2020年6月30日火曜日

青空とスニーカー

3年前の週の予定表を見た。

思った通りだった。

その日にすべてのことがガラッと変わった。

もちろん起こる直前まで、その後に起こることなんか1ミリも想像できなかった。

心の中では、一刻も早くこの作業が終われー、終われーと念仏のようにひたすら唱えて、やる気など1ミリもなく、そんな中で突然起こったことだった。

本当に突然だった。

突然その人が私の目の前に来て、必要なものを手渡して去って行った。

あまりに急すぎて、ポカーンと最初はして、そこからはジワジワと嬉しいやら照れるやら色んな気持ちが入り乱れた。

今思うと、その人が手渡してくれた行為そのものは、別に私に好意があったとかそういうんじゃなくて、他にも私と同じ状況の人がいたのなら同じことをしただろうし、私が特別とか気になるとか、そういうんじゃなかっただろうと思う。

でも、その一瞬の出来事で私の生きる世界はガラッと変わった。

仕事が始まってちょうど3週間くらいで、すべては不慣れな上、誰とも話すことがなくて孤立していたこともあって、その時だって誰とも関わり合うことがありませんように!!!とおかしな願い事をしていたくらいだった。

それはその職場にいた間ずっとそうだったけれども、その時だけだった、人生の中で本当に人と話さない仕事をしたのは。

誰とも話さない仕事は本当にその状況も苦手で、毎日毎日何でこの仕事に行くことになったんだろう?とはずっと思っていた。

何か絶対に理由があるはずだけれど、それって何だろう⁇って思っていた矢先の出来事だった。

今はもっとはっきりとそのように思うけれども、その仕事に就いたのは他でもない、その人に出逢うことだった。

冗談抜きでそう思う。

今の英訳の仕事と比べたらはっきりとわかる。

今の仕事は良くも悪くも、私の持っている手札をふんだんに使いこなして、英訳のようでいて実際は交渉事や組織の悪しき習慣にメスを入れるみたいなことをひたすらしている←やりたいのとは全く違うけれども、そういう内容の仕事がやってくる。

当時の仕事は、私はほぼほぼ何もしなくても良かった。

もちろんコピー取ったり資料をファイリングしたり何かを入力したりとかいうことはしていたけれど、そういうのは別に私じゃなくても本当にいいし、むしろ私なんかはどちらかと言えば不向きな仕事内容で、他に適任者なんていくらでもいたと思う。

コピー機の使い方1つ、ファイルの背表紙に名前をつけるためのテプラの使い方1つ、冗談抜きできっちりと1から教えてもらわなきゃ何もできないぐらいに私の知識も能力もそこになかった。

今なんか誰に教えられたわけでもなく、上と交渉するために資料も即席で作れば、対面でもガンガンと色んなことを言って上を動かすみたいなことをしているわけで、まるっと真逆の現象が起きている。

一度仕事のやり方を教えてもらえれば、あとは黙々と与えられたことをすれば良くて、その「黙々タイム」の全ては、その日を境に「その人観察タイム」にとって変わった。

周りから隠れるようにしてその日の作業をしていた私は、突然の出来事に本当に驚いたけれども、そこからはジワジワと色んな気持ちが湧いて、気付けばその人の姿を探していた。

ガン見してバレたら嫌だと思って、私は作業するフリしてその人の足元を見ていた。

鮮やかな色のスニーカーを履いていたその人の足元を追いかけて、そのスニーカーが視界に入ってくる度にドキドキしていた。

スニーカーの向きを見て、今なら私から見て背を向けてるとわかると頭を起こして、その人の姿を見ていた。

手は動かしていたけれども、途中からはその人を見るのに超絶忙しくなって、自分でも一体全体何をしているんだろう…?と思った。

そんな風に様変わりをした自分に、「あれはイケメンゆえに普段から慣れた行為だろう」と必死に言い聞かせた。

私にはものすごく特別なことだったけれども、相手はイケメンだし、そうした特別なことには慣れていて何も特別ではなく普通のことなんだと思った。

そこから数ヶ月した後、職場の唯一仲良くなった人にその話をしたら、「えー、そんな気の利く方じゃないと思うけれども」と返されたけれども、たしかに根回しや気配りをガンガンと超自然にやります!な人ではないかと思うけれども、それでもやっぱり私が特別だったわけでも何でもなく、同じ状況の人がいたのならその人は誰であっても同じことをしてあげただろうと思う。

