2021年1月10日日曜日

占星術紀行2021【前編】



今日(1/9)の昼間から、とある占星術講座をWEBで受ける。

西洋占星術界では多分一番本を出してるだろう大御所先生、松村潔氏の単発講座を年末に申し込んだ。


ある日、松村先生のサイトを見て(何か探し物をしたような気がする)、そこでたまたま先生が単発で3回ほど講座をすると知った。


しかも1回目の今日は「キロン」という傷と癒しをテーマとして持つ天体についての講座で、松村先生自体も超マニアックな上、キロンをメインテーマに据える占星術講座なんてまず見かけないから、全く様子は想像できないけれど、見るだけ見るのは楽しみだなぁと思って申し込んだ。


受講料も「元取れるの?」と思うくらいに安くて、これで内容がつまらなくてもその値段ならいいか!となって申し込んだ(ちなみに2時間で3000円台)。


何を目指す気なのか、とにかく占星術に対しての熱がジワジワと最近押し寄せている。





去年の秋くらいからメルカリで絶版本や手に入りにくい占星術の本が買えると知って、かれこれ4ヶ月ほど毎日メルカリチェックをしている。


メルカリでは12冊、その他にもヤフオクやネットのブックオフでも少し占星術の本を買った。


今は順番にその日の気が向いたものから読んでいる。


昨日(1/8)、ヤフオクで買った絶版本が1冊届いた。


北海道の人だというのは知っていたけれど、その人は個人ではなくおそらく個人経営しているだろう古書店の方だった。


30年以上も前に発売されたにも関わらず、とても綺麗な状態で届いた。


古書を注文するようになってから本のにおいを嗅ぐようになったけれど、甘いにおいがしていて、なんかいいなぁと感じた。


この本は一か八かの賭けの本でもあった。


去年買った絶版本の中に、今回買った門馬氏の名前が謝辞の中に出ていた。


どうもその著者の師匠だったようで、本を出す運びとなったことについてお礼を言われていた。


その本も少ししか読んでないけれど、そもそもの考え方がすごく好きだった。


自分の星を知って自分の人生に生かそう、そういうことを提唱している方だった。


その方の師匠が門馬氏ということで、私の中の期待値が高まった。


ただ、門馬氏の本は、正直当たり外れが相当あるのか、Amazonだと絶賛する人と酷評というか良くないという人と分かれるタイプなのはわかった。


だから賭けてみて、まぁダメなら仕方ないかとあきらめられる値段で出ていた本をヤフオクで落とした。





少し話は逸れるけれど、「値段」というのが私にとっては買う買わないを判断するのにとても大事な項目だと最近腑に落ちた。


基本「安い」と自分が感じることが大事で、それは数の大きさ小ささで安いと判断するのではなくて、その1つのものに対して「安い」と感じられるかどうかになる。


だから例えば、1000円でも高いと感じる本もあれば安いと感じる本もある。


私がずっと探し求めている絶版本については、個々に価格上限みたいなのがうっすらとあって、そこを越えない値段で出てきたら速攻買う予定でいる。


ちなみにその中の1冊は今Amazonで80万円を超える値段がついている。


そんなのは絶対に買わないから、私の中のその本の適正価格4000円前後になるものを見つけたのなら買おうと思っている。


値段云々よりも私が抵抗なく「買う」と決められることが大事なんだとわかった。


私が抵抗なく「買おう!」となる時は、それはすなわち私にとって必要なものがやってくることのサインだと、いつかのノム(占星術講座の時のクラスメイト)との電話の時にノムが言ってくれた。


