金曜日でウキウキしていた帰り道、農道の途中で車を止めて刻一刻と変化する空を眺めていた。
夕焼け色に染まる空は、本当に1分として同じ色にはならなくて、たかだか10分弱の滞在であっという間に暗くなった。
その色の変化を見て、いつの時も同じ時は存在しないし、そんな風に高速で色んなことが本当は変化してるんだろうなぁと思った。
ブログを再開してちょうど4年目に突入した。
数日前、とうとうブログの管理ページが携帯仕様に強制的に変わってしまった。
詳しい経緯は知らないけれど、元々このブログはGoogleがパソコンからアップする用に開発したものかと思う。
私はこのブログを初めて開設した時は、名古屋にいて、そして名古屋では最初ガラケースタートで今ほどにiPhoneでネット検索できるくらいの便利さはなくて、それで普通に小さな一人暮らしのアパートにネット回線を引いて、いつの時もパソコンからアップしていた。
2016年の春に新潟に戻って、その時はすでにiPhoneを持っていたから家にネットは引かなかった。
ネット回線がなくなったことで私はブログをアップすることをやめた。
いつかアップするのかしないのかその辺りはわからないけれど、実は家に戻った最初の数ヶ月は時々パソコンを開いて、その時に感じたことや思ったことをWordに入力して保存した。
だけどアップするほどの必要性も感じず、そのままお蔵入りして、そして当時はもうブログを再開することはないだろうと何となく思っていた。
ネット回線は、無職で戻った私には毎月の支払いが継続してできるとは全く思えず(帰ってきた最初の3ヶ月くらいもニート)、そしてiPhoneで事足りる当時(今も)、ネット回線の必要性を全く感じず、それはすなわちブログの無期休止もイコールになっていた。
そのうち下書きも書かなくなって、本当にブログから完全に離れた。
3年前の今頃、届く可能性が普通に考えて1ミリもないと思われたメッセージを発信するために、ブログを再開させることになった。
当時はiPhoneからアップするなんて考えたこともなかったから、ひたすらに下書きを家でパソコンで書いて、それを持ってネットカフェに通った。
iPhoneからのアップに切り替えたのは、2018年の春だった。
小さな出費とはいえ、毎回毎回ブログをアップするためだけにネットカフェに通うのは確実にお金がかかる。
しばらくまたニートになるかもしれない…という予感もあって(変な予感だけれど、なんとなくそういう自分が思い浮かんだりする)、毎回ガソリン代+ネットカフェ代を算出するのが果たしていいのか?と考えた時に、そこで初めてiPhoneからアップすることを考えた。
iPhoneの入力がものすごく苦手だった当時、iPhoneからのアップは非現実的すぎたけれど、背に腹は代えられぬ状態でやる他なかった。
最初は不慣れだったものの、やればやった分パソコンのキーボードと同じで、じゃんじゃん高スピードで言葉を書き連ねることができるようになった。
あの時切り替えて本当に良かった。
まさかその時から1年半以上もニートになるなんて思ってもいなくて、とてもじゃないけれど、ネットカフェに回すお金はなく、生活ギリギリだった。
小さなiPhoneだけが私とこのブログとを繋げてくれるスーパーツールだった。
ブログをアップする道具がパソコンからiPhoneになったものの、数日前まではずっとパソコン仕様の管理画面からアップしていた。
私はそれに慣れてきたから、ブログを携帯仕様の画面からアップしたこともなければ、携帯仕様側は色々使い勝手が悪く、私の好みではなかった。
だから、Googleからは何回も携帯仕様のオススメが表示されてもずっと無視していた。
時々勝手に切り替わっても、また元に戻すボタンがあって、私は都度都度パソコン仕様に戻していた。
ところが数日前、本当に目の前で勝手に画面が切り替わって、そしてもう元に戻す専用操作のボタンが無くなった。
それで強制的に携帯仕様の画面に切り替わって、ネットで戻し方を色々調べたけれども、どうやらこれまで私がiPhoneでもパソコン仕様で使えていたことの方がイレギュラーだったようで、それが強制的に切り替わったのならもう元には戻せないとのことだった。
それは平日の昼休みすぐに起こって、その時は仕事どころではなくなったくらいに動揺した。
