2020年8月17日月曜日
夏の終わり2020【前】
今回書くことを思い浮かべながら運転していたら、向こう側の空に虹が見えた。
ものすごくテンションが上がった。
建物が密集している方向に向かっている。
急遽変更して、屋上駐車場のあるスーパーに立ち寄った。
高い位置からなら虹がよく見えると思ったから。
ところがどっこい、なぜか屋上には通行禁止で上がれず、仕方なしに行ける最上階の転落防止ネット越しに虹を撮影した。
虹なのか彩雲なのかわからなかったけれど、これでいいんだよ!と言われてるみたいだった。
そして、虹を見た橋の上というのが、大きな打ち上げ花火が上がる川の上だった。
3年前の夏、一緒には全く行ってないけれども、同じ日同じような場所で同じ花火を見ていた、そのスポットに程近いところを私はちょうど通過していた。
自分の3年間が肯定されたみたいだった。
そして、その風景はこれから書こうとすることも、それでいいんだよと言われてるみたいだった。
8月入って何日かしてから、これから書こうとすることを「書きたい!」と思った。
私なりの変化で、それを猛烈に書きたい!衝動に駆られた。
書くためのテンションを整えて、自分の気持ちが変わらないかどうかも毎日確認した。
本当に変わらない不動のところまで辿り着けた気がする。
そこを丁寧に書いていきたい。
もう何回も書いていることではあるけれど、それは私の中では毎回少しずつ違う気付きや発見があるから、その新しい側面を書きたい。
長い手書きの手紙を書いた時もだし、このブログを再開した時もそうだけど、私はほんのちょびっとだけそこに希望を託した。
ちょびっとだけ希望を託した理由は、そうであって欲しい気持ちはどこまでもあったけれど、それを本当に希望とするにはあまりにも怖すぎて、それで託すのはちょびっとだけにした。
願うのは全力、でも希望を託すのはちょびっとにした。
手紙を書く少し前だったと思う。
とあるエッセイに書かれていた言葉で、せめて、せめて、私もそれを目指したい、そんな風に思ったことだった。
自分の想いが通じるとか届くとか、もはやそんなこと望んではいけないくらいに亀裂が入りまくりだった当時。
私は自分のすべてが迷惑で厄介者で、消えて欲しいとかウザいとか、実際はよくわからないけれど、本当に私という人が無理なんだろうと思った。
手紙は手紙で、書いたらやたらとボリューミーになってしまって、それもまた頭の痛い結果を渡す前から生み出して、歓迎されない理由を自ら作り出してしまった。
そうした中で私が小さく託した希望だった。
それで相手が私の方を向いてくれるとか個人的に連絡を取るなり会うなりしてくれるとは、本気で思えなかったし、実際にそのようにはならず今の今に至っている。
そうではなく、私が託したことはもっと別のことだった。
私が書くものがその人にとって、本当に心がピンチの時、自分の中の自信がない時、何も信じられないような時、心が弱った時…、そういうような時に少しでもお守りになったりとか元気をもらえるものになってくれたのなら本当にいいなぁと思った。
読んでもらえるかどうかさえも危ういというのに、私はそれを望んだ。
自分でもなんとも図々しくなんていう無神経というか普通に読んでもらえるかどうかさえも怪しいのに、よくそんなこと望めるね…というような希望だった。
自分でもどうかしている、と希望以上にそれは思った。
でもそれはほんのちょびっとだけ希望として託した。
本当にそうなったら嬉しい…、という私のエゴ丸出しな、相手のことなんか何も考えず、自分側の超身勝手な願い事だった。
手紙はさすがに少しは自粛した。
手元に残る可能性もあるから、何でもかんでも書けばいいのとは違った。
でもその中にも私は少しだけ、お守りとはならなくても、私の目で目一杯見て気付いたことを言葉にして書いた。
その人の良いところをくどくなったり重くなったりしない程度に書いた。
それがその人のお守りになってくれたらいいな…と大真面目に願いながら書いた。
読まれたのか読まれずに捨てられたのかもわからなかった手紙の後、何の音沙汰もないままその人の転勤が現実のものとなった。
いなくなって2回目の週の終わりに私は突然「ブログ」と思った。
思ったのとも少し違っていて、正しくは「ブログ」と突然言葉が降ってきたみたいな感じだった。
はぁ〜〜〜!?何言ってくれてんの!?、と声には出なかったけれども、実際は何とぼけたことを突然思い浮かべているのかと思った。