それを言ってもらってから、私は自分が値段に一喜一憂することが大事なセンサーなんだと認識できるようになった。


そしてこれは自分でもわかるけれど、「買おう!」と決められた本に関しては、どれもこれも当たり本というだけじゃなく、私に大切な知恵を授けてくれるものばかりだった。


多分その知恵こそが必要なんだと思う。





冒頭の本は、開いた瞬間からノックアウトだった。


パラパラと開いたページにはおおよそこんな風に書いてあった。


自分の気になるところから読むと、そこに今の自分に必要なことが書いてある。


探したけれど、そのページは探し出せず(苦笑)、でもその言葉を見ただけで著者のことが大好きになった。


順番に読みなさいと言う本も基本的には見ないにしても、自分の気になるところから読んでそこには今必要なことが書いてあるなどと教えてくれる本も基本的にはない。


そんな風に言われたら俄然気になってパラパラとめくった。


牡牛座のテーマが最近気になってて牡牛座がパッと開かれたから少し読んだけれど、言うほどの感動はなくて(もちろんグッとくるものはあっても、自分の中で「これじゃない」と思った)、じゃあ次はやっぱり魚座でしょ!と思って魚座に飛んだ。


魚座の説明はすごかった。


女性器の具体的名称をいくつか出して、それと魚座の特徴を絡み合わせて説明していた。


こんな真面目な本に普通にベラベラと女性器と絡めて説明される魚座ってなんだろう…Σ( )))) と思って、これもまた飛ばした。


魚座だから本の最後の方なわけで、そのままあとがきとかないかと思ってさらに先を見たら、「政治経済占星表ー星からのメッセージで、世界と日本の重大事件を予言する」というページが目に止まった。


1989年出版物で、1990年から2020年まで一言ないし二言で各年が説明されてた。


2020年はこんな風だった。


「世界は騒乱ブームとなる。日本では、既存の病気に対する医療能力の賞賛と、新しい病気に対する医療力の立ち遅れの批判が交互することになる。」

[『西洋占星術』門馬寛明より引用]


Σ∑(((゚Д゚;;;)))))//Σ∑(((゚Д゚;;;)))))//


もう絶句だった。


何をピンポイントで読むと、新しい病気の出現を予言できるのか知らないけれど、とにかくすごい予言だった。


他にもわかりやすいのが


「2007年

世界的な金融恐慌時代はじまる。」


「2017年

二十世紀末から実用化されている外国語翻訳機はだれでも持てるようになる。」


リーマンショックのはじまりを予言して、そしてGoogle翻訳が劇的に機能が良くなってさらにはスマートフォンの普及で誰でも持てるようになるのもその通りだった。


Google翻訳ならもっと前から存在していたものの、Google翻訳自体の内実はかなり怪しいところをずっとウロウロしていた。


使ったことがある人ならわかってもらえると思うけれど、Google翻訳で翻訳しても意味の通じない日本語が表示されるなんて以前はしょっちゅう起こっていた。


それが友達の1人が大学院に行き出した年、多分2017年だったかと思うけれど、その辺りから躍進的にGoogle翻訳が良くなって、今に至っている。


2020年1年間、ほぼ毎日のように使った私としては、その感覚がよくわかる。


本当にかなり性能が良くなったし、英語というメジャーな言語ばかりじゃなくてマニアックな言語の翻訳も相当数使えるようになっている。


それを門馬先生は予言していた。


それも星を読み解いての予言だった。


この門馬先生、只者ではないと知った。






ここから先が本当に私にとって大事な内容だった。


門馬先生の予言力すなわち占星術力は、当たる当たらないを第一としていたような時代に活躍されていた時でさえも、群を抜いて凄かったんじゃないかと思う。


並外れた研究と分析とを重ねて、おそらくそこまでの力を発揮されてたのではないのかなと思った。


いずれにしても、正確に星から情報を読み取ってそれを人々に伝えていたのではないかと想像する。


前の私なら「自分にはそんなことできない」で終わっていたと思う。


だけど今の私は違った。


自分はこれからどんなに勉強したとしても門馬先生のような読み解き方は絶対にできない。


私が仮にあと50年生きて毎日占星術を勉強して90歳越えになっても無理だとわかる。


それは私はしなくていいことだし、私の興味とも違うし、さらには私のテーマでもない。


私の星読みはそれじゃない。


ふと、12月に占星術初級講座の時の桐吉先生から受けた個人鑑定のことと、2018年の春の日、まだホロスコープを独学で読む練習を始めて何日目という時のある日の夕刻の車の中のシーンを思い出した。