私には超特別でも、その人からしたら普通なことだったんだろうなぁと思う。

なんならその普通のことをしただけで、私がそこから2ヶ月くらいすると今度はごはんに誘ってくるという超絶面倒くさいことをしてきたわけで、百害あって一利なしだっただろうと思う。

今ならわかる。

私にとってその瞬間の出来事が特別になったのは、出来事そのものじゃない。

その人自身が私にとって本当に特別な人だったから、そうなった。

魂の為せる技だと思う。

仮にその時他の人たちがそのように同じことをしてくれたとしても、私は「嬉しい!」とはなっても「♡\(*ˊᗜˋ*)/♡」みたいな心情にはならなかったと思う。

ジワジワとその喜び悦びが広がっていって、そこから先の私はどこまでもテンション高くなっていった。

[喜び…何かを外側からいただいてよろこぶこと
悦び…心の中のよろこびの感情で、自分の中から自然に湧き上がるよろこびのこと
どちらのよろこびも神がかり的なものと関係するらしい。]

当時の職場にその人並みに超静かな男性社員がいたけれども、そして個人的に喋ってみたいタイプの雰囲気を持っている人だったけれども、その社員のKさんにはそんな風には感じることもなければ、ごはんに行きたいなんて一度も思ったことがなかった。

Kさんの方がその人と交わした挨拶の回数よりも多く交わしていたし、強面な感じなのに廊下や階段ですれ違うとKさんから「お疲れ様」と言ってくれるぐらい意外と挨拶をしっかりとする人で、事務所でのツンケンした感じとは全然違っていた。