しかも普通に考えて、仮にブログを私が書いたとして、それに相手が気付いて読んでくれるなんてどんな可能性なのかと思った。
ブログにたどり着くには、まず私の名前を検索しないとだし、名前をフルネームで手紙の終わりに書いたけれど、そもそもの私のフルネームなんて知ってるのかも怪しかった。
(上司ではあったけれど、厳密に言うと上司と私とは同じ会社ではなく、私の諸々を管理していたのは関連会社側の方で、よってその人が私の名前をフルネームで知る必要とか何か記入や入力をする必要なんて全くなかったわけで、しかも社内のどこを見ても私の名前が書かれたものはなかったから、私の名前知ってますか?ばりの知られていない疑惑付きだった。)
さすがにそんな可能性、万が一にもあるなんて私だってちっとも思わなかった。
なんだけど、その後たかが10分もしないうちに、次から次へと「ブログ書くんだよ」と言わんばかりにその人にまつわるサインが目の前にどんどん立ち現れた。
3つのサインが一気に数分の間に目の前でまるで映画の上映会のごとく出てきたから、本気で驚いた。
まずは、右折するところで右折レーンの列に入ったら、目の前の車がその人の名字が入っているおいしい洋菓子屋さんの車だった。
ちなみにうんと後になって、私は直接客となってその洋菓子屋さんに出向いて、あの名前入りの車が何台あるのか、店の奥さんと思しき人に確認したことがあった。
1台だけと教えてもらった。
そう、この世でたった1台の車に、どういうわけかあの日の私はバッタリ遭遇した。
ちなみにその車とすれ違うことはあの後も何回かあったけれども、あの時以降目の前にその車がやってきたことは一度もない。
本当に一度きりの千載一遇な機会にあの時の私は恵まれた。
あの日、おぼろ月が出ていて、それを見るために高台に行くのがいいかも…と思った。
で、高台に行く前にその洋菓子屋さんに寄っておいしいお菓子を買って持って行って、高台でしばらく過ごすのでもいいなと思った。
もうお店屋さんまで1キロ圏内に入っていたから、私はそのまま洋菓子屋さんの車について行ったらいいと思ってついて行った。
小道に入るから、まぁ近道なんだろう…と思ったら、洋菓子屋さんの車がウインカーを出して止まった。
どこだろう?と思ったら、そこはなんとなんとのその人が足繁く通っていたお店の通用口の方だった。
ちなみに仕事のやりとり以外で何一つ話すことができなかった私がその人のプライベートなんか知るわけもなく、私が社内で唯一仲良くしていたSさんという方からその情報をもらった。
Sさんが、その人が転勤でいなくなる前に、足繁く通った店のスタンプカードをもらったと言って見せてくれたのは、まさにその通用口的なところに止まったその店舗だった。
度肝を抜かれた。
ただ私は用事はないから、まさか止まるわけにも行かず、大きな道に抜けるだろうと思ってそのまま車を前に進めた。
大きな道に出そうな交差点に差し掛かった時、今度はその人が乗っていた車と同じ車種の車が目の前を通った。
そこは1本小路に入った道ゆえに、交通量が少ない。
そんなところに、その人と同じ車種の車が通るわけだから、本当に驚いた。
しかもその人の乗っていた車というのは、極端に販売台数が少ない。←いつだったか販売台数を調べた(苦笑)。
名前入りの洋菓子屋さんの車にポイントカードいっぱいになるくらいに通い詰めた店に本人と同じ車種の車、そんなのが3つも立て続けに、しかも時間にして5分どころか3分くらいの話だと思う、そんな短時間に立て続けにやってくるものだから、それで私はブログを書こうと覚悟が決まった。
なんかよくわからないけれど、これだけサインが立て続けに来るわけだから、書いて大丈夫、少なくとも害にはならないだろうと思った。
ちなみに、Sさんからポイントカードを引き継いだ話は、単なるポイントカードの話ではなかった。
その人がいなくなって何日もしない時に、私はSさんの隣りの席でファイル関連の仕事をしていた。
Sさんが突然のように、どういう行動がイケメン行為だと思うか?と私に話を振ってきた。
イケメン行為ではなく胸キュン行為だったかもしれない。
もう本人いないからいいかと思って、私はその人が私にしてくれたイケメン行為についてSさんに話した。
Sさんはそれを聞いて「えー!そんなことしてくれたの?たしかに胸キュンですねー!でもそんな気がきく方じゃないと思うんだけど」というような返しが返ってきた。
「私なんかもらっても、〇〇さんが通っていた☆☆☆のポイントカードだったのにぃ!