先生の鑑定の時に、けっこうな時間を傷と癒しがテーマのキロンについて情報をもらった。


私は先生の読み解きを聞いて、自分のテーマの核となるものがより一層確信を持ってわかった。


「心の傷と癒し」


これが私の人生の中からは切っても切り離せないテーマだし、そして癒すためにはまず傷となるものが必要になるけれど、傷という区分においては私は十分すぎるほどたくさんの傷の出来事を体験している。


傷がない人なんて誰もいないけれど、そして私よりヘビーな体験している人もたくさんいるけれども、私の体験もかなり特殊で、ヘビー度合いを見たら決して軽症側ではなく重症側に位置するように思う。


私が体験したことの数々は体験せずに済む人の方が世の中では圧倒的にマジョリティだから、そんなものをいくつも複合的に体験するなんて、レアなケースのように感じる。


だから癒しをたくさん求めたし、癒さなければいけないとこれまた強迫観念級に思っていた。


キズの種類も癒しのプロセスの詳細や種類も、本当にスラスラと空で言えるくらいたくさん情報を持っているし、それはどれもこれも全部自分で体験したり調べたり専門家から学んで蓄えたものだから、自信を持ってこれはこうとかあれはああとか説明できる。


数なんて数えられないくらいに色んな手法を試したから、そしてどんなのが簡単とか効果あるとか、そんなのも自分の中にしっかりとインプットしてあるから、いつでもその情報を自分から取り出せる。


とにかく自分が少しでも楽になりたくて、そして生きづらさが軽減することを目指して、がむしゃらにやってきたことが自分の財産になった。


先生からはその辺りの人生体験やそれを今後どう社会に還元していくかというような内容を私のホロスコープから読み取って説明してもらっていた。


先生には私個人の体験や考えは一切伝えずに私のホロスコープを読んでもらったけれど、先生は星から本当に私の人生の特徴とそれらから見えてくる私の強み、資質なんかをとても丁寧に読み解いて、それはまさに私の人生と私自身そのものだった。


先生の鑑定以後、星を今後自分が読むにしてもキロン、すなわち心の傷と癒しをメインテーマに据えて探究を深めたいと改めて思った。


そして、もうひとつは2018年の4月の何日か、私が自分のホロスコープを自力で読み出してまだ何日目という時、駅のロータリー部分をぐるっと回った辺りで突然、「ポン」と立ち現れた感覚とその瞬間のことを思い出した。


その時のことをブログに書いた気がすると思って見てきたらあたりだった。





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買った本の中に、獅子座に対してのアドバイスが載っていた。


