2019/01/11
ずっと先月から書こうと思っていたことを今日は書く。
2016年の初夏になる直前に名古屋から新潟に帰ってきた理由について。
ずっと頭の中は浮かれポンチな理由ばかりが占めていたけれど、多分これが本当の理由なのかな…と思うことが先月あたりから出てきた。
どのタイミングで出てきたかは忘れたけれど、ご縁の方が私の望むような状態になってないところと、反対に全く望んではいなかったけれどもある意味ほいほいと叶っていることの両方を見て、後者の方が新潟に帰る理由だったのかなぁと。
前者は本当にご褒美中のご褒美だったんだと思う。
年明けて、後者側のことばかりがまた色々動くところを見て、時々かなり大きくガッカリする。
この後者側のパワーの10分の1なんて高望みしない、100分の1でも前者側の方の福に持ってこれないものかと思う。
私、生身の人間と交流したいのに、そうではないところから熱烈なラブコールを受けて、もちろんすごく大切なことだし、そういう役回りなんだとも頭ではわかるものの、心はそちらはそちらでいいから、普通に一個人の願いも叶えてください、と思う(涙)。
そこはグダグダ言っても一番どうにもならないからここで止めるけれど、その私が最近気付いた新潟に帰ってきた理由。
そろそろ3年になるけれど、私が名古屋を離れる時にものすごく嫌だった理由、名古屋を離れたくない唯一の理由と言っても良かったぐらい、どうしても名古屋を離れたくなく、さらには新潟に帰ることが恐怖でしかなかったこと、それはスピリチュアルなこと、精神世界、見えない世界、そうした部分を話せるだけではなく、私に教えてくれる人がいなくなることだった。
名古屋での私のテーマは、「ザ・スピリチュアル」「レッツ見えない世界のことを学ぼう!」と言っても過言ではなかった。
30代の私の時間は、自分の人生のシナリオが大番狂いしたところから始まった。
しかもそれまで為せば成るの精神で生き、自分の意思で人生は道開くと信じていた私には、思い通りにならない人生に初めて遭遇した。
もちろんそれまでだって思い通りにならなかったことは色々あるけれど、それでも自分が本気で願ったことは叶えてきた。
(※今思うのは、「叶えてきた」ように見えて、実はどれも必要があってそれぞれの体験を得たに過ぎない、叶える云々よりも先々の人生の計画に必要な体験と自分の気持ちとがたまたま上手い具合にマッチングしていただけじゃないかと思う)
それが一番人生で望んだことが叶わなくなって、そうなったらどう生きるかなんてさっぱり考えていなかった私にとって、いきなり人生を仕切り直さなきゃいけなくなったその現実に最初はまずついていけなかった。
何をしてもいつも根っこは満たされなくて、何で就職活動するのかも、何で何かをしなきゃいけないのかも、何なら何で自分が生き続けているのかも、本当に訳が分からなかった。
一番欲しいものが手に入らないのに、他に欲しいものを自分で見つけ出せ、なんて酷すぎた。
よくそういう状況をチャンスなんて言う人がいるけれど、ふざけんなと思っていた。
今振り返ると、転機にはたしかになったけれども、チャンスだとは今も思わない。
しかももっと言うと、まるで相手側の都合でうまくいかなかったように思っていたけれど、多分相手より私側の都合じゃないかと最近は思う時がある。
魂の計画があるとするなら、それは絶対的に最優先されると私は思う。
ちなみに魂の計画は、人間の私に喧嘩を売ってるのかと勘違いするぐらいに、ごくごく普通の生活を送りたい私個人からすると、それ辞退していいですか?というぐらいに、はっきり言って全く望んだ風に見えない。
私は死者と交信する体験よりも、お互いに大好きな者同士でくだらない話で盛り上がる体験、同じものを食べておいしいねと言う体験の方が欲しい。
前者の体験なんて、願ったことすら無いわ!、っていうかそんな願い思い付きもしないわ!というようなものは、なぜか全くお願いしたことも考えたこともないのに、勝手に叶う。