だけれど、Kさんを見て何かを思うことも感じることもなかった。

その人にだけ特別なことをあれこれ感じて、それが何なのかはずっとわからなかった。

今もはっきりとわかったのとは違うけれども、すべては「魂の関係」としてまとめて、それで自分は納得するようにしている。

もしあの日、その人が私の前に現れなければ、私はその人の存在に気付けなかった。

その人も他の人も職場にはいたけれども、あまりにも誰とも喋らない職場すぎて、私は自分の存在を消すようにして日々そこにいた。

だから、その人を意識するとかいうような心の余裕なんて全くなくて、いかに喋らない静かな雰囲気に慣れるのかが私の何よりもの課題だった。

その一瞬の時を境にすべては変わった。

その人がいる世界は、どこまでも「生(せい)」に溢れていた。

毎日「生きてるってすごい!」と感動した。

そういう世界を見せてもらえたのは、他ならないその人の存在のおかげだった。





これを書きながら、その時から1年少し経ったある日の会話を思い出した。

もう永遠に聞くことのない話だと思うけれど、その人と私とが何かということを聞く入口のところまで聞いて、そしてその話はそれっきりになっていることを思い出した。

ある時にまずは夜のファミレスで言われた。

夜のファミレスでは、そこにはいない、そしてただの一度も話題にしたことのないその人のことを、霊視ができるヒーラーさんが突然ベラベラと私にどんな人なのか伝え出した。

それはもう度肝を抜かれたなんてもんじゃなかった。

しかもヒーラーさんと会うのは、その時が3回目とかだったと思う。

会ったこともなんなら私が話題にさえ出したこともないその人のことを、ヒーラーさんはまるでよく知っている人かのように特徴をあれこれ話し出した。

視えていた、感じていた、んだと思う。

私の脳内模様がヒーラーさんに視えてたのとは違って、恐らくだけれど、その人の魂的な気配や存在感をヒーラーさんはキャッチしていたんじゃないのかなと思う。

当時の様子を書いたブログを読んで、1つ書いてないことがあったと気付いた。

恐れ多くて書くのをわざとやめた。

反対に言われたことの1つはすっかり忘れていて、今読んでより一層書かなかったことは多分合ってるだろうと思うようになった。

ちなみに忘れていたことは、ヒーラーさんは実は2回目に会った時もすでにその人の存在に気付いていたこと。

3回目に会った時、ヒーラーさんはわりと会ってすぐにその人の話を私に切り出してきた。

私が当時書かなかったのは、ヒーラーさんがどうしてそれを私に言ってきたのかの理由の方だった。

ヒーラーさんは「集中できない」と言った。

私にヒーリング関係の専門知識を教えようとそれに集中したいのに、ヒーラーさんから見てその人の気配が多分凄まじくて、どうにもこうにも集中できないみたいだった。

だからヒーラーさんは「言ってもいいですか?」みたいな切り出し方に始まり、吐き出すようにしてその人のことを私に伝えてきた。

私は自分の脳内が丸見えみたいだと最初勘違いして恥ずかしがったけれども、よくよく考えると、私の脳内の話ではない風だった。

明らかにヒーラーさんが意識を合わせているのは、目の前の私ではなく、何か違うところのように見てとれた。

本気でその人のことが視えてるの!?と思うくらいに、色んな特徴を次から次へと口にしていた。

前回(2回目)から気付いていて、おそらくだけれど前回も集中できないくらいにその人のことが視えていたんだと思う。

私の脳内模様が視えてるのではなく、その人の魂的な気配を強く感じていたんだと思う。

そしてその度合いが強すぎて、私に何かを教えるのに差し支えが出そうなくらいに気になっていたんだと思う。

なぜそう思ったのかと言えば、ヒーラーさんは私の知らないその人の内容を話し出したから。

組織の中のその人や会社の売上の話までしていて、組織の中のその人の役割的なものは聞いてても違和感はなかったけれども、売上については私が知る由もなくて、私は私がその職場に行く前のことを知っている人に内容を確認したぐらいだった。

もはや私の脳内模様ではなく、明らかにヒーラーさんは何か別のものを視て感じていた。

私はその辺りの仕組みは全く知らないけれども、感覚として似ているのは、その半年後くらいに今度はヒーラーさんが私の部屋に山で行方不明になったおじいちゃんの霊がいると言った時の様子に似ていた。

相手の気配を感じてそれを口にする、それはおじいちゃんの時もその人の時も似ていた。

前置きが長くなったけれども、思い出した会話は対面ではなく電話での会話だった。

それは2019年になってすぐくらいの時だったと思う。

時期が曖昧になってきたけれども、いつの時かヒーラーさんから言われた。

その人と私というのは、特殊な関係にあって、霊的な視点から言えばきちんとした説明が成り立つけれども、当の本人、特にその人側は何が起こっているのかおそらく言葉で説明もできないだろうし、本人も何が何だかわからない状況だろうことをヒーラーさんから言われた。

私が聞きたいと言ったのかその辺りの記憶もおぼろげだけど、ヒーラーさんから返されたのは、「電話では話せません。直接会った時に武士俣さんに説明します」的なことだった。

ヒーラーさんは基本的に何でも教えてくれる。

電話越しにも教えてもらった専門知識はたくさんあった。

けれども、その人のことだけはヒーラーさんは絶対に電話ではダメだと言った。

当時のどこかのブログにも書いたように思うけれども、ヒーラーさんが配慮していたのは私じゃなくてその人の方だったと思う。

何かよほどの事情がなければ「絶対に対面!」などと言わないヒーラーさんがそう言うってことは、本当によほどの事だったんだろうと今になって思う。

もうひとつ。

今となれば聞いておけば良かったな…なんて思うけれども。

当時山で行方不明になったおじいちゃんの霊が私の部屋にいて、そのおじいちゃんの言葉をヒーラーさんが通訳をして、私が今度はそれをご家族に伝えることをしていた。

そんなやりとりが為されていたある時のこと。

おじいちゃんから聞きたいことが他にあるだろう?聞かなくていいのか?と言われたことがあった。

家族に伝えるための情報は一通り聞いて、あとは特に聞きたいことはなかった。

特にないと答えると、その人とのことは聞かなくていいのか?という質問だった。

本気でその時も度肝を抜かれた。

死者の霊魂が何かを伝えてくるなんていうのもそもそも普通にありえない話だけれど、そこにさらにプラスして、一度も話題にしたことのないその人のことをあの世の世界の人の口から言われるなんて、どんな世界ですか?と思う。