今読むと何でそう思えたのか不思議でならないけれど、私はそこを読んでてパッと言葉が出てきた。


「心の傷を癒すエキスパート」


ふわっと自分の中から突然降って湧いた言葉だった。


本にも鑑定書にも書かれていない。


だけどその言葉には、私が長いこと求めていて、長いこと知りたくて、長いこと姿かたちはないけれどずっと自分の中にあり続けてきたもの、そんな感じだった。


それが自分がやりたいことで自分ができることでもある、とにかく「わかった」という感覚だった。


そしてその言葉が出てきた時、これまでの色んな体験たちがすべて意味があって起こっていたことにも気付いて、私は運転しながらボロボロと涙が出てきた。


私は自分の人生に起こった色んなことを見て、「どうしてこんなことが自分の身に起こるんだろう?」と思ったことがかなりたくさんある。


大人になってからのものより、子どもの頃の方が心の傷として残るには強烈さが上回っている。


そして子どもの頃のものは、いくつかセラピーで緩和したものの、どうしても自分の中で腑に落ちなかったのが「どうして起きたんだろう」ということだった。


起きたことは仕方ない。


相手も子どもだったり、未熟なものを抱えた大人だったりして、仕方ないと思う。


何かの誰かのせいにするつもりはないけれど、でも「どうしてそのことが私に起きたのか?」という答えはずっとやってこなかった。


そのことに意味があるなら私は意味を知りたかった。


意味を求めても仕方ないと言われても、私はなぜ自分が犠牲者的な立場を経験することになったのかその意味を知りたかった。


自分が納得できる答えなら何でも良かった。


そして昨日運転中に出てきた「心の傷を癒すエキスパート」、それでものすごく納得した。


自分自身が色んな種類の心の傷を体験して、そしてそれを1つ1つ丹念に癒していく、そのプロセスのためには絶対的に必要な体験だった。


傷を癒す時、まずは「傷がある状態」が必要になる。


癒す対象がなければ、癒す行為さえ発生しないから。


そして私は自分自身が専門的な手法を用いてその癒しのプロセスを経験することで、「癒せる」という可能性を知った。


そしてそれは何も私に限ったことじゃなくて、誰でも使えるし誰でも自分自身にしてあげられる。


その一連のプロセスと自分の人生の課題とそしてこれからやりたいと薄ぼんやり浮かんでいたこと、それらが初めて合体した。


色んな手法や知識を習得してもずっとわからなかったのは、私はその学んだことをどうしたいんだろう?ということだった。


使えるのもわかったし、自分のやりたいことともリンクしてるのはわかってた。


だけど何のためにするのかがずっとわからなかった。


「自分を楽にするため」というのはわかってても、どこか決定力に欠けていた。


中心の軸がグラグラしてるというか。


でも昨日「心の傷を癒す」を軸にすると、その先は自分本来の力が増すことになる。


傷の部分に意識的でも無意識的でもこだわっていたところが抜け落ちて、代わりにその部分に費やしてた力を別のところに使える。


自分の状態を整える、そこにたどり着く。


2018年4月6日

『人生を紐解く』より抜粋

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門馬先生の本を見て、私の目指したいもの、星読みの使いたいところは、「心の傷と癒し」に繋がるものだとはっきりと知った。


上に抜粋した3年前になる4月のとある日のことは、今思うと啓示みたいなものだったんだと思う。


よくよく考えたら、変だと思った。


独学でホロスコープの読み解きを始めた素人が、いきなり早い段階でキロンに着目するというのはとってもおかしい。


しかもあれから3年くらい経とうとしているのに、私は自分のキロンの読み解きがほとんどできてない。


人生における心の傷とホロスコープ上にあるキロンが示すものとがどう繋がるのか未だにピンときてない部分の方が多くて、だから何?くらいに思っているところもまだまだかなりある。


そんな人が独学第1週目でいきなりピンポイントでキロンを見るなんて相当おかしい。


これまで1回も料理なんてしたことない人がいきなり肉じゃがではなく余った肉じゃがを使って肉じゃがコロッケを作るとか、英語さえも不得手な人がスペイン語のマニアックな方言を習得しようとするとか、そういうことを私はホロスコープの読み解きの時にいきなりやり出しちゃったわけで、今となれば本当にまんまと魂街道にはめられたように思う。


もちろん自分が好きこのんで選んだことではあるけれど、多分水面下では相当な調整が仕組まれていたのではないかと思う。


だって、多くの人は多分だけど、基本の10天体(水金地火木土天海冥)とか12星座の方から入っていくと思う。


私はそんなのも飛ばして、いきなりキロンから入っていって、そしてキロンを触ったことで上に書いた「心の傷を癒すエキスパート」というメッセージに出会っている。


必然と言わんばかりにそうなっていた。


門馬先生の本で大事だったのは、まず私が自分の気持ちや人生の計画に気付くことだったように感じる。


まさに「今の私に必要なこと」だった。





この一連の流れを見て、「あっ!」となったことがある。


当初、今年最初の占星術講座は、初級講座の時の桐吉先生と桐吉先生の師匠にあたるリマーナすず先生の共同開催の講座の第2回目の予定だった。


ところが松村先生の単発講座の存在を知って、それを年末に申し込んで、そして今年1発目の講座が松村先生の講座に代わった。


さらには、その講座はキロンをテーマに扱っていて、そうした諸々が重なっての今になる。


そして天体上の色んなことが切り替わった後最初の講座が松村先生のキロンの講座だった。


仕組まれた感がかなりする()


ちなみにその講座も読み通り面白い展開と相なったけれども、何せそこを書き始めたら永遠に終わりの見えない話になるから、一旦ここで切って後半にバトンタッチしたいと思う。


まだ何にも書いていないけれど、続きは後半にて。(アップできる時期はもちろん未定)

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