいいとして、でもそここそ一番避けられてることなわけだから、星読みをするしない以前の問題だろうとも思っている。


私には正直よくわからない。


ブログを本当に飽きもせずチェックしてくれてるのはわかっている。


星読みだって適当に言ってるわけではなくて、度合いは知らないものの興味はあるんだろうなぁと思う。


だから興味のありそうなものを提示してみた。


とりあえず、自分側の意志を表明することが大事な気がしたからそのように綴ってみた。


もちろんお願いされたのならいつだって喜んでするけれども、私だってそんなことが本質的なテーマではないことくらいわかっている。


避けたいのではなく今さらとっても連絡が取りづらいのかもしれないと仮定して、仮にそうだとしても私は責める気も怒る気も呆れる気もない。


振り絞ってもらえた勇気にただただありがとうの気持ちだけが沸き起こるように思う。


ありがとうなのか何なのかはわからないものの、絶対に負の感情やエネルギーは湧かないと断言できる。


そして、星読みだけをして、はいサヨナラ、でもいい。


多少のコミュニケーションは希望しているものの、そんなのは私側の個人の希望であって、相手の意志を無視してまで取ろうなんて思わない。


こういうことを考える時、ようやく現実味が増す。


「何も交わらない」現実を感じて、それで現実に引き戻されて、うん、これこそが現実だと自分の心の中で唱える。


手元にある名刺は非現実のように感じて、交わらない今を自分の肝に銘じると現実味が湧くという、目に見えるものが非現実感を呼び覚まして、目に見えないものが現実感を生み出すってどんなパラドックスかと思う。


今「パラドックス」って出てきたから、意味を調べてみた。


Wikipediaによると

パラドックスparadox)とは、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。」

とのこと。


前提や推論云々のところはイマイチ言葉が理解できなかったけれど、最後の「受け入れがたい結論が得られる事」というのは本当にピッタリだなと思った。


こんなこと言うから余計に「星読みをして欲しい」なんて言えなくなるのかもしれないなぁとふと思った。


生涯でそれが最後になってもいい。


今一瞬目が閉じた。


今度こそ眠くなってきた。


真夜中のボヤキは毎回はちゃめちゃだけど、これが紛れもない自分が書いたもので思っていることだから、このままアップしよう。

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