ほら見てください!すっごい通ってたでしょ!」
と言いながら、Sさんは自分の財布からそのポイントカードを取り出して見せてくれた。
あと少しでポイントいっぱいになりそうなポイントカードだった。
今思うと不思議な流れだった。
別にそのポイントカードを見ることがその時の一番の目的でもなければ、その人の行きつけの店の話でもなかった。
たまたま話の流れで知ることになったものだった。
しかもイケメン行為だったか胸キュン行為だったかで私が話したことで生まれた流れだった。
その時に話したことが、まさかブログを再開する流れに繋がっていくなんて、その時の私は知る由もなければ、そんなこととブログを結びつけることも一切なかった。
そんなこんなで再開したこのブログだった。
手紙には書けなかったことを3つの記事に分けて書いた。
それはどれも完全に私目線の内容だった。
そしてそれとは別に、本当にその人だけに向けた話を1つ書いた。
その人も私も出てこない、だけど、本人が読めばそれが自分に向けられたメッセージだと気付くだろうことを書いた。
私の読みが違わなければ本人が気にしているだろうこと、それもかなりマイナス側に気にしていそうなこと、そのことを私は私が目には見えてはいない部分で感じていることを書いた。
本人が気にしているだろうことは決してマイナスではないこと、むしろそこには計り知れない可能性があること、そういう特徴を持つ人たちに共通している素晴らしい点なんかを書いた。
本人が読むわけもないと思いつつも、あの時の私は本当に必死で、それをできるだけ丁寧に言葉にした。
その人に伝わって欲しかった。
届いて欲しかった。
私がブログに書いて可能性を自分のために作ったのは、それは単に「何もしなければゼロ」から「何かしたのなら、とりあえず0%ではなくなる」というだけのものだった。
その人と繋がりたいとかいうよりも、自分の思っていることや考えていることが相手に少しでも届いて欲しい、そういう気持ちの方が強かったかもしれない。
当時、私がブログを書いた話をしたら、「えー!?その人がブログを読むなんてことある!?」とものすごく否定的な言葉が返ってきたことがあった。
そんなこと、万が一にもないというようなことも言われた。
ごもっともな反応だし、私だって読んでもらえるなんてほぼほぼ思わなかったわけで、でも小さな可能性とも呼べない可能性に賭けて書いてるんだけどな私…、とやるせない気持ちになった時のことも憶えている。
そんな風に始まったこのブログだった。
あれから3年くらいになる。
信じられないことが起こった。
私が想定したたった1人の読者であるその人がブログを見てくれてる。
嘘みたいな本当の話で、相変わらず本人は沈黙を保ったままだし、何か私に連絡をくれるとかそんなことは一切ない。
だけど、読んではくれているし、そして再開した時に書いた記事の中の唯一メッセージ的な、その人に向けたエールみたいな、その記事がかなりな回数読まれている。
他にもこの3年でたくさんの記事をアップした中に、その人だけに向けたものがかなりある。
私が意図したものがイマイチ読まれていないのは残念だけど、それでもいくつかのものは何がどう良かったのか知らないけれど、とにかく読んでもらえてる。
ここに書いたことはこれまでもどこかしらに書いてきたし目新しいことではないけれども、ここからが本当にこれまでとは違う自分側の視点で、前置き長すぎたけれど、その新しい視点を書きたい。
手紙にしてもブログにしても、何か明確な答えとか欲しい未来とかやって得することとか、そういうのがはっきりして始めたことでは一切なかった。
むしろ、そんなものたちは1つとして期待できない、むしろ相手側の負担とか迷惑とかになる可能性の方がどこまでも大きくて、それらも踏まえて覚悟して、なんなら今以上に嫌われるウザがられる気持ち悪がられる、そういうことも覚悟しなきゃできないことだった。
本気であらゆる負の波紋も覚悟しての手紙でブログだった。
何かに繋がるとか何かになってくれるとか、そんなのは期待できない。
そういう中で始めたことだった。