後者は全力で願い全力で行動しても全く叶わない、この不思議よ。
だから、魂の願いはとにかく絶対的なんだと思う。
不平不満を言い出したら止まらなくなりそうだからこの辺で止めるけれど、とにかく人生絶望感たっぷりみたいな30歳のスタートだった私。
そんな時に、スピリチュアルなことに精通していたコーチに出逢ってコーチングの個人セッションを受けることになり、そこからどんどん色んなスピリチュアル的な考えや真理・原理みたいなのを学ぶようになって、私はものすごく救われた。
何かが叶わない(と見える)時、同時に何か別のものが叶っている、なんて普通には教えてもらえない。
自分の目に映る世界は自分にしか見えていなくて、その見える景色を変えたかったら自分に新しい選択肢を与えること、そんなことその時初めて習った。
記憶は書き換えられる!、なんてのも良かった。
他にもたくさんあるけれど、とにかくそうした世界観や価値観を教えてもらえたことは本当の本当にありがたく、そして私の頑なに閉じていた心をまた開いてくれた。
色々思い通りにいかなくても、生きていたらまた楽しいことも笑えることもあるって知った。
そして、悲しいことや苦しいことはそのままにしておいてもいいんだということも知った。
頑張らない人生もあるし、楽しさを追い求めてもいいし、色々自分で人生に色を付けられるんだとわかった。
とにかく私は名古屋でひたすら人生の勉強をしていたような感じだった。
しかも、見えない世界を教えてくれる人たちはみんなどの人も良くて、私は普通にまずは人としてそういう人たちが大好きだった。
しかも当時の私は本当にスピリチュアルのスの字も魂のたの字も精神世界のせの字も知らないど素人だった。
本当に知らなかった私に、名古屋で出逢った素敵な人たちは、みんな私に一からわかりやすく教えてくれた。
しかも、それは無償の場合が多くて、何気ない会話の中でさらりと教えてくれたり、お茶を飲んだりビールを飲んだりしながらやりとりしていた。
お金を払って習ったことももちろんあったけれども、今思うと本物の人たちが教える本物の情報は、どれも破格の値段で提供されていた。
何せノンジャンルで、こだわりもなかった私は、とにかく誘われたら出かけたし、興味があれば自ら調整してでも行っていたし(←仕事とかそのためにものすごい労力を費やして時間変更や人員配置の調整をしていた)、ものすごく自由にのびのびと学んでいた。
そして、ありがたいことにそういう人たちが周りにいたから、講師に困ることはなかった。
今振り返ると、ありえないぐらいの大当たりで、私の場合は百発百中の的中率と言っても過言ではないぐらいに良い師たちに巡り逢えてた。
学びはもちろんまだまだだったし、周りの人たちに比べて自分が未熟なのもよくわかっていた。
2016年に入る少し前から人生大崩壊に向けてのカウントダウンが 始まってるとも知らず、私はスピリチュアルなことの学びをストップしていた。
その頃は、そういうことを勉強しても実生活では不具合だらけで、そうしたことの情報から離れてもいいのかも…なんて考えていた。
だけど、それはあくまでも学ぶベースがあって学びに行く行かないは私が選べたから、どこかあぐらをかくことができた。
ところが、新潟に帰ると決めたのは自分ではあったけれど、私はそうした学びから完全に離れる、そうしたことを教えてくれる人たちから離れることがものすごく怖かった。
しかも、そういう知り合いが新潟にはゼロ。
長い付き合いの友達とは話せるけれども、その友達について言えば友達本人からもはっきりと何回か言われて「ぶっしーがいなければ、私はこの手の勉強を一切始めなかった」と。
スタートの早い遅いは関係ないけれども、私の方がどうしても情報を多く持ち、そしてそれに付随する体験も山ほどあるのは否めない。
