(↑ノムとミッチーの日常)
※インスタがない人、又はミッチーに直接問い合わせたい人はこちら↓↓↓
skmy2040☆gmail.com
(☆の部分を@に変更してください)
[写真説明]
ミッチー作のエプロンを付けたミッチー&ノム(@ノムの7月の個展会場)
ミッチーによる説明:
写真の中のエプロン、作りました。
女子のお客さんがいない時間だったので、女子用の形でフリフリラブリーだけど、われわれメンズが着用してます。笑
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< 登場人物 >
ノム…私の占星術講座のクラスメイトでゲイ
ミッチー…ノムの恋人、2人一緒に住んでる
Mr.エックス…ノムの仕事のお客さん
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本題に入る前に、ノムから聞いた話を紹介したいと思う。
今回の話を書くために、ノムにあらかじめ、私がノムに宛てたメールとノムから私へ宛てたメールとをブログに使っていいかを聞いた。
ミッチーのことも書かれているから、ミッチーにも確認して欲しいとお願いした。
(話がややこしいから、それを書き言葉で説明するのが面倒だったのと、確実にボリュームオーバーになる文章を活字苦手なミッチーに出して聞くのもどうかと思って、それならノムが口頭で説明して了解取ってくれたらいいと考えた。)
二つ返事でいいよとくるかと思ったら、ノムからは少し電話したいと来た。
何だろう?と思って、数時間後ノムと電話した。
まずはお互いに、その日23:59締切の占星術講座の宿題について状況報告やら宿題の内容のあれこれを話し。
(↑夜の8時に送信完了!!!(祝))
メールの件はミッチー共々了解で、但しいくつか配慮をお願いされた。
ノムの仕事の話も含まれるから、そこをわからないようにして欲しいというものだった。
それはノムというよりも先方の意向を踏まえてのお願いで、全体像を把握しつつ的確な判断をするミッチーはさすがだなと思った。
こういう時、ミッチーが本当にさすがだと思うのは、ミッチーはすごい細かいところに目が行き届いていて、私や多分ノムも気付かない大事なところに気付いて、それに対して配慮が必要と即判断できる力があること。
そこまでは話として良かった。
なんだけど、その後の話が面白すぎた。
「あのね、ミッチーにこれこれこうでとか説明しながら、僕のメールをミッチーの前で朗読したの。それをミッチーが聴きながら、これはどうなの?とか気になる点を言って、それで今こうして話してる」
私はその話を聞いた時、今回も爆笑した。
ノムは自分のiPadを教科書のように持って、立ちながらミッチーを前に小学生の子どもが国語の授業で音読するかのように朗読したんだろうか…とか、立ってなくて座っていたのかな…とか、いずれにしてもシュール過ぎる光景を想像した。
場所はどこだろう…と想像するとさらに可笑しさが増した。
人間より猫の方が2人のリビングは居住占有率が高い。
猫ちゃんたちも行き来してニャアニャア副音声付きで、そしてノムがiPad持って読んだんだろうか、そしてそんな穏やかな空気の中で真面目な仕事への配慮話をしたんだろうか…とか想像したら本当に可笑しくなった。
後の方でノムと私のメールをそれぞれ掲載するけれど、ノム側のメールをノムはミッチーに向けて朗読した 笑。
私側のメールは、ノム経由でミッチーに転送してもらっていて、それもミッチーは朗読サイトを使って朗読されたものを聞いたらしい!
ミッチーの朗読サイト利用は今も引き続いていて、同じ日外出したミッチーからLINEをもらってこんな風に書かれてきた。
【ぶっしーこんにちは。今日も暑いです、東京。
都内へ出てて、あ!と思い立ち久しぶりに明治神宮へお参りしてきました。
これまた、あ!と思い立ち、ブログの続きを聞きながら(笑)本殿まで向かいました。
ひとまず、ブログの読み上げ、約1時間20分かかったよ。笑】
ミッチーはどうしてこうも面白い話を毎回教えてくれるんだろう。
お参りの時に聞いてもらう私のブログ(多分速さは2倍速)。
このブログがまさか明治神宮デビューするなんて、ただの一度も想像したことがなかった。
超神聖化したブログ!←そんなこと誰も言っていない。
しかも、ミッチーは私がリクエストしたこと、子どもがするお楽しみ系の小さな約束みたいなものでも、毎回きっかりと守ってくれる。
私は、読むのに1時間かかる『eat LOVE ⒀ 人生の贈り物』が、ミッチー愛用の朗読サイトだとどのくらいかかるのか知りたい!と言った。
単なる私の興味関心で、知りたいのに深い理由はない。
なのに、そういうこともミッチーは本当によく覚えてくれていて、その小さな約束をきっちりと守ってくれる。
すごく嬉しいことだった。
そんなミッチーとノムとMr.エックス、そして私、そのメンバーで繰り広げられた世にも素敵なデコボコグループの話。
7月も終わろうとしている日だった。
理由は忘れたけれど、何かの話でノムと電話した。
この時ばかりはノムとだけ電話して、ミッチーは電話には登場してこなかった。
ノムから私に頼みたいことがある、と切り出された。
ノムの仕事の関係で、中国人の人と会うことになっていて、その時に私も電話越しにその人と英語でやりとりして欲しいというものだった。
すごい面倒な英語とかではなく、「ぶっしーもMr.エックスと話したら面白いと思うんだよね〜」と、ノムはMr.エックスの人柄やこれまでのやりとりをかいつまんで説明してくれた。
とっさに【これ、多分英語じゃない】と思った。
なんだけど、その後物凄い勢いで「私の英語、超超超やばいし、オフィシャルなやりとりなら余計と非常に不適切」だと思ったし、それはノムにも言った。
「英語」というだけで乗り気になれなかったのも本当だった。
ノムもノムでのんきで、私がずっと使ってないこと、最後が多分10年前空港でちょっと使ったぐらい、その前となるといつかわからないのと、現役時代からかれこれ20年近く経過していて、本気で怪しいと説明しても、「うん、たぶん大丈夫だと思うんだよね〜」といつもの会話と変わらない調子で言われた。
ノムに聞いたら今回がMr.エックスに会うのは3回目で、初回は帰国子女の子に通訳で来てもらって、2回目はノムとミッチーの共通の友達で海外にも行くし外国人の彼氏がいるか何かで英語堪能な子が通訳に付いたらしい。
そしてそんな超ベテラン勢ではなく、今回は超やばしな私のところに話がきた。
そもそもの今回ノムたちとMr.エックスが会う流れも「摩訶不思議」としか言いようのない流れで、そんなことが起こらなければ私に英語の要請も来ることなんかなかった。
決して乗り気ではなかったけれど、英語が話せないノムにとっては絶対に必要なのはわかったから、本当に「ノムだから」引き受けたという感じだった。
ノムから前日の夜にこんな風に連絡が来た。
「ぼくが外でLINE使えなくてさ、ミッチーとLINEつなげてもいい?」
これも今考えるとよくできた話で、ノムは家ならiPadもパソコンもあってネット環境バッチリだけど、普段外出の時はオシャレなデザインのガラケーを連絡用に持ち歩いている。
だから外ではLINEを使えない。
そこで、ミッチーのスマホで当日はMr.エックスとやりとりしよう!ということで、それで連絡がきた。
1ヶ月前、ノムとミッチーとレイさん(ノムたちの大家さん)がいる、私が「eat LOVE聖地」と呼ぶ場所に泊まらせてもらった。
『eat LOVE』はノムとミッチーと写真家さんとで、2人の日常を、ミッチーのごはんとその写真とノムの文章とで構成した、とっても素敵なサイト。(冒頭にリンクあり!)
