おいせさん手帳第27回目
担当:私
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7月31日
夏の空気を体にプレゼントする。
自然とたわむれる日
太陽の熱を感じてみよう。太陽の光に目をこらしてみよう。
体を通り抜ける風を感じてみよう。
耳に飛び込んでくる音を拾ってみよう。
「夏のにおい」を探してみよう。
冷たいものを口に入れて、その冷たさをのどで味わってみよう。
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この間、仕事用のカバンと一泊用のトートバッグ的なカバンとを探しに行った時だった。
車を運転中に、去年の夏、米の仕事で世話になったヨシダさんから電話がきた。
ヨシダさんとは今も不定期に会っている。
スピーカーにして電話に出ると、飲みのお誘いだった。
明日8月の最初の日に約束をして、電話を切った。
またすぐに折り返しが2回かかってきて、でも気付かずにそのままだった。
着信を見て、今度は車を目的地に停めてからヨシダさんに折り返した。
最初の電話の時に、ちょうどヨシダさんの住んでる町のすぐ近くにいるとは言った。
ちょうど信号待ちしていたから、信号脇の地区名の看板を読み上げたくらいだった。
そうしたらヨシダさんが、枝豆やるっけ!(やるっけ=あげる)と言って、帰りに米の仕事の場所に寄ることになった。
色々と用事を終えてから、ヨシダさんと約束通り、米の仕事場に着いて電話を入れた。
1年ぶりとは思えないくらい遠くに感じたり、はたまたもう1年も経ったのかと驚いたりした。
あいにくの雨で広い空は見えなかったけれど、それでもそうやってヨシダさんを待つのは全く苦じゃなかった。
思い出してもらってもらえることの凄さや縁というものの不思議を思う間もなく、ヨシダさんはやってきた。
畑から採ったばかりの枝豆とミニトマトとは呼べない大きなトマトをたくさん持ってきてくれた。
ヨシダさんの作る作物には前々から興味があったから、まさかそんな風に夏野菜をもらえるとは思っていなくて、思いがけないおいしいプレゼントがものすごく嬉しかった。
ヨシダさんは私に渡すもの渡したら、本当に話もせずにじゃあな!と言ってまた家の方に向かって車を走らせた。
雨の中、車を走らせると枝豆特有の土の匂いと青くさいにおいとがした。
どんどんそのにおいは強くなった。
すっごい好きなにおいとは違うけれど、新鮮なもの特有のにおいだった。
もらうのも食べるのも一瞬だけど、そこまで大きくするのは何ヶ月もの時間がいる。
色んな天気の中でヨシダさんが日々世話したものが枝豆やトマトなんだと思ったら、そしてそれを何の見返りも求めず、私が近くにいるという理由だけで分けてくれるのが本当に嬉しかった。
そして、そのにおいを嗅いだ時に、今日のこのブログにはこのことをおいせさん手帳の内容とからめて書こうと決めた。
書いたものそのものが、車内の枝豆のにおいと重なった。
紛れもない、夏のにおいだった。
家に帰ったら、普段料理なんか全くしない父が枝豆をもいでくれることになった。
(「もぐ」は方言かもしれない。「もぎとる」という意味)
母がいつかの夏に見た枝豆の上手な茹で方で即茹でてくれた。
枝豆もトマトも本当においしかった。
ほっぺたが落ちるとは、まさにそういうことだと思った。
枝豆もトマトもその甘さは他に類を見ない甘さだった。
本当においしかった。
そんな風にして、夏の思い出が1つ増えるのは素敵なことだった。
ふとした時に思い出してもらえることや、こんな風に何かを分け与えてもらえること、そのどれもが本当に貴重なことだとつくづく感じる。
ヨシダさんもいつまでも生き続けるわけではない。
いつか必ず終わりの日がやってくる。
こういう思い出を1つでも多く紡げることの凄さと貴重さを思うと、グッと胸にくるものがある。
今年の夏らしくない夏の一コマは、こんな風にとっても素敵なものになった。
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