友達と私とではそれぞれ人生の目的が違うから、それはどちらがどうと言えるものでは一切ない。
ただ、私がこれまで慕ってきた師にあたるような人たちと同じ情報を得たいと思っても、それは望む相手が違うのがわかる。
だから、実質新潟で直接学べる人、対等に会話を成立できる人というのが誰もいないのが、私は本当に怖かった。
でも、それこそが私が次のステージに行くための必須条件だったと今になって思う。
要は、誰からも学べないし、自分で気付いていくしかない。
そういう状況を必然的に作ったんだと今ならわかる。
で、新潟に帰る2週間前に、まるで約束してたかのごとく私の目の前にペンジュラムが現れたのも納得できる。
自分一人で修行も大変だろうから、バディー・相棒をもたらしてあげよう!ということで、ペンジュラムが私の元へ遣わされたと考える方が、その後の色んなことを思うと納得する。
何せ学ぶ環境もなくなり、余分なお金もないから学びに費やす余裕もない、ないない尽くしだった1年近く私は本当に静かにしていた。
スピリチュアルなことも時たま気になったブログを見るぐらいで、何なら当時は私は2時間ドラマのサスペンス劇場をこよなく愛し、毎晩のようにそれを見て過ごしていた。
本当に記憶が曖昧だけど、私がもう一度スピリチュアルなことの学びを再開したのは、2017年の秋以降だったと思う。
正しくは、学びを再開したくてしたのではなく、あまりにも異常な、とにかく常軌を逸した感じの気持ちを彷彿させるイケメンに出逢ったからだった。
色んなことがあまりにもおかし過ぎたから、当初私はそれについて調べていた。
言うのも恥ずかしいけれど、当初の私の調べ物はひたすら恋愛系の記事ばかりだった。
でも、どれも私が欲しい答えがなかった。
相手の行動もかなり意味不明な感じではあったけれど、それ以上に私は自分の感覚の方が意味不明だった。
ちなみに、当時の調べ物で知ったニューボキャブラリーは「好き避け」だった(苦笑)。
もうこれは私の勘違いを増幅はさせても(←実際は「そうならいいのに」とは思っても、そうではない本気で嫌われてると思った)、現実の私のどうにも説明できない感情は説明してくれなかった。
そんなこんなのうちに、魂の関係云々のサイトがヒットして、そこから今度はどっぷりと魂の関係を説明してくれてるサイトを片っ端から見ていった。
それがスピリチュアルな学びの再開と言えば再開だった。
そう思ってみると、その人は私を勉強の再開まで導く係だったのかもしれない(T ^ T)。
もちろん、そんなのは私が望んだことではないけれど、私はその人とごはんに行きたいというかその人と時間が欲しいとは全力で願ったしそうも口にしたけれど、でもそれは叶わず叶ったのは独学のお勉強の方(T ^ T)。
全く腑に落ちない結果を手にしたわけだけど、とにかくそこは叶ったというか、気付いたらそうなってた。
書いてておかしいなぁと思ったことが1つ。
私はその頃はまだ本格的には学びをスタートしていなくて、でもいつからか魂の関係云々も調べなくなった。
そこからまたいきなりスピリチュアルな学びを深めたというのは、ちょっと違っていたかもしれない。
学びはさておき、その人が私の目の前からいなくなってから、色んなことが起こり出した。
いなくなって2週間後に、大型商業施設でたまたまその人の目を見てメッセージを書で書き下ろすというイベントをしていた。
私は書いてもらい、その時に言われたのがこんなことだった。
“絶対的な意思の強さがある。
それは絶対的だから、曲げたりできない。
先祖からなのか世代からくるものなのか、とにかく脈々と流れてるものから来ている絶対的な強さの意思。
そこに使命と繋がってるものがある。
自分の中の絶対を追求する、自分の中の納得を大切にする、もうそれ以外の生き方はできないし、逃げられない。
自分が納得できるものを追い求めるというのは、当然逆風も吹くし、敵対する人も出てくるだろうけど、とにかくがんばれ!