そこでノムとミッチーとレイさんの星トリオに会って、それを機にノムがレイさんと私とを繋げてくれて、レイさんとも個人的にやりとりできるようになった。
(星トリオ…今年のノムの誕生日に、「星が見たい!」というノムの望みを叶えるためにレイさんが車出して、往復700キロ近くかけて新潟まで3人で星を見に行ったことから、ノムが3人をそう名付けた。)
だけど、ミッチーはノムがいたし、何か用事があればノム経由で事足りてたこともあって、特に連絡先を互いに交わすとかはしなかった。
ところが、ここに来て、そういうイレギュラーなMr.エックスとの会合に、英語要員(準要員)として必要な私に、その私と当日やりとりするにはミッチーと私とが繋がる必要があって……。
という、これ以上ないおいしい展開となって、ミッチーと私とはパートナー(=ノム)公認の上、むしろパートナー主導で繋げてもらえて、ミッチーファンの私としては有り難いばかりだった!
その後、ノムからこんな風に言われた。
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ふふふ。こういうことを本人にいうのもあれだけど、みっちーと、ぶっしーと会えてラッキーだねえ。って話してて。ああいう人にはなかなか会えるもんじゃないよって(もちろんミッチーはうなずくみたいな同意なんだけどもね。笑) だからというか、みんなのぶっしー、くらいに思っているので(勝手にすみません!)、ミッチーとも自然な形でつながってほしいなって最初から思ってた。だから、なんなら、明日のことは2人をつなぐために機会? とか思ってるくらい。笑
明日のことは、そもそもぼくにとってもばなな的な話なんだけど、そこにさらにぶっしー、みっちーに関わってもらうこの流れがすごいなって。小説のページをめくるみたいなワクワク感あるよ!
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ノムが最初からミッチーと私とが繋がって欲しいと思ってくれてたことも1ヶ月近く経って初めて知ったけれど、ものすごく光栄なことだった。
「ばなな的な話」というのは、作家の吉本ばななさんのことがノムも私も大好きで、その吉本ばななさんの紡ぐストーリーのパターンを見て作り出した言葉。
2人の間で「ばなな的な話」とか「ばななワールド」とか言って、その言葉でお互いに何が言いたいかわかる 笑。
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ノムとのやりとりより(7/2)
[ノム]
(ぶっしーは)何度も言っちゃうけど吉本ばななさんの小説の登場人物みたい。あ、でも、ぼくもまたばななワールドに出てきそうかもね。平屋で暮らすゲイのカップル。ばななさんの小説は女性が主人公だから、ぶっしー主人公のストーリーにぼくらが登場するって感じかな。いつかばななさんとご飯とかしてみたいねー。
[私]
1週間前の日(←eat LOVE聖地を訪ねた日)こそ、本当にまさにばななワールドだったよ(!!!)(!!!)(!!!)
だってさ、ゲイカップルに大家さんである家族持ちの中年女性、そして生き方彷徨ってどうしようってなってるオカルト体質の中年独身女。
何このキャスティングってなりそう(笑)
キャスティングだけじゃなく、中身も非日常みたいなこと満載で、すっごい楽しかったけれど、多分はたから見たら変態たちの集まりみたく見えててもおかしくないと思う(変態呼ばわりしてごめんよー、悪気はないよ(!!!))
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そうした流れを経て、私はミッチーとLINEで繋がった。
これまで何人の人たちとLINEで繋がったかはわからない。
何だかんだ数年間で100人弱ぐらいにはなると思う。
最初はお互いにIDを交換したり、フリフリしたり、QRコードを読んだり、何かしらのやり方で繋がっていく。
昔でいう、携帯のメールアドレスの交換みたいなものだと感じる。
だから特別珍しいことではないし、これまでだってそのやりとりは慣れてる。
なんだけど、ミッチーのやりとりは最初から感動を与えてくれるもので、私はいきなり胸ズキュンだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私:ぶっしーです!