そうした行為が何だったのかと言えば、自分の気持ちを1番にしたこと、何よりも自分の想いを優先させたことで、そして今になってやっとやっとわかった、それは自分を大事にすることそのものだった。
世間的な常識とか相手側の負担とかよりも、私がどうしたいかを1番にした。
そしてブログに関して言えばさらなるプラスがある。
その人に向けたメッセージは、私の単なる思いつきとかではなく、それは私の人生の一部で、そして私と出会ってくれた色んな人たちがいて初めて完成するもので、そういう色んなことが重なって初めて形になってその人にも届く可能性のあるものだった。
私の書くものは、たしかに私自身が経験していることではあるけれど、それらはどれを取っても私1人では完成しない。
長い時間自分との戦いもさることながら、色んな人たちと出会って集ってそしてそこにだけ生まれる物語がある。
私の生き様だったり誰かの生き様だったりして、それらが融合した先にこのブログの中の言葉がある。
それを出すことはある意味とっても怖いことでもあった。
ただでさえ迷惑みたいな私がそこにいることすらが害と言わんばかりの態度を目の前にして、それでも私は自分が信じてるものを外に向けて出せるかと言ったら、それはもう本当に怖いことだった。
しかもその人の個人的なことを何も知らない私が、私が見てその人もおそらく気にしているだろうことを口にするなんて、嫌がらせになったり、おまえに言われたくないみたいな内容の可能性でもあったりするわけで、本当に自分の中が極限まで試されるようなものだった。
それでも、私は伝えたい、だったと思う。
もっと嫌われたくないしさらに嫌がられるとか気持ち悪がられるなんて嫌だったけれども、それ以上に伝えたい気持ちの方が強かった。
あまり細かくはもう覚えてないけれど、ブログの下書きをひたすらパソコンのWordに打ち込んだ。
さっき計算したら、再開した時の4つの記事を合わせて約21,000文字あった。
どのくらいの時間パソコンに向き合っていたのかは知らないけれど、日付を見たらその日は月曜日だった。
そしてさっき見て気付いたけれど、「ブログ」とパッと出てきた後に実際にネットカフェに行って、アップできるのかどうかを確認している。
そのテストブログがアップできたから、次は日を改めてまたアップした。
週末にまとめて一気に書いたんだと思う。
当時は今と違って、ブログのどの記事が読まれたとか訪問者数を確認する機能に一切気付いていなかったから、読まれてたのかどうかなんてさっぱりわからなかった。
何の確証もない中で私はひたすら綴って、そしてネットカフェに通ってアップするというスタイルを長らく続けていた。
だから現実として、その人がいつ私のブログを発見して読み始めてくれたのかは知らない。
少なくとも数ヶ月は知らないままだったから、本当に何も知らずにせっせと書いていたわけで、今思えば本当に自分の気持ち1つだけで書いていたなぁとしみじみと思う。
自分を大事にする話に戻したい。
私が選んだことは、自分が最も納得できそうなことだった。
疑心暗鬼になりながらも、そんなことしてどんな意味があるのかという自問自答は最後の最後まであったけれども、それでも選んだのは自分がしたいことだった。
そして最後は、「ミクロみたいな数えられない確率であっても、本当に必要なら届く」という心構えを自分にプレゼントした。
届く確率の方が普通にどう考えても低いわけで、だったらやってもやらなくても同じなら、少しでも可能性を生んでくれる「やる」の方を選んだらいい、そんな思考プロセスが働いたかと思う。
そんな風にして動き出したものが、こうして今繋がっている。
最初に読まれた記事が何かを知る機能を見つけた時、たまたまかと思った。
その機能を通じて本当の本当に確信できたのはここ最近で、特に「99%確信」できたのは今月に入ってからだった。
その人にまつわる話の記事が、同じような時間帯にピンポイントで読まれていると知った時だった。
そういうことは今までもあったけれども、今回はその中でもこれまでの積み重ねや時間の経過のおかげもあって、いつも以上に確信できた。
