2020年4月26日日曜日

星読みからの妄想記





職場の席が隣りの隣りだったイケメンエンジニアの硬派さん。

硬派さんの星読みをして3週間くらい経った。

自分のでさえもそこまで丁寧に読んでないくらいに丁寧に読んでる。

硬派さんがこんな風に自分のホロスコープの読み解きを誰かにお願いするなんて、多分生涯の中で私が最初で最後だと思う。

だから今の私で渡せるものは、すべて渡したいと思ってやっている。

時間が経てば経つほど、この状況が起こる確率の凄さに注目するようになった。

職場の中には何百人といる。

同じフロアにもまだ知らない人が何十人といる。

そんな風に考えると、硬派さんと私とが互いに知り合って繋がる可能性って本当にミクロみたいな確率だなと思う。

いつか仕事の説明を他の人から受けた時に、「許容値」の話になった。

許容値がなぜ存在するのかという説明の時に、なるほど!となった話があった。

会社が扱う精密機械っていうのは、0.0何ミリという世界のもので、その0.0何ミリの数値を測定する際、毎度毎度一発で当てるなんてことはできない。

だから、多少の幅を持たせて、数値測定の時は許容値を設定しているとのことだった。

そういう機械のメカニズムを聞いたりすると、人との出会いなんてのはもうありえない確率で起こっているんだなと思う。

そんなことを思いつつ、硬派さんの星読みを前にすると、さらなる天文学的数字の上で起こっていると確信する。

そこで私もやめればいいのに、私の思考はあらぬ方向に飛んでいく。

とても読みたい人がいる。

全身全霊を懸けて読みたい人がいる。

とても読みたいけれども、生涯読むこともなければお願いされることもない。

読むことを許されないホロスコープ。

この世に存在していても、存在していないかのように、すべては幻だったんじゃないかと思うほどの時間だった。

自分の日常の中にその人が本当にいたなんて、今の日常と比べてみると魔法がかかったかのような不思議な気持ちになる。

その人物のホロスコープ、本気で読みたかった(今も読みたい)。

硬派さんのものを読めば読むほど、縁があるということと縁がないということの両方が自分の中に突き刺さる。

縁がない人のホロスコープは、自分がどんなに読みたいと思っても読めない。

当たり前だけど、星読みをするというのは、双方の同意がないとできない。

星読みなんて可愛く言ってみてるけれども、中身はそんな可愛さは全くなくて、相手の人の超コアな生きるメッセージや人生のテーマみたいなのが浮き彫りになる。

だから、生半可な気持ちではやれないし、硬派さんは詳細は何もまだ知らないけれども、聞く覚悟のある人なのは話していてわかる。

その人の分もその人から頼まれて読みたいし、そして伝えたい。

私が伝える係をやりたい。

このことで硬派さんと仕事中の合間に何回かおしゃべりをした。

そういうこともしたい。

他愛ないおしゃべりや確認、そういうことが一切できなかった私は、そういうことを心から欲している。

トップの写真も硬派さんとやりとりしたメモ用紙。

硬派さんのホロスコープはこれから数年に渡って激変の時期を迎えることが見てすぐにわかった。

それを本人が知りたいのか知りたくないのかで全然事と次第が変わる。

本人が知りたくないのに無理に情報を押し付けるわけにもいかないから、確認を取った。

だから先にさらさらっと適当な裏紙にあのように書いて、仕事の資料でカモフラージュして持って行って、硬派さんの席でやりとりした。

硬派さんは1つ2つと質問した後に、二つ返事でやってくださいと言った。

仕事の最中なのに、そういう仕事と全く関係ないことを話せるのが楽しかった。

硬派さんはたくさんは喋らないけれど、そういう話やどうでもいい話も付き合ってくれるから、すごくいい。

こういう接点で十分私は喜んだのに、それさえもなくて、自分でも色々どうしていいかわからなかった。

当時はまだホロスコープの存在さえ知らないから「誕生日いつ?」とか「星座は何座?」とか、そういうことは聞けなかったけれど、今はしれっと聞ける能力の状態になったものの今度は当の本人がいない。

仮にいたとしても、何の接点もなかったから、相変わらず何も聞けず、何も話せずじまいだったと思う。

私と話したそうではなかったし、そんな時にいきなり「〇〇さん、星座って何ですか?」なんて今だって聞けないだろうなぁと思う。

硬派さんのことは誘わないけれど、その人なら星読みをネタに「きちんと説明したいから」とか何とか適当なこと言って、ごはんに行こうって言ったのになと思う。

それもかしこまったところじゃなくていいから、ファミレスで十分だったのに。

おしゃれして気合い入れて行かなくてもいいところでベラベラおしゃべりできたのなら、どんなに楽しかっただろうと思う。

自分が死ぬ間際を感じ取って、その時もまだ興味があったら、そっとその人の星読みはしてみたいと思っている。

本人に届くこともないし、私もしたからと言って何がどうなるわけでもないけれど、それぐらい老後の楽しみに取っておいてもいいよね?と思っている。

妄想話はこれくらいにして、本当に星読みを本腰入れてやらないと今月中に終わらない(汗)。

少し昼寝して(とっておきの眠くなる占星学の本を最近取り寄せたから、それを少し読んだらまぶたが確実に落ちる)、その後硬派さんの星読みをしたいと思う。

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