これでミッチーと個人的に繋がったかな⁇
ミッチー:ぶっしー、ありがとう!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ミッチーは「ありがとう」って、ただ繋がっただけのことで「ありがとう」を言ってくれる、超ステキな感性の持ち主で、私の方こそありがとうだった。
Mr.エックスが登場するシーンはこの後出てくるけれど、私にとってはもはや英語の待機要員よりもミッチーと繋がることが全てだったんじゃないかとその時思った。
実際に、その時を境にミッチーと他愛ないやりとりができるようになったことは、至福の喜びとなった。
そして、LINEでのやりとりを通じてミッチーという人を知っていくのは、人生における新たな楽しみの1つにカウントされる。
終わった今も、結局のところ、私は何をしたかと言えばほとんど何もしなかったわけだけど、それを機に色んなことたちが動いたり繋がったりするわけだから、人生どこでどんなドラマが生まれるかわからないなぁと思う。
頼まれていた当日を迎えた。
私は高校から25年愛用している英和辞典を持ってきて、それでいつ連絡が来てもいいように待機した。
時間をだいぶ過ぎても連絡がなかったから、2人とMr.エックスで盛り上がっているなら、反対に私は出番なくて元々良かったわけだから、それに越したことはなかった。
ミッチーにそれなら私のことは気にせずに3人でやりとりしてねと連絡したら、遅刻するわ駐車場見つからないわでバタバタしてたとのこと。
なんならMr.エックスも遅れていて、色々やりとり以前のすったもんだがあったようだった。
ミッチーから連絡が来るとばかり思っていたら、ノムからLINE電話が来た。
iPadを持参していて、wi-fi飛んでるカフェに来たようで、それで今電話したよ、Mr.エックスはまだだよと言われた。
ミッチーは?って聞くと、「僕の隣りでMr.エックスに英語で一生懸命連絡してくれてる」と、有能な秘書のごとくミッチーは連絡係に徹していた。
しばらくして、Mr.エックスともう1人男性が到着した。
月末で速度制限がかかった私のiPhoneは、LINE電話こそできてもこれがテレビ電話になると画面がフリーズして使えなくなっていた。
ノムからテレビ電話できる?と聞かれて、いいよとは答えたものの、実際に画面に映った自分を見てゾッとした。
iPhoneの画像鮮明度は、私のシミや白髪やボサッとした感じまでも如実に写し出していて、自分でもこんな醜態晒すのも嫌だなと思った。
iPadだとさらに画面が大きいわけで、どういう写り方をしてるのか、考えただけでゾッとした。
案の定画面がフリーズして、音声も途切れ途切れということで、もう一度かけ直すことになった。
今度は私側は音声をきれいに拾えたけれど、ノムたちはカフェで周りがガヤガヤして私の声が聞き取りにくいようだった。
しかも私側はノムたち4人の様子が全くわからなくて、どのタイミングで喋っていいのかもわからなかった。
10年ぶりの英語は本当にひどいものだった。
予想通り単語は出てこない、自分の発音はさらに怪しい、そして想像以上にMr.エックスの英語が超流暢で、そしてその傍らで時々遠くから聞こえるミッチーの英語がこれまた流暢で、私要らなくね?と思った。
ノムには言わなかったけれど(というか忘れてた)、最後に英語を話したアメリカの空港のセキュリティチェックのところで、私はスペイン語で答えてしまったのか、怪しい英語で答えたのか忘れたけれど、チェック係から「酔っ払ってるのか?」と聞かれて、ブチ切れそうになってた。
アルコール類は一滴も飲んでいなかったのに、そんなことを言われた私の英語力たるや、よく考えたら超怪しかった。
Mr.エックスに何を聞いていいかわからなかった私はさらに混迷を極めて(←こういうのは素でできてしまう 汗)、私がMr.エックスにした質問で覚えているのは「Mr.エックスと一緒に来た男性もゲイなの?」という、初対面でいきなり聞かないだろうというものだった。
実際に本気で気になったから聞いたわけだけど、ノムからMr.エックスがゲイだとは教えてもらっていた。
4人中3人がゲイで、もう1人の男性だけがノーマルなら何とも不思議な感じだなぁと思って、それで気になって聞いた。
そこはミッチーがたしか聞いてくれて、4人目の彼はMr.エックスの恋人兼ビジネスパートナー的な立場だと判明した。
えっΣ(꒪◊꒪; )))) 、じゃあこの組み合わせは、2組のゲイカップルに40歳未婚バツなし独女、要は私1人だけ本気のお一人様という、何ともいたたまれない状況だと判明した。
世の中の人口形態とは全くもって真逆の現象がその瞬間形成されていた。
ダブルデートだね〜と英語で言ってみたものの、「ダブルデート」なんていう概念が英語の表現にあるのかも怪しく、和製英語だらけの怪しい英会話を繰り広げ、そして4人側に伝わる私の声はプツプツ途切れ、私は何度もMr.エックスに「Pardon?」と聞き返され、全てがカオスな状況となっていた。
本当に色々と難ありな5人での会話はすぐに幕を下ろされた。
「ぶっしー、もう大丈夫!ありがとう!」とノムに言ってもらって、お役御免となった。
ミッチーからは「ヘルプが必要な時連絡するね」みたいなことを言われて、まぁでももう電話は来ないだろうと思ってた。
少ししか聞こえなかったものの、ミッチーの英語を聞いて、本当に大丈夫だと思ったし、そもそもミッチー1人で最初から大丈夫だったよね!と思った。
早々とお役御免となって、私はこれで肩の荷が下りてホッとした。
早々と解放された私は、その後その展開の意味なんか何も考えず、自分のことに移っていった。
それから1時間半くらいした頃、ミッチーから第一報が入った。
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ぶっしー、さっきはありがとう。
お店だと回りの音でなかなか会話ができないね💦
でも優しさをありがとう!
つたない英語を駆使して無事に終わりました。4人でこれからランチを食べます😊
また落ち着いたら連絡するね!
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無事終わったんだなぁと知れて良かった。
あのちんちくりんな英語対応が、ミッチーの中ではなぜか「優しさ」に変わっていて、ミッチーは何を優しさと感じてくれたかはわからなかったけれど、すごく嬉しかった。
ノムはノムでこんな風に連絡をくれた。
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無事に完了した! ありがとう〜ね。また後で連絡します! ぶっしーのおかげで空気がなごんだよ!
なごんだ!! なんというか、伝わったのね、ぶっしーが。エネルギーが。
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ノムも何をもって「なごんだ」と言っているのかこちらもさっぱりわからなかったけれども、まぁ何だか役に立てたとするなら私も嬉しいことで、ありがとうと言ってその場は終わった。
2人とも嬉しいことを言ってくれて、2人それぞれの言葉にウットリした。
そして、何が素晴らしいって、2人は一緒にいるから、どちらか片方が2人分としてまとめて連絡をしても全然問題ないのに、それぞれが私に連絡をくれることだった。
それぞれがそれぞれの言葉で私に何かを伝えてくれる、その2人の心意気に私は心底胸を打たれた。
2人のあり方は常に心を温めてくれる。
「やさしい」の一言では済まされないくらいに、温かいものを2人それぞれが届けてくれる。
本当に2人ともとっても素敵な人たちだと思う。
ノムの7月開催の個展のこと、Mr.エックスとのこと、ミッチーと繋げてくれたこと、それぞれのことが私に響きまくって、ノムにメールをその日の夕方書き始めた。
色々思ったことをそのまま伝えたかった。
書き終えた後、あまりにもよく書けたから(←得意の自画自賛)、ノムにミッチーにも転送して!と頼んだ。
ノムからはこんなLINEが届いた。
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(ノム)
ぶっしーも早い時間から待機して、ふしぎな電話して、きっといつもと違うエネルギーな今日だったよね。ほんとにおつかれさまでした!! ゆっくり休んでね。メール、デザートみたいに、読むね!(意味不明比喩……
(私)
ノムありがとう!
メール、モリモリのアフターヌーンティーセットのデザートだよ(笑)
そこに私が感じたこと全部書いた!
(占星術の)宿題と違ってスルスルと書けたわ!!!