当時は色々とぶっ飛んだことが満載すぎてあまりそれについて深く考えなかったけれど、今思うと誰かの存在をそんな風に霊的世界から伝えられるなんて普通にありえない。

ヒーラーさんとおじいちゃんだけじゃなく、初めてホロスコープ鑑定を受けた時の鑑定士さんからもその人のことを教えてもらった。

そんなにも第三者からあれやこれやと伝えられた人なんて他には誰もいないし、そうしたこと全てを思うと、やっぱりかなり特殊な関係の人なんだと思う。





3年前と同じ日の朝、新潟は雨が降っていた。

3年前ももし雨が降ったとするなら、あの日に起こったことは1つとして起こらなかったんだろうなぁと予想した。

天気さえも晴天でなければいけなくて、何ひとつずれてはいけないことたちが完璧に重なって、そして私の生きる世界にその人の存在を知らせてくれたんだなと思う。

3年前のその日は見事な晴天だった。

起きたことと青空がとても似合っていた。

その日だったと思うけれど、その人は日に焼けて、事務さんの1人から「〇〇ちゃん(その人のあだ名)焼けたね〜。言ってくれたら、日焼け止め塗ってあげたのに」と言われていた。

その会話やその内容がものすごく羨ましくて、そんなこと絶対に言えない自分が恨めしかった。

不思議だなぁと思う。

3年分の時間が経過して、色んな新しいものが人生に入り込んできて、今は当時とは違う日常に身を置いているのに、そんなこと微塵も感じさせないくらいに当時のことがありありと思い浮かぶし、そんなにも時間が経ったというのが信じられないくらいに、当時の景色や記憶が一瞬でよみがえる。

まさかあの日を境に色んなことが変わることも、1人の人が心の御守り的に存在してくれることも、何ひとつ想像できなかった。

魂の関係は、現実世界は悲しいくらいに交わらないけれど、心の中では御守り的に存在しうる、そういうものなのかもしれない。

色んな気持ちが去来する。

書きたいことや伝えたいことは他にもたくさんある。

あるはずなのに、上手く言葉が出てこない。

今ふと思った。

これをその人が読む時、その人の脳裏には何が浮かぶんだろう、って。

3年前のあの光景とか出てくるんだろうか。

幽霊社員並みに存在感のない私にどうやって気付いたのかは想像もつかないけれども、なんなら読んでも何も思い出せないかもしれないけれども…。

「私は幸せでした。」

今パッと出てきた言葉はそれだった。

思い出すことは何もなくても、読んでても「えー!そうだった?」みたいになっていても、もうそれは究極なんでも良くて。

そういうことじゃなくて、その時のことを思い出すと、私はいつの時も幸せ気分になれて、その時ももちろん幸せで、そしてその後も何百回何千回と思い出しては幸せになれるおいしい思いをしてきて。

そういうことを自然と積み重ねた3年だったんだと気付いた。

そりゃ不満もたくさんあるし、私は別にブログ要員を目指してるのでもないし、こんな訳の分からない関係?接点?を望んだつもりも1ミリもないけれども、それはそれとして、やっぱり当時のあの一瞬のやりとりはその時もその後もずっとずっと私を幸せな気持ちにさせてくれる、それには変わりない。

すごいマジックだった。

今、タイトルは何にしよう?と思った時に出てきたのが、青空とスニーカーの色だった。

魂の思い出図鑑みたいなのがあるとするなら、あの日の風景を私は青い空とその人の足元とで記憶に刻んだんだと思う。

だから、いつもどういうわけかその時の風景として、青空とスニーカーの色がポンと出てくる。

青空とスニーカーの色は、幸せの象徴になっている。

生きているうちに、サイドA(その人側)とサイドB(ブシマタだから私がB側)で、それぞれどんな風に景色が見えていたのか、シェアリングできたら面白いのになぁと思っている。

またスルーされても、自分の希望を口にするのは自由だから、私はあくまでも私スタイルで自分の希望を口にしていたい。

本気で互いのサイド話を交換したら面白いだろうになぁ…。

もちろんいつでも交換会ウェルカム!!!!!

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