「人の縁なんてなるようにしかなんないんだろうなぁ
本当に縁があるんだったらジタバタしなくたってまた繋がる
そんなもんだろう」
〜「出て行った人そのままにしていていいんですか?」に対しての答え
朝ドラ『エール』第96話
2020年10月26日放送分
*
今年の正月は朝から忙(せわ)しなかった。
朝の7時頃、外の活動的な音で目が覚めた。
カーテンを開けて下の様子を覗くと、見た瞬間無かったことにしたいくらいの雪が積もっていた。
車は雪に埋もれているし、我が家の父だけではなく、お隣りの父息子ペアも、斜め向かいの若手ご夫妻も、隣りの隣りの父息子ペアも、みんなせっせ、せっせと雪を運んでいる。
無視したかったけれども、さすがに無視して良い積雪量ではなかった。
私も起きたままの格好を少しだけ軽装にして、靴下履いて、薄めの防寒具を着て、雪かきに出た。
その後まさか2時間も雪かきをひたすらすることになるなんて、想像さえできなかった。
父が痛風と思しき膝痛を訴えていたこともあって、途中から帰省中の妹が交代した。
私は正月の食べ過ぎを見越しての「雪かきダイエット」ということにしよう!と気持ちを切り替えた。
正月早々に夜明け前の除雪はもちろんあったけれど、なんとその日は午後にも除雪車がやってきた。
1日2回も出動するなんて余程のことがなければありえなくて、1日から2日にかけては12時間おきに除雪車が入っていた。
全国の天気予報で、新潟県だけが単独で予想降雪量のトップに名をかざしていただけのことはあった。
次の日もその次の日も朝の雪かき(1時間弱)は、三が日ずっと続いた。
1日の午前か午後の雪かきのどちらかの時、私は母に車庫の片付けを提案した。
タイヤの移動と他のわかるものの移動を私がするから、母お手製のたくわんの桶やら何やらは片付けて欲しい、そして1台分だけ今年の冬は車庫に入れようと言った。
新年早々全くもっておかしな展開ではあったけれど、せめて青空駐車場の3台分の雪かきから2台分の雪かきに減らさないと、これから毎日超大変でしんどいと思ったから、それで急遽車庫の片付けを始めた。
我が家は3年前の建替え時に車庫2台分に荷物を詰め込んで、必要なものは出したけれど、そうではないものは「捨てられない」症候群の母によりそのままになっている。
私は最初こそ口を出したけれど、それが余計と面倒なことになったから、それ以来口を閉ざしている。
そして、中のものは父と母のものだから、私がとやかく言うことでもないから家庭平和のためにもそっとそのままにした。
妹は細かな事情を知らないから、さすがに何で雪がない時に片付けないのかと母にどストレートにツッコんでいた。
最初母もそこまで乗り気ではなかったけれど、私は最低限の荷物だけ動かすよ、と一言言ってから動かし始めた。
そして、1台だけ入れられるスペースがわりとすぐにできた後、母も納得した。
雪かきの方が本当に大変で、しかも週間予報も毎日雪だから雪かきは果てしないわけで、それなら雪かきの負担が少しでも減る方が良いと肌で感じたようだった。
そんな風にして幕を開けた今年の元旦だった。
*
「あなたの無限の深みにある宝は、あなたの眼に触れたがっているのです。」
(引用:『預言者』カリール・ジブラン)
「自分の生き方を本格的に引き受ける」
引用『3年の星占い 魚座 2021-2023』石井ゆかり
石井ゆかりさんの2021〜2023年の星占いの本を読んだ。
元旦の日のお風呂の中の読書、新年一発目の1冊をそれにした。
12月の下旬に入る前に買ってあったけれど、バタバタしていてようやく読めたのがその時だった。
すごい余談だけれど、月星座を知っているなら月星座の方の3年占いもオススメ。
私の場合、獅子座で、本来なら太陽星座(みんなが「何座?」って聞かれた時に答える星座)に合わせて読まれている内容だけれども、獅子座も買って読んでみて、獅子座の内容がとってもしっくり来ている。
むしろ、獅子座の方が心の深い部分に響く感じ、私の場合。
ちなみに私は自分の月星座の獅子座の感覚がさっぱりわからなくて、巷に出ている月星座獅子座の情報を読んでも、毎回「???」とハテナがいくつも並ぶ感じでほぼほぼ共感できないけれど、石井ゆかりさんの今回の獅子座の3年占いはものすごくしっくりくる。
回し者じゃないけれど、月星座が何かを知っている人は月星座の分も見てみると面白い発言があるように思う。
魚座の話に戻る。
魚座に書いてあった
「あなたの無限の深みにある宝は、あなたの眼に触れたがっているのです。」
「自分の生き方を本格的に引き受ける」
この2つは、すぐにピンときた。
自分が持ち合わせた才能や資質と呼ばれるものは、持っている本人に気付いてもらえるのを心から待ち望んでいると思う。