何百とある記事の中で、ピンポイントでピッタリの内容ばかりを選りすぐって読むのはものすごく難しい。
書いている私でさえも、そんな風に把握できていない。
だけど、その人はピンポイントでどの記事がどの日に書かれているか把握しているのか、はたまた超ポジティブに捉えたらブックマークされてるのか知らないけれども、とにかく何かしらの方法で把握していて目を通してくれてる。
何せ訪問者が極端に少ないブログだから、そういうこともキッチリとブログ内の機能が拾ってくれる。
これが人気ブログで読者も何十人何百人何千人といたら無理だったと思う。
だけど、宣伝も一切していないし、本当に自分のための記録簿みたくなってきたこのブログは、読んでお得な情報もなければタメになる話もない、よって好きこのんで読んでくれる人たちというのは超超超奇特だし、普通の人はせいぜいアップされた最新版のみを読んでくれてる風だけど、その人だけは最新版にはそこまで興味がないのか、過去の決まった記事たちを順ぐりに読んでいる風だ。
中にはその話そんなに面白い!?と真面目につっこんで聞いてみたい記事もけっこうあるけれど、人の好みはそれぞれだから、私にはわからないグッドポイントがあるのかもしれない。
ちなみに核心に迫る風の記事は読みたくないのかそれとも意図的に避けているのか知らないけれど、そういうのはあまり読まれていない。
そういうところを見ると、自分は本当のブログ要員なんだなと思ってしまう。
でも何にしても、その人がなぜブログをチェックしてくれるのかも知らないけれど、こうして信じられないミラクルな形でなぜか繋がりが生まれたのは単純にとっても嬉しい。
少なくとも、心の底から毛嫌いするほど嫌というのとは違うんだろうなぁとようやく最近そのように思えるようになってきた。
本気の毛嫌い、超危険人物認定されたのなら、間違いなくこのブログなんかスルーされて終わりだと思う。
でもそうではない、少なくともブログを読んでもいいと思える立ち位置に私はいられると、ようやくそういうことも受け入れられるようになってきた。
ごはん誘ってから最後の日まで、その間数回のやりとりとも呼びにくいやりとりがあったけれど、あれはどんなにスーパーポジティブに捉えたとしても、自分が好かれてるかもとか好意的に思われてるとはとてもじゃないけれど思えない。
いま風に書くと「オワタ」としか言えないほどに終わっていたし、人害なんて言葉があるならまさに私が人害の張本人と言わんばかりの有り様だった。
最後に挨拶した時なんか、あまりの冷たさにそちらの理由で涙が出そうなくらいだった。
最後まで強烈パンチを喰らって、ありがとうの代わりにごめんなさいと言う方が最も相応しい挨拶じゃないかと思ったほどだった。
そんな中で書き始めたブログで、そもそも私のブログを読んでもらえるなんて、夢のまた夢状態だった。
冗談抜きで本当に自分が超絶がんばったし、ありったけの勇気を振り絞ったなと思う。
実際には、人間としての私よりも魂としての私が本領発揮したのかなと思っている。
どんな手段でもいいから伝えたかったのと繋がれるなら繋がりたかった、そういう気持ちを普段の私からでは考えられないような行動力で現実を動かしていた。
そんな中で自分のやったことがプラスとなって戻ってきたことは、私にとってものすごく大きな自信となって返ってきている。
自分の中だって99%以上はあきらめの気持ちでたくさん溢れ返っていたし、届く繋がる自信なんかちっともなかった。
無我夢中でやれたからやれただけであって、万一にも勝算なんてなかった。
どれも現実的ではなかったし、そんな奇跡みたいなこと、それこそ宝くじ1億円を10回連続で当てるぐらいの確率だった、当時の私からしてみたら。
そして本当に読んでるかも!?と気付いてからも、これは嘘かもしれないとか、たまたまかもとか、読んでるのは本人じゃなく他の人かもしれないとか、色んなことを思った。
そんなこんなを3年近く積み重ねてきて、ようやくここに来て「本当に本人が読んでくれてる」と疑わずにそうだと受け取れるようになってきた。
私にとって書く行為というのは、単に書いてるんじゃなくて、自分を明らかにする、それもカッコいい自分じゃなく、世間に堂々と見せられない自分を出している。