(ノム)
こちらこそだからね、ありがとう❣️ もりもりデザート、ゆっくり堪能いたします😍
おやすみなさい👯🍀🦄💗🐳💫🐬😋
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食後のデザートみたいに楽しみにしてくれるのがとても嬉しかった。
ノムの言葉のセンスはいつもはっとする表現で、心に強力なビタミンを注入してくれる。
デザートみたいなメールはこちら↓↓↓
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ノム、今回はばななワールドに招待してくれてありがとう😊
しかもとっても素敵な流れをオンタイムで見せてくれてありがとう😊
ひょんなことからノムの人生の流れを見せてもらえたことで、そこに私も希望や勇気をもらえて、さらには英語やミッチーのことで癒しももらえた。
予期せぬ形での良いことたちで、本当にありがとう。
ノムが前日の夜に言っていた
「小説のページめくるみたいなワクワク感。自分で書いておきながら、それすごくいいね!笑 人生自体をそんな風に生きたい!」
が本当にきちんと起こったね!
またいつも通り思いついたまま書くけれど。
ノムのこの一連の流れにとても励まされる理由は、ノムは子どもの頃や若い頃から絵を描いた人ではなく、ある時から自分の生き方在り方そのものを見直して、とても怖い選択だらけだったと思うけれど、それら1つ1つのプロセスを避けずに入っていって、対峙して、それらに何かしらの答えを自分の中に出して、そうした繰り返しの中で今ある場所にたどり着いているから、そこにすごい勇気と励ましをもらえる。
今回絵が想像以上に売れてるというのも、私は棚ぼたとは全く思っていなくて、ノムの中で何か1つ結実したものが多分絵の中に宿っていて、この間も言った通り、ノムの絵が魂の暗号や魂の信号の役割を果たして、その暗号や信号を持っているもう片割れの人たちや、それを手にすることで自分の中の何かが満たされる、要はノムとご縁のあった人たちがノムの絵とご縁を繋いでいる気がする。
「怖い選択」というのは、いつかのメールか何かでノムが言っていた、人とは違う選択、多くの人が「そんなことってできる?」「そんなことで食べていけるの?」とか言いそうなことを選んだり、過去に一度もしたことのない選択だったり、周りにお手本となる人が誰もいなくて未知の選択だったり。または、現状にとどまれるのに、心はもっと別のものを求めていて、心なり魂なりが叫ぶ小さな声を選ぶ=これまで生きてきた世界と決別する…、そういう選択だったりしたと思うから、それらを怖いながらも選び続けてきたノムに、今1つの花が「これで合ってるんだよ」という意味も込めて咲いた、そんな風に見えた。
多分、ノムと縁が出てきたというのは、私もそういう人生を歩む人なんだろうし、私は特に本当に変に怖がりなところや異常なほどの自信のなさがあって(私だけじゃないとは思うけれど)、そうしたところにノムがいて、ノムの生き様を見せてもらっている。
私が見ているのは、多分上手くいっているノムの姿ではなくて、怖いながらも自分の心の声を聴き続けてそれを選び続けたノムの姿なんだと思う。
ノムありがとう!
英語の件もありがとう😊
最初声をかけられた時、はっきりと覚えているけれど、「なんでこの英語の話が私のところに来たんだろう…、これ多分英語じゃない」と思ったんだよね。
だけど、話すと当然思考はあちこち働くわけで、そして過去の英語の課題やら痛い思い出とかも出てきて、気乗りしなくなっていったのも本当。こういうネガティブ思考の時のスピードの速さと言ったらないよね 笑。
でも、思いもよらぬ方向からきた話だから、なんとなくわかってるの、「やれ」ってことなんだろうなぁと。引き受けろとかいう意味の「やれ」ではなく、新しい風が吹くから受け取っておきなさい的な「やった方がいいよ」の「やれ」ね。で、おっかなびっくり今日の流れになるわけだけど。
英語だけを切り取ったら、有能な人やもっとコミュ力高い人なんていくらでもいる。なんだけど、今日Mr.エックスたちとやりとりしてみて、自分でも自分が何してるのかよくわかっていなかったけれど、後からノムからもミッチーからも連絡もらって。
ノムからは「うん、なごんだ!! なんというか、伝わったのね、ぶっしーが。エネルギーが。」、
ミッチーからは「ぶっしー、さっきはありがとう。お店だと回りの音でなかなか会話ができないね💦
でも優しさをありがとう!」
とそれぞれ来て、本当に嬉しかった。
2人の言葉を見て「あ、やっぱり英語のことじゃなかったんだな」というのがはっきりとわかったし、英語を正しく話したり丁寧に聞き取りやすく話すだけが全てじゃない、むしろ気持ちや空気を伝え合う一手段にもなるということを今回初めて体験できた。私にとって、画期的な出来事だったよ。
ノム、貴重な体験の機会をどうもありがとう😊
でさ、もう一つ。
ミッチーを繋げてもらって本当に良かった!