私もようやく自分のことを受け取れるように少しずつなってきたけれども、自分の何かに気付くと自分の中に満たされた感情が湧く。
これまで無視してきた自分の一部分を、自分の中でも認めて居場所を作ってもらえたわけだから安心できたり、自分を誤魔化したりせずに済む。
満たされるのもその原理を思えば頷ける。
「自分の生き方を本格的に引き受ける」
これについても、言葉が伝えてくるものに「うん、そうだね」と頷けるほどになってきた。
40年近い時間をかけて今の自分があって、そして15年くらいかけてああでもないこうでもないと自分の生き方を推し測ってきた。
ここ何年かで自分の体質的なものや不可抗力的な人生の流れも徐々にわかるようになってきた。
アップするまでにまだ至ってないけれど、12月に人生3回目のホロスコープ鑑定を受けて、そこでも自分の生きる方向をこれからは定めていこうという気持ちになった。
だから、「自分の生き方を本格的に引き受ける」という言葉が自分の中にスッと響く。
もうそういう時期に入りつつあるんだと思う。
年齢がというよりも、自分の心の矢印が「探す」ところから「引き受ける」方にベクトルが変わった感じがする。
そういうことを元旦の夜、今年最初の読書で確認できたことはとっても良かった。
*
帰省していた妹に、元旦の日の夜、布団の向こうで突然「質問がある」と言われた。
何かと思えば、先月膝が痛くなった話に始まり、あまりにも長引くから近所のマッサージ師のおじさんのところに行って…という話に始まって、その後色んなことが出てきた。
妹はエンパス気質で、エンパスも色んな種類があるけれど、その中の相手の人の痛みを自分の痛みのように感じてしまうことがある。
(「エンパス」とは、しばしば「サイコパス」の反対の意味をもつ資質として取り上げられる事があり、共感力、感受性が非常に強い人の事をいいます。 エンパスの人は、並外れた共感力や、人の感情、エネルギー、その場の空気を読み取ることができます。
引用元:https://www.act-amuse-japan.co.jp/9676/)
最初、同僚の人の痛みが自分にも来たのかと思ったけれど、痛む箇所は同じでも痛みの種類が違うから、それも訴えてのおじさんからの施術だったとのこと。
おじさんからは、その痛みが霊障に当たるものだと言われて、おじさんはすごくショックを受けていたとのことだった。
私もおじさんから施術を受けたことがあるし、本来なら見えないものがそのおじさんには視える、要は視える人だというのも知っている。
おじさんいわく、妹というのは世にも珍しい霊障を全く受けたことのない肉体らしく、そんな人は基本的にほぼほぼいないとのこと。
多くの人は多かれ少なかれ何かしらもらってしまっているし、不調がなければそのまま気付かれずに終わることもある模様。
その辺りは私は素人に気が生えたくらいの知識しかないからきちんとはわからないけれど、何かしらもらってしまっているというのは仕方のないことくらいに捉えている。
自分に実被害がなければいい、その程度の考えしか私は持ち合わせていない。
で、とにかくエンパス気質でありながらも他人からの霊障をもらわない妹というのは本当に珍しいらしく、そんな健やかさを持った人さえも霊障を受けてしまうことにおじさんはショックを受けたようだった。
その霊障に関しておじさんは感じたいくつかの特徴を妹に伝えて、妹はその話から霊障の根源となりうる職場の話をしてきた。
私は今回は話も聞いたけれど、それと同時に自分の感覚にも目を向けていた。
私は思ったことをポンポンと妹に返しながら、時々はヒントみたいなことも伝えながら、2人でしばらく会話をした。
いつか霊視ができるヒーラーさんに言われた通りで、私というのはAかBかと聞かれたとするなら、直観的にAとわかる人ででも何でAなのかはわからない。
ヒーラーさんはそれを天才型と呼んでいたけれど、一方のヒーラーさんが秀才型と呼んでいるタイプは、AはAでも何でAなのか理論的に理由や背景を組み立てて考えてそれで導き出すタイプと言った。
私のはまさにそうで、妹の話を聞きながら、一度も会ったことのない妹の職場の人たちの特徴を実に的確に捉えている。
性格や人格的な特徴を1つのエピソードを聞けばスルスルと勝手に言葉が出てくる。
そしてその出てきたものは、私個人の価値観や偏見なんかは基本的に取っ払われていて、ただただ純粋に出てきたものを話す。
妹の場合はそこに悩みというか問題も横たわっているわけで、その解決策に繋がるだろう本質的なことも私はズバリと言っていた。
妹は40歳を前にまた新しい職場を見つけて1からやり直すなんて面倒で嫌だと言った。
妹の気持ちはわからないでもない。
でも私はそれに対して、まず第一声で言ったのが