ある時から、私は遠慮して嘘偽りとは言わずとも隠したい自分を隠したままなのはどうなんだろう…と思うようになった。
引きこもりでニートな自分なんかは公にしたくない自分の代表例だった。
でもそこさえも徐々に切り替えて、そういう自分も確実にいるから、そんな価値観受け入れられないと思えば、読むのを止めるだろうと思って、それで少しずつ書くようになった。
気付けば、そんな風に色んなカミングアウトをしてからも、その人は読み続けてくれてる。
本当に読んでくれてるのかは知らないけれど、チェックするくらいには問題ない立ち位置には立ててるようで、それは純粋に嬉しい。
勇気の要ることはたくさんあったけれど、どれもこれもやって本当に良かった。
0のものを1にする、そのプロセスを存分に味わってきた。
しかも、単なる1じゃない。
本当に自分の感じていることを真っ直ぐ形にする、大人になってから何よりも難しいことをやり続けての1を獲得している。
色んな人たちが私に見せてくれた姿で紡いだメッセージは、特に私1人では絶対に書けないものだった。
そしてそこにその人に届いて欲しいという、まんま自分の私情を盛り込んだわけで、それが届くにはそれを書いた当時の自分だけじゃなく、そこまで人生を歩いてきた自分が絶対的に必要で、その自分にしか書けないことで、それが届いたというのは言葉にできないほどの感動がある。
私の生き様なくしては生まれない言葉たちで、その自分の人生賭けてのことが相手にも何かしらの形で届くなんていうのは、本気の奇跡に他ならない。
そして、ここにくるまで、もちろん私側も続けることが必要だったけれども、その人もその人で積み重ねてくれたんだなぁと思っている。
今も、いつどの瞬間からもその人が読むのを止めることや完全に断ち切られてしまう恐怖は常にある。
たまには良いことも書いてるかもしれないけれど、基本的にダラダラと長いし、だから何だ!?って内容だし、決して読みやすいものではないと思う。
さらには普通に遠慮なく本人のことを赤裸々に書いているし、耳の痛いことも書いているんだろうなぁとも思っている。
そういうことがたくさんあった中でも読み続けてもらえたことは、本当にたくさんのものを私に与えてくれた。
1つには自信。
私が言う「自信」は、自分を信じる力のこと。
自分が瞬間瞬間選んだもの、要は手紙だったりブログだったり、そういうものを書こうと決めたこと、実際に書いたこと、実際に渡したこと、実際にこうして発信したこと、そうした1つ1つのその時々の選択が今に繋がっている。
その1つ1つのプロセスにその人も何だかんだと付き合ってくれたわけで、それについては感謝しかない。
そして、その自信は私が自分だけで与えられるものとは違う。
その人から与えられたものの1つだと私は思っている。
いかにも魂プログラムだなと思うけれど、本当に全身全霊で信じる力を与えてくれてるのは、足長おじさんみたいな見えないところでずっと変わらずにいてくれるその人の存在がとてつもなく大きい。
書きたいことがもう少し出てきたけれど、一旦ここで区切って、残りは後編に続けたい。
何日にも渡って少しずつ書いていたから、最初の頃に書こうとしていたことと、今追加で書きたいことと、messed upーめちゃくちゃになっているけれども、この感じもこれはこれで1通過点と思って、このままアップしようと思う。
最後に付けるのは、週末に見た携帯ニュースの画面。
はたから見たら何が何だかわからないと思うけれども、私にはきちんとわかる。
ちょっとかしこまったというか、少し背筋を伸ばして書くような内容の時、勇気を出して言葉を紡ぐような時、毎回決まって「大丈夫だよ」と言わんばかりのサインがくる。
この画面の中に私にはわかる暗号がある。
こうやっていつもいつも救われてきた。
今回も絶妙なタイミングでのサインで、思わずスクショを撮った。
こんな風に色々見えないところで支えながらの時間だった。
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