ミッチーとのやりとりは確実に自分が癒される!!!これは想像以上だった。
今も書いててうるっと来るんだけど 笑。
私がミッチーを見てめちゃくちゃ癒されるのは、ミッチーを見ていると、ないがしろにされてしまった子どもの自分を思い出せるんだよね。そして、その子どもの自分をミッチーを通して肯定できるんだよ。
ノムに言ったかわからないけれど、私は小学校3年生になるぐらいまでは、本当に寡黙症みたいな感じで、基本的に外ではほとんど喋らなかった。物心ついて数年はその記憶がしっかりあるから、かなり重度のほとんど喋らない内気な性格の子どもだったと思う。そしてうちの両親というのが気は良い人たちだけど、私からすると「とにかく出方が読めない」人たちだったから、何でもかんでも喋れる相手ではなくて、自分で何だったら話してもいいかを見極めて喋るようなところがあった。
獅子座の月的な性格は微塵もなくて、喋らないから変に目立っても、カリスマ的なまたは太陽的な目立ち方は絶対にしていなかった 苦笑。陽気さは皆無だったしね。
その後時間をかけて、喋らない自分から喋る自分へ、そのうち話術で交渉や営業するみたいな機会がモリモリ与えられて、やらざるを得なくなって、気付けば大人になる頃には今みたいな私になるんだけどね。ノムがこの間私のホロスコープを読み解いた時に言ってくれたみたいに、とにかくあらゆる体験をこれでもか!というぐらいにするわけ。それも0から100まで全てのプロセスを体験するぐらいにね。
社交性に関しては今ぐらいでちょうどいいところだとは思うけれども、でも月の時代(0〜7歳)の自分はいつもどこか傷んだままで。これまでも何回も救出活動的に心理ワークしたり内観したりしてある程度まで来れたけれど、ミッチーの登場によって全く違うアプローチが始まった。
これまでは当時の自分の心に寄り添ったり、当時封印した感情を出して感じてみたり、あくまで「問題」とか「課題」みたくして見ていた。
それも必要な取り組みだったし、たくさん癒されたからそれで全然OKなんだけど、ミッチーはもうそういうのじゃないの。
私が自分のその内気なところや言葉少ない寡黙症のところにメスが入って矯正や訓練がされて大人になったとするなら、ミッチーはその部分を周りの対応はどうか知らないけれど、少なくともミッチー自身は変えるんじゃなくてその自分を守ってそしてそれこそを自分の個性として確立させて大人になった人なんだよね。だから、ミッチーの姿の中に、自分の子どもの頃の姿が見えるようだし、そのままの姿で凛として立っていて、ノムやレイさんと心通う関係を作っていて、それを見て「あの自分のままでも大丈夫で、十分に愛されたんだろうなぁ」というのを確認している。当時の自分を肯定する、ありのままそれがいいんだよと思うなんて考えたこともなかった。だけど、ミッチー見て、そのプロセスを私は持つことが初めてできた。うん、初めて、子どもの頃、矯正される前の自分の姿のままで自分を肯定できた。これはミッチーに出会わなければ、私は体験できないタイプの癒しだった。
こんな言い方変だけど、よく喋って適度に社交性のある私が重宝されればされるほど、静かな自分はなりを潜めて正解みたいな感じで。そういう自分を肯定する機会なんてなくて、否定もしないけど肯定もしないみたいな。でも、ミッチーと会って変わった。ミッチーを肯定してる時、それは同時に過去の子どもの自分も肯定している。
もちろんミッチーに私を癒そうなんて意図はさらっさらないと思うけれど、ミッチーがミッチーでいてくれるだけで、私の中に癒しが同時に生まれる。しかもミッチーがこれまた素晴らしい感性や面白さを持っているから、子どもの私がそんなに良かったかはさておいても、静かでもそれだけ魅力的だったのでは…とかすかな希望さえ持てる 笑。
〇〇さんを前に笑っちゃうぐらい閉じちゃうミッチーは、間違いなく子どもの頃の私だよ。だから、それを大人のミッチーがあまりに不器用でそうなってても、私はもう信じられないぐらい広い心で見ていられる 笑。その不器用さを出したくなくても出ちゃうのかもしれないけれど、いずれにせよ出せるミッチーがうらやましいし、どこまでも真っ直ぐなのは本当にミッチーの魅力そのものだと思う。
ちなみに大人の私は、100%ノム寄りで、さらには鍛えられすぎたからか多分相手は違和感感じないぐらいにさらっとやりとりできてしまう 苦笑。
だから、ミッチーとのやりとりは、ミッチー個人とのやりとりがもちろん大前提なんだけど、その奥に子どもの自分の姿も見えて、そしてミッチーは何もしなくてもそのままでいてくれるだけで私側は癒されるという、何とも役得なポジションにミッチーはいるから 笑。心理ワークとかアホくさくなるぐらいに、「ただいるだけで目の前の人を癒す力」を持ったミッチーから私は癒されてる。
だから、そんなミッチーと繋げてもらえたのは本当にありがたい!!!
だってさ、ミッチーにeat LOVE最終話について少し触れたら返信これだよ↓
「一時間かかるよ、って浩平(=ノム)から聞いたー😲それだけ書けるぶっしーもすごい。
そうそう、ご名答!一回目は速朗読アプリ使って聞くー😁
ちなみに(聞いたことないけど→)スピードラーニングのように、ミシンしながら聞いたりもしてるよ。」
何この面白すぎる返信!!!
癒しや笑いをこれだけ提供してくれるミッチーと繋げてくれたノムの功績はめちゃくちゃ大きいね😆ノム本当にありがとう😊
今回も書いてたら長くなったわ。
ノム最後までありがとう😁😁😁
ぶっしー
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Mr.エックスとの電話の2日後にノムと電話で少し話した。
ノムが今回の一連のばなな的な流れを事細かに説明してくれた。
その話は、どこまでもすべてが完璧で、人間の弱さもデコボコしているところも、それらが合体すると素晴らしい1つの物語を作るということがわかった。
この記事の最下部にも同じ文章が出てくるけれど、先に事の成り行きを説明するために少しだけかいつまんで話すと。
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(英語は)いちばんいい形になった、と思っている。
というのもね、ミッチーは、英語に自信がぜんぜんなくて、
ぼくからすれば、十分話せているよ、って思うんだけど、かたくなに、「ぼくは無理」と言い、
ついてはいくけど、英語を話せる人に来てもらって、ってずっと言ってた。
で、今回はぶっしーが「いいよ」って言ってくれたことで、
そして電話参加という形をとってくれたことで、
ミッチーは安心してその場へ行くことができた。
そして、あのように電話が聞こえづらくなったことで、
彼は、自分がやらなきゃ、ってスイッチがたぶん入り、
さらに、自分もできる、って知ったんだと思う。
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ノムはそんな風に英語のやりとりを教えてくれた。
これまでMr.エックスとやりとりする時に、毎回なぜ通訳をつけていたのか、私は細かくは聞かなかったから、本当の理由をその時まで全く知らなかった。
そう、ミッチーは話せるのに頑なに引き受けなかったそう。
ノムいわく、初回の人は「正確さ」で言えば帰国子女だけあってすごく能力高い人が来たらしいけれど、本当の「通訳」って感じで、ちょっと思っていた感じと違っていたらしい。
2回目の時は、2人の共通の友達で英語堪能な子が通訳してくれたらしい。
その時は、Mr.エックスが、2人の東京郊外にあるアトリエまで来てくれたらしいけれど、ミッチーはそこには顔を出さず、通訳の友達とノムだけでやりとりしたとのこと。
そして、今回が初めて電話で私が待機要員としていて、でもかと言って最初の2人と比べたら私の現在の英語力はとても微妙で…という状態だった。
通訳として期待もできない、本当にただの待機要員として私は参加したけれど、不具合だらけの電話も私の難あり英語力も完璧だったと知った。
私のズッコケ具合に関しても完璧で、ミッチーが言う「優しさ」とかノムが言う「なごんだ」というのは、本当のことだったらしい。
何せ難しい英会話はほぼ無理だった私は、自分が気になったことしか聞かなかったし話もしなかった。
Mr.エックスの連れ人もゲイなのか?なんて、普通は聞かないかもしれない。
これはゲイに限らずだけど、私は自分の知らない世界を生きている人たちの話に目がない。