パソコン仕様と携帯仕様の一番大きな差は、ブログの統計の表示のところ。
そしてそここそが私にとって一番大事なツールだから、そのことがあまりにもショックでしばらく怒り狂い、そしてそのうち呆然とした。
数が大事なんじゃなくて、私にとってその統計画面は命の確認に繋がるもので、その統計を見て、もうどうやったって繋がりようのない人が今日も生きてるんだなと知れる大事なツールだった。
ちなみに携帯仕様もそれは以前とは違う形で表示はされるものの、私好みというか私の欲しい形態とは違っている。
あれから数日経って、その辺りはもう少し解消されて、今は少しずつ新スタイルに慣れ始めているけれど、それよりももっと困った事態が起きている。
バカみたいな話だけれど、自分のブログなのに過去の記事を遡って見ることが「できない」と言ってもいい状態になった。
これまでは、ブログ全体を25記事ずつに分けて表示させることができて、そし何年も前の記事なら、通常のネット検索みたいに例えば「10」というページ繰り出し機能みたいなものを押すと、25記事かけることの10ページ分、250記事前のものに辿り着くことができた。
それはボタン操作1つで簡単に過去の記事に向かうことができた。
ところが携帯仕様のものにはその機能がなくて、もし一番古い記事に行きたいのであれば、ひたすら画面をスクロールして、
↑これを書いている途中、誤操作してしまって((((;゚Д゚)))))))。
結果、20記事ほど下書きに入っていたものがアップされてしまった。
2つだけはアップしてはまずい個人向けのメッセージだとすぐに気付いて下書きのままで大丈夫だったけれど、他の20記事近くはいつのどのものを下書きにしていたのか記憶がなく(少なくとも最近じゃなく、どんなに直近でも1年とか2年前だと思う)、困りはしないものの自分としてはスッキリしない暗澹たる気持ちになっている。
話を戻す。
ひたすらスクロールしないと一番古い記事にもたどり着けないし(約1200記事分のスクロールが必要)、途中のものもその時期を目がけて表示させることができない。
どちらもひたすらスクロールというスーパー原始的な方法しか今のところなく、携帯仕様に切り替えるなら、そういうページ機能もなんとかしてください!って思う。
何で書いてる本人が自分の記事にたどり着けないのか、不思議でならない。
これも時代の変化というんだろうか…。
私の趣味の1つと言ってもいい、どこの誰かも知らない人たちのブログを読むこと。
つい2、3日前、長らくアップされていなかったブログが特定のジャンルの第1位になっていたから開いて見てみた。
まさかの内容だった。
書いていたご本人は突然死されて、代わりに奥様がブログをアップしてそのことを知らせていた。
ものすごい衝撃だった。
どこの誰かも知らない人だけれど、その誰かも知らない人の人生の場面を私はブログ越しに知った。
その人は奥さんとの関係が上手くいってない、自分は必要とされてないと思って不倫をした人だった。
不倫相手のことは好きではなく、本当に自分の心の隙間を埋めてくれる誰かを欲していたようだった。
ところが不倫相手と泊まりで旅行に行こうとしたその日の朝、奥さんにバレて、そして奥さんは最後の賭けとしてもし本当のことを言ってくれたのなら離婚はしないつもりだったけれど、その人は最後まではぐらかして、そして待ち合わせ先に向かっている途中、奥さんから大量の証拠写真とそして最後に離婚届の写真が届いた。
その人はすぐに電車を乗り換えて家に戻って、そしてそこからそのご夫婦はやり直す方向で動いての今の話。
ちなみにご夫妻にはこの1年くらいだったかで初孫もできた、年数からすると熟年夫婦と呼ばれる人たち。
やり直しも年単位で推移していたかと思うけれど、不倫した男側もされた女側も相当深い傷をそれぞれ抱えての今になる。
その心理描写や実際の出来事とが本当に興味深くて私は読んでいた。
ブログを書いている途中で奥さんにバレて、そこからは奥さんも一緒に中身を見るようになって、本当に小さな小さな点をひたすら2人で育てるみたいなことをしていて、そういう意味でも非常に興味深い話だった。
まさかの心臓発作だったかの突然死で、すごい衝撃だった。
死も衝撃だったけれども、それ以上にその人本人が少しずつ言葉にしようとしていたものをもう生涯を通じて知ることはないということの方が私には衝撃だった。
