2020年8月2日日曜日

行きたかったお店

最近いつも写真をそのままアップすると横になる…。
どうやったらそれを直せるのかわからない。




まさかの展開で、ずっと行ってみたかったお店に行くことができた。

スマホを使いこなせないヨシダさんがわざわざ地図を出して、国道沿いのこの店の近くだと言ってきた。

2軒目のお店だった。

ヨシダさんがそんな風にお店を普段の行き慣れたところとは別の店を指定することは珍しい。

まさかと思ったら、そのまさかの店だった。

3年前の秋のはじまりにイケメン上司の送別会が開かれたその居酒屋にヨシダさんは行こうと言ってきた。




送別会の幹事からは武士俣さんもどうですか?と誘われた。

一番の長の送別会なら、多数出席の図が簡単に想像できた。

どう考えても、本人から私に話しかけてくることもなければ、その他出席者たちと談話する自分なんかもっと想像できなかった。

そして他の女性社員たちとは喋っても私とは一言も言葉を交わさないことも容易に想像できた。

傷心なところにさらに傷口に塩を塗るなんて、絶対に嫌だった。

最後くらい武士俣さんと喋っておこう!なんて絶対に思ってもらえない自分が零コンマ単位の速さで想像できて、送別会に行くことはなかった。

一応気が変わるかもしれない…と思って、ギリギリまで出欠の返事を延ばしてみたけれど、状況は全く改善側に動いてくれなかった。

うん、ないな、迷うことなくないな!と確信した。

幹事の人に言う前に、ある日の夕方「武士俣さん送別会どうしますか?」と逆に聞かれた。

すみません、行きませんと答えると同時に、そういうことすら関係ない関係なんだとわかった。

認めたくなんかなかったけれど、「関係ない人」というのが、この上なくピッタリな関係性なんだと認識した。

大勢出席が見込まれる会にさえ招かれてない、招かれざる人なんだと思った。

招かれざるというのは、「歓迎されていない」とか「迷惑な」という意味だとGoogleにはあった。

ピッタリの言葉だった。

どこをどんな風に想像しても、そこに自分がいても、まるで私はいない人存在していない人みたいになることも、絶対に近付いてこないだろうことも、近付かれたら迷惑そうに又は嫌そうな表情になることも、そういうことしか想像できなかった。

そうやって行かなかった場所だった。




行かなかったくせして、私はその後もその店の横を時たま通るたびに、中がどんな風なのか見てみたい気持ちに駆られていた。

イケメン上司が確実にいた場所の風景を見てみたくて、だから横を通るたびにそんな風に思っていた。

会の中身も知らないし、元々おしゃべりタイプとは違うから本人だって得意な会とは違ったんじゃないかと思う。

それでもそれが会社としての最後の飲み会で、それが思い出みたいな、過去の1ページとして残るシーンとなるなら、私もその場所がどんな風だったのか見てみたかった。

うんと後からだった気がするけれど、最後の会は本人たっての希望で、近場での開催になったとのことだった。

仲良くしていたSさんが、もっと繁華街の方もあるのに、近場が良いって本人が希望したんだって!と私に教えてくれた。

繁華街ではないから、より一層その店に行くことは絶対的になかった。

だからこそ、半永久的に行ってみたい店でありながら行かれない店だった。




中はムーディな感じの薄暗さで、そしてどの辺りに実際の会はセッティングされたかはわからないけれど、テーブルの形や小上がりチックなテーブルを見て、ほぼ席は固定だったのかな…なんて思った。

Sさんが、その会の時は一言しか言葉を交わしてない、それも後輩くんと一緒に帰るのかどうかを聞かれただけで全然話せなかったよ、と言っていたその言葉がなんとなく想像ついた。

私も頑張れば行けたのかもしれないな…なんて少し思ってみたけれど、でも当時本当に行っていたとしても当人とは全く話せず、チラチラ見ることも叶わず、色々いたたまれずに終わったのが関の山だとも思った。

こうして言葉にすると、改めて本当に私は何も知らなかったんだな…と思う。

何も知らないし話したこともないと断言してもいい、そういう人の何が良かったのかと冷静になって考えると不思議すぎて仕方ないけれど、イケメン上司はそういうことでは説明すらできない別格の域の人だった。

イケメン上司は容姿端麗だけではなく、仕事も真面目にしている人だったし、細かく色んなことに気付いたり動いたりする人だったしで、性格も良い人だとは言い切れるけれど、それにしたって私は何も知らなさすぎた。