自分は絶対に知り得ない世界だから、その世界を生きている人の生の声はとても貴重だと常々思っている。
ちなみに彼がノーマルだと言ったら、私は多分Mr.エックスを差し置いて、連れ人に質問を向けたと思う。
同性同士4人で集まって、自分以外はゲイ、自分だけノーマルなら、その人から見た自分が今いる状況はどんな風なのか聞いてみたい、と私は考えたはず。
後からこの会合が超オフィシャルと知って、私のとんでも質問は本当に場にそぐわないものだったと思うけれど、それが功を奏すなんてことがあるわけだから、どこで何がどう作用するかわからない。
はっきり言って、私には何が良かったかなんてさっぱりわからなかったけれど、とにかく場の空気を良い方向に向かわせたのなら、それは良かったと思った。
ノムが続けた。
ぶっしーがいてくれてミッチーも安心してあの場に行って、でも電話の不具合からここはもう電話なしでミッチー1人通訳でいくしかない、そういう状況が生まれて、ミッチーも覚悟を決めてやってくれたこと。
実際にやってみたら、ミッチーも何とか自力でできる、それも仕事関係のオフィシャルなものでもやれる、そういう自信を付ける場になったこと。
しかも、仕事の延長で宿泊を伴う仕事が発生することになって、それにミッチーと行けることをノムは心から喜んでいた。
ノムは言った。
もし僕が他の人を通訳として連れて行ったら、ミッチーはその宿泊込みの仕事を「猫を置いて行けない」とか「通訳の子が行った方が絶対にいいから僕行かない」とか、色んな理由を付けて行こうとしなかったと思う。
だけど、今回のことでミッチーは素直にその宿泊込みの仕事に行く気になっていたし、僕もミッチーと行けることになってすごく嬉しい!と言った。
家に帰ってから、ミッチーがその宿泊込みの仕事には欠かせない道具を確認していて、それで本当に行く気だと知った、とノムは話していた。
すべてのことは意外な展開へと繋がって、そして全員にとってベストなものを生み出した。
私にとっても、この英語の待機要員の係は大きなものだった。
3つの大切なことに気付かせてもらった。
1つは、「正確な英語」や「流暢な英語」が必ずしも正解とは限らないこと。
もし私が今回、流暢な英語で正しく楽しく英語を話したとするなら、それはたしかにノムの仕事上の役には立ったかもしれないけれど、ミッチーの役には立たなかったし、さらにノムからして何よりも大切なミッチーとの思い出作りの時間を潰すことになったと思う。
ミッチーの心の中は知らないけれど、今回は最初の2人の通訳の時のような「自分は出なくていい」という気持ちにはならなかったはず。
反対に「自分がやらなきゃいけないんだ」とそちらのスイッチが入った、とノムが言ったようなことが実際に起こったんだと思う。
上手くやれないことが正解の場合もある。
それは、これまでの英語の関わり方とは180度丸っと違う世界だった。
自分が上手くやれないからこそ、誰かのチャンスに繋がったり、誰かの未来の思い出の切符になるなんて、なんて素敵な話だろうと思う。
上手くやることがすべてではないし、そして今回何よりも大きかったことは2つ目のことだった。
2つ目の気付きは、上のことと関連して、「自分であること」がそのまま価値となること。
これは本当に自分じゃわからないことだけど、素の自分でいてその自分で人とやりとりするのが、誰かにとっての助けになる。
私のズッコケ具合が役立つなんて、世も捨てたもんじゃない。
むしろ自分としてはもう少し賢そうな対応ができた方が良かったなんて思ったわけだけど、そのできないことが今の自分で、その自分に価値があるのは大きなことだった。
気付けば、長いこと英語は「正確さ」をひたすら求められる場や機会が多かった。
それは英語力を伸ばすには良かったけれど、代わりに私は完璧な英語を求めてしまって心は逆に窮屈だった。
もちろんその英語力を必要とした人たちもいたから、それはそれで良かったけれど、心の中は可も不可もなくだった。
ところが今回は、結果的に完璧ではない英語を求められて、もっと言うと言語関係なく、場はオフィシャルでも普段の私のままでその場に居合わせることが何よりも大切だった。
それが、どういうわけかその場の潤滑油的な役割を果たしたみたいだから、それはありのままの姿(若干ズッコケ気味)に価値があったという何よりもの収穫だった。
3つ目の気付きは、すべては完璧だということ。
この完璧さは、その時のことだけじゃない。
例えば私なら、過去20年近く英語を話さない環境が必要だった。
特に会話を伴うものを不要とすることが、今回のキーポイントの1つだった。
もし英会話を中心とした仕事をしたり、英語圏のボーイフレンドがいたりしたら、今回は全く違う結果を生み出した。
私の英語の使わなさと言ったら、一般の英語を話せない人たちよりもうんと上だった。
「たまたま道で外国人に出くわして英語で道を聞かれたんだけど、こういう時ぶっしーがいてくれたらいいのに…って思った」という話を、私は何人の人からこの過去20年近くの間でされたかわからない。
英作文や英語の勉強で必要とされる場面こそあっても、英会話とは無縁でいた。
今思えば、これだけ訳の分からないオカルト的な出来事は引き寄せるくせして、英会話を伴う道案内に当たらないのはある意味おかしすぎる。
死者の魂と関わる回数の方が、道で外国人から英語で何かを聞かれる回数より多いなんて普通ありえない。(私としても逆であって欲しい。)
ちなみにこれ、浅草とか外国人が一気に増えるところでも私は聞かれないし、他の場所でも、これが田舎であろうとも周りの人たちには起こっても私には起こらない。
でもそれもこれもみんな、2019年7月のある日、Mr.エックスとのやりとりを完璧なまでに拙い英語でやる、というのが絶対的に必要なゴールなら、こうなったことも頷ける。
あえて英会話をしなくていい状況が正解だったということ。
私の場合、こうした普通の機会さえも、自分じゃコントロールできないくらいに規制が敷かれている気がする。
私が今分析した英会話する場面の有無は、ここに書いたことが、ペンジュラムいわく「当たり」らしい。
英会話を積極的にしたいわけではなかったからそれでいいんだけれど、かと言って死者の魂とやりとりしたかったわけもなく、でもそちらは頼まなくても勝手に起こってくるという摩訶不思議。
人生は必要なことが必要な分量で起こる、それが多分真実なんだろうなぁ…と今回の英語の件を見て思う。
今回のタイトルは、『eat LOVE AFTER』を採用することにした。
eat LOVE聖地から離れて1ヶ月以上経過したけれど、私の中ではあそこがある意味1つの起点で、そこから色んなことが起こっている。
ノム・ミッチー・レイさんの星トリオ、次3人と再会するまでは個々とのやりとりが中心になるけれど、そこで何か新たな物語が生まれたら、そのシリーズだよとわかりやすくするために『eat LOVE』の文字を使いたかった。
そして、実際にやりとりしてわかるけれど、ごはんは食べなくても3人個々とやりとりする時はやっぱりeat LOVEで、愛を食べてる感覚がある。
わたくし、普段「愛」なんて言葉は恥ずかしすぎて言えないし、これが異性で違う意味が生まれそうならもっと言えないけれど、ゲイカップルの2人や同性のレイさんには恥ずかしげもなく使える。
「ありがとう」や「すごい嬉しい!」と「愛」が同じところにある。
愛ある言葉とか、愛あるやりとりとか、身近なところに愛を感じられる。
例えば今回なら、ミッチーが「優しさをありがとう」とかノムが「ぶっしーのおかげで空気がなごんだよ!」とかいう言葉を伝えてくれるのだって「愛」だなぁと思う。
eat LOVEの大元の原型はごはんだったけれども、それはこんな風にまた形を変えて愛を届けてくれる。
だからタイトルに『eat LOVE』を入れたかった。
今回のサブタイトルの『最善のデコボコ』は、ノムと電話で話した時にノムが言った言葉から採った。
ノムは「『最高』のパフォーマンスではなく『最善』のパフォーマンス」と一連の流れについて言った。
これもその時に聞いたことだけど、Mr.エックスは、裏側はミッチーの気持ち的な理由から通訳待機要員を置いたことを、彼は「すごいやる気を感じたよ!」とノムたちに言ったらしい 笑。
わざわざ電話で待機させてまで通訳を付けて、仕事に対して並々ならぬモチベーションを持ってその場に臨んでいると思われたらしい。
何て素晴らしい勘違い!!!