話はずいぶんと違うけれど、先月9月の半ば過ぎくらいから、ブログをなかなか書かない自分に気付いていた。
仕事は今基本的に残業禁止で(コロナによる業績悪化のために人件費削減目的)、だから私もよほどのことがなければ残業をしない分、時間はある。
最近の夜の8時過ぎからの寝落ち頻度を抜きにしても、それでも書く時間はいくらでも作れる。
だけど、ブログの下書きもだし手書きのノート類もだけれど、とにかく書かない。
どうしたことかと思う。
もし何も書かなくなったら、私の中に今ある色んなものはもう自分もだし他の誰かも知ることがないんだと思うと、それはそれでまた気持ちが落ち着かない。
書くネタがないなんてことはまずないし、何が何でも私のことを知っていて!!なんてのもない。
だけど、いつか書かなくなるとか、当たり前だけどいつか死んで肉体を持たなくなるとか、そういうことが今回のどこの誰かも知らない1人のブロガーさんの死をもって猛烈に沸いた感情だった。
「ぼくのしあわせは今ここにある」
(引用元:https://ameblo.jp/reiwa999/entry-12624698614.html)
これはとあるゲイカップルの男性のブログにあった言葉。
この言葉が真っ直ぐ心にダイレクトに響いた。
当たり前の毎日を大事にしてる、慈しんでる感じがありありと伝わってきた。
(いつも行き当たりばったりで色んなブログに行き着くけれど、その中の1つがこれだった。)
最近入手した絶版のサビアンシンボルの本の一節。
パッと開いたページからメッセージをもらうのが小さなマイブーム。
そこにあった言葉。
『馬車馬のように仕事ばかりしていない?そんなことしているとすり減るかもしれないわよ。会社や家族のためと思っているかもしれないけど、本当はすり減るのが好きなのよ。どうせなら元気にすり減りましょ。元気が一番。』
(引用元:直居サビアン占星学 前世と今生)
朝出勤前に見た言葉だった。
「私も元気にすり減ろう!」と思った。
仕事のことはまた別記事で書きたいと思うけれど、仕事は静かに革命が起きている。
私は相変わらず同じことをしているけれど、頼まなくても理解ある人たちが動き始めた。
会社にとって不利益となる、という視点に立つ人たちが私ではどうにもならない部分を率先して動いてくれるようになった。
色々すり減るものもあるけれど、そうだ、元気にすり減ろう!と思った。
元気にすり減るって、その言葉や響きが私はとても気に入った。
「私は何を言われても傷つかない。」
(引用元:夜のふたりの魂)
近所の老齢期に入った男女が夜一緒にベッドに入っておしゃべりして寝る話。
2人とも配偶者は亡くしていて、ある時女の人の提案でそうなった。
そのことを知った男の周りの人たちがそれをはやし立てて、そしてそれに男側は怒るけれど、その話を聞いた女側が言った言葉。
そういう関係に憧れつつ(老年期、誰かと共に一緒にベッドなり布団なりに入っておしゃべりするなんて、どれだけ楽しい老後なのかと思った!)、誰に何を言われても、自分が決めたことなら傷つかないとキッパリと言い切るのが良かった。
どれも繋がりのない話ばかりだけど、これが私の日常なんだから仕方ない。
そしてこの記事が携帯仕様からアップする初めてのブログになる。
ブログを再開して4年目。
なんとなく平和でなんとなく笑ってなんとなく考えて…。
こういう日常に嬉しさと寂しさの両方を今の私は持っている。
これでだいたい書いたよね?と思って今iPhoneのネット画面確認したら、もう1つあった。
ギリシャ人の男性が日本語を覚えたきっかけが紹介されているブログだった。
なんとなく興味が湧いて、ドラゴンボールとかのマンガとかではない理由で覚えるってどんな理由かな…と思った。
「新日プロレス」らしい。
それを書いた人も言っていたけれど、なかなかありえないというより、私も初めて聞いた理由でビックリした。
プロレスってギリシャにはないの?
ギリシャが国なのかなんなのか区別がつかない私の頭の中も相変わらずだけれど、世界の中には色んな理由で日本語を覚える人がいるその多様性に感動した。
(引用元:http://hikasango.com/archives/7339069.html)
0 件のコメント:
コメントを投稿