自分が納得するためにがんばれ。”
今読むとまた当時とは違う感じがしたけれど、当時は今ほどに理解していなかった。
2017年のラスト1ヶ月という頃、友達主催の『命の授業』のイベントに参加した。
4人のゲストスピーカーがそれぞれの命の体験を語ってくれた、そういう回だった。
それを見て、私ははっきりと思ったことがある。
自分が思ったまま感じたままをそのまま表現したいって。
その頃はまだペンジュラムのことも、スピリチュアルな学びも、一切公言していなかった。
ごく一部の人、少なくともスピリチュアルな学びの過程で出逢った人以外で、それより以前の関係や新しく新潟で出逢った人を含めたら、妹2人と20年以上の付き合いの友達、10年来の友達、そして2016年に職場で出逢った友達の5人ぐらいで、あとは周りは誰も知らない状態だった。
しかも、その手の話題が出ても、私は基本的に口を閉ざす。
話を聞いて、ここなら言えるかも…と思える場所や人がいなかった。
その頃から私の学びが若干マニアックなことは薄々気付いていたし、世間一般ではそんなレベルを求められていない。
パワーストーンならとか、占いならとか、そういうレベルでは情報欲しい人たちはいても、そんなことではなくガチの情報を知りたい人は少なくとも周りに見当たらなかった。
2019/08/07
上の文章は2019年1月11日の日付になっている。
本当はあと少しで書き終える予定でいたからそのぐらいにアップするつもりだったけれど、ちょうどその頃、ペンジュラムを使って山で行方不明になったおじいちゃんを探して欲しいと言われたそのおじいちゃんの霊魂が登場して、その対応が始まった頃だった。
その対応でバタバタして、それが終わると今度は怒涛の62連記事の『奇跡の果実』シリーズを書いて、のらりくらりしてたらまたこんな時期に突入した。←半年以上経過
まだあれから半年なんだと驚きつつ、もう当時のことが大昔みたく感じる。
夏の入道雲をクーラーで冷えた部屋からのんきに眺めていると、雪の頃にあった出来事は遥か遠くに感じる。
余談はこれぐらいにして、当時の書き途中のままのものをこのままアップすることにした。
ちょっとだけまとめると。
☆2010年8月8日〜2016年5月
→目に見えない世界へようこそ!の時間
明日8月8日で丸9年。
その日が私のスピチュアルな扉を本格的に開いた初めての瞬間だった。
その日のこと、書けたらいいなぁ。
(過去のどこかにはこのブログ内でもしかしたら書いたかもしれない。)
今思うと、その期間、私は本当にとても恵まれた環境下でスピリチュアルな世界の基礎を徹底的に学ぶことができた。
いつ書くかわからないから少しだけ言うと。
私が見えない世界や精神世界、スピリチュアルな世界に興味を持ったのは、そうしたものに興味が湧いたから入っていったんじゃない。
私がそうしたものに触れた一番の理由は、「話すだけでなぜか状況が好転する仕組み」を知りたくて、それで入っていった。
私はその日を境に月1で2年間コーチングの個人セッションを受けた。
コーチは「まんちゃん」と呼んだ私より一回り以上年上の、夢はサンタクロース!と本気で言う男の人だった。
まんちゃんのコーチングが私にとって初めてのコーチングだったから、当時はそれが普通だと思っていたけれど、まんちゃんのコーチングは全く普通じゃなかった。
まんちゃんと話すだけなのに、心が軽くなって、なぜかどんどん目に見えて状況が好転したから(体の病気が薬なしにまで快方するとか、売上大幅にアップとか)、それでその秘密を知りたくて私は見えない世界の学びをどんどん始めた。
それが私のスピチュアルな世界への入り方だった。
まんちゃんを皮切りに、私の学びはどんどんマニアック化して、かなり色んなジャンルのスピリチュアルなものにその後数年間で触れていった。
☆2016年6月〜2017年夏
→スピリチュアルな学び休止
この間、ペンジュラムは使いまくりだったけれど、新潟に戻って学びの場は無くなって、そのまま学びをストップ。
当時は、名古屋で色々学んで色々自分癒しなんかもしたのに、最後は意味のわからないことばかりが重なって、いわゆる「不運」だらけみたいなことになっていたから、スピリチュアルとかどうでもいいと思い始めていた。
新潟には、とりあえず私より知識持った人も周りに誰もいなくて、だからそのままスピリチュアルなところからはフェイドアウトしていった。
☆2017年秋〜現在
→スピリチュアルな学び再開
1月に書いたものを読んでて思い出したけれど、この時も別に「スピリチュアルな学び」を念頭に置いて再開したんじゃない。