これこそ怪我の功名状態で、裏側のすったもんだが美談に変わっていた!
デコボコが最善となる。
こんなすごいことはない。
だけど本当は、完璧を目指すことは実はあり方としていびつで、デコボコしたままお互いに居合わせるからこそ、それが二重にも三重にも明るい方へと発展するのかもしれない。
欠けてたりデコボコしてることこそ、大切だと感じる。
2010年の夏か秋のはじまりだったと思う。
当時の私は名古屋でブラック企業で仕事をしていて、朝7時に家を出て夜は12時までに家に帰れたら御の字、週6勤務、日曜も休日返上で借り出されるなんて日常茶飯事だった。
生きてることそのものがあまりにしんどかったその時、私は今でもその光景をはっきりと覚えている。
まだスピリチュアル的な本にようやく触ったか触らないかの頃だった。
仕事の移動でいつも、栄(さかえ)というところで地下鉄からバスに乗り換えていて、バス乗り場に向かう際、オアシス21と呼ばれる広場を通った。
そのオアシス21の天空に浮かぶ「水の宇宙船」と名付けられた最上階は、床が透明でビルで言うところの4〜5階下が見えるようになっていた。
そのちょっと不思議な場所は、どういうわけか私のところに何かメッセージをもたらすことが多かった。
そこで私はある時、パッとひらめいた。
ひらめいたのかキャッチしたのかはわからない。
その時に出てきた言葉。
【不完全であることが完全】
頭上から何か強いショックを与えられたみたいに「はっ」となったのは覚えてる。
不完全であることが完全なのかもしれない…。
人生で初めてそう思った。
今思えば、天啓みたいなものだったと思う。
それを理解するには相当時間を要したし、今もって本当に理解できてるのかは知らないけれど、今回のようなことを言うんだと思う。
「不完全であることが完全」
例えば、ミッチーが英語を触りたがらなかったことも良かったわけで、もし2人目の友達が今後レギュラーで通訳するとなれば、私自身も英語に対してのわだかまりを解消する機会を得ることはなかった。
ミッチーがやりたがらなかったからこそ、ノムは私に英語待機要員の話を持ってきた。
そして、こういう時のノムは戦略的にそうしてるのか、素でそうしてるのか知らないけれど、本当に見事に要点のみを伝えて細かなことを何も言わない。
もしノムが、「ミッチーが英語の通訳をどうしても苦手だって言うから、ぶっしー英語でやってくれない?」と言ったら、多分私は断ったと思う。
私が思うに、ミッチーは話せるはずだから、しかも日本語より英語の時の方が話すみたいなことも本人が言っていたから、そんなできる人の前で私は何するの?と思ったと思う。
もしくは、2人目の友達に頼んで!と返したかと思う。
ノムは私が興味を持てるように言葉を並べて、その興味の中にミッチーの話は一切出てこなかった。
ノム営業職向いてるよ!ってなぐらいに上手な誘導だった 笑。
全ては完璧に噛み合った。
最後に、途中にあった私のデザートメールに対して、ノムから来た返信メールを紹介したい。
ノムが書いてくれたことは、これからの時代の台頭になると思う。
「ありがとう」と「ありがとう」の話は、私にはものすご〜く目からウロコだったし、本当にそんな生き方を私も目指したい!!!と思った。
感動ポイントは他にも盛りだくさんだから、どうぞご堪能ください!
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ぶっしー
月曜日はどうもありがとう!
さらに、このようなすてきすぎるメッセージも本当にうれしい。ありがとう!!
ぼくも思い浮かぶまま書くね。
なんかね、メールに書いてくれた、ぼくと絵の成り立ち?のこと、
なんだか泣きそうな感じが内側に生まれながら読んだ。
まったくその通りだから。
ぼくは(ホロスコープにもあるみたいに)積み上げて壊すみたいなことは多々あって。
大学中退して入った写真学校を出たのに、即写真をやりません、って親に言ったりさ、
ライターも「天職だね」とか友だちに言われるくらいだったし、
自分でもそう思っていたのに、つづけていくことが無理!ってなって、辞めたし。
絵も、そういう流れで描くようになったわけで、
絵が好きだったわけじゃないし、まさか絵を描くなんて、って話だからさ。
自分が決断してきたことだけど、
個人的には「そうせざるを得なかった」というような感覚があって。
そうして、このような先の見えない暮らしに入ったわけだけど、
なにに傷ついたかっていうと、まさに「そんなの無理だよ」「絵だけで食べている人なんて本当に一握りだから」みたいな声。
そんな一般的な情報は知っているし、
ぼくだって、家賃滞納とかしたいわけないし、100円単位でお金を気にするとかすっごいしんどいし、
でも、それ以外に進む道がないから、勇気だけで進んでいるのに、なんでそんなことを言うの?って悲しかった。
そして、ぶっしー書いてくれたように、
周りのお手本が本当にいなかったんだよね。
こうしたら、いいよ、って誰もぼくが望むような答えをくれなくて。
だけど、めっちゃ不安だから、それこそセドナ(アメリカアリゾナ州)のチャネラー先生に、高額のスカイプセッションしてもらったりさ、
ごっついお坊さんに個人面談してもらったりとかさ、しまくり、預金がみるみる減って。笑
だから、「棚ぼたとは思わない」というぶっしーの言葉、本当にうれしかった。今もうれしい!