「ユーコと店の波長が合ってないよね。
それは時間をおけば合ってくるものではなくて、今後も合うことはないよね。」
だった。
妹はその一言で全部わかったみたいだった。
続けて言った。
「波長も合ってないし、ユーコの良さが全く生かされないよね、今のところだと。
ユーコが大事にしてるものを店は大事に思っていない。それってずっと平行線だし、今はなんとなくそれでやっていけても、それがあと10年20年先もそうだってなれば、絶対にそれを続けることの方が近い将来1からまた始めることよりもしんどいと思うけど」
妹はそれを聞いて、実際に起こっていることまんまで合点していた。
そして言った。
「春先に1人辞めたって言ったでしょ。
これまではその子がいたから店の問題がぼやけていて、問題の諸々がその子がいることでわからなくなっていたんだよね。
でもその子が抜けたら、それまで隠れていたことがもろに出てきてしまって、それってもろに店そのものの問題だし、それってでもどうするとかもできることとは違うから、この先も何か変わるとかいうことはないと思うんだよね」
細かいことは省略するけれど、これこそが自分の見ている世界なんだと感じた。
表面の出来事はさして重要じゃない。
表面ではなく、その内容に対してポンと本質的な視点がさっと思い浮かぶ。
考えることも分析することもしない。
ただ「これだな」と思うものが自分の中に浮上する。
そういう感覚は私の中であまりにも当たり前すぎて特別とか人と違うなんて思ったことなかったけれど、多分こういう感覚こそが特異なんだと思う。
誤解を恐れずに言うと、私はこれまでかなりな数で「何でこの人本質とズレたテーマを話したり指摘したり問題と思っているんだろう?」と思ったことがある。
私からすると、論点がズレていて、それって今問題じゃなくない?とか、そこに注目してその後どうするの?何になるの?と心で毒づいたり、みんながみんなそうではないけれども、とにかく論点ズレまくりな問題提起や問題解決を山ほど見てきた。
私みたいに私情も絡めず、同情や共感もほぼほぼせず、ただ真っ直ぐに今あるものを見つめるのは実はものすごく珍しいのかもしれない。
ある種冷たいところもあるかもしれないけれど、それが友達であっても動じない。
数人で集まって例えばその中の誰かの悩みや今ある困ったことを聞くことが時たまある(今はもうゼロに等しいくらいにないけれど)。
さすがに場の空気は読んで発言するならするけれど、何か偏った見方や味方になることが私は苦手で、例えば今回なら妹の状況に同情したり共感したりはしなくて、そうではない、本当に本質的なテーマをパッと受け取るみたいなところがあるから、それは相手と状況とを見て言葉を選んで伝える。
そういうのってこれまであまり意識してこなかったし、自分だけがそんなことしているなんて思ってもいなかったけれども、よくよく振り返ってみるとそういう傾向って珍しい部類な気がした。
自分の中にあるものを、選民感を持つために意識する必要はないけれど、代わりに他の人たちと同じと捉えたり大したことない普通のことと捉えることをこれから少しずつ見方を変えたいなと思っている。
今回妹とやりとりしてそんなことも思った。
*
3日の日中、両親が買い物に行っている時間、妹に頼まれてオラクルカードを引いた。
6個(つい最近もうひとつやってきたから今は7個)あるオラクルカードの中で、妹が聞いて欲しいと言った内容に合わせて2つのカードを選んだ。
なんとなく、具体的な内容を示してくれるカードと、もうひとつは妹が自分のためにできることのヒントをくれそうなカードを選んだ。
最初に妹が自分のためにできることのヒントをくれそうなカードの方から引いた。
実はまだ1回しか使っていなくて、さらには全てのカードもきちんと見てなければ、全て英語でメッセージが書かれていて日本語解説はない。
相手は妹だし、まぁ何とでもなる!と妙な自信があって1枚引いた。
そして束になっている一番下のカードも見た。
両方すぐにわかった。
自分を中心に据えること。
それが妹へのメッセージだった。
「相手から変なものもらっちゃうかも」と心配するんじゃなくて、心配になったら自分の身体や自分自身の気持ちに集中すること、自分の気持ちや心を相手ではなく自分に向けること、そんなことを妹に伝えた。
その後、具体的な内容を示してくれるだろうカードを引いた。
こちらは3枚引きにして、過去・現在・未来を見ようと思った。
こちらはある程度馴染んできたカードではあるけれど、まだまだ十分とは言えない。
だけど、何が出てきても何かしらはわかりそうと思った。
ちなみに妹のカードはわかりやすいくらいわかるカードが3枚出てきた。
