色々下書き途中のものがあるけれど、今日はとりあえず41歳最後の日だからそれにちなんで書こうと思う。
仕事では相変わらず色んな不具合や予期せぬことが起こる。
そんなこんなの中で1つ気付いたことがある。
私が今ここにくるまで、ものすごくたくさんの人から育ててもらったということ。
ニート引きこもり時間もあるものの、大学卒業してからちょうど20年の節目を迎える。
10数年社会人をしてきて、とにかく本当にたくさんの人たちから力を貸してもらって、私が頼まなくても周りの先輩方が気付いて手や目をかけてくれて、はたまた聞いたりお願いしたりすれば快く力になってもらって、自分がどれだけ恵まれてきたのかをこの1年でたくさん感じた。
1年前の今頃、私は人生初の教育係的なことをした。
それもよくよく考えたら変な流れではあったけれど、正社員の人ではなく派遣の私がしばらく面倒を見て(正社員の人からお願いされた)、でも色々不具合ありすぎでそのことを一番見ていたという理由から私が教育係中に担当してわかったことをExcelでA3にして3枚近い量の資料を作成してそれを部長と正社員の人たちに説明をした。
すごく不思議なことを担当したけれども、その子が来たことでより一層よくわかった。
自分がどれだけたくさん恵まれていて、どれだけたくさんのサポートを随所随所で受けていたのかを。
私は元々の能力は高くない。
人よりも得意なこともあるけれども、どちらかと言えば人並みにできないことの方が多い。
例えば今だって、WordやExcelの使い方が怪しくて、周りの人たちに質問することも多々ある中で、私は周りがビックリするくらいにメモを取る。
ホーム→表示→〇〇ボタン→右クリック→●●選択→……
とかいう風に手順を細かく書いておかないと基本あとから見直してもわからなくなるから、だから細かくメモを書く。
それはできない自分なりの最大限の工夫で、未だに滅多に当たらない仕事に当たると大学ノート1冊丸々私専用の手作りマニュアルになっているけれど、それを見ないと何もできなかったりする。
それはそうとして、とにかく人に恵まれての今で、もし私がそうしたことを体験せずに大人になったのなら、かなりしょうもない大人になったと思う。
今の仕事をするようになってから、とにかくありえないほどのイレギュラーなことにほぼ毎日のように当たるし、マニュアルなんかない中でひたすら交渉や相談をした上での英訳だったり他の業務だったりする。
力になってくれる人たちももちろんいるけれども、塩対応する人たちも多い。
そんな中でもやってこれたのは、過去の社会人生活の中でたくさんの人たちに助けられて、そこで得た生きる力や対応する力があってこそだと感じる場面が多い。
今も今で本社のご意見番大御所的なMr.ダンディに助けられて、難局の場面をいくつも乗り越えているけれども、本当に人に助けられての自分だということだけは常々認識している。
意地悪みたいな言い方だけれど、1年前に見た子に関しては、本人の性格や能力も一因だと思うけれど、とにかく圧倒的に周りからのサポートが少ない。
コロコロと教育係が変わっている中で、私が受けてきたようなものを手にできてないことはわかる。
私が恵まれすぎだったのかもしれないけれど、それにしたって本当に恵まれていない。
そうしたことを目の当たりにして、自分が受けてきた数々の幸運のすごさを思う。
そんなこんなを感じながらの41歳で、次の42歳にバトンタッチしようとしている。
2021/03/10 6:11
「しあわせな41歳」
ブログのタイトルをどうしようかと思っていた。
さっきふと、「しあわせな41歳だったな」と思った。
そのように感じた理由は色々あるけれど、パートナーも子どもも財産と呼べるようなものも定職も社会的肩書も何にもないけれど、それでも私はこの1年の最後の日、「しあわせだったな」とものすごく自然に思えるくらいにしあわせを感じていた。
41歳最後の日も明日の誕生日も私は1人だけれど、さみしくない。
どんな風に過ごそうかと考えるのも楽しいし、自分のために花を一輪買ったり、花瓶がなくてペットボトルに挿したり、こうしてブログを書いたり、牡蠣のバター焼きを作ったり(初レシピ)…、どの瞬間も満たされていたり喜怒哀楽を存分に味わって生きている。
ただそれだけのことがとっても嬉しい。
この自分のしあわせ回路、本当に素晴らしいと思っている。
何がなくともしあわせを感じられる今、41歳最高だったなぁと思える。
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