「好き避け」などという、私の勘違いみたいなところから始まって、だけどその説明では何も私の納得材料にはなってくれなくて、それでひたすら調べていくうちに「魂の関係」みたいな言葉がヒットして、そこからさらに深くスピリチュアルな内容に入っていった。
学びを再開しよう、そうしよう!ではなくて、あまりに意味不明な出来事や自分の心の動きに自分も超混乱を極めて、それがそのままスピリチュアルな学びの再開に繋がった。
☆2018年4月〜現在
→自分のオカルト体質に気付く
初めて体質に気付いたのは、桜の花が満開だった、ある公園でのことだった。
「眠れない」と言った友達の話を聞いていた時に、突然「ハーブティ」とパッと言葉が浮かんだ。
無視したら、今度は「ハーブティ、ハーブティ、ハーブティ」と3連発で、友達の話を遮るかのように言葉が強く出てきた。
それは訳すと、「〇〇さんの眠れないにはハーブティが効くよ」というヒントだった。
そこを皮切りに、どんどん自分の体質、相手の潜在意識や魂からメッセージをもらうことに対して、力が引き出されるようになった。
回を重ねるごとに輪郭を持つようになって、私も自分が何をしているのか自分でもわかるようになってきた。
気付いたのは1年前だったけれど、実際には30歳の頃には日常的にそうだったし、それ以前もどうだったのかは今となってはわからない。
体質に対して、私の認識が追いついて、そして扱い方を学び出したのが1年前の春だった。
☆2019年夏現在〜
→人生再構築
24時間前、私は真夜中に目が覚めて、それがもう久しぶりに「死にたい」と思ったぐらいに、自分の心の中の孤独や闇が丸ごと見えて体感して…みたいな時間があった。
朝が来ることにも、この先の人生が続くことにも、本気で絶望していた。
今まで何となく誤魔化していたことたちが誤魔化せなくなっていた。
自分を否定する気持ちはなくても、絶望の淵にいる、これはどうやっても誤魔化せないものだった。
自分でも自分のために超がんばったと思うし、自分を満たそうと相当やった。
なんだけど、自分でもどうにもできない領域みたいなのがあって、そこが真夜中、意識が変性意識みたくなっていたところに、突然、強烈パンチのごとく飛んできた。
その時に私は「朝目が覚めたら、1日“絶望に浸かる日”として1日を過ごすことにしよう」ととっさに思った。
こういう時の私は、「朝が来ればまた気持ちが変わってるかも」なんてことは期待しない。
自分の最悪な心の状態で目覚めても大丈夫なように、「絶望に浸かる日」なんていう暗い設定にあえてしておく。
そうすると、プレッシャー少なく朝を迎えられるから。
今回の絶望・孤独は、「誰とも繋がれない」自分だった。
家族がいて、連絡取り合える友達がいて、会って話せる友達もいる。
なんだけど、強烈に私は1人で、それを誘発するような状況が実際にあったのだけど、本当にこういう一番心細い時に自分が1人なんだとわかった。
自分のことだけできる環境はとても恵まれている。
なんだけど、それは自分のやりたいことがはっきりしている場合。
私みたいに「何で生きてるんだろ?」みたいな疑問が常にあるような人には、自分のためだけに生きることの限界と常に隣り合わせだったりする。
その限界はいつもは何かしているとぼやけてくれる。
でも真夜中に目覚めたその時、あまりに孤独で、先の未来に望みもない生き方に、それでも明日も来てしまうだろうことに心底ゾッとした。
知識もある程度蓄え、実践もある程度積み重ね、ホロスコープから自分の人生の方向性も見え、ここから先は1つ1つ小さな一歩を積み重ねていくしかない、というところに来ている。
ホロスコープに出ていることは私の勘違いであって欲しい、と今でも思うことは多々ある。
「絶望に浸かる日」なんていう訳の分からないことを自分に与えたいわけじゃない。
昨日見たテレビで、魔の夏休みのお母さんたちへのサービス(ごはん作りや子どもの宿題サポートとか)の特集を見ていて、心底羨ましかった。
専業主婦の人のブログを読んじゃ、指くわえたいぐらいに羨ましさを募らせる。
そういう自分と、孤独と常にお友達な自分と、何でこんな人生なの?と自分でも納得できてない心と、不具合満載すぎるけれど、それが自分の人生なんだと受け入れていくしかない。
そして、その自分での人生の再構築の時間に入りつつあるんだと思う。
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