その何も知らなさすぎるのに、気になって気になって仕方ないというのは、もうすべてが異次元すぎた。

魂同士が再会したんだね、というのがやっぱり一番的確に表現したものだと思う。

それがいつの時言われたことか忘れたけれど、ある年上の女性から魂的な縁がとても強い男の人に会った時の話を教えてもらったことがある。

多分2人いる。

そして間違いでなければ、今薄ぼんやりと思い出してきたけれど、2人とも2018年の春に別々の時に言われたように思う。

1人はオルゴナイト作家さん、もう1人は占星術講座のクラスメイトの1人だったと思う。

それぞれの人たちとマニアックなスピリチュアル話はしたけれど、決して私はイケメン上司の話はしなかったと思う。

2人ともそんなこと話せる相手ではなかったから、どう考えても言ってない。

なのに2人それぞれの人は、別々の時にその話を私にしてきた。

すごい独特な感じだと言っていた。

お二人とも結婚されてるけれども、恋愛感情とかそういうものとは全く違っていて、他に類を見ない気持ち・感覚で、だからすぐにわかったみたいな言い方をしていた。

1人の方は、相手の方も気付いたようだったと言っていた気がする。

私の記憶もかなり怪しいけれど、今の方がその話された感覚がわかるように感じる。

イケメン上司は、悲しいくらいに私の人生で一番知らない人の立ち位置にいる。

何も知らないし、今後も知ることもないと思う。

だけど、こんなに知らなくてもここまでの強力すぎる印象を残した人は他に誰もいない。

ここから先の人生で、あの上をいく人に出会うことはもうないかと思う。

仲良し夫婦が「来世でもまた夫婦になりたい」とか言うあの言葉は、あんなの台詞だけなのかと思っていたけれど、現実に実際に再会する魂もいるんだと思う。

イケメン上司と私とはそういうのとは違っていても、また次の人生でも会おう!と約束の1つはしたんじゃないかと勝手に思っている。

でなければ、この異常とも呼んでもいい感覚は何なのかと思う。

3年も経って何を今さらの店に初めて立ち入って、その時の高揚感やら好奇心に目を向け、そして過去を回想する…、なんて他の時には絶対にしない。

魂ってすごいんだなと思う。




こんなに吐き出しておいてなんだけど、毎回イケメン上司のことを書く時は緊張するし、少しばかり思考も働かせる。

普段は思いつくまま書いているし(これもわりかしそうではあるけれど)、あまり深くはあれこれ考えたりはしない。

だけど、ことイケメン上司の話は、自分の中で言葉にすることの怖さや、自分の心の中をさらけ出す怖さ、相手の反応に対する足踏み的な怖さ、数え上げたらキリがないくらいにあれこれ色んな怖さがある。

こんなこと書いてどうするつもりなんだろう?とか、こんなことまで書いて大丈夫なんだろうか?とか、そもそも「大丈夫」って何が大丈夫なんだろう?とか、私は何を怖がっているんだろう?とか、そういう不安系の思考がどんどん量産される。

いつかは書かなくなるだろう自分に期待をしたいし、相手の反応がないことに自分がその行為をきちんと受け入れて納得したいし、今後ももう会うことも話すこともないだろうとその部分に疑問を抱かずスパッと受け止めてしまいたい。

ここまで来てしまうと、自分が納得しない限りダメだろうから、もう色々と割り切って、葛藤するだけして、言いたいことは言いたいように書いて、それでも何の応答もないだろうから、それはそれとしてもうどうでもいい、という境地に達したい。

もはや何を言いたいのかさえわからなくなってきたけれども、まさか3年もズルズルと来る予定になかったから、気付いたら3年も過ぎてて、半分は自分にゾッとしている。

最近仕事しながらふと思う。

またこの1ヶ月ほど、強烈な状況を何回も経験しているけれど、まさに魂の修行みたいな修羅場的なものが日々あるけれど、それとイケメン上司とのことは、魂からしたら同等のことかもしれないな、なんて思う。

仕事は超仕事として割り切ってやるけれど、もしかしたらイケメン上司が日々いた時間も魂の目的からすると同じジャンルだったのかもしれない。

経験する私からすると別物だけど、自分の中があれこれ開いていくのは、ルートが違うだけで、魂からして一緒のことなのかな…なんて思う時もある。

魂の修行的な状況は次から次へとよくもまぁ色々あるな…と感心するぐらい事件みたいなことが日々勃発しているけれど、それとイケメン上司とのことは全く別物でも実は同じものなのかな…なんて思う。

そう思うと、何の関係にも発展しないままのこの3年が、それこそが在り方として正解だよと言われてるみたいで、余計とやりきれなくなる。

だから、3年前の送別会には行かなかったけれども、3年後まさかの形で同じ店に行くことは魂の旅路的に問題ないから叶ったのかもしれない。

送別会に行かないと決めたのは私だけれど、行きたくないから行かなかったんじゃない。

行っても大丈夫そうな関係なら私は喜んで行ったけれども、そうではない状況を前に余計な傷となるようなものを自分にもたらしたくなくて行かなかった。

少しでも同じ空気を吸って同じ景色を見ていたかった私からして、行かないことは自分の100%の意かと言えばそうではなく、他のものと天秤にかけた時に他のものの方が大きくウェイトを占めたから行かなかっただけだった。

これは想像でしかないけれど、私があの会にいなかったことはイケメン上司的にもホッとしただろうし、変な気を逆立てる必要がなく穏やかに過ごせたかと思うから、やっぱり行かなくて正解だったんだとそれは今でも思っている。

私はやっぱりそうであっても、ずっと中を覗いてみたかったお店に行くことができて本当に良かった。

あの頃と状況は全く違うけれども、一度は足を踏み入れたかったその場所に立てたことは嬉しくて、私は掲載した写真以外にも数枚パシャパシャと写真を撮った。

多分もうその店に二度とは行かないと思うから、最初で最後の訪問ができて良かった。

トップの写真、後から見返したら青空が広がっていて、それが本当に救いだなと思った。

笑と楽の言葉と青空が似合っている。

そんな爽やかエピソードとは違うけれども、3年前にどうしても行くと決心できなかった場所にこうして立った日、せめて空がどこまでも青いのが私には本気の救いだった。

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