今回は絵もたくさん売れたし、盛岡での個展とか、急遽9月にミッチーと2人展示の話をもらったり、
Mr.エックスのもあり、ありがたすぎる流れにあるんだけど、
それに、警戒する(?)気持ちもあって。いやいや、浮かれてたらダメだぞ!って。
そんなときに、ぶっしーの言葉は、すごく心にやさしく響いて、涙が出そうになった。
「魂の暗号」というのも、すごくうれしい。
けっきょく、絵は「買ってください、お願いします!」で売れるものではないと感じているし、
そのように絵を扱うのは、違うんじゃないかな、って年々感じてきていて。
ただ、お金は必要だし、手に入れたいと思うし、
買って欲しい、というようなマインドは働くのだけど、
その「買って」は、魂の声とは違うのだろうな、って感じる。
でも、さっきの「そんなの無理だよ」みたいな”ふつうは”がぼくにもあって、
人に来てもらわなきゃ、みたいに焦ってみたりもして。
そうした自分に、「絵は、ちゃんと必要な人のもとに届きますよ」「その人のための絵をあなたは先に描いているのです」
というような、ちいさい自分の悩みと次元を異にするその言葉は、とってもありがたいし、
本当は、自分でもそれを知っていた。と思う。
ぶっしーが「私もそういう人生を歩む人」という言葉、なんだかうれしかったよ。
うん、ぼくもそう思う!
ぼくを通じて、ぶっしーはそれを、宇宙の流れ(?)を知る必要があったんだろうね。
ぶっしーがここから、どのような展開になっていくか、すごく楽しみだし、
それを見届けられる(?)のも、すごくうれしいし、
そうやって、いっしょにあたらしい世界をみていけるのだとしたら、
本当にありがたいなあ、って思う!
英語の件、こちらこそありがとう!
いちばんいい形になった、と思っている。
というのもね、ミッチーは、英語に自信がぜんぜんなくて、
ぼくからすれば、十分話せているよ、って思うんだけど、かたくなに、「ぼくは無理」と言い、
ついてはいくけど、英語を話せる人に来てもらって、ってずっと言ってた。
で、今回はぶっしーが「いいよ」って言ってくれたことで、
そして電話参加という形をとってくれたことで、
ミッチーは安心してその場へ行くことができた。
そして、あのように電話が聞こえづらくなったことで、
彼は、自分がやらなきゃ、ってスイッチがたぶん入り、
さらに、自分もできる、って知ったんだと思う。
だから、冒頭に場をなごませてくれて、退席してくれた流れは完璧だった!
そして、あの場のなごませかたは(本人そのつもりはないだろうけど)、
絶対ぶっしーにしかできないことで、
ミッチーも、ぶっしーだったからこそ緊張がほぐれたし、自分が引き受ける、ってなったと思うし、
本当に、ぶっしーさまさまでした!!
実は、今回、やりとりした中でさらに話が発展して、
再度、来週Mr.エックスと会うことになって。
そうして、次回はミッチーが通訳を引き受けてくれることになった。
これ、もしぶっしーじゃなくて、誰かが現地に来てくれていたら、絶対に起こらなかった展開。
ぶっしーの電話があのような形にならなかったら、絶対に起こらなかった展開!!
さらにさらに、ぶっしーの方にも、いろんな気づきや癒しが起きたのだから、
本当に、最高の流れだし、最高の出会いだし、ありがたすぎる。
そこに関していえば、
みっちーも、ぶっしーに相当癒されていると思うよ、まちがいなく!
ぶっしーはさ、ぼくにしてみれば、
ものすごくキャラクターがたっていて、ものすごく魅力的で、
ものすごく頭脳明晰で、なのに、ものすごくキュート。
ぼくだけじゃなくて、みっちーもそう感じているみたい。
だからね、彼もぶっしーから、いっぱいもらっている、目に見えないものを、いっぱい。
彼の言葉少ななところは、どうもコンプレックスでもあるみたいでね。
だけど、ペラペラ喋ったらみっちーじゃないし、そもそも喋りたいこともたぶんない。
わかんないけど、彼の中で、そのような葛藤はずっともってきたのだろうし、
まだあると思うから、
ぶっしーの言葉は、彼をとーっても癒したと思う!!
おとといの風呂上がりに、みっちーが転送したばかりのぶっしーメールを朗読させてて、
ふたりで耳を傾けていたんだけどもね、
あらためて、「ありがとう」いっぱいのメールだなあ、って思ったんだけども、
ぼくも「ありがとう!」だし、彼も「ありがとう!」なわけで、
ああ、そうか。って気づいた。
win-winっていうかさ、「ありがとう」と「ありがとう」の関係がいいんだ、って。
Mr.エックスとのことは、まだ始まったばかりだけども、
彼にとってぼくの活動は「ありがとう」で、ぼくも彼に「ありがとう」で。
盛岡のことも「ありがとう」に「ありがとう」。
「ありがとう」に「どういたしまして」ではなくて「ありがとう」同士の関係には、
「ありがとう」の輪が、循環ができて、どっちもハッピーになる。
Mr.エックスのことも盛岡のお話も、「仕事」だったりするけれど、
でも、ありがとうの輪ができている。
これまでの自分は、お金をもらう方が「ありがとう」と言い、支払う方は「どういたしまして」と言う、
そういうものだ、とどこか思っていたのだろうと思う。
で、その「ありがとう」が循環していないことがしんどくて、仕事をやめた。
話がまとまっていないかもだけど、
今回のぶっしーの「ありがとう」まくりのメールを読んでね、
こんなにどちらも「ありがとう」ってなんて素晴らしいんだ!って思ったし、
ぼくは、そういう関係だけでこれからの人生はいたいと思った。
それで、実は生きていけるんじゃないか?って思った。
お金とか作品とか名誉とか肩書きとか、そういうものではなくて、
ありがとうって心がかよう人との関係が、ぼくの本当に大切なものなんだなあ、って。
ぼくも、読み返さずに、このまま送っちゃいます。
とにもかくにも。こちらこそ、本当に本当にありがとう!! 多謝!!!
の
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