過去はぬかるみにハマった象、現在は「変容」を表すカード、未来は自分一人のための舞台。
膠着していた状況を今は抜けて、本来あるべき姿に変わりつつある今、未来は自分の力や色を存分に発揮できるところに移行していく。
それがどういう形になるかはわからないけれど、少なくとも今いるところに居続けるという感じでは全くなかった。
それは日本語の解説もあるから解説書を妹に渡して直接自分の目で読んでもらった。
あとは私が思ったまま感じたままベラベラと喋った。
自分のカード選びのセンスも、カードを読むセンスも、英語を見てパッとメッセージが自分の中でも繋がる感覚も、これらは自分に与えられているものだと感じた。
カードを読める人は世の中に五万といても、私の感覚は私だけのものだし、上手下手ではなく私は私の感覚でいいんだと思った。
相手が気に入る気に入らないは相手の決めることであって、たとえ気に入らないとなってもそれはあくまでも結果論でしかない。
カードを引く、それも誰かのために引いてそこからメッセージをもらうなんて、いつが最後かなんて覚えてないくらいにやっていない。
だけど、そんなブランクを微塵も感じさせないくらいに私はスラスラとカードを読み解いて、読み解いたものをベラベラと喋っていた。
自画自賛の気も否定しないけれど、おそらく多くの人はカードを読むにしてもどこか教室や講座に通って習得していく。
どのくらいの人が我流で自分のところに来たようにそのままメッセージを読んでそれを言葉にするのかは知らないけれど、そういうのはある種特殊な感覚だと思う。
私の周りにはそういうことができる人が過去に3人いて、さらには一時カードリーディングができる人の動画にハマりまくって見ていた時があって、その人は本当に素晴らしい感性の持ち主だったけれど、そういう人たちを基準に自分を見ていたからだから自分ができるとか特殊な感覚だなんて思わなかった。
私も十分特殊な才に恵まれた1人だと思う。
誰にも習わずに、見たのはあくまでも実践で超絶できる人たちのものだけで、そんなのヒントにはもちろんなってくれてもあまりにもマニアックな感覚すぎて真似なんかできない。
そんな風なのに、私は私で何だか知らないけれど、カード見てメッセージと繋がる回路が自分の中に確実にあって、それはいつでもどこでもすぐに使える。
なんならほぼほぼ見たことのないカードでもそれをするわけだから、マニアックな感覚を私も持ってるんだなぁなんて今回は薄ぼんやりとそのように思うに至った。
最初の方に書いた石井ゆかりさんの3年占いの中にあった言葉
「あなたの無限の深みにある宝は、あなたの眼に触れたがっているのです。」
この言葉を自分の中で反芻していた。
私のカードたちとのやりとりは、私の無限の深みにある宝の1つだと思う。
ふと今、これを書きながら「カードとおしゃべりしてるみたい」と思った。
相手はものだけど、佐藤さん鈴木さんみたいに生身の人間とはまた違った方法でおしゃべりする、そんな相手のように感じた。
だから誰かのことを信用するようにカードのことも信用したらいい。
自分に読めるんだろうか?という心配じゃなくて、必要なら必要なことを教えてもらえると思っていたらいい。
そういう感覚を新年は抱きながら過ごした。
*
正月休みは、雪かき・家事・昼寝のエンドレスパターンでグッタリしていて、5日から仕事が始まったのなら今度は通勤と雪かきと仕事にグッタリとしている。
なんなら6日は凍結した関係だと思うけれど、大渋滞にハマって、普通なら30分もあればいいところを1時間半もかかって、そのうちの1時間はほぼ同じところにずっといた。
遅刻も大幅にしたし、その日はわりとゆっくりなペースで良かったけれど、それでもグッタリしたことには変わりない。
そんなこんなでブログが延び延びになってようやく今のタイミングでのアップになった。
新年一発目のブログだから、これをどうしてもアップしたかった。
*
冒頭の言葉は、正月中にようやく見ることができた窪田正孝主演の朝ドラ『エール』の中のある一話に出てきたもの。
そこだけ5回くらい繰り返して見て、聞いた言葉をまんまメモした。
その通りだと思った。
自分の心の指針にしたい言葉だった。
本当に縁があるならば、どんな風にだって繋がる。
それを信じたらいい、そう思った。
*
あけましておめでとうございます。
どうぞ今年もこのブログと私とご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
良き1年となりますように*¨*•.¸¸☆*・*¨*•.¸¸☆*・゚
武士俣史子 2021年迎春(とは程遠い雪国より)
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